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誰が召喚したか知りませんが、私は魔獣ではありません  作者: もっけのさひわひ


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林檎の加工がこれ程過酷なものとは思いませんでしたわ

 今日はハコネは護衛隊の面々を全員面談しなければならないとかで忙しいそうなので、アメリアとカッツォ達三人組は私達と行動を共にするよう提案した。


 ザコルはいつまでこの状態なのかと思っていたら、すれ違ったイーリアによって物理的な鉄槌を降されて我に返った。母の力とは偉大である。


「お前は全く…。ミカやアメリア嬢の前で恥ずかしくないのか? いい大人が呆けよって」

「…はい。申し訳ありません」


 先程ザコルを打ち据えた剣の鞘をビシッと突きつけるイーリア。そして雪の降る庭の隅で地べたに正座させられるザコル。

 私はそれを横目に見つつ、足し湯用に用意された樽に魔法をかけるため、入浴テントの方へと向かった。


「氷姫様、猟犬殿はいつもあんな感じなんでしょうか。その、エビーが言っていたような…」


 そう話しかけてきたのはカッツォだ。この世界ではよく見かける明るい茶髪にオレンジがかった明るい茶色の瞳を持つ彼は、突貫で作られた入浴用の設備に興味があるらしく、足し湯や掛け湯のために作られた水路や、湯船の排水口の仕組みなどを見ては感心していた。


「ふふ、戦ってる時はカッコいいんだけどねえ、基本的には可愛い人だよ。と、口に出すと照れて睨んでくる。ほら」

「本当だ…。というかこの距離で聴き取れるのか…」


 実際にこちらを向いたザコルを目撃してカッツォがゴクリと喉を鳴らした。今、ザコルとこっちは五十メートルくらいの距離がある。屋外だしそう大きな声で話している訳ではないので、普通の人ならば何を話しているかなんて分かるはずのない距離だ。


「こうして湯も沸かされるようになったのに、氷姫様とお呼びするのもおかしいですね」

 カッツォが湯気の立った樽を覗き込む。

「でしょ、だから別にミカでもホッタでも何でもいいよ。エビーはミカさん、姐さん、姉貴、とか気分で自由に呼んでるし、タイタはミカ殿って呼んでくれてるから」

 カッツォは、うーんと悩む素振りをした。

「では、タイタに倣ってミカ殿と呼ばせていただきます。エビーの真似は少々難易度が高いので」

 確かに、エビーの絶妙な馴れ馴れしさは一歩誤れば無礼になるので、誰にでも真似できるものではない。他の人に怒られてもめげない強さも必要だ。

「うん。改めてよろしくねカッツォ。君もアメリアとは『長い付き合い』なんでしょう。あ、そうだ、エビーの実家のパン屋には行った事ある? 人気なんだってねえ」

「え、ええ…」

 カッツォはどこか歯切れの悪い返事をした。

「え…っと、俺の家はその向かいにあるケーキ屋なのですが…。パイはパン屋の方が美味しいと客に言われるもので、いつも親同士とか、うちの兄とエビーの姉って構図でバチバチにやり合うんですよ。俺がエビーと遊んでいると親や兄に睨まれるので、非常にやりにくく…」


 そんな訳で、エビーの家のパンはあまり買えず、エビーがこっそりおやつに持ち出してきたものしか食べた事はない、とカッツォは語った。

 後で会話に加わってきたコタやラーゲも同じ商店街エリアの出身だという。コタは床屋の次男、ラーゲは仕立て屋の三男だそうだ。余談だが、オリヴァーがザコルの衣装を注文していた仕立て屋はラーゲの実家らしい。


 コタはエビーと同じような麦わら色の髪に、濃い茶色の瞳だ。彼は騎士団の中では少し小柄で、ザコルと同じくらいの背丈だ。ちなみにラーゲは珍しい灰色の髪だ。銀髪とも言うべきか。瞳も青みがかったグレーで、なかなかのイケメンでもある。


