Episode57
「とりあえず、何か飲む?」
抱きしめられた余韻で胸の鼓動が落ち着かないまま、美菜はなんとか平静を装い、そう提案した。
瀬良は少し考える素振りを見せた後、「ん、じゃあ何か適当に」と軽く答える。
(……なんか、今日機嫌いい?)
いつもより柔らかい表情で、どこか満足げな瀬良が少し新鮮だった。
(いい事でもあったのかな……?)
瀬良は口には出さないけれど、その余韻が態度ににじみ出ているのがわかる。美菜は少し微笑んで、冷蔵庫へ向かった。
「確か、お茶と……ジュースと……」
冷蔵庫の扉を開け、中を覗き込む。どれにしようかと手を伸ばそうとしたその瞬間——
「美菜……今日泊まってもいい?」
背後から、瀬良の腕がそっと回された。
「えっ——」
心臓が飛び跳ねる。
彼の体温が背中越しに伝わってくる。首元にかかる静かな吐息。瀬良の声はいつもより少し低く、甘く響いた。
「い、いい……よ? でも明日仕事だよ……?」
言葉を絞り出すように返す。顔が熱い。
「朝、早めに出て家寄ってから出勤する」
振り返ると、瀬良の瞳がすぐそこにあった。
そのまま抱き寄せられ、指を絡められる。
(……ずるい)
どこか甘えたようで、それでいて獲物を狙うような鋭さを持った視線。
抵抗なんて、できるはずがなかった。
「……わかった」
美菜は小さく頷くしかなかった。
瀬良の腕の中にいると、頭がうまく回らない。ただでさえ不意打ち気味の言葉に動揺しているのに、こうやって密着されると、それ以上の抵抗ができない。
「美菜」
低く名前を呼ばれる。
「……な、なに……?」
返す声は情けないほど震えていた。
瀬良は美菜の指を絡めたまま、軽く力を込める。
「何か飲むんじゃなかったのか?」
「え……?」
一瞬、思考が追いつかず、美菜はまばたいた。
「冷蔵庫、開けっぱなし」
「——あっ!」
慌てて振り返り、冷蔵庫の扉を閉める。どうやら、自分が固まっている間も瀬良は冷静だったらしい。
(ずるい……ほんとずるい……!)
そう思いながら、美菜は再び冷蔵庫を開け、適当にペットボトルを取り出す。
「お茶でいい?」
「ん」
短く返事をすると、瀬良は美菜を抱き寄せたまま、ほんの少しだけ鼻先を首筋に埋めた。
「——っ」
美菜の体が一瞬で硬直する。
「落ち着く」
そう呟く瀬良の声は、どこか満ち足りた響きを持っていた。
(やっぱり、いいことあったんだ……)
心臓は相変わらずうるさいけれど、それでも美菜はそっと息を吐く。
「……お茶、飲む?」
「うん。でももう少し、このまま」
「……もう……」
文句を言いながらも、美菜は逃げることなく、瀬良の腕の中にいた。
美菜は少し照れくさい気持ちを抑えながらも、そのまま瀬良の腕の中でじっとしていた。彼の温もりが心地よく、安心感を与えてくれる。
しばらく、二人は無言で静かな時間を共有した。美菜はその間に、どこか遠くで鳴っている時計の音を意識しながら、少しずつ呼吸を整えていった。
「……ねぇ」
ようやく瀬良が口を開く。
「ん?」
美菜はその声に反応して、ゆっくりと顔を上げた。瀬良の表情はどこか穏やかで、優しさがにじみ出ている。
「……お前、俺が来た時、少し安心しただろ?」
その言葉に、美菜は驚いた顔をした。
「……え? なんで分かるの?」
「んー……?なんとなく」
「そ、そっか……」
美菜は瀬良にはなんでもバレてしまうんだなと感じていた。
「それに本当はお前、すごく今緊張してたんだろ?」
瀬良の目が優しく笑う。
図星だ。
美菜だってもう大人……夜に彼氏が“泊まりたい”
と言うことはそういう事なのかと想像してしまう。
「……ッ!」
「大丈夫、美菜がいいって思えるまで待つよ」
美菜はその言葉に少し胸が温かくなる。
「……ありがとう」
美菜はなんとなく察している瀬良にお礼を言うと、ふと手に持っていたペットボトルを見つめた。
「あっ!!!これ!お茶!お茶飲む!?」
「うん、ちょうだい」
瀬良はペットボトルを受け取り、静かに蓋を開けた。
美菜はその隣で、少しだけ照れたように微笑んだ。
二人の静かな時間が、やけに心地よかった。
はじめまして!
ここまで書いてやっとここのスペースの存在に気づきました……!
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