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誰が召喚したか知りませんが、私は魔獣ではありません  作者: もっけのさひわひ


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銀世界① 雪国師匠の言葉はまことであった

「で、兄貴は朝っぱらから俺に何の懺悔がしたいんすか」


 男達が二人、薄暗い部屋の隅でコソコソやっている。


「昨日、記憶がどうも曖昧なんだ…。ミカに冷たくされて、思い上がるなと言われて、どうしたいのかと訊かれて、気づいたら自分から一緒に寝ると言わされていて…そこからは何が何だか……ぼ、僕はもう自分の精神を制御できる気がしない…!! お願いだエビー、今夜は一緒に」

「フツーに嫌すよ。転がされた経緯が手に取るように分かりますもん。兄貴が制御できなくても、姉貴が制御できてんだから別にいいっしょ」

「いい訳ないだろうが!!」


 随分と声の大きい内緒話だ。あれでコソコソしているつもりなんだろうか。


「あーもー、あんたら貴族出身者はホント耐性ねえなあ。お嬢といいタイさんといい…。社交界ってのはそんなんでもやっていけるもんなんすか?」

「社交界での駆け引きは全くの別物だ!! …しかしそうだ、だから平民出身のお前に頼んでいるんだろうが! 現状あのお転婆にまとも説教できるのはお前だけなんだぞ!!」

「掴みかかんなって。俺だってガキ扱いされてんだ、説教なんざまともに聞いちゃあいねえよ」

「そんな事ないよー。ちゃんと聞いてるって」

 私はそう言いながら身を起こす。

「あ、おはようございます姐さん」

 ぎく、ザコルが恐る恐るといった様子でこちらを見た。

「おはよう、エビー、ザコル。寝起きの姿なんて、あんまり見せたくないんだけどな」

「はいはい。おら兄貴、外に出んぞ」


 エビーがザコルを引きずって廊下に出て行った。扉が閉まるのを見届け、私はググッと伸びをして立ち上がる。もう既に暖炉には新しい薪がくべられていて、部屋はほんわかと温まっていた。ザコルかエビーが先にくべてくれたものだろう。


 ぱぱっと着替えて洗面をし、口をゆすぎ、外に吐き出そうと窓を開ける。途端に肌を刺すような冷気がなだれ込んできた。この次元の違う冷気に触れるのは、中学の冬の課外授業でスキー場へ行った以来かもしれない。


「わあ…! これ、もしかしてすっごい積もってる…!?」


 薄暗闇の中、地面と空が全て濃い灰色に塗られたようになっていた。日が高くなれば全てが白く塗り替わるに違いない。

 雪は昨日、降り始めの粉雪から、夜にかけてザコルの言うところの『ぼたぼた』と落ちる雪へと変わっていた。昨夜の時点でもそこそこ積もっていたのだ。今日の鍛錬はきっと大変だろう。



 トントン、控えめにノックがされる。

「ミカ、マージが真冬用の外套と、雪用の滑り止めが付いた靴を持ってきてくれました。靴は何足かあるので試し履きして欲しいそうですが」

「あ、今開けます」


 扉を開けると、ザコルに続き、マージと従僕見習い三人が靴を数足ずつ持って入室してくる。


「おはようございます、マージお姉様。お気遣いくださりありがとうございます」

「おはよう、ミカ。お忙しい時間に申し訳ありません。昨日今日でここまで積もるとは思っていなかったものですから、用意がありませんでしたの。今日の所はわたくしのお古になってしまうのですが、よろしいでしょうか」

「もちろんです! お借りできるだけでもありがたいです。…あの、私、結構靴には負担を強いる方なんですが、大丈夫でしょうか…」


 テイラー伯爵夫人サーラに借りたブーツは、屋敷の使用人が手入れしてくれているもののかなりくたびれてきている。ピッタに借りた運動用の軍靴もまあまあの使用感が出てきている。こちらはもう買い取らせてもらうつもりだ。


