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誰が召喚したか知りませんが、私は魔獣ではありません  作者: もっけのさひわひ


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ぴったり、僕の身長分で

「ふ、ふふっ。サモンくんたら、すっかり従僕が板についちゃって」

「そうだろうそうだろう」

 じろ。

「そ、そうでしょう! 黒水晶殿!」


 第二王子サーマル改めただの従僕見習いサモンは、ザコルに睨まれて慌てて言い直した。



 子供達は、そんな珍入者の事は特に気にした様子もなく、近くにいる大人を捕まえて手本をねだっている。


「タイタ、おにーちゃん?」

 小首をこて。ミワのこうげき!

「ぐ、お、お兄…」

 よろめくタイタ。こうかはばつぐんだ!

「よ、呼び方はタイタで結構ですよ。どのようなお手本にいたしましょう」

「じゃあねえ、どんぐりなげ、いちにちごじゅっかい、ってかいて、タイタ!」

「かしこまりました。五十回を毎日とは素晴らしい心がけですね、ミワ殿」


 タイタは、子供達に直接字を教えるのは実は初めてだ。

 子供にも敬語を使うザコルに倣ったか、はたまたオリヴァーを相手にしているつもりなのか、平民の子達相手に丁寧すぎるくらいの言葉遣いで応対している。まあ、あれはあれで教育にはよさそうだ。


 以前タイタが書いた手紙を手本にした事はあるので、あの手紙を書いたお兄ちゃんだよ、と子供達には紹介しておいた。


「今日は灰色コンビもついてきてないんだねえ。もしかして、隣の部屋でメリタと聞き耳立ててるのかな」

「そうだ…です! 黒水晶殿。何か粗相をしたら突入する、と脅されたぞました!」

「ふふふっ、脅されたぞました…」

 全くおかしい敬語だが、彼なりの努力は伝わってくる。

「ねえ、サモンくんも字は上手なんじゃないの。ここに三十四文字を綺麗に並べて書いてよ」


 私の隣の椅子を引いてやり、紙と鉛筆を差し出す。三十四文字、とは、英語で言うとアルファベットにあたる基本の文字である。

 サモンは特に不平も言わず席につき、黙々と三十四文字を書き出していく。やはり幼少期から教育を受けた王族だけあって字は整っている。


 ……正直、ザコルやタイタの方が達筆だが、それは言わないでおいた。それにサモンの字は根の素直さがうかがえるというか、いい意味で飾り気がなく、つまりは読みやすい文字だった。初心者の教本として最適な文字とも言える。


「ありがとうサモンくん。流石だね。私、君の字は好きだよ」

「えっ。……ひっ!?」

 サモンが何故か悲鳴を上げて席を立ったが、それには構わず鉛筆と新しい紙をたぐり寄せた。


 私はサモンの手本を元に、三十四文字の書き取りを始める。まだ三十四文字をしっかり覚えられていない子も近くに呼び、一緒になって取り組んだ。


「…あの、黒水晶殿、あなたも書き取りを? しかしあなたは既に、この国の書物を相当数読み込んでいると聞いたが。今更文字の練習などする意味があるのか…ですか?」


 サモンがそんな私を見て首を捻っている。

 私は何度目かになる、自分に与えられた翻訳能力の不備を彼にも説明した。


「私ね、渡り人特有の翻訳能力によって人の話す言葉や、書かれた文章を魔法の力で理解する事はできるんだ。だから本は読めるの。それから、私の言葉も瞬時に翻訳されて相手に伝わるようになってる。でもね、それではオースト語を真に理解しているとは言えないんだよ」


 サモンは黙って頷きながら聴いている。人の言葉を遮らない、というマナーは身についているのだろう。


「まず、皆の言葉が意訳されて耳に入ってくるせいもあって、正確な発音でオースト語を発語する事はほぼできない。それから、オリジナルの文章を作る事もできなかった。翻訳能力は、あくまで読むことと、声に出しての会話を助ける能力みたいだから。だから私も、ここにいる子供達と同じように字書きを覚えてる最中なんだよ。今は、こうした手書きの筆使いや、口語の勉強をしてるところなの。この間、そこの騎士タイタがお手本を用意してくれたんだ」