「コタ、男性の髪の整え方って分かる?」

 床屋の次男に聞いてみる。

「ええ、よく騎士団の仲間の髪なんかは俺が切ってやったりしてますよ!」

「そうなんだ。今度ザコルの髪を整えてあげる予定なんだけど、せっかくなら綺麗にしてあげたいからさ、教えてくれないかな」

「もちろん構いませんが、氷ひ…ミカ殿が切られるんでしょうか? 良ければ俺が」

「彼ね、過去に色々あって人に頭を触られるのが苦手なんだって。ハコネ団長からも逃げ回ってたでしょう。私になら触られても平気だそうなので、ご指導をお願いします」

「はは、そうでしたね。相変わらずミカ殿は猛獣使いって感じですね!」

「おいコタ、聴こえてるぞ」


 カッツォがコタをつつく。コタは、まさか、と言いかけて、本当にザコルがこっちを向いているのを見てギョッとした。その直後、イーリアが余所見をするな! と怒鳴り、鞘でザコルの頭を思いっ切り叩く。

 普通、いい年した大人の男性を公衆の面前で叱るのは、本人のメンツも考えて避けると思うのだが、ザコルの場合、母親に叱られていたからといって舐められるような実力でもない。イーリアもあれでわざとやっているのかもしれない。それより。


「私は猛獣使いだと思われていたのか…」

「まあ…」

「そりゃあ…」

「それはそうですね」


 珍獣なのは私の方ではないのかと思うが、ザコルに稽古をつけられた事のある彼らからすれば、そう見えるのかもしれない。



「おーい、お前らも手伝えよおー」

 エビーとタイタが大樽をゴロゴロと転がしてくる。その脇をアメリアとピッタがトテトテと一緒に歩いてやってきた。


「この樽を持ち上げるだなんて…。サカシータ一族は本当に素晴らしい力をお持ちね!」

 樽を眺めては目をキラキラと輝かせる美少女。

 私も大概変わっていると言われてきたが、この子もかなり変な部類に入るはずだ。が、私で慣れたのか、領民達はそんなアメリアの様子を見ても何も言わない。ただ微笑ましく見守っているだけだ。


「テイラーの高貴な女性の間では荒事が流行っているんでしょうか…」

「全然そんな事ねえからなピッタちゃん。少なくとも奥様はこうじゃねえよ」

 樽を持ち上げてみようとするカッツォ達を、やんややんやと応援する私とアメリアを指して『こう』とエビーは言った。


「何ようエビー。男らしい人が好きな女性くらいいくらでもいるでしょー」

「強い男性が好きな人はもちろんいるでしょうけど、樽や鎚を見て興奮すんのは姐さんとお嬢くらいすからね?」

「失敬な。巨大鎚はロマンだよ! あんなの並大抵の人じゃ絶対に持ち上げられないもん! アメリア達にも、ザコルがカリューの城壁を破壊したあの巨大鎚、見せたかったなあ…」

「あのザッシュ様の鎚を超える重量なのですってね。わたくしもぜひ拝見したいわ」


 被災地であるカリューにこのお嬢様を連れて行ける機会があるかどうか判らないが、いつかはぜひ一緒に見たいものだ。ふふ、まさかこんなに趣味の合う妹ができるだなんて。


 タイタがふんぬと樽に手をかけ、浮かしたのを見て皆で歓声を上げていたら、ザコルがトボトボとやってきて私の横に立った。

「お疲れ様でした、ザコル。イーリア様はお仕事に戻られましたか」

「はい、マージが回収に……ええと、ミカ…すみませんでした。あの…」

「ふふ、別にいいんですよ。私が慣れないキャラなんて演じたから脳が混乱したんじゃないですか。命令口調は控えますね」

「ミカに命令されるのは、別に…」

 何故か物欲しそうな顔で見下ろされる。命令されたいんだろうか…?



