表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
誰が召喚したか知りませんが、私は魔獣ではありません  作者: もっけのさひわひ


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

84/579

お嬢様の秘密① 隙を見せるなと、おっしゃりたいのね

「アメリア、アメリア」


 私は素直についてくる彼女の肩をポンポンと叩く。


「あっ、あんな所にザッシュお兄様!」

「…えっ!?」

 ビクッとして周りをキョロキョロするアメリア。


「えっ、えっ!? わ、わたくし、なぜ歩いていますの!? ミカお姉様!? ここはどこですの!?」

「さっきの場所からそう離れていませんよ。私と二人きりでお散歩中です。一応護衛の目は届いていますから安心してください」


 ここは放牧場の端っこだ。ぐるりと一周する柵に沿って歩いている。


「ふ、ふふっ、あはははは…、アメリアは心神喪失してても可愛いですねえ、お人形みたいでしたよ」

 むぎゅ、アメリアは両手で自分の頬を押さえる。

「か、揶揄わないでくださいませ…。わたくし、何か粗相をしておりませんでしたか…?」

「まさか。きちんとご挨拶できてましたよ。あの状態でもきちんと礼儀が弁えられるなんて、淑女教育って凄いんですね。お兄様が恐れるわけです」


 あそこまで動揺していても体裁が保てるのなら、冷静になればいくらでも嘘をつけそうだ。

 …逆に言うと、そこまでできないと王侯貴族の社交界は生き抜けないのだろうか。


「わ、わたくし、わたくし…どうしましょう…あんなに取り乱して…こちらには滞在させていただいている身で、ご令息に対して何て恥ずかしい振る舞いを…」


「アメリア。誰もあなたを恥ずかしいだなんて思っていませんよ。ザッシュ様が女性…特に非力な淑女を恐れて近づけられないのは、領内でもよく知られたことだったようです。アメリアはいちファンとして、そのザッシュ様のお心をほぐしたんですよ。なかなか人望の厚い方のようですから、周りにいた領民達は皆嬉しそうにお二人を見守っていました。ザッシュ様ご自身はそういう雰囲気にお気づきでない様子でしたけどね」


 私がそう告げれば、アメリアが頬を赤らめる。おーっと、これは『自覚』しちゃってるかもな…。

 私はここにいないハコネに南無三、と祈りを捧げておいた。


「ああもう、本当に恥ずかしいですわ…。わたくし、人前でここまで自分が見えなくなったのは初めてですの。それもこれも、ザッシュ様が人並み外れて魅力的でいらっしゃるせいよ…。昨日ご挨拶させていただいた時から素敵な方とは思っておりましたが、いきいきと手合わせなさるお姿にはもう、胸の高鳴りが抑えられなくって…。お姉様がザッシュ様の鎚捌きが見たいとおっしゃっていた意味がとってもよく分かりましたわ! 鍛錬にお誘いいただいて本当によかった。今日こそはもう何度心の中でお姉様に感謝申し上げた事か! わたくしね…」


 いきいきとザッシュについて語るアメリアはそれはもう可愛らしかった。

 服越しにも分かる胸板の厚さや、肩の盛り上がり、太ももや二の腕の太さ、腕まくりした時に垣間見える肘下の筋、首の筋、背中の広さ逞しさ………………


 うん、見事に筋肉の事しか語ってないな。なんにも自覚してないかもしれない。南無三ッ!


「ザッシュ様はいっとう素晴らしかったですが、この領の方々や同志の皆様、どなたも逞しくて素敵ですわね。テイラーの騎士達が皆ひ弱に見える程で、もういっそお姉様の方がお強いのではと疑ってしまったわ」

