Episode128
美菜の指先が軽やかに動き始めた。
まずはベース。カットのシルエットを活かすため、肌の透明感を引き出しつつ、シャープな印象を損なわない仕上がりを狙う。
今日用意していたのは木嶋用のファンデーションだ。木嶋の肌は少し黄みがかっており、どちらかと言えばイエローベース。
一方伊月は透き通るような青白さ。
木嶋とは違うブルーベースで、一応持ってきていた使う予定のないファンデーションのリキッドを混ぜて色を作るしかない。
伊月に合わせてファンデーションを手早く作り、薄く伸ばしながら美菜は伊月の顔を観察した。
(瀬良くんのカットが、シャープな中に柔らかさを残してる。だったらメイクも――)
ふと、審査員がすぐ横に立っていることに気づく。
「メイクの方向性は?」
美菜は手を止めずに答えた。
「モデルの肌の質感を活かして、洗練されたメイクにします。ただし、目元にはアクセントを入れて、カットの動きとリンクさせます」
「なるほど……カットとのバランスを考えているんですね」
審査員が興味深そうに頷く。
(瀬良くんのカット……求めている事はきっと……)
美菜はすぐにアイメイクへ移った。
伊月の目元に軽くブラウンの陰影をつけ、シャープになりすぎないように、わずかに赤みを足す。
「まつ毛、少し上げるね」
「どうぞ」
伊月のまつ毛をビューラーで丁寧に上げ、マスカラを繊細に塗る。
審査員が別の角度から観察する。
「アイラインは強めなんですね」
「ええ。カットを活かせる……立体感を引き出すことを意識しました」
「ほう……」
審査員たちがまたメモを取る。
(なんだろう、みんなが見てるって分かってるのに…楽しい!緊張すると思ってたのに、全然大丈夫だ…)
美菜は迷わずチークとリップへ移った。
「はい、ブラシ」
瀬良も美菜のヘルプに入り、また息のあった施術を審査員にみせる。
「ここの二人は良いですねぇ」
周りの事は気にしている余裕は無いが、時折聞こえてくる道具を落とす音や、観客の拍手、落胆の声。
しかし美菜たちは気にもしてなかった。
チークは頬の高い位置にふわっと入れ、リップは黒髪と白い肌に合わせて主張の強い真っ赤なカラーを選ぶ。
「よし、完成!」
最後のひと塗りを終え、美菜が筆を置く。
瀬良が近づいて、仕上がりを確認するように伊月を見つめた。
「……いいな」
短い言葉に、美菜は小さく笑った。
「でしょ?」
伊月が静かに目を開ける。
「仕上がり、見てもいい?」
「もちろん」
美菜が手鏡を差し出すと、
伊月はゆっくりと鏡を覗き込んだ――。
「あぁ、やっぱり信じてよかった」
伊月は美菜に鏡を返しながらそれだけ言って微笑んだ。
瀬良と美菜はクロスを取り最後の調整をする。
観客からはかなり注目されているのだろう。
クロスをのけた時の拍手と喝采。
美菜は整えながらも鳥肌が立っていた。
(やばい……超楽しい……!)
ニヤける口元に力を入れ集中力を途切れないようにする。
瀬良をちらっと見ると同じような顔をしていた。
「ここまでされちゃ僕も頑張らないとね」
「伊月さん、モデル引き受けてくれてありがとう」
「伊月、ありがとな」
「いえいえ、こんな事で良ければ。まあ……これからの主役は僕なんだけどね」
最後のチェックを終える頃、終了を教えるブザーが鳴り響いた。
「各チーム、道具を片付けてください! 施術はここで完全に終了です!モデルの方は一度名前のプラカードの前へどうぞ!施術者は後片付けを進めてください!」
MCの声が響く中、美菜と瀬良は手際よく道具を片付けていく。
「……楽しかった」
「ああ、楽しかったな」
美菜と瀬良は笑い合いながらハイタッチをした。
***
審査員たちは次々にモデルたちをチェックしながら、細かくメモを取っている。
一際審査員が集まる所が何ヶ所かあり、伊月の周りにもかなりの審査員が集まっている。
(さすがだな……あんなに見られてるのに緊張してない)
メイクを確認するため顔を覗いたり、カットを見るために周りを歩き回る審査員に物怖じせず立っている伊月は堂々としていた。
カメラもかなり近くで撮っているのに気に止めていない。寧ろ微笑んで対応してくれている。
他のサロンのモデルはあまりの緊張に顔に出たり汗をかいたりしてしまっている。
千花もその一人だった。
「千花ちゃんすごい可愛いけど緊張して笑えてないね」
「まああんなに見られたら誰でもそうなるだろ」
伊月はやはりモデルとしては完璧だった。
ライトの暑さも慣れたようにすました顔でいる。
メイクを崩さないように汗もかいてない。
「伊月さん……すごいね」
「あとはあいつがどれだけ引き込めるかだな」
この後は観客に見せるためのランウェイのショーだ。
「施術者はご自身のモデルのサブテーマをスタッフに書いてお渡しください!この後10分の休憩を挟んでお待ちかねのランウェイでーーす!」
会場を盛り上げるMCの声で休憩用のBGMに切り替わる。
観客はそれぞれ立ち上がって場所を離れたり、その場で話し合ったりしている。
美菜と瀬良はランウェイを歩く準備をするために一度裏手へ下がった千花と伊月を励ましに行った。
***
控え室へ向かうと、千花は大きく息を吐きながら鏡を見つめていた。
「緊張した〜……でも、まだ終わってないもんね。ランウェイもちゃんと歩かないと」
そう言いつつも、落ち着かないのか、スカートの裾を何度も直している。
皐月と百合子は来ていないのか、千花と伊月が隣同士で座っていた。
「千花ちゃん、お疲れ様!可愛く仕上がってるよ。審査員の人もかなり見てたし、自信持って」
美菜が声をかけると、千花は「ですよね!」と勢いよく頷いた。
「皐月くんにメイクしてもらってる時は楽しかったんだけど、いざみんなの前に立たされるとやっぱり緊張しちゃいますよぉ。審査員の人も怖かったし……。でも、二人が頑張ってくれた分、私も頑張ります!」
そんな千花の様子を見ながら、伊月は余裕の笑みを浮かべていた。
「まあ全部僕がもらうけどね」
「優勝しなきゃ今回は意味が無いからな」
瀬良は淡々と答えながらも、伊月のモデルとしての姿勢には一目置いているようだった。
「伊月さん、メイクも崩れてないし、本当に完璧……」
美菜が感心して呟くと、伊月は得意げに微笑む。
「当然。僕を誰だと思ってるの。ランウェイの上でも、ちゃんと主役になってみせるよ」
その言葉に瀬良が少しだけ口角を上げる。
「なら、俺たちもそれに見合う施術者じゃないとな」
美菜も「うん」と頷いた。
「ランウェイの時間です! モデルの皆さん、ステージ裏へ!」
スタッフの声がかかり、千花と伊月はそれぞれ衣装の最終チェックへ向かう。
「じゃあ、行ってくるね!」
千花が軽く手を振って出ていき、伊月も「楽しみにしてて」とだけ言い残し、ステージ裏へ消えていった。
美菜と瀬良も、客席側へ移動し、いよいよショーの開始を待つ。
「ランウェイか……俺たちの仕事はもう終わってるけど、妙に緊張するな」
「わかる。自分たちの施術がどう見えるのか、楽しみでもあるけど……」
言葉を交わしながら、ステージに目を向ける。
そして、ついに――照明が落ち、ランウェイショーの幕が開いた。




