ブートキャンプ再開② 路銀、いや『路金』とでも言うべきか
行列をなしていた領民男性達を残らず返り討ちにしたザコルが首をコキコキと揉んでいる。
「マネジ」
「ひゃ、ひゃいっ!」
よく通る声で呼ばれ、ギャラリーに紛れていたマネジが飛び上がる。
「さあ、やっと君に挑めます。ミカ、あなたの短刀を貸してくれませんか」
「はい、どうぞ」
ザコルは私からミツジ銘の入った短刀を受け取り、自分の腰に付けたマネジの短剣と入れ替えた。
他の同志達に背中を押され、マネジが恐る恐る前に出てくる。
ザコルからの直々の指名という事で、領民男性達も興味深そうにマネジに目を向けた。
「ひいいい、皆さん僕なんかに注目するのはおやめくださいませんかああ…!」
マネジは両腕を交差させ、自分で自分を抱きしめている。
格好は女々しいが、鍛え上げられた筋骨隆々な肉体のせいでちっとも弱そうには見えない。それはどの同志にも言える事だが…。
「この者はマネジ。僕の客だ。大勢の同志達をまとめる辺境エリア統括者であり、かの有名なムツ工房の跡取りでもある。この見事な切れ味の短剣も彼の作品です」
ザコルがヌラ、とマネジの短剣を抜いて見せると、ギャラリーからおおおーっと感嘆の声が漏れる。
ギャラリーの反応に満足したらしいザコルは「これはひとまず君に返すとしましょう」と短剣を鞘に納めてマネジに押し付けた。
「戦では同志の彼らを笛一つで操り、町長屋敷の襲撃をいち早く僕に伝えてくれました。怪我人に紛れていた曲者を平然と素手で制圧もしています。今日の鍛錬も難なくこなしていましたし…」
ザコルがマネジの紹介をしている間に、ペータやユキを始めとした、従僕とメイド見習いの若手チームが駆けつけてくる。マネジ兄さんの親衛隊だ。
彼らにつられて女性陣や同志村の部下達も集まってくる。ザッシュとタイタも手合わせを中断して駆けてくる。山犬とモリヤも揃った。もちろんアメリアをエスコートするイーリアも、オレンジ頭のワンコと散歩中のマージもいい場所を確保している。
場の期待値は最高潮まで膨れ上がった。こうなったら手合わせを遠慮する事などできまい。
「僕はずっと、君と対峙できるのを楽しみにしていたんですよ、マネジ」
「ひいいいいいいいいいいいい」
マネジの緊張も最高潮だ。ちょっと気の毒にもなってきた。
「あーあー可哀想に、外堀埋められちまって…。いいすか姐さん、はたから見てると、姐さんもアレやられてんすからね。マーキングっつーか、もうどうあっても俺の獲物だみたいな感じで…。で、アレを仕事や親切でやってるように見えます?」
「…見えない」
「でしょ」
ザコルがやけに人前で私の話をしたり、ベタベタ触ってみせたり、『僕のミカ』と強調したり…。
「もっ、もおおおお、何、いきなりそういう事言わないでくれる!? 試合に集中したいんだよ私は!!」
エビーの服を掴んでブンブンと揺さぶる。
「へへへっ、姐さん真っ赤…あだっ!!」
そしてエビーの額にドングリが命中した。
バチン、マネジが自分の頬を叩く。
心頭滅却心頭滅却とぶつぶつ呟き、フーッと息を吐いた。
「むっ、胸をお借りいたします」
「そうこなくては」
マネジはザコルに押し付けられた短剣を鞘ごとベルトに突っ込んだ。今日の彼は深緑色のポンチョを着けていない。ザコルもとうに深緑色のマントを外している。
体格と髪色の似た二人はスッと自分の獲物を抜き、それぞれ腰を落として構えた。
ザコルがニヤ、と口角を上げたかと思ったらダンッと踏み込み、一気に間合いを縮めた。
ギィンッ、甲高い金属音が鳴り響き、短刀と短剣が交わる。
短刀や短剣といった短い獲物の攻撃方法は主に刺突であるはずだが、ザコルは敢えて斬りかかってみたようだ。マネジも空気を読んだかそれを正面から受け止めた。
マネジは地面に食い込んだ足をさらにジャリっと踏み込み、パアンとザコルを撥ね返す。体重のあるザコルを膂力で撥ね返せるのは凄いし、彼が撥ね返されるなんて初めて見た。
「素晴らしい」
難なく着地したザコルは、そう呟きながら今度は刺突を繰り返す戦法へと切り替えた。
ヒュ、ホッ、ヒュ、と空気を斬る音が鳴り、マネジはそれを全て紙一重で避ける。そうして避けつつ後退していたが、グッと体勢を低くしたかと思ったらザコルの懐へとタックルをかますような形で突進した。
ザコルはそれをヒラリと前方にバク宙するように跳んで躱し、体を捻っての着地と同時にマネジの背へと飛び掛かる。マネジは体勢を低くしたままくるりと振り返り、飛び掛かってきたザコルの攻撃を受けつつ蹴り上げた。
ザコルはその蹴りを腕で受けたもののそのまま身体を宙に舞わせ、体操のオリンピアもかくやという動きで見事な捻りを加えて着地、すかさず飛んできた回し蹴りを受け流し、地面に片手をついた。が、その手の力だけで後ろに跳んで間合いを取り直す。
……っ、う、うおおおおおおおおおおお!?
