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Episode223



次の休日。

冬のイベント「Winter Dream」に向けた打ち合わせと衣装サイズの採寸をするため、美菜と瀬良は笹原ローズの事務所を訪れていた。


ローズの事務所は、都心の雑居ビルの一角にひっそりと構えているものの、一歩足を踏み入れるとまるで異世界のようだった。壁には海外ブランドのコスメパレットがずらりと並び、カウンターには大小さまざまなブラシやスキンケア用品がきれいに整列している。撮影用のライティング設備まで完備され、プロ仕様の空間に美菜も瀬良も思わず目を奪われる。


「いらっしゃーい!!!」


部屋の奥からローズが派手に両手を広げて出迎えた。


「お疲れ様です。お邪魔しますね」


「お疲れ様です」


美菜は手土産の紙袋を差し出す。中には、ローズが好きそうだと思い選んだマカロンの詰め合わせが入っていた。


「あっ、このマカロン、アタシだーぁいすきなの!!」


ローズは嬉しそうに袋をのぞき込む。パッケージを見るだけで目を輝かせるその姿に、美菜は控えめに微笑んだ。


「…良かったです」


「瀬良くんもそこのお店のマカロン好きなんだよね?」


そう言うと、美菜の隣で静かにしていた瀬良が、わずかに頷く。


「あらぁ!!瀬良チャンとアタシって相性いいのかしらぁ〜!!」


ローズがからかうように声を弾ませると、瀬良は少しだけ照れた顔をしながらも冷静に言葉を返す。


「………そんな事より早く進めましょうよ」


「んもっう!クールなんだからっ!」


瀬良は、ローズからメジャーを受け取った。


──実は、打ち合わせのカフェでローズが「美菜チャンのスリーサイズや足のサイズを細かく測らせて」と軽く言った瞬間、瀬良の中で小さな警戒心が芽生えた。


ローズはプロとはいえ、男だ。

男と分類すると本人は怒るだろうが。


万が一、何か不快な思いを美菜がすることは絶対に避けたかった。


「まあ、実際のトコ、瀬良チャンが来てくれて正解よ。トラブルは避けたいもの」


ローズもそれを理解していて、むしろ瀬良の立候補を歓迎したのだった。


「さっ、とっとと測りましょ!今日の打ち合わせ内容はたくさんあるわよ!!」


「はい!お願いします!」


「まずは首から胸囲まで測るわよ!外注するから細かく全て送るけど、大丈夫かしら?」


「大丈夫です。よろしくお願いします!」


美菜は緊張しつつも真剣な顔で答えた。

ローズの指示のもと、瀬良は慎重にメジャーを美菜の体にあてていく。首まわり、肩幅、バスト、アンダー、ウエスト、ヒップ──衣装制作には必要不可欠な数値が次々と記録されていく。


