Episode99
瀬良はわずかに眉をひそめ、面倒そうにため息をついた。
「……最悪だ」
「誰……?」
美菜が戸惑いながら尋ねると、瀬良は渋々と答える。
「……姉貴」
「え、お姉ちゃん……!?」
「新羅ぁ!開けてってばー!寒いし、お金ないし、帰れないの!ねぇぇぇ!」
インターホン越しに聞こえる女性の声は、かなり酔っ払っているようだった。ピンポンを連打する音に、美菜は目を丸くする。
「めちゃくちゃ押してるけど……」
「昔からしつこいんだよ」
瀬良は近所迷惑を考え渋々と立ち上がると、玄関に向かう。美菜も気まずさを抱えながら服を整え後を追った。
ドアを開けると、そこにいたのは、瀬良によく似た端正な顔立ちの女性だった。ただし、彼とは違い、やたらと親しみやすそうな雰囲気をまとっている。
「……お前、何時だと思ってんだ」
「新羅ぁ、冷たいこと言わないでよぉ。姉が困ってるんだから、優しくしてくれてもいいじゃん?」
「いや今日は無理だって」
「朝には帰るからとりあえず寝かしてぇーー」
瀬良の言葉を無視し、慣れたように瀬良の隙間を横抜け部屋にサッと入る。
「はぁ、助かったー!って……あら?」
美菜の姿に気づき、目を瞬かせる。
「……新羅、あんた彼女いたの?」
「……そうだけど。てか彼女いるから今日は帰ってく……」
「えぇーーー!あんた初カノ!?いやー、やっと恋する気になったんだねぇ!」
「あっ!バカ!余計な事言うな!」
珍しく、本当に珍しく表立って慌てる瀬良に、美菜は驚きを隠せなかった。
(……初カノ?)
美菜はどうしていいか分からずたじろいでいると、興味津々といった様子で美菜に近づいてくる。
「あなた、名前は?」
「えっ、えっと……はじめまして、河北美菜です!瀬良くんとお付き合いさせていただいております!」
「美菜ちゃん?ふーん、かわいい名前じゃん!いいね、最初の挨拶は大切よね。私は新羅の姉の瀬良実琴、よろしくね!」
ニコッと笑うと、さらに距離を詰め、美菜をじっくり観察するように覗き込んだ。
「ちなみに新羅のどこがよくて?」
「えっ?」
「えっじゃなくてさー、うちの弟、あんまり愛想ないじゃん? それに、口下手でしょ?」
「……まあ、それは……」
否定できなくて、美菜は口ごもる。
「告白は?どっちからぁ?もうキスくらいはした?」
「えっ、あ、あの」
実琴はニヤニヤしながら瀬良を見た。
「ねぇ、新羅?」
「……お前、いい加減にしろよ」
「やだ、話したーい」
瀬良はこめかみを押さえている。
美菜は戸惑いつつも、実琴の人懐っこい性格に圧倒されながら、どうすればいいのかと視線を彷徨わせた。
***
(……実琴さん、初カノって言ってたな……初カノって、瀬良くんの初めての彼女が私ってこと!?)
美菜は動揺を隠しきれずに瀬良を見る。
瀬良は酔っ払った実琴を寝室に無理やり入れて「寝ていいから出てくんな」と吐き捨ててドアを閉めていた。
「……ごめん、こんな事になって」
「いや全然……」
なんとなく気まづい雰囲気が流れるが、美菜は気になっていた質問をしてみる。
「瀬良くん、お姉さんが言ってた…私が初カノって……?」
「……………………ッ」
そこには本当に今まで見た事ない顔の瀬良が立っていた。
目を見開き、耳まで真っ赤だ。驚きも隠せず、口元をおおって汗ばんでいる。
「……別に、そんな大したことじゃねぇだろ」
瀬良はそう言いながら顔を逸らし、咳払いをする。しかし、耳まで赤くなっているのは誤魔化しようがなかった。
「え、でも……本当に?」
美菜が戸惑いながら尋ねると、瀬良は視線を泳がせたあと、しぶしぶと頷いた。
「……ああ」
「そっか……」
美菜は思わず瀬良の顔をじっと見つめてしまう。普段はあんなに落ち着いているのに、今は見るからに動揺していて、それが妙に新鮮だった。
「……なんだよ」
「ううん、なんかちょっと意外で」
「意外ってなんだ」
「だって瀬良くん、かっこいいし、モテそうだし……慣れてるのかなって……」
「……別に彼女いなかったのはめんどいというか、興味がなかっただけ。ゲームしてた方が良かったし。」
瀬良は腕を組んでつぶやく。視線を外したままだが、先ほどよりも顔の熱は引いてきているようだった。
(だから全然キスとかもなかなか進まなかったのかな…?)
美菜は、ふと胸の奥が温かくなるのを感じた。
彼の「初めて」をもらったのは、自分なのだと。
「じゃあ……これからは、私がいっぱい教えてあげるね」
軽い冗談のつもりで言ったのに、瀬良は一瞬で真っ赤になった。
「なっ……!? お前……っ!」
「ふふっ、冗談だよ」
「…………」
美菜はくすくすと笑いながら、瀬良の袖を軽く引っ張る。
まだ赤い顔のまま口を開こうとした瀬良だったが、結局何も言えずに、美菜の手をそっと握り返しただけだった。