「ふふ、わたくしもそれなりに鍛錬はしているのよ、遠慮なく動いてくださって問題ないですわ。しっかり使い込んだものを選んできましたから、慣れない雪の上でも動きやすいかと」


 差し出された軍靴を手に取る。底に金属製の滑り止めが付いていた。確かに革がかなり柔らかくなっており、その上からしっかりと油分を刷り込ませてある。サイズが合いそうな物を試し履きさせてもらい、馴染みの良かった一足を貸してもらう事にした。


「今、エビーさんとタイタさんにも靴を運ばせているところですわ。コリー坊っちゃまも、ミカの髪を結い終えたらお試しになって」

 私の髪をきっちりポニーテールに結んだザコルの前に、オレンジ髪の従僕見習いが男物の軍靴を差し出す。

「礼を言います、サモン」

 ザコルは部屋着のまま二足ほど試し、サモンが最初に出した一足に決めた。


「は、発言をよろしいでしょうか、ザコル殿」

「何ですか、サモン」

「き、昨日の感想をどうしても伝えたく…! あ、あれは凄かったです! 何がどう凄かったかと言われると説明はできないが、本当に凄かったぞ…です!!」


 語彙力に問題はあるが、いたく感動したという事は伝わってきた。


「そうですか。あの鍛錬の様子は、君には少し刺激が強かったのではないですか」

「わ、私だって剣術や護身術くらい嗜んでいる…っ、た、嗜んでいますし、王家主催の武術大会は毎年見学していました。確かに、あのように……躍動感? のある鍛錬は初めて見たが、どの者も同じ人とは思えぬ程の強さで…。私の見ていた世界とは随分と色味が違った、のです!」

 ふむ、とザコルが頷く。

「色味が違う、ですか。面白い表現をしますね。素直に泥臭いとか、野蛮と表現してもいいのですよ。王宮騎士団のように優雅なものでは決してありませんから」


 王宮騎士団、見たことはないが、きっと煌びやかな制服を着た品のいい集団なのだろう。


「い、いや、何と言えばいいか分からないが、あれを見て決してそのような表現はしたくないのだ! 私は、あれはあれで美しかったと思う! あの酔っ払い男…いや、前モナ男爵が言った通りに、土や汗にまみれてまで、己を極限まで高めた強き者らをしてこの辺境を守り得るのだと、私はあの光景を見て非常に納得したのだ! そう、王宮にいては決して見られぬ世界だった。王宮のような飾りや輝きなどどこにもないというのに、そんなものよりもずっとずっと色鮮やかに感じたのだ。こう、人が放つ色に意味や温度があるというか…! ああ、私にもっと詩の才があれば…!!」


 サモンが頭を抱える。もう敬語の事は頭から抜け落ちているようだが、失礼な事を言いたい訳ではなさそうだ。


「人が放つ色に意味や温度がある、だそうです。僕は割にいい表現だと思うのですが、どうでしょう、ミカ」

 私に話が振られた。実況と解説のようだ。

「そうですねえ、私もそう思いますよ。こう、ストンとくる表現って感じですよね。要は、虚飾でない、人間の生を実感できる光景を見たと、そんな感じの事を言いたいんじゃないですか、サモンくん」

「そ、それだ!! なんと研ぎ澄まされた表現だろうか! 虚飾でない、人間の生を実感できる光景を見た。ああそうだ、私はそんな感動を伝えたかった! 書き留めてもいいだろうか、黒水晶殿!!」

「え、ええ、どうぞ」

 私が戸惑いつつそう伝えると、サモンはベストの内ポケットからメモ帳らしき紙束と万年筆を取り出し、私が言った台詞をぶつぶつと唱えながら書き付けた。

 正直、今のは別に上手く言ったつもりないんですけど、とムズムズした心地になる。


「私はどうも学んだり覚えたりという事が苦手なのだ。だが、どうやら何度も時間を置いて反芻していれば割と覚えられる、という事を最近発見したのだ。ザコル殿や黒水晶殿の言葉はこうして書き留めて、後から何度も読み上げて自分の中に留める事にした!」


