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チッカの街

 モナ男爵領都、通称チッカは、オースト国内では標高が高い事で知られる都市だ。

 モナ男爵領は全体的に酪農が盛んだそうで、乳加工品や食肉加工品の生産で有名だ。高原地域では良質なワインも作られている。


「標高だけならサカシータの領都も負けてはいないんですが、街の規模は小さいし、交通の便がとにかく悪すぎるもので、規模も知名度もモナ男爵領には敵いません。が、我が領も酪農と、養蜂も盛んです。特にサカシータの蜂蜜は幻とも呼ばれる事があります」

「サカシータ領は秘境ですからねぇ。俺も実際に行くのは初めてすよ。あそこは強くなりたいって奴が集まる場所で、何でも、子爵邸の城門の前でタノモウ!って合言葉を叫ぶと、十人がかりで上げるような重い門が開いて、あらゆるテストに合格した奴だけが新兵として鍛えて貰えるとか何とか…。あの噂、本当なんすか」

「まあ、大体合っているかと」

「へえ、合ってんすね…」

 タノモウか…。道場破りじゃないんだから。

「ああ、そうだった。忍なんだっけ」

「僕はミカにシノビの話をしましたか?」

「はい。フジの里で。正座と忍の話をしました」

「あの時はうつらうつらしていたのに、よく覚えていますね」

「衝撃的でしたからね…。子爵家でお話を聞かせていただくのが楽しみです」

「そうですか。それなら良かったです。正直女性が喜びそうなものは何もない所ですが、何となくミカなら楽しんでくれそうな気はしています」

 それは間違いない。大はしゃぎする予感がある。


 小道から街道に合流すると、エスニックというかフォークロアというか山岳民族というか遊牧民というか、とにかく独特な雰囲気の人達の姿をよく見かけるようになった。

 原色を使ったカラフルな衣装や独特な髪型、木や天然石を使ったアクセサリー。明らかにこれまでの街や集落に居なかったタイプの人種だ。顔立ちもどことなくアジア風味である。


「わ、あの子達のスカート可愛い。色違いだけど刺繍がお揃いだー、手が込んでる。三つ編みも可愛い。あの頭に着けてるのも可愛い。かーわーいーいー」

 そういえば会社の近くにエスニック雑貨の店があって、昼時間を使って覗くのが好きだった。疲れた時の癒しだったんだよね…。


「ミカはああした雰囲気の物が好きなんですね。もっとシンプルな物が好きなのかと思っていました」

「西洋風、って言ったら通じないかもしれないけど、いわゆる貴族的なデザインの中ではシンプルな方が好きですね。あまりレースやフリルが大袈裟なものは私には似合わないかなとも思うので。でも、こういう民族的な雰囲気ではゴテゴテしてるのが可愛いなと感じます」

「ミカさんはレースやフリルゴテゴテでも似合うすよ。でも、あの衣装も似合いそうすね。黒髪の人もたまにいますし」


 目の色は明るい色の人が多いようだが、確かに黒髪や限りなく黒に近いダークブラウンの髪の人もちらほらいる。


「そうみたいだね。じゃあ、髪を隠すより、あの人達の衣装を真似した方が紛れ込みやすいんじゃない? この地域限定かもしれないけど」

「あー、確かにそうですね。……ああ、でもな」

「問題ありそう? エビー」

 まあいいか、ちょっと着てみたかったけど…。見るだけでも眼福だし。

「や、着るのは全く問題ないと思うんですよ。きっと可愛いでしょうし。でも何故か山岳民族の少女を連れ回している変態が爆誕するなと思って」

「その変態は僕ですよね? いい加減、変態変態言い過ぎじゃないですか?」

「ああ、また変態が爆誕してしまうのかー。これはまた守衛さんに心配されちゃうなぁー」

「ミカまで」

 エビーがいるとついザコルをイジってしまう。いかんいかん。

「全く、あなた達はもう。ミカが着てみたいなら着ればいいでしょう。彼らに聞けば売っている店も分かるんじゃないですか」

「いいんですか? 今更服のお店なんて寄っても。別にこのままでもいいですよ。もったいないですし」

 このコートもお高かったしな。

「今日はきっと時間が余ります。待機している者達がきっと宿も押さえているでしょう。一式買っておけば何かの役に立つかもしれませんし」

「ほお、なるほど、いざという時の変装アイテムって事ですか。面白そうですね!」

 ザコルは私の事をよく解っている。そう言われたら遠慮なく買ってもらおうという気になるのが私だ。


「楽しそうですね、ミカさん」

 確かに私はご機嫌だった。昨日の不調が本当に嘘みたいだ。魔力を消費した方がいい、という仮説はきっと合っているのだろう。

「ふふ。お店があるといいな。きっと見るだけでも楽しいです。あの子達に話を聞いてきてもいいですか?」

 本当に買うかはともかく、お店はぜひ見たい。

「はい。では停めます」


 私はクリナから降ろしてもらい、大きな荷車を引いた山岳民族の親子に近づいた。

 ザコルとエビーには離れてくれるよう頼んだが、彼らにはやはり警戒されているようだった。しかし、小さい姉妹やお母さんの服を褒め、街にこういった服の店はあるかと聞いたら親切に教えてくれた。

 ちゃんとした店ではないが、屋台が立ち並ぶ市場に行けばきっと売っているとのこと。私はお礼を言って、カゴから今朝宿で携帯食代わりにと貰ったクッキーを出し、女の子達にあげた。



 お昼を少し過ぎた頃、ようやく街の入り口が見えた。

 そこでは山岳民族の皆さんが通行許可のためにズラリと受付に並んでいた。彼らは山上の自治区に住んでおり、市場で物を売るために山を降りて来ているとザコルが教えてくれた。


