Episode135
Irisと木嶋の離席中美菜はすることもなく、ただ画面の前で逸る気持ちを抑えながら待機していた。
(……勝てるかな?この人もサブ垢なのかな?)
すると、突然ワールド・リーゼの個人メッセージの通知が表示される。
『はじめまして。不躾な質問なのですが、チョコパンさんは初心者の方ですか?それともサブ垢ですか?』
「……うーん、どう返そう…」
不意の質問に美菜は少し悩んだ。初心者と答えるのも違うし、かといって詳しく説明するのも面倒だ。
そう考えていると、さらにもう一通メッセージが届く。
『私事ですが、どうしてもこの試合勝ちたいです。しかし私はこれが初めてのプレイになります。よろしければ通話を繋いでゲームできませんか?』
(通話かぁ……)
美菜は少し考え込む。
向こうも二人で会話しながらプレイしているなら、こちらも意思疎通を取った方が有利なのは間違いない。
でも、もし声で”みなみちゃん”だとバレたら……
そう思うと、やはり通話は避けるべきかと、断るつもりでメッセージを打ちかけた。
しかし、そこへさらに一通、新しいメッセージが送られてくる。
『このゲームは連携が大事だと見ていて思います。勝つために最善策を。』
その言葉の下には、通話アプリのURLが貼られていた。
(……すごい、勝ちたい気持ちがひしひしと伝わってくる)
美菜も、どうせやるなら勝ちたい。
それに、ここで通話を拒否したら、相手は不審に思うかもしれない。
(……お願いだから、声でバレませんようにっ!)
心の中でそう祈りながら、美菜は意を決して通話ボタンを押した。
***
通話ボタンを押すと、しばらくの間無音が続いた。
相手が入ってくるのを待ちながら、美菜は内心そわそわする。
(大丈夫、大丈夫……きっとそんなに簡単にバレることはない…!)
そう思い込もうとした矢先――
「……こんばんは」
落ち着いた、けれどどこか硬さのある低めの声が響く。
「えっ、あ、こんばんは!」
思わず普段より少し高めの声が出てしまう。
相手がどんな人かもわからないのに、やけに緊張してしまうのは“バレたらどうしよう”という意識があるせいだろうか。
「急に誘ってしまい、申し訳ありません。私はBlack Mintです」
「チョコパンです、えっと、よろしくお願いします!」
「あの……まず、一つ確認させてください。あなたは初心者の方ですか? それとも、サブアカウントですか?」
通話の向こうから、慎重な口調で問いかけが来る。
(やっぱり、気になってたんだな…)
美菜は一瞬言葉に詰まったが、ここで変にごまかすと余計に怪しまれる気がして、正直に答えることにした。
「うーん……初心者って言ったら嘘になりますけど、そこまでガチでやってるわけじゃないので、中間くらいですかね?」
「なるほど……理解しました」
Black Mintは淡々と受け入れた様子だったが、その直後、少し緊張が解けたのか、少し柔らかい声で続けた。
「正直に話してくださり、ありがとうございます。実は、私はこのゲームを始めたばかりで……どうしても勝ちたくて、経験者の方の助けがほしかったんです」
(この人、本当に勝ちたいんだな……)
その必死さが伝わってきて、美菜は思わず笑みをこぼす。
「じゃあ、できる限りサポートしますね!」
「……助かります」
短い言葉だったが、その声色にはわずかに安堵が滲んでいた。
「それじゃあ、まずは……」
美菜はゲームのマップを開きながら、Black Mintにいくつか基本的な戦術を説明し始める。
その間も、相手の話し方や反応を慎重に観察していたが、どこか聞き覚えのある気がするものの、決定的に「この人だ!」と思えるほどの要素はなかった。
(……気のせい、かな?)
そう思いながら、美菜はゲームの試合開始カウントが進むのを見つめた。
***
一方で、画面の向こうのBlack Mint――伊月は、イヤホン越しに届く声を聞いて、ある確信を深めていた。
(……この声……やっぱり……)
心臓が早鐘を打つ。
伊月は自分の拳をギュッと握りしめた。
(間違いない……!)
