Episode224
イベント当日の朝。
冬の始まりらしい澄んだ青空が広がり、太陽は出ているものの、空気はどこかひんやりとしていて、コートの襟を立てたくなるような肌寒さだった。
瀬良と美菜は、約束していた時間よりも少し早く会場に到着していた。
すでに会場周辺は、色とりどりの衣装をまとったコスプレイヤーたちであふれかえっており、その熱気に季節の寒さもどこか遠く感じられた。
鮮やかなウィッグ、煌びやかな衣装。まるで二次元から飛び出してきたようなキャラクターたちが次々と視界を埋める。
カメラを持った撮影者たちが夢中でシャッターを切り、通りがかる一般の人たちもスマホを構え、笑顔で撮影している。
「すごいね……!なんか、熱量が違う!」
目の前の光景に、美菜は思わずため息まじりに声を漏らした。
街中の雰囲気とは明らかに違う——人々の視線の先には、作品愛と情熱がぎっしり詰まっていた。
隣でポケットに手を突っ込んだまま、瀬良が静かに返す。
「まあ、俺たちは呼ばれた側だしな」
彼の言葉に、美菜は小さく頷きながらも、まだ目の前の賑わいに目を奪われ続けていた。
二人は、ローズが迎えに来てくれる時間より早く着いてしまったこともあり、先に田鶴屋と木嶋に合流しておくことにした。
会場近くの待ち合わせ場所に向かうと、程なくして見覚えのある明るい声が聞こえてくる。
「おっはよぉ〜!瀬良きゅん!美菜ちゃん!」
木嶋が両手をポケットに突っ込んだまま、にかっと笑いながら駆け寄ってくる。
そのすぐ後ろには、コーヒーのカップ片手に田鶴屋の穏やかな声も響いた。
「おはよう、河北さん。今日は頑張ってね」
変わらない落ち着いた調子。だけどどこか、ほんの少しだけ声色が優しい。
「おはようございます!」
「おはようございます」
美菜も瀬良も、自然と顔をほころばせながら挨拶を返す。
4人はそのまま寒空の下、肩を寄せ合うように立ち、イベント独特の華やかな空気の中で談笑を始めた。
木嶋は早速、スマホで会場の様子をパシャパシャ撮りながら言った。
「いや〜、さすが冬イベ!コスプレイヤーも一般人も多すぎ!俺なんか朝からテンション爆上がりっすよ」
「本当にすごい人数ですね……」
美菜も人波を眺めながら笑うと、田鶴屋がふと思い出したように口を開く。
「あ、そういえば。このあと千花ちゃん、遅れて来るってメッセージ入ってたよ。美菜ちゃんのステージ見に来るんだって」
「えっ、千花ちゃんも来るんだ!」
意外そうに目を丸くする美菜。そういえば、千花には今日のイベントのことを事前に話していなかったのを思い出す。
木嶋が、わざとらしく口調を真似しながら笑った。
「どうせ“もー!千花だけ仲間はずれですかー!?”とか拗ねるんだろーなぁ」
「言いそう言いそう!」
田鶴屋も笑いながらうなずく。瀬良はポケットに手を突っ込んだまま、ぼそっと呟いた。
「伊賀上って、そもそもこういうオタクっぽいイベント興味ないだろ」
それを受けて、木嶋がいたずらっぽく笑う。
田鶴屋も千花を思い浮かべつつ、口調を真似しながら続けた。
「いやぁ、でもあの子なら“美菜先輩が出るなら私どこでも行きますよぉー!”とか言いそうだよね」
「言いそう言いそう!」
田鶴屋と木嶋が千花のモノマネをしながら、声を揃えて笑った。
瀬良も口元を緩め、美菜も思わず肩を震わせて笑う。
柔らかな冬の日差しの中、そんな他愛のない会話で、4人は寒さも忘れて千花を待っていた。
***
少し遅れて、千花は人混みの向こうから4人の姿を見つけた。
が、思わずその場に立ち止まってしまう。
「…………顔面偏差値高っ……」
4人が何気なく並んで笑っているだけなのに、周囲にはいつの間にか小さな人だかりができていた。
それも当然だろう。冬の澄んだ光の中で、瀬良の黒髪は艶やかに、木嶋の金髪は陽に透けて輝いている。
田鶴屋の落ち着いた雰囲気も、遠目には大人の余裕そのもの。美逆に美菜はこの後に備え、化粧をせずにいても変わらない整った顔が目立ち、普段以上に目を引いていた。
その光景に、周囲からも小さなささやきが漏れる。
「ねえねえ、モデルさんたちかな?」
「あの黒髪の男の人、めっちゃかっこいいよね」
「えー、私金髪の方が好きかも〜」
「あの帽子かぶってる男の人も大人っぽくてかっこいい〜」
「コスプレイヤーなのかな?」
千花は、盗み聞きしながらそっと笑った。
(ふふん……!もっと言って……!)
