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Episode168



お盆休みも終わり、少しずつ店内の雰囲気も通常の営業モードに戻りつつあった。

夏の余韻がまだ残るものの、忙しさもほどよく落ち着き、美菜はカラーを塗りながら、お客様と穏やかに会話を楽しんでいた。


「お盆休みはどこかお出かけされました?」


鏡越しに目を合わせながら尋ねると、お客様はクスッと笑いながら首を振る。


「うちはぜーんぜん! 強いて言うなら、子どもをプールやら習い事やらに連れて行って、それで終わっちゃったわ!」


「わあ、それはそれで大変そうですね」


思わず笑ってしまう。お盆休みといえど、世の中のお母さんはのんびり過ごせるわけではないらしい。


「そーよ? 河北さんもそのうち子どもができたら大変になるわよ?」


冗談めかした口調だったが、ふと、その言葉に美菜は少し考え込んだ。


「子どもかぁ……欲しいとは思いますけど、まだ全然想像できないですねぇ」


瀬良との子ども——そう考えてみても、まだ現実味が湧かない。

もし授かることができたら、それはきっと幸せなことだろう。けれど、自分が母親になる未来は、まだ漠然としていて実感が持てなかった。


「えー! 私は美菜先輩、絶対いいお母さんになると思いますよー?」


隣で一緒にカラーを塗っていた千花が、明るい声で話に加わる。


「どうしてそう思うの?」


「だって、後輩思いのいい先輩ですから!」


千花はにっこりと笑いながら、はっきりとそう言った。


「千花ちゃん……」


思いがけない言葉に、美菜は照れくさくなってしまい、思わず視線を逸らす。

千花の言葉が嘘ではないことはわかっている。けれど、「いいお母さんになれる」と言われるのはなんだかくすぐったかった。


そんな二人のやりとりを微笑ましく見守っていたお客様が、「いい関係ね」と優しく笑ってくれる。


「ふふ、ありがとうございます」


美菜も少し頬を染めながらお礼を言い、千花も嬉しそうに笑う。

会話の余韻を残しながら、美菜は再び手元の作業に集中した。



***



「……美菜」


「なにー?」


昼休み。

店内のスタッフルームで、美菜と瀬良は並んで座り、それぞれコーヒーを飲みながらスマホを見ていた。

特に会話もなく、静かな時間を過ごしていたところで、瀬良の何気ない一言が飛んでくる。


「子どもほしい?」


「——っ!?」


思わず口に含んでいたコーヒーを吹き出しそうになり、慌てて手で口元を覆う。


「なっ……!? 職場で話す話なの!?」


「いや、自分でさっきお客様と話してただろ……」


確かに、さっきまではお客様との会話でそんな話題になっていた。

でもまさか、こうやって瀬良から改めて問いかけられるとは思わず、心臓が跳ねる。


美菜は無意識に周囲を見渡した。

昼休み中のスタッフルームには、自分たち二人しかいないことを確認する。


「……子どもは、そりゃ授かれたら幸せだけど、今はなんというか……」


思わず赤くなりながら言葉を選ぶ。

未来の話をするのは嫌ではない。むしろ瀬良とそんな話ができる関係になっていること自体が嬉しい。

けれど、実際に母親になる自分を想像できるかと聞かれると、正直まだピンとこない。


そんな美菜の言葉を聞いた瀬良は、少し考えるようにコーヒーをひと口飲んでから、ぽつりと呟く。


「……俺は、そのうち結婚したら子どもは欲しいって考えてるよ」


「………………あ」


その言葉を聞いた瞬間、思わず美菜の脳内に「誰と?」という言葉が浮かびかけた。

けれど、それを問い返す前に瀬良の様子を見てしまう。


瀬良は相変わらずクールな表情を崩していない。

しかし、耳だけがほんのり赤くなっていて、無表情のままでも彼がどれだけこの言葉を口にするのに勇気を出したのかが伝わってくる。


(……私と、ってことだよね……?)


当たり前のように、未来の「結婚」の話をしている瀬良。

その中で「子どもがほしい」と言うのは、つまりそういうことなのだと、美菜は理解してしまった。


「あっ、うん! 私もだ……」


照れくさくなりながらも、どうにか返事をしようとした瞬間——


「おつかれぇえぇえい!! はい! 二人とも!! これコンビニ限定スイーツ!!! なんとこれ!!! ワールド・リーゼとコラボしてまぁぁあす!!!」


ドアが勢いよく開き、テンション高めの木嶋が乱入してきた。


「………………」


「………………」


タイミングが悪すぎる。


せっかくの美菜の返事が、完全に木嶋の声にかき消された。

思わず無言で木嶋を見つめる二人。


「あれ? なんか話し合ってたん?」


「……いや! いやいやいや! 大丈夫! わー! スイーツ美味しそー! てかワールド・リーゼとコラボってすごーー!!」


あまりの恥ずかしさに、美菜はとっさに変なテンションになってしまう。

まるで動揺を誤魔化すように、手を叩いて無理やり話題をスイーツの方に持っていく。


(……こういう時って、絶対木嶋さんが出てくるよなぁ……)


苦笑しながら瀬良を見ると、彼はどこか不満げな顔をしていた。

美菜の返事が途中で消えたことに気づいているのか、肩が微かに震えている。


「ワールド・リーゼとコンビニスイーツってどんな関係だよって感じだよなー! はい、瀬良きゅんはプリンね!」


「………………ありがとう!!」


瀬良の礼は、妙に力強かった。

若干怒気すら含んだその声に、美菜は思わず笑いそうになったが、木嶋は全く気づかず、いつものように楽しそうだ。


「どいたまどいたまー! 絶対二人が喜ぶと思ってさー! どう? 嬉しい?」


キラキラした目で二人を見つめる木嶋。


「ああ、嬉しいよ。ありがとう、木嶋」


棒読みのような淡々とした声で答える瀬良。

その態度からも、彼が心の底から呆れているのが伝わる。


「うんうん! はい! 美菜ちゃんにはワールド・リーゼのコラボシュークリーム! パッケージ可愛いよね!」


「ありがとう……!」


もはや流れに抗うことなく、美菜は素直に受け取る。

そんな彼女の視線が瀬良と重なり、二人とも思わずくすっと笑ってしまった。


「うんうん! ワールド・リーゼコラボは嬉しいよなぁ! あはは!」


木嶋は状況がよくわかっていないものの、楽しそうに笑っている。

それを見て、美菜は「まぁ、こういうのも悪くないか」と、心の中で小さく息をついた。


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