Episode45
スパ講習が終わり、店内には片付けをするスタッフたちの気配が残っていた。
「お疲れさまでした!」
誰かが声を上げ、それに続くように「お疲れさまでしたー!」とあちこちから声が返ってくる。
美菜も使い終わったタオルをまとめながら、一息ついた。
(……無事に終わった)
肩の力が抜け、ホッとした気持ちが広がる。
ふと、思い出す。
(田鶴屋店長にお礼、言わなきゃ)
美菜は店内を見回した。だが、周囲のスタッフの中に田鶴屋の姿はない。
(あれ……どこ行ったんだろ)
見渡しても見つからず、代わりに目に入ったのは瀬良の後ろ姿。
ちょうど後輩がノートを広げ、何やら熱心にメモを取りながら瀬良と話している。
(……今はお邪魔かな)
美菜は少し迷ったが、すぐに瀬良の邪魔をするのはやめ、ひとまず外のコンビニへ飲み物を買いに行くことにした。
***
コンビニでホットの紅茶を買い、店を出た瞬間だった。
「あ、おつかれ〜」
気楽な声が耳に届く。
振り向くと、ベンチに座る田鶴屋が片手にコーヒーを持ち、スマホをいじっていた。
美菜は少し驚きながらも、すぐに駆け寄る。
「お疲れ様です。今日は貴重な体験をさせていただき、ありがとうございます」
深く一礼すると、田鶴屋は軽く手を振った。
「いえいえ、俺も楽しかったし」
「でも、やっぱり緊張しました……」
「まあ、後輩に教えるって最初はそんなもんよ」
田鶴屋は苦笑しながら、隣の空いたベンチを軽く叩く。
「河北さん、少し話そっか」
美菜は「はい」と頷き、その隣に腰を下ろした。
夜風が少し冷たかったが、ホットの紅茶を両手で包み込むと、じんわりと温かさが伝わる。
「河北さん、仕事熱心だよね」
「え?」
「スタイリストになってからも、朝練やってるでしょ? すごいなぁと思ってさ」
田鶴屋の言葉に、美菜は少し照れくさくなりながらも首を振った。
「そんな……私なんて、瀬良くんの真似してるだけですよ」
「瀬良くんの?」
「うん。同期だから、やっぱり負けたくないし、気づいたら自然と……」
美菜はどこか楽しそうに、瀬良のことを話す。
すると、田鶴屋が不意に口を尖らせ、ぶりっ子のような仕草をしながら茶化す。
「ちょっと〜、俺と話してるときにほかの男の話しないでぇ〜!」
「ぷっ……!」
一瞬の沈黙のあと、美菜は吹き出した。
「な、なんですか、それ!」
ケラケラと笑いが止まらない。
田鶴屋もつられて笑いながら、軽く肩をすくめる。
「いや〜、なんか悔しいなって思って」
「もう、ほんとに……面白すぎます」
そう言いながら、美菜の笑いはしばらく収まりそうになかった。
***
そして、ふと。
田鶴屋が急に真顔になり、美菜をじっと見つめた。
「……河北さん、瀬良のこと好き?」
その問いに、美菜は思わず瞬きをする。
「え?」
笑っていた空気が、一瞬で変わった。
田鶴屋は、さっきまでとは違う、何かを確かめるようなまなざしを向けている。
美菜は少し戸惑いながら、けれど、嘘をつくつもりはなかった。
「……はい。私、瀬良くんと付き合うことになったんです」
田鶴屋は「そっかぁ……」と呟くと、どこか自分に言い聞かせるように何度か頷いた。
それから、不意に美菜の頭をポンポンと撫でる。
「みんなには内緒にしておくから、バレたりするなよ〜」
「……ありがとうございます」
美菜が小さく礼を言うと、田鶴屋は「よし」と立ち上がった。
「じゃ、そろそろ戻ろっか」
「はい」
美菜も立ち上がる。
ふと、田鶴屋の横顔を盗み見る。
気のせいかもしれない。
でも、いつも軽やかで冗談ばかり言っている彼の表情が、どこか寂しそうに見えた。




