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Episode182



約束のカフェに着くと、店内の隅、窓際の席に詩音の姿があった。

薄いカーディガンを羽織り、両手でカップを包み込むように持っているが、その中身にはほとんど手をつけていないようだった。


(……やっぱり何かある)


美菜はそっと振り返り、少し離れた場所に立つ瀬良に目を向けた。

瀬良は腕を組み、静かにこちらを見ている。目が合うと、無言のまま軽く頷いた。


(……よし)


美菜は深呼吸をし、カフェのドアを押した。


「詩音ちゃん」


声をかけると、詩音はピクリと肩を揺らして顔を上げた。


「あ……美菜先輩」


その表情は、普段の快活な彼女とは違い、どこか影を落としている。


「体調、大丈夫?」


「はい……すみません、心配かけて」


詩音はぎこちなく笑い、向かいの席を示した。


「座ってください」


「うん」


美菜は席につき、バッグを膝の上に置いた。


テーブルを挟んで向かい合うと、詩音は視線を落とし、カップの縁を指でなぞるように撫でる。


「……美菜先輩」


「うん」


「私……ちょっと、言いにくいことがあって」


「……大丈夫だよ。ゆっくりでいいから」


詩音はぎゅっと唇を噛みしめた後、小さく息を吐いた。


「……美菜先輩」


「うん」


「私……昼間言ったこと、本当は嘘なんです」


美菜は、言葉の意味をすぐには理解できなかった。


「…………」


詩音は唇を震わせ、カップを握る指に力を込めた。


「体調が悪くて帰ったって言ったけど……違うんです。本当は……逃げたかっただけで」


「逃げたかった?」


「……私が、あの記事をリークしたんです」


その瞬間、時間が止まったような感覚に陥った。


「…………やっぱり、そうだったんだ……」


「私が……瀬良先輩や、美菜先輩や、木嶋さんがネット活動をしてるって……私が、言っちゃったんです……」


詩音の肩が小さく震えている。


「なんで……?」


「……偶然、聞いちゃったんです。3人がこっそりゲーム話とか大会の話してるのを……ほんの少しだけ。でも、それで気づいちゃったんです。もしかしてって」


詩音は力なく笑った。


「それで……ネット記事を書いてる知り合いがいて……興味本位で、話しちゃったんです。『すごい発見した』みたいに……」


詩音の声が震える。


「でも……まさか、記事になるなんて思わなくて……。次の日には、もう記事になってて……あの時、初めて自分がどれだけ酷いことをしたのか分かりました」


詩音は泣きそうな顔で、美菜を見つめた。


「ごめんなさい……! 本当に、ごめんなさい……! 私、取り返しのつかないことを……!!」


詩音はカップを置くと、両手で顔を覆い、肩を震わせた。


美菜は、まだ現実を受け止めきれずにいた。


「……どうして、すぐに言わなかったの?」


「怖かったんです……! もしバレたら、美菜先輩にも、瀬良先輩にも、木嶋さんにも……みんなに嫌われるって……!」


「……」


美菜は唇を噛んだ。


確かに、詩音の言う通りだ。こんなことをしてしまったら、嫌われるかもしれない。詩音自身、それが分かっていたからこそ、ずっと隠していたのだろう。


でも——。


「……ねぇ、詩音ちゃん」


美菜は、静かに口を開いた。


「今、こうやって謝ってるけど……これで済む問題じゃないよね?」


詩音の肩がピクリと震えた。


「私たちは、あの記事でたくさんの人に詮索されて、瀬良くんなんて……」


言葉を飲み込む。


詩音は涙を拭いながら、震える声で続けた。


「私……本当に、ただの興味本位だったんです。でも、記者の人がすごく食いついてきて……」


「……その記者、どういう人なの?」


「フリーライターで、普段は芸能人のゴシップを書いてる人です。昔から知り合いってほどじゃないけど、SNSでやり取りするくらいの……」


「そんな人に、何で話しちゃったの?」


美菜の問いに、詩音は唇を噛み、しばらく迷うように沈黙した後、小さく呟いた。


「……伊月さんのことを、守りたくて」


美菜は眉を寄せた。


「……伊月さん?」


「……はい」


詩音は視線を落とし、両手をぎゅっと握りしめた。


「私、伊月さんのファンなんです。前から……ずっと」


「……」


「この前の美容の大会、結構ニュースになってて、伊月さんが突然ステージに出て話題になってはいたんです……」


あの日のことを美菜は思い出す。

伊月をモデルに採用したのはやはり間違いだったのかもしれない。

そう思ってしまう自分が嫌になる。

元芸能人を仕方なかったとはいえ安易に起用したのは美菜たちの失敗だった。

その後のリスクなど、ひとつも考えていなかったのだ。


「あの後、フォロワーの記者の人が私のSNSに連絡をしてきました。『伊月海星が急に現れたけど、彼はこのサロンと関係あるのか?』って」


「……」


「私、何も知らないって言いました。でも、しつこく聞かれて……それで……」


詩音は小さく息を呑んだ。


「……話を変えるために、もう一度瀬良先輩の名前を出しちゃったんです」


美菜の胸がざわついた。


「……どういうこと?」


「伊月さんがサロンと関係あるかは分からないけど、先に話した瀬良先輩は以前ゲームの大会に出てたことがあるみたいだし、配信とかもしてて……有名な人みたいですって……それだけ言ったんです」