 まるで新しい勉強法を見つけたかのように胸を張るサモン。人はそれを『復習』と呼ぶのだと喉から出かかったが堪えた。

 真面目な学生達の間では割と一般的な方法だと思うが、彼はこれまで自発的に何かを学ぼうとした経験が少ないのだろう。まあ、自分に合った勉強法が見つかったのはいい事だ。


「そうですか、僕も机に向かって勉強する事は苦手です。自分なりに工夫するのは素晴らしいと思いますが、僕の言など後から読み返したとてためにはならないと思うのですが」

「謙遜するな! この紙に一番に書いたこの『ただのサモンは、ここにいない者に忖度する必要はない』とはザコル殿の言だ! 本当は、覚えるのが苦手だなどと人に話したり、あまつさえ人前でメモを取るなど王族のする事ではないと母上や教師には叱られるのだが、『ただのサモン』でいる間は私も土や汗にまみれていいのだろう!? 私はただのサモン! ああ、なんと甘美な響きだろうか!」


 舞台俳優のように手を広げ、天井を仰ぐサモン。まあ、なりふり構わず学ぼうという姿勢は大事だと思う。


「それにしても黒水晶殿、あなたの深い青の煌めきは今日も素晴らしいな! ここは深海かと見紛うたぞ!」

「え」

 思わず声が漏れる。

「で、殿下…! それは…!」

「ザコル殿の若葉色の煌めきも……ぬ、今日は少し色が違う気がするな、だが珍しい緑の柘榴石のようでそれもいい! この地の者達は美しい色をまとっている者が多いだろう、昨日の鍛錬ではその煌めきがあちこちで弾けて、それは素晴らしい光景だったのだ! 特に黒水晶、あなたがいると一段と空気が輝いて見える気がする!! 人のまとう色が見えるなどと口にするとまた母上に叱られるが、私はただのサモン! もう何にも忖度などしてやらないのだ!」


 ははははは! と見事に余計な事らしい事を叫んだサモンを、灰色コンビがサササと確保し、ご内密に! と釘を刺して部屋から強引に連れ出した。




 バタン、と扉が閉まると、マージと私達だけが取り残される。


「全く、あの大きな子犬にも困ったものですわね、人を貶めなくなったのはまだいいのですけれど…」

 マージがおっとりと片手を頬に当て、首を傾げる。大きな子犬が何を言っても動じていない様子は流石だ。


「……あの子、魔力が視えるタイプの能力者だったんですねえ…。そりゃ、反抗期に親が持て余すはずですよ。今も持て余してるんでしょうけど…。帰国後も幽閉まではせず、自由にさせていたのはいっそ親の愛なんですかねえ…」

