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誰が召喚したか知りませんが、私は魔獣ではありません  作者: もっけのさひわひ


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ブートキャンプ再開③ 何だよ、滅茶苦茶スマートじゃねえか

 鍛錬に参加していた者達を始め、参加していなかった大人や、子供達、屋敷にいた怪我人達も門の前に集まった。

 大勢で手を振り、山の民の女子供達が乗った荷馬車を見送る。

 水害直後、あの荷馬車に運ばれてきた避難民達は特に涙ぐんでいた。涙もろい同志村女子達とうちのエビーはもちろん号泣だ。私もだが。


 避難民の一人であるタキも娘のミワを抱き上げ、大きく手を振っている。


 タキとミワの住んでいた家は特に損傷が激しかったようで、幼いミワのために母娘ともこの冬をシータイで過ごす事にしたらしい。

 タキの強さは領内でも有名らしく、マージが屋敷の若いメイド見習い達に今後も稽古をつけてやってほしいと声をかけていた。タキ先生の講義は私も受けたい。手合わせは無理でも同席くらいは許してもらえるだろうか。



「タイタ殿、まだそんな顔をしているのか。珍しいな。さあ、戻って手合わせの続きをしよう」

「はっ。よろしくお願いいたします」


 未だにどこか面白くなさそうな顔をしているタイタをザッシュが誘う。

 それに待ったをかけたのはザコルだった。


「シュウ兄様。タイタを独り占めしないでください。僕と長剣の手合わせをする約束なんです」

 ぎゅ、タイタの腕を抱くように掴むザコル。

「へ、は、ザ、ザコル殿!?」

「お前は他の同志達に稽古をつけてやればいいだろうが」

「タイタが空いているならタイタが先です!」


 ついにサカシータ兄弟同士でタイタの取り合いを始めてしまった。

 タイタは状況が飲み込めずに混乱している。というか白目になりかけている。


「もう、うちの子は天然ちゃんか…? ほらほら、タイタが心神喪失しちゃいますから! その腕を離しなさいったら」

「嫌です。タイタは僕に付き合ってくれるんです」

「この我が儘っ子め」


 謎の押し問答をしていたら、エビーが洟を啜りながらやってきて私の袖を引っ張った。


「じゃあ、姐さんは俺と手合わせか弓引きでもしましょうかねえ。誰も相手してくれないんじゃしょうがないすもんねえー」

「…ああうん、そうだね。そうしよっかな」

 パシィン、ドングリが足元で弾ける。

「その手を離せエビー」


 この状況に、以前コマが『姫、こっちに来い、お前が動けば犬も動く』と言ったのを思い出した。


「欲張りはいけませんよお、てか兄貴、俺に鬼畜人外モードの稽古つけてくれる約束すよね。忘れたんすか?」

 ニヤリと笑うエビーに、ムッと眉を寄せるザコル。

「…そうだったな。いいだろう。まずはお前からのしてやる」

「何でのしてやろうとしてんの!? 普通に稽古つけてくださいよお!!」


 ザコルはタイタの腕を離し、私に短刀を返して例のベルトを腰に着け直したのち、エビーを引きずって放牧場に戻って行った。


「さあ、タイタ、起きて起きて。あの手合わせの続きを見せてよ」

「…はっ、また持っていかれて…!? お、俺はどうしたらあのお方に振り回されずに済むのでしょうか…!?」

 タイタは我に返ったものの膝から崩れ落ちた。

「ふふっ、タイタが可愛い顔でむくれてるから絡まれるんだよ」

 むくれ顔が好きらしいのでしょうがない。


 ザコルも敢えてか無意識か判らないが、マネジに嫉妬するタイタをフォローしに来たんだろう。なんて甲斐甲斐しいんだ。


「うちの彼氏が私の護衛騎士を愛し過ぎてる件」

「何というか、独特な関係性だな、お前達は…」

 ザッシュが理解の範疇を超えたといった顔をしている。


「仲良しと言ってくださいなお兄様。タイタも大分、感情を表に出せるようになったね。いい事だと思うよ」

「私情を持ち込むのがいい事とは思えませんが、ミカ殿がそうおっしゃられるのなら…」


 全く納得できていない顔だ。

 だが、私はこういう顔が見られるようになった事こそ確かな進歩だと思っている。


「私見だけれども、タイタって今まで、感情をコントロールしていたというよりは、負の感情は何でもかんでも封じてきたんじゃないのかな」

「そうなのでしょうか…」


 どんな時もニコニコと笑顔を絶やさないのは凄いし、なかなかできることではない。

 しかし、そうして負の感情を徹底的に封じてきた結果、他人だけじゃなく、自分の気持ちにすら疎くなっているのではないかと私は思った。


「試しにでいいから、まずは自分の感情を封じずに自覚してみて。怒りや悲しみ、悔しいとか嫌だという気持ちにも自信を持ってみて。その上できちんと向き合って制御できるようになった方がきっと生きやすくなるはず。そうすれば主体性も高まるというか、自分の意見をしっかり持てるようになるだろうとも思うんだよ」


