Episode163
翌日、美菜は東京の自宅に戻ってきて、ベッドに寝転びながらスマホをいじっていた。旅行の疲れが心地よく残る中、スマホのアルバムを開き、撮り溜めた写真を一枚一枚見返す。
瀬良家の一員として笑い合った時間、綺麗な景色、美味しい食事……そのすべてが楽しい思い出となって心に残っていた。
「やっぱり旅行っていいなぁ……」
ふと呟きながら、美菜は画面をスクロールする。瀬良と並んで撮った写真を見つけると、自然と笑みがこぼれた。
(一人の時間も大切だけど、みんなで過ごすのも楽しいよねぇ……)
一通り写真を見終わると、美菜は軽く伸びをして、旅行の荷物を整理し始めた。
「えーっと、お土産の整理もしないとね……これはお店で配るやつで……これは田鶴屋さん、これは千花ちゃん、で、これは木嶋く……」
木嶋の名前を口にした瞬間、ふとを思い出したように手が止まる。
「……そういえば、木嶋さんの配信通知きてたな」
そう呟くと、美菜はスマホを手に取り、配信アプリを開いた。木嶋は相変わらず『ワールド・リーゼ』をプレイしているようだ。画面には、彼が得意げに操作する姿と、にぎやかなコメント欄が映っている。
「どんな感じかなー」
軽い気持ちで画面をタップしようとしたその瞬間、誤ってコメント欄に文字を打ち込んでしまった。
【ら】
「あ! 間違えて押しちゃった!?」
動揺する美菜だったが、時すでに遅し。コメント欄にはすぐさま反応が溢れ出す。
【みなみちゃんって、あのみなみちゃん!?】
【みなみちゃん!?】
【偽物?】
【みなみちゃんキタ━━━━(゜∀゜)━━━━!!】
【みなみちゃんって誰?】
リスナーたちの間に、一瞬で騒ぎが広がっていった。
「や、やば……」
美菜は慌ててコメントを打ち直す。
【ごめんなさい、押し間違えました】
(これで大丈夫……)
ホッと息をついたのも束の間、コメント欄は収まるどころか、さらにヒートアップしていく。
【www】
【押し間違えwww】
【草】
【見てました!って言ってあげてwww】
【酷すぎワロタ】
【漆黒の木嶋、興味なしッ!!】
【みなみちゃーん!(^^)】
【wwwwww】
「えぇ……なんか笑われてる……?」
みなみちゃんの配信では、こういう流れにはならない。彼女のリスナーは比較的穏やかで、たとえ誤爆しても「どんまい!」で済むことが多い。しかし、木嶋のリスナーたちは違った。完全にネタとして面白がられ、盛り上がっている。
「んあ? みなみちゃん来たのー?」
遅れてコメント欄を確認した木嶋が、ゲーム画面を見つめながら呟く。そして、コメントを遡って内容を把握すると、吹き出すように笑った。
「わろた、【ら】ってなに?」
どうやら試合に集中していたせいで、コメントの流れには気づいていなかったようだ。それでも彼なりに状況を理解し、おかしそうにクスクス笑っている。
「てか、みなみちゃん、この後一緒にやるー? Irisが返事くれなくてさー……あ、いてっ……!」
ゲーム内で敵の攻撃を食らったらしく、木嶋がちょっと痛そうに声を漏らす。
「アタッカーってできるっけ?」
その言葉を聞いた美菜は、一瞬迷ったものの、チャンスだと思いコメントを送る。
【アタッカーあんまりしないけど、これを機に是非!】
この流れなら、木嶋にサポートしてもらいながら一緒にプレイできるかもしれない。普段はサポート側になることが多い彼に、逆にサポートしてもらうのは新鮮だった。
【うおおおお! みなみちゃん参戦!!】
【アタッカーみなみちゃんくる!?】
【コラボ決定?】
【神回確定】
コメント欄も一気に盛り上がりを見せる。
「はい勝ちー!」
木嶋が試合に勝利し、満足げに喜ぶ。そして、改めてコメント欄を確認し、美菜のメッセージを見つけると、ニッと笑った。