「あの山の民達はサカシータ子爵領側にもよく出入りしてますから、僕にとっては身近な人達です。独自の宗教観があるので例の人々との関わりは薄いと思いますよ」

「ツルギ山にはあの人達の集落があるって事ですか? あの岩は無理そうだけど、少し登ってみたくなっちゃったな」

「彼らの集落を経由するルートはもちろん考えてありましたよ。もっと高原の街寄りから山に入って直線でサカシータ領に抜けるんです。クリナ連れですから、流石にあの切り立った岩を直接登るなんてことはないですよ。少々急勾配ですが、せいぜいウスイ峠を三回か五回登るくらいだと考えれば」

「三回か五回…。そうなんですね。私にもう少し体力がついて時間と余裕のある時に連れて行ってください」

「……ミカさん、そのうちツルギ山にまでアタックするつもりなんすか? ほどほどにしてくださいよ」

「まあ、体力が付けば、だね。今ウスイ峠を五回も登るのは現実的じゃなさそう。脚がガクガクになるくらいじゃ済まなさそうだし」

 ザコルをちら見する。この人の少々とかせいぜいとかはあまり当てにならない。はあ、きょとんとした顔して。可愛いな。

 なんて思っていたら、む、と眉間に皺が寄った。

「…あの、何がいいのか知りませんけど、僕が変な顔をする度に喜ばないでください。さあ、あちらの門に並びましょう。僕達は市場に出店するわけではありませんから」

 ザコルは空いている門の入り口を指した。



 門をくぐるとすぐ、見知った顔の二人が駆けてきた。

 長身で燃えるような赤毛の青年と、同じく長身でふわふわした栗毛の青年。二人はエビーと同じように、騎士団の制服ではなく、ありふれたデザインの私服を着て腰に剣をぶら下げていた。

 この国には銃刀法などはないようで、剣を持っているくらいでいちいち注目されたりはしない。場所によっては武器の持ち込みを断られる事もあるようだが。


「やっと、やっとお会いできました…! ああ、よくぞご無事で…!」

「エビーもいるじゃないか。山麓の町を通られたのですね」


 二人は、氷姫の護衛隊の中でも年嵩の隊員だ。それでも私よりは年下かもしれないが。

 赤毛がタイタ、栗毛がカニタといった。二人合わせると某体重計メーカーの独自キャラみたいだなどとは思っていない。


「タイタさん、カニタさん。ご苦労様です。ご心配おかけして申し訳ありませんでした」

「いいえ氷…いや、ミ、ミカ殿、あなた様が謝ることでは…! お二人とも、大きな怪我などはなさっておりませんか」

「タイタ、あまり往来で騒ぐなよ。目立ってはご迷惑だ」

 少し興奮気味のタイタをカニタが制する。二人の前に、ザコルがぬっと出て頭を下げた。

「行方をくらますような真似をして申し訳なかったです。僕のせいでこんなところまで捜索に来させてしまって。ある程度はエビーにも話しましたが、事情は後ほど」

 ザコルが伯爵家の皆さん以外に自分から頭を下げにいくなんて。昨日から行動をともにしているエビーはともかく、タイタとカニタの二人は明らかに戸惑っている様子だ。

「…い、いいえ、ザコル殿、お顔をお上げください。俺、いや我々護衛隊は、あなた様の行動がミカ殿を護るためのものだったと信じておりました。しかし、こうしてお姿を再び拝見できた事は何よりの喜びです」

 我を取り戻したタイタが、騎士らしい丁寧な礼をする。カニタも慌てて頭を下げる。

「カニさん、タイさん、大体の報告はまず俺がしますよ。そっちのお二人はせっかくなんで市場でも見てきたらどうすか。お腹も空いてるでしょう。適当に食べてきてくださいよ。ミカさんははぐれないように」

 エビーがそう言って私とザコルの肩を叩いた。

 カニタとタイタが了承してくれたので、私達はお言葉に甘え、市場のある方へと足を向けた。


 ◇ ◇ ◇


「クリナを預かってもらえて良かったですね。この人混みじゃ…うぶっ」

 前から来た人と肩がぶつかって弾かれる。市場は様々な格好をした人でごった返していた。

「ミカ、絶対に手を離さないでくださいよ。もっと寄ってください」

「はい。こんなに賑やかだなんて。すごい。どこもかしこも布の山!」

「山の民達は染織や刺繍を得意としているんです。遠くから生地を買い付けにくる商人も多いんですよ。しばらく行くと乳製品や加工肉の市場もあります」


 サカシータ領から近い街なので、ザコルは子供の頃から何度か訪れた事があるそうだ。

 周りの人を観察していると、売る方は山の民ばかりだが、すれ違うのは牧歌的な服装をしたモナ男爵領の一般人の他、テイラーの領都で見たような綺麗めな服装の人も結構いる。きっと彼らが買い付けに来た商人達なのだろう。


「服も見たいですけれど、その前に何か食べ物を買ってもらってもいいですか?」

「ええ。屋台で買ってもいいですし、そこを曲がれば確かカフェもあるはずです。カフェにしましょうか。暖かいですし、あなたも座って落ち着けるでしょう」

「ありがとうございます。じゃあそうします」


 人の流れから離れて左折すると、確かにカフェはあった。

 老舗らしく年季の入った木のプレートが下がっている。カフェはカフェだが、やはりコーヒーは置いていなかった。だが雰囲気はいかにもレトロなカフェだ。


 峠の山犬邸や昨日のペンションでも食べたような大きなソーセージや、燻製肉のスライス、大きなチーズ片を贅沢に使ったサンドが軽食として人気のようだ。

 温かい紅茶とチーズサンドを頼むと、数分もしないうちに運ばれてきた。


「チーズがたっぷりトロトロだあ。私、この旅で食べる事が前よりも楽しみになりました」

「僕もです。このソーセージは体が温まる…ああ、このスパイスのせいでしょうか。調味料にもこうした使い方があるんですね。ここ十年程は食事というものに補給以外の役割を求めなくなっていて…。伯爵家の料理長には悪いことをしました。今思えば色んな料理を振る舞って、顔を合わせる度に感想を求めてくれていたのに。僕は、余程人の厚意に疎いらしい」