「さあ、どうでしょうね。一応、機密だという意識はあったようですが。幸い、この町の者はあの手の能力者に馴染みがある。何かあったらシシの縁者だという事にしましょう」

「勝手にそんな事、シシ先生の意思も確認せずに…」

「ここにいない者に忖度する必要はありませんから。何、聞かれたらほのめかして噂にするだけですよ」

 ニヤリ。

「あ、出ましたね、裏社会のドン」


 コンコン、雑なノック音がして訪ねてきたのはエビーとタイタだった。

「あれ、兄貴まだ着替えてねえんすか。もう行きますよ」

「すみません。すぐに支度するので、ミカは廊下で待っていてくれますか」

「はい。分かりました」


 私はいつもの肩掛けカバンと、ローテーブルの上に置かれたカゴから林檎を一つ手に取り、マージと一緒に廊下に出た。


「今ね、ちょっと従僕見習い君が爆弾発言してたから遅くなっちゃったんだよ」

「へえ、オレンジ頭の奴っすか。さっきメリタに連れてかれるのは見ましたけど」

「あの方は、またザコル殿に絡みに来られたのですか…!」

 敵意をあらわにするタイタをどうどう、と宥める。


「ミカ、わたくしも昨日の感想を伝えたかったの。今いいかしら」

「ええ、もちろんですマージお姉様」

 マージがにっこりと笑う。

「昨日は、若いのに刺激を与えてくださってありがとうございました、ミカ。あれでも有望な者達なのよ、そのうちの従僕三人を限界まで走らせるなんて想像以上だったわ。剣や弓はまだまだ上達しそうですわね。そこでご提案なのですが、今日は、わたくしが手合わせのお相手をいたしましょうか」

「えっ、本当に!? いいんですか!? 嬉しいです! よろしくお願いいたしますお姉様!!」

 がば、九十度、いや百二十度くらいのお辞儀をする。

「まあ、お顔を上げてくださいな。わたくし、少々厳しい方ですわよ、それでもよろしいのかしら?」

「望む所です! 厳しくしていただいた方がきっと早く上達しますから!」

「ふふ、坊っちゃまが可愛がるだけあるわね、いいでしょう。では、わたくしは着替えてから後を追います。先に出立なさってくださいませ」

 そう言うとマージは踵を返し、優雅に自室へと戻っていった。


「やったー、わーい、お姉様がお相手してくれるってー!!」

 語彙力が小並…小学生並みになった私は、持っていた林檎を笑顔でかじる。

「お嬉しそうですね、ミカ殿。町長殿ならばきっと素晴らしいご指導をくださるでしょう」

「ミカ坊、よかったすねえ。本当ならあの兄貴が手合わせしてくれりゃ解決だってのに」

「ザコルは人気者だからねえ。私だって手合わせしてもらいたいけどさ、あの長蛇の列を見ると気が引けちゃうよ。それに、以前は体格が違うからって教えるのも断られちゃったし」

「あれはコマさんっていう適役過ぎる凄腕教師がいたから譲っただけっしょ。まあ、あのヘタレが姉貴に刃を向けるなんざどうせ無理…」

 ガチャ。

「余計な事を言うな」

 扉を開けて開口一番、エビーを牽制するザコル。

 急いで出てきたのか、マントの片方がダランと外れてしまい、慌てて着け直している。

「そうだぞエビー、ミカ殿に刃を向けるなど、ザコル殿でなくとも勇気のいる所業だ」

 四人で歩き出しつつタイタが援護を出す。

「でも以前、ザコルって護身術の相手はしてくれてましたよね? 獲物を持っての相手だってそう変わらないんじゃ…」

 ザコルが返事する前にエビーが首を振る。

「素手相手とは全然違うと思いますよお。特に姐さんは戦闘勘の鋭さが未知数みたいなとこありますし、隙を突かれでもしたら、こっちも反射で手を出しちまうんじゃねえかっていう怖さもある。昨日、お姉さん方に手合わせ断られたのは、そういう危惧もあったんじゃねえすか」

「そうかも。刃物だとお互いに怪我するリスクが大きく跳ね上がるもんね。やっぱり、獲物を持っての手合わせって、どっちもそれなりに極めてないと危ないんだねえ。え、じゃあお姉様にもお断りした方がいい!?」

 私はマージの寝室方向を振り返る。

「マージは承知の上で言い出したんですよ。あの義母の腹心だった者ですし、あまり覚えていませんが、幼い僕の相手もしていたと思います。ミカが本気でかかっても平気でしょう」


 ザコルの言葉を聞いて、戦闘民族のお世話係は退役後どこだかで無双する、みたいなラノベタイトルが頭の片隅に浮かんだ。実際、マージも他領や他国で無双できる程度には強いに違いない。