「お、なら一緒にしよしよ! コラボ待ってまーす!」
さっきまでのふざけた雰囲気とは打って変わり、いつもの軽快なノリで返事をする木嶋。その声を聞きながら、美菜は思わずスマホを握りしめた。
(……なんか、楽しみかも)
配信の画面越しに、これから始まるコラボへの期待が高まっていくのを感じていた。
***
「えーっと、今日は急遽決まったコラボなんですけど……なんと! 漆黒の木嶋さんと一緒に ワールド・リーゼ をプレイさせていただきます!」
みなみちゃんがいつもの明るいトーンでそう告げると、コメント欄が一気にざわついた。
【え!? 漆黒の木嶋!?】
【突然すぎる】
【サポ専みなみちゃんがアタッカー!?】
【神コラボきた】
【プロゲーマー木嶋とVTuberみなみちゃんのタッグ……!?】
ワールド・リーゼはアタッカーとサポートが2対2で戦うゲーム。今回は、プロゲーマーである漆黒の木嶋がサポート、みなみちゃんがアタッカーを担当することになった。いつもはサポートに回ることが多いみなみちゃんにとって、これは珍しい挑戦だ。
「じゃあ木嶋さん、よろしくお願いします!」
「こちらこそ! いやー、まさか今日みなみちゃんと一緒にやれるとは思ってなかったなぁ!」
軽快なやり取りが交わされる中、試合がスタートする。画面の向こうでは、木嶋――いや、美菜にとっては職場の仲間である木嶋友陽が、サポートとして的確に動き始めた。だが、配信中の今はあくまで「漆黒の木嶋」と「みなみちゃん」という関係だ。
(なんだか職場で話すのと違って、変な感じ……)
そんなことを思いながらも、みなみちゃんはすぐにゲームに集中する。
「みなみちゃん、前出れる?」
「はいっ!」
木嶋の指示に合わせて、前線へと突っ込む。彼のサポートが的確すぎて、思ったよりもスムーズに動ける。バフやヒールのタイミングも完璧で、まるで背中を預けてもいいと言わんばかりの安心感があった。
「アタッカー上手いねみなみちゃん!」
「え! そうかな? えへへっ、嬉しいです!」
【おお】
【上手い!】
【サポ専の女とは思えない】
【やっぱ木嶋のサポートが上手いんだろ】
視聴者たちも盛り上がる中、みなみちゃんは敵を的確に狙い、ダメージを与えていく。
「みなみちゃん! ウルト!!」
「はい!」
木嶋の掛け声に反応し、すぐさま必殺技を発動。閃光と共に敵チームのHPが一気に削られ、戦況が一気に傾く。木嶋のサポートも完璧で、試合はそのまま彼らの勝利に終わった。
【ナイス!!】
【8888888】
【今の連携やば】
【まじでプロレベル】
「やるねー! みなみちゃん!」
「いや! 漆黒の木嶋さんのおかげですよ!」
「いやいや、みなみちゃんのおかげですよぉ!」
【謙遜か】
【いいウルトでした】
【褒めあって伸ばす】
【茶番やめろ】
【はい勝ちー】
リスナーたちのテンションも最高潮だ。
「おお、俺こんなにコメント早く流れるの見たの初めて……」
「お互いのリスナーさんが集まってくれたんだね! ありがとうございます!」
コメント欄には、木嶋のリスナーとみなみちゃんのリスナーが混ざり合い、それぞれの視点からの感想が飛び交っていた。
「すげー! ……【木嶋のサポ専が上手いのかみなみちゃんが上手いのか】……はあ!? 俺だろ!! 俺のおかげだろ!! 見てたか!??」
「あははっ! どうだろう? 私かもよ?」
「いやいやいやいや! こちとらプロゲーマーだぞぉ!? みなみちゃんが上手いのは認めるけど!! 俺のサポートがなかったらどうなってたか分かんないでしょ!?」
【キレ芸きた】
【茶番すな】
【いや、ガチで木嶋のサポ専が上手すぎる】
【どっちもすごい!】
絶妙な掛け合いに、視聴者たちは爆笑しながらコメントを投下する。二人の軽妙なやり取りが、配信をさらに盛り上げた。
