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誰が召喚したか知りませんが、私は魔獣ではありません  作者: もっけのさひわひ


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懐いてくるものは普通に可愛がればいいんすよ

「ザコル、ザコル。大丈夫ですか」

「……何がですか」


 黙っていたザコルがゆっくりと私の方を見る。


 私達四人は、雪の中をシシの待つ診療所へと歩いている。これからまた診察してもらって、訊ける事は訊いて、それから…。


「別にザコルに無理をさせようとは思ってませんから。ね?」

 ザコルは、はっ、と小さく自嘲の笑みを浮かべた。

「…そうやってミカに気遣われる度に、僕がいかに酷い事をしたか思い知らされるんですよ…」

 どんより。

 何と声をかけていいものかと、私も思わず黙る。


「…あの、言っときますけど、先にドギツイのぶちかましたのはミカさんすからね? 忘れたんすか?」

「そ、そうそうそう! そうですよ! 私も酷かったですし、お互い様です!」


 唾液を大量に突っ込んだのは誰がどう見てもやり過ぎだった……しかし。

 ザコルも以前は検証と称して、シシの前で平然と口付けを要求してきた事もあったはずだ。どうして今になってここまで拗らせているというか、ビビっているんだろうか。


「どうして、とは僕が訊きたいです。何故か日を経るごとにミカと触れ合うのに緊張するようになってきていて…」

 震える両手を見つめるザコル。そんなにか…。


「いや、マジで『どうして』だよ、せっかく姐さんの方は慣れてきてくれたってのに…」

「…そうだ。ミカが慣れたからだ。最近は僕が何をしようがミカが拒んでくれる気配すらしないからいけないんだ。もっと怒ったり罵ったりすればいいものを。それどころか何かしたらやり返されるんだ…! いいか、僕の免疫の無さを舐めるなよ!!」


 何やら情けない事を威勢よく叫ぶ最終兵器、を見つめる他三人。


 ツッコミ隊長エビーがふう…と息をつき、眉間の皺を揉み始めた。

「何ツッコんでも逆効果だろうからもう言わねえけどよう…」

 ついに隊長が匙を投げた。しかしこれではいつまで経っても検証ができない。


「うーん…。もしや『触れ合い』だと思うから意識し過ぎるんじゃないですかねえ。これはあくまで検証で…あ、そうだ。今度は私が俺様キャラになってみましょうか。私が言うのも何ですけど勢いも大事ですよね。…えーとえーと、俺様……」


 俺様俺様……俺様って何だっけ。


「ええっと、ああそうだこんな感じでどうでしょう。コホン。……ザコル!! わたくしの魔力譲渡を受けなさい。これは命令よ!!」

 びしい、とポーズを決め、私はザコルの眼前に指を突きつけた。



 しん……。

 雪の舞う道端で沈黙が流れる。



 ……みんな何で真顔なの。しかも今の、俺様じゃなくて悪役令嬢様だわ。ねえ早く誰か何か言って…。



 ザコルが何の感情も読み取れない無表情のままスッと胸に手を当てた。そして、


「………………は。お心のままに…」

 頭を下げてそう返事をした。



「ええ…えええ、ええええええー…………」






「エビーはもう笑わないで。ビシッとしてビシッと」

「命令すか姐さん、ぶっ、ふっ、くく……っ」

「タイタも! あっち向いてるけど笑ってるの分かってるんだからね!」

「し、失礼を…ふっ」

「もーっ!!」


 私は余計に反応の鈍くなったザコルを引っ張って診療所の扉を叩く。

 これはもうカウンセリングが必要なレベルかもしれない。シシが精神科の心得も持ち合わせている事を祈る。



「ミカ様。お待ちしておりました」

 今日は看護師ではなく、シシ自らが出迎えた。


「今日はテイラー家のご令嬢が同席なさるとお聞きしましたので、看護師達も人払いをかけた次第です」

「お気遣いありがとうございます。アメリアは後で来ますので」


 こういうのは身分の低い人から到着しておくもの、と令嬢マナーブックで見たので、アメリア達には一言伝えて先に出発したのだ。今後は『家族』として振る舞うつもりではあるが、お姉様と呼ばれてはいても私は新参者である。新参、すなわち一番下として、上のきょうだいを立てるのは当然のはずだ。


