お嬢様の秘密② 『腹心の侍女』への手向けです
アメリアは十七歳ではない。
が、はっきりした事は判らないそうで、十九から二十歳くらいなのだそうだ。
彼女が産まれたのは、王都の下町地区にある小さな借家だった。
母親は目立ち始めたお腹を抱えながら出奔してきた貴族の娘で、持ち出してきた宝石や服を売って家を借り、細々と食いつなぎながら、借家の大家を始めとした近所の者に助けられつつ娘を一人で産んだ。
その後は赤ん坊を育てながら近所の家で針仕事をもらい、何とか生計を立てて暮らしていた。
アメリア…当時はどうやら違う名で呼ばれていたそうだが、彼女が歩き出してしばらく、マンマちょうだい、おはなきれいね、くらいの簡単な言葉を話せるようになった頃、母親はちょっとした風邪から肺を患い、懐の寂しさから医者を呼ぶ事もできずにいるうち、みるみる間に重症化してしまった。
アメリアの世話を引き受けていた大家が、息も絶え絶えな母親から何とか訊き出して連絡したのは、現テイラー伯爵夫人サーラの実家、シュライバー侯爵家だった。
当主であったクーゲル・シュライバー侯爵はすぐにその下町へと借家へと駆けつけ、長らく行方知れずとなっていた長女と対面した。彼女はその日の内に、娘を頼むと告げたきり、父と小さな娘の前で息を引き取った。
ようやく会えた愛娘の死に直面し、母の遺体に寄り添って離れない孫娘を見て、クーゲルはしばし途方に暮れた。
シュライバー侯爵家にはアメリアの実母である長女セーラと、次女であるサーラ、そして彼女らの兄で長男のフリックという三人の子供がいた。
フリックは既婚であったため、父クーゲルは、セーラが遺した子を息子夫婦の子として引き取る事を考え……すぐに断念した。息子夫婦には第一子である男児が産まれたばかりで、それを大々的に発表してしまった直後だったからだ。明らかにその第一子よりも年上の女児を引き取って実子とするには無理がある。隠し子のように扱わせるのも、いずれ当主を継ぐ息子とその若妻の外聞を考えれば気が引けた。
セーラは娘であるアメリアの出自をどうしても隠したかったらしく、身元の証明となるものはおろか、日記や手紙といったものでさえ遺していなかった。娘の誕生日すらも記録しておらず、かつて出産に立ち会った大家の記憶によれば、恐らく二歳と少しくらいだろうという事だった。
大家は生まれも育ちも下町で、あまり数字や読み書きに強い方ではなかった。家賃もどんぶり勘定で、よくよく聞けばセーラは二、三ヶ月程家賃を滞納していたようだが、大家の婦人はそんな事は別にいいのだと大らかに言った。クーゲルは娘と孫の面倒を見てくれたこの気のいい婦人と、出産育児に加え、仕事の工面まで世話になった近所の者達に感謝し、相当な額の謝礼金を用意した。
遠慮する下町の人々に何とか受け取ってもらえたのは、セーラの葬儀も済んで数週間も経った頃だったという。
セーラの徹底した隠蔽工作にはクーゲルも頭を抱えたものの、アメリアの父親に関する情報が全く無い訳ではなかった。
セーラは出奔する直前まで、王宮で王妃付きの侍女として出仕していた。
セーラは、この国では紳士のサロンで嗜まれるようなカードやボードゲームがやたらに得意な、少々変わった娘だった。そんな一面を買われたか、同じくボードゲーム好きである国王陛下のお相手をするよう、王妃殿下自らが変わり者の侍女に命じられたようだと、クーゲルは王宮内の噂で耳にしていた。
当時財務大臣であったクーゲルは王都のタウンハウスから毎日馬車で通勤していたが、王妃の侍女であるセーラは住み込み勤務であり、いかに親子といえども毎日話すような機会は無かった。
クーゲルは娘の噂を聞くたびに、雇い主である国王夫妻に可愛がられているようだと喜ぶと共に、あまり深く踏み込んで、危険を伴う政争などには巻き込まれる事のないよう祈った。
そんなクーゲルはまさに『シュライバー家らしい』気質の持ち主だった。
シュライバー侯爵家は豊かな領地を持ち、政務の才能に恵まれた人物を多く輩出する事で有名な家だが、同時に『頭脳と引き換えに野心をどこかに置き忘れてきた』『仕事人間』などと揶揄される一族としても有名だった。