固唾を飲んで見守っていた男達が、どよめきとも歓声ともつかない大声を上げる。
それもそのはず、ザコルからの攻撃にここまで善戦した者はこれまでにモリヤくらいしかいなかったのだ。
屈強な同志達がまるで乙女のように瞳を煌めかせ、従僕とメイド見習いの少年少女はきゃあきゃあと飛び上がっている。
「わあ、異次元…えっ、現実…?」
私は目をこする。
「げ、現実すよ、むしろこないだの怪獣大戦争より非現実に見えますけど現実すよ…! やっべえ、マネジ殿マジやっべえ人じゃねえすかタイさん…!!」
エビーがはしゃぎ、近くに来ていたタイタを掴んで揺する。
「…そうだ、あの人は凄い。俺も勝てた事は、一度もない…」
「ぶっふぁ、何すかその顔! 嫉妬!?」
完全にムスくれた様子のタイタを見てエビーが吹き出す。
「ああ、あれは長剣使いの貴殿には相性の悪い相手だろうな。俺もああいう手合いは苦手だ。どうしても懐に入られる」
「ザッシュお兄様ならどう対策するんですか?」
「攻撃をある程度身に受ける覚悟で戦う。俺の場合、動きはのろくとも一撃でも入れられれば相手は潰れるのでな。機会を逃さなければいい事だ」
「ひえー、潰れる!」
確かにこの鎚で叩かれたら誰でもペシャンコだ。
いかに自己治癒能力のある私でも復活できないかもしれない。
「のろいなどとご謙遜を。そのような巨大な鎚をお使いとは思えぬ俊敏さでしたとも」
「ああ、貴殿もな。久しぶりに楽しい時間だった。これを見届けたら続きをしようじゃないか、タイタ殿」
「ええ、是非!」
そんな会話をよそに、ザコルとマネジはぶつかり合いを続けている。
今度はマネジが刺突を繰り返し、ザコルがそれを避けたりいなしたり…とにかくスピードが凄い。
二人とも筋肉量からしてかなりの重量級だろうに、その体重をものともしない身軽さだ。それでいて相手を軽々と吹き飛ばす膂力。はっきり言って人間としてのレベルが違う。
「あのマネジ殿という御仁…まさかサカシータ一族の傍流ではなかろうな…」
同じく人間レベルの違うザッシュが呟いた。
「あのムツ工房製の短刀は非常に日本刀っぽいですけどねえ…。彼、日本式の土下座もしてたし」
「えっ、そうなんすか? あの人もニホン人の末裔…!?」
「まさか、マネジ殿が?」
エビーは面白そうだが、タイタは面白くなさそうだ。これ以上マネジに何かで負けたくないのかもしれない。
「どうだろうねえ、工房に歴史があって日本人が関係してたとしても、その血族が継いでいるとは限らないかも…」
「おい、先祖がニホン人だとどうサカシータ一族と関係あるんだ」
「お兄様に忍者の話、してませんでしたっけ」
「何だそのニンジャとは」
わあああああ、と歓声が上がる。二人が獲物を手放し、これから素手のみでやり合うようだ。まあ、あのままやり合い続けると短刀も短剣も無事では済まないだろうからな…。
ザコルは腰につけたベルトも外して地面に投げた。ドスッ。ベルトはちょっとありえない感じの音がして地面にめり込む。それを見ていた町民のおじさん達がびっくりしている。
「な、なんだこのベルト、まさか鍛錬用に重りでも入ってんですかいザコル様!?」
「いえ、路銀と暗器だけですよ」
…違う。普通あれを路銀とは呼ばない。
経費と私の小遣いと自分の金、最低でも金貨二百枚以上、本格的な筋トレ用のダンベル以上の重みはあるはず。
チラッとアメリアの後ろにいるハコネを見たら目を剥いていた。あのベルトに、ザコルに持たせた全金貨が入っているかもしれないと気づいたのだろう。
「あのベルト回収しに行ってもいい? 危ないし」
地面に放り投げられたままなのはいささか不用心である。
「ああ確かに。毒針とか仕込まれてますもんね。知らねえ奴が触ったら危ねえわ」
「俺が行って参ります。こちらでお待ちを」
タイタがサッと行ってくれる。そしてベルトを抱え、不可解な顔をして戻ってきた。
「重い…やはり筋力増強のために重りを入れられているのでは…?」
「違うよ、多分だけど、あの変態無頓着はそこに全ての路銀を入れてるんだよ。路銀、いや『路金』とでも言うべきか…」
サーッ、昨日、ハコネとのやりとりを側で聴いていたタイタとエビーが顔色を失くす。
「何だ、そのベルト、『路金』…? まさか金でも」
シーッ!
