Episode28
カフェを出て、外の柔らかな午後の光の下に出た美菜は、ふと空を見上げた。
「いい天気だね」
そんな何気ない言葉を口にしながら、瀬良の隣を歩き出そうとした、その瞬間――
「美菜ッッ…!」
鋭い声と同時に、強く腕を引かれた。
「うわっ!?」
美菜が驚いてバランスを崩すと、気づけば瀬良の腕の中にいた。すぐ目の前を、一台の自転車が勢いよく通り過ぎていく。
「…もっと周り見て」
瀬良の低く落ち着いた声が、美菜の耳元に響いた。
「ご、ごめん…」
驚きと焦りで美菜の声は少し震えていた。でも、それ以上に、今の状況がやばい。瀬良の腕がしっかりと自分を抱き寄せていて、ぴったりと体が密着している。
(ち、近い…!)
助けられたことへの感謝を伝えなきゃと思うのに、それどころじゃなかった。心臓の音が自分でもうるさいほど響く。
そのとき、瀬良の腕がわずかに強くなるのを感じた。
「……かわい…」
ボソッと、美菜の耳元で囁くような声。
(えっ…?)
一瞬、頭が真っ白になる。瀬良が何を言ったのか、いや、たぶん聞き間違いじゃない。でも、そんなこと言うような人だったっけ――
そう思う間もなく、瀬良の腕がすっとほどかれる。
「怪我はない?」
当たり前のように確認され、美菜は反射的に首を振った。
「だ、大丈夫…」
何が何だか分からなくて、顔が熱くなるのを止められない。
「…また明日ね、美菜」
「……あ、え?」
思わず、間抜けな声が出てしまった。瀬良は、特に意識した様子もなく、美菜をまっすぐ見ている。
(名前、呼んだ…よね?)
「…うん、また、明日…」
どうにか言葉を返しながらも、美菜の心臓は相変わらずうるさかった。自然すぎて、けど確かに変わった呼び方に、戸惑いと、ときめきが入り混じる。
自転車にぶつかるところだったのに、それどころじゃない。美菜は真っ赤になった顔を隠すように、俯きながら歩き出した。
***
「いや高校生の少女漫画かぁぁあ!」
家に帰った美菜は、ベッドにダイブするとそのまま枕に顔を埋めてジタバタと暴れた。
「なにあれ…!名前呼びとか、急に引き寄せるとか、耳元で囁くとか…!」
声に出してみたら、余計に恥ずかしくなって枕を抱きしめる。
(瀬良くんも絶対私のこと好意的には思ってるよね!?いやいや、あの距離感で何とも思ってないわけないでしょ!)
27歳にもなって、まさかこんな少女漫画みたいな恋をするなんて思ってもみなかった。仕事もVTuber活動も、それなりに忙しくて、恋愛はどこか遠いものだと思っていたのに――
(でも…なんか嬉しい…)
ふわふわとした気持ちに浸りながら、もう一度布団に顔を埋めた。でも、このままだとずっと瀬良のことばかり考えてしまいそうで、落ち着かない。
「よし、心を落ち着かせるために配信でもしよう…」
勢いよく起き上がり、PCの電源を入れる。みなみちゃんとして話している間なら、少しは冷静になれる気がした。
(うん、配信に集中しよう…!)
そう決意しながら、美菜はヘッドセットを手に取った。