「まあ、兄貴やタイさんがミカさんに刃を向けられねえのは実力以前の問題かと思いますけどねえ」

「ふん、お前だってミカに相手を頼まれたくせに、僕を引き合いに出して断っていただろうが」

 じろ、ザコルがエビーを睨む。

「バレてら。へへっ、実は俺も怖えんすよ、ミカさんに刃を向けるのはさ。こう、身がすくむっつうか…」

「解るぞエビー。ミカ殿、俺も型や技をお教えするのならばお力になれるでしょうが、実際に刃を合わせるのには抵抗があります」

 エビーとタイタが頷きあう。


「…分かった。皆が安心して刃を向けられるように今はひたすら修練を積め、という事だね。初心者を脱したら改めてお願いする事にします!」

「そういう事じゃあねえんだなあ…」

「さあさあさあ今日も張り切って行こー!」

 駆け出そうとしたら、ガッとザコルとエビーに服を掴まれた。何か、前にもこんな事があったなと既視感を覚えた。



 ◇ ◇ ◇



 ぎゅ、ぎゅぎゅっ、新雪を踏み固める音を響かせながら、灰色の空の下、町の中心を進んでいく。積雪二、三十センチ、といった所か。

 他にも鍛錬や仕事に向かう領民がぽつぽつと歩いていて、私達に気づくと笑顔で会釈してくれる。雪はやんでいるが、この空模様ではまた降るかもしれない。


「ふふ、凄い、雪ってワクワクしますねえ。でもすぐ疲れちゃいそう。ザコルの言う通り、雪は機動力を奪うんですね。分かってはいましたけど実感します」

「そうでしょう、戦うにも暮らすにもただただ厄介です。これからは雪かきにも時間を取られますし、外に出られなくなる日もあります。とにかく色々な不便が待ち受けていますので」


 ザコルは、私が転ばないよう、しっかり手を握って支えてくれている。こういう時には特に照れた様子を見せない。


「じゃあ、今日のミッションはまず雪に慣れる事ですね。この雪の中をどれだけ走れるか、試してみたいと思います!」

「ダメです」

「なんで!?」

 コホン、雪国のプロが咳払いする。

「いいですか、踏みしめられた雪の上ならばまだいいですが、新雪の上では負荷が高過ぎますし、雪の下にある石や凹凸にも気づきにくく、転びやすいだけでなく転んだ後も大きな怪我になりやすいんです。今日は走るのは禁止、せいぜい歩くに留めてください」

「ええええー! 走るのが一番好きなのに…!!」

「走らずとも、慣れないうちは歩くだけでもかなりの負担です。必ず雪に慣れた者に付き添ってもらってください。それに、雪が解けるか、もしくは平らにならしておかないと後で手合わせができませんよ。今日は、柔軟体操の前に運動がてら、皆で踏みならした方が効率的でしょう」

「なるほど…! 勉強になります雪国師匠!」

「また変なあだ名を…」

 雪国師匠が眉を顰めた。



 門を抜けると、そこは一面の銀世界だった。思わず感嘆の声が漏れる。


 しかし、これでもまだ積もり始めなので、雪から草の先が覗いていたり、石などの障害物の側面が露出している所もある。これが真冬になれば、それらも全て覆い隠されてただの白い地面になってしまうのだろう。

 まだ明朝だが、既に林檎や乳製品の出荷、そして同志達の手配によって冬支度の物資を求めにいく馬車が動いている、積もったばかりの雪道には、既に土色の轍ができていた。もっと雪が積もれば、荷車よりソリが活躍するようになるらしい。


「ミカは、いかにも田舎らしい、何もないような光景が本当に好きですよね…。どうしてこれを見て感動できるんですか。テイラーでも種蒔きもまだされていない、ただ耕しただけの麦畑を見て嬉しそうにしていましたが」

 雪国師匠にまた不可解そうな顔をされてしまった。

「何もないなんて逆に凄い事ですよ。私が育った日本は人口密度が高くて土地は狭いし、地形も山岳部が多くて、こんなに何もない真っ白な原っぱなんてなかなか見られませんでした。もちろん地域にもよりますけどね。そうそう、麦畑の時は、耕したばかりの土の匂いが懐かしくて。世界が違っても土は同じ匂いがするんだなって、嬉しくなったんです」