 嫌な事をされたり、ショッキングな出来事に直面した時、感情に蓋をするのも一つの自衛だろう。だが、それを繰り返していれば必ずどこかで綻びや歪みが生じてくる。

 …って、昔相談に乗ってくれたカウンセラーのお姉さんが言ってた。要は我慢は良くないという話だ。


「…分かりました。全ては有用なご意見をさせていただくためですね。そのように意識し精進して参ります!」

 タイタはそう言って拳を握り、立ち上がった。


「まあ、そう気を張るなという事だぞ。見てみろ、あの弟を。良く分からんが、貴殿ら同志はあの好き勝手している弟に憧れているのだろうが」


 ザッシュの指差す先には、やや八つ当たり気味にエビーを鍛え直しているザコルがいた。


「ええ、かの方は我らコミュ障の星ですとも!!」

 力強く言い放つタイタの姿に、ザッシュが再び理解できぬという顔をする。タイタのオタクムーヴを初めて見た時のザコルそっくりだ。


 タイタが負の感情を殺しつつも歪まず、前向きさを失わずにいられたのは間違いなく、推しの存在と、その推しを一緒に愛でる仲間に恵まれたからに違いない。


「いいなあ八年も。私も一緒に推したかった…じゃなくて。ええと、ザコルもタイタと似た部分を抱えるタイプのはずですよ。きっと彼なりの葛藤や試練があって今の、何ていうか、自由な感じの彼に仕上がってると思うんですよね。そうそう、信じられます? つい最近、人生で初めて爆笑したみたいな事言ってましたよ」

「…ああ、それは信じられる。おれも生まれてこのかた見たことがないのでな。先程の満面の笑顔には驚きすぎてこう、心臓に負担が…」


 マネジとの対戦後にもそれはそれは清々しい笑顔を披露していた。ザッシュは弟のそんな表情を初めて見たのだろう。実の兄ですらドキドキが止まらない様子だ。


「しかし、あいつもどうせミカ殿に救われたクチだろう。『ミカの陰謀』だとも言っていたしな」

「だから違いますって。ザコルが色んな人と関わる中で勝手に救われたんですよ。変わろうとしているのはあくまでも彼の意思ですし、そのために努力しているのも彼自身ですから。あれだけ変化するのは勇気がいったと思うんですよね。凄いでしょう。私、尊敬してるんです!」


 ザッシュを見上げると目が合った。

 彼は彼の弟がするのと同じように、ほのかに笑って私を見下ろしていた。



 ◇ ◇ ◇



 ザッシュとタイタは宣言通り先程の手合わせの続きを始めた。私はそれを程々の距離で見守っている。近くでザコルもエビーの稽古を付けているので、ここに一人でいても問題ないだろう。


「型のおさらいでもしよっと」


 私は肩掛けカバンを置き、短刀を取り出す。コマに習った型を一つずつおさらいしていく。

 少し離れた場所では、同志達がザコルに勧められた十手を持って型をさらっている。誰か指導しているなと思ったら、イーリアの側近だった。あの彼も十手術に詳しいんだろうか。他にも領民がちょくちょくやってきては、助言や応援の言葉をかけている。


「この土地の人達ってみんな親切だなあ。同志達ももちろん親切だけど…」


 ヒュ、ヒュ、刺突の練習。


 短刀をよく見ると、さっきの手合わせでついたらしい傷や刃こぼれがいっぱいついている。後で手入れしないとダメだな。ザコルに手入れの仕方を教えてもらおうか。包丁を研ぐのは得意だし、簡単な手入れくらいは自分でもできそうな気がする。


 ヒュ、短刀で突くと見せかけて…からの膝蹴りフェイント、からの回し蹴りー!! 決まったぁー!! なーんてね。


「ミカ様、もう少し重心を落とした方が安定するよ」

「回し蹴りは隙ができますから、直後に離脱か構え直す動きも加えて覚えた方がいいのでは」


 なるほど、こうかな。突く、膝蹴り、回し蹴りからの…後退!!

 駄目だ、転がってしまった。確かに、回し蹴りで体を傾かせ過ぎると次の動きに支障が出るな。

 もう一度。突く、膝蹴り、重心を落として回し蹴りからの…跳んで後退!! 即構える!!


「決まったぁー!!」

「いいね! 今の動きはいいよ」

「流石です!」


 パチパチ、拍手の方向を見れば母親達、サカシータ領ママ友軍団が私の自主練を見ていた。山の民を見送りに来ていた子供達は一旦町の中に帰したらしい。


「こうやって型を見て助言するだけなら私らにもできそうですよ」

「やった! よろしくお願いします!」

 私は彼女達に四十五度、いや九十度のお辞儀をする。

「ふふ、ミカ様は本当、健気で一生懸命ですね」

「同志の方達もね。何かしてあげたい気持ちになるわよねえ」

「あの人達は、女だからって侮る事もないしね。私らの助言も素直に聞いてくださるから嬉しくなるわ」


 それはただ単に、この女性方が戦闘技術で彼らを上回っているからだとも思うが…。


「同志の彼らにとってここは聖地みたいなものですから。彼らが憧れる猟犬様も、相手が女性や子供だからと侮りませんしね。彼なりのジョークかもしれませんが、これ以上町民を焚き付けるな僕が殺されるとよく言ってますよ」