測りながら、美菜の肌に触れるたび瀬良は少しだけ意識してしまう。美菜の表情もまた、少し恥ずかしげだった。


「……美菜チャン、改めて見て…スタイル抜群なのね。あ、別にいやらしい意味じゃなくて、本当に、そこらのモデルと並んでも違和感ないレベルよ」


ローズがしみじみと感心する。


「あはは…なんかちょっと恥ずかしいですね」


美菜が照れ笑いを浮かべたそのとき、不意に瀬良がぽつりと言葉をこぼした。


「美菜は綺麗だよ」


その一言に、美菜は一瞬固まり、頬を赤く染めた。

何気なく、それでも確かな想いを込めて言った瀬良の言葉に、ローズはニヤリと意味深に笑いながらも何も言わず、数字を手帳に書き込んでいく。


「ところで美菜チャン、何かしたいコスプレとかあるぅ?」


ローズの軽い問いかけに、美菜は少しもじもじと指先をいじりながら視線を伏せた。


「あっ…実は…あの…


……“魔法少女ミナツキちゃん”ってキャラクターのコスプレをしてみたいなぁ…と………!」


「OK!調べてみるからちょっと待ってねん」


ローズはスマホを取り出し、画面をスライドさせる。ミナツキちゃんの画像を表示させた瞬間、ローズは思わず声を上げた。


「ふふ、なるほどぉ!フリフリのリボンたっぷり衣装!いわゆる女児向け魔法少女ね!」


「ずっとこのキャラが好きで…あっ、でも、できたらで大丈夫なんですけどね!!その…できたらこの子になりたいなぁって…」


美菜の声は照れ隠しのように小さく、それでも嬉しそうだった。

瀬良は美菜が以前「昔から好きだった」とこっそり教えてくれたことを思い出し、ふっと笑う。


「美菜チャンの体を活かすなら、もっとボディラインが出るキャラクターの方が映えるとは思うけど……せっかくのコスプレだもの。好きなキャラクターでいいんじゃない?」


「やったぁ!!ありがとうございます!!」


ローズはその瞬間、プロの顔に切り替わる。ボールペンを持つ手に力を込め、次々と瀬良に指示を飛ばしていく。袖丈、股下、肩から胸までの高さ、ウエストからヒップラインへのカーブの傾斜──衣装の美しさを左右する細部まで、余すことなく測り終えた。


「美菜、良かったな」


「うん!!」


美菜の好きなものが否定されず、むしろ歓迎されたことに瀬良は胸を撫で下ろす。

ローズはきっと信頼して大丈夫だ。そう思える温かさがあった。


「……よしっ!!これで衣装打ち合わせは終わりにして、あとはこっちで外注してやっとくわね!!」


ローズは勢いよく手帳を閉じると、次に美菜を鏡の前へと案内した。


「さぁ、次はコスプレ用メイクのリハーサルよ!」


ローズは並んだブラシやパレットから、いくつかを選び取る。

キャラクターの幼い顔立ちに寄せるため、濃すぎない色味をベースに、目元をタレ目に仕上げる繊細な技術を駆使する。


「ほら、そのミナツキちゃんは幼い系の顔でしょ?だからチークもピンクでふんわり、アイラインも跳ね上げじゃなく、下げ気味に引いてタレ目っぽくするの」


ローズの手際は驚くほどスムーズだった。

ファンデーションの質感、眉の太さ、まつげのカールまで、キャラクターに合わせつつも美菜の骨格にフィットさせる。


「コスプレの時はね、自分の好みでメイクしちゃうと、おブスになるのよ。キャラクターになりきるのが最優先。鏡の中の自分じゃなくて、“その子”になるの」


「凄い…なんだか私、めちゃくちゃ幼くなってる…」


鏡に映る自分の姿を見て、美菜は思わず声を漏らす。

普段の大人びた雰囲気が、不思議と消えていた。


瀬良もそっと見つめて、内心驚いていた。

美菜は大人っぽい顔立ちだ。けれどローズのメイクは、それすら自然に覆す。まるで魔法のようだった。


「どんな仕事も手を抜かない。アタシのポリシーよ」


ローズの言葉は、静かに胸に響いた。

プロのメイクアップアーティストの世界観と技術に触れる時間は、まるで授業のようであり、エンタメのようでもあった。


美菜も瀬良も、楽しそうにローズのメイクレクチャーを受けながら、着々とイベントに向けた準備を進めていった。

夢を形にする道のりは、こうしてゆっくりと、でも確かに始まっていた。



***



打ち合わせを重ねていた日々もあっという間に過ぎ、吐く息が白くなりはじめた冬の入り口。

夜風が指先に沁みる季節、店の営業も終わり、冷えた店内に静けさが戻ってきた。


片付けを終えた美菜は、鏡越しに瀬良の方を振り返る。胸の中は、明日への期待で高鳴ったままだ。落ち着いていたはずの自分が、こうしてじっとしていられないのが、自分でも少し可笑しかった。