クーゲルも例に漏れず、権力を得るより、書類や数字と戦っている方がマシだと思うようなタイプだった。しかし結局はその実務能力の高さで一文官から財務大臣にまで登り詰めており、本来ならばコネも使えるような高位貴族でありながら、純然たる実力で拝命した地位には誰も文句が付けられなかったという。
◆ ◆ ◆
「そういう、努力で全てを薙ぎ倒す系のお方、憧れますよねえ…。頭脳派一家の血を継がれているから、アメリアもオリヴァーも賢いんですね」
「よしてくださいまし。ミカお姉様に言われては恐縮するしかございませんわ」
「そっちこそよしてください。私はただの本の虫であってですね」
「お爺様もきっと同じようにおっしゃるわ。私はただの文字狂いだと」
「文字狂い、面白い表現ですね。活字中毒と同じような意味でしょうか。ああ、お会いしてみたい!」
「お姉様がそうおっしゃったと聞けばお爺様もきっとお喜びになりますわ。色々と落ち着いた頃にはぜひ、母の実家もお訪ねくださいませ」
現在の侯爵はもう代替わりして、クーゲルの息子、フリックが当主となっていたはず。現シュライバー侯爵といえば、宰相として、王妃と共に国政に忙殺されているという人物だ。社畜気質は息子にも順当に受け継がれているようだ。
◆ ◆ ◆
クーゲルが大臣として日々業務に明け暮れる中、事件は起きた。王宮に務めていたはずの娘が置き手紙一つ残して消えた、という一報が入ったのだ。
セーラは、失踪当時の齢十八までは仕事一筋で、辞めたくないあまりに用意した縁談も勝手に断ってくるような、ある意味では非常にシュライバー一族らしく、そして一般的な貴族令嬢らしい考えは到底持ち合わせぬ娘だった。
それだけに、置き手紙に書かれた『想い人に添い遂げるため、一人去る無礼をお赦しください』という文言には違和感しかなかった。それは彼女の主君たる王妃も同じで、王妃とシュライバー家はセーラが何らかの事件に巻き込まれた可能性を考え、捜索隊を王都とその近辺に放った。
しかし、失踪から半年経っても手掛かり一つ見つけ出す事ができず、当時第二王子サーマルを妊娠中だった王妃が正産期に入ってしまった事もあって、王家としてはそれ以上の捜索を続ける余裕がなくなってしまった。
だが、セーラの両親は到底諦める事はできず、シュライバー家は独自に捜索を続けていた。
失踪したセーラが一人きりで妊娠出産していた事は、この時点では誰も予想していなかった。
しかし、失踪から二年半近くが経過し、やっと見つけたセーラは病死、遺された幼児は質素な生活で発育は良くなかったものの、どう見ても二歳は超えている。失踪の時点で既に妊娠していた可能性は非常に高かった。
恐らくセーラは王宮内で誰かの子を身籠らされ、それが発覚する前にどうにかして姿を消したのだ。クーゲルはそう結論付けた。
クーゲルはセーラの遺体を運び出すよう部下に命じた後、孫娘を一旦自分の邸に連れ帰り、妻ユニに事情を説明した。
ユニは長女と再会できるかもしれないと期待していただけに、夫の言葉を聞くなりその場に崩れ落ちた。
だが大人達の重苦しい空気など幼児には関係のない事だ。会ったばかりの男性であるクーゲルに未だ人見知りしていた孫娘は、母の面影が色濃い祖母を見つけると真っ先に駆け寄り、無垢な瞳でマアマ? と呼びかけた。
床に膝をつくユニを、いたいいたい? と気遣う小さな孫娘を抱き締め、ユニも、そしてクーゲルも泣いた。
クーゲルは孫娘をユニと使用人に託し、王妃の許可を得て、翌日から王宮内の使用人を調べた。
しかし、王妃付きの侍女が関わるような男の臣下と言えば、執事と数人の騎士、そして料理長くらいのものだった。その誰もが王妃やセーラとは歳の離れた、年月をかけて信頼を勝ち得てきたような者ばかりだった。
全く可能性が無かったわけではないが、クーゲルは自分と同じくらいかそれ以上の歳の落ち着いた男達を見て、セーラの相手である可能性は低いと断じた。
年齢や信頼度以外に合点のいかない理由もあった。孫娘は煌めくブロンドヘアに、美しい碧眼を持っていた。セーラは栗色の髪に淡い水色の碧眼。目の色はともかく、髪色は父親の血筋によるものと考えるべきである。
