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誰が召喚したか知りませんが、私は魔獣ではありません  作者: もっけのさひわひ


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戦勝の祭り⑤ 味方を一人でも多くするための作法を覚えなさい

「ミカ殿、騙されるなよ。かつて双子を襲った者は漏れなく返り討ちに遭い、しかも二度とたた…いや、に、二度と人を襲えぬような体にされて、今もなお心の傷と戦っているような者ばかりだ! どちらが強者で弱者か考えれば分かる…」


「ふふ、ザッシュお兄様ったら、面白いご冗談をおっしゃるんですね。いくら相手の実力も測れないような弱者だったとしても、相手を自分より弱者だと認識した上で手を出したのならその時点で有罪でしょう。そんな不届者の遺伝子は根絶で正解です」


 にこ。


「ひっ、ミ、ミカ殿、怒らせたのなら謝るが!?」

「流石はミカ。祖母君の教えが行き届いていますね」

 ザッシュは尻込みし、ザコルは満足そうに頷く。



「ザコル殿…貴殿がかつて人を惑わす程の容姿をしていたとは知らなかったが…。貴殿が襲われなくなったのは、鍛えて不恰好になったりあの変な服を着ていたからという訳ではなく、単にその筋肉に怯んだり、人間離れした強さが噂となって侮られなくなったというだけでは…」

「それは結局、筋肉は裏切らないという事では?」

「ま、まあ、そうなのだが…」

 人の好い騎士団長はツッコみきれていない。


「コマの言いなりになっているのも癪でしたしね、奴の勧める服は二度と着てやるものかと…」

「で、結局肉壁にされてしまったんでしたかねえ」

「…………」


 女装を強制したのもコマなら、鍛え抜かれた肉体を文字通り矢面に立たせて盾代わりにしていたのもコマだ。結局コマにいいように使われるのは決定事項だったらしい。


 とりあえず、これからは目の前の服を着てくれるという言質は取った。後はそれっぽい生地を仕入れて忍者服を縫うだけだ。

 ああ、私に絵心さえあれば、デザイン画をササッと描いて同志かオリヴァーに託すだけで良かったのに…。



「何となく悪寒がするのですが…」

「気のせいでしょう。さあ、トンチキはどこですかね。あ、ペータくん、ちょっと蜂蜜を届けてくれない? お客さんに振る舞いたいってこの坊ちゃんが」

 通りすがりのペータに事付けておく。

「はは、お客様にと、ザコル様がおっしゃっておられるんですね。承知いたしました。食器と一緒にお持ちいたします」

 ペータはにこやかに一礼し、屋敷の中へと入っていく。


 彼はさっきまで酔っ払った同志や同志村スタッフ達に呼ばれ、マネジと共に昨日の顛末を面白おかしく語らされていたようだ。

 もしかしたら、同志村女子達やカファあたりに『以前、ザコル様が蜂蜜牛乳をミカ様にせがんで微笑ましかった』というような話を聞いたのかもしれない。

 



