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Episode130



壁にもたれかかりながら、伊月は深く息を吸い込んだ。喉が焼けるように熱く、心臓の鼓動がまだ速い。指先まで微かに痺れる感覚が残っているが、それでも何とか平静を装う。


(……やっぱり、久々だとキツイな……)


プロのモデルとして活動していた頃も、表向きは完璧に見せていたが、舞台裏ではいつもこうだった。観客の視線、カメラのフラッシュ、すべてが自分を試すように感じる。だが、それを乗り越えてきたからこそ、今の自分がある。


「……ふぅ」


ゆっくりと息を吐き出しながら、震えが収まっていくのを待つ。そこへ、不意に足音が近づいてきた。こんな場所に来る人間は少ないはずだ。伊月は一瞬だけ表情を引き締め、何事もなかったかのように姿勢を正した。


「……こんなところにいたんだ」


聞き覚えのある声に、伊月はそちらを見やる。


「久しぶり、伊月くん」


不意にかけられた声に、伊月は顔を上げた。目の前に立っているのは、どこかで見たことのあるモデル。

しかし、名前までは覚えていない。興味もなかったし、覚える価値もない相手だった。


ただ、あの性格の悪い二人とつるんでいたことだけは記憶にある。


(名前……なんだっけな)


一瞬思い出そうとしたが、どうでもよくなり考えるのをやめる。


「ランウェイ、さすがだなって思った。こっち戻ってきなよ」


軽い口調で誘いかけてくるが、伊月は即座に作り笑いを浮かべた。


「ごめんね?今日の僕は限定なんだ。もう戻ることはないよ」


軽やかにそう言いながら、心の中ではすでにこの会話を切り上げる準備をしていた。


相手のモデルは軽く肩をすくめ、わざとらしくため息をつく。


「そっか、もったいないなあ。せっかくまた一緒に仕事できるかと思ったのに」


言葉とは裏腹に、その口調には未練というよりも探るような意図が感じられる。伊月は適当に愛想笑いを浮かべながら、さっさとこの場を切り抜けようと考えた。


「僕には僕の道があるからね。それに、そっちの人たちと関わるのは、もう充分かなって思ってるんだ」


「あはは、相変わらず歯に衣着せないね。でも、そんなところが伊月くんらしい」


モデルはニヤリと笑い、壁にもたれかかる伊月をじっと見つめた。その視線がどこか試すようで、伊月は無意識に拳を握る。


「……それじゃ、お疲れさま。またどこかで」


適当に会釈し、伊月は物置の隅を離れようとする。だが、背後から投げかけられた一言に、思わず足が止まった。


「本当に戻る気はないの?向こうも、伊月くんのこと、まだ諦めてないみたいだよ」


一瞬、背筋に冷たいものが走る。だが、伊月は振り向かず、努めて軽い調子で返した。


「だから、ごめんって言ったでしょ?」


そして、そのまま足を踏み出し、物置を後にした。



***



伊月は控室の扉を開けると、美菜と瀬良が待っていた。穏やかながらも達成感の漂う雰囲気を纏っている。


「伊月さん、お疲れさま!」


美菜が笑顔で声をかけると、瀬良も軽く頷きながら伊月を見た。


「お疲れ」


「……ふぅ、なんとかやりきったよ」


伊月は椅子に腰を下ろし、軽く肩を回す。久々の大舞台での緊張はまだ完全には抜けきっていないが、二人の顔を見ると少しだけ気持ちが和らぐ。


「どうだった? 仕上がりには満足してる?」


「うん。私たちができることはやったと思う。伊月さんには最大限表してもらえれた。あとは結果次第かな」


「……実際手応えも悪くなかったはずだ」


瀬良は落ち着いた表情で答えたが、わずかに指先を組む仕草が見えた。彼なりに審査結果を気にしているのが伝わる。


「ランウェイを歩く側としては、かなりやりやすかったよ」


伊月がぼそっとそう言うと、美菜が嬉しそうに笑い、瀬良も小さく頷いた。


「伊月さんのウォーキングもすごかったよ。観客の視線を一瞬で惹きつける感じ、やっぱりプロだなって思った」


「さすがだったな」


二人からの率直な評価に、伊月は少しだけ唇の端を上げる。


「……まぁね。でも、この仕事は俺一人じゃ成り立たない。二人が最高の状態を作ってくれたおかげだよ」


その言葉に、美菜と瀬良は顔を見合わせ、小さく笑った。お互いの技術を認め合える、この瞬間に生まれる一体感。それは、競い合う場でありながらも、同じものを作り上げる者同士だからこそ生まれる感覚だった。