臣下の男達は誰も金髪では無かったし、シュライバー侯爵夫妻のどちらも金髪ではない。それは祖父母にまで遡っても同じで、曽祖父母以前からの隔世遺伝を考えたとしても、可能性は低いように思われた。
セーラが王宮内で言葉を交わす程に関わった男性の中で、くすみ一つない金髪と碧眼を持つ人物はただ一人である。
「陛下…」
調査に訪れた侯爵を労おうと王妃が用意した席で、ついそう口を滑らせた彼を誰が責められるだろう。
王妃は顔色をなくし、クーゲルは自分の失言を悟った。
◆ ◆ ◆
「お爺様によれば、その時の沈黙は、まるで数時間も続いたかのように思われたそうですわ。実際には、王妃殿下はすぐに気持ちを立て直され、その可能性を視野に考え直して下さったそうなのです。次に王妃殿下がなさったのは、わたくしの顔を見にシュライバー侯爵家のタウンハウスへと足をお運びになる事でした」
◆ ◆ ◆
翌日、政務を無理矢理調整し、街の視察を装ってシュライバー家を訪れた王妃は、セーラの娘の顔を見るなり絶句した。国王と同じ髪色や瞳を持つばかりか、当時まだ幼かった第一王子とも明らかに顔立ちが似ていたからだ。
現王妃の実子である第二王子であるサーマルは母親似であまり父王とは似ていなかったが、第一王子は古い使用人達からは『お父上の幼少期に生写し』とまで言われていた。
「セーラはこの娘を守るために…いえ、違うわね。あの子はきっと、王宮とご実家、そしてわたくしの心を守るために消えたのだわ…!」
王妃はセーラが身籠ったのは国王の子に違いないと泣き崩れ、その状況を作り出したのは自分だと、しきりに謝罪の言葉を夫妻に向かって繰り返した。
前シュライバー侯爵夫人ユニは、娘の死は辛いけれど、王妃殿下がお悪いわけでない事は信じられます、それにまだ決まった訳ではありません、どうかお顔をお上げください。と、繰り返した。
真面目で善良な夫婦には、娘を想って泣いてくれる王妃をそれ以上責められなかった。
このオースト国においては、王子も王女も等しく王位継承権をもつ事になっている。基準となるのは産まれた順番と本人の資質だ。時としてその血統にも議論が及ぶ事もあるが、母体が余程下位の出自でもなければ問題にされない。だが、妃の後ろ盾となった権力者同士の争いはしばしば勃発した。
現王妃の生家は隣国メイヤー公国の公主の縁戚で、メイヤー教の高位神官を輩出する家の出だった。もちろん政略結婚だ。その当時、公主やその近親に相応しい年齢の娘がなかった事から、公国内で侯爵位か公爵位に相当する名家の令嬢に白羽の矢が立ったのだ。
現王妃は国王にとって最初の妃ではない。前王妃は現カリー公爵の実姉で、第一王子を出産後すぐに亡くなっている。その死から数年後、メイヤー公国との縁を繋ぎ、国王に現王妃を嫁がせるのに貢献したのは、当時の宰相であったホムセン侯爵だった。
現王妃の後ろ盾として権力を主張できる立場にあるホムセン侯爵は、王妃が産んだ第二王子サーマルを盛り立てる事で第一王子派、つまりはカリー公爵一派の力を削ごうと考えていた。
王妃の意志など関係なく『先んじて王妃殿下の憂いを除く』というフワッとした大義名分のもと邪魔者を排除するなど、ホムセン侯爵一派はかなり勢い付いているというか、分かりやすくのさばっている状況だった。
国王や、その王子達に明らかな敵意を向ける王弟の存在もあり、王弟とホムセン侯爵派は、利害の一致から共謀する事もあった。
もしセーラが失踪した時点で国王の子を妊娠していたとするならば、その頃に丁度安定期に入ろうかとしていた王妃とは同時期に妊娠していた事になる。
妃ではなく侍女の一人だとしても、セーラは長年頭脳と忠心で国を支えてきたシュライバー侯爵家の娘だ。その子はシュライバー一族として資質に恵まれる可能性もあり、将来は間違いなく王位継承争いにも関わってくる。
……両親に似て善良で、仕事人間で、王妃への絶対的な忠誠を誓っていたセーラならば。
このまま大きくなる腹を晒していたら、必ず誰かが勘付き、父親探しが始まってしまう。
王の胤だなどとバレたら自身がホムセン侯爵一派や王弟に狙われるだけでなく、間違いなく主君である王妃殿下とそのお子の心労の種になり、実務にしか興味のないような父をも政争に巻き込んでしまう、その前に姿を消すべきだ…などと、考えたであろうことは容易に想像がついた。
