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Episode113



あれから数ヶ月。

材料係がいなくなったことで役割の見直しが行われ、今は美菜と瀬良が担当することになった。


日々の業務をこなすうちに、職場での距離はさらに縮まり、気づけば瀬良は自然と「美菜」と名前で呼ぶようになっていた。だが、周囲のスタッフは特に気に留めることもなく、それが最初から当たり前だったかのように受け入れていた。


その日も忙しく仕事を終え、終礼の時間になった。田鶴屋がみんなの視線を集めるように手を叩き、新しいスタッフが加わることを告げる。


「はい、今日もお疲れ様でした!ありがとうございました!えーっと、明日から新しいスタッフがうちのサロンに来るから、みんなよろしくな」


「へぇ、新人ちゃんですか?」


木嶋が興味ありげに尋ねると、田鶴屋は軽く首を振る。


「いや、経験者。東谷詩音ひがしたに しおんって子」


その名が出た瞬間、木嶋は一瞬考え込み、次の瞬間、大げさなほど驚いた顔をした。


「東谷……マジで? うわ、懐かし!」


「知ってんの?」


「うん、前の店の後輩の東谷ちゃん。まあ、いい子だった記憶はあるけど……」


そう言いながら、木嶋はちらりと瀬良の方を見た。その表情がどこか言いたげなものだったせいで、瀬良は眉を寄せる。


「……なんだよ」


「いや……うん、まあ大丈夫だろ!」


意味ありげな木嶋の反応に瀬良は少し訝しんだが、田鶴屋が「まあ仲良くしてやってくれ」と話を締めたので、それ以上問い詰めることもできなかった。


こうして、新しいスタッフを迎える準備が整ったが、瀬良の胸の中には、木嶋の妙な反応が引っかかったままだった。



***



翌朝。


サロンの開店準備が進む中、美菜はレジ周りを整えながら、なんとなく今日から来る新しいスタッフのことを考えていた。木嶋が「いい子だった記憶はあるけど」と言っていたが、実際にどんな人なのかは会ってみないと分からない。


時間になると田鶴屋が手を叩き、朝礼が始まった。


「はい、おはようございます!今日から新しいスタッフが加わるから、みんな改めてよろしくな!」


田鶴屋が横に立つ女性へ視線を向けると、そこにいたのは明るい笑顔を浮かべた女性だった。肩につくくらいの黒髪をゆるくまとめ、目立つオン眉の前髪をして個性的だが、どこか親しみやすい雰囲気を持っている。


「東谷詩音です! 今日からお世話になります、よろしくお願いします!」


元気のいい挨拶に、場の空気が少し和らぐ。


「東谷ちゃん、久しぶり!」


木嶋が笑顔で声をかけると、詩音はぱっと表情を輝かせた。


「木嶋さん! わぁ、やっぱりここにいたんですね! 前の店でお世話になったときから変わってなくて安心しました!」


「おいおい、それ褒めてるのか?」


「もちろんですよー! ちゃんと成長もしてますよね? ね?」


詩音は軽く冗談を交えながら明るく笑い、すぐに周囲の空気に馴染んでいく。そのやりとりを横で見ながら、美菜は「なるほど」と思った。確かに社交的で、こういうタイプはお客さんにも人気が出そうだ。


「じゃあ、東谷さんは今日からサロンの流れを覚えてもらうために、しばらく木嶋くんと瀬良くんの担当を手伝ってもらう。二人とも頼んだぞ」


「かしこまりましたっ!」


木嶋が快活に返事をすると、瀬良も「はい」と短く答えた。


「わぁ、心強いですね! よろしくお願いします!」


詩音はぱっと明るい笑顔を見せ、少し弾むような声で言った。その雰囲気は柔らかく、自然と場を和ませる空気を持っている。


「じゃあ朝礼終わり! みんな、今日もよろしく!」


田鶴屋の言葉で、スタッフたちはそれぞれの持ち場へと動き出した。


美菜も自分の準備に取り掛かろうとしたが、そのときふと気づいた。詩音は元気に返事をしながらも、ちらちらと瀬良のほうを見ているような気がする。


(……気のせい?)


