Episode53
瀬良はパソコンの電源を入れ、椅子に深く腰掛けた。
デスクの上にはカスタマイズしたゲーミングPCが鎮座している。
LEDが淡く光り、ファンが静かに回り始めると、馴染みのある起動画面が映し出された。
「ワールド・リーゼ」のアイコンをダブルクリックし、同時に通話ソフトを立ち上げる。
ヘッドセットを装着し、ログインボタンを押すと、画面の右下に小さな通知が現れる。
━━━Irisがログインしました
これが瀬良のインターネット上での名前。
実家の庭に群生していたアヤメの花が由来だ。
もともとは「あやめ」という名前を使っていたが、女と間違われることが多く、英語表記のIrisに変えた。
それだけの理由だったが、今ではすっかり馴染んでいる。
通話リストを開き、馴染みのあるIDを見つけてボタンをクリックする。
『おつかれ〜』
ヘッドフォンから聞き慣れた声が響く。
「おつかれ」
画面には“漆黒の木嶋@堕天使”と表示されている。
通称、木嶋さん。
長年のゲーム仲間で、気の合う相手だが、そのネーミングセンスだけはどうにも理解できない。
「漆黒」だの「堕天使」だの、どこからそんな単語を拾ってくるのか……。
瀬良は、木嶋の名前を絶対にフルで呼ばないと決めていた。
『そーいえばリーゼ、アプデ来たらしいよー』
「見ました。俺のカウンターキャラがナーフくらってて良かったです」
『あれはもはやバグレベルだったからね』
瀬良は木嶋が何歳だとか、何処で何をしているかは知らない。
ただなんとなくネットでも敬語を使うことにしている。
軽く雑談を交わしながら、マッチング開始ボタンを押した。
━━━マッチングしました
━━━ゲームを開始します
数十秒待てば簡単にマッチングするゲーム。
かなりのプレイヤーがこの時間はいるようだ。
カウントダウンが始まった。
瀬良はアタッカー、木嶋はサポートの役をしている。
「木嶋さん、いつもより今日はもうちょい前出て欲しいです」
『りょ』
短いやり取りの後、ゲームが始まる。
コンビネーションは完璧で、試合はほぼ一方的な展開になった。
そして当然のように勝利……。
──なぜなら、2人は日本の大会で優勝経験があるからだ。
チーム名は「AK2」
当初、木嶋は「天界に花咲く木嶋」と名付けたがったが、
瀬良が「ダサすぎる」と全力で拒否し、結局シンプルな「AK2」に落ち着いた。
***
その後もゲームを続け、気づけば時刻は0時を回っていた。
『そろそろ明日のためにやめるー?』
「……いや、俺はいいですけど」
『ならもう少し続けようか』
「はい」
ゲームの合間に、ふと木嶋が話題を変える。
『明日の大会、賞金デカいよね』
「いつもよりスポンサー多いですよね」
そんな会話を交わしていると、机の上のスマホが小さく振動した。
画面を見ると、美菜からのメッセージ。
「明日休みだけど、何してる?」
──明日は大会だ。
だけど、このタイミングでそんなメッセージが来るのは珍しい。
気になりながらも「予定ある」とだけ返信する。
しばらくして、美菜から「気にしないでね!」と明るいメッセージが返ってきた。
瀬良はどうしても気になり、木嶋に少し離席することを伝えミュートにする。
……
一瞬、かけるか悩んだが、すぐに通話ボタンを押した。
『もしもし?』
「ああ」
「明日、予定あるんだ」
『うん、メッセージ見たよ』
「……どこか行きたかったのか?」
『え? ううん、特にないけど……』
少し考えた後、美菜が言葉を続ける。
『強いて言うなら、会いたいなーって思っただけ』
──心臓が、一瞬だけ跳ねた。
電話越しの沈黙が少し長くなる。
『……そうか』
『でも、気にしないでね! 瀬良くんの予定があるなら、それを優先して!』
……優先して、か。
「……時間できたら連絡する」
『えっ?』
「まあ、できたら」
何となく照れくさくて、そっけなく答える。
けれど、美菜は嬉しそうに「うん、待ってる」と言った。
そのあとは、他愛のない話を少しだけして電話を切る。
(試合が早く終われば、会えるかもしれない…)
それが確定しているわけではないのに、ふと、そんなことを考えていた。
(まあ、できたら……な)
小さく息をついて、瀬良はヘッドセットをつけ直す。
『お、戻った?』
「はい」
『もしかして親フラ〜?』
「違います」
『そっか』
「はい」
適当に流しながら、再びゲーム画面を見つめる。
もう1戦だけ。
それを終えたら、明日の大会の準備をしよう。
けれど、スマホの画面に残った「美菜」の文字が、
なぜか何度も頭の中に浮かんでくるのだった。