「あはは、いくらサカシータ領民の前では霞むからって、私までもが本職の騎士である彼らに真っ向から挑んで勝てるとまでは思ってませんよ」

「ふふ、その口ぶりでは、真っ向からでなければ勝てる、とおっしゃっておられるようですわ」


 にこ。無言で返しておく。

 今日の鍛錬をただただ萎縮して眺めていた鰹蛸クラゲの三人を思い出し、彼らに遅れを取りでもしたら、コマに叱られそうだなどと思った。


「ザコルがしごいてたからか、エビーとタイタは随分強くなってますよ。エビーも今なら他の護衛隊員には負ける気がしねえって、自信満々な事言ってました。あ、タイタは初日から凄かったですけどね。あの鬼畜仕様な基礎鍛錬も完遂して、コマさんとも手合わせして褒められて。ふふっ、タイタは本当に大人気で、誰が面倒みるかですぐ取り合いになるんですよ」


「ザッシュ様もタイタをお気に召していらしたわ。タイタは確かに我が家の騎士の中では実力が高いようですし、性格も穏やかで立ち居振る舞いもきちんとしているけれど…」


 どうしてそこまで皆が肩入れするのか解らない、という様子でアメリアは首を傾げた。


「アメリアは、タイタがかつて子爵令息だった事は知っていますよね?」

「ええ。元中央貴族の令息と聞いていますわ。今まで交流のなかった貴族出身者、特に王宮に出仕していたような家の者を父が拾い上げるのは珍しいので覚えております。しかも父は彼を拾ってすぐオリヴァーの遊び相手に指名しているのですわ。当時はわたくしも幼かったので深く考えませんでしたが、どうしてあそこまでの信用を勝ち取っていたのか、後年になって不思議に思う事もありました」


 アメリアはさらに首を捻る。


 私はそんな彼女に、八年前の粛清でタイタが家を失い、父親を捕縛にやってきたザコルに惚れ込んだ話をかいつまんでした。


「何てこと、タイタのお家が、まさかザコルが直接乗り込んだお家だったなんて! そうだわ、タイタはオリヴァーと秘密結社、いえ深緑の猟犬ファンの集いを作って管理しているのでしょう、そんなまさか、家を潰した者を慕って八年も…!?」

 タイタの話は初見の人にはかなりショッキングである。アメリアもいいリアクションで応えてくれた。

「こういう言い方は失礼かもしれませんが、狂っていますわ…。タイタとは、それ程までに癖のある人物でしたの…?」

 癖は間違いなくつよつよである。


「ええそうなんですよ。ザコルでさえ、行動を共にするようになってから『コメリ子爵の令息では』と気づいて戸惑ったようです」

 それはそうでしょうね、とアメリアも頷く。

「もちろん、ザコルを討とうだとか、家を復興しようだとか、そんな事は微塵も考えていないかと」

「それは見ていれば分かりますわ。むしろ、あんなに邪心の感じられない人間は珍しくてよ」

「流石はアメリア。人を見る目が確かですね」


 元モナ男爵は元コメリ子爵を『嘘一つつけねえ癖に、悪い侯爵様の仲間に入れられちまった。気は弱えが根は素直でいい奴』と評している。素直で嘘一つつけないところは、お父さんに似たんだろう。


「お母様が人一倍紳士教育に力を入れていたようです。その教えの賜物か、彼自身包容力の塊みたいなところがあって、そんな所も皆の癒しになっているかと」

「作法や教養をしっかりと身につけていて、しかも貴族らしからぬ真っ直ぐな気質を持っている。父が気にいるわけですわね」

 アメリアが得心したように頷く。

「彼の真面目さは強さにも現れています。エビーによれば、貴族出身者で鍛えている人は強い傾向にあるそうですね。タイタは、元暗部のエース達が期待するくらいには強く、心身共に素質がある。類い稀なる記憶力にも非常に助けられています」

 ほう、とアメリアは小さく溜め息をついた。

「…そのように有望な者の不遇を見逃していただなんて…。つくづく残念でなりませんわ。我が家を離れずにいてくれたタイタには感謝しなければなりませんね。今後はハコネが対処してくれるものと思いますが、正当な扱いを受けられるよう、わたくしからも父に進言させていただきます。これでよろしいかしら、お姉様」