でも、すぐには言えなかった。
言ってしまえば、きっとチョコパン――いや、美菜は通話を切る。
それだけは避けたかった。
神様きっと味方してくれているに違いない。
これはきっと運命だ。
(……だったら、まだ気づいていないふりをして、このまま……)
伊月の中に溢れかえっていたドス黒い感情がどんどん浄化されていく。
聞き間違えるはずがない。
こんな偶然あるのだろうか。
美菜のメインアカウントでもないただのサブ垢。
たまたまその相棒を伊月ができる。
(あぁ……みなみちゃんが……僕だけのみなみちゃんが今耳元で僕だけに話しかけてくれている……)
何千回と聞いた配信やアーカイブ。
みなみちゃんの声を伊月は間違わない。
(ずっと待ち望んでいた二人きりの時間。みなみちゃんと二人だけの会話を楽しまなきゃ……)
伊月はパソコン内の音を録音できるボタンを急いでクリックする。
「あの……、どうかしましたか?」
「あ、いえ、大丈夫です。チョコパンさんはできる限り私に指示をお願いします。できるだけたくさん話しかけてください。」
「……?は、はい!よろしくお願いします!」
ゲームの試合が始まる。
伊月は息を整え、静かに言葉を紡いだ。
「では……勝ちましょう」
その声には、ゲームの勝利以上の決意が込められていた。
***
「よーし! こっちも準備OK! そっちはどう?」
木嶋の軽快な声が通話に響く。
「問題ない」
淡々と答えた瀬良は、指先でマウスを弾きながら画面を見つめる。
二人の画面には、試合開始前のロビーが映し出されていた。
「てかさ、Irisっていつもより喋んないけど、もしかしてめっちゃ集中してる?」
「……まあな」
瀬良はちらりと右上のプレイヤーリストを見る。
そこには、レベル1同士のチョコパンとBlack Mintの名前が並んでいた。
(どうせこれはサブ垢だろう。下手に舐めてると足元すくわれるな……)
「おっ、試合始まるぞー! 」
木嶋の声で思考を遮られ、瀬良は一度考えを切り替える。
【サブ垢退散!】
【ボコボコにして】
【頑張って!】
【ガチ初心者だったら涙目案件ww】
コメントも目を通しつつ、木嶋はゲームに集中する。
「先手取るぞ」
「了解! んじゃ俺が先行して切り開くからいつでもどうぞー!」
試合が始まると、木嶋はいつもの軽快なテンポで動き出した。
一方の瀬良も、落ち着いた動きで状況を確認しながらついていく。
敵の動き、味方の配置、戦況――そのすべてを冷静に把握しながら、木嶋との連携を意識する。
「さて、あっちの二人組はどう動くかな〜?」
木嶋がミニマップを見ながら呟く。
「……通話してるみたいだな」
「だよね〜、このBlack Mintって人最初は動き方変だったのに、ちょいちょい動きが変わってきた気がする」
木嶋は画面越しに敵の動きを観察しながら言った。
そしてサポートのチョコパンの動きが、少しずつ洗練されてきている。
Black Mintの連携を意識した立ち回り――
明らかに、誰かの指示を受けて動いているように見える。
「結構慣れてるな」
瀬良は狙撃ポイントに陣取りながら呟く。
「だよね〜。Black Mintって人、めっちゃ慎重派っぽくない?これ初心者の動きじゃないでしょ」
「……ああ」
木嶋の言う通り、Black Mintの動きは慎重で無駄がない。
だが、それだけではなかった。
(……相手の動きが、チョコパンに合わせて変わってる)
まるでサポートであるはずのチョコパンをサポートするような立ち回り。
それがどこか、妙に不気味だった。
「まあいいや! 俺たちは俺たちの戦い方で勝つだけでしょ!」
木嶋が笑いながら武器を構える。
「おーし! そろそろ仕掛けるか!」
その瞬間、銃声が響いた――。