 ザコルが大樽を軽々と持ち上げ、私が沸かした熱湯に水を注ぐ。

 昨日はただただ驚いていただけのカッツォ達も、今日は凄え凄えと興奮していた。自分で樽を持ってみて、その凄さをより実感したのかもしれない。


「えー、私達はこの後、林檎を加工して瓶詰め作業をする予定になっています。農家さんから引き取った傷物林檎をジャムにして備蓄するんですけど…」

「わたくしもお手伝いしたいですわ!」

 アメリアが元気よく手を上げた。

「分かりました。じゃあ、部屋で暖まりながら一緒にやりましょう。アメリア、そういえば侍女の皆さんはどうしたんですか?」

「彼女達には、同志村の女性方に従って避難民の皆様のお世話をするよう指示しましたわ」

 ピッタの方を見ると頷いた。

「はい。ユーカとカモミについて集会所にいらしているはずです。アメリ様にお持ちいただいた物資を仕分けして、配分する作業を一緒にしているかと」

 ピッタは午後からこの入浴テントの足し湯番をしている。後でティスと交代する予定だそうだ。


「ミカ殿」

 ピッとタイタが挙手した。

「俺は現状、ジャム作りにおいてはあまりお役に立てないかと。もしご許可がいただけるのなら、ハコネ団長に何かお手伝いする事があるかと伺ってきてもよろしいでしょうか」

「ああ、そうだね。ハコネ兄さん一人じゃ大変かもしれないもんね。いいよ、聞いてきて」

「ありがとうございます」

 恭しく一礼するタイタを見て、コタとラーゲもアメリアに許可を願い出た。

 同じように指示を仰ごうとしたカッツォの肩をエビーがガシィ、と掴んだ。

「てめえはこっちだケーキ屋の倅ぇ…」

「は? いや、まずは三人のうち誰を護衛に残すかお嬢様に判断を」

「お前は皮剥き要員なんだから残るに決まってんだろが。ラーゲも残れよ、お前料理得意だろ。あ、コタはいいわ」

「なっ、何だその言い草は! ていうかお前が決めんなよエビー!!」

 結局、エビーから戦力外通告されたコタは釈然としない顔のままタイタと一緒にハコネの元へ行き、カッツォとラーゲはエビーによって強制的に連れていかれる事となった。



 ◇ ◇ ◇



「何だよこの山は!!」

「こんな量だとか聞いてない…!」

 カッツォとラーゲが悲鳴を上げる。


「おらおら、キリキリ働けよお、傷物はすぐ痛むんだからなあ、戦のせいでたまりにたまってんだ、今日中にこんだけ全部捌いちまうぞ!」

 エビー隊長が物凄いスピードで剥きながら檄を飛ばす。

 一階の食堂に運び込まれていた林檎はりんご箱にして十箱くらいだったのだが、作業をしていると聞きつけた林檎農家がどんどんと運び込んできて、今では廊下にまで溢れ返っていた。


 私とザコルもそれぞれ作業しながら、手元が危なっかしいアメリアを見守っている。

「お嬢様、その持ち方では怪我をします」

「こうですよ、アメリア」

「分かりました。お二人ともお上手ですわね」

 アメリアが感心したように言う。

「ミカはともかく、僕はただ刃物に慣れているだけです。調理の経験はあまり…」

「ふふ、ザコルは基本的につまみ食い専門ですもんね」

「お嬢様まで剥いているのでは、僕もサボるわけにいかないでしょう」

 不本意、とでも言いたげではあるが、お昼に芋を剥かされた経験が生きているようで林檎も問題なくスルスルと剥いている。確かに上手だ。


 私は剥かれた林檎が変色しないうちに加工もしなくてはならないので、剥くというよりはカットし、たまったらすぐにジャムにするという作業に追われていた。

 瓶の煮沸は先に終わらせてあるので、できた分をどんどん瓶に貯めて蓋をしている。誰がいつの間に発注したのか、真新しい瓶まで大量に用意されていた。


「姐さん、これお願いします!」

 どさ。大きめのタライいっぱいに剥かれた林檎が入っている。

「わー、凄い量…。ケーキ屋の倅の実力は確かだねえ。ラーゲもなかなか」

 エビーが追い立てるせいか、二人とも鬼気迫る勢いで剥いている。

「へへっ、カッツォは季節モンの果物を年中剥かされてましたからねえ、俺より慣れてるはずすよお」


 品種改良の進んだ日本の果物と違い、こちらの世界では皮ごと食べられる果物は少ない。ケーキ屋など果物を常に扱う店ならば、皮剥きはまあまあのウェイトを占める作業となるらしい。