「はい。よろしくお願いします。アメリア」


 よし、私が今タイタのためにできる根回しはこれで全てだ。ハコネを信用していない訳ではないが、アメリアからも一言添えてもらえれば彼の将来はきっと安泰なものになる。そうなれば、例の男爵令嬢ちゃんだって安心して嫁に来られるはずだ。


「何というか、お姉様の慈悲深さというか、面倒見の良さは筋金入りですわね…。ザコルもあれで大概なのでしょうけれど。まさかあの殿下がザコルに懐くとは…」

「ええ、それは本当に。ほっこり。その一言に尽きます」

「そんな事をおっしゃるのはお姉様くらいでしてよ。あの方の味方になるのがどういう事か…」

「私は味方になった覚えはありません。ザコルが、私に危害が及ばないうちは殺さない、と言うから相手にしているだけです」


 恐らくザコルも味方をしているつもりはないだろう。マージは『可愛い坊っちゃまが捨て犬を拾ったから面倒を見ることにした』くらいにしか考えてなさそうだし、イーリアは利用価値があるかどうか様子見、といった所か。


 三人とも、害になると判断すれば容赦なく叩き出すつもりでいると思う。



◇ ◇ ◇



 それから、私とアメリアは色々な話をした。二人きりでこんなに長く話したのは初めてかもしれない。彼女と話す時は、いつだって近くに誰かがいたからだ。


「あっははは、アメリア、混んでる屋台で金貨袋ごと出しちゃったんですか!? 店主さんがいい人で良かったですねえ」

「ええ、あの件で我ながら酷い世間知らずだと痛感しましたのよ。あの店主のご婦人が咄嗟に布巾で隠してくれなければ、タチの悪い者達に絡まれていたに違いないとハコネにもそのご婦人にも叱られてしまって…。ですが、その屋台でいただいた串物は本当に絶品でしたの! 不謹慎ながら、旅に出て良かったなどと思ってしまいましたわ。あの屋台にいた猫と幼子も可愛らしくて…」


 アメリアも私以外の人の目がないせいか、いつもより気軽に話してくれている気がする。私もアメリアに話したかった小噺がいっぱいある。全部話していたら日が暮れそうだが、ついつい時間を忘れて喋ってしまう。


「…うんうん、そうなんですよ。それで、小遣いを使わないとザコルがセオドア様に叱られるというから、深緑湖らしいのお土産の一つでも買ってもらおうかと思って、黒と深緑色のビーズで作られたブレスレットをお願いしたんです。ザコルが『解って言ってるんでしょうね』なんて言うから何の事かと思ってたら、露店の店主さんに『恋人かい』って…」

「それは…まあ、当然ですわね…。よりによって黒と深緑色では…」

「当然ですよね、でもアホなので全く気づいてなかったんですよ。ただデザインが好みだったから選んだだけなのに、ザコルにも爆笑されて本当に散々でした」

 アメリアも吹き出し、お腹を抱えて笑ってくれた。

「ふふ…ふふっ、もうお姉様ったら…あのザコルを往来で爆笑させるだなんて。それで、そのブレスレットはどうしたんですの?」

「ずっと肌身離さず着けてたんですが、拐われた時に拳に絡ませて曲者を殴ったからバラバラになっちゃって…。その後すぐ戦場になっちゃったから、もう欠片さえ見つからなくって…。最近になって知ったんですけど、実はあのブレスレット、ザコルが自分のお金で買ってくれたんですって。小遣いを使わないと叱られるとか言ってた癖にね。それを知っていたのに、武器がわりにしちゃって…。本当に可愛げのない女ですよ私は…」


 急に落ち込んだ私の背中を、アメリアが慌てて撫でてくれる。


「ミカお姉様、元気をお出しになって。武器としてお姉様の身を護ったというのなら、贈ったザコルも本望でございましょう。…というよりザコルにそのような甲斐性があった事に驚きですわ」