 タイタと目が合うと、彼はにっこりと笑って一礼する。


「ミカ殿は既に、様式に則った手紙や報告書をお書きになれる程度には字書きを習得なさっているではありませんか。仮に翻訳能力がなくとも、筆談で詳細な意思疎通も可能なレベルであられます」

 タイタはニコニコしているが、私の方しか見ていない。

 以前『第二王子殿下には敵意しか抱いた事がない』と言っていたので、今も敵だと思っているのだろう。


「手紙や、報告書を書ける…? それなのにまだ練習をするつもりか、いえ、おつもりですか」

「もちろんだよ! 私の場合、字はほとんど写本で覚えたから、本に記されたカッチカチの文字しか書けないんだよ! 自然な崩し方とか、こなれた筆致の再現までには程遠いんだよねえ。それに『美味』とか『風味絶佳』の綴りは分かっても『おいしい』の綴りは分からなかったりするんだよ。全然足りないでしょ!」

「そ、そうかですか……」

 サモンが引いたように上の空な返事をする。

 そんなサモンと私の間に、ズイッと人が入ってきた。

「ひっ」

「ザコル」

「いつまで接近を許しているつもりですか、ミカ」

 じろ。先程サモンを睨んだ視線が私の方に降ってくる。


「この子はガットやミワより弱いですよ」

「それはそうでしょうが…」

「えっ、そのじゅうぼくのにーちゃん、おれよりよわいの!?」

「ミワよりも!?」

 突然名の上がったガットとミワが声を上げる。


「わっ、私があの幼児達より弱いと!? いくら黒水晶殿やザコル殿の言とて聞き捨てならないぞ…なりませんぞ!?」

「サモンくん。子供だからと侮っちゃダメだよ。何といっても、ここはサカシータ領だからね」

 む、とサモンが口をつぐむ。

「いいかなみんな、この従僕見習いのサモンくんはね、今だけこの屋敷で特別訓練中なの。あまりに弱っちいせいで自分の身も守れない子だからね。皆も弱い者いじめはしないように」