 皮剥き要員達の作業が早すぎて私の作業が滞ってきたため、ザコルが皮剥きをやめてカット作業に入ってくれた。アメリアはまだ慣れない皮剥きに集中しているのでそのままだ。

 ご令嬢に何をさせているのかと思わなくもないが、せっかくの機会だ。何でも彼女の好きなように挑戦してみたらいい。万が一怪我でもした時は、私がこっそり治してやればいいだろう。


「おうおう、やってんなあ!」

 大柄な男性が扉をノックもせずババンと登場した。

「おおお…!! 来てくれたんすね山犬殿!! 待ってましたよお!!」

「エビー、てめえに再戦申し込みにやってきてやったんだ、ありがたく受けやがれこの野郎!!」

 山犬は幾分か酔いを覚ましてきたらしく、さっきよりも足取りがしっかりしている。

「ケーキ屋の倅と野営料理担当も加わったんで、全員でやりましょうや!」

「望む所だおらあ!!」


 カッツォとラーゲは突然現れた峠の山犬に驚いたようだが、強制的に林檎の皮剥き競争が始まり、訳も分からないままさらに必死で剥く羽目になっている。楽しそうだ。


「ああ、やっぱりここだ! ごめんねえ、うちのが迷惑かけて…」

 山犬を追いかけてきたらしいカオラが申し訳なさそうに部屋に入ってきた。

「こんにちはカオラ様。全然そんな事ありませんよ。こんな量の林檎、流石に剥き切れないかもって焦っていた所です。心強いですよ」

 カオラはアメリアに気付くと、軽く一礼した。

「ごきげんよう、アメリア様。私もこちらで作業に加わっても?」

「もちろんですわ、前モナ男爵夫人。ここではわたくしが一番の下っ端ですのよ。ミカお姉様のお手伝いをしてくださるのなら、ぜひお願いいたしますわ」

 アメリアは何とか数個の林檎を剥き終えた所だった。しかし楽しそうに微笑む。

「ザコル様もいいかい?」

「ええ、もちろんです夫人。僕もあまり役立てていませんので」


 ザコルはそう言いつつも徐々に作業スピードが上がっている。

 そしてカットして芯や傷んだ部分を取り除きつつ、本来ゴミになる方をどんどん口に放り込んで咀嚼している。お陰でザコルの作業エリアには芯などの生ゴミが一つもない。エコだ。

 彼がそんな事でお腹を壊さないのは知っているが、傷んだ所ばかり食べているのを見ているとついつい美味しいものを食べさせたくなってくる。


「後でコンポートや氷菓子を作ってあげますからね。林檎バターも」

「それは楽しみですね。皆でいただきましょう」

 蜂蜜を出してもらわなくっちゃ、と思いつつ、流石に使い込み過ぎだろうか、とも思った。悩ましいな…。

「お姉様。もし蜂蜜がご入用でしたらわたくしも何瓶かお持ちしたんですのよ。少ないですがお砂糖も。こちらの厨房に預けておりますから、よろしければ使ってくださいませ」

「本当に!? やった、良かったですねザコル!」

「もう、やめてくれませんかミカ、恥ずかしいでしょうが」

 眉を寄せられてしまった。流石に子供扱いし過ぎたか。

「…ふっ、あははは、あんた達は相変わらず仲良しだねえ」

 カオラが笑いながら林檎をカットしている。カット要員が増えたので私はジャム作りだけに集中できるようになった。


「前モナ男爵夫人、山小屋でのお二人のご様子をお聴きしてもよろしいでしょうか」

 アメリアがカオラに話しかける。

「カオラでいいんですよ、アメリア様。そうですねえ…。このお二人がやってきた時はもう日が落ちるかって時間でね、馬に乗ってウスイ峠越えてきたなんて言うから、まさか拐ってきたのかと心配したもんですよ。でもねえ、よく見ていりゃ、言葉が少なくてもお互いの事をよく解っているんだって伝わってきてね。兄ちゃん…ザコル様はよくミカ様の様子を見ているし、ミカ様もよくザコル様に気を許しててねえ」