「看護師の皆さんがいらっしゃらないなら、先に薬の解析の進捗をお聞きしても?」


 アメリア達も到着すれば、全員であの狭い診察室に入るのは不可能だろう。そう思って待合のソファに腰を下ろすと、シシも向かいの椅子に腰を下ろした。エビーとタイタは玄関扉の両脇に控えるように立つ。ザコルは私のすぐ後ろに立った。


「ええ。では早速。薬剤の方はニタギから有効成分を抽出して作られたもので間違いありません。香の方は、素地の成分そのものは一般的によく用いられる木粉。香り付けにはサリフという香草が使われているのでは、というのはリュウの見解です」


 私はジョーとティスが取り寄せてくれた薬草図鑑を取り出す。ティスが水気に強い油紙までセットで渡してくれたので、きっちり包んで持ってきた。これなら鞄に雪が滲みても安心だ。

 シシがこれがサリフですと指差したのは、ありふれた見た目の草だった。オースト国で言えばジーク領以南の地域に広く分布する、つまり寒冷地以外ならどこでも採れるハーブらしい。


「この診療所でもサリフの在庫はあります。一般に知られた薬効は『心を落ち着かせる』『鎮静』などです。私個人としては、心というよりも『昂った魔力を整える』薬と捉えておりますが、決して魔力を封じるような強い効果はないかと。こういうものは単純に量を集めて匂いを濃くしても効果が強まるものではありませんからな、特別な加工を施すのでもなければ…」

「特別な加工?」


 シシは勿体ぶるように「ええ」と頷いた。


「これはあくまでも限りなく低い可能性の一つに過ぎませんが、魔法能力によって呪いの類いを施すという事です。過去、香りに呪いを施し、閉じられた空間でその香りを蔓延させる事によって、人為的に暴動を起こしたり、大勢の意識を奪ったりといった例が、歴史的に見て数回起きているのです。…まあ、かなり昔の話ですがね。そのように大勢の人間の意識に影響を与えるような、強い力に恵まれた魔法士など、現在この国や周辺諸国には存在していないはず、なのですが」


 シシがじっと私を見る。私を除いて、という事か。いや、私と中田を除いて、かもしれない。


「精神干渉系の能力は無いですよ」

「ええ、知っておりますとも」


 渡り人なので一応強い力には恵まれているが、私自身、呪いの類いをかけられるような能力は持っていない。というかどうして私が私を陥れるために呪わなきゃならないんだ。自作自演とでも言いたいのか?


「それって例えばですが、魔獣がそのような魔法を使える可能性はありますか? あのミリューという子は人の言葉も理解していましたし、私よりも派手に魔法を使えるようでしたよね。他に、魔法が堪能な魔獣もいるんじゃないですか?」

「可能性としてはある、と申し上げておきましょう。ただ、文献に残っている『呪い』については、もれなく能力を持った人間の仕業でした。もちろん、明るみに出ず、歴史に刻まれなかった例も多くありましょうが…」


 どのみち、呪いの類い、という魔法現象に関してここで判る事は少ない。ミリューやコマさんが戻ってきたら訊いてみてもいいかもしれない。


「先生、一つ質問をしておきたかったんです。魔力の多さと、身体能力の間に関係性はありますか」

「ほう、どうしてそう思われましたかな」

 シシが興味深そうに身を乗り出す。

「私が皆に『元気』を与えているのは先日もお聞きしましたが、先の戦で現場にいらした方に聞くと、どうにも皆、想定より力を発揮できているように見えたそうです。私の目にも、あの矢の雨の中で、誰も怪我を負わない光景は少々異様に見えたと言いますか…」


