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Episode188



伊月のメイクが仕上がると、美菜は改めてその完成度の違いに息をのんだ。


(すごい……私のメイクとはまるで別物……!)


先ほどまでのナチュラルな仕上がりとは打って変わって、顔の輪郭がより際立ち、照明の下でも映えるよう計算された陰影。肌の質感は滑らかに整えられ、それでいてやりすぎず、伊月のもともとの美しさを最大限に活かしている。


(同じ顔なのに、こんなにも印象が変わるなんて……)


悔しさが胸に広がる。自分なりに技術を尽くしたつもりだったが、まだまだ足りないのだと痛感する。だが、それと同時に、美菜の中には新たな決意が芽生えていた。


(もっと学びたい……!)


笹原の手元を見つめながら、美菜は少しでもその技術を吸収しようと、必死に目で追い、耳を傾けた。


「今のはハイライトを入れすぎたのが原因よ。陰影をつけるなら、こことここに足すだけでいいの。分かった?」


「はい!」


「あとね、リップの塗り方も重要。グロスを使うなら、光が当たる角度を計算して、唇の真ん中にだけツヤを足すの。全部に塗ると、テカテカしすぎて不自然になるわよ」


「なるほど……!」


美菜はすぐにメモを取り、さらに笹原の筆の動かし方をじっくり観察する。その熱心な態度に、笹原は目を細めた。


「……アナタ、結構熱烈なタイプね」


美菜が顔を上げると、笹原は満足そうに頷きながら、不意にぐっと肩を抱き寄せた。


「アタシ、そういう子だぁいすきなのッ……!」


「きゃっ……!」


ふわりと鼻をくすぐる濃厚な薔薇の香り。思わず頬を赤らめる美菜だったが、同時に背中に感じる感触に目を見開いた。


(……胸板、ごっつ!!)


見た目は女性らしいのに、触れると確かにしっかりとした筋肉質な体つき。スタイルこそ抜群だが、それはやはり男性の骨格と筋肉のラインだった。


「……笹原さん」


不意に低い声が響いた。


「その子は僕のお気に入りって言いましたよね?」


にこりと微笑む伊月。しかし、その笑顔の奥にはじんわりとした圧が含まれていた。


「え?」


美菜は状況が呑み込めず、戸惑いながら伊月の背中を見上げる。いつの間にか伊月は美菜の肩を笹原から引き剥がし、そのまま自分の後ろに庇うように立っていた。


笹原は一瞬、ぎくりとした表情を浮かべる。


「……海星チャン、余裕のない男は魅力0よ?」


「……そうですね。肝に銘じます」


笑顔を崩さず、柔らかく返す伊月。しかし、美菜にはそのやり取りがどこか張り詰めたものに感じられた。


(なんだか空気が悪い……)


居心地の悪さを覚えながらも、美菜は何も言えずに伊月の背後で固まる。そんな彼女の様子を察したのか、笹原は視線を横に逸らしながら、わざとらしく肩をすくめた。


「……まぁいいわ。美菜チャン、次の子の所に行くからついてきなさい」


そう言うと、笹原は伊月に向かって大げさに投げキッスを送った。


「海星チャン、またねんっ」


伊月はため息混じりに肩を落としながらも、何も言わずに微笑を返すだけだった。


美菜は慌てて笹原の使った道具を片付けると、急いで伊月に向き直る。


「伊月さん! ありがとうございました!」


「うん、頑張ってね」


伊月は柔らかく微笑みながら、美菜の目を覗き込む。


「……笹原さんにたくさん聞いて、色々教えてもらえるといいね」


「はいっ!」


美菜は改めて伊月に感謝の気持ちを抱きながら、笹原の後を追ってスタジオの奥へと駆けていった。


(今のうちに、少しでも技術を盗まないと……!)


笹原の機嫌がいいうちに、しっかり学ぶことが大切だと感じながら。



***



その後も、美菜は笹原のアシスタントとして、伊月の新しい事務所に所属するモデルたちのメイクを手伝い続けた。


次々と入れ替わるモデルに、笹原は流れるような手際でメイクを施していく。その動きを間近で見ながら、美菜は自分の役割を果たすべく、道具を準備し、必要なものを渡していった。


(次は何が必要になる……?)


最初は戸惑うことも多かったが、三人目のモデルに取り掛かる頃には、笹原のメイクのリズムが自然と頭に入ってきていた。どのタイミングで何の道具を使うのか、笹原の仕草や視線の動きから予測できるようになってきたのだ。


「……!」


ふと、笹原が手を止めた。次に必要なものを探しているような、ほんのわずかな間。しかし、美菜はその瞬間を逃さず、すぐにファンデーション用のスポンジを差し出した。


「……」


笹原は一瞬、美菜を見た。驚いたように目を見開き、その後すぐに受け取り、何事もなかったかのように作業を続ける。


(良かった、合ってたみたい……!)


美菜は胸を撫で下ろしながら、次の準備に取り掛かった。


それからも、美菜は笹原の動きを注意深く観察し、次に何が必要かを先読みしながら準備を進めた。アイメイクに移るタイミングでは、ブレンディング用のブラシを手元に用意し、リップメイクに入る頃には、ティッシュとリップブラシをそっと準備する。


笹原が手を伸ばしたとき、そこにちょうど必要な道具がある——そんな状況を作れるようになってきたのだ。


(なんとなく分かる……!)


