Episode56
「まずいまずいまずいまずい」
美菜は焦っていた。
配信を終え、気が抜けてゴロゴロしていたところに鳴った電話。のんびり話していたら、まさかの「15分で行く」という展開になり、気づけばもう5分が経過していた。
「か、片付けなきゃ……!」
慌ててVTuber用の配信機材をクローゼットに押し込む。マイク、カメラ、オーディオインターフェース、サブモニター……普段は美しく配置しているものを、今はとにかく見えなければいいと雑に詰め込んだ。
瀬良を部屋に上げるのは初めてだ。
(ここでVTuberやってるの、バレるわけにはいかない……!)
別に悪いことをしているわけではない。でも、身近な人に知られるのはなんだか恥ずかしい。それに、もし田鶴屋みたいに瀬良が配信を見始めたらと思うと、とんでもなく気まずい。今後何を話したらいいのか分からなくなる。
一通り機材を隠し終えると、次は自分の身支度に取り掛かろうとした。
(お風呂は入ったけど、すっぴん、部屋着、髪は適当に乾かしただけ……このままじゃまずい!)
急いで鏡の前に立ち、軽くメイクを——
「……っ」
呼び鈴が鳴る。
(……間に合わなかった………)
どうする? どうにか時間を稼ぐ? いや、それも変に思われるかも——
「……っ」
結局、待たせるわけにもいかず、覚悟を決めてドアを開けた。
そこには、少し息を切らした瀬良が立っていた。
「……よ」
寒い夜風にあてられたせいか、頬がほんのり赤い。軽く乱れた髪を手ぐしで整えながら、瀬良はどこかほっとしたような表情で、美菜を見つめていた。
(……え、なんか嬉しそう……?)
「悪い、急いできた」
「……う、ううん。寒かったでしょ? 早く入って」
そう言いながら、美菜は自分の格好を意識してしまう。
(すっぴん、部屋着……うわあ、やっぱりちゃんと準備すればよかった……!)
「お邪魔します」
瀬良が玄関を上がり、美菜の部屋に一歩足を踏み入れる。
彼の視線が室内をゆっくりと巡る。
(……大丈夫、機材は隠した……!)
「……思ったより、普通だな」
「え?」
「いや、もっと女子っぽい部屋かと思ってた」
「……どういう意味?」
「シンプルってこと」
「ふ、ふーん……」
何気ない会話をしながら、美菜はそっと安堵の息を吐いた。
——瀬良は、何も気づいていない。
とりあえず、今日は乗り切れそうだった。
「……ん」
瀬良は無造作に上着を脱ぎ、片手で軽く畳むと、何気ない仕草で両腕を広げた。
美菜はその意味を理解するのに数秒かかった。
(え、これ……)
思わず息をのむ。
ただの仕草。でも、まるで「おいで」と言われているようにしか見えない。
(……や、やばい)
体が勝手に熱くなる。
普段の職場ではこんな雰囲気になったことはなかった。仕事ではクールな瀬良が、今は少しだけ柔らかい表情をして、美菜を見ている。
(どうしよう……恥ずかしい……でも)
ためらいながらも、美菜はゆっくりと瀬良に近づいた。
その瞬間、強く抱きしめられる。
「……っ」
瀬良の体温がじんわりと伝わる。
腕の中は温かくて、安心できる匂いがした。
「会えてよかった」
耳元で低く囁かれる。
心臓が跳ね上がるのを感じた。
「……わ、私も……」
美菜もそっと腕を回す。
仕事で明日も会う。それなのに、こうして今日会えたことが、こんなにも嬉しい。
(……好きな人に会えるって、こんな気持ちなんだ)
今さらながらにそう思う。
瀬良の腕の中で、美菜はそっと目を閉じた。




