Episode139
病院を出ると、外の空気が気持ち良く肌に触れる。美菜は左手の包帯を気にしながら、二人の様子をうかがった。
瀬良は腕を組んで無言のまま歩き、伊月はどこか余裕のある笑みを浮かべている。
(……うん、とりあえず喧嘩にならなかったのはいいけど、これはこれで気まずいな……)
少しでも雰囲気を和らげようと、美菜は明るめの声で話を振る。
「えっと……どこのカフェにする?近くにいいところあったっけ?」
「そこの駅前のとこでいいんじゃねえの」
瀬良がぶっきらぼうに答えると、伊月が少し考えるそぶりを見せた。
「あぁ、あそこ? まぁ悪くはないけど……せっかくなら、もうちょっと落ち着いたところにする?」
「どこでもいいだろ」
「ふーん……そんな適当でいいんだ?」
「うるせえ」
「はいはい、喧嘩しないの!」
美菜が慌てて二人の間に割って入ると、伊月がくすっと笑う。
「ごめんごめん、美菜ちゃん。じゃあ、瀬良くんの言うとおり、駅前のカフェでいいよ」
「……最初からそうしろ」
結局、瀬良の意見で駅前のカフェに向かうことになった。
***
カフェに着くと、三人は窓際の個室に腰を下ろした。
店内は比較的落ち着いている。注文を済ませ、ひと息ついたところで、美菜はずっと言えなかったことを切り出す決意を固めた。
(怒るかな……いや、でも話さないと……)
そう思いながら、緊張した面持ちで視線を落とし、ぎゅっと指を組む。
「えっと……瀬良くんに話したいことがあるんだけど……」
その様子に、瀬良と伊月が同時に美菜へと視線を向けた。
「なんだ?」
「うん、実はね……この間のカスタムに参加してたチョコパンって、覚えてる?覚えてたらね……それ、私なの」
その瞬間、瀬良の動きが止まった。コーヒーカップを持っていた手がぴくりとわずかに動く。伊月は少し驚いたような表情を見せた後、面白がるように微笑んだ。
「へぇ……今話すんだ」
「う、うん……」
美菜は申し訳なさそうに頷く。
「ちょっとあの時木嶋さんの配信見てて、二人と遊びたくなって……でも、美菜とか、みなみちゃんの名前のアカウントだとダメだと思って、あえてサブ垢にしたんだ……」
瀬良は無言のまま、美菜をじっと見つめている。表情から感情を読み取るのは難しい。怒ってるのか、それとも……。
「それでさ、ついでに言うと実はあの時戦ってたBlack Mintって、俺」
ふいに伊月が口を挟んだ。
「は……?」
伊月の言葉に瀬良が戸惑いながらも思い出す。たしかにカスタム対戦したとき、レベル1の組み合わせプレイヤーがいた。あれが伊月と美菜だったなんて。
「あ、先に言っておくけどさ、僕が狙って一緒にゲームした訳じゃないよ?」
「………そんな都合のいい展開あるわけ」
「……私もそう思ってたけど、本当に偶然みたいで、通話繋げてゲーム終わるまでは知らなかったの」
美菜は偶然すぎる事実をありのまま話す。
瀬良はこんな事を信じてくれるだろうか。
しかしこれは嘘でも何でもないので信じてもらうしかない。
「美菜ちゃんは本当に知らなかったんだよ。でも偶然チームが一緒になって、ゲームしてただけ。まあ僕は繋いで直ぐに分かったけど、あえて言わなかっただけだけどね。」
「…………」
「それでね、伊月さんが試合後に話してくれて、色々あったけど、ゲーム友達というか、和解したというか...伊月さんが変わってくれてるって思ったから…」
「僕もみんなとこれを機に仲良くしたいなぁって」
伊月が楽しそうに微笑む。その表情はいつもの余裕ある態度と変わらないけれど、美菜には、彼なりの気遣いが見える気がした。
「……うん」
「美菜の言いたい事は分かったよ。」
瀬良が静かに美菜の方を向いて笑う。
その瀬良の表情を見て、伊月は驚いた。
(こいつ……美菜ちゃんに態度変わりすぎだろ)
美菜にはとことん優しく接していると感じる。
━━━━自分がそうしているように。
「その……皆に話そうとしたんだけど、仕事が忙しくて、なかなか言うタイミングがなくて……」
「それで、怒られると思ってビクビクしてたのか?」
瀬良は腕を組みながら、美菜をじっと見つめた。
「……うん」
俯いたまま小さく答えると、瀬良の指がすっと美菜の手に触れた。驚いて顔を上げると、彼は呆れたように、それでいて優しく微笑んでいた。
「バカだな。怒るわけねぇだろ」
「え……?」
