Episode100
「……お前な」
瀬良はまだ顔を赤くしながら、美菜を睨むように見つめた。しかし、その視線にいつもの鋭さはなく、ただの照れ隠しにしか見えない。
「ふふっ、冗談って言ったのに」
美菜は小さく笑って、そっと瀬良の手を握り返した。温かくて、少し汗ばんでいる。こうして触れてみると、彼の緊張が伝わってきて、なんだかくすぐったい気持ちになる。
「でも……」
美菜は少しだけ声を落とし、瀬良を見上げた。
「瀬良くん、本当に恋愛経験ないの?」
瀬良は一瞬固まる。そして、不自然に目を逸らしながら、口を引き結んだ。
「……ないけど」
「でも、私が初カノなのに、デートとかスマートだったし、なんか慣れてる感じもあったような……?」
瀬良の肩がピクリと動く。
「……別に、そんなことはねぇ」
「えー、でも、デートコースとかご飯屋さんとか、結構ちゃんと選んでくれてたよね? そういうのってどこで知ったの?」
「……っ」
瀬良は完全に言葉に詰まった。そして、しばらく押し黙った後、やけに低い声でぼそっと呟いた。
「……ネット」
「え?」
「……ネットで調べた」
美菜は一瞬、言葉の意味が理解できず、ぽかんとする。
「えっ……?」
「だから、ネットだって。デートとか、彼女の扱い方とか……いろいろ調べた」
瀬良はバツが悪そうに頬をかきながら、ようやく美菜の方を見た。
「……お前に変に思われたくなかったし」
「…………」
美菜はじわじわと込み上げてくる何かを押さえきれず、ぷっと吹き出した。
「お、お前……笑うな」
「だ、だって……! え、じゃあ、今までの水族館とかのデートプランも……?」
「……まあ、参考にはした」
「え、じゃあ手を繋ぐタイミングとかも……?」
「……まあ、そういうのも……」
「え、じゃあキスも……?」
「…………」
瀬良は完全に無言になり、耳まで真っ赤になった。
「……あの時も、タイミングとか全部調べたの?」
「…………」
瀬良は無言で目を逸らした。その様子がすべてを物語っている。
「~~っ!!」
美菜は堪えきれず、とうとう大笑いしてしまった。
「バ、バカにしてんのか」
「してない、してないって……! でも、なんか……すごいかわいいなって思っちゃった!」
「…………」
瀬良は恥ずかしさに耐えかねたのか、深くため息をつき、椅子にドカッと座り込んだ。
「お前、マジで調子乗るな」
「だって、瀬良くん、意外と努力家なんだもん」
「努力とかじゃねぇ……ただ、普通にしたかっただけだ」
「普通に?」
「お前が……彼女で、俺が彼氏で……そういうの、当たり前にできるもんだと思ってたから」
瀬良はぼそっと言いながら、美菜の手をじっと見つめる。
「……でも、実際は調べてもよくわかんねぇし、お前のペースに合わせようと思ってたのに、結局俺が振り回されてるし」
「……瀬良くん」
「だから、なんか、よくわかんなくなる時ある」
瀬良はふっと小さく息をつき、美菜を見た。
「お前がさ……本当に、俺でいいのかって」
「……そんなの」
美菜は迷いなく、彼の手をぎゅっと握る。
「私が選んだんだから、いいに決まってる」
瀬良の目がわずかに見開かれる。
「私も、瀬良くんのことで悩むことあるし、不安になることもあるよ。でも、それでも、一緒にいたいって思うから……」
美菜は少しだけ顔を近づけて、そっと微笑んだ。
「だから、これからもいっぱい一緒に考えていこう?」
瀬良は何も言わずに美菜を見つめる。そして、ほんのわずかに顔を赤くしながら、小さく「……ああ」と答えた。
美菜は、そんな瀬良の不器用な優しさが愛しくて、ついもう一度手をぎゅっと握りしめる。
「……ありがと」
「……何が」
「私とちゃんと向き合ってくれてるの、すごく伝わるから」
「…………」
瀬良はそっぽを向きながら、わずかに耳を赤くする。
「……最初から、適当にするつもりなんかねぇし」
「うん、知ってる」
美菜がくすっと笑うと、瀬良は少しだけ眉をひそめた。
「今日の美菜、本当、俺のことからかうの好きだよな」
「だって、瀬良くんのそういうところ、かわいいんだもん」
「…………」
瀬良は露骨に不機嫌な顔をしたが、反論せずに黙り込む。美菜はそんな彼の様子がますます愛しくて、つい意地悪な気持ちが湧いてくる。
「ねえ、じゃあ次は……」
「は?」
「ネットの知識じゃなくて、実践で覚えていこうか?」
「……お前、ふざけてんのか?」
瀬良は一瞬で顔を赤くし、睨むように美菜を見た。でも、その目には怒りというよりも、明らかな動揺が滲んでいる。
「ふざけてないよ? だって、知識だけじゃなくて、ちゃんと経験していかないと、ね?」
美菜が楽しそうに言うと、瀬良は困ったように口をつぐむ。そして、視線をそらしながら、低くぼそっと呟いた。
「……そのうち、な」
「え?」
「そのうちって言ってんだろ」
「……ふふっ、うん」
珍しく、自分から先延ばしにしなかった瀬良の言葉が妙に嬉しくて、美菜は小さく笑う。
瀬良は照れ臭そうに目を伏せたまま、美菜の手をぎゅっと握り返した。
***
「……ん?」
部屋の奥から、寝室に追いやったはずの実琴の声が聞こえた。
「……なんかイチャイチャしてない?」
「!!」
美菜は反射的に瀬良から距離を取る。一方、瀬良は一気に顔をしかめ、ため息をついた。
「……寝てろよ」
「やだ、気になるじゃん~」
実琴はドアを少し開け、ニヤニヤとした顔を覗かせる。
「さっきの話聞いてたんだけどさぁ、新羅、もしかしてまだだったりする?」
「……お前、いい加減にしろ」
「えぇ~、そんな恥ずかしがらなくても! てか、美菜ちゃん、こういうのリードするタイプ? なんかそんな雰囲気あるけど」
「えっ、えっと……」
「これからは2人のペースに合わせるつもりだし、口挟むな」
瀬良は実琴を睨みつけながら、ぼそっと言った。美菜は一瞬驚いたが、じわじわと嬉しさが込み上げてくる。
「そっか、それはいい関係だねぇ~」
実琴は満足そうに頷きながら、部屋の奥へ引っ込んでいく。
「……おやすみ~」
「やっと寝たか」
瀬良はげんなりした様子で肩を落とし、美菜の方をちらっと見る。
「……お前ももう寝ろ」
「え、なんか今の流れ的に、ちょっとくらい進展しそうな雰囲気じゃなかった?」
「……するわけねぇだろ」
瀬良は呆れたように言うが、その耳はほんのり赤いままだった。
美菜はくすっと笑いながら、瀬良の袖を引っ張る。
「じゃあ、また次の機会にね」
「……お前、本当に……」
瀬良は文句を言いかけたが、結局言葉に詰まり、ただため息をついた。
そして、美菜の手をそっと握りながら、静かに呟く。
「……そのうち、な」
美菜はその言葉を聞きながら、ふっと微笑んだ。
「うん、楽しみにしてる」
なんとか100話まで書けました。
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