 しょも、とザコルが背中を丸める。

「ああ、エビーに言われてしまいましたもんね。もしかしたら、私だって料理長に何か思われていたかもしれないですよ。何食べても『おいしかった』しか言ってませんでしたし…。私達、あの邸で出されたものなら食べられるだろうなんて、作って下さった人に失礼過ぎましたよね。曲がりなりにも私だって料理する立場だったのに、どうして忘れていたんでしょうね…」

 食事に対する祖母の反応が薄くなるにつれ、作った私は寂しい気持ちになったのに。

 二人して、どよんと落ち込む。

「…そういえば、伯爵邸では、ミカと一緒に食事することは少なかったですね。護衛なので当然ですが」

「お茶はたまにしてましたけどね。そう思うと、この一週間、毎日毎食一緒に食べているなんて不思議です。ふふっ」

「ミカの作る食事もいつか食べてみたいです」

「機会さえあればいつでも作りますよ。調味料が違うでしょうから美味しくできるかは分かりませんけど」


 この世界に醤油やら味噌やらはあるんだろうか。

 祖母に作っていたのは和食が多かったので、洋食メニューは正直自信がない。独り暮らしでも自炊はしていたが、それこそ食べられればいいという程度のものしか作っていなかった。


「なんだろうな、私ってこの世界に来て、少しずつ真人間に戻してもらってる気がする…」

「こちらに来たばかりのミカは何ていうかしなびた草みたいでしたよね」

「誰がしなびた草ですか。せめて花くらいには例えてくださいよ」

「じゃあ、水が足りない鉢植えとか…」

「あはは、何ですかそれ、酷すぎません? ふんだ、ザコルなんて人間不信の最終兵器のくせに」

「エビーは僕が本当に国を滅ぼすとでも思っているんでしょうか。大袈裟です」

「大袈裟ですかねえ…。王都は滅ぼす気満々じゃないですか」

「必要がなければ滅ぼしませんよ」


 逆に言えば、必要があれば滅ぼすつもりらしい。

 別に、私は王都に行った事がある訳ではないので思い入れはないが、無関係な一般人が巻き込まれるのは良くないと思う。ただ、ザコルもこうは言うが、罪のない一般人を無闇に虐殺するような人でない事は私も分かっている。


 エビーが言っていた、セオドアはザコルを傷付けたくない、という言葉が頭をよぎった。



 お腹を温めた私達は再び人の波に乗り、山岳民族の服を扱う屋台を探した。思うような店はなかなか見つからなかった。

 需要を考えてか、無地の生地や西洋風の模様を刺繍であしらった生地を扱う屋台ばかりなのだ。素材は綿に麻に毛と様々で、深緑湖や高原の街の物価に照らし合わせると、生地とはいえかなり安いように思う。


「あ。あそこにそれらしいのが一店ありますよ」

 その店は布市場の端っこにあって、他の屋台に比べてこじんまりとしていた。高齢のおばあさんが店番に立ち、屋台の外や中で数人の子供が遊んだりお手伝いしたりしている。

 規模は小さいが、民族衣装や小物、民族衣装用の布などはそれなりに並んでいる。というか大きめの台にただ積み上げられているといった印象だ。これは探し甲斐がある。


「すみません、商品を出して見てもいいですか」

 声をかけるとおばあさんが無言で頷いた。


 積み上げられた服の山から気になった色や模様のものを引っ張り出しては広げてみる。

 何でもかんでもごっちゃになって積まれているので物凄く見づらいが、宝探しだと思えば楽しい。ザコルは黙って後ろで待っているつもりのようだ。


「どれも可愛い。全部可愛いからもはや決め手が迷子」

「ねえ、お姉さん、自分で着るの?」

 子供の一人が声をかけてきた。オリヴァーと同い年か少し上くらいの男の子だ。

 男の子の衣装はダークトーンだが、縁取りなどに原色の糸で模様を刺してありこれまた可愛い。男装もアリかも。

「そうなの。この街で皆さんの衣装を初めて見たんだけど、可愛いから自分でも着てみたくなっちゃって」

「ふーん、お姉さん、今着てる服は上等な物だよね。王都から観光に来たの? なんで俺らの服なんて欲しいの?」

「シリル、余計なことをお言いでないよ。気まぐれでも何でも、買ってくださるなら誰でも客さ」


 私の身なりを見て警戒しているのか、突っかかって詮索しようとする男の子におばあさんが釘を刺した。

 他の子は寄っても来ないし目も合わない。裕福そうな都会の人間が、気まぐれに自分達の文化を踏み荒そうとしているように思われたのかもしれない。


 私は少年の目線に合わせて屈んだ。そして小声で話しかけた。

「シリルくんと言ったかな、ちょっと相談があるんだけど。実はね、お姉さん、悪い奴に追われているんだよ」

「えっ?」

「そこでね、私は考えたんだよ。これを見て」

 私は頭に被っていたストールをめくり、黒髪を見せる。

「黒髪? そんなの、俺らの間じゃ珍しくないよ」

「そうなんだってね。王都の近くじゃこの黒髪が珍しいからすぐに見つかっちゃうんだ。だけど私がもし君たちの服を着てこの辺りにいれば、悪い奴はきっと私を見つけられなくなるでしょ?」

「…ふーん。それは、そうかもしれないけど…」

 無事この少年の気を引けたようで、彼はソワソワと衣類の山に視線を走らせた。

「ねえ、良かったら私に選んでくれない? この際、最高にカッコいい山岳民族の女になりたいからさ」

「お姉さんじゃカッコよくならないと思う」

 がーん。後ろでザコルが小さく吹いている。

「普通に、この刺繍が入ったスカートとか着ればいいんじゃないの。上着はこれにすれば、色も合うし」

「わあ、可愛い! シリルくん、センスいいんだね!」

 シリルが選んでくれたのは、カッコいいというよりは可愛らしい、あどけない少女に似合いそうなコーディネートだった。私が本当に童顔で若く見えるというなら、きっとこれは似合うのだろう。

