Episode166
お盆休みも、残すところあと一日。
今日は瀬良が家に来る予定だった。
(今日はお家デートだし、昨日お掃除しててよかったなぁ)
キッチンで紅茶を準備しながら、そんなことを考える。
昨日の夜の帰りに「明日家に行ってもいい?」と聞かれた。
突然の申し出ではあったけど、もちろん断る理由なんてない。むしろ嬉しかった。だから、即答で「もちろん」と返したのだった。
(瀬良くん、お菓子食べてくれるかな?)
事前に来るとわかっていたので、少しでも喜んでもらえたらと思い、クッキーを焼いてみた。
オーブンの余熱でまだほのかに温かいクッキーをひとつつまみ、口に入れてみる。
サクッとした歯ごたえのあと、じんわりとバターの香りが広がる。うん、いい感じに焼けた。
そんな風に満足していた矢先、ちょうどタイミングよく━━
ピンポーン……
インターホンが鳴る。
「はーい」
エプロンを外して急いで玄関へ向かい、扉を開けると、そこにはラフな格好の瀬良が立っていた。
昨日は帰省後の少し疲れた雰囲気だったけれど、今日はどことなくリラックスしているように見える。
「いらっしゃい。クッキー焼いてみたんだけど、お茶しよ?」
そう言って笑いかけると、瀬良は少し目を丸くしてから、眉を上げて問い返した。
「美菜の手作りってこと?」
「ふふっ、そうだよ」
瀬良は「そっか」と言いながら靴を脱ぎ、部屋へと上がる。
手を洗い終えると、いつもの定位置に座り、静かに出てくるのを待っている。
その様子がなんだか可愛らしくて、思わずクスッとしてしまった。
(なんか、出てくるのを待ち遠しそうにしてる幼稚園児みたい……)
足をそろえて、ほんの少し前のめりになりながら、じっとこちらを見ている瀬良。
普段のクールな雰囲気とのギャップが愛おしくて、胸がきゅっとなる。
「……なんか失礼なこと考えてただろ」
じとっとした視線を向けられ、思わずハッとする。
まさか顔に出ていたのだろうか。
「可愛いなぁって思っただけだよ?」
にこっと微笑むと、瀬良は小さくため息をついて、ぼそっと「……そんなん言われたら食いづらいんだけど」と呟いた。
けれど、どこかまんざらでもなさそうな様子に、美菜は心の中で小さく笑うのだった。
***
「……昨日の服、今日は着ないの?」
お茶を終え、ソファに座る瀬良が何気なく問いかける。
「洗濯して乾かしてるけど、そんな二日も続けて着ないよ〜」
美菜は軽く肩をすくめながら答えた。ノースリーブの白いトップスは確かに可愛いが、連日着るのはさすがに気が引ける。
「そっか」
瀬良はそれ以上何も言わなかったが、何か言いたげな雰囲気を滲ませている。
「……あ、もしかしてあの服着てる姿が見たかったとか?」
冗談めかして言ってみると、瀬良はまるで当然のように、至って真面目に頷いた。
「うん。俺だけに見せてって昨日言ったから、今日も着てくれるかなって」
「…………ひゃい……」
思わず情けない声が漏れる。あまりにもストレートすぎる。
瀬良が何気なく言う言葉は時々妙に破壊力があって、美菜の心臓を無駄に暴れさせる。顔が熱くなるのを感じながら、美菜は「ちょっと待ってて」と言い残し、洗濯済みのトップスに着替えに行った。
(ノースリーブってだけで別になんか変なことないんだけどな……)
自分に言い聞かせるように思いながら鏡の前に立つ。確かにタイトなシルエットではあるけれど、別に露出が激しいわけではない。それでも瀬良の視線を思い出すと、なんだか妙に意識してしまう。
「……よし」
気合いを入れて部屋を出る。
「お待たせー……瀬良くん、これが見たかったの?」
リビングに戻ると、瀬良は少し満足げに目を細めた。
「……うん、似合ってるよ。こっちきて」
そう言って、瀬良は自分の膝の上をぽんぽんと叩く。
「え、ここに?」
「うん」
今日の瀬良はやけに素直だ。美菜は少し戸惑いながらも、言われるがままに瀬良の膝の上に座る。すると、腕がすっと回され、すっぽりと包み込まれる形になった。
「べ、別に変じゃないよね!?」
「……ああ、似合ってるって」