私達三人が同時に指を口にやったので、ザッシュは眉を寄せつつも黙った。
私はタイタの手からベルトを受け取り、
「お…っも! 想像以上に重い、何なの、何百枚入ってんの…」
とぶつぶつ言いながら、よいしょとザッシュの手に渡す。
「…重すぎる。確かに武器や小銭の重さではないな…」
「ああ、こんな風に括り付けてたんですねえ…」
ザッシュに持たせたままベルトを観察すると、ベルトの後ろが大きなポケットのような造りになっていた。
そこを少し開けて覗くと、布にきっちり包まれた塊がいくつも並んで括り付けられている。簡単に落っこちそうにはないが、これを腰につけたまま泥水に入ったり、城壁をぶち抜いたり、敵を何百人も屠ったり…。あまり想像すると頭が痛くなりそうなのでやめた。
「あいつ…こんなものを雑に放り投げやがって。おい、何だ『コレ』は」
訝しむザッシュに私は小声で答える。
「使う気のない経費と私に充てられた小遣いが主らしいですよ。私もまさか、こんなに持ち歩いているとは最近まで知らなかったんですが」
もしかしたら自分のお金はもちろん、旅以前から繰り越した経費などまでここに入っているのかもしれない。でなければこの重量は流石におかしい。
「そうか…。あいつが飛礫にでもしない内にテイラーへお返ししてはどうだ」
「流石はお兄様。弟君の事をよく解っていらっしゃる。私もそう思ってハコネ団長に半分引き取ってくれるようお願いしました」
「うむ、賢明だな。流石はミカ殿だ」
手に乗せられた大金に一切目が眩まないザッシュも相当賢明な人だと思う。
毒と金が詰まったこのベルト、体質、腕力、人柄、立場と完璧に揃ったお兄様に預かっていてもらうのが最適解だ。
ザコルとマネジは腰を落として構えた状態で未だに間合いを測っている。
…と、思った瞬間、ザコルが予備動作もなくタックルをかました。ベルトを取ったせいか、先程よりも動きのスピードが上がっている。
マネジも油断したのか、思いっきり腹に受けて真後ろへ吹っ飛んだ。ギャラリーが数人巻き込まれたがすぐに退避して場所を空ける。マネジは受け身を取ったかすぐに身を起こした。だがその瞬間にもザコルが追い打ちをかけようと迫っている。マネジは完全に立ち上がらず、姿勢を再び低くして横に転がってそれを避けた。
手を出しては避け、受け、いなし、脚を払おうとしては、避け、避けたついでに懐を狙い、一秒やそこらの間に何手もの技が繰り出されている。まさに異次元の格闘技戦だ。
素手同士だというのに二人が発生させた風圧がこっちまで伝わってくる。
「マネジ殿が押されてますねえ…そのベルト外したのはデケえな」
「本人も少々重たいとか言ってたからねえ…。でも、外したからってあれ以上に速くなる事あるんだね。流石は最終兵器」
本気で戦っているのかと思ったら、途中で鍛錬用の重りを外して本領発揮、なんて少年漫画の中だけだと思っていた。こうして目の当たりにする日が来るとは。
「はぁー…」
「へへっ、熱っぽい溜め息すね」
「集中削がないように黙ってるんだよ」
私がカッコいいとか素敵とか口に出すと邪魔をしてしまう。終わるまでは溜め息で我慢だ。
「このベルトを外す程の相手に出会えるなんて。嬉しそうですねえ…」
「ああ、ここまでの実力者はなかなかいない。義母に目を付けられるぞ」
「ふふっ、またザコルと喧嘩になるんでしょうねえ」
ザコルはきっと、戦闘員としての彼より、ムツ工房の有望な跡取りとしての彼に期待しているはずだ。
マネジがどうやってここまでの実力を身につけ維持しているかは不明だが、鍛治職人としてのキャリアもそれなりに積んでいる事も考えれば、普段は戦闘職を主として食べている訳ではないのだろう。なかなか謎の多い人だ。
「ま、参りました!!」
ビタッ、マネジの宣言にザコルの動きが止まる。
大きく息を切らしたマネジはドカッとその場に座り込み、汗の滴る髪を掻き上げた。
前髪で半分隠れていた顔、そして金眼があらわになる。峠の山犬が『おっ母にそっくり』と称していただけあり、鍛え上げられた肉体とは少し不釣り合いなくらいに中性的な顔立ちだ。
