Episode68
美菜を家まで送る途中、瀬良は無言で歩いていた。美菜は瀬良を横目で見ると、怒っているような、悲しんでいるような……なんとも言えない表情をしていた。
美菜は頼りない足取りで瀬良に支えられながら、無理に歩いていたが、内心では瀬良に対して申し訳なさが募るばかりだった。
「ごめん、迷惑かけて……」
美菜は小さな声で呟いた。冷たい夜風が髪を揺らし、体の温度はどこか異常に高く感じられる。
「迷惑とか、そういう問題じゃない」
瀬良の声は冷静で、どこか少し苛立っているようにも聞こえた。しかし、その言葉の中には、彼女を心配する気持ちが込められていることが伝わってきた。
「体調管理もできなくてダメダメだね……」
美菜は肩をすくめるように言うが、身体がうまく動かないせいで、その言葉が虚しく響く。
「ごめんね……」
「俺に謝るな」
瀬良が立ち止まり、顔を向けた。その顔には普段見せない少し鋭い表情があった。
「仕事だってお前だけのものじゃない。お前が無理したから今日は大丈夫?俺含めて、誰かスタッフは美菜が穴開けたら文句言う奴いると思ってる?」
美菜は思わず顔を上げた。
「それ、は……」
瀬良の言葉は正論だ。だが今の美菜にはかなりきつかった。
しばらく二人は黙ったまま歩き続ける。美菜は歩幅を少しずつ合わせながら、瀬良の言葉にどう答えるべきか考えていた。
***
やがて美菜のマンションに到着し、瀬良は美菜を支えながら玄関まで進んだ。
「鍵どこ?バックの中?」
「うん、そう……ありがとう」
美菜は声をかける。
瀬良がうなずきながらドアを開けると、柔らかな室内の光が二人を迎える。瀬良は中に入り、無言で美菜をベッドに座らせた。
「横になった方がいい」
瀬良は低い声で言い、無理にでも美菜を寝かせるように誘導する。
美菜は少しだけ遠慮するように目を伏せるが、瀬良の無言の圧力に抵抗できず、そのまま横になることにした。
「今は…熱を下げないとだめだな」
瀬良は冷たい氷水とタオルを準備し、美菜の額に当てる。
美菜はその冷たい感触に一瞬だけ身を震わせたが、すぐに心地よさに包まれた。
「ありがとう、瀬良くん」
その言葉に、瀬良は少し驚いたように顔をあげ、美菜を見つめた。
「熱、どれくらいあるか分かるか?」
「……多分、あんまり測りたくないな」
美菜は笑おうとしたが、それも力が入らなかった。
「強がって……」
瀬良が小さく吐息をつきながら、再び冷たいタオルを額に乗せる。
美菜はその手が離れないことに、ほっとした気持ちが湧き上がった。
しばらく沈黙が続き、美菜は静かに目を閉じた。瀬良が近くで見守ってくれているのを感じながら、次第に体温が少し下がっていくのが分かる。
「……あのね、昨日の……なんて事ないんだけど、瀬良くんの付き合ってないみたいな言い方がちょっと辛くて……子供みたいだなぁって自分でも分かってる……。だから、ちょっとでも瀬良くんみたいに余裕が欲しかったから……強がっちゃった」
美菜がゆっくり低い声で言うと、瀬良は手を止めることなく、ただ静かに聞いていた。
「傷付けてたんだな…ごめん。……余裕なんて俺もないよ。本当は全スタッフに言ってやりたいし、邪魔すんなよって思ってる。美菜が思うほど余裕なんてない……」
瀬良の声はどこか優しさを含んでいて、美菜はその温かさに少しだけ目を細めた。
「無理させたのは俺のせいなんだろ?だから俺は美菜が体調悪そうなの分かってて止められなかった自分がムカつくよ」
「……無理は私が勝手にしただけで、瀬良くんは何も悪くないよ……!でも……ありがとう。私これ以上迷惑かけないようにしないとね」
美菜はゆっくりと口を開き、素直に自分の気持ちを言葉にした。
熱のせいかどんどん弱音が出てきてしまう。
「もっとちゃんとしないと……」
「美菜はもう充分ちゃんとしてるよ。仕事も、お前が無理してでもお客様や店全体のために働こうとしてるのも、俺はちゃんと分かってる」
瀬良はそう言って、少しだけ微笑みを浮かべた。
その笑顔に、美菜は少しだけ胸が温かくなった。どこか安堵感を覚えながら、彼の優しさに心から感謝した。
「でも、次からはもっと頼って。無理しないでさ」
瀬良は穏やかに言ったが、どこか少しだけ真剣だった。
美菜はその言葉に答えるように、もう一度小さく頷いた。
「うん、ありがとう……」
二人の間に流れる静かな時間。その後、美菜はやっと深い眠りに落ち、瀬良はそっと部屋を後にした。ドアを静かに閉めると、外はすでに深夜になっていたが、瀬良の心にはどこか、安心した気持ちが満ちていた。