「俺、妹がいるから。よく服を選んでやるんだ」

「そうなの、優しいんだね。他にはどうかな。せっかくだから何パターンか見たいな」


 私がシリル少年と楽しそうに服を選びだしたからか、少しずつ他の子も寄ってきた。

 子供達は私に何を着せるかであーでもないこーでもないと悩んでくれて、最終的に私のコーディネートが三パターンまで絞られ、議論はさらに白熱した。

「お嬢さんや、この奥で試着してみるかい。この頭巾なんかも合わせるといい」

 黙って座っていたおばあさんが急に話し出したので、子供達はピタッと黙った。お言葉に甘え、選んでくれた服と頭巾を持って奥のスペースで身に纏ってみた。


「どう、お姉さん着方分かった?」

「うん、これでどう?」

 とりあえずシリル少年が最初に選んでくれた組み合わせを着て披露してみる。サイズが合っていて良かった。

「かわいい! おねえさん、ほんとうにわたしたちのなかまみたい」

 小さな女の子が拍手してくれる。

「ザコル、どうですか」

「いいと思います。その格好でこの人混みに紛れたら探し出すのは難しい。山の民の装いとして自然ですし、あなたにも馴染んでいます」

「似合うって事でしょうか」

「はい」

 おばあさんが渡してくれた頭巾は大きく髪に被さる形で、遠目には髪の色も分かりにくくなるだろう。


「他のも着てみるね」

 その後、他の二セットも試着し、子供達から好評だったので全て購入することになった。古着三セット合計の値段は、高原の町で買った深緑のコート一着の十分の一にもならなかった。


「ねえ、聞いてよお姉さん。この古着あんまり売れないんだ。どうしたらいいと思う? 俺らの親は別の所でヨソの人向けの布を売ってて、俺らはいつもここでバーちゃんと待ってるんだ。この古着は売れたら小遣いにしていいんだよ」

「たまにほかの集落の子が買ってくれるけどね。ヨソの人も、モナの人もあんまり興味ないみたい」

「ヨソのやつら、バカにしてくるからきらいだよ」


 直接見てはないけれど、都会から来た人間の一部に差別的な事も言われているのだろう。

 最初シリル少年は私達を警戒していたし、他の子供達は怖がって距離を取っていた。しかし、そういう下らない事をする輩は論外としても、他の地域から来た人は民族衣装なんて買っても着る場面が無いから手を出しにくいのかもしれない。


「もし他の土地から来た人が買ってくれるとしたら、少し着崩したり、この古着を解いて小物を作ったりするのは平気?」

 おばあさんをチラッと見る。何も言わないが、小さく頷いてくれた。

「そう。なら、例えばね…」


 まずはこの売場を整理する。

 男物、女物、子供服、アウター、インナー、ボトムス、布小物など、分類して山を分ける。目印として山ごとに見本を一着ずつハンガーにかけ、テントの天井に紐をかけて山の上に吊るす。

 店先には、あえて無難な無地のニットに民族衣装のスカートとマフラーを合わせてトルソー…はなかったので、ハンガーで工夫して着用イメージが湧くよう展示した。


 そしてサイズが微妙な服や破れのある服などを材料に使って、シュシュやスカーフ、巾着などの小物を作るよう提案した。店先にカゴを置いて、価格の紙とともに綺麗に揃えて並べるように伝える。服は無理でも小さな小物ならお土産として買う人もいるだろう。というか私が欲しい。


 子供達は染織や刺繍を得意とする民の子だけあって、基本的な裁縫の素養は持っていた。きっとそれなりの品を用意できるに違いない。

 ザコルは子供達と一緒に服の分類などを手伝ってくれた。



「とりあえず! かんせ~い!!」

 子供達と拍手をして店のリニューアルを祝う頃には完全に日が傾いていた。

「やっば。そろそろ行かないとまた捜索されちゃう」

「そうですね。楽しかったですかミカ」

「はい! 楽しかった! これで少しは目にとまるようになるかな。皆、小物作り頑張ってね。値段は一つこれくらいでどう? もっと高くしたければ、手間を増やすとかして工夫してね」

「うん! 今日お母さんにも聞いて色々作ってみる!」

「俺は木のオモチャとか小さな置物も作って置いてみようかな」

「いいねいいね。次に来れるとしたら春になっちゃうかもしれないけど、必ずまたこの市場に来るから。そうしたらお土産に絶対買って…いや、お兄さんに買ってもらうからね」

 私の癒しの店、爆誕。いい仕事をした。


 おばあさんと子供達に別れを告げ、待ち合わせの宿へと急いだ。


 ◇ ◇ ◇


「お帰りなさい。随分買いましたねえ。それ全部ミカさんが着るんすか?」

 宿の前ではエビーが立って待っており、大きな袋を抱えたザコルと私を見てそう言った。


「買い過ぎたかも。屋台で会った子供達が選んでくれたからとても断れなくて。買ってくれてありがとうございます、ザコル」

「いいえ。この財布は主の物、というかミカに割り当てられた生活費のようなものですから。あなたが楽しかったのなら何よりです」

「……私、やっぱりどこかで氷を作って売る。いつか伯爵家にお金返す」

「絶対受け取ってくれないすよ、ミカさん」

「いや、必ずヒモ回避してみせる。何らかの莫大な利益をもたらしてみせる」

「ミカみたいなお人好しに莫大な利益を生む商売なんて無理じゃないですか。今日だって店の改装を手伝った挙句、無償でアイデア提供までして」

「あれはあれ、これはこれ。次に来る時にはきっと私の癒しの店に成長してるはずなので」

 手でこっちに置いといてーという仕草をする。


「遅いと思ったら店の改装なんてしてたんすか。せっかく二人で街に出たのに何やってんだか。ミカさんって面白い人すよね。伯爵家にいる頃はかき氷作ってるか静かに読書してるイメージしかなかったんですけど」