「あまりに弱っちい…」


 サモンが複雑な表情で項垂れる。

 実際、この幼児達がドングリを本気で集中砲火でもしたら、サモンがなす術もなく負けそうな気がする。


「おれ、よわいものいじめなんかしないよ! しょうがねえなあ、サモンはおれがまもってやるよ!」

「ミワもまもってあげる。ミワはね、おかーさんみたいにつよいセントーメイドになるんだー」

 ガットとミワがサモンの両脇にきて、ペチペチと励ますようにその長い脚を叩く。

「よ、幼児…!」

 ここに来て心からの善意に触れたのが初めてだったのか、小さな戦闘員達の言葉に感動するサモン。

「でもね、そのサモンくんは字がとっても上手なんだよ。計算も少しはできるでしょ?」

「馬鹿にするな! 私は計算は得意なんだ!」

 計算は得意。つまり、それ以外はあまり得意でないと…。

 しかし得意分野があるのはいい事だ。


「サモンくんは弱っちいかもしれないけど、お勉強ではこの場にいるみんなよりはずっとできる子だからね。文字や数字のお手本は、彼にもお願いしていいから」

 勝手に王子の利用許可を出す私である。


「そうかサモン! じゃあ、こっちにきておてほんかけっ! つぎは、ばーちゃんにてがみかきたいんだ!」

 早速ガットがふんぞり返ってサモンに命じる。

「ミワもミワも!」

「ど、どうすれば…」

 ガットとミワに袖を引かれ、戸惑った視線を寄越し…ているはずのサモン。間にザコルがいるので見えないが。


「その二人の望む単語を紙に書いてやればいい。君ならできるだろう」

 君『でも』できるだろう、と言わないあたりにひとつまみの優しさ。すき。


「な、なるほど? それならばこの私にまかせろ幼児どもよ!」

 サモンは意外にも張り切って幼児達の相手をし始めた。




「で、エビーはなんで気配消してるの?」

「俺、根っからの庶民なんで…王族とかどう相手していいのか分かんなくなっちまって」

 いやいや、それを言ったらアメリアだって…という言葉を飲み込む。


「ほう、子爵子息風情ならば気軽に相手できるのにですか」

「兄貴はいいんだよおー、心広いの分かってますからぁー」

「僕は心が狭いと言われた覚えもあるのですが?」

「そっ、そんな事ありませんよお、姉貴周りに限って超狭いだけですってえ。てか、おかしいっしょその位置」

「別にいいでしょう。立つ場所は自由です」


 ザコルは先程から、私の視界を塞ぐように真横に立ったまま動かない。近すぎて手元が暗いので、書き取り練習も捗らない。


「…ザコル殿はお心が広い、ザコル殿はお心が広い、ザコル殿はお心が広い」

「タイタは何を自分に言い聞かせてるの。心配しなくたって、ザコルはあのオレンジくんよりこっちの赤毛くんの方が五万倍好きだと思うよ」

「す…っ!?」

 ザコルがサモンに向けるひとつまみの優しさを見て動揺しているタイタ、を慰めるために言葉をかけてみたが、余計に動揺させたようだ。姫ポジ騎士心は難しいな。

「姐さんは男を転がしすぎだろ…」

「心外な。私はちゃんと一人に決めてるでしょ」

 ガタッ、ザコルがちょっとだけ遠ざかる。


 サモンの様子が見える。子供達に囲まれて生き生きと文字を書いている。

 外は粉雪がやみ、雲の切れ間から光がこぼれている。

 その柔らかい陽の光は、窓際に座る彼らの頬もふわりと照らした。


 ◇ ◇ ◇


 昼食の三十分前くらいになると、サモンはメリーと灰色コンビによって回収されていった。

 そのすぐ後に用事の済んだらしいママ友軍団がやってきて、ペコペコとお辞儀とお礼を繰り返しながら子供達を回収していった。


 今日のメニューは、隣町パズータ名物ボイルソーセージに葉物野菜のスープ、パン、林檎ジャムを乗せたヨーグルトだ。


「あっ、ヨーグルト! あるじゃないですかヨーグルト! これでヨーグルトフラッペできるじゃないですか! ねえねえ」

「分かりましたから揺さぶらないでください」

「そういう事はもっと揺さぶられてから言って…っ、全然動いてないし…! 壁なの…!?」


 とりあえず城壁みたいな人を揺するのは諦め、手元の小鉢に盛られたヨーグルトとジャムをよく混ぜ、魔法をかけてフローズンヨーグルトにしてみる。


「ここにー、ちょっとだけ牛乳入れてー、まぜまぜー、できた! んーっ、いい感じじゃない!?」

 スプーンですくって口に運んでみれば、限りなくヨーグルトフラッペっぽい飲み物に仕上がっていた。


 林檎の果糖と乳糖の自然な甘みのみなので薄味ではあるが、ヨーグルトも牛乳も新鮮なだけあってコクも香りも強い。こうしてフラッペに仕立ててみれば、まるで生クリームを直接舐めているのかと思うほどの濃厚さだ。材料がいいって素晴らしい。


「姐さん姐さん、俺のもやって!」

「僕のが先です」

 ザコルとエビー、そしてタイタの小鉢も同じようにしていく。


「おいしい…」

 先に小鉢を返したザコルの語彙がなくなった。かわ…


「なーんだこれ、あり得ねえ、牛乳にちょっと甘み足して凍らすだけでこんなにうめーの!? ケーキ屋いらねーじゃん!」

 ケーキ屋の倅、カッツォが聞いたら全力で突っかかってきそうだ。


 そういえば、牛乳を使ってフラッペを作る事にこだわりすぎていたが、アイスクリームも普通に作れそうだ。牛乳と蜂蜜さえあればそれっぽいのが作れる。欲を言えば新鮮な卵も欲しいところだ。


「素晴らしい…。昔王都で食した砂糖をふんだんに使った氷菓など、いっそ下品な食べ物にさえ思えるほどに洗練されたお味です」

「素晴らしい食レポありがとうタイタ。素材が良かっただけだよ。ていうか混ぜて凍らせただけだし…。私のいた国でも、やっすいスイーツほど甘みで風味を誤魔化したのが多かったから、タイタの言いたい事も分かるよ」

