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Episode198



美菜は、夜の公園のブランコに一人腰掛け、静かに揺れながら空を見上げていた。

澄んだ夜空には星が瞬いているが、なぜか心が晴れない。


伊月の気持ちは本当に友情なのか?

それとも、瀬良がずっと危惧していたように、彼の好意はまだ残っているのか?


考えれば考えるほど、自分の行動の浅はかさにため息が漏れた。

皐月や百合子の言葉はもっともだった。何も間違っていない。

だからこそ、美菜は困っていた。


(……瀬良くんの実家で見た空の方が綺麗だったなあ)


ふとそんなことを思う。

あのときの瀬良と一緒に見た星空は、こんなに悩ましくなかった。


「……美菜!?」


突然の声に、美菜はハッとして声の方向に振り向く。

そこには、少し息を切らした瀬良の姿があった。


「瀬良くん……!?」


美菜は驚いた拍子にブランコのバランスを崩し、後ろに倒れそうになる。


「……っ!わぁ!」


「美菜!?」


慌てて駆け寄った瀬良が、美菜の腕を引き寄せ、なんとか体勢を保たせる。

ぐらりと揺れた世界が元に戻ると、瀬良の腕の中に自分がすっぽり収まっていることに気づいた。


「……し、新羅……?」


驚きのあまり、普段は呼ばない下の名前を口にしてしまう。

美菜が「新羅」と呼ぶのは、決まって余裕のないときだった。

それを瀬良は知っている。


余裕のないとき――

例えば、彼の腕の中に抱かれたとき。


そのことを思い出したのか、瀬良はわずかに口元を緩め、くすりと笑った。


「家に行ったら電気ついてないし、インターホン押しても出ないし、スマホ鳴らしてんのに出ないし、探したらこんな夜の公園に一人でいるし……美菜、何してんの」


そう言いながらも、その声には安堵と、そして少しの怒りが滲んでいた。

心配していたことが伝わってくる。


「……ご、ごめん……」


美菜は気まずそうにカバンからスマホを取り出し、画面を確認する。

そこには、瀬良からの不在着信が5件も並んでいた。


「なんで鳴らなかったんだろう?」


「貸して?」


瀬良は美菜の手からスマホを受け取り、画面をチェックする。

そして、深く息をつきながら一言。


「機内モードになってるよ」


「……え!? ええ!? なんでだろ!? ご、ごめんね!」


「指でも当たったんだろ」


そう言って、瀬良はようやく安心したように笑うと、美菜の隣のブランコに腰を下ろした。


「……で、なんでこんな所に一人でいんの?」


その言葉と同時に、瀬良の手が美菜の頬に添えられる。

瀬良の手はひんやりとしていて、きっと美菜を探しているうちに冷えてしまったのだろう。


気づけば夜の風はすっかり涼しくなっている。

いつの間にか、夏は終わってしまったらしい。


「……瀬良くん、私ね……」


どこから話せばいいのだろうか。

そう考えながら、美菜は瀬良の瞳をまっすぐ見つめた。


その潤んだ瞳を見て、瀬良はわずかに眉を寄せる。


「……俺、別れないから」


「……え?」


美菜は驚いて目を瞬かせる。

しかし、瀬良の表情は真剣そのもので、思い詰めたような顔をしている。


「俺、美菜に何かしたんだろ……? でも俺は話し合って解決できるなら、そうしたい。だからそんな泣きそうな顔で思い詰めんなよ……」


「ち!! 違う!! 違う違う違う!! 瀬良くん!! 全然別れ話とかそんなのじゃないよ!? てか私、瀬良くんに怒ってないし、むしろ私がこれから怒らせるというか……!」


美菜は慌てて立ち上がり、大きく手を振る。

その必死な様子に、瀬良はきょとんとした顔をした。


「……違うのか?」


「ええ……信頼度、もしかしてまだ私たち足りてない?」


「それ美菜が言う?」


瀬良は拍子抜けしたように、でもどこかホッとしたように笑った。


「と、とりあえず!! 寒いし、家に帰ろ? 話さないといけないことあるから……」


「ん」


美菜が少し俯くと、瀬良がそっと身を乗り出してきた。

そして、彼の唇が美菜の唇に軽く触れる。


「……っ!」


ほんの一瞬のキス。

いつもよりも冷たく、ひんやりとした感触が残る。


「行こ」


「……もうっ!」


美菜は顔を真っ赤にしながら、瀬良の手をぎゅっと握る。

瀬良は満足そうに、その手をしっかりと握り返した。


二人は静かな夜の道を並んで歩き出す。

この先、美菜がどんな言葉で話を切り出せばいいのか、それはまだわからない。

けれど――瀬良の手の温もりがある限り、どんな話でもきっと乗り越えられる。


そう、美菜は信じた。



***



家に帰り着くと、美菜はホッと息をついた。夜の冷え込みのせいか、身体の芯まで冷えてしまった気がする。靴を脱ぎ、リビングへ向かうと、瀬良も無言のまま後をついてきた。先ほどまで公園にいたせいで、なんとなくお互いまだ落ち着ききれていない雰囲気が漂っている。