 ザコルの後方支援は完璧だった。だが、彼の手の届かない場所が全く無かったわけじゃない。何より彼は私の安全を優先していたので、他の人のフォローは『できる限り』にしかしていない。敵からの矢は、そんな事情もお構いなしに、私達の頭上を満遍なく降り注いでいた。


「もちろん、領民の方々が元からお強いのもあるでしょう。数日前からの早朝訓練で士気を上げている方も多かったでしょうし。ただ、領民の方に言わせれば私自身が『類稀なる戦闘勘と無限の体力を持つ初心者』だそうなので、単純に魔力の高さが影響しているのかとも思ったんです。私がもし、皆に魔力を渡すなり、活性化させるなりしていたとしたら? と考えたんですが…」


 この推論に関しては他に根拠もある。先祖に渡り人のいる奴は魔力が高い、とはコマの言であり、鍛えている貴族は強い、とはエビーの言。そして、貴族なら先祖に渡り人がいる可能性が高く、魔力が高い事も強さに関係するのでは、という推測は私のものだ。コマに聞いた話を勝手にする訳にはいかないので、この根拠に関しては私から話題には出せない。

 ふむふむなるほど、とシシは面白そうに頷いた。


「おっしゃる通り、この領の者が他領の者に比べ並外れて強いのは事実です。だが、此度の戦に関しては私も違和感がありました。予測し得ない規模の奇襲でしたからな、敗けはしないまでも、それ相応の死傷者が出るだろうとは覚悟した。この町にいるのは、いくら手練れでも前線から離れて久しい者ばかりですし、中高年世代も多い。私は戦が起きたと聞いた時点で、器具はもちろん、廃棄するはずだった包帯や当て布も煮沸し直させ、看護師の手伝いができそうな者も募って集めておりました。その準備は決して無駄にはならなかったが…」


 もちろん、致命傷にならない程度の重軽傷患者はたくさんいた。私達も診療所をあぶれた人々のために臨時救護所を開設したのでそれは実感している。シシが言いたいのは、味方の死者がゼロという、この規模の戦ではあり得ない快挙のことである。


「ミカ様や護衛殿らによるお力添えには今回も非常に感謝しております。致命傷の処置はせずに済んだとはいえ、ここも戦場らしくはなりましたからな。風呂を用意してくださったのも大きい。おかげで感染症などの発生も今の所抑えられているようだ」

「ふふ、こまめに湯を換えた甲斐がありました。井戸水を夜通し汲んでくださった同志の方々のお力も大きかったです。彼ら、戦でも情報伝達で大きな手柄を挙げたんですよ。凄いでしょう」

「そうですか。彼らにはただでさえ物資や人手の世話になっているというのに…。彼らもまた、あなた様方と同じように聖人としてこの地に刻まれるべき存在です。その功績は必ず、後世に語り継がれる事になるでしょう」


 よっしゃ、ここに何か碑か何かが建てられるとしても皆で連名となる可能性が出てきたぞ。


「魔力と身体能力の関係については、私も以前から思う所がありました。この領でも、力を見出されて戦闘職につく者は私から見て他より少々魔力が多い者が多いのです。もちろん、そうでない者が強くない、という話ではありません。その程度の差であれば、努力の仕方で結果はいくらでも変わってきますから。ただ…」


 シシはザコルの方をチラッと見て、それからタイタの方も見た。


「これも経験則で感じている事ですが、どうやら、貴族の血を引く方は平民より魔力が飛び抜けて多い方が多いようだ。そうした方が相応の研鑽を積むと、努力の差とは到底言い切れない差となって現れる。中でも特に『別格』として名高いサカシータ一族は、その身体能力のみならず強い『加護』をも引き継ぐ事で有名だ。本来ならば、血筋の保護に国が口出ししていてもおかしくはない程貴重な…」