「何すかそれ、砂糖のが牛乳や林檎より安いってことすか?」

「そうだね。モノにもよるけど、普通の白砂糖なら安いよ」

「白砂糖が安い!? はあ!?」

「日本ではね、黒糖とか三温糖とか、茶色い砂糖の方が気持ちお高いんだ。和三盆みたいな高級砂糖もあるけど。あ、私は甜菜糖が好きでよく使ってたよ」

「まさか白砂糖が安価などとは…。しかし、おっしゃる通りだ。甘みが強ければ食材そのものの味などうやむやになる。下品と感じる理由はそこにあったのですね」


 タイタが納得したように頷く。ザコルは眉を寄せた。


「ニホンという国は、本のみならず砂糖まで安く大衆に出回っているんですか…。ニホン人も中央貴族も、砂糖で味を誤魔化すとは非常識極まりない発想だ」


 チッカの市場でも少し見かけたが、純度の低い粗糖のようなものでさえかなりの値段だった。日本の感覚でいえば、安い食材に金粉やトリュフでもかけているような違和感があるのかもしれない。


「まあ、こっちのお貴族様は砂糖の量で経済力を見せつけるっていう意図があるんでしょうから、決して砂糖以外の材料をケチっているわけじゃないんでしょうけどねえ。日本だと、新鮮な牛乳や林檎はもちろん、無加糖のジャムや天然酵母のヨーグルトの方が砂糖なんかより断然高級なんですよ。甘いだけのお菓子もそれなりに需要がありますが、健康にもよくないですからね」


 日本人は風味にうるさい。濃い味付けのものももちろん好まれるが、何となく素材の風味や食感がより感じられるものの方が良い物だと思っている傾向にあると思う。


「サカシータは牛乳も林檎もうめーからなあ。これ食っちまったら、砂糖より素材の味をありがたがる気持ちも解るぜ」

 シェフエビーがサカシータ産の食材に太鼓判を押す。いや、パン屋の倅ならベイカーエビーとでも呼ぶべきか。


「僕は砂糖も好きです。塩よりは」

「ふは、兄貴はな」

 ベイカーエビーがさもありなん、と笑う。ザコルが甘党なのは皆の共通認識になりつつある。


「ザコルって、雑草とか野獣とか、素材の味ばっかり味わってた割に、濃い味が平気ですよね。刺激が強いとは感じないんですか?」

「僕は強い渋みや苦味や辛味があっても食べられますので、甘味や塩味の濃さなど今更どうとも思いません。…王都の食べ物はどれも味が濃かったですし」

「へえー、自然界には甘味や塩味を超える強烈な味が眠ってるんですねえ…」


 そんな刺激的な味のものは、まず食用に向かないか人間が食べてはいけない類のものなのだろう。それか、薬やスパイスの類か。

 トリカブトでもドクダミでも唐辛子でも、構わず根ごと採って口に入れてきたであろうザコルならではの言葉である。


「でも、そっか。自然界では甘味や塩味は貴重だから、本能的にそれを求めるようにできていると読んだ事があります。さすがは野生のザコル。甘党も納得ですね」

 そう言ったら、より一層眉を寄せられた。何でだ。

「僕が言うのも何ですが、ミカは心が広いですよね。婚約する相手が粗野を通り越して野生でも許せるなんて」

 眉を寄せながらも、溶けたフラッペを小鉢から大事そうにすすっている。かわ…


「また私の何を疑ってるのか知りませんけど、知性を持ち合わせた野生なんて凄いじゃないですか。世界広しといえど、ここまで毒や刺激物の味を知ってる人もいないでしょうからね。話を聞くだけでも楽しいです。それに私は、あなたが何を食べようと健康でいてくれたらそれでいいんですよ」

 にこ。

 むぐっ、げほげほ…。

「えっと、何で私が笑いかけるたびに動揺するんですか…?」

 今のは作り笑顔でもニヤけ顔でもないはずなのに。

「その聖母のような顔はやめろ!」

 タイタはニッコニッコしてこちらを見ている。

 エビーははああ、と溜め息をついた。

「……この後に及んで笑顔一つで動揺するとか、重症すぎるっつか拗らせすぎっつうか、もういっそ後退してんじゃねえすか…。や、ほんとに今日から俺らも同じ部屋で寝ましょうか?」