「あ、それは私も驚きました」

 遠くの方でザコルがすっ転んだのが見えた。




「…わたくし、お姉様にお話ししなければならない事がありますの」

「そうですか。それは真面目な話ですか、それとも面白い話ですか」

「ふふっ、もうお姉様ったら。…真面目なお話ですわ。家族の一員として、お耳に入れておきたいのです」


 アメリアは覚悟を決めたように私を見据える。私もそんな彼女に真っ直ぐ向き合った。


「…一応、伝えておきますが、アメリアにはそんな真面目な話を私にしてやる義務なんてないんですよ。私はあくまでも伯爵家のご厚意で保護された珍獣に過ぎません。珍獣なので、話すのが辛い事はもちろん話さなくていいし、わざわざ深刻な秘密を打ち明ける必要もないんです」


 ふるふる、アメリアが小さく首を振る。気持ちを揺らがすつもりはないと言いたいのだろう。

 私は少しの胸の痛みを覚えつつ、続きの言葉を紡ぎ出す。


「アメリア。あなたが情に深い事は理解しています。私を心から案じて追いかけてくれた事も。ですが、あなたご自身こそ、伯爵家と、その家を長年守ってきた人々にとって、お守りすべき大切な大切なお嬢様のはずです。付き合いの短い珍獣相手に、一時の感情と勢いのまま大事な事を話してしまったとして、果たしてそれが最善だったと『ご家族』の前で言い切れますか?」


 アメリアは私にそんな事を言われると思っていなかったのか、目を見開いたまま固まった。

 私はそんな彼女に向かって姿勢を正し、胸に片手を添えた。目を伏せ、頭を軽く下げる。


「差し出がましい発言とは承知の上です。それでも、私に秘密を預けるべきかどうか、今一度お考えください。アメリア様」


 アメリアが前に合わせた手をキュッと握り込むのが視界に入る。…傷つけただろうか。


 だが、ここは一度、明確に一線引いておくべきだと思う。私はアメリアの本当の姉などでは決してない。

 アメリアが家族として扱ってくれようとしているのは分かる。しかし彼女の身を危うくするかもしれないような秘密を、情や申し訳なさといったフワッとした理由で話してほしくはない。

 もちろんそんな重大な秘密でない可能性もあるが、『長い付き合い』であるエビーの様子や、アメリア自身の表情を見る限り、その可能性は低いだろう。


「…隙を見せるなと、おっしゃりたいのね」


 アメリアの心細そうな声が聴こえる。胸が締め付けられ、足元がゆらめく。私は自分を叱咤して足に力を入れた。


「はい。今こそ『家族』の一員ではなく、駒としての価値をしっかり見極めていただくべきかと。現状、私はかなり好き勝手にさせていただいております。秘密をどう扱うか、私の裁量に任せるのは大変危うい。打ち明ける事が、必ずあなたや伯爵家の利につながると確信が持てますか。そうでなければ私に聴く資格などありません。いくら短い付き合いと言っても、私にとってはあなたこそが『主』に等しいお立場です。あなたの利にならない事には頷けません」


 少しぬるく感じる風が吹き抜け、彼女のスカートをはためかせる。柵の下に生えた草が揺れ、サワサワと音を立てた。


 しばらくして、ふ、と彼女の口から息が漏れる音が聴こえた。


「…どうかお顔をお上げくださいませ。わたくしがミカお姉様の主だなどと…。あなた様にはあくまで、渡り人というお立場がありますわ。どんな経緯で喚ばれたにしろ、わたくしごときがあなた様を従えるような事はあってはなりません。だからこそ、わたくし達は姑息にも、あなた様を『家族』と呼んで縛ろうとするのですわ。情に訴える事でしか、あなた様を留め置く手段がないのですから」


 そんな寂しい事を言わないで、と喉から出かかってすんでの所で止める。一線引いたのは私の方だ。


「いいえ。情などに訴えずとも、私は既に、テイラー家に一生分の恩をいただいています。どんな経緯で喚ばれたにしろ、私の心身を確かに保護していただいたのは紛れもなく、テイラー家の計らいによるものです。私から何を搾取するわけでもなく、大金を投じ、学ぶ機会と穏やかな時間だけをくださいました。そう、本当の親が子に施すかのように…。私には実の親に関する記憶がほとんどありませんが、あなた方は確かに『家族』として私の孤独を癒し、学を与え、それでいて快く旅にも出してくださったのです。私がどんなに感謝しているか…。そこにどんな打算や思惑があったとしても、感謝の気持ちが薄れる事など決してありません」