美菜の手が、膝の上でぎゅっと固くなる。


「そしたら、その記者が……あとは勝手に色々調べて……写真とか、あの記事になって……」


詩音の肩が震える。


「本当に、そんなつもりじゃなかったんです……! 伊月さんに何か悪い噂が立つのが嫌で……でも、まさか瀬良先輩のことをあんな風に記事にするなんて……!」


美菜は強く息を吐いた。


「……それで、伊月さんの名前を出した時、あんなに態度が変わったんだ」


「……はい」


詩音は顔を上げ、目に涙を溜めたまま、美菜を真っ直ぐ見つめた。


「ごめんなさい……本当に……!」


美菜は、しばらく目を閉じ、深く息を吸い込んだ。


——詩音は、悪意があってやったわけじゃない。


でも、それで済む問題じゃない。


「……このこと、瀬良くんにはまだ言ってないよね?」


「……はい」


「じゃあ、今から言おう」


詩音は息を呑んだ。


「瀬良くん、外で待ってるから」


美菜は静かに立ち上がり、カフェの窓の外に視線を向けた。


街灯の下、瀬良が腕を組んだまま、じっとこちらを見ていた。


詩音の肩が小さく震える。


「……瀬良先輩に、何て言えば……」


「そのまま話せばいいよ」


美菜は静かに言った。


「嘘をつかないで、全部」


詩音は唇を噛みしめたまま、深くうなずいた。


美菜は窓の外にいる瀬良に目を向けると、カフェの入り口へと向かう。詩音もそれに続いた。


外に出ると、瀬良は腕を組んだまま、二人をじっと見つめた。


「……話は終わったのか?」


低く落ち着いた声に、詩音は身をすくませる。


「……あの、瀬良先輩……」


「お前がリークしたんだってな」


詩音はびくっと肩を揺らし、うつむいた。


「……はい」


「理由は?」


詩音は震える声で説明を始めた。伊月海星を守るために記者に瀬良の可能性を示唆してしまったこと、まさか記事になるとは思わなかったこと——すべてを、詰まりながらも正直に話した。


話し終えると、瀬良は目を閉じ、短く息を吐いた。


「……くだらねえ」


詩音は泣きそうな顔でうつむく。


「お前のせいで、美菜がどれだけ心配したか分かってるのか」


「……っ」


「俺のことならどうでもいい。だけど、美菜や木嶋、店を巻き込んだことは許せない」


瀬良の冷たい声音に、詩音の目からぽろぽろと涙がこぼれ落ちた。


「ごめんなさい……っ」


「……まあ、泣いたって仕方ねえだろ」


瀬良は無造作に髪をかき上げ、ため息をついた。


「記事を書いた記者に、東谷が連絡を取れるなら、何とかしろ」


「え……」


「今さら記事を取り下げるのは無理だろうけど、次に何か書かせないように釘を刺してこい」


「……っ、わかりました……」


詩音は涙を拭いながら、必死に頷いた。


美菜はそんな二人のやり取りを見つめながら、静かに息を吐いた。


「……詩音ちゃん」


詩音が顔を上げる。


「もうこういうこと、しないでね」


「……はい」


美菜が優しく微笑むと、詩音は涙を拭いながら小さく「ありがとうございます」と呟いた。


「じゃあ、もう帰れ」


瀬良がぶっきらぼうに言うと、詩音は何度も頭を下げながら、その場を後にした。



***



「……瀬良くん、怒ってる?」


美菜がそっと尋ねると、瀬良は短く答えた。


「怒ってねえよ。くだらねえとは思うがな」


「……そっか」


「……それより、美菜は大丈夫か」


瀬良が美菜をじっと見つめる。


「……うん、ちょっと疲れたけど」


「そりゃそうだろ」


瀬良はため息をつき、美菜の手を取った。


「……今日は俺んち泊まってけ」


「え?」


「そのまま帰すのも気分悪い」


美菜は一瞬驚いたものの、瀬良の手の温もりを感じて、そっと頷いた。


「……じゃあ、お邪魔しようかな」


瀬良は無言で美菜の手を引き、そのまま夜の街を歩き出した。


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