 にこ、そう笑ってみせたら、ザコルが黙ってしまった。エビーやタイタまで何とも言えない顔になった。


「ミカ殿、土の匂いが嗅ぎたければいつでも掘り起こしましょう!」

「あはは、ありがとうタイタ。この世界、似てるのは土の匂いだけじゃないんだ。似たような植物や食べ物も存在してるし、私の世界の人が持ち込んだのかと思うような道具や習慣も意外にたくさんある。割としょっちゅう懐かしい気持ちになってるよ」


 サカシータ領だけに伝わる武器や作法、フジの里に伝わる緑茶や焼酎などはもちろんだが、例えば万年筆や鉛筆。これはこの国に広く普及しているものだ。どちらも地球人が関与していなければおかしいくらいには仕組みが同じである。

 昨日は出身領がバラバラのメンバーで『万歳』を叫んでもいた。アケビやジャガイモ、そしてトリカブトそっくりな毒草なんかも、存在自体は自然に由来するのかもしれないが、それを好んで食べたり植えたり、または品種改良したり、毒や薬として使い始めたりしたのはもしかしたら地球から来た人が始めた事なのかもしれない。


「今の所、全く違うのは魔法や魔獣の存在と、夜空の景色くらいなんだよね。私達の世界同士は、思っているよりずっと近い所にあるのかもしれない」


 パラレルワールドか、距離の近い世界線の一つなのか。

 それとも、全く別の概念がもたらした存在なのか。


「ミカさん、もしあっちへの扉が開くような事があっても、いきなり帰ったりしねえでくださいよ」

 エビーがまた私の服を掴む。

「うん、もちろんだよ。……あのね、前にも言ったと思うけど、私ってあっちの世界にほとんど未練がないんだよ。世話になった家族も、高齢の祖母が一人、施設で不自由なく平和に暮らしてるだけ。両親は二人とも失踪してて顔も思い出せないし、学生時代から家事と仕事に明け暮れてたせいで友達もほとんどいない。迷惑かけたのは職場の同僚くらいで…ああ、私がいなくなって一番困っただろう子はなぜかこっちに来ちゃってるしね。だからもう、あちらの世界に帰りたい理由がないの。…………なくなっちゃったの」


 私は、今にも落ちてきそうな重い灰色の空を見上げる。


「…だからね、どうかこのまま死ぬまで、この世界の片隅に置いてほしい。お願いね」


 エビーに視線を戻すと、きゅっと唇を引き結んだ顔が目に入った。

「あ、たり前だろ、姉貴…っ」

「何で泣きそうになってんの、タイタも」

 視線を横にやれば、緑眼を潤ませた赤毛の青年が目に入る。

「あ、あなた様が、この世界に留まりたいと、はっきりおっしゃってくださったからではないですか…!!」

「あれ、言った事なかったかな」


 思えば、強制送還されたりしなければ、とか、迷惑にならなければ、とか、無事いられれば、とか、そういう受け身な表現しかしてこなかったかもしれない。

 自分の意思でザコルの隣にこだわるなら、必然的にこの世界に居留まる努力もしなければならないので、自分の中ではいつの間にか当然の事になっていた。


「そっか、心配ばかりかけてごめん、それからありがとう。私、もっと自分の気持ちや希望を口に出すようにする。…私ね、この世界に来られて、皆に会えて良かった。だからこれからもここで生きていたい。毎日すっごく楽しいよ!」

