Episode202
あれから数日が経ち、秋晴れの気持ちいい日が続いていた。
瀬良が偶然引き当てた「京都5人1組旅行券」
それを見た田鶴屋が「せっかくだから社員旅行にしよう」と提案したのが発端だった。だが、そこからが大変だった。
「……うわあああん!みんなわがままだよおお!」
千花が参加希望メンバーを確認し、シフトの調整に奔走したものの、なかなかうまくいかない。
「その日は無理」「京都はちょっと……」と、全員の希望を叶えるのは至難の業だった。
そして、千花が「もうっ!」とぷりぷり怒ってしまったため、結局あの日のメンバーに加え、唯一希望が合致した詩音を連れていくことになった。
「わ、私もいいんですかね……?」
「まあ社員旅行なんだから良いよ良いよー」
しかし旅行券の5人分は無料だったが、残りの3人分の費用はかかる。
そこは田鶴屋が「それくらいの人数なら俺が出すよ」と、かっこよく全額負担してくれたおかげで、最終的に美菜、瀬良、田鶴屋、千花、木嶋、皐月、百合子、詩音の8人での京都旅行が実現したのだった。
***
新幹線の車内は、まるで遠足のような賑やかさだった。
「美菜先輩っ!瀬良先輩っ!これめっちゃ美味しいですよ!」
千花が笑顔いっぱいで、美菜と瀬良にお菓子を差し出す。
「ありがとう千花ちゃん」
美菜は素直に受け取り、千花のおすすめを口に運ぶ。
「ねー瀬良きゅん!こっちのお菓子も食べる〜?」
今度は木嶋が、いたずらっぽく瀬良にお菓子を差し出した。
「……要らない」
瀬良はチラリと木嶋を見ただけで、興味なさそうに答える。
「え、待って!?なんで俺にはそんな塩対応!?扱い違くない!?」
「気のせいじゃね?」
そんなふうに騒ぎながらも、車内は和気あいあいとした雰囲気に包まれている。
ふと美菜は窓の外に目をやりながら、少し考え込んでいた。
(……詩音ちゃんが来たのは意外だったな)
詩音は、今は田鶴屋、皐月、百合子と同じ席に座り、楽しそうに話している。その会話までは聞こえないが、穏やかな雰囲気なのは伝わってきた。
だけど、美菜はどうしてもあの時のことを思い出してしまう。
あの写真のこと。
詩音の言い方。
あんなふうに言わなくてもよかったのに……そう思う反面、どこか引っかかるものがあって、それ以来どう接したらいいのか分からず、美菜は意識的に距離を取ってしまっていた。
「……美菜?」
隣に座る瀬良が、小さな声で呼びかける。
「あ、ごめんね、大丈夫だよ」
美菜は慌てて顔を上げ、瀬良に笑いかけた。
「……東谷のこと、気になるならなるべく俺の近くにいろよ」
その言葉に、美菜の胸が温かくなる。
「……うん」
そっと瀬良を見上げると、彼はどこか心配そうに美菜を見つめていた。その優しさが、何よりも心強かった。
「ねぇねぇ!俺UNO持ってきた!4人でしよーぜぇ!」
突然、木嶋のがおもむろにバックからUNOを出す。
するとそれを見た千花も何やらバックをあさりだし、満面の笑みで見せびらかす。
「いや、私トランプ持ってきたんで!」
「えー!UNOやろーぜー?」
「……じゃぁUNOするかどうか、トランプで勝ったやつが決めるってのは?」
瀬良が適当に提案する。どうやら彼はトランプがやりたいらしい。
(……素直にトランプしたいって言えばいいのに)
美菜は瀬良の分かりやすい態度に思わず吹き出した。
「瀬良きゅんナイスじゃん!俺トランプも強いからね!勝ってUNOの権利は頂くぜ!」
「じゃあババ抜きにしません?私最強なんで!」
「あり!ババ抜きしよー!」
千花と木嶋が盛り上がっているうちに、自然とトランプをやる流れになっていた。瀬良の思惑通り……ではあるが、本人は呆れたようにため息をついていた。
