Episode169
木嶋が持ってきたスイーツを受け取ったものの、さっきの流れをぶった切られた美菜と瀬良は、なんとなく気まずさを引きずっていた。
美菜は手の中のシュークリームを眺めながら、こっそり瀬良の様子をうかがう。
(……さっきの話、どうやって戻せばいいんだろ)
瀬良はプリンの蓋を静かに開けている。
表情は普段通りに見えるけれど、耳の赤みはまだ残っているし、さっきより口数が減っている気がする。
(……怒ってるわけじゃないよね? たぶん)
美菜がもじもじと考えを巡らせていると、木嶋がフォークを手に立ち上がった。
「あ!忘れてた!!先に俺、次の入客見てこようとしてたんだ!ちょっと見てくるからこれ食べられないように見張っててー!」
「え、あ、うん……」
テンション高く言い残し、木嶋はさっさとスタッフルームを出て行った。
「………………」
「………………」
再び訪れる沈黙。
美菜はシュークリームを手の中で転がしながら、なんとなく視線を瀬良に向けた。
瀬良もプリンを一口食べた後、美菜を見返してくる。
「……さっきの話」
不意に瀬良が口を開いた。
「えっ」
思わず肩をびくりとさせる。
まさか、もう戻ってこないと思っていた話題が再び出てくるとは思わず、美菜の心臓が跳ねた。
「お前の答え、途中だっただろ」
「え、あ……」
今さら改めて言われると、余計に恥ずかしくなる。
美菜はシュークリームの包装を指でいじりながら、ゆっくりと口を開いた。
「……うん、私も……いつかは、ほしいなって思う」
「そっか」
瀬良は短くそう返し、また静かにプリンを食べ始めた。
相変わらず表情はクールなままだったけれど、どこか満足げな雰囲気を感じる。
(……ちゃんと聞いてくれてたんだ)
美菜はそんな瀬良を見て、小さく息をつくと、ようやくシュークリームに手を伸ばした。
ふわっと甘い香りが広がる。
「……ねぇ」
「ん?」
「なんか、こういう話するの、ちょっと不思議だね」
「そうか?」
「うん。……でも、瀬良くんとなら、ちゃんと考えたいなって思う」
美菜が照れくさそうに言うと、瀬良は少し目を細めて、静かに微笑んだ。
「……俺も、そう思ってるよ」
それだけ言うと、またいつものように黙々とプリンを食べ始める瀬良。
美菜はその姿を見て、くすっと笑った。
さっきまでの木嶋の乱入が嘘みたいに、また二人だけの静かな時間が戻ってきた。
それがなんだか心地よくて、美菜はシュークリームをひと口かじった。
甘さが口いっぱいに広がる。
(……なんか、幸せだな)
そんなことを思いながら、昼休みの残り時間を瀬良とゆっくり過ごすのだった。
***
仕事が終わり、夜風が心地よく感じる帰り道。
瀬良と美菜は、いつものように並んで歩いていた。
仕事終わりの疲れがじんわりと体に残るが、それでもこの時間は嫌いじゃない。
特に今日は、昼間に交わした会話の余韻がまだ心の中に残っていて、どこか温かい気持ちだった。
「今日、やけに静かだな」
ふいに瀬良が口を開く。
「え?」
「いつもなら木嶋の話とかしてくるのに」
「……えぇ、なんでそこ……」
思わず苦笑する。確かに、いつもは仕事中にあった出来事を話したり、木嶋のテンションの高さに呆れたりするのが帰り道の定番だった。
でも今日は、頭の中にずっと瀬良の言葉が残っていた。
「……昼間のこと、考えてた?」
瀬良はまっすぐ前を見たまま、静かに問いかける。
「……うん」
正直に答えると、瀬良は少しだけ歩くスピードを緩めた。
「そんなに意外だったか?」
「……だって、瀬良くんって、あんまりそういうこと言わないから」
「まぁ……確かに」
彼自身も自覚はあるらしい。
でもだからこそ、昼間の「結婚」と「子ども」の話は、すごく大切にしてくれている言葉なんだと分かった。
「……でも、嬉しかったよ」
少し照れながらそう伝えると、瀬良はちらりと美菜を見て、ふっと小さく息をついた。
「なら、もうひとつ聞いていいか?」
「え?」
また、不意打ちのように投げかけられる言葉。
「同棲、する?」
——心臓が、一瞬止まった気がした。
「……え?」
思わず足を止める。
「同棲、しないか?」
瀬良は美菜の前で立ち止まり、こちらをまっすぐに見つめていた。
相変わらずクールな表情だけれど、その瞳はどこか真剣で、迷いがない。
「……なんで……?」
「お前と一緒にいる時間を増やしたいから」
さらりとそう言ってのける瀬良に、美菜の喉がきゅっと詰まる。
一緒にいる時間を増やしたい——
その言葉があまりにもストレートで、胸がいっぱいになる。
「……でも、そんな急に……」
「急じゃない」
「え……?」
「前から考えてた」
瀬良は視線を落とし、ポケットに手を突っ込んだまま、少しだけ言葉を選ぶように続けた。
「お前の家に泊まることも増えたし、俺の家にも来ることがある。でも、どっちかに行き来するより、一緒に住んだ方が楽だろ」
「……それは、まぁ……そうだけど……」
「それに——」
瀬良は一瞬言葉を区切り、美菜をじっと見つめた。
「……お前と、これからのことをちゃんと考えたい」
——もう、ダメだった。
美菜の視界が一瞬にして滲む。
「え、ちょ……え?」
自分でも驚くくらい、急に涙が溢れてきた。
こんなこと、全く予想していなかったのに。
「美菜?」
瀬良が少し驚いたように、美菜の顔を覗き込む。
「え、や、ちょっと……う、嬉しくて……」
なんとか誤魔化そうとするが、涙は止まらない。
瀬良はそんな美菜を見て、小さく息をついた。
そして、当たり前のように手を伸ばし、そっと美菜の頬を包む。
「……そんな泣くことか?」
「だ、だって……!」
「嬉しいなら、素直に喜べよ」
そう言って、瀬良の親指がそっと涙を拭う。
その優しさに、また涙が溢れそうになる。
「……うん」
美菜は必死に涙を拭きながら、ぎこちなく笑う。
「じゃあ……一緒に住む?」
もう一度、瀬良が確認するように尋ねる。
美菜は涙のせいで少し曖昧になった視界の中で、それでもしっかりと彼を見つめ——
「……住む……!」
こくりと頷いた。
その返事を聞いた瀬良は、ふっと小さく笑った。
「そっか」
それだけ言って、またいつものように歩き出す。
美菜も急いで涙を拭い、彼の横に並ぶ。
「……あ、でも、どっちの家に住むの?」
「それも考えてた。新しく借りる」
「えっ!? なんかもう、めっちゃ計画的じゃん……」
「当たり前だろ」
美菜は苦笑しながら、瀬良の横顔をちらりと見る。
(……本当に、瀬良くんと一緒に住むんだ)
まだ少し信じられないけれど、心の奥から幸せがじんわりと広がっていくのを感じた。
——これからの未来が、もっと楽しみになる。
そんな気持ちを胸に抱きながら、美菜はそっと瀬良の袖をつまんだ。
瀬良は何も言わなかったけれど、そのまま美菜の手を取り、ぎゅっと指を絡める。
月明かりの下、二人は繋いだ手の温もりを確かめながら、静かに帰路を歩いていった。