 それを聞いた女性達がおおらかに笑う。


「あっはっは、ザコル様を殺すのは骨が折れそうだ」

「索敵の範囲がとんでもなく広いし、毒も効かないからどうにかして物理で叩くしかないものねえ」

「生半可な武器じゃ内臓まで通らないだろ」

「長い獲物の方がいいかもね」

「罠も張らないと」


 …誰も『無理』とは言わない。流石だ。




 私が短刀や体術の型を指導してもらっていたら、いつの間にかギャラリーが増えていた。

 イーリアとアメリア一行、ワンコ三匹を連れたマージ、同志村女子達。

 男性達の手合わせは武器が飛んできたりする恐れもあって近くで見るのは危ないので、私の鍛錬は観覧に丁度いいのかもしれない。ここからならザッシュとタイタによる迫力の手合わせも遠目に見える。


 しばらくすると、エビーがよろめきながら弓と矢と的を抱えてやってきた。ザコルの鬼指導が終わったらしい。


「姐さあん…へへっ、俺ぁ、ここまでみてえだ…。姐さんの弓は守り切りやした…あとは…まか…せた…ぜ……」

 ドサッ。

「エッ、エビィィーッ!!」


 彼の名を叫びつつ、地面に転がったエビーの脇から的の板を抜き取り、手頃な隆起に立てかけてくる。そして弦を引っ掛けるためのサムリングを装着して弓に矢をつがえた。


「君の死は決して無駄にしないよエビー…。弓王に、私はなる!!」

「何なんですのその茶番は…」

 アメリアがたまらず突っ込んでくる。


 パシュッ、ストッ。一投目は見事的の真ん中に命中し、皆から拍手をもらう事ができた。



 ◇ ◇ ◇



「ああもう、もう、存在が尊い、としか言いようがありませんわお姉様…。先程の見事な剣舞に、その弓の腕前、集中力…。立ち姿の美しさは言わずもがな、踊る黒髪に、鋭く的を見据える黒水晶の瞳、滴る汗さえ煌めいて。ああ、なんて、なんて勇ましくも神秘的でいらっしゃるの。まるで異国の戦姫にまみえたかのようよ…」


 アメリアのうっとりとした声が聴こえてくる。

 その声は可愛らしいが、私は思わず眉を寄せた。


「褒め過ぎじゃないですか…? メリーみたいな事言わないでくださいよアメリア」

 私は額から流れる汗を袖口で適当にぬぐい、次の矢を弓につがえた。


「美しい方って褒め方まで詩的で美しいんですね! 異国の戦姫、ミカ様にぴったりで素敵…!」

 はしゃいだように同意するピッタの声。あ、嫌な予感。


「ああ、素晴らしい。次にミカの武勇伝を語る際は是非ともその表現を引用させていただこう。おいエビー、第三章の資料はまだか。できたらすぐに献上しろ」

「もちろんです閣下。ミカさんファンの集い名誉会長たる女帝イーリア様のご用命とあらば」


 イーリアの尊大な声と、エビーのわざとらしくかしこまった声。


「ちょ、何なの!! もう!! 揶揄うのはやめてくださいよ!! 誇大広告は禁止です!! 素人に毛が生えたみたいな女にどんだけ…ヒッ!? 何この人数!!」


 思わず振り返ったら、ギャラリーが倍以上に増えていてゾワッと鳥肌が立った。

 従僕とメイド見習いの少年少女に、元ザハリファンの女性達、同志村の部下は男性スタッフも集結しているし、同志達も全員いる。手合わせしていたはずのザッシュとタイタ、男性陣、山犬にモリヤ……ほぼ参加者全員だ。多すぎる。


「ミカ」

「ヒィッ!?」

 耳元で囁かれて飛び上がる。

「ミカは本気で集中すると周りが見えなくなるようですね。ようやく耳に届きましたか」

「えっ、えっ!? ザコルはいつからそこに!?」

「そうですね、三十投目くらいからでしょうか。ちなみにその矢で七十投目です。そろそろやめましょう。肩と上腕に筋肉がつき過ぎます」

「あ、はい」

「弓兵になるならもっと打ち込んだ方がいいのですが、あなたには他の投擲も教えますからそれで我慢してください」

「はい。弓兵にはならないので我慢します」


 つがえてしまった矢はそのまま的に放った。

 矢が刺さり過ぎてモサモサになった板の真ん中に突き刺さる。


 しかし、ああして的がいっぱいになる度に何回か矢を抜きに行っていた気がするのだが、どうして周りに集まったギャラリーには気付けなかったのだろう。


「え、怖っ。私ってずっと矢と的しか見えてなかったって事…?」

「そのようですね。集中力は素晴らしいと思いますが、戦場では気をつけた方がいいでしょう」

「はい。絶対に気をつけます」


 こくこくと頷く。

 矢を射るのに夢中になり過ぎて他に何も見えなくなるとか、ここが戦場だったら全くシャレにならない。

 エビーがモサモサになった的を持ってきてくれる。風に煽られて外れた矢はタイタが拾い始めた。



「はっはっは、すげーな嬢ちゃん! 短刀も弓も始めて数日だってえ? 色々とんでもねえな!」

 峠の山犬、元モナ男爵が豪快に笑う。


「彼女は武器どころか、きちんとした鍛錬そのものを始めてまだ半年も経っていません。あんなにひ弱だったのに、ここまでなるのに弱音の一つも吐いた事がない。凄いでしょう。僕は尊敬しているんです」