 カオラは優しげな微笑みを湛えながらしみじみと語る。


「ミカ様は、ウチの小屋でもこんな風に率先して手伝いをしてくれた。峠越えで疲れていただろうに、本当によく働く子さ。ザコル様も、夜はミカ様が寝るのを見届けてから、夜中起きた時のためにと水やら色々用意してやって、朝はミカ様より早く起きて馬の世話をしていたね。ミカ様もすぐに起きてきてザコル様を手伝いに外へ行った。護衛と姫っていうよりは、世話焼きの兄と働き者の妹って感じで微笑ましかったよ」


「兄と妹…。そんな風に思われていたんですね…」


 カオラのそんな感想に気恥ずかしく、そして居た堪れなくなる。チラとザコルの方を見たら、物凄いスピードで林檎をカットしていた。あれは照れている所…なのだろうか。これまた新しいパターンだな。


 そしてアメリアを見ると頬を膨らませていた。


「えっ、アメリアはどういう感情ですか。カオラ様に訊いておいて…」

「恨めしい…! ザコルばかりずるいではありませんの、わたくしもお姉様のお世話をしてみたいですわ!」

 嫉妬だったらしい。


 ザコルが眉を寄せてそんなアメリアを見る。どう見ても主家のお嬢様に向けていい顔じゃない。

 カオラはその二人の様子を見てまた笑っていた。


「お嬢様は何をおっしゃっているんですか。僕は一応彼女の世話係でもあるんですが? そういえば、ミカの荷物に深緑色のポンチョを仕込んだのはお嬢様とホノルでしょう。あんな物でけしかけておいて、今更…」

「あの時はあの時です! もう我慢や遠慮はしないと決めましたの! とにかく、わたくしもお姉様のお世話をしてみたいのです!」

「アメリアお嬢様では、逆にミカの世話になるだけでは?」

 むぐっ、と生粋のお嬢様が言葉を飲み込む。

「まあまあ。アメリア、するとしたら具体的にどんなお世話をしてくれるんですか」

「そうですわね…お、お髪をお手入れして差し上げる、とか…」

 ぽ。頬を赤らめる美少女。

「駄目です」

 即座に却下する最終兵器。

「なっ、何が駄目なんですの!? わたくしにだってそれくらいはできますわ!」

「この髪は僕のテリトリーなので駄目です。ほら、印もつけてありますし」

 赤いリボンを指差す最終兵器。これ、陣地を主張する類のものだったのか…。

「それ…! やはりあなたが贈ったんですのね!? お姉様があまりお選びにならない色だと思っておりましたのよ!」

「似合うでしょう、僕が見立てた一本です」

 ふふん、と胸を張る最終兵器。見もせずにあるだけ全部買おうとしていた人のセリフとは思えない。

「悔しいですわ!! わたくしだってお姉様とお揃いのドレスを用意させているところですのに…! わたくしだって…!」

 泣きそうになる美少女。どうしよう、完璧淑女だった子がちょっと幼児化してきている。

「まあまあアメリア、ドレスは春になったら一緒に着る予定でしょう。私も楽しみにしていますから。あ、そうだ、ユーカとカモミに頼んで、もう一度リボンを見せてもらいましょう。たくさん用意してくれたんです。良かったらお揃いの色で一本ずつ選ばせてもらいま」