「遅かったではないか。そちらの要人は一通りの失言を済まされて反省なさっておられる所だ」

「そのようですね…」


 場所は、山の民長老チベトが最初に座っていた庭のはずれだった。

 要人、トンチキ、従僕見習いサモン、もといサーマル第二王子殿下。

 彼は今、峠の山犬、もとい前モナ男爵に絶賛絡まれ中だ。


「おうおうおう、なーんにもないクソど田舎で悪かったなあ? この辺境領をこちらの蛮族様、もといサカシータ一族様が治めてなけりゃあ今頃オースト国なんざサイカ国に蹂躙され尽くして今の王族なんざ一人も生きちゃねえだろうがなあ、このお坊ちゃんはそんな事も分かんねえってのかあああ? そんでこっちのババ様達、もとい山の民様はなあ、俺らの大事なだぁーいじな神さんと山をずっとずぅーっとずううううーっと昔っから守ってる偉大な一族様なんだあ、それこそオースト王家が興るずうっと前からなああ。お前解ってんのかあ…? 山の民が織るこの上質な布にしたって、今やこの国の目玉商品の一つみたいなもんだろが、王族の端くれならそれくらい勉強くらいしろてめえ脳みそ何が詰まってんだこのコンコンチキめ。言っとくがな…あの神域を軽ぅい気持ちで侵してみろ、俺ら沈黙の山派貴族を全員敵に回すんだからなあ…? 手始めに武勇で世界にも知られたこのサカシータと、この俺、峠の山犬が直々に鍛え上げたモナ軍が手ぇ組んで半日で王都落としてやっからよお…。王宮なんざ両手の指数える間に更地にしてやっからなあ、覚えとけよおおお坊ちゃんよおおおお?」


 ラグの上で正座し縮こまる一国の王子の肩に堂々と腕を回し、至近距離でメンチを切って脅している前男爵。カオスな光景を冷めた目で見つめるアメリアに、チベトと酒を飲み交わしながら楽しそうに見物するイーリア。

 どうやって消費したのか、前男爵が片手で振り回している一升瓶はもう半分まで減っていた。大勢に味見させてやっただけだと信じたい。


 サーマルはふと顔を上げ、私とザコルを見つけるとハッとし、縋るような目を向けてきた。助けて欲しいんだろうか。


「お待たせいたしました。今、ミカが煮林檎と氷菓を振る舞ってくれます」

 ザコルはそんな王子の目線をスルーし、持参したボウルを傾けて客人達に見せた。


「そうか、馳走を用意していてくれたか。ありがとう、ミカ」

「いえ、場の空気も良くなるだろうとザコル様がおっしゃるので。ですが、特に空気が悪いという事もなさそうですね。安心しました」

「空気は最悪だが!? 黒水晶、ザコル・サカシータ、助けてくれ…!!」


 私はにっこりと笑って彼に一礼する。


「ご自分の発言を省みる機会に恵まれてようございました殿下。もし殿下が運よくご即位なさった暁には、こちらの辺境領に出されている補助金の見直しでもなさってはいかがですか。現状のままでは、腕に覚えのある方がどんどん出稼ぎに行ってしまわれるそうですよ。そうしていればいつか国境線が侵される事になり、結果的に殿下ご自身の寿命を縮める結果となりましょう」


「見直す!! 見直すから!! 今すぐにでも母上…王妃殿下に手紙を出して見直すように進言もする!! だから!! この今にも私を殺しそうな勢いの酔っ払い男をどうにかしてくれええ!!」


 前男爵はその情けない叫びを聴いてガッハッハと豪快に笑う。

 私はわざとらしく口に手を当てて「まあ」と驚いて見せる。


「屋敷の使用人の皆さんに『斬り捨てるぞ』などと脅して回っていたお方のお言葉とは思えませんねえ…。いっそその短剣で挑んでみてはいかがですか。今ならかなり酔われておられますし、かの有名な峠の山犬殿から一本取ったとあれば、殿下の名声もうなぎ登りかと」


「そりゃあいい!! ぐだぐだ言ったって漢なら拳で語らねえと解んねえよなあ!! 今なら大大大ハンデくれてやらあ、俺は素手でいいぞうー? ほらその小っちゃい剣抜いてかかってこいやあー!!」


 サーマルは意外にも首をブンブンと振って拒否した。

 何も考えず剣を抜くと思ったのに。


「む、無理だ!! 勝てっこない!! この男はザコル・サカシータや子爵夫人が放つあの妙な圧を使う!! 経験上あの圧を放つ奴には勝てっこないんだ!!」

「そうですか、賢くなられましたね殿下。しかしこちらのサカシータ領では、殺気や威圧くらい自在に使える方がほとんどかと思いますよ。ご留意いただければ幸いです」


 このトンチキにも威圧感知システムが本格導入されたなんて大いなる革新だ。勝てない相手に噛み付いても良い事はないと、考え直すきっかけになるだろう。


「ミカもなかなかお上手よ。この短期間で習得されるだなんて、余程才能に恵まれているのですねわね」

 ほほ、とイーリアの背後に控えるマージが笑う。サーマルは私の方を見てひっ、と短い悲鳴を上げた。


「ねえ長老様、お姉様は我が邸におられる時も、よく魔法をお使いになって冷たい紅茶やかき氷なる甘味を振る舞ってくださいましたのよ。冷たいというのに、いただくとホッと心が温かくなるような心地がいたしますの。きっとあの煮林檎や氷菓も素晴らしいお味に違いないですわ」