「とりあえず、コーヒー入れるね」


美菜はそう言ってキッチンへ向かった。いつもなら瀬良に「座ってていいよ」と言うところだったが、今日はそれすら言えず、無言でコーヒーメーカーに水を入れ、豆をセットする。機械が静かに動き出し、じわじわと漂う香ばしい香りが、張り詰めた空気をわずかに和らげた気がした。


瀬良は黙って美菜の背中を見つめていたが、何も言わずにソファに座った。美菜が用意したコーヒーを手に取り、一口飲んだあと、そっと彼女を見つめる。美菜も瀬良の隣に座り、温かいカップを両手で包み込むようにしながら、深く息を吸い込んだ。


「……あのね」


ぽつり、と声を出すまでに、少し時間がかかった。何から話せばいいのか、どこまで話すべきなのか、頭の中で考えすぎて、言葉がまとまらなかった。でも、瀬良が横でじっと待っていてくれることが、ほんの少しだけ気持ちを軽くしてくれる。


「今日、伊月さんと撮った写真のデータが送られてね……確認したら思ったより、仲良く撮れちゃってて」


瀬良は微かに眉を動かしたが、それでも口を挟まずに美菜の言葉を待ってくれていた。


「詩音ちゃんに、それを見られて、ちょっと意地悪言われちゃったんだ。でも、詩音ちゃんの言ってる事もあながち間違ってなくて……。最初は気にしないようにしてたんだけど……でも、なんか……変に気になっちゃって」


美菜はカップを見つめながら、小さく息を吐いた。


「私ね、伊月さんとは友達になれたって、ずっと思ってた。でも……それって、私だけだったのかなって……今日、少しだけ思っちゃった」


美菜の声が少しだけ震えた。それに気づいた瀬良が、美菜の手の上にそっと自分の手を重ねる。美菜は驚いて彼の方を見たが、瀬良は相変わらず真剣な表情のまま、ただ優しく頷くだけだった。


「……うん」


「……もし、伊月さんがまだ……私に……」


そこまで言いかけて、美菜は自分の言葉を飲み込んだ。あえて最後まで言葉にしなくても、瀬良ならきっと察してしまう。彼の目を見て、それを確信した。


「私の考えが甘かったんだよね……この頃ずっと、友達だと思ってた。でも、もしそうじゃなかったら……?もし、私が伊月さんを勘違いさせるようなことをしてたなら……?そんなつもりじゃなかったのにって言ったところで、相手がそうじゃなかったら意味がないよね……」


瀬良は静かに聞いていた。彼の手の温もりが、美菜の指先までじんわりと伝わる。


「それに……写真も……瀬良くんなら、嫌だよね……」


やっと絞り出したその言葉に、瀬良の目がわずかに伏せられた。それは否定でも肯定でもなく、ただ美菜の言葉をそのまま受け止めた、というような反応だった。


「なんかね、考えれば考えるほど、自分が嫌になってきちゃって……瀬良くんを傷つけちゃってるんじゃないかって不安になって、伊月さんにも申し訳なくて、どうすればいいのか分からなくなって……気づいたら泣きそうになってて……そんな自分も嫌で……」


