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Episode137



サロンの扉を開けると、まだ静かな店内に朝の空気が漂っている。


「おはよーございまーす!」


軽やかな声とともに千花が先に出勤し、カウンターの内側で書類を整理していた美菜に挨拶する。


「美菜先輩、おはようございます!」


「おはよう、千花ちゃん」


千花は微笑みながら荷物を置きにロッカーへ向かっていった。


「美菜、その仕事終わったらちょっと声掛けて」


「ん?うん。分かった」


クランプを片付けながら瀬良が美菜に一言かける。

瀬良はそれだけ言うと居なくなってしまった。


「おはよー」


「おはようございます、田鶴屋さん」


そろそろ皆が出勤の時間なのか、続々と集まる。

田鶴屋はコーヒーを片手にちらりとこちらを見てくる。


「河北さん…メイク変えた?」


「……いえ?変えてませんけど?」


その何気ない問いかけに、美菜は一瞬だけポカンとする。

何故田鶴屋がそんな事を聞いてくるのだろうか。


「んー……ならなんか悩み事が解決したとか?」


「悩み事……悩んではなかったけど、そういえばなんだか解決はしました」


「何だそれ!でもまあ良かったねぇ〜」


いつものようにひらひらと手を振りながら田鶴屋もロッカーの方へ消えていく。


確かに伊月との一件が昨日解決したような気もするが、そもそも気にしてもいなかったつもりだ。

しかし心のどこかで引っかかっていたのだろう。

伊月の改心により不安が消えたのかもしれない。


(あとでみんなに話してみなきゃ……)


美菜は少し嬉しく思っている自分の気持ちを感じながら、残りの書類をまとめた。



***



あれから数日が経った。


サロンはありえないほど忙しく、伊月の件を話す暇すらなかった。夏の忙しさに加えて、大会の影響が未だに続いており、店内は連日満席の状態が続いている。


「お客様、シャンプー台ご案内しますね!」


千花の明るい声が響き、スタッフは慌ただしく動いていた。


「美菜先輩、次カットお願いします!」


「はーい!ありがとうございます!」


美菜は手早くセットを整え、次の客へと意識を向ける。


隣のセット面では瀬良も黙々とカットを続けている。無駄な動きがなく、クールな表情のまま手を動かすその姿は、相変わらず隙がなかった。


「ふぅ……」


一瞬の隙を見て息をつくと、向かいにいた田鶴屋がカラーカップを混ぜながらこちらを見ていた。


「河北さん、バテてない?」


「……正直、ちょっと疲れました」


軽く苦笑すると、田鶴屋は「そりゃそうだ」と肩をすくめる。


「まあ、しばらくは仕方ないな。この波、続きそうだし」


「そうですね……」


(本当に、落ち着く気配がないな……)


伊月の件を話すどころか、プライベートの会話すらままならないほど、サロンは毎日フル回転だった。


そんな中、田鶴屋がふと美菜の肩を叩く。


「休憩、あとで行っとけよ」


ぽつりとそう言われ、美菜は思わず笑ってしまった。


「田鶴屋さんもですよ」


「俺は最後でいいから〜」


そっけない言葉の裏に、彼なりの気遣いが見え隠れする。


(今日も私はお昼食べる時間ないかなぁ……)


限られた営業時間の中で、美菜は後輩のアシスタント達を率先して、交代制で休憩に入れるようにいつも指示をする。


それは田鶴屋がそうしてくれていたからだ。


美菜もアシスタントが潰れないように、千花や皐月、百合子によく声をかけてあげていた。


誰に頼まれた訳でもないが、田鶴屋がそうしてくれたように、美菜もそうしたかった。


そう思い、美菜は残りの予約を確認しに受付へ向かおうとした。


が、百合子が何やら動揺している。


「百合子ちゃん、どうしたの?」


「あっ…美菜先輩、縮毛矯正のフリーって入れますか!?」


「縮毛矯正かぁ…んー、ちょっと待ってもらえれるなら大丈夫だよ」


「良かった…!ありがとうございます!」


百合子が美菜にフリーを回すということは、田鶴屋の枠のキャパシティが既にいっぱいでフリーを振れないという事だ。そういう時は別のスタイリストに回すのだが、百合子は美菜に言いやすいのかフリーを田鶴屋に断られると次に美菜に相談に来る。


美菜はできる限りそういう時は断らないようにしていた。


(田鶴屋さんは基本指名でいっぱいだからなぁ…)


美菜もアシスタント時代、フリーを誰に振ればいいか分からず右往左往していた時期があった。

スタイリストにフリーをお願いしても怪訝な顔をされる時もあった。

アシスタントからすれば空いているスタイリストの所にフリーを入れるのが当たり前なのかと思い声をかけただけなのに、スタイリストの気分で振り回されたりもした。


(……でも田鶴屋さんが全部引き受けてくれたんだよね)


美菜は昔の事を思い出しながら田鶴屋をちらっと見る。

当時の店長とは少しの期間一緒に働いたが、その人が独立して会社を辞めることになり、田鶴屋が店長になってからの方が長い。


(田鶴屋さんが“フリー断れたら全部俺に持ってきていいからそんな泣きそうな顔してスタイリストに頼みに行くな”って笑ってくれたの…嬉しかったな)


田鶴屋は美菜にとって模範となる美容師だ。

いつの間にか憧れにかわり、力になりたいと思った。


「美菜先輩、さっきのお客様お席にご案内しておきましたのでよろしくお願いします!」


「はーい!今行きます!」


(忙しい時ほど気合い入れて私が頑張らなきゃ!)


美菜は胸が温かくなる気持ちを思い出しながら、次のお客様の元へ向かうのだった。


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