「そうかいそうかい、楽しみにしていようねえ」


 ばあやっ子のアメリアが長老チベトに懐いている。ラグの上で低い椅子に座っているチベトに寄り添い、ずれた膝掛けを甲斐甲斐しく掛け直してやっている。


「お嬢ちゃん、この子は本当に可愛いねえ、この婆にもこうして優しくしてくれてね。あっちの躾のなってない坊やとは大違いだよ。王位なんざこの可愛い子にやっちまえばいい」

 チベトもアメリアにはメロメロだ。


「長老、素晴らしい案だ。私もこの際、山犬殿が言うように王都など全て灰燼に帰し、テイラー領あたりに新王都を建設すれば万事解決かと考えていたのだ。いいだろう? アメリア嬢。あなたが王なら末代まで傅き尽くしてみせよう」

 イーリアがアメリアの片手をとって口付ける。


「まあ。ただの伯爵家の小娘たるわたくしには重荷でございますわ。わたくしは大事な方さえ元気ならそれでいいの。もちろん、長老様もイーリア様もずうっとお元気でいらしてくださいませね。それだけでわたくし、ずうっとずうっと幸せですから…」

 アメリアは大きな瞳を優しげに目を細め、二人に対して甘えるように微笑みかける。

「ああ!! この先百年でも二百年でも生きてやるとも!!」

「こりゃあ、簡単には死ねないねえ、明日にでもお迎えが来ちまうかと思ったが、追い返してやらなくちゃ」


 アメリア、恐るべし。アカイシの女帝とツルギ山の女王を一瞬で篭絡してしまった。革命どころか新しい王国が立ち上がってもおかしくない所まで来ている。



 ペータが他の従僕やメイドも連れ、食器類が入ったカゴをいくつも運んでくる。

「ミカ様、こちら蜂蜜でございます。食器は皿とガラスの器を。それから念の為、牛乳とマグもお持ちしました。足りないものはございますか」

「ううん、ありがとう。助かるよ。これで蜂蜜牛乳も作ってあげられるね」

「はは、そうですね。盛り付けをお手伝いいたしましょうか」

「じゃあお願い。こっちの煮林檎をいくつかお皿に乗せて、軽く蜂蜜をかけてくれるかな。人数分ね」

「承知いたしました」


 ペータや顔見知りのメイド見習い、ユキ達がテキパキと食器をラグに並べる中、ただ荷物持ちとして付いてきた様子の二人が正座する王子をチラチラと伺っている。灰色のベストを着た従僕見習いだ。


「あれ、メリタは?」

「メリタならそこの藪に」

「お呼びでございましょうかミカ様」

 ガサッ。

「ひい! そんなとこにいたの!? 何で!?」

「うわあああああ出たあああああああ!!」


 いきなり藪の中から登場したメリーに私もびっくりしたが、王子はまるで熊とでも対峙したかのような怯えようだ。


「罪を贖う身でございますれば、お客様の目に姿を晒すなど以ての外かと。ただ、もしそのトンチキがこれ以上の粗相を働くのであれば串刺しにして私も死のうかとこちらで待機しておりました」

『ひいえええええ…』

 王子とその従者、灰色コンビが縮み上がる。調教は順調に進んでいるようだ。


「…そう。まあいいんだけど。殿下、いえサモンくん、メリタがここで見張ってるのによく失言フルコースなんてできたねえ…。ああ、失言を失言とも思ってないんだったか君は。とにかく今日は前モナ男爵様のお酌でもなさっておもてなししてください。従僕見習いサモンとして」