「さて……そろそろ審査結果の発表だね」


美菜が立ち上がり、瀬良もそれに続く。


「行くか」


伊月も立ち上がり、三人は会場へ向かって歩き出した。



***



MCの声が会場に響くと同時に、参加者全員がステージへと呼び出された。観客の拍手が鳴り響く中、美菜、瀬良、伊月もその場に並ぶ。


「皆さん、本当に素晴らしいパフォーマンスでした! では、ここから結果発表に移ります!」


会場が一気に緊張感を帯びる。結果発表は3位から。


「第3位は……工藤・坂本ペア!」


大手サロンから出場しているスタッフの名前が呼ばれると、会場から納得したような歓声が上がる。

美菜もこのサロンの名は耳にしたことがあった。

施術の技術力もさることながら、ブランドとしての影響力も大きい。そんなサロンが3位なら、上位のレベルがいかに高いかを物語っていた。


MCが審査員の評価を伝え、いよいよ2位の発表となる。


美菜は、隣で自信満々に立っている星乃の顔を横目で見て、胸の奥がざわついた。星乃の態度を見る限り、彼女は優勝を確信しているのかもしれない。


(お願い……まだ、呼ばないで)


心の中で祈りながら、息を詰める。


会場にはBGMが流れ、MCの煽るようなトークがさらに緊張感を高める。そして——


「第2位は……星乃・津田ペア!!」


一瞬の静寂の後、会場が歓声に包まれる。しかし、その賑わいの中で、星乃と津田だけが動けずにいた。


「……は?」


星乃は信じられないといった表情で、小さく呟く。津田も驚きのあまり声すら出せていない。


(星乃さんと津田さんのペアが2位なら……)


美菜の胸の奥に、かすかな希望が灯る。まさか、と思いながらも、心臓が高鳴るのを抑えられない。


MCが審査員の評価を読み上げるが、正直耳に入ってこない。ただ、星乃たちが2位という事実だけが頭の中を駆け巡る。


そして——


「それでは、優勝ペアの発表です!」


BGMが最高潮に達し、MCの声が高まる。


「今年の優勝は……河北・瀬良ペア!!」


瞬間、紙吹雪とテープが舞い、会場が歓喜に包まれた。


目の前に差し出された優勝トロフィー。


それを見た瞬間、美菜はようやく現実を実感した。


「……夢じゃない……?」


驚きと喜びが混ざった声を漏らしたその時、瀬良が美菜の背中をぽんと叩いた。


「ほら、取りに行けよ」


美菜はトロフィーをしっかりと抱え、その重みを感じる。間違いなく、自分たちが勝ち取ったものだ。


次の瞬間、喜びが一気に溢れ、美菜は瀬良に飛びついた。


「やった……! 瀬良くん、やったよ!!」


瀬良も、普段のクールな表情を崩し、小さく笑いながら美菜の背中を支えた。


「……ああ、やったな」


そこに伊月も加わり、三人は思わず抱き合う。


「優勝おめでとうございます!!」


MCの声が響く中、観客の拍手がさらに大きくなる。ステージの上で三人が分かち合ったのは、努力が報われた瞬間の喜びだった。



***



優勝が決まった後、美菜たちはインタビューや記念撮影であちこちに呼ばれ、てんやわんやの状態だった。カメラのフラッシュが瞬くたびに、ようやく自分たちが優勝したという実感が湧いてくる。


「お二人の施術のこだわりは?」

「今回の大会で一番大変だったことは?」

「優勝した瞬間の気持ちは?」


次々と質問が飛び交う中、瀬良は淡々と答え、美菜は必死に言葉を選びながら受け答えする。伊月はモデルとしての立場からもコメントを求められ、意外と楽しそうに受け答えしていた。


