Episode60
「いや! 高いわ!!!!!!!」
美菜は届いた請求書を見て叫んだ。
バックルームでは、瀬良が新しいハサミを手に取り、軽く開閉しながら満足そうにしている。
「……ねぇねぇねぇ、なにこの金額!?」
美菜が請求書を手に持ったまま詰め寄ると、瀬良は何食わぬ顔で答えた。
「ハサミ」
「それは分かる! そうじゃなくて、金額! 2挺で……、えっ、これ……」
美容師のハサミは基本的に高級品だ。ピンキリではあるが、1挺で数万円から十数万円するものも珍しくない。
泥棒が美容室に入ったら、まず持っていかれるのはハサミ一式が入ったシザーケース――と言われるほど、プロ仕様のハサミは貴重なものなのだ。
そして、請求書に記載された金額は、まさにプロ仕様の価格だった。
「……いや、ちょっと待って。普通、こんなのポンと買う!?」
「まあでも、美菜にも馴染んでただろ」
「たしかにそうだけど、だからって、『じゃあ買います』ってサラッと決められるものじゃないでしょ!?」
美菜がツッコむと、瀬良は落ち着いた様子で「まあな」と頷く。
「でも、買った」
「いや待って! 私払うよ!ぶ、分割払いとかで……!」
「もう一括で払ったから、要らない」
「一括で2挺も!?」
瀬良の言葉に、美菜は頭を抱えた。数十万円が一瞬で飛んでいる事実に、金銭感覚の違いを思い知らされる。瀬良の「臨時収入があったから」という理由も、いまいち腑に落ちない。宝くじでも当たったのだろうか?
だが、その理由を深く考えることなく、美菜は瀬良に対して「そこまでしてくれなくても……」と申し訳なさそうに言った。
すると、瀬良は視線を逸らしながら、不意に呟いた。
「……もうすぐホワイトデーだろ。なら、それということで」
「いや、バレンタインあげてないよ?」
美菜は思わず突っ込む。今年は仕事や配信でバタバタしていて、誰にもチョコを渡していない。つまり、ホワイトデーにお返しをもらう理由はないのだ。
「……ネックレスとか指輪とか、そういうのは俺分からないし。美菜が喜ぶものがあげたかっただけ。はい、もうおしまい」
それ以上の議論は受け付けない――とばかりに、瀬良は美菜を見据えた。
「……ずるい」
美菜は小さく呟いた。その目には、微かな照れと困惑が混じっている。
「なら、受け取ってくれる?」
「……ありがとう」
瀬良の優しさに、美菜は観念して受け取った。頬がじわりと熱くなるのを感じる。
満足そうな表情を浮かべた瀬良は、軽くハサミを回しながら、ふと微笑んだ。
「てか俺がおそろいにしたかっただけ」
そう言い残し、スタッフルームを出ていく。
残された美菜は、瀬良とおそろいのハサミを見つめたまま、その場から動けなかった。
***
「ふっふっふー、私は知ってるんですよっ!」
受付でパソコン作業をしていた瀬良に、千花がわざとらしく近づいてくる。
「……何がだよ」
「誰が届いた同じ2挺のハサミを、みんなにバレないように渡したと思ってるんですかぁ?」
瀬良は無言で千花を見つめる。
昨日、ハサミをサロンに届けた日下部から、偶然受付にいた千花が受け取った。
その後、千花が瀬良に「お届け物でーす」とハサミを渡したのだが、彼女の鋭い恋愛脳はすぐに察してしまったらしい。
「美菜先輩とおそろいなんですよね〜?」
「はいはい」
「それって、“俺のもの”アピールですかぁ?」
瀬良は無言。
「……え、本当にそうなんですか!?」
千花がやっぱり!と嬉しそうに身を乗り出す。
瀬良は少しため息をつくと観念したかのように千花に話す。
「まあ、それも含めてだからな」
サラリとそう言った瀬良に、千花は一瞬引いた顔をした。
「瀬良先輩って、独占欲強そうですねぇ……」
「うるさい、仕事しろ」
そう言いながら、瀬良は千花の頭を小突く。
「ちぇ……でも、いいですねぇ。そういうの」
千花は小さく笑いながら、伝票整理に戻った。
一方で瀬良は、自分のシザーケースに新しく入ったハサミをちらりと見つめる。
「……ま、いずれバレるか」
同じハサミを持っていれば、いずれスタッフの誰かが気づくだろう。
それでもいい――そう思いながら、瀬良は静かに仕事に戻った。