 ペータ達が盛り付けてくれたコンポートに軽く魔法をかけ、温め直す。ふわりと湯気が立って蜂蜜がじわりと馴染んだ。

 フォークを添えて長老チベトとそのお付きの女性二人、イーリア、アメリア、マージに渡してゆく。女性陣からは、ほう、という溜め息とともに、美味しいと絶賛を頂いた。もちろんザッシュやハコネも含む男性陣にも配ったが、前男爵は甘いモンはいらねえと言うので、例の焼酎をお湯割りにしてあげた。


「おうザコルにザッシュ!! あとそこのテイラーの騎士団長!! てめえらもこっち来て座れ!!」


 前男爵がサカシータ兄弟とハコネに向かって手招きする。

 ザッシュとハコネは一礼してラグに座り、ザコルは渋々といった感じでラグに腰を下ろした。その瞬間、シュッとサーマルがザコルの背中に逃げ隠れる。


「はっはっはあ、てめえ変なのに懐かれてんなあ!!」

 前男爵は面白そうに笑った。変なの扱いされたというのに、サーマルからはもはや文句の一つも出てこない。


「何で僕の後ろに…。殿下、僕は別にあなたの庇護者ではないんですが?」

「お、お、お前は何だかんだいって私を生かしてくれそうな気がする…!!」

「………………」

「甘ちゃんがバレてんじゃあねえか深緑の猟犬様よう、ガッハッハッハ!!」

「僕はミカの考えに従っているだけで、甘くした覚えはありません」


 すげなく言われてもサーマルがザコルの後ろから出てくる様子はない。ザコルはそんな彼に構わず、フォークで刺した林檎の欠片で皿についた蜂蜜を丁寧に拭って食べている。


「良かったな坊主よう、あの聖女様のご意向一つでてめえもこの国も進退決まんだからな、せいぜい失礼のないようにしろよ。しっかし聖女の嬢ちゃんは、ほおおおおおーんと慈悲深くていらっしゃるなあ!」


 前男爵がいかにも恩着せがましい言い方で王子をいじめる。コマにもよく言われるが、何で私が国の進退まで握っている事になっているんだろうか…。


「全くその通りだ山犬殿。ミカ殿の懐の深さには感心を通り越して呆れを覚える。どこの王族か知らないが、いきなり魔獣で乗り付けて婦女子を拐おうとしたらしいじゃないか。そこのメリタとやらと同罪か、それ以上の横暴だな。我が国の王族はいつからそのような無法者の集団になったのか…ああ、ふむ、確かにうまいな、これは」


 ザッシュは溜め息をつきながらコンポートを口に入れ、気に入ったのかガツガツと食べ始めた。


「わ、私は黒水晶のために良かれと思って…!!」

 ザコルの後ろで抗議の声が上がる。

「恐れながらサーマル殿下、発言をよろしいでしょうか」

「お前はテイラーの騎士団長か、許す!」


 誰もが王子に対して敬意を払わない中、きちんと手順を踏んで発言の許可を求めたハコネを見て途端にふんぞり返る小物王子。


「では遠慮なく。それで殿下は、ホッター殿があなた様の気を引くためにここまでやってきたと今もお考えなのでしょうか。それとも、ザコル殿がホッター殿を無理に連れ去ったと?」