とはいえ、王子と顔が多少似ているというだけで国王の落胤と断じる事はできない。セーラの周りに思い当たる者がいないだけで、世の中には金髪碧眼の男性はそれなりにいるのだ。
クーゲルは事実をより詳細に把握するため、今度は当時働いていた侍女仲間を始めとした女性使用人達を個々に呼び出して事情を聞いた。
彼女達への聴取を進める内に判ったのは、セーラがある時期から国王の相手をする際に別の侍女を伴うようになった事、そしてセーラが時々貧血のような症状を起こしたり、食欲がないからと食事を抜く事が度々あったという事だった。
その当時は王妃が悪阻などの妊娠初期特有の不調に悩まされている時期でもあった事から、セーラは王妃に気遣わせないように徹底して笑顔を保ち、化粧で顔色を誤魔化したりもしていたらしい。
そうしたセーラの体調不良に関して彼女達は『きっと過労です。セーラは働き過ぎでしたから』『あの子が逃げ出したなんて未だに信じられない。もっと話を聞いてやるべきでした』と誰もが同じように言った。
確かに、過労によって立ちくらみなどを起こしたり、食事を受け付けなくなったりする事はある。ただ、男女関係に無頓着なくらいだったセーラが、急に国王と二人きりになる事を避け始めたのは、不自然と言えば不自然だとクーゲルは感じた。
一方、国王が無理矢理セーラに迫ったに違いないと考えた王妃は、自分がセーラにボードゲームの相手なんかを命じたせいで彼女の人生を狂わせてしまったと自身を責めた。王に直接訊く勇気も出ず、クーゲル達には合わす顔もないと思い詰め、ついに体調を崩して伏せった。そんな彼女を救ったのは意外な人物達だった。
◆ ◆ ◆
「それは、第一王子殿下と、姉の後を継ぐように王宮へ出仕し始めた、わたくしの育てのお母様、サーラですわ」
◆ ◆ ◆
八歳、もうすぐで九歳になる第一王子はどこで話を聞きつけたのか、寝込む王妃の枕元に来て、セーラが逃げるのを手伝ったのは自分だと話した。もちろん王妃は飛び起きた。
セーラ失踪時には弱冠六歳だったはずの王子がまさかとは思われたが、彼は大変早熟で聡明な子だったので、王妃は彼の話を遮る事なく最後まで聴いた。
第一王子はまだ拙さの残る言葉で語った。
お継母様のお腹にサーマルがいた頃、あの侍女のお腹にも新しい魔力のかけらが視えたので教えてあげたら、彼女は驚いて死のうとした。
ぼくは、彼女がもつ朝焼け色の澄んだ魔力を見るのが好きだったし、とても優しい人だったから死なないでほしかった。新しい魔力のかけらも、小さな星の粒のように光っていて、きっと神様からの贈り物だと思った。
だから、ぼくは彼女たちを助けたかったんだ、と。
◆ ◆ ◆
「……第一王子殿下が魔力が視えたと…? まさか、シシ先生と同じ能力者だった…?」
私は思わずザコルがいる方角を見てしまったが、彼はこちらを見なかった。先程風向きが変わったし、聴こえていなかったのかもしれない。アメリアはそんな私に構わず話を続けた。
◆ ◆ ◆
この国の王都には、王位継承権を持つ王族だけに知らされる地下施設の存在がある。
正確には、地下遺跡自体の事を知る人は王族以外にもいるのだが、王宮を起点に王都中に張り巡らされたある通路への入り方に関しては王族のみにしか知らされない。
それは王宮や王都の中で何かがあった時のために造られた、王族専用の避難通路であった。
窓から飛び降りようとしたセーラにしがみつき何とか引き留めた第一王子は、その後も幾度となく世話係の目を盗んではセーラとお腹の子に会いに行った。
しかしセーラは不調と罪悪感から不安定になり『自分はどうしても消えなければならない、あの方を裏切ったと思われるのだけは耐えられない』と陰で泣き続けていた。
小さな頭で何が最良かと考えた王子は、自分やお腹の子を大事にすると約束できるのなら、ここから逃してあげると言った。そしてセーラの決心がついたタイミングで地下の避難通路へと案内し、皆に内緒で街中へ逃したのだと語った。