 エビーの前では、昨日から醜態しか晒していない気もするが、それを面白いの一言で片付けてくれるのは彼の人柄だろう。

「ダンスとマナーも習ってたし、運動と写本もしてたよ」

「ああ、ホノルさんがもう紙が無いってしょっちゅう届けてましたねえ…。うん、充分変だったかあ」

「変とは何だ変とは。好きに学ばせていただいた事には感謝してますとも。素養って大事でしょ、いつ必要になるか分からないんだからね」

「体力も大事ですよ。いつでも必要です。毎日の修練を欠かさぬ事です」

 脳筋のコメントが挟まる。

「私、今ならもし翻訳チートが消えても筆談できるくらいにはこっちの言葉を覚えてるからね。音はほとんど翻訳されて聞こえちゃうから逆に習得が難しいんだけどさ。簡単な報告書くらいなら書けると思うよ。何かあったら手伝うから言って!」

「マジすか、へへ、そんなん言ったらマジで頼んじゃいますよ…ってウソウソ! 殺気やめろ変態殿!」



 荷物をボーイに預けると、私達は宿内の食堂に案内され、さらにその奥の個室へと通された。

 部屋に入ると、タイタが胸に手を当て、腰を折って私達を迎えた。


「タイタさん、お待たせしてごめんなさい。あれ、カニタさんは?」

「カニタはエビーの話を元に作成した報告書とアメリア様宛のお手紙を持ち、ジーク伯爵領の街にいる隊員へと取り次ぎに参りました。そのまま街ごとに馬を交代しながらテイラーまで届ける予定となっております」

 サカシータ領へはエビーとタイタの二人がこのまま同行してくれるようだ。

「本日は、こちらに水を用意してございます。お疲れでなければ、食後にでも魔法をお試しください」

 タイタの手の先を見れば、台車の上に樽三つ分の水が乗っている。

「お気遣いありがとう。すごく助かります。全部凍らせてもいいんですか? この量は溶けるのに時間がかかりますよ」

「宿の者には口外しないよう言い含めてあります」

「じゃあ遠慮なく。ご飯を楽しく食べたいから先に凍らせます」

 私が手をかざして念じると、樽の水はあっという間に凍って樽の表面には霜がつく。

 三つの氷塊ができた。

「はー、スッキリ。こんな量を一気に凍らせるなんて本当に久しぶり」

「ミカさん、良かったらこっちのワインにもお願いしますよ!」

「エビー、あまり馴れ馴れしくしては」

 タイタがエビーを嗜めようとする。

「いいんですよ、エビーはこれで。タイタさんは? 冷たい飲み物はお好きですか?」

「俺にさん付けと敬語は不要です。氷姫様」

「ああ、まあそうだよね。こんな歳上の女に畏まられたって居心地悪いだけかー」

「は、歳上…?」

 ふむ。その反応を見る限り、やはり歳下だと思われていたか。


 ◇ ◇ ◇


「ミカさんて、歳上とか下とかで序列を気にするんですか?」


「日本だと基本的に歳上は目上として敬うのが普通なんだよ。仕事の上下関係なんかがあれば年下でも目上になることはあるけど。まあ、私は別に年下の子にタメ口きかれても全然気にしないよ。私の方は、そこまで仲良い人でもなければ年下でも後輩でも敬語で話すけどね」

 まあ、そんな慣例に縛られない人もいる。日本でも人それぞれだ。


「こっちじゃ基本的に身分が全てっすからね。仕事の上下関係があっても貴族が相手なら人によって対応は変わります。だから国賓に相当する渡り人のミカさんが俺らに敬語で話すのは普通じゃないんすよ。あと、そこの猟犬殿も一応子爵令息なんで、本当なら敬わないと手打ちにされます」

「ほう、エビーは僕に変態だの人間不信の最終兵器だのと随分な事を言いますが、手打ちにされたかったわけですか」

「滅相もございませんザコル様!」

 エビーがわざとらしくヘコヘコしてみせる。


「氷姫様、あなた様が大人の女性とは露知らず、今まで知らず知らずの間に子供扱いすることがあったかもしれません。大変な失礼を…」

 タイタが急に姿勢を正して頭を下げようとする。

「いいよいいよタイタさん! 私が皆に若く見えていたらしい事知ったのは昨日の話なんだ。まだピンと来てないし、子供並みに無知で頼りないのも事実だから。今まで通りでいいからね」

「は、今まで通り誠心誠意仕えさせていただきます。俺の事はただタイタと呼んでいただければ結構です。さん付けは不要でございますので」

「あー、出会った頃のザコルを思い出すなあ。あんまりうるさく言うと全員様付けしますよ、タイタ様、エビー様。わたくしの事は呼び捨てで構いませんからね」

「お、おやめください! オリヴァー様に何と言われるか…!」

 タイタが青ざめながら制してくる。どうしてそこでオリヴァーが出てくるんだろうか。

「とばっちり〜。俺はミカちゃんでいいすか」

 便乗して軽口を叩くエビーの真横をヒュンッと高速で何かが通り過ぎた。


 思わず何かが飛んでいった方を皆で眺める。


「…エビー、私は別にそれでもいいけど」

「冗談! 冗談ですって! 冗談ですから宿の壁に穴開けるのやめてくださいよ猟犬殿お!!」

 ザコルが壁に刺さった物を抜きに行った。

「大丈夫ですよ。この針は刺さっても跡が残りにくいですから。暗殺にはもってこいなんです」

 ザコルがニコォ…と見たことのない笑顔で振り向き、エビーとタイタは完全に凍りついた。



 タイタを含めて四人で食事をしながら、深緑湖の街で起きた事の顛末から今までの旅程について、ザコルが順を追って話す。

 ちなみに、護衛が食事を共にするなどと! と渋るタイタを席に着かせるのに一悶着あった。

 急ぐ旅なのにいちいち食事を別にしていたら効率が悪いと説き、最終的には私が一人で食事を摂るのは寂しくて泣くと言ったら仕方なく席についてくれた。


 護衛達はこれからの予定も含め真剣に話しているが、私からはそれほど話す事もないので美味しい食事に専念していた。

 エビーは事前の報告の中で、ザコルが私に悪戯しただの泣かせただのという話はしていないようだ。タイタからもそれらしい話題が振られる事はなかった。

 確かに、この真面目そうなタイタにそんな話をしたら面倒臭い事になりそうではある。


「ミカ殿を連れてウスイ峠を越えたというのは本当なのですね…。ミカ殿は体調に問題はないのですか」

 タイタが心配そうな顔をする。個室なので人目は無いが、氷姫様はやめてもらった。

「この通り、疲れもなく元気だよ。昨日は物凄い不調だったけど、そっちは魔法を使ってなかったから説が濃厚だし。昨日までの私は本当にどうかしてた…。ザコル、頭撫でてください。恥ずかしすぎて心が折れそうです」