 ハコネが落ち着いた声で質問する。サーマルは調子に乗りかけた事も忘れたように言葉を切り、少し考えてから答える。


「…………いや、どちらでもない、と、思う…。黒水晶とザコル・サカシータは、お互いを心底大事にしている、ように、見える…」

「…ああ、まあそのようですね…」

 ハコネがサーマルの視線の先、つまり私の方へと顔を向けた。

「え?」

 私はザコルにコンポートのお代わりを目線でせがまれたので、余ったのを全部皿に乗せて蜂蜜をかけてやっている所だった。


「あ、サモンくんの分も一応盛り付けてありますよ。食べます?」

「えっ…!」

 ぱあ、サーマルが顔を輝かせる。カサ、背後の藪が動いた気がした。

「ミカ、従僕見習いには過ぎたる施しです。彼にやるのであれば、順序的には正式な従僕であるペータが先にありつくべきかと」


 へにょ、ザコルの言葉に、サーマルがザコルの後ろでしぼむ。

 ペータの方はブンブンと首を振っていた。


「僕にですか!? そんな、従僕の身でお客様向けのご馳走にありつくなど…!」

「ほら、ペータが遠慮しているんです。君も遠慮しなさいサモン。なのでその皿は僕に」

「貴殿も遠慮しろ! 先程から一体どれだけの量を食べているんだ、いい加減に腹を壊すぞ!!」

「僕が林檎を山程食べた所で腹など壊すわけないでしょう」


 すん、と取り澄ますザコル。ハコネがわなわなしているが、他の客人の手前、それ以上の追求は我慢したようだ。


「山程食べたのなら私が食べたとていいだろう! 私もその温かい林檎を食べてみたいのだ!!」

「あまり出しゃばるとあの藪から何かが飛んできますよサモン」

「ひい!?」


 親切だな、教えてあげるんだ。あの藪にはメリーが潜んでいる。殺気の一片も感じられない辺り、逆に本気度の高さが伺える。


「仕方ない、僕のを少しわけてやるからそれで我慢するように。…今後、ミカから直接施しの一つでも受け取ればその時が君の命日です。解りましたね?」


 サーマルはザコルの背後で首がもげそうな程頷いた。

 ザコルはサーマルに用意された皿から林檎を一切れだけ自分の口に放り込み、残りを新しいフォークとともに背後のサモンに差し出す。サーマルはその皿を受け取り、震えながらも上品な仕草でフォークを操り、一切れ口に入れる。じっくりと味わうように咀嚼し、飲み下す。


「…ああ、こんなにも、身に染みるのだな、温かい食べ物は…」

 ほろりと出た言葉は、何とも切ない声色だった。


「ああ、殿下…」

「食べてしまわれたぞ…」

 灰色の従者コンビが離れた所でヒソヒソやっている。


 ああそうか、毒味か。それは思い至らなかった。

 サーマルは腐っても王族、毒味というステップを経ずに料理を食べた経験が極端に少ないか、無きに等しいのだろう。ここへ来てからもあの灰色コンビが毒味を行ったに違いない。

 しかも、昨日から今日にかけて屋敷もてんやわんやで、温かい食事などそもそも出ていなかったのではないだろうか。だとすれば、あのコンポートは彼が初めて食べる『温度のある食事』なのかもしれなかった。


「…はは、貴殿、いい所を見せるじゃないか。面倒見の良さはやはり相変わらずだな」

 ハコネは溜飲を下げたらしく、ザコルに笑いかける。

「まあ、僕が毒味の真似事などした所で意味はありませんがね。僕は毒の類が一切効かない体質ですので」

「っむぐっ、むむー!?」

 口にコンポートを全て頬張ったサーマルが抗議の声を上げる。


「行儀が悪いですよサモン。僕の毒味も実質無意味ですが、今更ミカが君を毒殺する意味もありませんので。そんな事より、メリー…メリタに殺されない方法でも考えた方が意義はあるかと」

 ごくっ、サーマルが林檎を飲み下す。

「ど、どうすればいい!? 教えてくれ、ちゃんと守るから!!」

 流石はドングリ先生、生徒のやる気スイッチを押すのが上手である。


「まず、あの者はミカの信望者ですから、ミカに失礼を働くのはもちろん、ミカから従僕見習いの身の丈に合わない施しでも受ければ間違いなく殺られます」


 コクコク。サーマルは神妙な面持ちで頷いている。


「従僕見習いから見て、目上となる人間に粗相を働くのもいけません。これは本当にへり下れという意味ではなく、従僕見習いに扮するという目的にも合わないからです。演技でもいいので、まずは敬語を徹底して使ってみてはどうでしょう。君は屋敷の中では底辺の地位にいるので、誰も彼もが敬語の対象です。分かりやすいでしょう」