「……木嶋って時々アホだよな」
「あはは!だね」
美菜はそんな様子を微笑ましく眺めながら、新幹線の中でのひとときを楽しんでいた。
***
新幹線を降り、京都駅の広い構内を抜けた一行は、観光客で賑わうバス乗り場へと向かった。
「おおーっ!やっぱり京都って観光客多いな!」
「海外の人もいっぱいいますね!」
木嶋と千花がきょろきょろと辺りを見渡しながら、すでにテンションが上がっている。
「迷子になるなよ」
「ならないですよー!瀬良先輩こそちゃんとついてきてくださいね?」
そんな軽口を千花は叩きながらバスに乗り込む。荷物を棚に置き、それぞれ適当な席に座ると、旅の疲れもあってか、移動中は少し落ち着いた雰囲気になった。
バスが市街地を抜け、徐々に自然の多いエリアへ入っていくと、窓の外の景色もどんどん趣のあるものへと変わっていく。
そして、目的の旅館に到着すると──
「うわあああ!めっちゃ風情ある感じですね!」
千花が目を輝かせながら声を上げた。
「おお!アニメとかで見るタイプの旅館だ!!俺マジこういうの好きなんだよねぇ!!」
木嶋も興奮気味に周囲を見回している。
旅館の門構えは立派で、歴史を感じさせる木造の建物が堂々とした佇まいを見せている。入り口には暖簾が揺れ、奥には中庭が見えた。京都らしい落ち着いた雰囲気に、全員どこか浮き足立っていた。
「お待ちしておりました」
旅館の女将が品のある笑顔で出迎えると、田鶴屋と瀬良が代表してチェックインの手続きを進める。
「女性陣が201で、男性陣が202なー」
田鶴屋が201の鍵を美菜に渡しながら、簡単に部屋割りを説明した。
美菜は鍵を受け取り、女性陣とともに階段を上がる。
旅館の中も、木の温もりを感じる趣深い内装で、廊下には行燈が灯り、畳の香りがほのかに漂っていた。
「美菜先輩っ!夜はいっぱい恋バナしましょうねっ♡」
部屋に入るなり、千花が嬉しそうに美菜に抱きついてくる。
「お、お手柔らかに……ね?」
美菜は苦笑しながらも、その無邪気な様子に少し安心した。
部屋の中は広々としていて、障子を開けると中庭が見え、小さな池と紅葉が美しく調和していた。
「うわー!窓からの景色も最高ですね!」
「こういう雰囲気、やっぱりいいなぁ……」
百合子と詩音も、それぞれ嬉しそうに部屋を見渡している。
「30分後にロビー集合で、その後観光バス乗るから遅れないようにって田鶴屋さんが言ってまーす!」
「うん、分かったよ。教えてくれてありがとう!」
それぞれ部屋で荷解きを始め、千花が田鶴屋からの連絡を美菜達に伝える。
今日の予定は、田鶴屋が予約してくれた観光バスで京都を巡ることになっている。そして、明日は自由行動で、夜の新幹線で帰る流れだ。
「んーー!楽しみですね!」
「はい!」
百合子と詩音が顔を見合わせ、わくわくした表情で微笑み合う。
美菜も、旅の始まりに期待を膨らませながら、準備を進めるのだった。
***
30分後、ロビーに集合した一行は、旅館前に停まっていた観光バスへと乗り込んだ。
「わぁ!ちゃんとガイドさんいるんですね!」
「観光バスってこういうのがいいよな。知らないことも教えてくれるし!」
千花と木嶋が期待に胸を膨らませながら席に着く。バスの前方には、制服を着たバスガイドがマイクを片手に立っていた。
「皆さま、本日はようこそ京都へお越しくださいました!これから皆さまを京都の名所へとご案内いたしますので、最後までよろしくお願いいたします!」
ハキハキとした明るい声が車内に響き、一同から拍手が起こる。
「それではまず最初に向かいますのは、清水寺です!」
「おぉーっ!清水寺!修学旅行以来だ!」
「私、行ったことないので楽しみです!」