 ザコルはしばらく呆然とエビーの顔を見たものの、しばらくしてブンブンと首を振った。




 昼食の下膳が終わると、メイドの一人が先触れにやってきて、約束通り同士村女子達とアメリア御一行が食堂にやってきた。


「ザコル、あなた、少し顔が赤くないかしら。もしや、また何かされたというの…」

 アメリアがザコルの顔色を見て気遣う言葉をかける。


「何かってか、ちょっと聖母みたいに微笑まれただけでこのザマすよ、笑ってやってくださいお嬢…いでっ、何すんだ! もう心配してやらねーぞ!」

「うるさい黙れ」

 ドングリを投げつけられたエビーが額をさすった。

「そうよエビー、ザコルを揶揄わないでやってちょうだい。わたくしだってお姉様の慈愛に満ちすぎた微笑みには何度卒倒するかと」

「お解りいただけますかお嬢様。ですが傷口が広がるので黙ってください」

 もう普通に黙れって言っちゃってる。伯爵令嬢相手にあれはどうなんだ。

「そ、そうね。配慮が足らなかったわ」

 アメリアがそっと自分の口を手で押さえた。黙れ発言については気にしてないどころか、申し訳なさそうですらある。


「なんだこれ、お嬢が変態の肩を持ち始めたぞ…」

「ついにお嬢様まで毒されて…」

 未だに額をさするエビーと、アメリアの背後にいたハコネが嘆かわしいとでも言いたげな表情で呟いた。



 前にタイタが町で買い付けてきた、というか畜産家の元にどしどし集まったご婦人方が超特急で紡いでくれた大量の毛糸と、そのご婦人方が譲ってくれたという編み棒を机の上に出す。

 ピッタとユーカとカモミの三人も持参した大袋をドサッと机に置く。紐を解くと、中からは大量の毛糸が転がり出た。


「それ、まさか町外で買い付けてきたとか…」

 編み物会の約束をしたのは今朝の話だったはずだが。

「まさか! そんな時間はありませんよ! これ全部、シータイ町内で作られた毛糸です。と言いますか、午前中に集会所でちょっとそんな話をしてたら、昼時にはもうこの大袋を渡されました。代金を払うと言ったのですが、原毛代になるかならないかぐらいのお金しか受け取っていただけず…」

 ピッタが気まずそうに両手の人差し指を合わせる。


「あの、私とティスはこちらを、もう使わないからと譲っていただきました。えっと、宿の夫人とそのお友達に…」

 そう言ったルーシとティスが持参した布包みを広げると、ジャラジャラと大量の編み棒やかぎ針が出てきた。


 彼女らが持っている包み布を見るに、どうやら風呂敷は広く普及している道具のようだ。

「いや、風呂敷はいいんだよ風呂敷は。えっと、こっちの毛糸もね、タイタに買い付け頼んだら、町民の方々が一から紡いでくれちゃったものなんだよ。あれもどうやらかなり安かったみたいで…。困ったなあ、全員の名も顔も分からないし、お礼のしようが…」

 ザコルが編み棒をひと組手に取った。

「まあいいじゃないですか。畜産家も紡ぎ手も、あなたからの礼など求めていません。ミカが民のために編むつもりなのは分かりきった事ですから。せめて材料や道具くらいはと思っているだけでしょう。で、どうすればいいのかさっさと教えてください」


 隣に立つ人の顔を見上げれば、何やらキラキラと輝く瞳が目に入った。


「あれ、もしかして楽しみにしてらっしゃる…?」

「これは編む作業でしょう。僕は編むのは得意です」


 やる気満々のザコルとタイタ、そしてアメリアを側に呼び、とりあえず基本的なガーター編みの説明をする。

 タイタは覚えがあるからやってみると言って、まずは一人で取り組み始めた。ザコルの方は二段ほど編み終わるまで見守っていたが、あとはできると言って一人集中し始めた。

 生粋のご令嬢であるアメリアは、話を聞く限り刺繍は中級以上の腕前らしいが、編み物はあまりした事がないらしい。なので、数段編むまでは面倒を見る。数段編めて慣れたと思ったところで目を飛ばしたり、力が入って編み目がギチギチに詰まったりするのが編み物初心者あるあるだ。リカバリーの仕方も込みで教えなければならない。


 向かいの席の方では、アメリアの侍女達と同士村女子に教わりながらエビーとコタが挑戦している。カッツォとラーゲはこの後の林檎の加工に体力を温存するとか言って、ハコネと一緒に扉近くに控えている。