「そもそも、二人でたまたまゲームしただけだろ? 別に悪いことしてるわけじゃねぇし」
瀬良の言葉に、美菜は目を瞬かせる。
「でも……色々話せてなかったし……」
「正直店の全員忙しかったし、話す機会は無かっただろ。それに俺も聞く余裕あの時は無かったし...それなら仕方ねぇよ。」
瀬良は当然のようにそう言って、軽く美菜の髪をくしゃっと撫でた。
「美菜がそんな怯えながら話すほどのことじゃねぇよ」
その優しさに、美菜の肩の力がふっと抜ける。
「……そっか……」
思わず何故か涙が出そうになって、慌ててコーヒーを一口すする。
「……ちょっと! 俺の時とは反応が違わない?」
伊月が拗ねたように口を尖らせるが、瀬良は「お前はどうでもいい」と一蹴した。
「ひどいなぁ」
伊月が肩をすくめるが、どこか楽しそうだ。
こうしてずっと話したかった事も話せ、美菜はようやく安心してコーヒーを口にした。
美菜がほっとしたようにコーヒーを口にする横で、伊月がわざとらしくため息をついた。
「瀬良くんさ、やっぱり美菜ちゃんには甘すぎない? 俺には冷たいのに」
「当たり前だろ、お前と違って彼氏だからな」
即答する瀬良に、伊月はわざと傷ついたような表情を作る。
「えー、そんなに差をつける? 僕たち皆で大会を乗り越えた仲じゃない?」
「だからって俺が優しくする理由にはならねぇ」
「うわぁ、冷たい」
伊月が肩をすくめながら、からかうように笑う。
「でもさ、瀬良くんって意外とこういう時ちゃんと話聞いてくれるんだね。ちょっと意外だった」
「どういう意味だ」
「んー? いつもクールでツンケンしてるイメージだからさぁ」
「お前の前でそうなるのは、お前のせいだろ」
「僕は改心したのさ。もうあの頃とは違うよ?人間学んで成長していくものさ。」
「自分で言うなよ……」
瀬良が呆れたように額に手を当てる。そのやりとりを聞きながら、美菜は小さく笑った。
「ふふっ、でも、なんかいいね。こうして話してると、瀬良くんと伊月さん、ちょっとずつ仲良くなってる気がする」
「え、そう? 俺は前から瀬良くんのこと気に入ってるんだけど」
「は? 俺は別にお前のこと気に入ってねぇけど」
「えー、そんな素直じゃないとこも可愛いよねぇ」
「おい、殴るぞ」
「おー怖い怖い。」
伊月が茶化しながらも、友好的な態度をとる。
瀬良は小さくため息をついた。
「……まあ、お前が以前よりは話が通じるとは思う」
「おっ、認めたね?」
「うぜぇ……」
瀬良が眉をひそめるが、完全に拒絶するような雰囲気ではない。それを感じ取った伊月は、満足そうに笑った。
「ま、これからもよろしくね、瀬良くん」
「勝手に決めるな」
そう言いながらも、瀬良の口調はどこか柔らかかった。
美菜はそんな二人のやりとりを微笑ましく眺めながら、穏やかな気持ちでカップを両手で包み込んだ。
***
伊月とのやり取りがひと段落したころ、美菜はふと思い出したように口を開いた。
「そういえば、あのカスタム試合のことなんだけど……」
「ん?」
瀬良と伊月が同時に美菜を見た。
「ワールド・リーゼのカスタム、あの時の試合、すごかったよね。伊月さん、最後の1vs1で勝ったじゃん」
「美菜ちゃんに褒められると嬉しいなぁ。」
伊月はどこか得意げに微笑みながら、美菜の言葉を噛み締めるように頷いた。
「あ、そうだ伊月、お前のアカウントもサブ垢か?」
「ん?あぁ、実はさ、あの時が僕、ワールド・リーゼ初プレイだったんだよね」
伊月が得意げに言うと、瀬良は思わず動きを止めた。
「……は?」
「いやぁ、ずっと興味はあったんだけど、やる時間がなくてさ。でも、ちょうどいい機会だったし、やってみたら思ったより良かったよ」
「初プレイであの動き……?」
瀬良が訝しげに目を細める。
「いや、普通におかしいだろ。立ち回りも攻撃のタイミングも良すぎた。マップの理解度も初見プレイにしては異常だっただろ」
「私が通話しながら教えたのは基礎知識の応用のちょっとだけで、確かに伊月さんってほとんど説明なくても理解してたよね...?」
瀬良はさらに眉をひそめた。
「特に、お前の俺を倒したあの動き……もしかして……」
「ん?」
「俺の動き、参考にしたりしてねぇよな?」
瀬良がじっと伊月を見つめる。
その瞬間、伊月の表情がハッと変わった。
(そうだった...!こいつがIrisだ……!)