 シシはザコルが話に入ってくるだろうと想定して視線を送っているのだが、思うような反応が見られなかったのだろう。ついに怪訝な顔をし始めた。


「…ザコル様は、どうかされましたかな」

「私もちょっとよく分かんないです。ねえ、ザコル、勝手に相談していいんですか?」

「お心のままに」

「またそれ…。さっきからこれしか言わなくなっちゃったんです。何というか、心を閉ざした状態なんでしょうかねえ…」


 完全に表情が死んだザコルをもう一度見遣る。全く目が合わない。心神喪失状態に近いのかもしれない。


「あのですね、先日言っていた、魔力譲渡の限界について検証がしたくて、彼にも再三お願いしていたんですが、彼いわく『日を経るごとに触れ合いに緊張するようになってきている』だそうで…。私としては何かもう今更ですし、先日のような魔力切れに見舞われた時の保険も作っておきたかったんですが…。まあこの状態なので、どうしようかと思っているところです」


 シシには自己治癒能力と涙の治癒能力に関してははっきりとは明かしていない。

 今回の検証は、私の魔力を貯めた状態でザコルが怪我をした場合に、自己治癒能力が発動するかどうかを確かめるのが主な目的なのだが、そうとはっきり言えないので『魔力譲渡の限界を調べる』と表現している。


 正直もどかしい。どうせシシも気づいているだろうに、知らないていで話すのはお互いに疲れるだけのような気もしてきた。だが、治癒能力とはそうまでして扱いを慎重にしないといけない能力らしいので仕方ない。


「…そうでしたか…。先日も何やら様子がおかしかったが…。以前は強引に迫って泣かせていたくせに、全くどういう…」

 シシまで眉間の皺を揉み始めた。そして私の方を見て、ハッと表情を引き締めた。

「失礼いたしましたミカ様。しかしこう言っては何だが、あなた様はそれでよろしいのですか。あなた様が受けた仕打ちを考えれば、この態度にはもう少し理不尽を訴えられても」


 シシの前では、無理やり口付けされる事数回、さらに検証を強行されて私が取り乱し号泣もしている。その場面だけ見ていれば、シシが私に同情し、ザコルの態度に呆れるのも無理はない。


「ええと、先生の見ていない所では、私も彼に対して散々無茶をしておりますので…いわば、お互い様かと。とはいえ、彼がストレスだというなら私も無理をさせる気はありませんし、そう伝えてもいるんですけど、私に気遣われる度に『いかに自分が酷い事をしたかを思い知らされる』んだそうで。ならば気遣わなければいいのかと思い、少し強めの命令口調で言ってみたらこんな状態になりました」


 フスッ、と小さく吹き出す音がする。エビーだな。絶対に笑いを堪えている。

 シシが少し考え込むようにして顎を手でしゃくる。


「…これは、完全なる私見ですが。恐らく、彼は今頃になって情緒が発達しつつあるのでは。今までは人との関わりにほとんど心を割いてこられなかったのでしょう。人様を大事に扱うというのがどういう事か、やっと様々な感情を自覚して向き合い始めたといった所でしょうか。…いやはや、よく今まで無感情のままやってこれたものだが。彼の情緒はこの領を出た時の十六か、それ以上に幼い所からようやくスタートしたばかりなのかもしれませんな」


 私は再びザコルの方を振り返る。要するに『中身がガキのまま』みたいな事を言われているのに、相変わらずの無表情だ。

 ムッとして何か言い出しそうなエビーを手で制す。


「流石は先生。とっても参考になります。ですが、私が出会った時点では既に『無感情』ではなかったですよ。むしろ感情豊かというか、彼ほど自分に正直な人もいないとも思ったくらいで」

「そんな事をおっしゃるのはお姉様くらいですわ」

「アメリア」


 私は立ち上がり、診療所の出入り口の方を振り向く。ザコルも無表情のままアメリアの方を向いた。


「わたくしの当初のザコルの印象といえば、完全に死んだ目をして会話にも入って来ない……ああ、それよ、その顔ですわ。何か話を振っても『任務中です』としか返ってきませんの」


 えっ、この状態ってもしや、ザコルの『デフォルト』って事…? 初期化しちゃった…!?