***
試合が始まってしばらくすると、美菜と木嶋は明らかにおかしな動きをするプレイヤーとマッチングしてしまった。
敵チームのサポートが、わざと味方アタッカーの邪魔をするように立ち回り、回復すべき場面で何もしなかったり、むしろ敵に近づいて自滅するような行動を繰り返していた。
そのせいで相手のアタッカーたちは思うように動けず、完全に翻弄されてしまっている。
【うわ、なにこのサポート】
【敵チーム可哀想すぎる】
【これ、わざとだよね?】
【こういうのほんとやめてほしい】
美菜も最初は「動きがちょっと変だな」と思っていたが、すぐに確信した。
――これは、いわゆる”トロール”だ。
わざと負けるような行為をするプレイヤー。勝ち負けを競うゲームにおいて、これほどチームメイトにとって迷惑な存在はない。
それだけでなく、そのプレイヤーはゲームのチャット欄でも暴言を吐き始めていた。
『プロと当たって萎えた』
『プロが一般人とガチにすんなよwww』
美菜の配信を見ていることは明らかだった。
『お前の配信見たけどリスナーにチヤホヤされてて草』
『ゲームにガチになっててわろた』
『女も女で守られててただのメスプレイヤーって感じ』
その言葉を見た瞬間、美菜はゾッとした。
単なるトロール行為に留まらず、露骨な侮辱を混ぜて煽っている。
(こんなことを言う人がいるんだ……)
コメント欄も荒れ始めていた。
【なんだこいつ】
【通報しよ】
【普通にアウト】
【いけ!運営に通報だ!】
【トロールきも】
普段は和やかな雰囲気の配信なのに、今はいつものリスナーたちも怒っているのが伝わってくる。
美菜はこういう雰囲気が苦手だった。
(えぇ……どうしよう……)
配信者として、こういう荒れた空気を落ち着かせるべきなのはわかっている。
だけど、どう言葉を選べばいいのか分からなかった。
「えっと……その……」
とりあえず何か言おうとしたが、言葉に詰まる。
困っている美菜の横で、木嶋が淡々と言った。
「こういう対戦ゲームでトロールする奴は、もうその時点で負けを認めたのと同じだからね。つまり、もはや俺たちの勝ち」
言葉とは裏腹に、木嶋の声はどこか楽しげだった。
そして、サポートでありながらも積極的に攻め込み、トロールプレイヤーを倒していく。
美菜も気を取り直し、木嶋に合わせて攻撃を仕掛けると、すぐに試合は終わった。
リザルト画面が表示され、試合の勝敗が決まる。
【なんか酷いやつと当たったね】
【次行こ次】
【トロールプレイヤーさーん、見ってるぅ〜?】
木嶋は特に気にした様子もなく、明るい声で言った。
「久々にトロール見たなぁ……まあ、気にせず次行こっか。こういう奴って、構われるだけで嬉しくなっちゃうから、スルーが一番なんだよね」
その言葉に、リスナーたちも冷静さを取り戻し始めた。
【わかった】
【おけ】
【おk】
【はーい】
「ま、でも通報はしとこっか!ゲームはみんなで楽しむもんだからさ、こういうのは運営に任せよう」
そう言いながら、木嶋は通報の手続きを済ませ、美菜もそれに倣う。
彼の軽やかな言葉で、さっきまで荒れていたコメント欄も、少しずついつもの雰囲気に戻っていった。
「じゃあ、次の試合行くよー!みなみちゃん、大丈夫?」
「うん!大丈夫!」
笑顔でそう返しながら、美菜はふと木嶋のことを考えた。
(……慣れてるのかな)
自分はまだ、こういう荒れた場面に対処するのが苦手だ。
でも木嶋は、まるで慣れているかのように落ち着いて、そして的確に流れを変えてしまった。
彼の言葉一つで、空気がガラッと変わる。
(やっぱり木嶋さん、すごいな……)
美菜は心の中でそう思いながら、気を取り直して次の試合へと進んでいくのだった。