 後ろから肩を持たれ、髪に頬を擦り付けられる。じわ…顔に熱が集まる。


「ちょ、やめてくださいよ! もう、もう!!」

 ジタバタしたが肩をガッチリ掴まれているので動けない。その様子を見て皆が笑っている。

 くそう、この最終兵器めが、私から迫ったら力づくで遠ざけるくせに。ホントずるい。


 野次三人衆のテンプレ野次を一通り受けた後、ザコルは私の肩を掴んだまま私を覗き込んだ。


「さて、僕はこれから同志達の一人一人と手合わせの時間を設けようと思っています。ミカにはその後で投擲を教えたいので、それまで時間を潰していてくれませんか。今日はこれ以上筋肉を酷使せず、目の届く範囲で散歩でもして休めていてください」

「はい。分かりました」



 ザコルのその言葉を区切りに、鍛錬イベントは半分くらいがお開きムードになる。

 イーリアはアメリアと離れ難そうにしていたが、仕事があるらしく側近達に連れて行かれた。マージもワンコ従僕見習い三人を連れて屋敷に戻って行った。


 同志村の男性スタッフ達が例によって大樽に水を汲んでくれており、町民達もその運搬を手伝っている。荷車から降ろす時だけザコルとザッシュが協力し、私は降ろされた大樽に魔法をかけ、適温の湯にして回った。


「ザッシュお兄様もこの満水の大樽を一人で持てるんですね! やっぱりサカシータ一族って凄い!」


 同志村女子やアメリアと一緒にきゃあきゃあと囃す。

 ザッシュは樽の影に半分隠れているものの、何とか逃げ出さずに受け止めている。大いなる進歩だ。


「こっ、こっ、これは流石に重く感じるがな、山間で土木工事に従事するものとしては、日常的に…」

「ほら言ったでしょう、こんな樽くらい兄弟でも持ち上げられると」

「…ザコル、お前のように軽々持つという程ではないぞ。お前はおれより小さいくせに人間離れし過ぎだ」

「お兄様も充分人間離れなさってますけどねえ…」


 人一人分はあるかという重さの鎚を肌身離さず持って歩いている人間なんて、世界広しといえどザッシュくらいではあるまいか。



 同志村スタッフが牛乳や手拭いを配り、参加者達が湯で汗を拭き始める。

 山犬やモリヤといった重鎮も普通に混ざって湯を利用し、周りと談笑している。ザコルは同志達の指導へと戻って行った。エビーとタイタは私から離れ過ぎない距離で同志村スタッフを手伝っている。

 目の前のザッシュも参加者の一人として手拭いを受け取って汗を拭きつつ、牛乳をあおる。一口で全部飲んじゃった…。


「大勢での鍛錬はなかなかに楽しかったぞ。さて、おれはこれからカリューへ戻る」

「はい。ご参加ありがとうございました。お気をつけて」

「ああ、次は…」

「まあ。もう行ってしまわれるのですか、ザッシュ様…」

『えっ?』


 ザッシュと声がした方向を振り向くと、アメリアが何とも切なそうな顔をして立っていた…が、ハッとしてすぐに取り繕った。


「あっ、え、ええと…失礼いたしました…あ、あの、その」


 少女は両手を胸の前で組み合わせ、視線を彷徨わせた。

 こんなに歯切れの悪いアメリアは初めて見る。彼女はいつでも堂々としていて、感情を乱した時でさえ完璧な淑女だというのに。


「どうしたんですか、アメリア」

「おれに何か用があったか? もしや荷運びでもして欲しいか…あ、いや、欲しいのですか、アメリア嬢」

「い、いえっ、決してそのような用件では、あの、その…」


 もじもじもじ…。

 いや、もじもじしてるアメリアたん激可愛だな。永遠に見てられるわ。

 ザッシュと二人でそんなアメリアの次の言葉を待つ。


「…あ、あ、あの、その、つっ、つちっ、鎚を!」

『つち?』


 思わずザッシュと顔を見合わせてしまった。よく分からないが、どうやらアメリアも鎚に興味があったらしい。


 ザッシュが鎚を地面に逆さに置き、私が仲介してその柄をアメリアに渡してやる。

 ぱあっ、とアメリアは顔を輝かせた。柄を両手に持って傾けてみたり、ウーン、と唸って細い腕で持ち上げようともしてみている。もちろん鎚は微動だにしない。


 ザッシュの方をチラッと見たら……何だろうあのほっこり顔。小動物でも見守っているような気持ちなのだろうか。


「何て立派な物でしょう! 凄いですわ、わたくしの力ではちっとも動きませんのね。重いとか重くないとかそういう範疇を超えています! どうお鍛えになればこの鎚をあのように振り回す事ができますの……そ、その」


 ちらっとアメリアがザッシュを横目に見る。

 ザッシュは樽にこそ隠れてはいないものの、三メートル、いや五メートルくらい離れた場所からアメリアを眺めている。

 私はアメリアの近くにそっと寄り、小声で話しかける。


「…アメリア、こっそり教えてください。あの巨人に何かして欲しい事があるんですよね?」


 ザッシュは、タイタをも超える二メートル近い上背に恵まれ、全身を厚い筋肉に覆われたヒグマもかくやという大男だ。ザコルも身厚いが、それでも筋肉のつき方には偏りがある。その点ザッシュは、普段土木作業もしている関係か戦闘に関係ない筋肉もまんべんなく発達していた。