ザコルも顔立ちは中性的で上品、言われてみれば元美少年の面影も残している。そんな『カワイイ系』や『優男』に分類される顔を持つところまで二人は似ているのだなと、妙な感心を覚えた。
「何ていうか、あの二人、本当の双子よりも双子っぽく見えますね」
マネジの顔立ちに好感を持ったらしい女性陣がはしゃいだ声を上げている。
「そうだな。体格や戦闘スタイルならば、あの御仁の方がザコルに似ていると言える」
実兄であるザッシュも納得したように頷いた。
ザコルが手を差し出してマネジを起き上がらせると、ギャラリーは一気に沸き立った。従僕とメイド見習いの少年少女が興奮したように駆け寄る。へらりと照れたように笑うマネジを領民男性達が囲み、胴上げを始めた。
涙を流したまま硬直している同志達は、部下であるカファ達が出てきてフォローを始めた。
「お姉さん」
ちょいちょいと袖を引かれる。
「あれっ、シリルくん!? いつの間にいたの」
「へへ、さっきから見てたよ。ザコル様もあの人もすごすぎるね! すごすぎて半分くらい何してんのか分かんなかったけど!」
「あはは、私も目で追いきれないとこあったよ。…どうだった、シータイは楽しかった?」
「もちろん!! …あ、いや、そーいう事言うとフキンシンって母さんに怒られるんだよ」
シリルは気まずそうに頬を掻く。
「楽しかった事は、素直に楽しかったでいいと思うよ。大変な思いもしただろうけど、見て。みんなあんなに笑顔でしょ?」
「ほんとだ。みんなめっちゃ笑ってる。ザコル様も…そっかあ、みんな楽しいんだ」
シータイ町民も、避難してきたカリュー町民も、その他の人々も一体となって手を叩き、心からの歓声を上げている。
「私も楽しい。人生でこんなに楽しかった事無いってくらい楽しいよ」
皆が無事で良かった。皆が強くて良かった。皆に出会えて本当に良かった。
急に溢れてきた涙をぐいと手のひらでぬぐう。
「お姉さん…ミカ様。俺たち山の民は、ずっとずっと二人の味方だからね。ちゃんと頼ってよ。お願いだ」
シリルが真剣な顔で私を見上げる。
そうか。私が山の民に護ってもらう事を申し訳なく思って、すぐ謝ったり遠慮したりするから…。
だから義理堅い彼らは躍起になって『護られる理由』を作り上げてくれようともしたのだ。
ああ、そうか、私のせいだったのか…。
「…うん。ありがとう。もう変な遠慮はしない事にするよ。追われたらツルギ山に逃げ込むから、匿ってね」
「もちろん! いつでも待ってるよ!」
シリルと両手の握手を交わす。
「ミカー!」
聴き慣れた少女の声が聴こえる。リラが他の山の民の子供達を率いて駆けてくる。
その後にはその母親を始めとした女衆が続いてやってきた。人々が彼らのために場所を空ける。
シリルとリラの兄妹は彼らを代表して、私とザコルに餞別として用意したお守りを渡してくれた。昨日話していた、皆で刺繍したという作品だろう。掌大の半月型の布に植物柄の刺繍がみっちりと施されている。ザコルの分と合わせると綺麗な円になる仕様だ。
「今日ここをはなれるみんなで、気持ちを込めてひと針ひと針刺しました。で、ここの葉を刺したのは俺ね!」
「こっちのおはなはリラだよ! こっちはおかあさん」
「わたしはこのおはな!」
「わたしはこのツルのぶぶん」
子供達が集まってきてどこを刺したと教えてくれる。千人針的な縁起物なんだろうか。
「みんな、いうよ! ならんで! …せえの!」
『なかまを、たすけてくれて、ありがとうございました!!』
子供達が横並びになり、私達に一斉に頭を下げた。
後ろでは長老チベトを始めとした女衆と、シリルとリラの父親も頭を下げている。父親は御者として彼女達を里まで送っていくらしい。
「僕達こそ、あなた達にはお世話になりました。ミカの身辺護衛から、避難民の世話まで。子供達も、手伝いをしっかりしてくれましたね。ありがとう。字の練習や鍛錬は続けてください。必ず君達の身を助けますから」
『はい!』
ドングリ先生の言葉に皆がいいお返事をした。
「ミカ、なかないで。きっと、きっとまたあえるからね」
「うん、うん……ありがとう、リラ。必ず、必ず会おうね…」
リラが私にぎゅっと抱きつく。
私はいつでも元気を分けてくれた少女を抱き締め返し、再会を約束した。
つづく