確かに美菜も木嶋も瀬良も田鶴屋も、それぞれ全然タイプは違うのに並ぶと本当に絵になる。
自分の先輩たちがこんなふうに注目されていることが、どこか誇らしくもあった。
そしてふと、そんな4人の輪に颯爽と現れる自分の姿を想像し、胸が高鳴る。
まるでアニメの主人公みたいに、キラキラとスポットライトが降ってきそうな気分だった。
「よしっ!」
軽く息を整え、意を決して4人に駆け寄る。
「おはようございます〜!お待たせいたしました!」
千花の明るい声に、4人が一斉に振り返った。
瀬良は小さくうなずき、田鶴屋はコーヒーを片手に穏やかに微笑む。
「おはよう、千花ちゃん」
木嶋は千花の表情を見て、すぐにからかうように言った。
「なんでそんなドヤ顔してんの」
田鶴屋も笑いながら首を傾げる。
「ほんとだ〜。千花ちゃん、今日はやけに機嫌いいねぇ」
「おはよ!なんだか千花ちゃん嬉しそうだね」
美菜も笑いながら挨拶を返すと、千花は嬉しそうに4人に甘えたように寄り添う。
「えへへっ!やっぱりみんなは千花の自慢です!」
周りの視線などまるで気にしていない千花。
しかし、そんな彼女の背後では、再び小さなざわめきが広がっていく。
「美少女また増えた……」
「えー……どんな集まりの人たちなんだろ……?」
ひときわ目を引く笑顔で、千花はご機嫌なまま、先輩たちと並んで話し続ける。
会場の熱気と、冬の冷たい空気の中で、5人の時間はゆったりと流れていった。
***
「…………顔面偏差値、高っ!!」
独り言のようにサングラス越しに呟いたのは、迎えに現れたローズだった。
イベント会場の一角で談笑する美菜たち5人を遠くから見つけ、思わずサングラスを指でずらして目を凝らす。
そこには、まるで雑誌からそのまま抜け出してきたかのような美男美女たちが、ひと塊になって立っていた。
「……うっそでしょ?迎えに来ただけで、こんな逸材揃ってるなんて……!」
サロンモデルか芸能事務所の集団かと見間違えるほどのビジュアル。周囲からはすでに好奇の視線とカメラのシャッター音が飛び交い、ただでさえ華やかなイベント会場の一角が、さらに一段とまばゆい雰囲気に包まれていた。
ローズは内心で笑うしかなく、頭の中の処理が完全に追いついていなかった。
その時だった。
「あ!ローズさん!おはようございます!今日はよろしくお願いします!」
美菜の明るい声が、ローズの耳に届く。
その瞬間、夢見心地だった思考が現実に引き戻された。
「お、おはよっ!やーーん!もぉーー!!」
ローズは思わず駆け寄ると、美菜と瀬良を両腕でギュッと抱き寄せ、周りのギャラリーに「この子たちはアタシの子よ」と言わんばかりのドヤ顔を向ける。
その動きすらも、まるでショーの一部のように洗練されていた。
「美男美女の集まりってやっぱりいいわねぇ!目の保養どころか、視力上がりそう!」
満面の笑みを浮かべたローズが、ふと二人の後ろに目を向ける。
田鶴屋、木嶋、千花の三人が、少し離れた場所で穏やかに見守っていた。
「ところで……この残りのメンバーはどちら様?」
ローズは首をかしげて尋ねる。
「うちのお店の店長と、スタッフです。イベントの話をしたら、見に来てくれるって言ってくれて」
美菜が誇らしげに説明する。
ローズは手をポンと打ち、嬉しそうに目を細めた。
「あら!そうなの?美菜チャンの所の美容室って、顔面偏差値高いのねぇ。まるで宝庫じゃない、スカウトしたいわ!」
でも、と小さく首を傾げて表情を曇らせる。
「……まあ、今はそれより。関係者リストには瀬良チャンと美菜チャンしか登録してないから、残りのメンバーは裏方の方には入れないのよ。ごめんなさいね?」
申し訳なさそうにそう告げると、田鶴屋がすかさず穏やかに応じた。
「いえ、構いません。俺たちは一般客として河北さんのステージを見に来ただけなので、気にしないでください」
田鶴屋の大人な対応にローズもほっと胸をなでおろし、優雅に微笑む。
「じゃあ河北さん、頑張ってね〜」
田鶴屋が軽やかに手を振る。
「美菜ちゃーん!ステージ後で見に行くねー!」
木嶋は、はしゃぐように声をかける。
「美菜先輩のコスプレ、楽しみにしてまーす!」
千花も明るい声を添え、3人は手を振りながら会場の中へと歩いて行った。
人混みの中に消えていくその背中を見送り、ローズはポンポンと手を打った。
「さっ、じゃあアタシたちも行くわよ!!準備しなくっちゃ!」
「そうですね!よろしくお願いします!」
「はい」
美菜と瀬良も、軽くうなずきながら後に続く。
ローズの案内で向かったのは、関係者専用の控え室だった。
扉を開けた瞬間、すでに準備されていた“ミナツキちゃん”の衣装が目に飛び込んでくる。
淡いパステルカラーのフリルに、キラキラのリボン。まるでアニメの中から飛び出してきたかのような、華やかなステージ衣装だった。
「うわぁ!すっごい!!夢みたい!!」
美菜は目を輝かせながら衣装を手に取り、スカートの裾を軽やかに揺らしてクルリと回る。
瀬良はその様子を見て、思わずクスッと笑う。
「おお、クオリティ高いな」
「これだけでもうミナツキちゃんになれた気分!」
嬉しそうに何度も衣装を上にあてがい、スカートをひらめかせる美菜。
その表情は、少女のようにはしゃいでいた。
「はいはーい、衣装はメイク中は汚れないように、このローブで隠すからねっ!先に衣装をこの後着て、その後にこのローブを羽織ってスタンバイしててちょーだい!」
ローズが黒色のマントのようなクロスを手渡すと、美菜は大事そうに受け取る。
ふわりと優しい手触りのその布が、これから始まる特別な瞬間への期待をさらに高めていく。
控え室は、ステージ本番に向けて静かに、でも確実に準備が整い始めていた。