 ザッシュは先程ザコルを『自分より小さい』と表現したが、それは背の高さだけでなく、横幅も奥行きも普通の人とは比較にならない体躯の持ち主だからであって、言われた方のザコルも嫌味とは微塵も思っていない様子だった。


「な、何かして欲し…? い、いえ! 嫌だわ、わたくしったら、はしたない目で…。ザッシュ様もきっとご不快に…」

 もじもじもじもじもじ。

「ああ、もしや筋肉に興味があるんですか? 触ってみたいとか? 別にはしたないって程の事じゃ…」


 私が何気なく放った言葉に、アメリアが目を見開く。

 そして、かあー…と頬を薔薇色に染め、鎚の柄をきゅっと握って顔に寄せる。


「えっ、可愛…っ、何、何何何、何この可愛い生き物!?」

「…さっきのミカ様もこんな感じでしたよ?」

 通りすがったピッタがそっと突っ込んでいく。

「何ようピッタ! 揶揄わないでよね! 全く…。よし、分かりましたアメリア、ちょっとあの巨人を剥いてきます」

「む、剥い…!?」


「待て待て待て」

 ハコネに進路を塞がれた。


「やめろホッター殿。双方にダメージが大きそうだから絶対にやめろ。全く貴殿は本当に…」

「さっきから何だ? 非常に嫌な予感がするのだが…」


 状況がいまいち掴めていないザッシュが眉を寄せる。ハコネがサッとフォローしに行った。


「ああ、流石いい勘をお持ちだザッシュ殿。それはそれとして、うちのお嬢様は貴殿の迫力ある手合わせにいたく感動したようだ。あの重い鎚を軽々と操る様は、お嬢様もおっしゃった通りまるで武神の如しだった。観覧させていただけたこと、誠に感謝申し上げる」

「はは、そのように褒められるのはむず痒いな。今日は相手に恵まれたのだ。彼は本当によく鍛えられている。おれは普段、戦うよりもトンネルを掘っている事の方が多いくらいだが、久しぶりに血が滾ったぞ。彼の上官たるあなたにはこちらこそ感謝申し上げたい程だ」


 タイタに聴かせてやりたいなと思って周りを見回したら、丁度近くにいたようで、何やらむず痒そうな顔をして牛乳を配っていた。うちの姫ポジ騎士が可愛い過ぎる件。


 ちょいちょいと袖を引かれる。

「お姉様。ザッシュ様にこちらの鎚をお返しいただけますでしょうか」


 まだ少し頬に赤みを残したアメリアは、辛うじて淑女の顔を取り戻していた。

 私が鎚の柄を受け取ると、アメリアが鎚から離れるのを待ってザッシュが回収に来た。


「ザッシュ様。お引き止めしてしまい申し訳ありませんでした。大切な武器を快くお貸しくださり、誠にありがとうございます」


 見惚れるようなカーテシー。それに気圧されて一歩後ずさる巨人。さっきまでほっこり見てたのに。


「あ、ああ。あなたもこの鎚に興味があろうとはな。ミカ殿がおかしいのかと思ったが、確かにこれを獲物としているのは珍しいのかもしれない。これはあくまでもただの土木用の鎚だが、これ以外にもこの領には他領では見かけない武器がいくらもあるはずだ。弟か義母に言って案内させよう」


「…そうですわね。せっかくですから、色々と拝見させていただきますわ」

 にこ。

 …彼女にしては非常に分かり易い作り笑顔だ。さっきからずっとアメリアらしくない。


「ねえ、アメリア。お節介を承知で言いますが…。ザッシュお兄様は、決して女性を苦手に思っているわけではないんです。ただ、近づいて怖がられる事を恐れているんですよ」

「怖がられる? 何故?」

 きょとん、アメリアは不思議そうな顔をする。

「おいミカ殿、あまり気遣わせるな。ああいい、今のは何でもないからな、気にするなよアメリア嬢。淑女がおれに近づかれて怖がるなという方が無理な話だ。ミカ殿、あなただって…」

「私は別に」

「あの、何を怖がると? ザッシュ様ご自身の事をおっしゃっているんですの? どうして…?」


 心底解らない、という真っ直ぐな瞳にザッシュが小さく呻いてたじろぐ。

 その様子を見てアメリアは眉を下げた。


「お姉様ったら…。お気遣いいただいているのはこちらの方ではありませんの。ザッシュ様のように良識ある紳士を怖がるだなんて、ご冗談も程々になさっていただきたいですわ」

「いや、そこは別に冗談などでは…」

 ザッシュが反論しようとするのを、アメリアは小さく首を振って制した。


「ですが、それも無理からぬ事ですわね…。こんなに魅力的なお方ですもの。きっと今までも多くの女性から不躾な視線を送られて辟易なさっているに違いありませんわ。ザッシュ様、もしご不快に思われたのなら申し訳ありません。ただわたくし、あなた様のご勇姿が忘れられそうになくって、今しばらく……はっ、も、申し訳ありません! こういう態度があなた様を困らせているのですわよね、わ、忘れてくださいませ…」


 赤くなる頬を両手で押さえ、イヤイヤと首を振るアメリア。

 …………可愛過ぎでは? 国宝か? いや世界の至宝か?