それがひと段落ついた頃には、もうほとんどの参加者が撤収しており、三人はようやく控え室に戻ることができた。


「はぁ……やっと座れた……!」


美菜は椅子に腰を下ろすと、顔を両手で覆った。身体の疲れよりも、優勝したことへの喜びがこみ上げてくる。


「……ふふっ」


自然と笑みがこぼれる。隠そうとしても抑えきれなかった。


そんな美菜の様子を、瀬良と伊月は静かに見つめていた。


「……よかったな」


瀬良がぽつりと言う。


「美菜ちゃんが嬉しそうだと、僕も嬉しいなぁ」


伊月も微笑みながら続ける。


しかし——。


「……さぁ、やるか。反撃戦」


瀬良が立ち上がり、空気が変わる。


「僕はやられたらやり返す主義なんだ。売られた喧嘩はきっちり買わないとね」


伊月もそれに続く。


「お前と同じ意見なのが余計に腹が立つな」


瀬良が渋い顔をしながらも、同意の意を示した。


「行こう、美菜」


「勝者の言葉は必ず届くよ」


「……うん!」


三人は優勝の余韻を胸に、ある決着をつけるために動き出した。



***



瀬良が案内した場所には、会場に戻った木嶋と、そして星乃・津田の二人がいた。


「お疲れ様です。星乃さん、津田さん」


瀬良があえて丁寧な口調で挨拶すると、星乃の表情がわずかに曇る。美菜の目には、瀬良がいつもより嬉しそうに見えた。


「……なに? 寄ってたかって嫌味でも言うつもり?」


星乃はバツが悪そうにしながらも、強気の姿勢を崩さない。


「………っ」


津田は悔しそうに黙ったまま、美菜たちを睨みつけている。


「まずは木嶋さんに謝るべきなんじゃないですか?」


美菜は強い口調で星乃に詰め寄る。今回の件で木嶋を陥れようとしたことは、本当に許せなかった。


「……悪いとは思ってるわ。でもモデルに指示したのは”軽くぶつかってきて”だけ。まさかぶつかった拍子に自分がよろけて、それを助けた木嶋くんが落ちちゃうなんて……」


「だから私は悪くない、ですか?」


美菜の冷たい声に、星乃は言葉を詰まらせる。


「………もういいよ、美菜ちゃん。ありがとう」


木嶋が優しく美菜を制するように言った。そして美菜の隣に立ち、「優勝おめでとう」と笑う。美菜の険しかった表情が、ふっと和らいだ。


「星乃さん、津田さん、今後もう俺たちに関わらないでください。仕返しをしたところで、誰も幸せにはなりません」


木嶋はそう締めくくった。


(……意外。もっと詰めると思ってたけど)


美菜は少し驚いた。


「あと話は瀬良くんから聞きました。美菜ちゃんや瀬良くん、モデルの伊月さんに言った言葉は……」


木嶋が説得しようとしたその瞬間、星乃は投げやりに言葉を吐き捨てる。


「訂正するわよ! それに悪かったわ。あなたたちにはもう関わらないし、今後私たちにも関わらないで!」


そう言い残し、星乃は踵を返した。


「すみませんでした……」


津田も小さく呟き、バツが悪そうに立ち去る。


「もっと言ってやればよかったのに」


伊月はつまらなそうに二人の背中を見送った。


「まあ、謝ってはくれたみたいだし……?」


美菜も納得はできないが、星乃のプライドを考えればこれが限界だったのかもしれない。


「みんな、優勝してくれてありがとう。優勝してくれたからこうやっていられるんだ。俺が本来出られたら良かったけど……でも、本当にありがとう。めっちゃスッキリした!」


木嶋が真剣な表情で頭を下げる。そして、ニコッと晴れやかな笑顔を浮かべた。


「木嶋さんが納得したなら、いいけど……」


美菜はひとまず、木嶋がスッキリしてくれたことに安堵する。


「実はね、“みなみちゃんならどうするか”って考えて話したんだ。みなみちゃんなら、きっと相手を傷つける言葉は選ばないだろうなーって!」


木嶋がいつもの調子で言う。美菜にとっては、かなり恥ずかしい台詞だった。


「そ、そんなこと……」


「まあ実際? 俺と瀬良くんが論破してボッコボコにしても良かったんだけどねぇ」


「……ゲームではよくあることだしな」


「結構治安悪いゲームしてるんだね」


美菜と瀬良と木嶋は、少しだけ笑い合った。


「じゃあ僕はそろそろ行くね。いいものも見れたし」


伊月が去ろうとすると、木嶋が引き止める。


「まあまあ! 元芸能人で元美菜ちゃんのストーカーの伊月きゅん、この後打ち上げしようと思って君も人数に入れておいたからおいでよぉ〜」


「君、馴れ馴れしいな……!」


伊月は迷惑そうに木嶋を突き放す。


「良かったら伊月さんも来ない? 実際、伊月さんがいないと優勝なんてできなかったわけだし……あ、嫌だったら大丈夫なんだけどね!」


「別に来なくてもいいぞ」


瀬良がすかさず口を挟む。


「……まあ、美菜ちゃんがどうしてもというなら?」


「言ってない。来なくてもいいぞ」


「瀬良くん、ちょっと黙ろっか!」


美菜が珍しく叱ると、瀬良は大人しくなった。

それはまるで飼い主と番犬みたいな関係だ。


「みなさーん! お話し合いは終わりましたかー?」


遠くから千花が手を振って声をかける。

その後ろに皐月と百合子も様子を伺っている。


「もうおなかペコペコです〜……はやくお店行きましょうよー」


「ほーい!お待たせ!あ、千花ちゃん!伊月きゅんも行くってー!」


千花たちが合流し、木嶋はいつもの調子で手を振る。


色々あったがなんとか大会を乗り越えることができ、美菜たちは祝杯をあげるために会場を出た。


外はもう夏の気配がしていた━━━━━━。





いつも読んでくださりありがとうございます。

章の追加も今更知りました……!

なんて読みにくい!と実はずっと思ってました…。

でももう直すに直せないのでこのまま行こうと思います。ごめんなさい!

あともう少しだけ大会エピローグ続きます!


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