感覚的に掴めてきたことが嬉しくて、美菜の動きにも自然と自信が生まれる。


笹原は何も言わなかったが、一瞬、美菜の方をちらりと見た。


(……やるじゃない、この子……)


その視線には、ほんのわずかだが、確かな評価が込められていた。


そして、次の瞬間。


笹原はメイクに集中しながらも、ふっと優しく微笑んだ。


それはほんの一瞬の出来事だったが、美菜は確かに気づいた。その笑みが、自分の成長を認めてくれたものだと感じて、思わず頬が緩む。


(少しは、認めてもらえたのかな……?)


これまでの努力が、無駄ではなかったと実感できた気がした。


美菜はますます気を引き締め、次のモデルのメイクに向けて、笹原の動きを追い続けた。



***



撮影のためのメイクも残すところ、あと一人。最後のモデルがメイクブースに座り、美菜はいつものように笹原の手元に目を向け、次に必要な道具を準備しようとした。そのとき、不意に笹原が口を開いた。


「アナタがこの子のメイクをしてみなさいよ」


美菜は一瞬、聞き間違えたかと思い、思わず笹原の顔を見返す。しかし、その表情は冗談ではないと物語っていた。


「……はいっ!」


驚きはあったものの、それ以上に嬉しさが込み上げてくる。ここまでひたすらアシスタントに徹してきたが、最後の最後で実際に自分がメイクを施す機会を与えられるとは思っていなかった。


美菜は気を引き締め、モデルの子に向き直る。


「担当します、河北です。よろしくお願いします」


「はーい!よろしくお願いします!」


モデルの子は明るい笑顔を見せ、リラックスした様子で応じてくれる。その姿に少しホッとしつつも、美菜の心臓は高鳴っていた。


(笹原さんのメイクから学んだことを、今ここで全部出し切る……!)


深呼吸し、手を動かし始める。まずは下地作り。ファンデーションの塗り方一つとっても、今日学んだ技術を意識しながら進める。


笹原は何も言わず、ただじっと美菜の手元を見つめていた。その視線を感じながらも、美菜は集中力を切らさず、丁寧に仕上げていく。


(……楽しい)


緊張はしている。しかし、それ以上に楽しいと感じる自分がいた。


もっとやりたい、もっと学びたい、もっと上手くなりたい——そんな思いが溢れ出す。


モデルの骨格や雰囲気を見ながら、学んだことを応用し、自分なりのアレンジも加えていく。細かい部分までこだわりながら、一筆一筆、表情をつくり上げていく感覚。


「……はい、お疲れ様でした。こんな感じでどうでしょうか?」


美菜が鏡をモデルに向けると、彼女の表情がぱっと明るくなった。


「わぁー!すごい!ちょー可愛いっ!!」


自分の顔を見て喜ぶモデルの子。そのリアクションに、美菜の胸がじんわりと温かくなる。


(よかった……!)


ほっと安堵しながら、笹原の方に目を向けた。


「いいんじゃない?アナタらしくて」


美菜はその言葉に、思わず息をのむ。


笹原が自分のメイクをどう評価しているのか、はっきりとした言葉はなかった。しかし、「アナタらしくて」と言ってもらえたことが、少しだけ認められたような気がして、自然と頬が緩んだ。


「撮影いってきまーす!ありがとうございましたー!」


モデルの子が元気よくメイクブースを後にし、美菜は達成感に満ちた気持ちで笹原のもとへ駆け寄った。


「笹原さんのおかげで、全っ然今までとは違うメイクができました!!本当にありがとうございます!!」


「やーん!カワイイコト言ってくれるじゃなァい!」


笹原は楽しそうに笑いながら、美菜の顔を覗き込む。


「美菜チャンのセンス、かなりいいわよ!磨けばもっと良くなっていける……アタシには分かるわ!」


「そんな!笹原さんにそう言っていただけるなんて嬉しすぎます!!」


美菜は頬を染めながら照れる。その純粋な反応を見た笹原は、ふと目を細め、口元を歪めるように笑った。


「……いいわ、アナタのその表情、最っ高に!」


「はい……?」


さっきまでと急に変わった雰囲気を察し、美菜は少し身構える。


次の瞬間——


「美菜チャンって、アタシを刺激するの上手なのね!」


美菜の両肩をがっしりと掴み、勢いよく椅子に座らせる笹原。


「さ、笹原さん?」


「ご褒美よ、アナタが今日の主役になりなさい」


そう言って、美菜の首にタオルをかけ、前髪を留める。


(笹原さんのメイクを直接受けれるなんて……!)


美菜は驚きながらも、興奮を抑えられなかった。プロのメイクを自分が施される側になるなんて、夢にも思わなかったからだ。


「さぁ、美菜チャン……アンタをとびっきり、輝かせてあげるわ」


笹原は嬉しそうに笑いながら、美菜の顔にそっと手を添えた。


美菜はその言葉を噛みしめるように受け止め、目を閉じた——。


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