美菜の声が掠れる。ぐっと歯を食いしばったが、涙が滲んで視界がぼやけるのを止められなかった。瀬良はそんな美菜をじっと見つめ、そっと手を握り直す。


「駅前でね、皐月くんと百合子ちゃんがたまたまいて……二人に慰められたんだ」


「……そうか」


「その後は少し考えたくて、そのまま公園に行ったの。そしたら……瀬良くんが、探しに来てくれた」


そう言った瞬間、涙が一筋、頬を伝った。美菜は慌てて手の甲でそれを拭ったが、瀬良は何も言わず、ただそっと美菜の手を引いて、自分の方へ寄せた。


「……ごめんね」


美菜がか細く呟くと、瀬良はゆっくり首を横に振る。


「別に、謝ることじゃねえよ」


「でも……」


「美菜が何を考えて、どう感じたのか……そうやって俺にちゃんと話してくれるだけで、俺は十分」


瀬良は美菜の手を握ったまま、優しく指を絡める。


「お前が考えて悩んだこと、俺が聞いて、受け止める。だから、一人で全部抱え込むなよ」


その言葉が、どれだけ美菜の心を軽くしたか。胸の奥がじんわりと温かくなり、今度は涙が止まらなくなりそうだった。


「……ありがとう」


美菜は涙を堪えながら、瀬良の手をぎゅっと握り返した。


「……ちなみに写真、見てもいい?」


瀬良の言葉に、美菜は少し驚いたように目を瞬かせた。


「……うん。でも……見たら瀬良くん、嫌な気持ちになるかも」


スマホを取り出しながら、美菜はどこか申し訳なさそうに視線を落とした。正直、見せるのは気が引ける。それでも、瀬良がこうして自分の気持ちを受け止めてくれたのだから、隠すよりもちゃんと見せるべきだと思った。


画面を操作し、撮影データのフォルダを開く。そこには撮影で撮られた数々の写真が並んでいた。美菜単体のものもあるが、その中には伊月と笑い合っているものや、少し距離が近く写っているものもある。美菜は躊躇いながらもスマホを瀬良に差し出した。


瀬良は黙ったまま受け取り、スワイプしながら順番に写真を見ていく。その横顔は真剣そのもので、特に感情を表に出しているわけではない。美菜は緊張しながら瀬良の様子をうかがった。


「……美菜、可愛い。上手に撮れてんな」


「んん……!冗談言わないでっ……!」


思わず美菜の顔が赤くなる。瀬良がこういうことを言うのは珍しい。しかも、言い方が自然すぎて余計に意識してしまう。


「いや、本当にそう思って見てるのは見てるけど……」


瀬良はクスッと笑いながら、美菜の頬がさらに赤くなるのを楽しむように見つめた。


「……瀬良くん、嫌な気持ちになったでしょ?」


美菜がそっと尋ねると、瀬良はスマホをテーブルに置き、少し考えるように視線を落とした。


「伊月のことは改めてムカつくなーとは思ったけど、別にそんな気にするような写真でもないよ」


その言葉に、美菜は少し安堵しつつも、どこか気を使われているような気がして、不安になった。


「……そもそもさ、別に伊月じゃなくても、美菜この撮影楽しかったって言ってたじゃん」


「うん、楽しかったのは楽しかったけど……」


「なら、それでよくない? 美菜が楽しいとか思うことを、わざわざ俺が縛って否定する必要ってないだろ」


瀬良はそう言って、美菜の頭を優しく撫でた。その仕草はとても穏やかで、美菜の不安をそっと溶かしてくれるような温かさがあった。


美菜は瀬良の言葉にまた泣きそうになった。


「私……瀬良くんの優しさにいつも甘えてて、今回は履き違えちゃったって思って……楽しかったけど、それは私の気持ちだけで、瀬良くんはどうだろうとか、瀬良くんのこと考えられてなくて……」


「別に履き違えてないと思うけど……。まあ、美菜の交友関係とか付き合いを否定するほど、俺も余裕ないわけじゃないよ」


瀬良はそう言いながら、美菜の肩を引き寄せ、そっと抱きしめた。美菜は瀬良の胸に顔を埋めながら、彼の優しさにまた涙がこぼれそうになる。


「……別れて伊月と付き合いたいって言いだしたら、怒ってたかも」


瀬良が冗談っぽく呟くと、美菜は慌てて顔を上げた。


「ない!! それはないよ!! 私、瀬良くんしか好きじゃない!! 瀬良くんだけ大好きなの!!」


目にいっぱいの涙をためながら、美菜は必死に伝えた。そのまっすぐな気持ちに、瀬良はほんの少しだけ驚いたような表情を見せ、それからふっと笑うと、美菜の頬にそっと唇を落とした。


美菜が感じていた罪悪感や不安を、瀬良は何も責めることなく、ただ優しく受け止めてくれた。彼からしてみれば、大したことではなかったのかもしれない。それでも、美菜が自分の気持ちをここまで大切にしてくれていることが、伝わってきた。それが嬉しくて、愛おしくて、美菜が心配する事など最初からなかった。