 私は顔を上げる。アメリアの切なそうな顔が目に入ってくる。


「ただ、皆様がいかに私を『家族』と呼んでくださったとしても、本当の家族の秘密まで開示いただくとなれば話は別です。私は保護者としてのテイラー家に恩義を感じておりますが、将来的には駒の一つとして報いていく事を望んでいます。これ以上に与えてくださらなくても、あなた方に対する忠心は揺らぎません。…それを信用しろというには、いささか時間と機会が足りないようにも思いますが…」


 アメリアはふるふると首を横に振った。


「いいえ、いいえ。時間と機会は充分にございました。ジーク伯も、サカシータ子爵夫人も、元モナ男爵も、山の民の長老様も、皆お姉様を渡り人というより、我が家の縁者として高く評価くださっているわ。こちらの町はもちろん、モナ領であるパズータの町やチッカの街でさえ、私達がテイラーの者と見るや誰もが諸手を挙げて歓迎してくださった。聖女様の、ミカ様のお家の馬車が来たと、ミカ様を寄越してくれてありがとうと、どなたも笑顔で迎えてくださったのよ。あなた様は、この過酷な旅の中でも必ず我が家の縁者を名乗り、それに恥じない振る舞いをもって正しく評価を受けていらしたのです。これで信用するなという方が無理というものですわ…!」


 キッと瞳に意思を込め、アメリアは私を改めて見据えた。


「お姉様がご想像の通り、わたくしは感情のままに家を飛び出してきてしまったわ。父母はわたくしの身を案じて止めたけれど、意思が固い事を悟ってハコネを付けて送り出してくれました。旅に出て数日もすれば、冷静になって帰ってくるとでも思われていたのかもしれません。ですが、同志の方から水害の一報を、いえ、ミカお姉様が寝る間も惜しんでこの世界の民を救わんとなさっていると聞いた瞬間、わたくしの思いは却って固まりました。やはり、お姉様以上にわたくしの秘密を一緒に背負ってくださるのにふさわしい方なんて、どこを探したっていらっしゃらないのよ…!」


 アメリアの青い瞳から涙が溶け出るように溢れ、瞬きと共に弾ける。そして赤みを帯びた頬に一筋の道を作る。


「家族の一員などという、押し付けがましい事はもう言いませんわ。どうか、どうか。わたくしのお味方になってくださいませ、ミカお姉様…!」





 私はしばらく彼女の前で立ち尽くしていた。


 アメリアが涙を隠すように俯き、心細さを誤魔化すように強く手を握り直したのを見てハッとし、彼女に駆け寄る。そしてハンカチを差し出した。



「…バカですね、アメリア。そんな風に言ってくれる必要なんてないのに。ただ、私に秘密を背負えと命じれば良かったんです。私があなたの味方をしないわけないでしょ」

「…だって、だって…! お姉様が! わたくし達とは本当の『家族』たり得ないのだとおっしゃるから…!!」

「それは事実でしょう、私なんて居候もいいとこなんですから。…でも、意地悪を言いましたね。あなたに寂しい思いをさせた事は謝ります。ですが、温かい言葉をいただくより、いっそ契約書でも作って管理してもらった方がお家のためにもなるかと…」


 ザコルのように忠誠を誓い、『小遣い』ではなく『経費』を預けてもらえるような存在を目指そうかと…。


「ご自分に厳しすぎではありませんこと!? 駒だの、恩義だの、忠心だのと! そういう言葉でこちらを拒む所、ザコルにそっくりですわ! わたくしの愛を信じてくださっているのではなかったの!?」

「愛は信じていますとも。だからこそ、一時の情に流されていないかと心配したんですよ。ダメですよ、ご自分を大切にしないと」

「お姉様だけには言われたくありませんわ!! …………たった今、ザコルがミカお姉様がいいのだと駄々をこねるしかなかった気持ちを唐突に理解いたしました。なんて手強い…!」