「駄目です。ミカの髪には僕が結びたいリボンしか結びません!」

 最終兵器が空気も読まずに噛み付いてくる。

「このド天然ちゃんが…! さっきから何なんですか、ウチの妹に張り合わないでくれます? 大人げないったら」

「そうですわ! イーリア様にもいい大人のくせにと叱られていたではありませんの!」

 アメリアがここぞとばかりに反撃しようとする。幼児度は二人ともどっこいどっこいだ。

「フン、どうせ僕は情緒が十六の頃から進歩していませんから」

「根に持ってる! …っていうか、あの状態でもちゃんと耳には入ってたんですね。その文句、シシ先生に直接言ったらいいでしょうに」


「シシ?」

 カオラが急に声を発したので、思わず振り向く。


「シシって言ったかい? それはどこの誰だい」

 カオラが作業の手を止め、私に食いつくように訊ねた。


「えっと、シシ先生はこの町のお医者様ですよ。私が魔力の増減でちょくちょく体調を崩すので、診てもらっているんです」

「私と同じくらいの男かい!?」

「うーん…そうですね、カオラ様の方が少しお若く見えますが、世代としてはそう離れてはいないかと」

 カオラは口元に手をやり、まさかこんな所に…と呟いた。

「お知り合いですか? あ、すみません、言いにくければ言わなくても」

「いや、いいさ。まだ、そのシシが私の知ってるシシと決まった訳じゃあない。昔、私の従兄弟で、婚約者だった男がシシっていう名だったってだけさ」

「こんや…っ!?」

 思わず大きな声が出て、ハッと飲み込む。

「もちろん、破談になったけどね。あの男、山神様に婚約の許しを得る儀式までした後で、どこかへ出奔しちまったのさ。別に、周りが決めた婚約だったし、私も若かったからそう気にはしなかった。その後色々あって、父ちゃんとこに嫁に行ったしね」

 カオラの視線の先には、鬼の形相で林檎を剥く山犬の姿があった。


「イーリア様から聞かせていただきましたわ。前モナ男爵様が見初められて、口説きに通ったと。素敵ですわね…」

 アメリアがお上品な仕草で手を口元に寄せた。


「カオラ様がお幸せそうなのは何よりですが…。そのシシという方は、医学を学ばれていたんですか?」


「私ら、山の民だからね。ちょっとした薬草の扱いと手当ての方法くらいは誰でも知ってるが、専門的な事を学ぶような機会は山を出ない限りはない。もしその山の民のシシと町医者のシシが同一人物だとすりゃ、山を出てから学んだって事になるだろうね。あれには少し変わった能力もあった事だし、医者になりたかったのなら出奔も納得だよ。……あの山にいる限りは、進む道を自分で決める事なんてできやしないからね…」


 カオラが一瞬だけ切なそうな顔を見せた。が、すぐに笑顔に戻る。


「まあ、そのシシが知り合いだろうと違おうと、今となっちゃ関係ないね。勝手に話しておいてすまないが、この件はあまり深掘りしないでおくれ」

「分かりました。というか、勝手に引き合わせたりしたら山犬のおじさまに怒られそうですしね。でも、これだけはお伝えしておきます。彼ってもしかして山の民なのかな、と思う事は私の方でもありました。お気が変わって『ただの親戚』の行方をお知りになりたくなった時は、どうぞご参考になさってください」

「…ありがとうね、ミカ」

 カオラが眉を下げ、優しげに微笑んだ。


 ザコルは、シシが山の民では、という仮説に対して何も言わない。黙っているという事は肯定なのかもしれない。

 もし、シシが本当に山の民なのだとすれば、チベトやラーマを始め、カオラと親戚であるカオル達もシシがここにいる事を把握している可能性が高い。その上で、元婚約者で山から出た身のカオラには黙っていたのかもしれない。


 が、うっかり知ってしまったものは仕方あるまい。従兄弟の消息につながる情報くらい、彼女にだって知る権利はあるだろう。



「いよっしゃああああ!!」

 ケーキ屋の倅、カッツォの雄叫びが上がる。どうやら勝負がついたらしい。

「二個差かよお、くっそ」

 カッツォが一位、エビーが二位、山犬が三位、ラーゲが四位という結果のようだ。

「くっそおおおお!! 若造共め!! おら、次の勝負始めんぞ」

「はいはい、もう終わりだよ終わり!」

 悔しがる山犬の襟首をカオラが掴む。

「何だよかあちゃん、まだ林檎はあるんだろが!」

「あの瓶の山を見な! ミカが倒れちまうよ!!」


 私の横には、大きめのジャム瓶がぎっちり詰められた木箱が何十箱も積み上げられていた。もう瓶にして三百か四百になっただろうか。だがまだまだ剥き終わった林檎は山のように待機している。