 ザコルは怪訝な顔をしつつも、黙って隣の席の私の頭を撫でてくれた。

「それは恥ずかしくないんすね…。つか、俺の気遣いをゴミにするのやめてもらっていいすか」

「エビーには感謝してるって。エビーも撫でてあげようか」

「やめてくださいよ、本気で消されるんで!」

 エビーの気遣いも解るが、この先、ザコルがボロを出さずにいられるとは思えないので先手を打っておく。

 渡り人たる? 私が求めるせいだと思えば、真面目な彼も多少は看過してくれるだろう。


「ミカ、あなた男性に免疫が無いくせによくそういう事が言えますね…」

「ふふ、調子に乗りました。タイタ君もごめんね」

 姿勢を正し、ノリについていけず置いてけぼりのタイタに謝る。


「あ、あの、明日から俺も同行させていただく形になるのですが、それはよろしいでしょうか」

「あ、はい。それはもちろん。よろしくお願いします」

 ペコっと頭を下げる。

「男性に免疫が無いと、今しがたザコル殿がおっしゃられましたが…」

「ああ、大丈夫大丈夫。行動を共にするくらい全然平気だよ。心配しないで」

 エビーがニヤァ、と口角を上げる。

「へへっ、さっきから何強がっちゃってんすか? 朝はあーんなに恥じらってたくせに。可愛いなーミカちゃんはー」

 横の席の人の殺気はさておき、タイタまでじろ、とエビーを睨む。流石に不敬だと言いたいのだろうが『エビーはこれでいい』と私が言ったので口を出しかねているようだ。

 エビーの前にあったワイングラスを見たら、既に空だった。もう酔っ払っているのか…。

 おもむろに腰ベルトの武器に手を伸ばそうとしたザコルの手を掴んで止める。

「あのさ、エビーって女友達は多いけど、彼女はできないか、できても長続きしないタイプでしょ」

「な……んで…分かったんすか!?」

「誰にでもすぐそうやって可愛いとか言ってそうだから。本当に大事な人だけに使わないと信じてもらえないよ。知らないけど」

「くそー、見透かすような事言わないでくださいよ! セクハラっすよセクハラぁ!」

「はいはい、セクハラはエビーでしょ。私は大事な人にしか言わないからね?」

 可愛いザコルはこんなことで怒りませんよねえ。私は掴んだザコルの手をよーしよしと撫でる。

「……その腹立たしい顔やめてくれます? 猟犬殿」

 ザコルの顔を見ようとしたら全力で顔を背けられた。



 今夜の宿は、深緑湖の街の宿と遜色ない、もしくはそれ以上の規模の宿だった。領都に訪れる貴族や、布を買い付けにくる裕福な商人などをもてなすための領営の施設なのだそうだ。


「ここは警備が素晴らしいです。大量の荷物を馬車ごと預かってもくれますよ。…まあ、うちの子爵家は貧乏なのでここに泊まったことは無いんですが」

「サカシータ一族に警備なんて必要ないっしょ」


 やさぐれた口調のエビーがザコルの杯に高そうなワインをドボドボ注いでいる。人払いをして給仕も断っているので、食事内容は高級だというのに手酌だ。

 私もザコルから一杯だけ許されたので同じワインをちびちび飲んでいる。おいしい。


「それもありますが、チッカくらいなら基本は日帰りですから」

「…子爵邸のある街からここまで、結構距離ありますよね? 今回もこのあと一泊以上はする予定ですけど?」

「走ったら半日もかからないでしょう。子供の頃はよくここまで走っておつかいに来ていましたし、他の兄弟も皆そうでしたが」

「山とか川とか挟んだ隣の領のでけー街を近所の商店みたいな扱いしてんすか、サカシータ家は」


 ザコルだけが人間離れしているのかと思っていたが、そもそもサカシータ一族の常識がおかしいようだ。

 ザコルの証言を信じるならば、その気になれば、戦闘に長けた九人兄弟全員が王都近郊に三日程で集合できるという事ではないだろうか。本当に王都が陥落するかもしれない。

 そんな戦闘民族達が暮らす辺境はきっと鉄壁なんだろう。


 ふと思い出したけれど、そんな強すぎ一族の子息を軽んじた第二王子の無知も大概だ。

 今更だが、あの時ザコルが家名を名乗った時点で第二王子は黙る予定だったのだろう。ザコル自身が二つ名持ちの英雄かどうかも関係なしに。あまりにおバカだったから私の相手になっただけだ。


「そうか、ザコルの首根っこ捕まえておかないと国が終わるって、そういう事なんだ」

「ミカまで僕を最終兵器だと思っているんですか?」

「いや、それはまあ…横に置いとくとして、まず、サカシータ一族を怒らせただけで国が終わるって事でしょ? 過激派だか王弟派だか知らないけど、これ以上ザコルを軽んじるような真似させたら…」


「おっしゃる通りですとも、ミカ殿」

 報告の後からほとんど黙っていたタイタが口を開いた。


「ザコル殿の実力とご実家の発言力をもってすればまず隠棲も移籍も、本来国の意向を仰ぐ必要などございません。もしザコル殿の扱いに一族が不満を抱かれれば、本気で国が危うくなるのですから。そもそも、大国サイカと面する辺境の守りが万全なのもサカシータ子爵家あっての事、そんなお家が未だ地位を子爵に甘んじ貴族議会にも参加してもいないなんて異常なのです。オースト国最大の謎と言っても過言ではない。そんなお家の御令息があなた様を連れて他領の山中に身を隠すだとか、他国に亡命するかもしれないなどと見当違いも甚だしい…ッ。そんなことをせずとも国ごと黙らせるだけのお力がこのお方にはあるのですから! だからエビーはもっと立場を弁えろ!」