 シシも立ち上がって胸に手を当て、顔を下げている。


「先生、どうぞお顔をお上げになって。僭越ながら、わたくしから名乗らせていただきますわ。わたくしはテイラー伯爵セオドアが長女、アメリア・テイラーでございます。この度は、我が家の一員たるミカお姉様が大変にお世話になりました。何でも珍しい能力をお持ちとの事ですわね。色々とご事情もおありでしょうから、先生のお名前や個人的な情報を勝手に広めるような真似はしないとお約束いたしましょう。もちろん、家への報告に関しても相応の配慮をさせていただきます。ですからどうか、今後ともお姉様のお力になっていただきますよう、よろしくお願いいたします。ハコネ」


 アメリアが声をかけると、ハコネが上等そうな布にくるまれた小包を差し出した。お金だろうか。


「どうかお受け取りになって。わたくし共からの謝意でございます」


 やっぱりお金だ。

 しかし、シシはその小包を下げるようにと両手で制した。


「どうかお納めを。私はシシ。ただの平民出の町医者です。伯爵家のご令嬢に頭をお下げいただくような立場でないのと同時に、私はここシータイの町長から要請を受け、あくまで職務としてミカ様の能力解明のお手伝いと診察を行なっているのに過ぎません。個人的な謝礼を受け取ったとあっては、早晩この町での居場所を失くしてしまう事でしょう。失礼は承知の上でございますが、お気持ちだけ受け取らせていただきます」


 シシは丁寧に礼をする。その様子にアメリアはあっさり小包を下げさせた。


「解りましたわ。こちらこそ無礼な振る舞いをお許しくださいませ。先生の医者としてのご矜持を軽んじるつもりはありませんのよ。平民のお生まれといえど、命を救うための知と術を習得なさった方に敬意を表するのは人として当然の事ですわ。では、こちらだけでも受け取って下さらないかしら。煎じて飲めば体の熱を取り、風邪の予防にもなるという薬草茶ですの。道中、ジーク伯爵からお裾分けにいただいたものですわ。どうか町のためにお役立てくださいませ」


 今度はカッツォが恭しく金属製の太い筒を持ってきた。ポン、といい音を立てて蓋を開けてみせると、何だか既視感のる香りが広がる。シシは思わずといった様子でその筒を覗き込み、近くで香りを確かめた。


「これは…! もしや、魔の森の隠れ里で作られているという? ああ、この爽やかな香り、間違いない!」


 緑茶だ。

 フジの里の斜面に広がる茶畑を思い出す。


 緑茶は確かに体の熱を取ると言われていたし、カテキンには殺菌作用もあるので風邪予防にもなるだろう。常に飲んでいれば、の話だが。お茶を使ったうがいの方法なんてのもネットニュースで見た。民間療法として昔からあった方法なのだろうが、例の疫病禍ではそうした健康法が話題になりやすかった。

 ちなみに、私と祖母が暮らした県はお茶の名産地だったので、朝晩と毎日のように緑茶を淹れて飲んだものだ。この香りを嗅ぐとその頃の事が鮮やかに思い出された。


「これは謝礼でも何でもありませんわ。ただの手土産ですから。先生のお眼鏡に適ったのならばぜひ」


 シシはそれはもう喜んであっさり受け取った。私達との間にさえ薄いバリアのようなものを張り続けている慎重な彼がだ。


 フジの里でお世話になった女性達によれば、緑茶は希少なものとして貴族の茶会に出される事もあるらしい。そんな希少な茶葉をイーリアやサカシータ子爵に出さず、医者であるシシの懐柔に使ってしまうとは…。しかも、一度大金を出して引っ込めてからの手土産だ。相手もこれ以上はアメリアのメンツを潰せないし、大金に比べれば遥かに受け取りもしやすい。今のやり取りでシシの人柄を試しもしただろう。計算づくでやっているのだとすれば流石としか言いようがない。