 アメリアはザッシュが女性にモテまくる事を信じて疑わず、モテすぎたせいで女性が苦手になったのだろうと思い込んでいる様子だ。

 ザッシュの方はといえば、もう完全にどうしていいのか判らなくなったらしくフリーズしている。


 ふむ。


「…ねえハコネ兄さん、ちょっと一石投じてくれませんか。お二人とも私の感性は信用ならないようなので」

「俺にけしかけろと…? 貴殿なら解ってくれると信じているが、俺の立場では判断がつかん。勘弁してくれ」


 騎士団長の協力は得られなかった。

 私もこれ以上踏み込んでいいものかどうか判断つかないんだよな…。歳の差も結構あるし…。


「へへっ、アメリアお嬢様、なーに猛攻かけてんすか。ザッシュの旦那にゃオーバーキルっすよ」

 あ、チャラ男が一石投じにきた。ハコネが分かり易く目を剥いた。

「エビー、猛攻とはどういう意味ですの」

 アメリアはエビーを可愛らしく睨む。

「言葉通りすよ。お嬢は根っからの筋肉フェチすもんねえ、こんな筋肉の塊みたいな人、大好物っしょ」

「ひっ、品のない表現は控えてくださる!? そんな、まるで体を目当てにしているような言い方、ザッシュ様に失礼ですわ!!」


 ポカポカ、アメリアがエビーを叩く。あ、そういうノリでいいんだ。


 私はザッシュの背中をポンと叩く。ビク、ザッシュの体が痙攣する。


「ザッシュお兄様、言った通りでしょう。お兄様は女性を避けさえしなければ普通にモテるって」

「そ…そんな訳……いや、おれは勘違いはしない!! 万が一アメリア嬢が筋肉フェチ? なのだとしても、おれなどよりもっと若くスマートで肉付きのいい人間など大勢いるはずだ!」

「若さとスマートさはさておき、肉付きという点でお兄様に勝てる人なんてそうそういないと思いますけど…」

「その通りですわ!!」

 アメリアがずいと前に出る。私はさりげなくザッシュの後ろに回った。

「くっ、退路を…」

 アメリアが瞳をキラキラとさせたままザッシュの方へと近づいてくるが、私が後ろにいるせいでザッシュは後退もままならない。


「こんなに立派なお方、他にいるはずございませんわ! 子供の頃に行った王都の闘技場でさえ、ザッシュ様よりも魅力的な方なんて一人もいらっしゃいませんでした! わたくし、一目見た瞬間からファンというものになってしまったようですの。ああ、許されるのならば、ずっとお側でその広いお背中を眺めていたく…」

「ア、アメリア嬢!」


 はっ。ザッシュの声掛けで我に返ったアメリアが足を止め、表情を固くした。そしてまたすすす…と距離を取り直した。


「たっ、度々、申し訳ありません…。エビーの言った通りですわ…。わたくし、どうにも鍛え抜かれたお身体を持つ方に惹かれる傾向があるようで、思わずお近くに…。気色の悪い振る舞いをどうか、お許しくださいませ…」


 青ざめたアメリアを見て、ザッシュがサーッと同じくらいに青ざめる。


「あ、あっ、あなたが気色悪くなどあるものか! お、お願いだからそんな顔をするな、本当にこんな身体がいいと言うなら存分に近づくなり何なりするがいい。おれからは手出しはせぬと約束するから、ほら」


 ザッシュは抵抗しないとでも言うように両手を軽く上げたまま片膝をつく。エビーがボソッと、押しに弱えーなサカシータ兄弟、と呟くのを聴いた。…いや、あの魂まで天使な超絶美少女にあんな態度を取られて、白旗を挙げない人間の方が少数派では?


「で、ですが、ザッシュ様のお気持ちは…」


「先程ミカ殿が言った通りだ。おれが近づいたせいで怖がる顔を見たくないばかりに女性を避け続けてきた。もはや癖のようになってはいるが、女性を心から疎んでいる訳ではない。…あなたは特に、淑女教育の行き届いた貴族家のご令嬢だ。礼儀作法を盾にされれば、察しの悪いおれではどこまでが世辞かさえ判らなくなってしまう……完璧な淑女程そうだ。その場では笑ってくれても、心の底では同じ人間とさえ思われていない事だって…」


「ど…っ、どこのどなたがそんな事をおっしゃるのです!?」


 アメリアが大きな瞳を溢れんばかりにして見開く。ザッシュは気まずそうにその瞳から目を逸らした。


「…はは、恥ずかしい話だが、これでも若い頃は親に当てがわれて見合いのような事もしたのだ。分かり易く怯えてくれるのならばまだいい方で、陰で侍女に漏らした言葉を聴いてしまったり、親御殿に見合いから帰ってきた娘が泣くのだが何をしたと後から抗議されたり、相手が将来を悲観して出奔したり、伏せたと連絡があったきり連絡が途絶えたり…。あまりに上手くいかないものだからいつしか周りも諦めたようでな…」