 足元の雪をひとすくいして空に撒く。ふわふわの雪は軽々と舞い、パラパラと肩や頭に落ちてくる。


「ふふ、もっと積もったら雪合戦しようね! 絶対楽しいから!」

「どんなモンだか全然分かんねえけど、姉貴がそういうならやろうぜ」


 ぐい、急に手を引っ張られて体勢を崩す。倒れる、と思ったらザコルに受け止められた。

 されるがままに抱き締められていたら、通りすがりの領民達に囃し立てられる羽目になった。




 ぎゅ、ぎゅぎゅ、ぎゅぎゅ…


「雪国師匠の言葉はまことであった…」

 雪を踏みしめて歩く作業は思った以上に体力が奪われる。単純に走っている時とはまた別の筋肉を使っている感じだ。


「何おっしゃっているんですかミカ様。あっ、そこ、僅かに雪が盛り上がってる所、下に何かあるかもしれませんから気をつけてくださいね」

 そう言われると踏んでみたくなるものだ。とはいえ尖っていたりしたら危ないので、そっと足を降ろす。

「おおっ、本当に何かある! 石かな!? よく判るねピッタ!」

「ふっふっふ、モナ領もいわゆる『雪国』ですので!」

 雪に慣れた者、ピッタは胸を張る。

 私は彼女に付き添ってもらい、他の女性達と共に雪を踏みしめて回っていた。



「ミカ様のおっしゃる『雪国』って呼び方、いいねえ。単に北だの田舎だのと言われるより風情があるじゃないか」

「雪が厄介な事に変わりないけどね。でも今日はずっとかマシに見えるわね」


 雪に慣れきっているであろう領民の女性達は全く余裕そうで、サクサクと小さな歩幅で丁寧に踏みならし、大きな障害物は協力し合い、遠くまで運んだりもしている。


 この世界に除雪車なるものが存在するわけないので、基本的に雪はこうして踏みしめて平らにならすしかないようだ。

 そうすると道がだんだんと厚く高くなってしまうわけだが、建物の出入り口に関しては埋もれてしまわないよう、毎日雪かきをするのが朝のルーティーンに加わるらしい。元から玄関に階段を設置して高さを出している建物ばかりだなとは思っていたが、さらに二階に非常口のような出入り口を設けている所も多い。雪が積もっていない時に見ると、空中につながる謎のドアがあるように見えるので不思議だった。


「家畜達って冬の間どうするの? こうなったら地面の草なんて食めないよね?」

 この原っぱは一応放牧場だ。怪獣大戦争でボコボコになって以来、あまり使われていなかったようだが。

「秋に牧草を収穫してとってあるはずですよ。足りなければ外から買うしかないです。カリューの方はもちろん足りなくなる事が予想されましたので、こっちでも牧草の調達を行いました。うちでは荷馬車の容量が足りませんから、他の商会が請けて既に届けているはずですよ」


 カリューにもサギラ侯爵側から来た同志がいるし、アメリアからの寄付はカリューにも分配されたそうなので、きっとあちらでも冬支度を急いでいる事だろう。これ以上雪が積もったり吹雪いたりすれば、物流が滞る日もきっと多くなる。


「はあ、これはキツイわね、今日はきっといつも以上にクタクタよ」

「そうね、でも私達もかなり体力がついたと思わない? ミカ様が魔力をお裾分けくださってるおかげもあるんでしょうけど、疲れが溜まってる感じはしないわ」

「毎日お風呂に入れるのもあるわよ、本当によく眠れるもの」

「あ、そこは危ないわ。私が踏むから待っていて」

 ピッタ以外の同志村女子は固まっておしゃべりを楽しみながら雪踏みをしている。ジーク領出身のユーカ、カモミ、ルーシの先導は、モナ領出身のティスが行っていた。


 ジーク領は、テイラーよりは北にあるものの雪国とまではいかない。日本国内の位置関係に当てはめるなら、王都は中国地方から近畿、テイラーが近畿から中部、ジークが中部北から関東、モナが北関東から南東北、サカシータは北東北から北海道の本州側地方、といった感じだろうか。王都の南に広がるカリー公爵領は、きっと端まで行けば鹿児島や沖縄並みに温暖な気候になるんだろう。