 アメリアが渡されたハンカチをギュッと握る。

「あれはザコルの言葉が足りないのがいけないんですよ」

「ええ、そうなのでしょうね。ですが、お姉様がもっと素直に信じて差し上げれば済んだ話でしょう!」


「それは確かに。…でも、素直に信じるにしたって、私は特殊過ぎますから。いつ何があるかも分かりませんし、こんなのに彼の心を預けっぱなしにしておいていいものかと不安しかなかったんです。いつか彼の人生を壊すのではと、怖くて、怖くて…」


「ミカお姉様……」


 覚悟を決めた今でさえ、心のどこかでは本当に自分でいいのかと思う気持ちが拭えない。

 ほんの一ヶ月くらい前ならばともかく、今となってはあんなに慕ってくれる人が周りにいるのに。これ以上、こんなに変で不安定な存在にこだわり続ける理由などあるのかと…。


「それに私って、下手したら生涯狙われ続けるでしょう。そうなっては、他の人が当然手にする人生の喜びさえ彼に与えてあげられないかもしれない。恋人として振る舞っておいて、無責任な事を言っているのは解っています。でも、だからこそ将来を誓う事だけは、どうしても私でなければならない、そういう理由を欲してしまった。…これは我が儘でしょうか?」


 アメリアは小さく溜め息をついた。


「…バカはお姉様の方ですわ。そんなもの、どうしてもお姉様でなければならないに決まっています。あんなに、あんなにも、ミカお姉様の事しか頭にない変態が他にいるものですか。それなのに肝心のお姉様がこのご様子では…。お姉様ったら、人の事は大事に大事になさるくせに、ご自分の事はまるで砂糖菓子や紙切れか何か、消え物同然のようにおっしゃるのですもの。いっそ将来を誓わせでもしなければ、発狂しかける気持ちさえ理解できてよ!」


 消え物同然か…。私の不安定さを実にうまく表現した言葉だ。


 気持ちを昂らせたためか、アメリアは再び目元にハンカチを当てる。そしてまた小さく息を吐いた。


「どうか、どうかご自分を大切にしてくださいませミカお姉様。お姉様がどんなにあの変態の気を他に逸らそうとしたって、あなた様以上に彼を愛し、彼を劇的に変えた方など存在しやしないのです。…あの男も、そしてわたくしも、あなた様の存在が愛しく、大切で大切で仕方ないのですから」


 彼女の切ない顔に、思わずこちらも涙が出そうになる。私はそれを誤魔化すように瞬きをして笑顔を作った。


「……はい。ありがとうございます、アメリア。無闇に自分を軽んじる真似は、彼にもあなたにも失礼でしたね。これから、自分に関する不安を一つ一つ解消して行けるよう努力しますから。許してくれますか」

「ええ。そうしていただけるのがいいわ。次にご自分を『こんなの』と表現なさったら、今度こそ許しませんから」


 アメリアは怒ったような顔でふいっと顔を逸らした。


 しばらく二人で黙っていると、不意にゴオッと強い風が地面を煽り、舞い上がった砂や葉くずが顔を叩く。思わず目をつむり、次に目を開けた時にはアメリアと目が合った。私達はどちらからともなく笑った。


「…一方的に捲し立てて申し訳ありませんでした。お姉様が、わたくしが情に流されているのではとご懸念なさるお気持ちも解るのです。お姉様が意図的にあけすけな発言をして、わたくしを幻滅させ、冷静にさせようとしていた事くらい気づいていましたわ。あれはザコルを庇ってもいたのでしょうけれど…」