 ザッシュは自嘲気味に笑った。

 へえ、そうなんだ。サカシータ家では在領組の中でもザッシュに貴族家の嫁を取らせようとしていたのか。そのせいである種の女性不信に陥ってしまったのは悲劇としか言いようがないが…。


「情けないが仕方ない。ただでさえ粗野で礼儀のなっていないおれだ。楚々とした令嬢達には忌避されて当然というもの。親達は何も言わなかったが、きっと失望させた事だろう。この歳まで『子息』という立場のまま自由にさせてくれたことには感謝して……おい、どうした? アメリア嬢」


 アメリアを見ると、わなわなと華奢な手を握って震わせていた。


「ですから…っ、その令嬢とはどこの!! どなたですの!! おっしゃってくださいませ!! 許せませんわ…! わたくし抗議して参ります!! ザッシュ様がおっしゃられないならイーリア様に訊いて参ります!!」


「待て待て待て」

 その剣幕に、膝をついていたザッシュが思わず腰を浮かす。


「おれと見合いした者達などとうに他家へ嫁いでいる。第一、自分の倍以上はあろうかという体躯の者に怯えるのは生き物の本能として当然の反応だ。若い頃のおれはそれに気付いてやれず、無遠慮に近づいて怖い思いをさせてしまった。彼女らに非はない」


 ブンブン、アメリアが首を振る。


「非しかありませんわ!! いくら勇壮で逞しくとも、こんなに紳士でお優しい方だというのに…! 出会っておきながらそのお心一つ見抜けないだなんて。そんな淑女の風上にもおけぬ方々とこのアメリアを一緒になさらないでくださいませ!!」


「ああ、分かった分かった。そう怒ってくれるな、たとえ世辞でも嬉しくなってしまう。…しかしそうだな、アメリア嬢ならば、おれがたとえどのような姿でも人として扱ってくれた事だろう。あなたの器の大きさを見抜けていなかったのはおれの方だ。非礼を詫びよう」


 ザッシュが再び膝をつき、片手を胸に当てて頭を下げる。その様子を見て今度はアメリアが慌て始めた。


「お、おやめくださいませ! 世辞などではございませんわ! どうしてザッシュ様が謝られるのです。あなた様は一つも悪くないではありませんか。……ええ、そうでした…。わたくしが気持ち悪いだけでしたわ…!! そんな気持ちの悪いわたくしにさえお優しいザッシュ様がなぜ」


 怒ったり慌てたり青ざめたりと忙しないアメリアを見て、ふは、とザッシュが気が抜けたように笑った。アメリアはその笑顔を見て硬直する。


「あなたは気色悪くも気持ち悪くもない。ただ可愛らしいだけだ。怒る様子さえ愛らしいとはな。同じ人間とは思えぬとは、きっとこのような時にこそ使うべき言葉なのだろう」


 何も気負わない笑顔のままそう言い切り、ザッシュはアメリアの方へと手を差し出した。


「お手を、アメリア嬢」

 アメリアがそっとその大きな手に片手を添えると、ザッシュはその指先を押し抱くようにして額付けた。


「あなたを一方的に避け、傷付けてしまった事を謝罪しよう。あなたのせいではないのだ、どうか気に病まないでくれ。あなたが望むのならいつでも近くに寄ればいい。…とはいえ長年の癖はすぐには抜けないだろう。距離を感じさせる事もあるだろうが、それはひとえにおれが未熟なせいだ。どうか、悪く思わないでくれないか」


 ザッシュは落ち着いた声音で言い聞かせるように言葉を紡いだ。


「どうだ、アメリア嬢」

「…はい。承知いたしましたわ。あの、お見苦しい所をお見せして誠に申し訳ありませんでした…」


 アメリアは手を掴まれたまま、ちょこんと腰を落として一礼する。


「はは、堅いな。実際には伯爵令嬢たるあなたの方が子爵子息のおれより身分は高いのだ。そうかしこまらないでくれ。その方がおれも接しやすい。…さて」


 ザッシュは立ち上がり、アメリアの手をそっと離した。


「カリューに仕事を残してきている。あれらを片付けるのに二、三日は要するだろう。おれとその配下の部隊はミカ殿の手駒となり指示を仰げと義母から命じられている。また戦があるようならすぐに駆けつけるが、基本的にはカリューでの仕事が終わり次第、部下を連れてまたこちらへやってくる予定だ」


 アメリアに誤解させないためか、ザッシュはシータイを離れる理由とその後の予定を簡潔に述べる。


「ではな。弟にもよろしく」

 ザッシュはその場にいる私とアメリア、ハコネ、エビー、いつの間にか近くに来ていたタイタに軽く手を上げて会釈し、立ち去ろうと踵を返した。


 そして、ガッ、と三人の男達に捕まった。


「…ザッシュの旦那ァ…」

 まるで地から這い上がった亡霊のような声音だ。

「何だ、お前達もおれに何か用か?」

「何か用か、じゃねえんだよォ…」


 ゴゴゴゴ…、という効果音の幻聴がする。


「なあーに可愛い子の手ェ握って口説いてやがんだァ…? あんた俺ら独身男の星だろうが、自覚あんのかァ…?」

「星…? そのようなものになった覚えはないのだが。それに口説いてなど」

「能書きはいいんだよォ、俺らちょーっと手合わせし足りねえと思ってたんだよなぁぁぁ」


 ぶわ、野次三人衆から殺気がオーラのように溢れ出る。殺気というか怨念のようだ。


「はは、元気がいいな。では、カリューに戻るのはお前達をのしてからにしよう。三人まとめてかかってこい」

『望む所だオラァァァ!!』


 かくして野次三人衆対ザッシュによる壮絶な戦いが幕を開け…たものの、鎚をまるで棍のように振り回したザッシュによって三人はあっさり吹っ飛ばされ、ものの数秒で決着がついた。