木嶋と百合子が早速盛り上がっている。
「……観光バス付きって、意外と新鮮だな」
瀬良が窓の外を眺めながら呟く。
「確かにね。自分たちで行くのもいいけど、こうやって説明聞きながら回るのも楽しいかも」
美菜も頷き、少しずつ観光気分が高まってきた。
***
バスが市街を抜け、やがて清水寺の近くで停車した。
「皆さま、こちらが京都を代表する観光名所の一つ、清水寺でございます!」
ガイドの言葉と共に、一行はバスを降り、賑わう参道へと足を踏み入れた。
「うわー!思ってたより人が多いですね!」
「まあ、観光地ですしね」
千花と皐月がきょろきょろと辺りを見回しながら、ゆっくりと進んでいく。
「清水寺といえば、あの『清水の舞台』ですね!皆さんもぜひ、あの舞台から京都の景色を楽しんでください!」
ガイドの案内に従い、本堂へと向かう一行。
「おぉー……」
眼前に広がる絶景に、思わず木嶋が感嘆の声を漏らした。眼下には紅葉が色づき、京都の街並みが一望できる。
「わぁ、綺麗……!」
百合子が感動したように小さく呟く。
「二人とも!写真撮りますよー!」
気の利く千花が早速スマホを取り出し、記念撮影を始める。
美菜と瀬良も、自然と隣同士でカメラに収まった。
「瀬良先輩、ちゃんと笑ってください!」
「……笑ってる」
「えー!!今のめっちゃ真顔でしたよ!」
「俺も写ろうかなー!」
木嶋がカメラに映り込もうとするが、千花に「今のは先輩たちだけのショットです!」と阻止されていた。
そんなやりとりに美菜は思わず笑いながら、穏やかな時間を過ごしていた。
***
清水寺を後にした一行は、再びバスに乗り、次の目的地へと向かった。
「さて、次にご案内するのは祇園と八坂神社です!」
バスガイドの声に、百合子が嬉しそうに反応する。
「祇園って、舞妓さんに会えたりするんですか?」
「そうですね!運が良ければ見かけることもあるかもしれませんよ!」
「おぉーっ!舞妓さんかぁ、写真撮りたいな!」
木嶋が意気込むが、田鶴屋が冷静に「むやみに写真撮ったらダメだからな」と釘を刺す。
八坂神社に着くと、朱色の大きな門が出迎えた。
「うわぁー!立派ですね!」
「京都っぽいな」
千花と皐月が感心しながら境内を進んでいく。
「せっかくだし、おみくじ引かない?」
美菜の提案に、みんなが賛成する。
「俺、絶対大吉引くから!」
「じゃあ私も負けませんよ!」
千花と木嶋がやたら張り合いながら、それぞれおみくじを引いていく。
「……中吉」
「大吉でしたー!」
「私、小吉でした」
「えーっ!俺、末吉だった!納得いかねぇ!」
木嶋が悔しがる横で、千花が得意げにおみくじを掲げている。
「美菜は?」
瀬良が何気なく尋ねると、美菜は微妙な顔をしておみくじを見せた。
「……凶だった」
「……マジか」
「ちょっと待って!美菜先輩、これくくりましょう!絶対に持って帰っちゃダメですからね!」
千花が焦って、美菜のおみくじをくくるよう促す。美菜は苦笑しながら、おみくじを結んだ。
「まぁ、気にしなくていいだろ」
瀬良が何気なくそう言うと、美菜は少しだけホッとしたように笑った。
***
おみくじを引き終えた一行は、神社を後にして祇園の街並みを歩いていた。
「わぁ……京都っぽい……!」
「風情あるなぁ」
百合子と皐月が感動したように辺りを見回す。石畳の道に、趣のある町家が並び、どこからか三味線の音色が微かに聞こえてくる。
「うわっ、あれ見てください!舞妓さんがいる!」
千花が指をさした先には、歩く舞妓の姿があった。
「すごい!舞妓さん!本物……!」
「いいなー、京都に来たって感じする!」
木嶋と千花が興奮気味に見つめるが、田鶴屋に「ありゃ舞妓体験の観光客だなぁ〜」と笑われる。