 ザコルとカオラはもちろん、アメリアまでもが物も言わずに林檎をカットし続けてくれた。今もそうだ。


「うわ、姐さん! 体調大丈夫すか」

 現状がやっと目に入ったエビーが駆け寄ってくる。

「うん、多分まだ大丈夫だとは思うけど、これ以上増えたらつらいかも。空瓶と林檎もまだまだあるようだけどね…」

「ちょっとキリがつかねえすよ。こんな量じゃある程度傷んじまうのも仕方ねえ。明日にしましょう」


 そんな話をしているうちにまた傷物林檎の箱が届いたようで、廊下でどさ、どさ、と大きな音がする。カッツォとラーゲは「うわぁ…」と漏らした。確かにこれではキリがない。

 西側の林檎畑には未だに行った事がないが、一体どういう規模なんだろうか。北海道やアメリカみたいに、見渡す限り畑みたいな光景でも広がっているんだろうか。


「エビー、俺達もカットを手伝おう。ミカ殿ももちろんだが、お嬢様を働かせ通しでは」

 ラーゲがエビーをつつく。

「わたくしの事は構わなくていいわ。でも手伝いには入ってちょうだい。わたくしではあまりお役に立てないのよ」

「アメリアもかなり手際が良くなりましたよ。とても初めてとは思えません」

「ですが、ザコルやカオラ様には全く及びませんわ。ザコルなんて手元が見えませんし…」


 アメリアの言う通り、一度要領を得たザコルは人智を超えたスピードで林檎を捌くようになっていた。元々、戦いにおいて俊敏かつ精密な動きができる彼だ。ストトト、という音と共にカットされた林檎が一定の軌道を描いて飛び、ボウルにどんどん貯まっていく様は、漫画やアニメの誇張表現さながらである。


「やべえな兄貴。何やらせても最終兵器だぜ…」

 エビーがゴクリと喉を鳴らす。

「さっさと手伝いに入れ、エビー。日が暮れる」

 ザコルが手元から目を離さずに言った。


 皮剥き要員達が今度はカット競争を始めてくれたので、剥かれた林檎の山はどんどん低くなり、そして今度は私の横にカット林檎が山のように積まれる事となった。




「林檎の加工がこれ程過酷なものとは思いませんでしたわ…。もっと家庭的なものを思い浮かべていたのですけれど」

 アメリアが林檎バターの入った器からひと匙掬い、口に入れてほう、と息をついた。

「はは……俺達もですよ、お嬢様。エビーの目が据わってた理由はこれかって…」

「ああ、美味いなあ…染みる…」

 カッツォとラーゲも、どっかりと椅子にもたれ、コンポートやジャム類を試食している。


「はっはっは、俺もこんな量剥いたのは初めてだなあ! ここの林檎はうちの領で酒にしてんだ。チッカに行ったら探してみてくれよ」

 山犬はシャーベットを豪快にかき込みながら言った。

「もっと大事にお食べよ! せっかくミカが作ってくれたってのに!」

「いいんですよ、カオラ様、作ろうと思えばいくらでも作れますから。林檎バターも味見してみてください。こっちは日持ちしないので、持ち運んだりはできませんから」

 カオラの前に器を並べると、彼女は大事そうに掬って口に入れた。

「…うん、美味しいねえ! バターとジャムを混ぜるとこんな味になるんだ。今度山で摘んだベリーでもやってみようかしら」

「カオラ様は、ご自分でジャムを作られる時はどのようになさいますの?」

「私にゃ魔法なんてありませんからね、もちろんコンロの火で地道に煮るんですよ。私は丁寧に種を濾す派で、ワインを入れるのも好きで…」

 カオラとアメリアが和やかにおしゃべりを始める。


「林檎バターも美味しいですが、前にミカが作ってくれたベリーミルクフラッペ? というのも美味しかったです」

 ザコルはまたボウルを抱えてコンポートを食べている。もちろん蜂蜜入りだ。

「あれも贅沢でしたねえ。もしヨーグルトがあるならヨーグルトと蜂蜜で作っても美味しいかと」 

「ヨーグルト…。牛乳を発酵したものですか。後で料理長に聞いてみましょう」


 あんなに食に無頓着だったザコルがどんどん食いしん坊キャラになっていっている気がする。与えておいて何だが、このまま甘い物を食べ続けて糖尿病などにならないか心配になってきた。