 男達を見遣ると、同じように集団で雪踏みをしていた。慣れた者は競争している。

 『雪国』出身でない同志達やテイラーの騎士達は、ザコルやりんご箱職人達にコツを教わっている。今日はアメリアの護衛を交代したのかカッツォ達三人組の姿も見えた。


 ちなみに、イーリアは雪を払ったりんご箱ステージの上で長い脚を組んで悠々と腰掛けている。雪踏みが終わるのを待っているようだ。



 門の方から雪道を駆けてくる人影がある。

「あ、ハコネ兄さんが来た」

 テイラー騎士団カラーの外套と背格好だけで、遠目にも彼だとすぐ判った。

「本当ですね! お兄達が猟犬様との絡みを楽しみにしてましたから、ご参加いただけてよかったです!」


 そうだ、目的を忘れがちになるが、この鍛錬イベントは同志達を接待するためのイベントだ。部下達にも協力してもらっている事だし、彼らが楽しめる事を一番に考えなければならない。


「それから今日は町長様がミカ様のお相手をなさるんでしょう!? もう私、楽しみすぎてもうもうもうもう…!!」

 ピッタが両手の拳を握って興奮している。

「私の手合わせはサブコンテンツだよ。楽しみにしてくれて何よりだけど、ちょっと緊張するなあ…」

「ミカ様って戦闘で緊張なさった事なんてありませんよね? コマ様も『緊張してるって動きじゃねえ』ってよくおっしゃってたじゃないですか」

「何言ってんの、緊張くらいするよ、するする」

「嘘だぁ」

 茶化すピッタと一緒に笑う。


 昨夜はこの屈託のない子が暗号専門の工作員だと聞かされて大いに驚いたが、こうして接していても全くそんな感じはしない。一切表に出さないのもプロだからこそなんだろう。


「ミカ様。私やカファって、ちょっとパズルが得意なだけの庶民なんですよ。体力も大した事ないし、武器も護身用のちっちゃいナイフくらいしか持った事ないですし。父が前領主様にお仕えしてた頃に培った技の一部を引き継いだだけ。何かあるとチッカに連行されて缶詰にされますけど…」

 ピッタが私に目線を合わせず、ただ障害物を指摘しているかのような素振りでそう囁いてくる。

「何ていうか、思考を読まれてるとこが実にプロっぽいんだよねえ…」

「もう、揶揄わないでくださいよ!」


 私達の会話は雪踏みの音にかき消されて周りに聴こえてはいない。そもそも雪は音を吸収するんだそうで、皆それぞれに喋っているはずなのにいつもより静かに感じる。


「そうだ、護身術でも一緒にどう? 他の女子にも勧めるからさ」

「申し訳ありません、護身術は…。ほんのちょっとだけ心得があるので、見る人が見ると玄人だってバレるかもしれません…」

 しゅん、と申し訳なさそうにするピッタ。

「なるほど、そういう心配もあるんだね? ごめん分かった、もう勧めない。でもそれなら尚更教えてもらいたかったなあ」

「ミカ様の腕前には既に及びませんよ! もう、どうやったら半年でその域に達せるんですか? 玄人目に見ると本当に非常識なんですから!」

「非常識て」


 ピッタは以前、私が王弟などに狙われている事が新聞に載った時、ここに残って私を守ると言ってくれた事があった。その時はただ勢いや正義心だけで言っているのかと思っていたが、いち工作員として狙われた時の身の振り方には自信があったという事だろう。

 必要以上にこちらの事情に巻き込むのは気が引けるので滅多な事は言えないが、もし何かあっても彼女自身は最低限自衛できるのだと思えば、少しだけ気が楽になった。



「ミカ様ぁ、こんなもんでいいかと思いますよー! そろそろ体操に移りますかぁー?」

「あ、はい! そうしましょう」

 サカシータ領ママ友軍団が広場の真ん中で手招きしている。私とピッタは雪を踏むのをやめ、彼女達の方へと駆け出した。



つづく

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