Episode5
閉店時間が近づく頃、美菜はようやく最後の仕事を終え、ひと息ついた。
長い一日だったが、充実していた。瀬良の仕事ぶりを改めて間近で見て、学ぶことが多かった気がする。
(もっと上手くなりたい……)
そんなことを考えながら、片付けに取り掛かろうとしたそのとき――
「あれ?」
レジの前で、後輩のアシスタントが困った顔をしている。
「どうしたの?」
「えっと……今日の売上入力がうまく反映されてなくて……」
美菜が覗き込むと、確かに金額のデータがずれている。入力ミスか、システムエラーか。
「とりあえず、もう一度チェックしてみるね」
慣れた手つきで操作を試みるが、状況は変わらない。
(うーん……どうしよう)
閉店後の事務作業は決して嫌いではないが、こういうトラブルは焦る。
「……どうした?」
低めの声が聞こえた。
顔を上げると、瀬良が無表情で立っていた。
「あ、実は――」
事情を説明すると、彼は軽く頷いた。
「データのバックアップ、確認したか?」
「え?」
「たぶん、一度入力してる。履歴を確認しろ」
言われた通りに操作すると――確かに、バックアップデータが残っていた。
「本当だ……!」
「最終確定を押せば戻るはず」
美菜が言われた通りに処理すると、無事に売上データが反映された。
「……できた!よかった……!」
ホッと肩の力を抜くと、瀬良が静かに言った。
「焦ると、見えるものも見えなくなる」
「……うん」
「次からは、先に履歴を確認しろ」
「……はい」
自然と背筋が伸びた。
(やっぱりすごいな、同期とはまるで思えない…)
無駄な言葉はないのに、確実にフォローしてくれる。
「ありがとう、瀬良くん」
「……別に」
それだけ言い残し、彼は片付けに戻っていった。
美菜はしばらくその背中を見つめていた。
(……お礼、ちゃんとしたいな)
何かできることはないだろうか。
***
帰宅後、美菜はソファに倒れ込んだ。
仕事終わりにあんなことがあったせいで、今日はゲームも配信もする気力が残っていない。
(瀬良くんに何かお礼をしたいけど……何がいいかな)
あの人、何か喜ぶことあるんだろうか。
食べ物? でも好みが分からない。
仕事道具? 下手なものを渡したら、逆に迷惑かもしれない。
(……うーん)
〜〜〜♪
スマホをいじりながら考えていると、不意に着信音が鳴った。
「……ん?」
画面を見ると、知らない番号。
(誰……?)
少し警戒しながらも、通話ボタンを押す。
「……もしもし?」
『……あ、もしもし。瀬良だけど。お疲れ様。』
「……え?」
聞き慣れた低い声。
「瀬良くん!?えっと、あっ、お疲れ様です!」
『ああ』
「えっ、なんで番号知ってるの?」
『店長に聞いた』
「えっ、なんで?」
『別に深い意味はない』
さらっと流されたが、なんとなく誤魔化されている気がする。
「……で、どうしたの?」
『今日の件、ちゃんと復習しとけ。次に同じことがあったら、すぐ対処できるように』
「え、うん……」
『それと』
「?」
『お前、ゲームやるだろ』
「えっ!? ……あ、うん」
いきなりの話題転換に、美菜は戸惑う。
(もしかして、ゲームの話がしたくてわざわざ店長に番号聞いた…とか?)
美菜はふとそんな事を思ってしまった。
もしそうならかなり瀬良の事を可愛く思えてしまう。
『どんなゲームやってるんだ』
「え、えっと……ゲームは全然した事ないというか、なんというか……。恥ずかしながら親にゲーム買ってもらえなくてした事なかったんだよね。」
『え……?』
「あ、でも、最近ちょっとゲームしてみようかな〜って思う機会があってね、興味が出てきたんだよ!」
『そうか』
それだけ言って、一瞬沈黙が流れた。
(何、この会話と空気……?)
普段、今までは仕事の話しかしなかったのに、今はなぜかゲームの話をしている。
『……お前さ、意外と負けず嫌いだろ』
「えっ?」
『昨日、勝ったって言ってたときの顔。悔しそうなやつが、やっと勝てたって顔してた』
「……そんな顔してた?」
『してた』
美菜は思わず苦笑する。
(たしかに、昨日の私は必死だったな)
「まぁ、勝てなかったら悔しいし」
『ふん……』
電話越しに、微かに鼻で笑う音が聞こえた気がした。
それがバカにした笑いではなく、どこか楽しそうな響きを含んでいるように感じたのは、美菜の気のせいだろうか。
「……瀬良くんは、どんなゲームをするの?」
『……内緒』
「え、なんで!?」
『あんまりひとに知られたくないから』
「知られたくないって……じゃぁどんなのが好き?」
『色々』
またしても、そっけない返答。
「えぇ、気になるんだけど……」
『そのうち』
「そのうち?」
『……機会があればな』
言葉の意味を考えようとした瞬間、瀬良が短く言った。
『じゃあな』
「あ、うん……おやすみ」
『ああ』
通話が切れ、静寂が戻る。
美菜はスマホを見つめながら、思わず息をついた。
(なんだったんだろ……
自分からゲームの話しといて全然教えてくれなかったな……)
雑談がしたかったのだろうか?
仕事のフォローをしつつ、ゲームの話をして、最後には彼から少しだけ興味を持たれたような……。
(いや、気のせい……かな)
でも、なんとなく。
(……明日、また話せたらいいな)
そんなことを思いながら、美菜はベッドへ向かった。