 しばらくして、予想通り網目を飛ばして形がおかしくなったアメリアのマフラーを解いていると、タイタが申し訳なさそうに声をかけてきた。


「ミカ殿…。申し訳ありません。糸がすくえなくなりまして…」

 見てみれば、これまた予想通り力の入りすぎで編み目が詰まっていた。毛糸が編み棒にキツく巻きついていて、ループをすくうどころじゃなくなっている。

「ふふ、力みすぎだよ。こんなにキチキチに編まないで、もっとふんわり編む事。それからその糸のテンションを一定に保って編む事。数段解いてやり直しね。でも網目は抜かしてないね。流石、編み方をよく見ていただけあるよ」

「はは、記憶の中の母はいとも簡単に編んでいたように思うのですが…。これは想像以上に高度な作業だったのですね。まさに指先の鍛錬に最適です」


 タイタはザコルの方をチラッと振り返る。ザコルは既にベテランかというスピードで編んでいる。編み目抜かしはおろか、びっくりするくらい均等に編まれている。


「エビーが語っていた通り、あの方は何をさせても最終兵器であられるな…」

 昨日の林檎ジャム作りには同席していなかったタイタだが、エビーからザコルの様子を聞いたのだろう。

「本当だねえ。得意そうだとは思ったけど、こんなものの数分であのスピードに達するとは」

 まるで自動編み機でも見ているような気分だ。あっという間に毛糸玉が小さくなっていく。


「ミカ、糸がなくなったらどのように継ぎ足しますか」

 ザコルがふと顔を上げて私の方を伺った。

「機結び、って分かります? こういう感じの結び方なんですが」

 あまり結び目が大きくならない結び方を実演してみせると、ザコルは頷いた。

「僕も捕縛用の網作りでは、その結び方で糸を継ぎます。不思議ですね、世界が違えど糸の結び方や編み方は同じとは」

「ふふ。そうですねえ」


 アメリアに途中まで解いて編み棒を挿し直したものを渡してやると、私も毛糸の山に目を走らせる。

 タイタが買ってきた毛糸は、元はといえばコマの帽子を編むためにわざわざ紡いでもらったものなので色も太さも均等だ。ピッタ達がもらった毛糸は、大勢が手分けして紡いだか、家にあったものを持ち寄ってくれたようで、太さや色合いにばらつきがある。初心者が混乱しないよう、太さ順でざっくりと分けておいた。


「染めてある糸も少しありますね、この赤いの使っちゃおうかな。細さも丁度良さそう」

 私は、ルーシとティスがもらってきた大量の棒の中から手頃なかぎ針を手に取った。

「ミカお姉様は何をお作りになりますの?」

「子供達に、靴下でも編んであげようかなと」

 リブ編みってどうやるんだっけ…などと考えつつ、適当に編み始める。


 午前中に何人かの子供達の足の大きさを測らせてもらったので、それを参考にしながら編んでみる。編み物はいい。何せ、糸を解けば元通り一からやり直せるからだ。


 編み上がっても納得がいかず解き、三回くらい繰り返して納得の一足ができた。

「赤い靴下でーきた!」

「まああ! なんて可愛らしいの。飾っておきたいくらいですわ!」

 小さな靴下をアメリアが感動したように眺めている。

 私は違う色の毛糸で手早く花の形を編み上げた。

 それを赤い靴下に飾りとしてつけてみせれば、彼女はますます可愛い可愛いと褒めてくれた。

「…妹…よき…」

「ミカ、顔が崩壊しています。しっかりしてください。僕の方は、一体どのくらいの長さまで編めばいいんですか」

 そう言われてザコルの方を見れば。彼の手元のマフラーは既に一メートルを超えていた。

「えっ、何、早っ、もうそんなに編んだんですか!?」

「はい。あまり長すぎても邪魔でしょう」


 向かいにいるエビーが「うわー…」と呟いている。彼の手元にあるのはまだ二十センチというところだ。初心者としてはあれでもよく編めている方だと思うが。


「そうですね、ええと、一般的なマフラーの長さは、身長のプラスマイナス十センチ以内、だっけ…? じゃあ、ザコルの身長くらいというか、両手を広げた長さくらいで丁度いいんじゃないでしょうか」