「嘘は言ってませんよ、嘘は」

「少し人前で褒められたりだけで赤面して恥じらうような乙女が、何をおっしゃっておりますの」


 痛いところを突いてくる。それはそれとして、やらかしたことも嘘ではないのだが。


「アメリアってほんと大人ですよねえ。本当に十七歳なんですか? 人生五周目とかじゃありません?」

「…………」

 急に美少女が黙ってしまった。

「………えっ、本当に人生五周目? ループものの主人公なんですか?」

「…ループもの? ち、違っ、違いますわ! 何ですの人生五周目って! そうではありませんわ」

 何だ違うのか。もしそうならラノベ知識を総動員して力になれたかもしれないのに、


「じゃあ、本当に十七歳なのかってとこか…」

 アメリアは俯いたまま完全に顔を背けてしまった。そしてボソボソと話し始めた。

「……ええ、そうですの。わたくし、本当は十七歳なんかじゃありませんのよ…」

「…………」


 ひゅう…。風が足元を撫でるように通り過ぎる。


 沈黙に耐え切れなくなったのか、アメリアが焦燥もあらわに顔を上げた。


「きっ、聴こえておりましたわよね!? 何かおっしゃってくださいまし!」

「…何か、と言われましても。えっと、じゃあ、本当の年齢当てクイズでもします? うーん、二十六歳!」

「そこまで上ではありませんわ」

「ですよねえ。じゃあ、誤差ですよ、誤差。私より年下はみーんな可愛い子。話は終わりでしょうか」

「終わりではございません!! わたくしの年齢詐称だけで話を終わらそうとなさらないでくださいませ!」

 さっきから激しくツッコみ過ぎてアメリアの息が切れてきた。


「お姉様…っ、そんな調子でエビーやタイタの事まで可愛い子だと、庇護対象だとでも思われているでしょう!! あの者達はお姉様の盾となるべくここにいるのですからね! あなた様が守ろうとしてどうするのですか!!」

「二人にはちゃんと守ってもらってますよ。彼ら本当にいい子で……あっ、今のなしで」

 げふんげふん。

「今、また子供扱いなさいましたわね…。大体お姉様は! 人に施しを与えるだけ与えておいて、ご自分の事となるとちっとも頼りにしてくださらないんですわ! だからこそこうして執着するような人間が増えていくんですのよ!?」

「執着? うーん、そうかなあ…。ちゃんと頼りにしてるつもりなのに…」


 執着されているといえば私なんかよりもザコルだ。何しろ産まれた瞬間から双子の弟に執着され、世話係に執着され、粛清に行った家の子に執着され、全国のコミュ障に執着され、今なんて渡り人の変な女に執着されている。あ、ついでに第二王子にも。


「やっぱり、皆の私への親切は執着なんかじゃないですよ。みんな人が好過ぎるんです。元の世界で働いていた会社…というか組織じゃ、良かれと思って手伝ったりホイホイ用事引き請けてる内にいつの間にか全部丸投げされててアレレ何日も徹夜してるの私だけ? みたいな事ばっかりで。まあ、ブラック企業の社員なんてまさに『消え物』同然の扱いが普通ですからねえ、こき使ってなんぼといいますか」

「何ですって…!? あの衰弱ぶりからして元の世界では不当な扱いをされていたらしいとは聞いておりましたが、そんなお姉様を無駄遣いするような組織、根城ごと燃やして差し上げればいいのだわ!!」


 おおー。パチパチパチ。


「素晴らしい闘志ですねアメリア。私も何度社屋燃やしてやろうと思った事か…。まあそれは流石にやりませんでしたけど、自分の事はともかく、後輩や立場の弱い方が同じような目に遭うのだけは許せなくって。パワハラ、セクハラ、イジメなんかには徹底的に報復してあげたものですよ。ふざけた上司や同僚を飛ばしまくってたらいつの間にか第三営業支部のラスボスだとか呼ばれちゃって……ああ、すみません。話が脱線しましたね。続きをどうぞ」


 その後も大いに脱線しつつ、アメリアの告白を全て聞き終えた頃にはザコルと同志達の個人レッスンも残りあと一人となっていた。


 随分と時間をかけて指導しているようだが、順番を待つ者達も人の手合わせを注意深く見守っており、あれだけの熱心さがあれば全員があっという間に上達してしまうだろうなと思った。ここに集う人達は、本当に意識が高いと思う。見習わねばなるまい。



つづく

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