美菜は一瞬そう思ったが、詩音はすぐに木嶋と話し始めたので、特に気にせず仕事へと意識を向けた。


新しい一日が、少しだけ賑やかに始まった。



***



昼休憩の時間になり、美菜がスタッフルームで水を飲んでいると、そこへ千花が少し不機嫌そうな表情で入ってきた。


「美菜せんぱぁぁあい……なんかちょーっと思ったんですけどぉ……あの子、私とキャラ被りしてません?」


「あの子?」


「東谷さんですよ、東谷さん!」


千花は頬をぷくっと膨らませて、美菜の向かいにどさっと座る。


「ほら、私ってこのサロンの”元気で明るい女の子枠”じゃないですか? なのに、なんか似たようなタイプの子が入ってきちゃって、私の立場がちょっと危うい気がするんですよね!」


「いやいや……そんなことはないからね!」


美菜は苦笑しながらも、確かに千花と詩音は明るくて人懐っこいタイプという点では似ているかもしれないと思った。


「でも、なんか妙な感じしません? 美菜先輩、女の勘ってやつですよ!」


「……妙な感じ?」


「うん、なんかこう……午前中の営業見てて、あの子、瀬良先輩にちょっと視線送りすぎじゃないですか?」


「えっ?」


美菜は不意に千花の言葉に引っかかった。朝礼のときも、なんとなくそんな気はしていたが、気のせいだと思っていた。


「私の勘が間違ってなければ、絶対なんかありますよ……」


千花が腕を組んで唸っていると、ちょうどサロン内を案内していた瀬良と詩音が近くを通りかかった。


「最初に来たと思うけどここがスタッフルーム。必要なものはだいたいここにある。ご飯もここで食べていいから」


「なるほどー! 瀬良さん、ありがとうございます!」


東谷はぱっと笑顔を向けた後、美菜と千花に気づき、明るく挨拶をした。


「美菜さん! そして、えっと……」


「伊賀上千花です! よろしくお願いします!」


千花は普段通りの明るい調子で挨拶するが、どこか探るような視線を東谷に向けている。


「東谷詩音です! よろしくお願いします!」


東谷もにこやかに返し、美菜も「よろしくね」と笑顔を向けた。そのやりとりはごく普通のものだったし、東谷も素直に良い人そうに見えた。


(千花が言ってたけど、意外と普通の子かも)


そう思った次の瞬間――


「では瀬良さん、次のところ教えてください!」


東谷が軽やかに瀬良の腕を取り、ぐいっと引っ張った。


「……っ」


瀬良は少し驚いた顔をしながらも、抵抗することなくそのまま歩き出す。


「ちょっ……」


美菜が何か言う前に、二人は奥のスペースへと消えていった。


「……いくら美菜先輩と瀬良先輩が付き合ってるの知らないとはいえ、あれはスタッフ間としてどうなんですかー!?」


千花がぷりぷりと怒り出す。


「ま、まあ……新人だし、まだ距離感掴めてないだけかもしれないし……」


美菜は千花をなだめるように言いながらも、内心、少しだけ不安を覚えていた。


(本当にただの偶然? それとも……)


東谷のあの自然な仕草が、どこか引っかかる。


「ね、美菜先輩、本当に大丈夫です?」


「瀬良くんも分かってると思うよ。だから大丈夫、だと思うけど……」


「……私は美菜先輩の味方ですからね!!」


「……ありがとう」


そう答えながらも、美菜の胸の奥には、微かな不安が残ったままだった。



***



昼休憩が終わり、午後の業務が始まった。


美菜はシャンプー台の準備をしながら、さっきのことを思い返していた。詩音が瀬良の腕を取った瞬間、瀬良は確かに驚いたような顔をしていたが、特に拒否することなくそのまま案内を続けた。


(瀬良くんも、別に気にしてないのかな……)


美菜自身、職場ではあまりプライベートなことを出さないようにしていたし、瀬良との関係もいつものメンバー以外特に周りに公表しているわけではない。だから詩音が知らないのも当然だが――


(でも、ああいうのって普通するのかな……?)


