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Episode111



美容室を出ると、外はすっかり夜の空気に包まれていた。ビルの明かりがまばらに灯る街を、瀬良と美菜は並んで歩く。


「今日、指名のお客さん多かったな」


「うん。最近、増えてきた気がする」


美菜がそう答えると、瀬良はふと彼女の横顔を見た。仕事の話をしながらも、どこか疲れが見える。


「ちゃんと飯、食ってるか?」


「え、食べてるけど……?」


美菜が少し不思議そうに見上げると、瀬良は視線を前に戻す。


「……細いからさ」


何気ない言葉のように聞こえたが、美菜はわずかに頬が熱くなるのを感じた。瀬良は普段あまり余計なことを言わない。だからこそ、その一言がやけに胸に残る。


「……ちゃんと食べてるよ」


少しむくれたように言うと、瀬良はわずかに口元を緩めた。


「ならいいけど」


二人の歩幅は自然と揃い、静かな夜道をゆっくりと進んでいく。


「瀬良くんこそちゃんと食べてないよね?」


「俺は大丈夫」


「ええ、大丈夫ってなに……」


ぷりぷりと怒りながら美菜は瀬良を軽く叩く。


「……飯でも行く?」


「……んー、いや、今日は帰ってする事あるんだ!」


「そっか」


瀬良はそれ以上何も言わず、美菜の隣を歩き続けた。彼が深く詮索しないのはいつものことだけれど、その一言がどこか寂しげにも聞こえて、美菜は少しだけ罪悪感を覚える。


「でもね、瀬良くん」


美菜は歩きながら、少しだけ声を弾ませた。


「今日はちょっと特別な配信にするつもりなの」


「……特別?」


「うん。みなみちゃんとして、みんなを元気づけたいなって思って」


瀬良は美菜の横顔をちらりと見た。彼女の目はまっすぐ前を向いていて、どこか使命感のようなものを帯びている。


「……そうか」


それだけ言うと、瀬良は静かに前を向いた。美菜はその反応に、少しだけ笑う。瀬良はこういうとき、深くは聞かない。でも、それが逆に心地よかった。


「頑張ることって、時々すごく苦しくなるけど、それでも誰かのために頑張れる人ってすごいと思うの。だから、そんな人たちに寄り添いたいなって」


美菜の言葉は、柔らかいけれど確かな想いがこもっていた。瀬良はふっと息を吐く。


「……お前、ほんとそういうの好きだよな」


「え?」


「人に寄り添うの」


「……だって、私も寄り添ってもらったことがあるから」


美菜の声が、少しだけ小さくなる。誰かの優しさに救われたことがあるからこそ、今度は自分がそうなりたい。そう思うようになったのは、いつからだっただろう。


「だから、今日はリスナーさんにとって、ちょっとだけでも心が軽くなるような配信にしたいなって思ってる」


美菜がそう言うと、瀬良は小さく「そうか」とだけ呟いた。その横顔は相変わらずクールだったけれど、どこか少しだけ柔らかくなった気がする。


「じゃあ、頑張れよ」


「……うん!」


その言葉が、妙に嬉しく感じた。瀬良の「頑張れ」は、ただの応援じゃない。ちゃんと、美菜のやろうとしていることを受け止めてくれた上での言葉だ。


「じゃあ、また明日ね!」


「おう」


美菜は小さく手を振ると、自分の家の方へと歩き出す。瀬良はその背中をしばらく見送ってから、静かに踵を返した。



***



家に帰った美菜は、すぐに配信の準備を始める。マイクをセットし、画面を確認しながら深呼吸をひとつ。


「よし、やるぞ」


配信開始のボタンを押すと、すぐにコメント欄が流れ始める。


『みなみちゃーん!』

『待ってた!』

『今日も癒されに来ました!』


いつもの温かい空間に、美菜の心も少しだけ落ち着いた。


「みんな、今日も来てくれてありがとう!」


笑顔でそう言うと、画面の向こうの誰かに届くように、優しく語り始める。


「今日はね、ちょっとだけ真面目な話をしようと思うの」


『お?』

『珍しい!』

『悩み事は解決したの?』

『どうしたの?』


「あー、悩み事は解決……したのかな?まあそこにも繋がるんだけどね。私だけじゃなくて、リスナーの皆も最近、頑張ってるのにうまくいかなくて苦しいっていうコメントをたくさん見かけてね。だから、そんなみんなに伝えたいことがあるんだ」