「ねえ、サカシータ一族は毒も薬も効かないそうですが、病気になる事ってあるんですか?」

「…いえ、基本的にはあまり…。鍛錬をやめると早死にする、とは先祖代々の言い伝えにあります。なので、うちの一族は老衰で死ぬ直前まで鍛錬をしている者が多いそうです」

「へえ…。容易に想像がつきますね」


 長男のイアンはあまりそういうタイプではないだろうが、ザッシュやザコルは老年になっても現役並みに鍛えたり戦ったり働いたりしていそうだ。ザハリはよく分からない。


 トントン、控えめなノックが響き、メイド見習いのユキがお茶の用意を持ってきて入ってきた。


「失礼いたします…えっ、この箱、もしや全部…!?」

 入った途端、ジャム瓶の入った大量の箱が目に入ったらしく、目を丸くして驚いている。そして、私達の他にアメリアや峠の山犬夫妻がいるのを見てサッと顔色を悪くした。

「も、申し訳ありません! 廊下にも林檎があるので今日は本格的な作業はなさっていないものかと勘違いを……わたくし共もお手伝いに参るべきでした」

 ユキは慌てて頭を下げる。いつも勝手に働いている私はともかく、お客人に労働させてしまったと焦っているのだろう。


「はっはっは、俺ぁそこの若造に勝負挑みに来ただけだ! 大変だったのは嬢ちゃんさあ」

「そうねえ、私らは勝手に入ってきてご一緒させてもらっただけだからね。ミカは本当に頑張ったよ」

「わたくしも好奇心でお姉様についてきただけですのよ。お二人がおっしゃる通り、大変だったのはミカお姉様ですわ。剥いたり切ったりは分担できても、ジャムにするのはお姉様にしかできないのですもの」

 夫妻とアメリアが私に全部投げてくる。


「もう、皆さんだって全力で頑張ってくださったでしょ、大変じゃなかったとは言いませんが、そもそも言い出しっぺは私ですからね。皆さんのおかげで今日はめざましい成果となりました。ご協力ありがとうございました」

 私が立ち上がって一礼すると、皆が拍手をしてくれた。


「次の機会には必ずわたくし共にもお声がけを!」

「うんうん、ありがとうユキ。そういえば、午後は休みにしてもらわなかったんだねえ。午前中の鍛錬で疲れたでしょ」

「そ、それはミカ様も同じはずですわ! …いえ、同じだなどとおこがましかったです。あんなに走られるだなんて本当に驚きました! 剣技も素晴らしかったですし、弓だって…! 今日は鍛錬に同行させてくださって本当にありがとうございました!」

「こちらこそ参加してくれてありがとう。ユキ達の手合わせも見ていてとても勉強になったよ。今日は特に見どころ満載だったから一緒に行けて良かった。山犬のおじさまとモリヤさんの一戦も凄かったし、ザッシュお兄様の鎚捌きも凄かったし、ザコルとマネジさんの手合わせも本当に凄かったよねえ、あんなに強いだなんて思わなかったよ。何度も目をこすっちゃった」

「私もです…! マネジ様、お強いだろうとは思っておりましたが、まさかザコル様とああまで互角に戦えるだなんて…!」


 ユキと私の会話を聴いて、皆もあれは凄かった、驚いたと口々に言い出した。唯一鍛錬を観に来なかったカオラが、行けば良かったと残念そうにしている。


 散々林檎加工品を試食してしまった所だが、そろそろ夕食の時間だとユキは告げた。それから、ハコネ達が戻ってきたので、着替えを渡して庭に案内したという。…恐らく見た目に分かるくらいには汚れていたんだろう。

 風呂のお湯を換えてあげようと私とザコルが席を立ったら、他のメンバーも席を立った。

 ユキが後片付けは使用人に任せて欲しいと言うので、お言葉に甘える事にした。



つづく

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