 関係ないが、あの里から出てくるものは何にでもプレミアがつくのだろうか。



 私は、アメリアの目の前でシシから一通りの診察を受け、邪教から取り上げた香や薬の説明も一通りしてもらった。カッツォ達三人組も後ろで聞いている。アメリアとハコネが信用している彼らならば私も隠し事をする気は無い。私の能力に関してどこまで明かすかについても、今後はアメリアとハコネの判断を仰ごうと思っている。


 香りに呪いを施した可能性については推論に過ぎないからか、シシがアメリア達の前で口にする事はなかった。私も、呪いと聞いて一般的な淑女がどういう反応をするのかよく判らないので、確証が持てるまでは黙っていようと思った。


 話の途中に診療所のドアを叩く人があり、どうしてもすぐに薬が欲しいとの事だったので、私達の許可を得てシシが調薬のために席を外した。

 誰か急な発熱でもしたのかと心配したが、話を聞けばぎっくり腰になった人がいて、痛み止めと湿布薬を届けてやりたいという事だった。不謹慎ながら少しホッとしてしまい、動けるようになったらぜひ入浴に来るようにと勧めておいた。


「お姉様ったら。わたくしより先に出てしまうだなんて一体どういうおつもりですの。本来ならばわたくしが先に来てお待ちするのが筋というものですのに」

「何言ってるんですか、私は年齢的には姉かもしれませんが、きょうだいの中では新参ですよ。あなたを立てて然るべきでしょう」

「お姉様って本当にご自分に厳しくていらっしゃるわ…。だからこそ皆様がこぞって信用なさるのでしょうけれど。とにかく、わたくし相手にそうしたお気遣いは無用ですわ。これ以上壁を作られてはわたくし、拗ねましてよ」


 ぷう。アメリアが頬を膨らませて上目遣いで睨む。ぎゅうううん!!


「何、何なの!? こんな可愛い子が私なんかの妹で本当にいいの…!? 分かった、分かりました、次は誘い合わせて一緒に出る事にしましょう」

「お姉様ったら、私『なんか』は余計ですわ。ふふ、お約束ね」

 よーしよしよしよし、ピトッと肩にくっついてくるふわふわの金髪をなでなでする。



「兄貴、兄貴。あれです。お嬢のぶりっ子はいいんで、あっちの姐さんの方を参考にしましょう。懐いてくるものは普通に可愛がればいいんすよ。あのザッシュの旦那にだってできてたじゃないすか。てか前は兄貴だってちょっとはできてたでしょうが」

「お心のままに」

「もー!! 何なんすか、そろそろ戻ってきてくださいよ兄貴ぃ!!」


 エビーが全体重をかけてザコルを揺さぶっているが、石像か何かのようにびくともしない。相変わらず体幹の強さががおかしい。


「団長ぉ、このヘタレ野郎どうにかしてくださいよ! 俺だけじゃツッコみきれねえんすよ!!」

 エビーが今度はハコネに泣きつく。


「あの医者殿の言う通りならやっと情緒が育ち始めた所なのだろう? 何をさせたいのかは知らんが、時間をかけるしかないのでは」

「団長までそんな事言うんすか!? いくら何でもそこまでガキじゃねえすよこの人! 大体そんな甘ぇ事言ってる間にこないだみたいな事が起きたらどうすんだ!! おいヘタレ!! 後悔すんのはあんただぞ!? あんたにしかできねえんだぞ!?」

「お心のままに」

「もおおおおー!!」

 エビーが頭を抱えて叫んだ。


 エビーも私と同じように、シシの見解には思う所があるようだ。今頃になって何かが成長しつつあるというのは何となく頷けるが、ザコルは決して無感情だったわけでもなく、人との関わりに一切心を割いてこなかったという程冷淡でもないと思う。


