Episode116
美菜は手持ち無沙汰になりながら、店内をぐるりと見渡した。
その視線の先で、木嶋がひとりカラーを塗っているのが見える。
(……手伝おうかな)
カラーは時間との勝負だ。ひとりで塗るより、ふたりでやったほうが均一に仕上がるし、何より早い。
木嶋の入客しているお客様は見覚えがあり、常連で木嶋指名の“佐々木さん”だ。
男性の朗らかなお客様で、美菜も何度か話した事がある。
美菜はそっと木嶋の隣に立ち、軽く声をかけた。
「一緒に塗ろうか?」
木嶋はぱっと顔を上げ、にこっと笑う。
「お、助かる~! いや~、丁度ほしいとこだったわ~」
「お久しぶりです。佐々木さん。では一緒に塗っていきますね。」
「ああ、よろしくね〜」
「いやー、佐々木さん、ラッキーですよ。美菜ちゃんと俺で両手に花ですよね〜!」
「ハハハ!そうだね!」
木嶋が冗談を軽い調子で言うと、佐々木が手を叩いて笑った。
「あ、ところで2人はゲームしてる?」
「もちろんですよー!俺はゲーム無しじゃ生きられないです!」
「私もゲーム続けてますよ!」
「だよね!だよね!ちなみに今はなんのゲーム?」
佐々木が興味津々という顔で鏡越しにこちらを見る。美菜は今してるFPSのゲームについて軽く話した。
「あー!あのゲームね!FPSの中では割と高評価だよねぇ!」
「俺もやった事あるけど面白いですよね〜!」
「やっぱりみんなやった事あるゲームなんですね!」
佐々木さんが美菜と木嶋を見て目を輝かせる。
木嶋も食いつき、そこから一気に会話が弾んだ。
どの武器が強いとか、マップの戦略だとか、野良と組むときの苦労話だとか——
「あるあるすぎる!」
「やっぱそうなりますよね~!」
「わかる~!」
そんな感じで、カラーを塗りながらの会話はどんどん盛り上がっていく。
ゲームの話題になると、年齢も職業も関係なく、一気に距離が縮まるものだ。
美菜も気づけば、自然と笑みがこぼれていた。
「佐々木さん染みたりしてないですか〜?」
「うん、大丈夫だよ〜」
木嶋が手を止め、全体を確認する。美菜も自分が担当した部分を見直して、問題ないことを確認した。
「佐々木さんこれで時間置かせていただきますね。あ、美菜ちゃん、タイムは俺が持つから大丈夫だよー!ヘルプありがと!」
「はーい!」
軽いやり取りを交わしながら、2人はカラーの道具を片付ける。
「佐々木さん、いつものコーヒーでいいですか?」
「おう、よろしく頼むよ~」
佐々木は満足そうに鏡を見て、ふと興味深そうに口を開いた。
「それにしても、美菜ちゃんも木嶋くんも、そんなにゲーム好きなら配信とか向いてるんじゃない?」
その言葉に美菜と木嶋の指がぴたりと止まる。
「え?」
「ほら、今ってゲーム実況の配信者とか流行ってるじゃん? 2人とも話も上手いし、やったら人気出そうだなーって」
「いやいや、そんな簡単なもんじゃないっすよ~!」
木嶋は笑いながら手を振るが、美菜は曖昧な笑みを浮かべるしかなかった。
(まさか、すでに配信してるなんて言えないし……)
「でも、確かに配信者ってすごいよねー。喋りながらプレイして、しかも上手い人とか尊敬するわ」
佐々木の何気ない言葉に、美菜は瀬良と木嶋を思い浮かべる。
「……確かに、器用じゃないとできないですよね」
「だよねー。ゲームしながらコメント拾うのとか、絶対大変だもん」
(うん、それはすごくわかる)
美菜は内心で苦笑しながら、手際よく道具を片付ける。自分の配信ではあまりゲームをしている時はコメントを拾えないのが事実だ。本来はもっとコメントを読みたいが、そんな余裕は美菜には今はないプレイだった。
「さ、じゃああとは時間まで放置ですね~。佐々木さん、雑誌とかお持ちします?」
「お、頼むよ!」
そう言って歩き出しながら、美菜はそっと息をついた。
(危ない危ない……。普通に話してると、つい配信のこと意識しちゃうな)
ちらりと木嶋のほうを見ると、彼は何も気にしていない様子で佐々木に雑誌を渡していた。
美菜はさすがだなと思いつつ、2人はカラーブースに戻って行った。
***
「……あっぶねーーー!俺顔に出てなかった!?」
「あ!木嶋さんもやっぱりドキッとはしてたの!?」
「当たり前だよー!リアバレ恥ずいじゃぁん!」
「いやまあハンドルネーム的に“漆黒の木嶋”はバレてもおかしくないですけどね〜」
「それな〜!」
2人は笑いながらカラー剤のカップを片付ける。
いつもの木嶋の調子に美菜は安心しながら話を続ける。
「まあ私は1回特定されて危ない事があったんだけどねぇ」