 百七十センチくらいで作れば、ほとんどの人が使える長さになるはずだ。ザッシュやタイタくらいの身長の人では少し足りないかもしれないが。

 ザコルは自分の両手を広げてみせ、ふむ、と頷いた。

「あと少しですね。終わったらまた声をかけます」


 反対側のアメリアからは「ザコルの身長くらい…ですって…?」と悲壮感漂う呟きが聴こえてくる。アメリアの手元のマフラーは、まだ十センチになったかならないかくらいだった。


「普通、二時間やそこらでマフラーは出来上がりませんから。それだけでも編み進められたなら充分です。だからそんなに気落ちしないでください。本来はもっと気長に取り組むようなものですよ」

 じっと自分の作りかけマフラーを見つめるアメリアに声をかける。

「そうですわね…。わたくし、空いた時間にでも少しずつでも編み進めて完成させてみせますわ! ね、タイタ!」

「ええ、そういたしましょうお嬢様! 俺も、結局この長さしかできず……はは」


 タイタとアメリアの進捗は似たようなものだった。タイタはどうしてもキツキツに編みすぎてやり直す事数回、アメリアは編み目を飛ばしてはやり直す事数回、二人とも二十センチに達したかどうかというところだ。それでも頑張ったと思う。


 仕事が手芸関係のユーカとカモミ、アメリアの侍女四人のうち編み物上手な二人はケーブル編みに挑戦していた。編み物初心者のコタを教えていた残りの侍女二人とルーシは実演も兼ねてガーター編み、エビーを教えていたティスとピッタもガーター編みだ。


 それぞれ、二十センチからよくできて四十センチ弱というところか。人に教えながら二時間で四十センチ編んだカモミもなかなかだ。

 そんな訳で当然だが、誰も完成まではいっていない。…一人を除いて。


「兄貴はマジやべーわ。何がどうして五本もできてんすか。異次元すぎんだろ」

「その通りですよ猟犬様。今日初めて編み棒を握ったお方が、この場の誰よりもたくさん編めてるだなんて…」


 エビーとピッタが感心半分、呆れ半分といった顔でザコルが編んだマフラーの山を眺めている。


「僕は編むという作業が元々得意なだけです。大体、ミカだってあんなに細かそうなものを十個も作っているではないですか」

「あっちは玄人だろが。かぎ針編みと棒編みじゃまた違うんだろうしよ」


 ザコルの言う通り、私の方は子供の靴下が十個、つまり五足でき上がっていた。

 赤い毛糸で三足、生成りの羊色で二足。同じ生成りでも茶色っぽいのと白っぽいのがあるので、穿き口の部分だけ色を変えてみたりと工夫した。なかなか可愛らしくできたと思う。


「そのかぎ針編みもぜひ教えていただきたいわ」

「もちろん教えますよアメリア。でもまず、そのマフラーを完成させましょう。ちなみに、人並みよりも背の高い人だと、ザコルの身長に手のひら一枚分足したくらいが丁度いいはずです」