事情が事情とはいえ、王族専用の隠し通路にいち貴族令嬢に過ぎない者を通したのかと王妃が咎めると、彼はきょとんとして言った。
あの小さな星の粒はぼくやサーマルの仲間だった。
どうしてあの星のために通路を使ってはならないの、と。
王の胤によってセーラが妊娠していた事を、第一王子は特殊能力によって見抜いていたのだ。
王妃は、どうしてもっと早く教えてくれなかったと責めたい気持ちをぐっと堪えた。彼は彼なりに、王妃にだけは知られたくないというセーラの気持ちをなるべく尊重しようとしたに過ぎなかった。
第一王子とセーラが取った手段が正しかったかどうかはともかくとして、セーラの衝動的な自殺を食い止め、何とか出奔に留めさせたのは紛れもなく六歳の小さな王子の功績だった。
王妃は彼の言葉を信じたし、複雑な心境ながら彼に感謝もした。
王妃にとって侍女セーラは、異国で慣れない政務に奮闘する自分を陰日向と支えてくれた相棒であり、親友であり、歳の近い姉妹のような存在でもあった。政略結婚で義務的に家族となった国王よりも、遥かに家族に近い存在だったのだ。
結局は苦労させた挙句死なせてしまったのだが、たった二年でも長く生きてくれたという事実は王妃をほんの少しだけ慰めた。
王子は続けた。
あの星の粒は大きくなったのでしょう、ぼくはあれに会いたい、と。
王妃はまだ不調のある体に鞭打ってベッドから降り、信頼できる者を選んでシュライバー家へ使いを出させた。
王妃の侍女が失踪した事件は王宮内で広く知られた話だったが、セーラが下町で子供を遺して亡くなった事は、まだシュライバー侯爵夫妻と王妃、聴取を行った一部の者にしか知られていない。
何をおいてもこの件に関してだけは、ホムセン侯爵一派や王弟に絶対に知られてはならないと考えた王妃は、聴取された使用人と、一番頼りにならない国王にさえも厳しく言って口止めした。
彼女が国王に強く意見したのは、嫁いで以来これが初めてだった。
そして、日々勉強を頑張っている第一王子にご褒美を買ってあげたい、というのを口実に、お忍びでの街歩きを計画した。継母と継子の関係ながら普段から仲睦まじくしている母子の計画に、周りも温かい反応で協力してくれた。
ある人気菓子屋の貴賓用サロンを貸し切り、信頼できる騎士二人だけを伴って第一王子と待っていると、裏口から通されたシュライバー一家が新しく加わった孫娘を連れて入室してきた。
王妃は、表の入り口前で待つ者達に、王子が歩き疲れてしまったので、しばらく休ませますと伝えさせた。もちろん王子は休んでなどいなかった。
彼がかつて視た星の粒は、美しい星そのものになって王子の前に現れた。シュライバー家の孫娘は自分と似た少年にすぐ懐き、その可愛らしさには王子もとろけるような笑顔を見せた。
「また会えたね。ぼくのアメリ」
アメリとは、古いオースト語で星や光を表す言葉だそうだ。
四歳の王子はかつてセーラのお腹に向かってそう呼んだ。セーラは、産まれた赤ん坊を王子に倣ってアメリと呼び、苦労しつつも周りの助けを受けて愛情深く育て上げたようだった。人懐こいアメリの様子からはもちろん、クーゲルが出会った下町の者達が口々に語った母娘の様子からもそれは伝わってきた。
第一王子は、アメリと並んで座りながら、シュライバー侯爵夫妻とその長男フリック、次女サーラの前で、二年前の仔細をはっきりと語った。その後、王子が成長してからは記憶も曖昧になったようだが、その時点での彼の証言は王妃が一言一句違えぬように記録して、後からシュライバー一家と共に一つ一つを検証したという。全てを裏付ける事はできなかったが、セーラの身に降りかかった事実とその足取りはかなり正確に掴めた。
その席で、提案がありますと発言したのは、当時十六歳。シュライバー家の次女で王妃付きの新人侍女になったばかりのサーラだった。
サーラは次期テイラー伯爵となるセオドアと婚約していた。そのセオドアの両親が病床に伏している事を鑑みて、結婚の時期を早める方向で動いていると前置きした。
「我が婚約者は金髪碧眼です。もしご許可がいただけるのであれば、わたくしの実子としてこのアメリを引き取らせていただきたいのです。仲睦まじい婚約者同志ならば、仮に順序が変わったとしても大きな醜聞にはならないでしょうから」