 タイタがニコニコとして、乱心したエビーの肩を優しく叩いた。

「エビーは全くザコル殿思いだな。昨日は心神喪失しているうちにやってしまえとさえ言っていたのに」

「そ、それは、方便っていうか…。俺も、姐さんの事があって学んだんで…」

 エビーは気まずそうに目線を落とす。


 以前、不意打ち検証で私を泣かせた事を余程後悔してくれているのだろう。ザコルにも無体を強いる気は無いようだ。


「ザコル殿もきっとお役目の重要性をご理解なさっておられるはずだ。しかし、団長もおっしゃる通り、少々お心を整える時間が要るのではないだろうか。シシ殿の見解が全て正しいとは俺も思わないが、ザコル殿自身、ミカ殿への接し方を改めようと努力なさっているのは判る。きっとこの方なりに進んでおられる最中なのだ」

 ぶわっ、エビーがタイタを感極まったように見上げた。

「タイさぁん、滅茶苦茶いい事言う…!! 超、超超超超大人じゃねえすかあ」

「エビーにはいつも助けられてばかりだからな。少しは年長らしい所もみせねば」

 はは…、とタイタが照れくさそうに頬を掻いた。


 二人のそんな様子を見届けて前を向き直ると、アメリアが私の顔を覗き込んでいた。

「お姉様…。何て慈愛深いお顔をなさっているの。まるで我が子らを見守る母のようよ…」

 褒め称えるような口ぶりで呆れた目線を寄越すのはやめてくれまいか妹よ。

「遠回しに『オカンか』って言わないでください。うちの子達みんな優しくていい子だなって思ってただけです」

「それがまさに母のようだと言っているのですわ」


 カッツォ、コタ、ラーゲの三人もタイタとエビーに話しかけ始めた。三人の反応から察するに、彼らの幼馴染の一人であるエビーが、今まで孤立していたタイタや猟犬殿と急激に仲良くなっているのが興味深いようだ。

 エビーはザコルがいかにヘタレ…いや、親しみやすい人物かをざっくり…いや、いっそ雑に紹介し、反対にタイタがいかに紳士で包容力の高い人物かを力説し始めた。あまりに褒めちぎるのでタイタがアワアワして吃り始めた。

 私も人の事は言えないが、エビーも『大概』お節介な子だ。



 結局、戻ってきたシシによってこれまでの診察の経過をアメリアに説明してもらい、今日はそれだけで引き上げる事にした。機会は惜しいが、私としても心神喪失している人を相手にご無体を働くつもりは無い。



「あの医者はそこそこ信用できそうですわね。少々、ザコルに対して当たりがきつい気もいたしますが」

 雪のちらつく帰り道でアメリアがそんな事を言った。

「そうですね。ちょっと食えない感じの所もありますけど、医者としては信用できる先生かと思いますよ。わざわざご自身で『上手に質問しろ』だなんてこっちに言うくらいですから、根は親切なんだと思います」

「親切、ですか。お姉様がそうおっしゃるのならきっとそうなのですわね」

 アメリアはふむ、と頷く。


「ふん、お嬢も姐さんも甘えんじゃねえすか。あのジジイ、また兄貴を馬鹿にしやがって」

「もう、エビーはすぐ怒るんだから。ザコルも言ってたでしょ、『ああいう手合いは放っておけ』って。ザコルなら、エビーがそう怒ってくれただけで充分だって言うはずだよ。…そう、きっと、ずっと昔からそういう人だったはずだよ、ザコルはね」


 私は、未だにあらぬ方向を見つめたまま黙って私の隣にいるザコルを見上げる。


「姐さんはマジ心広すぎすよ。そこだけはあのジジイに同感っす」

 エビーはザコルの背をバシンと叩きながら言った。



つづく

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