Episode189
「……ほら、やっぱり!」
満足そうに筆を置いた笹原は、腕を組みながら満足げに美菜の顔を見つめる。その目はまるで、自分の手で生み出した作品を確認するアーティストのようだった。
美菜はゆっくりと手鏡を受け取り、そっと自分の顔を覗き込む。
「……すごい、私じゃないみたい……」
鏡の中に映るのは、いつもと違う自分。
これまで自分でしてきたメイクとも、サロンで学んだメイクとも違う。洗練されつつも柔らかさを持ち、美菜自身の魅力を引き出す絶妙なバランス。驚きと感動で、自然と息を呑んだ。
「うふふ、アナタの本来の良さよ?」
笹原が優しく微笑む。
「美菜チャンのお顔はとってもカワイイんだから、それを活かさなきゃもったいないわぁ」
その言葉に、美菜の頬が少し熱くなる。
「そ、そんなことないですよ……!」
思わず視線をそらしながら口を尖らせるが、心の奥では嬉しさがじんわりと広がっていた。
「せっかくだから、衣装も借りちゃいましょ〜! ほぉら!これとかイイんじゃない?」
笹原はクローゼットの方に向かい、ハンガーにかかった洋服を吟味し始める。
「そんな、勝手に着たら怒られちゃいますよ!」
「大丈夫よォ、海星チャンのデザインした服なんだから怒らないわよ」
さらっとそう言いながら、美菜の目の前に一着のワンピースを差し出した。
——その瞬間、美菜の動きが止まる。
(あ……このワンピース……)
昨日、試着したものと同じデザイン。しかし、よく見ると少し形が変わっている。
丈のラインが微妙に調整され、ウエストのカッティングがより繊細になっている。それだけではなく、細かいディテールの一つ一つがより洗練され、より美菜に似合うように仕立て直されていた。
(もしかして……昨日のあと、すぐに直したの……?)
驚きとともに、伊月のこだわりの強さを改めて実感する。
彼が手掛ける服のクオリティの高さはもちろんだが、それ以上に——昨日の美菜の言葉や反応を受け、すぐに修正を加えるその対応の早さに、圧倒される思いだった。
伊月の周りにいるパタンナーやデザイナーたちが、相当優秀なのも間違いない。
「これ、アナタにきっと似合うわよ!着てみなさいよ!」
笹原は楽しそうに笑いながら、美菜の背中をぐいっと押し、試着スペースへと誘導する。
「え、ちょっと待っ——」
美菜が言い終わる前に、パタンとカーテンが閉められた。
(うわ……完全に逃げ道塞がれた……!)
苦笑しつつ、渡されたワンピースを眺める。
昨日よりも、もっと美菜に合うように作り直された服。
(着るしかない……よね?)
そう思うと、なんだかくすぐったいような気持ちが湧いてきた。
笹原に押し切られた形ではあるけれど——それ以上に、美菜の心のどこかで、この服を着ることに対する期待が膨らんでいた。
(……ふふっ)
鏡に映る自分の顔を見ると、思わず口元が緩んでしまう。
美菜は軽く深呼吸し、ワンピースにそっと袖を通した。
***
「……どう、ですか?」
美菜はそっとカーテンを開け、ワンピースに袖を通した自分の姿を恥ずかしそうに見せた。
その瞬間——
「イイ……ッ!!」
笹原が目を輝かせ、感極まったように両手を胸の前で組む。
「アナタ、やっぱり最っ高!!」
興奮を隠せない様子で美菜の周りをぐるっと回り、あちこちをチェックする。
「ウエストのラインもバッチリ!スカートの揺れ感もパーフェクト!そして何より……アナタ自身が、この服とメイクを完全に味方につけてる!!」
美菜は少し照れながらも、そっと鏡を覗き込む。
(……私、なんだか別人みたい)
ワンピースのデザインが、メイクが、髪のスタイリングが——すべてが完璧に噛み合い、自分が知らなかった一面を引き出してくれている。
“メイクは自分を輝かせる魔法”
それは笹原がよく雑誌で語っている言葉だった。
今日の美菜はまさにその“魔法”を体験している。
(笹原さんの言葉……嘘じゃなかったんだ)
胸の奥がじんわりと熱くなる。
「ありがとうございます、笹原さん……私、今日は本当にたくさん学ばせていただきました」
美菜は素直に頭を下げる。
すると、笹原はふっと微笑んだ。
「美菜チャンにとって実りのある時間になったならよかったわ!」
彼女は腕を組みながら、どこか遠くを見るような目をした。
「アナタみたいな子……この頃、なかなか居ないのよねぇ」
少しだけ寂しそうな表情を浮かべる。
「みんな少しつつけば嫌な顔をして居なくなるし、教えても理解力も吸収力もない。やる気があっても空回りしちゃう子も多いし……」
ふっと肩をすくめながら、笹原は優しく美菜の頭を撫でる。
「でも美菜チャンはアタシとの相性がイイみたい!ほんっとうにね、これからもアタシの所で働いてほしいくらいよ!!」
その言葉に、美菜は思わず目を丸くした。
「そ、そんな……!」
まさか笹原にこんなにも気に入られるとは思ってもみなかった。
嬉しい気持ちはある。でも——
「嬉しいお言葉です。でも、やっぱり私は美容師なので……」
遠回しに断るような言い方をすると、笹原はすぐに食い気味に言った。
「あら、アタシの所で美容師もしたらイイのよ?メイクとヘアは一心同体よ?」
ぐっと前のめりになり、美菜の手を取る。
「メイクだけじゃなく、トータルビューティーを極めるっていうのもアリじゃない?」
まるで逃がさないと言わんばかりの勢いに、美菜は少しだけ苦笑する。
笹原がどれだけ本気で誘ってくれているのかは伝わる。
でも——
「……私、今のお店とメンバーが大好きなんです」
美菜はゆっくりと、しかしはっきりと伝えた。
「今日教わったことを、最大限活かしていきたい場所があるので……ごめんなさい」
柔らかく、でも確固たる意志を持った声だった。
笹原は少しだけ不貞腐れたように唇を尖らせたが、すぐにふっと笑みを浮かべる。
「……OKよ」
そしてウインクをしながら、美菜の肩を軽く叩いた。
「でもね、美菜チャン。アタシのところはいつでもウェルカムだからね!」
「……ありがとうございます!」
美菜は満面の笑みで頭を下げた。
笹原も、満足げに頷く。
——心が満たされていくのを感じた。
今日の時間は、美菜にとって大きな糧となる。
「さぁ、そろそろ行きましょうか!」
突然の言葉に、美菜はキョトンとした。
「……え? どこにですか?」
「決まってるじゃない!」
笹原はニヤリと笑い、美菜の手をぎゅっと引く。
「アタシのメイクでタダで帰れるわけないでしょ!」
そう言って、ウインクをひとつ。
「さ、楽しみましょ!!」
勢いよく部屋を出ていく笹原に、美菜は慌ててついていくしかなかった。




