Episode46
「あ!店長と先輩、帰ってきましたよ!!」
入口の方から千花の声が響いた。
サロンはすでにほとんどのスタッフが帰り、残っていたのは千花と瀬良だけだった。
「探しましたよー!」
ぷりぷりと怒る千花に、田鶴屋は「悪い悪い」と軽く手を上げて謝る。
「そろそろ帰ろっか」
そう言って、田鶴屋は美菜と共にスタッフルームへカバンを取りに向かう。
「じゃぁ俺たち待ってますね」
そう瀬良が言うと、2人は入口で待つことにした。
***
スタッフルームの扉を開けると、照明が落とされた静かな空間が広がる。
田鶴屋はロッカーから自分の荷物を取り出しながら、不意に口を開いた。
「……みなみちゃん」
その声を聞いた瞬間、美菜の動きが止まった。
普段は「河北さん」と呼ぶのに——
驚いて田鶴屋を見上げると、彼はいつものヘラヘラした表情ではなく、どこか穏やかで、それでいて切なそうな顔をしていた。
「俺の大好きなみなみちゃん」
そう言って、田鶴屋はふっと微笑む。
「幸せになってね」
美菜は思わず息を飲んだ。
——田鶴屋店長。
……いや、今のは「タヅルさん」だ。
普段はふざけたように軽やかで、いつも周囲を笑わせる彼の、本当の顔が見えた気がした。
胸の奥が、きゅっと締めつけられる。
何か言おうとしたが、言葉が見つからない。
美菜が戸惑っている間に、田鶴屋はふっと表情を切り替え、いつもの飄々とした笑みに戻った。
「さて! 明日からも仕事頑張るぞ〜!」
一人でガッツポーズを決めて、何事もなかったかのようにスタッフルームを出ていく。
美菜は、その背中をぼんやりと見送った。
(……タヅルさん、ありがとう)
静かにそう思いながら、今は彼の優しさに甘えることにした。
***
「じゃ、私こっちなんで!」
千花がわざとらしく別方向へ進もうとする。
「え、お前こっちじゃなかった?」と瀬良が眉をひそめるが、千花はにこっと笑った。
「いいんです! じゃあ、お二人ともお疲れさまでした〜!」
そう言って、千花は美菜と瀬良を二人きりにさせるように、さっと離れていった。
「……何か企んでんな、あいつ」
瀬良が小さく呟くが、美菜はくすっと笑った。
「まあ、いいじゃん。帰ろ?」
「……ああ」
瀬良は少し頷き、美菜と並んで歩き出した。
***
その頃、田鶴屋と千花は並んで歩いていた。
「ラーメンでも食べて帰るか」
「奢りなら!」
即答する千花に、田鶴屋は苦笑しながら肩をすくめた。
「元々そのつもりだったし」
「やったー!」
千花は子どものように小さくガッツポーズをする。
ラーメン屋へ向かう途中、ふと千花が口を開いた。
「私は田鶴屋店長のことも応援してたんですよ」
「……なんのことかなぁ?」
田鶴屋はすっとぼけるが、千花は気にせず話を続ける。
「あの二人、多分もう引っ付いてますもん。見てたら分かります。でも……私は、田鶴屋店長がずっと美菜先輩のこと特別な目で見てたの、知ってましたよ」
千花の声は、いつもの恋愛トークを楽しむような調子ではなかった。
田鶴屋は、一瞬だけ目を伏せる。
「……伊賀上さんって、人をよく見てるんだね」
「人間観察得意なんです!」
千花は手で双眼鏡の形を作り、田鶴屋の顔を覗き込む。
「だって、田鶴屋店長が美菜先輩を見守る目って、全然違うし、なんていうか、もはや親心みたいな?」
くすっと笑う千花だったが、その言葉には本当に優しさがにじんでいた。
田鶴屋は少し驚いたように、そしてどこか納得したように、小さく息を吐く。
「……親心かぁ。まあ、確かにそれに近かったのかもな」
美容師として入社したばかりの美菜が、今ではスタイリストとして堂々と仕事をしている。
自分がかけてほしかった言葉を、美菜は自然とくれた。
きっと、それで十分だったのだ。
「……伊賀上さん」
「千花ちゃんって呼んでください♡」
「……千花ちゃん、ありがとね」
田鶴屋はぽん、と千花の頭を撫でた。
千花は少し照れくさそうに、でも嬉しそうに笑う。
「じゃあ、ラーメン奢りましょうか?」
「馬鹿言え、俺は店長だぞ〜」
「はは、ですよね〜!」
千花の冗談に、田鶴屋は嬉しそうに「店長」という言葉を噛み締めながら笑った。