 タイタがエビーの頭を思いっ切りはたいた。どうしたどうした。急に熱く語り出したぞ。


「もー、ダメすよタイさん。この変態殿はすぐ拗らせちゃうんで。俺が面倒見てやらないといけないんす。愛すよ、愛」

「エビーは僕の何なんですか?」

 ザコルが鬱陶しそうな顔をする。

「エ、エビー、そういう態度が馴れ馴れしいのだと何度言えば」

「そうか、愛だ。愛なんだ。うん、そうだね、愛だよ。エビーさっきはごめん。君の愛は本物だ!」

「ミカも酔っ払っているんですか?」

 ザコルが鬱陶しそうな顔のまま私のことも見る。

 私には、急にエビーがかけがえのない存在に見え始めていた。

「そうすよ愛すよお! この猟犬殿には愛が必要なんすよお!!」

 エビーがワインの瓶を振り回して同調する。タイタは私まで愛を叫び始めたので明らかに次の行動に迷っている。導かねば。

「タイタ君、君もこの最終兵器に人の温かさを教えてあげてほしい。何か詳しそうだし!」

「ミ…ッ、ミカ殿まで、な、何をおっしゃるんですか。そこは神に選ばれし氷姫様の役割でしょう。俺ごときが王国の命運を握るお方にそんな烏滸がましい行いができるとでも」

 タイタに他意は無かったのかもしれないが、ついカチンときてしまった。

「…私が何に選ばれたってえ? ねえ、タイタ君もザコルが無闇に王都燃やして平気な人だと思ってるわけ? あんまりこの人に背負わせないでよ! もしも私が…っ」


 カオスになってきた中で、ザコルが口を開いた。

「タイタ、気を遣わせてしまってすみません。ミカは泣かないで。いいですか、僕は所詮八男ですよ。どのような扱いを受けようと自己責任、わざわざ一族が蜂起するなどという事はないです。それに、信じて貰えるかは分かりませんが、僕は周りを無差別に傷付けたいわけではありません」

 ザコルは片手で私の涙を拭いながら言葉を続けた。

「いえ、そんな、俺は…」

「タイタ、君は僕を脅威に思っているのですね。その気持ちはよく分かります。主家や国のため常に気を緩めず、同僚といえどしっかり調べ上げている君を僕は尊敬します。素晴らしい心構えだ。…そうですね、君には一つ約束をしましょう」

 ザコルはおもむろに立ち上がると、タイタの方を向き、脚を揃えて拳を胸にドン、と当てた

「僕は僕自身がどんな力を持とうとも、主と認めた方が生きろと言えば生き、死ねと言えば死にます。それがサカシータ一族の誇り、シノビの流儀です」

 部屋に沈黙が流れた。私も言葉が紡げなかった。エビーでさえ呆けたようにザコルの顔を見上げている。


 一番先に口を開いたのはタイタだった。


「か……」

 か?

「かぁ……」

 かぁ?

「かああああぁぁ……っこいいいいい!!」

 椅子をバターンと倒してタイタが立ち上がる。

「いっ、生きててっ……良かった…っ!!」

 拳を握りしめて震えるタイタを見て、私は今までの彼の言動に合点がいった。

「……なるほど、推しか」

「オシ?」

 ザコルが怪訝な顔で私を振り返る。

「タイさんは、サカシータ一族と深緑の狂犬のガチ勢っすからねえー」

 エビーが間延びした声で言う。


『猟犬だ!』


 タイタとザコルの声が被った。

 …どうやらこの世界には『ガチ勢』に相当するスラングが存在しているらしい。


 ◇ ◇ ◇


「ザコル、分かりました?」

「分かりません」

 ふるふると首を横に振るザコル。かわいい。


「そうですか。では『推し』について簡単に説明しようと思いますけど、タイタ君は自分で説明したいですか?」

 席に座ったもののまだ男泣きしているタイタに視線をやった。

「かっ、語りたいのは山々なのですが、神を前に語りたい事が多すぎて何から話していいのか分かりません! 時間を、時間をください…!」

 面倒なタイプのオタクだ。嫌いじゃない。


「分かりました。では私から…。彼はザコルとサカシータ一族が好きすぎて仕方のない人なんです。神とか言ってるし、信仰に近いかもしれません。だからよく調べ上げているし、緊張もしてるし、あなたに馴れ馴れしいエビーに怒ってもいるんです」

「…………?」

 心底不可解とでも言いたそうな顔だ。キュンです。


「ちょっと可愛すぎるのでその眉間のシワ揉んでもいいですか?」

「何を言ってるんですか? や、やめてください。揉まないで!」

「おーい、謎のイチャコラやめろー」

 エビーが投げやりな突っ込みを入れてくる。


「あ、あの! こう言ってはなんですが、僕は今までオリヴァー様以外に僕のファンを自称する人間に出会った事がないのですが。何か下心があって近づいてくる輩は論外として、まともな女性にはほとんど遠巻きにされていますし、男性からはせいぜい腕試しの対象として声をかけていただくくらい…ちょっ、ミカはいい加減に…っ、揉むなと言っているだろうがこの酔っ払いめ!」

 ザコルが私の謎攻撃を躱しながら怒鳴る。どうやら私の事はまともじゃないと思っているらしい事はよく分かった。


「何をおっしゃいますか! ザコル殿のファンなどそれこそ全国各地に大勢いるのですよ! 俺はあなた様のファンでありサカシータ一族のファンでもあります! 自分で言うのも何ですが、俺はファンの集いでは一目置かれているのです。何せ同じ職場! ファン歴も長い! プライベート以外ではあなた様の事で知らない事などないくらいです! 集いにおいても知識量で俺に勝てるのはそれこそ辺境出身者くらいのもので」