なんとなく気持ちが落ち着かないまま、美菜がタオルをたたんでいると、すぐ隣で千花が盛大にため息をついた。


「はぁ~~~……」


「……まだ気にしてるの?」


「そりゃ気にしますよ! なんですか、あの距離感の詰め方! いくらスタッフ同士仲良くって言っても、いきなり腕を掴むのはさすがに早すぎません?」


千花はぷんぷん怒りながらも、時折詩音のほうをちらちらと気にしている。


「美菜先輩も思いません? なんか、妙に瀬良先輩にだけ絡んでる感じするっていうか……」


「……うーん、まだ分かんないけど……」


美菜が言葉を濁していると、ふと視界の端で詩音が瀬良とウィッグを持って話しているのが見えた。


「瀬良さん、カットの仕上げってこういう感じですか?」


「そう。長さの微調整は――」


「へぇ~、やっぱり手際いいですね! すごく綺麗……」


東谷は瀬良の手元をじっと見つめながら、感心したように声を漏らした。確かに彼女は真剣に仕事を学ぼうとしているように見えるが、どこか距離が近い気もする。


「ほらほら、あれ見てくださいよ、美菜先輩! 絶対意識してますって!」


千花がこそこそと囁く。


「そんなこと……」


言いかけたところで、詩音が瀬良に話しかけた。


「瀬良さんって、もしかして彼女とかいます?」


美菜の手が、タオルをたたむ動きを止めた。


(えっ……)


「……なんでそんなこと聞くんだ」


瀬良は淡々と返すが、詩音は悪びれた様子もなく笑う。


「いやー、なんとなく? 仕事できるし、イケメンでクールだし、モテそうだなーって」


「……そういう話は店ではしない方がいいよ」


瀬良はそれ以上相手にするつもりはなさそうだったが、美菜の胸には妙なざわつきが残った。


(なんとなく、って……)


千花が「ほらぁぁぁ!!!」と小声で大袈裟に叫ぶ。


「これ、絶対狙ってますよ! 美菜先輩!私達は付き合ってますってもう公表しちゃいましょうよ!!!」


「いやいや……やっぱり仕事とプライベートはわけないとね……?だから言うのもなんだかね……?」


そう言いながらも、美菜の心の中には、小さな不安が消えずに残っていく。


瀬良はウィッグの毛先を整えながら、一瞬だけ詩音の方を見たが、すぐに視線を戻した。


「カットは悪くない……とは思う」


「えー!嬉しいです!なんか瀬良さんってそっけないけど、意外と優しいですよね?」


「……そうか?」


「はい! さっき木嶋さんに聞いたら、瀬良さんって厳しいけど後輩の面倒見いいって」


「そんなつもりはない」


「えー? そうですかね〜?じゃあは私いっぱい頼っちゃおうかな~」


詩音は冗談めかして笑いながら、瀬良の顔を覗き込むように身を乗り出す。


(……近い)


美菜の手が思わずタオルを強く握る。遠巻きに見ているだけのはずなのに、どうしてか胸の奥がざわついた。


「おい、東谷さん。距離近い」


不意に瀬良が言い、詩音は「あ、すみません!」と軽く笑いながら一歩引いた。


(……瀬良くんが言った)


それだけのことなのに、美菜は少しだけホッとする。けれど、詩音の態度が崩れたわけではなかった。


「やっぱりクールですね、瀬良さんって。でもそういうところ、ちょっとかっこいいなって思います」


茶化すような口調だったが、その目は冗談半分とは思えない。


「……仕事に戻るぞ」


瀬良はそれ以上何も言わず、淡々とウィッグに視線を落とした。


詩音はそれを見て、どこか満足げに微笑む。


美菜はそれを見届けながら、静かに息を吐いた。


(……気のせいじゃないかも)


千花の言っていた「妙な感じ」が、今になってじわじわと実感に変わっていく。詩音は瀬良に対して、明らかに特別な興味を持っている。


そして瀬良は――


(……気づいてないの? それとも、気にしてないの?)


どちらにしても、落ち着かない気持ちが、美菜の胸の奥で小さく燻り続けていた。


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