『解決して良かったです!』

『探偵回ね』

『俺も毎日上手くいってないわ』

『学校でいじめとかあるからみなみちゃんの話刺さったんだよねー…』


「あのね、頑張ることって、すごく素敵なこと。でも、頑張るのって、実はすごく難しいことでもあるよね」


コメント欄が静かになり、みんなが真剣に聞いてくれているのが伝わる。


「でもね、私は思うの。努力って、必ずしも報われるわけじゃないけど、それでも無駄にはならないんだって」


『無駄じゃないのか…』

『そう思いたいな…』


「うん、無駄じゃないよ。たとえばね、私たちは誰かの優しさに気づくことがあるでしょ? それと同じで、誰かの努力も、ちゃんと誰かに届いてるんだよ。見てくれてる人はいるよ。大丈夫、辛くなったらそばにいるよ」


『なるほど…女神か』

『ちょっと泣きそう』

『みなみちゃんがいい事言おうとしてるぞ』

『(´;ω;`)』


「だからね、つらいときはちょっと休んでいいし、誰かに頼ってもいい。頑張れない時は頑張らなくてもいいよ。泣いてもいいし、誰かを頼ってもいいと思う。完璧な理解は出来なくても、私は寄り添いたい。でも、もしまた頑張れるって思えたら、そのときは一緒に頑張ろう?」


『みなみちゃんマジ天使』

『ありがとう、ちょっと元気出た』

『泣く』


コメントを見て、美菜はそっと笑った。


「私も、みんなの頑張りを応援してるよ。だから、無理せずにね」


そう言うと、画面の向こうからたくさんの『ありがとう』のコメントが流れた。美菜はそれをひとつひとつ目で追いながら、心の中でそっと呟く。


(誰かの心に届いたかな)


優しさは、伝わる。努力も、決して無駄にはならない。そう信じて、みなみちゃんは言葉を送る。


画面のコメント欄には、たくさんの「ありがとう」の言葉が流れ続けていた。


『みなみちゃんの言葉に救われた』

『また頑張ろうって思えたよ』

『本当にありがとう』


優しい言葉が並ぶその光景に、美菜はじんわりと胸が温かくなるのを感じていた。こうして自分の声が誰かに届くこと、それが何よりも嬉しかった。


「ふふ、みんなが少しでも前を向けるなら、それだけで私は十分だよ」


そう呟いたそのとき、手元のスマホがかすかに震えた。


(……ん?)


配信画面には影響がないように、そっと画面を覗く。すると、メッセージアプリの通知がひとつ出た。


――差出人は「木嶋」


(木嶋さん?)


軽く驚きながらも、トークを開く。そこには短いけれど、まっすぐな言葉が並んでいた。


『今の言葉、嬉しかった。ありがとう(^^)v』


シンプルな言葉。でも、その一言に込められた気持ちが、美菜にはちゃんと伝わってきた。


(……やっぱり、見てくれてたんだ)


美菜から見て木嶋は、普段は明るく冗談ばかり言うけれど、本当はすごく繊細で、人の気持ちを大切にする人だ。そんな彼が、この配信を見て、わざわざこうしてメッセージを送ってくれた。そのことが、美菜にとっては何よりも嬉しかった。


指が自然とスマホの画面をなぞり、ゆっくりと返信を打つ。


『見てくれてたんだね。嬉しい。こちらこそ、ありがとう』


送信ボタンを押したあと、ふっと息をつく。誰かに言葉が届くということは、こんなにも温かいものなのだと、改めて感じる。


「よし……!」


気を取り直して画面に向き直ると、みなみちゃんのいつもの笑顔が戻った。


「さて! そろそろ締めようかな。今日はちょっと真面目な話になっちゃったけど、たまにはこういう日もいいよね」


コメント欄には『よかったよ!』『また話してほしい』『泣いた…』と温かい言葉が並んでいる。


「私もね、みんなのコメントに励まされてるよ。だから、これからも一緒に頑張ろうね」


そう締めくくり、最後に小さく笑う。


「じゃあ、今日はちょっとしかできなかったけど、また次の配信でね! おやすみなさい!」


配信終了のボタンを押すと、静かな夜の部屋に戻る。


(今日の配信、やってよかったな)


スマホを手に取り、もう一度木嶋さんのメッセージを見返す。


『今の言葉、嬉しかった。ありがとう』


それは、確かに届いている証。誰かの心に、小さくても温かい灯がともったのなら、それだけで十分だった。


美菜はそっと微笑むと、スマホを置き、ベッドに身を沈めた。


優しい気持ちのまま、静かに目を閉じる。


今夜は、きっといい夢が見られそうだった。


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