美菜の髪の香りを吸い込みながら、低く囁くように言う。距離が近すぎる。甘えてくるのはいいが、恥ずかしすぎる。
「でもこの服、家デートだけな」
「……え?」
「例えば……」
瀬良の指が美菜の肩から脇にかけて滑る。
「……きゃっ!」
思わず身を縮こませると、瀬良はさらに指先を這わせるように動かす。
「木嶋も言ってたけど、こうやってエロいこと男は考える可能性だってあるから」
「ちょっ……!?」
脇から胸の方へと指が移動し、タイトな生地越しに美菜のラインをなぞる。
「美菜は体のラインが出る服を着ると、目立つんだよ。華奢な体つきのくせに、成長いいから」
「ちょ!?ちょっと!」
軽く胸のアンダーを人差し指でなぞられ、びくっと身体が跳ねる。
「あとこの服、白いから下着のライン、近くで見ると浮き出てる。色は透けてないけど、ここにホックがあるの分かるよ」
「……あっ!」
耳元でわざと囁くように話す。そして、指先が下着のホックに触れたかと思うと、ふいに外された。
「!? 瀬良くんっ……!」
驚きと羞恥で声が裏返る。
「美菜が変な目で他の男に見られるのって、なんか腹立つ。好きな服着ていいけど、このタイプの服は俺だけの時にして?」
「……あっ……!もう!!!分かったから!分かったから瀬良くん!」
パニックになりながら、何とか身を捩って逃れようとする。だが、その瞬間——
「んっ……!」
耳元に甘噛みされ、美菜の体がびくっと震える。
「いじわる……」
「いじわるしてる」
瀬良はくすっと笑いながら、美菜をぎゅっと抱きしめ直す。
「……もう、ほんとにいじわる」
「ん? 嬉しそうに言うなよ」
「言ってない!」
言い返しながらも、ふと目が合う。瀬良は相変わらずクールな表情だけど、その目元はどこか優しく、愛おしさが滲んでいる。
結局、美菜も思わず笑ってしまうのだった。
「……ほんとにもう」
美菜はぷくっと頬を膨らませながら振り返り、瀬良の胸を軽く拳で押す。
が、瀬良は微動だにせず、そのまま美菜を腕の中に閉じ込めたまま離さない。
「いじわるするのは、美菜が可愛いから」
「……っ!」
さらっとそんなことを言うから困る。言われた美菜は、また顔が熱くなるのを感じながら、視線を逸らした。
「もう知らない」
そっぽを向いてみるが、瀬良の腕の中では大した抵抗にもならない。
「……知らなくてもいいけど、まだ離す気ないから」
耳元で囁かれ、美菜はピクリと肩をすくめる。瀬良の声は落ち着いた低音なのに、なぜか耳に残る。それに、こんな風に抱き寄せられていると、瀬良の体温や心音がじかに伝わってきて、落ち着かない。
「瀬良くん……そろそろ、動けなくて辛いんだけど……」
「ん、どこか痛い?」
「そ、そういうことじゃなくて! ゆっくりしたいのに、ずっとこうされてたら落ち着かないっていうか……」
「……俺は落ち着くけど」
「えっ」
思わず聞き返す。瀬良は美菜の肩に額を預けるようにしながら、ゆっくりと息を吐いた。
「美菜の匂い、落ち着く」
「…………」
ダメだ、これ以上顔が熱くなると本当にどうにかなりそう。
「じゃあ、少しだけ」
仕方なく、美菜は瀬良の肩にもたれかかる形で寄り添う。こうしていると、瀬良の静かな呼吸が聞こえ、心なしか腕の力がゆるんだ気がした。
「……瀬良くん、なんか眠そう」
「ん……」
「ちょっと仮眠する? 今日は予定無いんだよね?」
「……そうだな。てか、このままでも寝れる」
「ええっ……」
こんな体勢のまま? と驚いたが、瀬良は既に目を閉じている。
(本当に寝る気なの……?)
心配になって顔を覗き込むと、ゆっくりとした呼吸に合わせて、瀬良の肩がわずかに上下している。どうやら本当にリラックスしてしまったらしい。
「……もー……」
美菜は小さくため息をつくと、そっと瀬良の髪を撫でた。
「いじわるなのに、こういうときだけ無防備なんだから……」
瀬良の寝顔は、起きているときのクールな雰囲気とは違い、どこか穏やかで優しげだ。
「……おやすみ、瀬良くん」
美菜もそっと目を閉じる。瀬良の腕の中は、思っていたより心地よくて、いつの間にか美菜も眠りに落ちていった。




