Episode32
瀬良の「配信」という言葉が、どこか引っかかる。
(私の配信……みなみちゃんは何回か見たことあるって言ってたけど……なんていうか、そういう話じゃない感じの言い方だったような……)
何かを知っている、でも言わない。そんな含みのある言葉の選び方。
いつもなら深く考えず流してしまうような些細な違和感が、今日はやけに気になった。
(まさか瀬良くん……)
考えながら歩いていると、不意に目の前に影が差す。
「——っと!」
前を見ないまま角を曲がった美菜は、そのまま真正面から誰かにぶつかった。
「あっ、ごめんなさい!」
「おう、大丈夫か?」
聞き慣れた低めの声に顔を上げると、そこには田鶴屋が立っていた。
「あ……店長」
「ん?」
美菜は少し考えた後、ジトっと田鶴屋を睨む。
「……なんか、みんなに喋ってません?」
「え?」
「私のこと……というか、昨日の配信のこと」
田鶴屋は目を瞬かせたあと、すぐに苦笑いを浮かべた。
「いや! 河北さんがみなみちゃんだってことは話してないって! ちゃんとそこは守ってるから!」
(……本当に?)
少し疑いの目を向ける美菜に、田鶴屋は慌てて手を振る。
「ただ、ホラーゲームやってたら声枯れたって話を、ちょっとだけな」
「……喋ってるじゃないですか!!」
思わずツッコミを入れると、田鶴屋はわざとらしく頭を抱えた。
「いやー、ついな〜。でもまあ、別に変な話はしてないし?」
「そういう問題じゃないんですよー! ほんとに気をつけてください!」
「分かってるって、分かってるって!」
そう言いながらも、田鶴屋の表情はどこか楽しげだった。
(……絶対反省してないな、この人)
じろりと睨むが、田鶴屋は軽く笑うだけで取り合う気配はない。
美菜は念を押すように人差し指をぴしっと立てた。
「絶対に、絶対に周りには内緒にしてくださいね!」
「はいはい、約束するって」
田鶴屋が適当に流すように言うのを聞いても、いまいち信用できない気がする。
だけど、これ以上詰めても仕方がない。
(……まぁ、今のところは大丈夫、かな)
少しだけ釈然としない気持ちを抱えつつ、美菜は仕事へと戻っていった。
しかし、田鶴屋とのやりとりのせいで、一度頭の中から消えかけていた「瀬良の言葉」が、また鮮明に思い出される。
(……まぁ、配信とかではやらないけどな)
どうしてだろう。
たった一言なのに、どうしてこんなに引っかかるんだろう——。
***
(……瀬良くんも配信とかしてるのかな?)
美菜は営業後の掃除をしながら、さっきの瀬良の言葉を思い出していた。
(ゲームが好きなら、ゲーム実況とかもしている可能性はあるよね……でも、瀬良くんがそんなことするかな?)
クールで無駄なことはしない性格の彼が、カメラの前で話しながらゲームをする姿は、ちょっと想像しづらい。
でも、家では意外とやっていたりするのかもしれない。
(……家に行った時、大きなパソコンがあったけど……)
確かに、瀬良の部屋には立派なゲーミングPCがあった。
でも、美菜の家にあるような配信機材━━オーディオインターフェースやマイクアームといったものは見当たらなかった気がする。
(考えすぎかな……)
一通り掃除を終えて、モップを片付けようと振り返ったその瞬間——。
「うわっ!?」
目の前に瀬良が立っていて、美菜は思わず声を上げた。
「……何度も呼んだけど、返事がないから」
「えっ、呼んでた?」
「呼んでたよ」
瀬良はじっと美菜を見つめたまま、無表情で続ける。
「店長、今日役員会議らしい。だから全員掃除が終わったら、終礼なしで帰っていいって」
「あ、そうなんだ! 教えてくれてありがとう!」
「…………」
瀬良は少し口をつぐみ、美菜を見つめる。
(……何? なんか言いたそう)
「……何か悩んでんの?」
「え?」
「さっきからずっと考え事してるだろ」
(うっ……)
図星だった。
(あなたの事を考えてました……とは言えない…)
瀬良はふっと視線を逸らし、軽く息をつくと、ポケットに手を突っ込んで言った。
「……飲みに行くか」
「え?」
「なんか気になんだよ。話したいことあるなら、付き合う」
「……!」
美菜は驚いた。
瀬良のほうから飲みに誘うなんて、珍しい。
(瀬良くんに聞ける絶好のチャンスかも……)
彼が「配信」という言葉をどういう意味で言ったのか、直接確かめられるかもしれない。
「……行く!」
即答すると、瀬良は「そうか」と短く返し、店のロッカーへと向かっていった。
こうして、美菜と瀬良は二人で飲みに行くことになった。