「もー!特定厨こっっわ!!!」
「でしょ!? だから今はもう、めちゃくちゃ気をつけてるんだから」
美菜は肩をすくめながら、カラー剤のカップを片付ける。木嶋も同じく手を動かしながら、少し真面目な顔になった。
「……てか、それ結構シャレになんない話じゃん。大丈夫だったの?」
「あの時は焦ったけど、何とか対策したから大丈夫。でも、それ以来めちゃくちゃ慎重になったかな」
「そりゃそうなるよなぁ。俺なんて、まだバレたことないから呑気だけど……。でも、もしバレたらって考えると怖えな」
「でしょ? だから、うっかりリアルの知り合いにバレないようにしないと」
「それな~! 今日の佐々木さんの一言、マジでヒヤッとしたわ!」
木嶋は大げさに頭を抱え、美菜も苦笑する。
「まあ、木嶋さんは喋り方がそのまんまだから、気をつけたほうがいいかもね」
「え、マジ!? 俺、配信のときもこんな感じ?」
「うん、完全にいつも通り。逆にすごい」
「うわー、もっとキャラ作ったほうがいいのかな……」
「いやいや、木嶋さんのキャラはそのままでいいでしょ。だから人気なんだし」
「ふっふっふ……そっかそっか~! やっぱ美菜ちゃんはわかってるねぇ!」
「褒めたらすぐ調子に乗る~」
そんな風に冗談を言い合いながら、2人はカラーブースを後にした。
***
フロアへ戻ると、ふとお客様の視線が届かない端のほうで瀬良が詩音に何か言っているのが見えた。
耳を澄ませると、それはカラーの塗り方のアドバイスらしい。
詩音は真剣な眼差しで瀬良の言葉を聞きながら、時折頷く。
瀬良の指示に従いながら手を動かしてみて、時折メモを取っている。
(……近いな)
思わず目を細める。
瀬良の指が詩音の手の動きを直すように軽く添えられ、至近距離で何かを囁いていた。
それは指導としては普通のこと。わかっている。
でも、ほんの少しだけ胸がざわついた。
「東谷ちゃんはいい子なんだよなぁ〜、仕事は」
隣で木嶋がぼそっと呟く。
「……うん」
曖昧に返事をすると、木嶋がちらっとこちらを見た。
何か言いたげに悩んでいるような顔。
「瀬良くんは美菜ちゃんのこと大事に思ってるよ。だから心配しなくていいと思うから! これは俺からも言えるから!」
「ありがとう。大丈夫だよ。私も信じてるもん」
自分の言葉に嘘はなかった。
瀬良の性格を知っている。彼はそんな軽々しく誰かと距離を詰めるようなタイプじゃない。
それでも、わずかな棘のような感情が胸に刺さっていたのも確かだった。
「さすが瀬良きゅんの嫁〜!」
「何それ〜!」
木嶋が茶化すように背中をぽんっと叩き、美菜は苦笑しながら彼の腕を軽く押し返す。
「いや〜、でも美菜ちゃんはマジで“瀬良の嫁”って感じするわ!」
「からかわないでよ」
「いやいや、マジで! だってあの瀬良くんが、美菜ちゃんのこと話す時だけちょっと雰囲気違うもん!」
「……そうなの?」
「そうそう! だから安心していいって!」
木嶋はにっと笑い、ひょいっと手を振ってそれぞれの持ち場へ戻っていった。
美菜もその背を見送り、少しだけ深呼吸をして気持ちを切り替える。
今は仕事だ。そう思いながら、次のお客様の元へと足を向けた。
***
「…………」
「瀬良さん? どうしたんですか?」
詩音が不思議そうに首を傾げる。
瀬良は、カラーのアドバイスを続ける手を一瞬止め、視線の先にいる美菜と木嶋を見ていた。
ふたりで談笑しながら並んで歩く姿が、どうにも目についてしまう。
詩音は瀬良の視線を追い、その先にいる美菜を見て、ふと微かに目を細めた。
美菜の視線が、一瞬だけ瀬良と詩音のほうへ向けられていたことに気づいたから。
「手はどうやって動かすんですか? こうですか?」
「……あ、ああ……」
詩音が突如瀬良の手を取り、指導を求めるように絡める。
その動きに瀬良は一瞬戸惑ったが、すぐに指導のために詩音の手首を持ち直し、適切な動きを教える。
「なるほど! ありがとうございます! やっぱり瀬良さんのアドバイスはわかりやすいですね!」
「……まあ、それなら良かったよ」
詩音の嬉しそうな顔を見ながらも、瀬良はふと、再び美菜がいたほうへ目を向ける。
しかし、そこにはもう二人の姿はなかった。
美菜はすでに接客へと戻り、木嶋も別の仕事に取り掛かっていた。
瀬良は微かに眉を寄せ、ほんの一瞬だけ口を引き結ぶ。
何を思ったのかは、自分でもよくわからないまま。
詩音はその表情の変化を見逃さなかった。
(ふーん……)
そう、彼が無意識に気にしているのは……
言葉にせずとも、詩音にはわかってしまった。