「……………」
「……やっぱりか」
瀬良が呆れたようにため息をつく。
「お前の選んだチャンプとか動きとか、まんま俺すぎて気持ち悪い」
「……言われてみれば、確かにそうだね!……だから私、はじめて一緒にしたはずなのに合わせやすかったのかも!」
美菜も驚いたように口元に手を当てる。
「まあみなみちゃんの為に見てた時期は...あったかな...多分」
「……ふーん」
「いやでもさ、あれだよ! 無意識に動きを真似てたのかもね」
伊月がどこか申し訳なさそうに言うと、瀬良は頭を軽くかきながら苦笑した。
「……そりゃ、どっかで見た動きだと思ったわけだ」
「うわー、まさかこんなところでバレるとは」
伊月が苦笑いしながら美菜を見る。
「美菜ちゃん、僕がIrisくんの動きを真似て勝ってたって、どう思う?」
「え、すごいと思う!」
美菜が純粋に感心したように目を輝かせると、伊月は嬉しそうに笑った。
「やっぱり美菜ちゃんは分かってるなぁ」
「……お前、もうちょい自分で考えて動けよ」
瀬良が呆れながらも、どこか少しだけ誇らしげな表情を浮かべる。
「まあまあ、せっかくのいい師匠がいたんだから、使わない手はないでしょ?」
「誰が師匠だ」
「実質そうでしょ?」
「うるせぇ」
そんな言い合いをしながらも、瀬良と伊月の間には少しだけ奇妙な親近感が生まれていた。
***
「ねぇねぇ……」
「うん…そうだよね」
「行こうよ……」
伊月と瀬良の会話を聞いていると、突然三人の若い女性が駆け寄ってきた。
「あっ、あの!伊月海星さんですよね!? いつも応援してます!」
「わたし、ずっとファンなんです! 今日会えるなんて運命かも!」
「サインとかってもらえたりしますか?」
きらきらとした瞳で見つめる彼女たちに、伊月は一瞬驚いたようだったが、すぐにいつもの柔らかな笑顔を浮かべた。
「ありがとう。応援してくれてたんだね、嬉しいよ」
さらりとした物腰で丁寧に応じる伊月。
ファンの一人ひとりと目を合わせながら、穏やかに言葉を交わしていく。その姿は、普段の余裕たっぷりな態度とは少し違って、思ったよりも誠実そうに見えた。
そして、ひとりの女性が少し恥ずかしそうに、小さな紙を差し出した。
「これ……!よかったら連絡ください」
電話番号が書かれているのだろう。
伊月は一瞬だけ戸惑ったようだったが、美菜が隣にいるのを意識したのか、紙を手に取りながらも、穏やかな声で言った。
「ごめんね。せっかくだけどこういうのはお断りしてるんだ」
断るときですら優しさを忘れないその態度に、女性は少し残念そうだったが、それ以上無理に押し付けることはなく、軽くお礼を言って立ち去っていった。
「あ……紙返すの忘れてた……」
渡された紙を伊月は仕方なくポケットに入れため息をつく。
美菜は隣でその一部始終を見ていて思う。
(……意外と、ちゃんとしてるんだな)
いつもどこか飄々としていて、美菜には執拗なくらい絡んでくる伊月だが、ファンに対しては誠実な対応をしているようだった。やはり根は悪い人ではないのかもしれない。
「ふふっ、美菜ちゃん、そんなに俺のこと見てどうしたの?」
「……え!?いや別に!ただの芸能人観察」
「観察? ふふ。俺に興味あるってこと?」
「違うだろ、こんな芸能人お決まりシーン見せられたら俺でも見るわ」
「ハハハ……まあ元芸能人ね」
伊月は苦笑して紅茶を飲み干す。
「帰りは二人で帰れる?美菜ちゃん、送ろうか?」
「ううん、瀬良くんと…2人で帰りたい」
「そっか、なら今日はこれで。またね、美菜ちゃん、瀬良くん」
今度は笑顔でそう言うと、伊月は伝票を持って席を立って居なくなってしまった。
「あっ、伝票……」
「……キザな奴……」
瀬良もコーヒーを飲み干すと美菜に「帰るか」とだけ言い席を立つ。
美菜も残りのコーヒーを飲み干し、席を立った。