サーラは、婚前交渉によって妊娠し、そのために結婚を早めたという筋書きを噂として社交界に流すと言い出した。この場にいないセオドアの意思や名誉を一切考えない、大胆な申し出だった。
「仮に今、腹の目立たぬ妊娠初期だったとして、産まれるのは最短でも半年後です。アメリの実年齢は三歳程度になってしまうでしょうが、二歳や三歳の年の差ならば十年もすれば誤魔化せるようになります。しかしそれ以上の年齢差となれば流石に違和感も生じるでしょう。ですから決断するなら今ですわ。この子は言葉は問題ないようですが体の発育は少々遅れているようですし、病弱という事にして十年、伯爵邸の中から出さずに育てます。あのテイラー邸の敷地は広大ですもの、外に出なくとも充分健やかに育つ事でしょう。何より、愛するお姉様が遺したこの可愛い娘を、わたくしの目の届く場所で大切に育て上げたいのですわ」
サーラの言葉からは、アメリを決して王族になどさせない、陰謀の渦中になど巻き込ませない、という強い意志が見え隠れした。
王宮の実質の長である王妃を前にして不敬さながらの態度ではあったが、王妃としてもセーラが大切に隠していた娘を王宮に招いて危険に晒す気はさらさら無かった。
それは、現王妃たる彼女や、王子達の保身のためでも決してなかった。アメリの身を第一に考えるという点では、王妃とシュライバー家の意見は完全に一致していたのだ。
果たしてセオドアは頷くのか。そして信用に足る人物なのか。
王妃のそうした懸念はシュライバー一家の面々が一蹴した。
「ああ、あのセオならば、サーラの願いを必ず聞くとも。あれ程サーラの事しか頭にない男も他におりませんからな」
「愛の深い男ですから、きっとこのアメリの事も溺愛するでしょう。が、渡したら決して返してはくれませんよ。陛下の落胤だなどと、足のつきそうな証拠や噂の種は大小問わずきっちり潰して回るくらいはしそうです」
「目に浮かぶようだ」
現当主クーゲルと次期当主フリックは苦笑し合った。
「この子はまだ貴族家に慣れていないわ。あまり構い過ぎて却って無理などさせないよう、しっかり釘を刺しておくのよサーラ」
「解っています。あの人がどんなに甘やかそうと、わたくしが責任を持って完璧な淑女に育てるわ。心配なさらないでお母様」
侯爵夫人ユニとその娘サーラも頷き合った。
セオドアの返事など訊かずとも判るとでもいうシュライバー一家のあっけらかんとした様子に、王妃は何となくアメリとソファに二人で座る第一王子の顔を見遣った。
「お継母さま。セオドアとは、このあいだパーティで挨拶した、あの背の高い金髪の者ですか。そこの侍女を連れていた」
王子の言うように、半年前程に執り行った王家主催パーティにて、セオドアがサーラをエスコートし、国王一家の前で挨拶をした事があった。
サーラは社交デビュー用に誂えた可愛らしいドレスを着ていて、セオドアとは仲睦まじそうに寄り添っていた姿を王妃も覚えている。
ただ、あの日は他にも社交デビューの娘が相当な人数いて、挨拶した組数も二桁できかないくらいの数だったはずだが…。
「ええそうよ、よく覚えていて偉いわね」
八歳にして素晴らしい記憶力だと褒めれば、第一王子はにっこりと嬉しそうに笑った。
「ぼくも彼は好き。彼は、きっとたくさんの人を救うよ」
第一王子の無邪気な言葉には不思議な説得力があり、王妃は彼の予言めいたその言葉を信じてみようと決心した。
後日、セオドアとサーラは揃って王妃と面会した。
諸事情あって結婚を早める事になり、サーラに暇をいただく許可を得にきた、というのが訪問の口実であった。
王妃は、自分が祖国メイヤー公国から嫁ぐ際、守護者としてつけられた者を連れて行くよう若い二人に言った。例の『怪我をしにくくするおまじない程度の力』を持った魔術師の女性だった。
その希少な能力はもちろんだが、ホムセン侯爵や王弟の息がかかっていないと確信でき、王妃自身が心から信頼できる者が他にいなかったのもあったようだ。
彼女をサーラとアメリの側に置けばきっと力になるはず。これは、思いがけずして母となった『腹心の侍女』への手向けです、と王妃は語った。
つづく