 そう言えば、アメリアが目をぱちくりとする。

「…? わたくし、背は人並みですわよ?」

「誰かに贈りたいなら、という話ですよ」

 む、と考えていたアメリアの頬が徐々に染まっていく。

「も、もう、やめてくださいまし! これが完成したとしても、とても人様に贈るような出来にはなりませんわ!」

「何言ってるんですか、アメリアが作ったものなら何でも国宝ですよ。それこそ額装して飾るレベル…」

「真面目なお顔で何をおっしゃっておられるの!!」

 アメリアにパシパシと腕を叩かれる。可愛すぎる…。


「ミカはまた顔がおかしくなっていますよ。…で、その、これを」

 ザコルが、自分で編んだマフラーのうち、最後に編んだ一本を私に差し出す。

「……? これを?」

「最後のは、より均一に編めたと思います。ぴったり、僕の身長分で」


 ザコルはそう言うと、差し出したマフラーを二つ折りにし、私の首にかけて端を輪に通した。

 そして、フイッと顔を逸らす。

「…片付けましょう。ジャムを作るんでしょう」

 こちらに背を向けたザコルは、机の上に散らばった毛糸の切れ端をまとめたり、毛糸玉を集めて袋に入れ直し始めた。他の皆もその様子を見てそろそろと片付けを始める。


「ふええ…!」

「なっ、何で泣く!?」

 私の泣き声で思わず振り返ったザコルに、皆が口や顔を押さえて何かを飲み込んだ。



 ◇ ◇ ◇



「ミカ様、白湯でもいかがですか」

「お姉様ったら、まだ涙が止まりませんの」

「ふべえ…」

 アメリアとピッタが私の両脇で背をさすってくれている。


「ぶ、不器用な愛…ッ、たまの紳士らしからぬ言動をも打ち消すこの破壊力…ッ」

「タイさんももう泣きやめよ。そのセリフもう五十回目だぞ」

 エビーはタイタの背をバシバシ叩いている。


 ハコネと幼馴染騎士三人組は『うへえ』という顔、侍女四人組は沈黙、同士村女子達はどこかほっこり顔。居た堪れない…。


「ミカ、顔を洗いに行きましょう。涙でベタベタでしょう」

 ザコルの言葉に、はっと気づいて顔を上げる。顔もベタベタだが手もベタベタだ。こんな状態で林檎を触ったらジャムに治癒効果を付与しかねない。

「いびばふ」

「…………今のは『行きます』ですか?」

 怪訝な表情のザコルに、こくこくと頷いてみせた。



 皆の生ぬるい視線に見送られながら廊下に出て、庭に通じる扉の方へと歩く。


「…あの、皆の前で、余計な事をしてすみませんでした」

 口からまともな言葉が出てくる自信がなかった私は、ふるふると首を横に振った。

「では、余計ではなかったと思っていいですか」

 こくこくと頷く。

「…よかった」

 ふ、とザコルがほのかに笑う。

「ふべええ…!」

「やっぱり余計な事をしてすみません!!」


 あーっ、と野太い声が廊下の向こうでする。

「ザコル様がミカ様泣かしてら」

「女帝が飛んでくんぞ」

 はははは! と、小屋を建てていた男達が笑う。どうせ大した理由じゃないと思ってるんだろう。その通りだ。


「おぶろでびばじだが」

「ミカ様は何言ってんですかい…」

 ガット父がザコルの方を見た。

「恐らく、お風呂はできましたか、と」

 こくこく。

 男達は、泣き顔を隠しもない私に「うちの聖女はしょうがねえな」と笑った。


「風呂はほとんどできてるぞ。今、試しに交代で風呂に水を汲み入れてるとこだ。レンガの床が水の重みで歪むかもしれねえしな」

 歪んだらどうするのかまでは考えていないようだが、たとえ歪んでも不便がなければそのままにするようだ。


「雪が本格的に積もったら排水できなくなる可能性もありそうだが、まあ、そん時ゃそん時だろ」

「凍りついちまうのだけは気をつけねえとな」

「ミカ様が前に言ってた、まきぼいらー? っての? を作るかもしんねえしな。そしたらどうせ床なんざ全部やり直しだ」


 とりあえず、しばらくの間だけでも保ちゃいいんだ、と男達は頷きあってまた笑った。大雑把で大変良い。

 私が水を張っている途中の湯船を指さすと、ザコルがこくりと頷いてくれた。



 湯船に溜まった水を熱湯にし、ザコルが樽から足りない分の水をザバーと入れてやり、足し湯用の樽も熱湯にして、フゥーッ! 風呂だ風呂だァ! と盛り上がる男達に手を振って食堂に戻る。

 小屋を建ててくれた人々に一番風呂を提供できてよかった。


「ついでに顔と手も洗えたし」

「落ち着きましたか」

「ええ、てきめんに」


 やはり魔力は定期で使わないと醜態を晒すのはデフォだ。


「ふへ、でも嬉しいな」

 首に巻かれたもふもふのマフラーを手でぎゅっと抱く。

「飾り気のないものですみません…」

 生成りの糸一色で編まれたマフラーは、確かにシンプルで素朴な印象だ。


「他ならぬザコルが作ってくれたんですから、この世のどんな素晴らしいドレスや宝石にも勝る、私のための一本ですよ」


 るんるんで帰ったら、部屋に残っていた面々がホッとしたように笑って迎えてくれた。



つづく

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