美菜もそんな様子を見ながら、祇園の空気を味わっていたが──
「ん……?」
少し先で、何やらスタッフらしき人たちが機材を動かしているのが目に入る。
「撮影……?」
美菜が思わず呟いた瞬間、一人の人物と目が合った。
「……あれ?」
相手の顔が驚きに染まると、すぐに嬉しそうな笑みが浮かぶ。
「……美菜ちゃん?」
声の主は、またしても伊月海星だった。
「え、伊月さん……?」
美菜が戸惑いながら名前を呼ぶと、伊月は驚いたように目を瞬かせた後、嬉しそうにこちらへ歩み寄ってきた。
「えー?こんな偶然ってある?まさか京都で会えるなんて……運命感じちゃうなぁ」
「いや、さすがに怖すぎません?」
千花が呆れたように呟くが、伊月は気にする様子もなく、美菜の前に立つ。
「美菜ちゃんたちは旅行?いやぁ、まさかこんなタイミングで会えるなんて……嬉しすぎるんだけど」
伊月が嬉しそうに美菜の顔を覗き込もうとした、その時だった。
「……近い」
低い声が響く。
伊月が振り向くと、そこには無言で美菜の前に立ちはだかる瀬良の姿があった。
「瀬良くん…」
美菜が驚くが、瀬良は微動だにせず、伊月をじっと睨みつける。
「……やっぱり君たち、俺の運命を引き寄せちゃうんだよね」
伊月が嬉しそうに言うと、瀬良はため息をつきながら小さく笑った。
「……気持ち悪いこと言うなよ」
「えー、素直に喜んでくれたっていいじゃん?せっかくこうやって再会できたんだからさ」
「お前にとっては運命でも、こっちにとっちゃただの偶然だし、もはや迷惑だ」
「いやいや、偶然がこんなに重なるなんて、もはや必然でしょ?」
「……はぁ」
瀬良はわずかに眉をひそめ、伊月を睨みつける。
「つーか、撮影中なんだろ?だったら仕事しろよ」
「いやぁ、それが今ちょうど休憩中でさ。だからこうして美菜ちゃんと話す時間もたっぷりあるわけ」
「……悪いが、お前と話してる暇はねぇよ」
瀬良の冷たい言葉に、伊月は困ったように肩をすくめる。
「相変わらず塩対応だねぇ。でも、そういうところも嫌いじゃないよ」
「……別に好かれたくもねぇし」
「ふふっ」
伊月が楽しそうに笑い、さらに瀬良をじっと見つめる。
「僕が偶然いて怖いかい?」
瀬良の眉がピクリと動く。
「……知ってたのか…?」
「いや、知らなかったよ?ただ、なんかこうやってタイミング良く会えるからさ、もしかしてまた勘違いして僕を疑ってるんじゃないかなぁって!」
「……チッ」
瀬良が小さく舌打ちし伊月を睨みつける。
「ちょ、ちょっと待って!」
だんだんと空気が悪くなってきたので、美菜が慌てて間に入る。
千花も二人を交互に見ながらいつ喧嘩が始まるかとハラハラして見ていた。
「瀬良くん、伊月さん、なんか周り集まっちゃってるよ…!」
美菜の言葉に瀬良も伊月も周りを見る。
ドラマの撮影と嗅ぎつけた伊月のファンや野次馬が次々といつの間にか集まっていたようだ。
「あらら…これはスタッフに怒られちゃうな…。美菜ちゃん。本当に会えて嬉しかったよ」
伊月は名残惜しそうに微笑み、スマホを取り出すと軽く手を振った。
「またね、美菜ちゃん」
そして、撮影スタッフのもとへと戻っていった。
「……っ」
瀬良はまだ何か言いたげだったが、美菜がそっと袖を引くと、深く息をついて歩き出した。
「なんか、すごいタイミングでしたね……」
千花が苦笑しながら呟くと、美菜も「ほんと、伊月さんってタイミング良すぎるというか悪いというか……」とため息をつく。
「……行こう」
瀬良はそれ以上何も言わず、黙って美菜の隣を歩いていた。
こうして、思わぬ遭遇を経た一行は、再び祇園の街を散策し始めるのだった。