「少々のんびりし過ぎたのでな。じっくり手合わせしてやれずすまない。また後日機会があれば稽古をつけよう」


 そしてザッシュは馬にも乗らず、鎚を担いだまま物凄いスピードで跳ぶように走り去っていった。



 ◇ ◇ ◇



「何だよ、滅茶苦茶スマートじゃねえかザッシュの旦那…」

 揶揄い甲斐がねえな、とエビーが呟く。


「ザッシュ殿が『善い大人』で助かった…」

 ハコネがはああ、と溜め息を漏らした。

「はは、団長は何を心配なさっておられるのです。ザッシュ殿はあのザコル殿と仲の良い兄君でいらっしゃるのですよ」

「それの何が安心に繋がるのか分からんが…………懐の広さの証明にはなるか。タイタ、あの方はお前から見てどうだ」

「女性を敬い大切になさる、善き紳士であられるかと」

 ふむ、とハコネは頷く。

「ホッター殿はどう思う」

「そうですねえ、基本的にはタイタの言う通りですよ。女性に対しては不器用過ぎるきらいはありますが、誠実で実直、家族思いで領民にも慕われる、そんな強く頼もしいお方です。一応、女性に好かれたいとは思っているんでしょうが、傷も深そうですし、下心を出せるまでになるには時間がかかるかと。しかもさっきのあれは……うーん、懐いてきた小動物に根負けして可愛がる気にでもなったみたいな…」


 下心や恋愛以前の問題のような気がする。恐らく『ファンになった』という言葉をそのまま受け取っているのだろう。


「ぶはっ、小動物に根負け! 流石は姐さん。ストンときました」

 エビーがニヤニヤとする。

「おい、それは流石にアメリアお嬢様が不憫では…。いや、しかしその方が俺達には都合が……いや、しかし…」

「ハコネ兄さんは相変わらず苦労性ですねえ。そんなんじゃ身が保たないでしょうに。正直、なるようにしかなりませんよ?」


 身分や立場的に、アメリアの気持ちを強く諌められるような者はこの場にいない。


「解っている、解っているとも。…ああー…どう報告すれば…」

「別に、詳しく書く必要はねえだろ団長。まだ滞りなく挨拶が済んだだけの段階すよ。お嬢は完全にアレですけど」

「アレね…。お兄様としちゃ見たまんまの感想を伝えたくらいにしか思ってないんだろうけど、あの殺し文句はちょっと刺激が強すぎたかな…」


 同じ人間とは思えないくらい可愛い、なんて殺し文句以外の何物でもない。それにしても、ちょっと気に入った相手に真正面から殺し文句を叩き込んでくるのは兄弟共通なんだろうか。


 私達の視線の先には、牛乳のグラスを持ったまま切り株の上にぼんやりと座っているアメリアの姿があった。分かりやすく心神喪失、といった様子だ。今までどこにいたのか侍女の一人が現れて寄り添っている。


「子爵夫人や町長殿がいなくてよかった…」

 もしイーリアが居合わせていたら、アメリアに慕われるザッシュに嫉妬してややこしいことになっていただろう。

「夕方頃までにはシータイ中に広まってるとは思いますけどねえ…」

 さっきの一部始終は、多くの領民や同志村スタッフが目撃している。あああああ、とハコネが再び唸って頭を抱える。


「まあ、ここの領民の皆さんは噂を本人や他の客人の耳に入れたり、根掘り葉掘り探ったり、あまつさえ町外に出したりするような方々じゃあないですから。同志村のスタッフ達も大丈夫でしょう。ある意味、熱狂的なファンの姿も見慣れてますし、案外そういうもんかと思っているかもしれませんよ」


 正直、秘密結社化までしている猟犬ファンの集いに比べたら、アメリアのファン行動など可愛らしいの一言に尽きる。


「本当にそうならばいいが…。アメリアお嬢様が自覚なさっていない事を祈るのみだ…」


 ハコネは正面で手を組み合わせ、祈りのポーズをする。

 騎士団長としてはいささか頼りない様子ではあるが、この旅でアメリアに何かあれば護衛筆頭である彼が全ての責を問われる訳なので、仕方ないのかもしれない。


「さて、私はアメリアを連れて散歩にでも行ってきましょうかね。あのままじゃ色んな人に心配されそうですから。一応目の届く所を歩きますし、私もしっかりエスコートしますので。ハコネ兄さんもここで休んでいていいですよ」


 じっ、私はハコネに向かって数秒真っ直ぐな視線を送る。ハコネはそれで察してくれたらしく、あっさりと許可を出してくれた。



つづく

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