 集いがあるのか…。タイタが暴れるせいでテーブルの振動がひどい。思わず揺れるグラスを押さえた。


「タイタ君、その深緑の猟犬ファンの集い? とやら、どんな面々がいらっしゃるの?」

「それはもう様々です! 平民から貴族まで、年齢層も十歳から上は五十代まで! 男性ばかりですが!」

「貴族もいるなら、どうして今まで夜会や何かで接触してなかったのかな」

「我々はザコル殿が夜会嫌いなのを重々知っておりますので、貴族メンバーは絶対に主催する夜会にザコル殿を呼ばないのです。他所で見かけたとしても、ザコル殿の野生並みに鋭い五感に感知されないギリギリの距離から見守っています」

「そんなまた忍みたいな事を…」

 私がそう漏らすと、彼はまた椅子を蹴り飛ばす勢いで立ち上がった。

「そう! シノビです!! そのシノビの信念を我々はぜひ会得したいのです! 行動に自由のきく者は既にサカシータ邸の城門を叩いている事でしょう!! そうでない者は、それぞれ仕事や家事の合間に修練を重ね、来るべき時に備えて自分を高め続けております!」

 ファン心理から忍を目指そうという境地にまで達しているとは。沼だな…。


「…そうか、なるほど、そうだったんですね…。夜会に行くと、必ずと言っていい程ギリギリの距離からチラチラと強い視線を感じるので、腕利きの用心棒を雇ってまで僕を警戒しているのかと思っていました」

 ザコルが自分で眉間の皺を揉み始めた。言ってくれたら揉むのに。


「おお、流石です! まさか貴族の彼らが存在を認知されていたとは。貴族メンバーは有り余る時間と金を自身の修練にありったけ注いでいるので、隠密の腕前には自信を持っている者ばかりなのですが…。これは、次の集いが荒れますよ」

 キュピーン…という効果音さながら、タイタが不敵に微笑う。


 非常に面白くなってきやがった所だが、そろそろ部屋に行ってお風呂に入りたい。エビーに目配せをする。

「タイさん、いいすかね、食事お開きにしません? どうせこの後、俺ら三人同室ですよ。いくらでも話聞けばいいっしょ」

「なな、ななななな、そんな畏れ多い事ができると思っているのか!? といいますかザコル殿は氷姫様と同じ部屋を使われるのでは!?」

「まさか。せっかくの高級宿でそんな訳ないでしょタイタ君。というか、護衛としてその発言はいかがなものかね? まあ、緊張するだろうけど、推しと一晩一緒に寝てあげてよ」

 びし、タイタの表情が固まった。

「おい、タイさん、あんた氷姫様の護衛隊員だろ? 一応この姫は未婚なんだぞ? 正気に戻ってくださいよ、ねえ、タイさん、タイさん? あ、ダメだ、固まっちまった。くっ、動かねえ。どうすんだこの後、おーいタイさんってば!」

 エビーが肩を揺さぶるが反応がない。


「わあ…。私以外に立ったまま心神喪失してる人初めて見た」

「僕もです。まあ、いいです。彼は僕が運びますから、部屋に行きましょう。エビー、案内できますか」

「もちろんでございますともザコル様! ささ、こちらの荷物をどうぞ!」

 エビーがわざとらしくヘコヘコし、荷物もといタイタを手のひらで指し示す。

 ザコルはそんな扱いに腹を立てるでもなく、タイタに歩み寄ると肩にヒョイと担ぎ上げた。エビーがタイタの手荷物をまとめ始めたので、私もごちそうさまと手を合わせて席を立った。


 ◇ ◇ ◇


 案内された広い部屋で、まずは荷物を開けて着替えを出しシャワーを浴びた。またザコルが聴いているかもしれないので歌はやめておく。水音などに関してはもう諦めた。


 深緑湖の街もチッカの街も、ある程度の設備になると水道がある。

 民家や小さな宿では井戸を使っていて、わざわざお湯を沸かして浴槽に張る所が多いようなのだが。ちなみにフジの里は温泉を引いているので例外だ。


 ガスや電気も無さそうなのにどういう仕組みでシャワーからお湯を出しているかまでは知る由もないが、自由にシャワーを浴びられるというのは本当にありがたい。


 髪をしっかり拭いて櫛で解いてまとめる。服を着込んで部屋を出ると、ザコルも隣のドアからすぐに出てきた。

 ワンフロアに二室しかないロイヤルスイートルームなので、隣のドアと言ってもかなり離れているのだが、示し合わせたかのように出てきたあたり、部屋の物音はしっかり聴かれていたようだ。


「ミカ、どこに行くんですか?」

「ブーツの手入れを頼めたらと。それから、ラウンジにも顔を出すべきかと思って」

「ラウンジに?」

「このルート、マンジ様に報告しているんでしょう。もし深緑湖と同じパターンであれば、モナ男爵ご本人か関係者の方が待機なさっているかもと思いまして」

 マンジがモナ男爵に連絡を入れていれば、の話だ。

 いないならいないでもいいが、もしも待たせていたら申し訳ないので顔くらいは出しておいた方がいい。

「なるほど。エビーに伝えてきます。僕ももうシャワーを浴びて着替えましたので、すぐに同行しましょう」

 よく見ればザコルの髪も少し濡れていた。彼は出たばかりの扉をまた開き、中のエビーに一言二言声をかけると、すぐ私の方へと早足で寄ってきた。

「ええと、今日はあなたが脱衣場に入る音に合わせて僕もシャワーに入ったので、音はあまり聴いてないはず、です」

「ふ、ふふふ。あはは、あはははは」

 私が笑うと、ザコルが気まずそうな顔になる。

「もう聴かれてもいいやって諦めてたんですが。お気遣いありがとうございます」

「いいえ、僕も勉強になりましたから。では、まずブーツを預けて代わりの靴を借りましょう」


 そう言ってザコルは曲げた腕を差し出してくれた。

 ドレスでもなく人混みにいるわけでもないのに、自然に腕を出してくれたことが嬉しくなり飛び付いてしまった。



つづく

変態が増えました

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