「明日楽しみだなぁっ!」


無意識に浮かぶ笑顔と、はずむ声。明日が待ちきれない——そんな素直な気持ちが、言葉に乗ってこぼれ落ちる。


瀬良はいつものように無駄なく道具をしまいながら、静かに美菜を見つめ、短く頷いた。


「ああ、頑張れよ」


そのひと言は、飾り気はないけれど、誰よりも美菜の努力を見てきた瀬良らしい優しさだった。


そんな穏やかな空気を切るように、ガサガサとビニール袋の音が響く。コンビニ帰りの木嶋と田鶴屋が、袋を手にして店へ戻ってきた。


「お疲れ〜!……ん?河北さん、なんか今日やたらご機嫌じゃない?」


田鶴屋が焼き鳥の串が詰まった袋を揺らしながら、ニヤッと笑う。


「わかります?実は、ちょっと……」


頬を赤らめる美菜。冬の冷たい空気のせいか、期待に浮かれたせいか、自分でもわからない。


「だよね〜、今日一日中なんかウキウキしてたよ。ほら、焼き鳥食べる?温かいうちにどうぞ〜」


木嶋は手際よく串を取り出し、瀬良と美菜に一本ずつ差し出す。何気ないその仕草に、美菜は小さく「ありがとうございます」と微笑んだ。


田鶴屋も焼き鳥をくわえながら、穏やかな声で続ける。


「それで?そんな楽しそうにしてる理由、教えてよ」


美菜は、胸の奥にしまっていた嬉しい報告を少しだけ照れくさそうに口にした。


「実は明日、コスプレイベントのWinter Dreamっていうイベントに、ローズさんのモデルとして出させてもらうんです」


その言葉を聞いた途端、木嶋の目がキラリと輝く。


「えぇー!?あのネットで話題の?俺の知り合いもSNSで何人か参加するって言ってたわ!」


スマホ片手に、木嶋はすぐさまイベント名を検索する。田鶴屋も驚いたように美菜を見つめる。


「河北さん、どんなコスプレするの?」


そう尋ねられた美菜は、一瞬視線を落として指先でもじもじと袖をいじる。


「……えっと、魔法少女ミナツキちゃんっていうキャラです」


その恥ずかしそうな言い方に、2人は思わず顔を見合わせ、慌ててスマホで検索する。


「んー!ああ、この子か!良かった〜!美菜ちゃんのその照れ方、もしかして超セクシー系かと思った!」


「俺も。さすがにイベント初参加でそれは攻めすぎだろ〜って思ってたわ」


2人が笑いながら胸を撫で下ろすのを横目に、瀬良が淡々と呟いた。


「魔法少女って言ってんだから、エロいわけねぇだろ」


その冷静なツッコミに、場がほっこりとした空気に包まれる。


「いやいや、今どき魔法少女だって油断できないんだよ。俺が昔見てたやつなんて、ギリR18手前みたいな衣装だったし」


木嶋がしみじみと遠い目をしながら言うと、美菜は少しムキになったように首を振った。


「ミナツキちゃんは、そういうのじゃないですから!子供向けの、可愛い魔法少女です!」


その純粋な擁護に、田鶴屋も微笑んだ。


「河北さんが魔法少女好きだったとは意外だったな。俺、ちょっとイメージ変わったわ」


「ふふ……他の魔法少女系はそんなに好きじゃないんです。でもミナツキちゃんだけは子供のころから憧れてて……ローズさんが“好きなものになればいい”って言ってくださったんです。だから思い切ってお願いしちゃいました」


そう話す美菜の表情は、まるで少女時代に戻ったかのようにキラキラしていた。自分の「好き」を大事にしてくれる場所に出られることが、心の底から嬉しいのだろう。


「いいね。やりたい事をやれるのは、すごく大事だよ。明日何時から?俺、時間あったら見に行こうかな」


田鶴屋がふと自然に口にしたその提案に、木嶋が勢いよく乗っかる。


「俺も俺も!河北さんのミナツキちゃん見たいっす!」


思わぬ応援に、美菜はぱっと顔を輝かせる。


「あはっ!来てくれるなら嬉しいです!」


それを聞いた瀬良は、ふと視線を二人に向けて静かに一言だけ釘を刺す。


「……変な目で見るなよ」


「見ないってー!応援だよ、応援!」


「でたでた、瀬良くんのセコム発動〜」


木嶋が楽しそうに笑いながら、最後の焼き鳥を口に放り込む。こうして、木嶋と田鶴屋も明日のイベントを見に行くことが決まり、冬の入り口の夜は、ふわりとあたたかい笑いに包まれた。


明日は、美菜が夢を着る日。


きっと冬の寒さなんて吹き飛ばすほど、特別な一日になる予感がしていた。


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