「うわぁぁん!ごめんね…瀬良くん…ありがとう」


「よしよし」


瀬良は泣きじゃくる美菜を抱きしめながら、背中をゆっくり撫でる。美菜は瀬良の腕の中にすっぽりと収まり、彼の優しさに甘えるように力を抜いた。


「怒ってないし、嫌な気持ちにもなってない。だから、もう泣くなよ」


「……でも」


「でもじゃない。自分を責めるのもやめること。伊月との関わりは、美菜がしたいようにしたらいいと思う。……伊月がもし何かしてきて、困ったことがあれば俺に言って? それでもういいだろ?」


瀬良はまるで小さな子を慰めるように、美菜を甘やかしながら優しく微笑んだ。そして、もう一度口づける。


「……うん」


瀬良の言葉と優しさに、美菜は結局甘える形になってしまう。でも、それでもいいと思えた。瀬良の心の広さを、改めて知ることができたから。


彼の腕の中は温かくて、どんな不安もすべて溶かしてくれるようだった。



***



瀬良は腕の中で静かに寝息を立てているのを感じた。

彼女の顔に残る涙の跡が、まだ乾いていないことに気づく。眠っている美菜は、安心しきった表情で彼に身を寄せている。瀬良はその光景に少しだけ驚きながらも、彼女を傷つけないように優しく手を伸ばした。


「……美菜?」


瀬良は、そっと美菜の名前を呼びかける。

返事が響くことはなく、美菜は寝息をたてている。

瀬良は少しだけ迷ったが、美菜をソファからベッドに移すべきかと考えた。しかし、抱きついた体勢からうまく抜け出せるはずもなく、彼女を起こしてしまうのも心苦しい。結局、彼はそのままの状態で美菜を抱きしめた。


(……まじか、この体制で寝たのか……)


その静かな夜の中で、美菜の寝顔がより一層可愛く見える。彼女がこんなにも安心しきった姿で眠っているのは、瀬良にとって心温まる瞬間だった。


その時、瀬良の心に浮かんだのは、昼間の出来事だった。美菜と詩音の間に何かあったことは、後ろから見ていた時に少しだけ感じ取っていた。美菜が不安そうな横顔をしていたのが気になり近づいたが、話の内容が分からなかった。だから、どうして詩音が美菜のスマホを持っていたのか、ずっと引っかかっていた。


(美菜は東谷の事庇ってたけど……)


瀬良は少し眉をひそめる。美菜が何か心配しているのは分かるが、詩音の行動についてはどうしても疑念が湧いてしまう。瀬良の中で詩音という人物に対する疑念が強くなってきていた。


(……あいつ、本当は性格悪いんじゃねぇの?)


瀬良は、心の中で呟く。今までの詩音の行動が偶然にしては少し不自然に感じるのだ。もし意図的な嫌がらせだとしたら、相当タチの悪いものだと瀬良は感じていた。


(……木嶋はいい子って言ってたけど、どうだろうな)


彼の頭の中で木嶋のことがふと浮かぶ。木嶋が言っていた「詩音は大丈夫」という言葉が、今となっては少し疑わしく思えてきた。


瀬良はため息をつき、そっとポケットから自分のスマホを取り出す。美菜が寝ているのを確認してから、身を捩じってその画面を見ようとした。美菜は寝ているにも関わらず、安心した表情で彼に寄り添っていた。


(……伊月は今のところ、何も問題を起こしてないけど、東谷のことはちょっと気をつけないといけないな)


美菜の気持ちを必要以上にかき乱した詩音のことが、瀬良にはどうしてもモヤモヤしてしまう。美菜がそう気にすることはないと考える一方で、あの時の身バレ事件のことが頭から離れない。


「んー……しんら……ウニ……」


「え?」


突然、美菜が寝言を言い出す。その言葉に瀬良は少し驚きながらも、思わず笑ってしまいそうになる。だが、あまりにも可愛い寝言に、起こさないように必死で笑いを堪えた。


「……ウニ……カットウニ……」


美菜は夢の中で何かを話しているが、瀬良にはそれが何を意味するのか分からない。ただ、彼女が何気ない寝言を言うことで、心が温かくなる。


(なんの夢見てんだよ……)


瀬良は思わず微笑んでしまう。そのまま、美菜の頬を軽くぷにぷにと押して遊んでいると、少し眉を寄せる美菜の寝顔があまりにも愛おしくて、しばらくそのまま楽しんでいた。


美菜は瀬良の腕の中で、安心しきって寝息を立てている。何も起こらなければいい、と瀬良は心の中で思う。美菜を守りたい、そして彼女が幸せでいることを心から願っていた。


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