「…うむ、分かった、です! だが、どうしても、相手が臣下だと思うと、敬語など出てこないのだ…です!」


 あのトンチキ王子が人からの助言を素直に聞けているだけ凄いとは思うのだが、トンチキはやはりトンチキである。チベトやイーリアには甘い笑顔を向けていたアメリアも再び眉を寄せて王子を一瞥する。…また随分と嫌われたな、何やらかしたんだよ王子…。


「そういう所ですよサモン。僕らは一応国王陛下の臣下ではあるのでしょうが、今の時点で君の臣下ではありません」

「ぐ、そ、そういうのは屁理屈だ…です、では!?」

「いいえ、大事な事ですよ。陛下を差し置いて君の臣下を名乗るという事は、今現在の王政を軽んじるのと同義です。すなわち、不敬に相当します」

「な、なるほど……不敬?」

「…あまり解ってはいないようですね。では単純に、ここにいる人間は全員、君のお父上かお母上だとでも思って接してはどうですか。それだけで殺されずに済むのです。安いものでしょう」

「かしこまりました母上。あ、いやザコル・サカシータ上」


 ぶっふ…。思わず吹き出してしまって周りを伺えば、他にもザッシュ、ハコネ、アメリアも口を押さえてどこかを見つめていた。


 イーリアは王子には目もくれず、マージに酌をさせつつアメリアの横顔を肴に物凄い勢いでワインを消費している。前モナ男爵はいつの間にかラグの上で大の字になって寝ていた。チベトも少しうとうとしているように見える。


「従僕見習いならば、客人は全て『様』をつけて呼ぶ所ですが、君の立場で『様』はきっと使い慣れないでしょう。なので、全ての人間に『殿』をつけて呼んではどうですか。まずそこのハコネ相手に練習を」

「かしこまりましたザコル・サカシータ上…殿! え、ええと、ハコネ、ど、殿は、ええと、テイラーの騎士団長、でいら、いらっしゃいましたか!?」

「その通りです、でん…いえ、サモン殿。テイラー邸でもお目にかかりましたが、覚えておいででしょうか」

「あ、ああ。覚えているぞ」

「敬語」

「あ、は、はい、覚えて、いえお会いしたように思い、ます。ハコネ殿」

「サモン殿。煮林檎のお味はいかがでしたか」

「大変美味であっ…りました!」

「それでは、どなたにお礼を言うのがいいでしょう」

「どなたに、そうだ、黒水晶殿! 褒めてつか…っ、いやっ、か、感謝申し上げるます!!」


 ザコルもハコネも本当に大人というか親切だ。この王子が殺されないよう、最低限の躾に付き合ってやるつもりらしい。ザコルがそのつもりなら私もあまり彼をいじめるのはよそう。


「はい、どういたしましてサモンくん。できれば、煮林檎をわけてくれたザコル様にも言って欲しいし、順番抜かしを見過ごしてくれたペータくん達にも一言お礼やお詫びがあるとベストかな。ここは王族のための場所である王宮とは違うからね。どんな些細な事も、誰かの厚意で成り立ってるんだよ」

「厚意…? 何故そんなに細々と礼をする必要が…?」

「施された事にはきちんとお礼を言わないと公平ではないって事だよ、サモンくん」


 本来、国のためだけに生きる事が定められた王族には、それ相応の敬意を払うのが『公平』と言うべきであるのだろうが、サーマルは現在治世に関する事は何もしていなさそうだし、ほぼ野放し状態でもある。野放しなのは彼のせいではないだろうが、だからといってここにいる人々が彼の面倒を見る義理などあってないようなものだ。であれば、彼は人から受ける施しに対し、もっと敏感にならなければここでは生きていかれない。


 先程から聴こえていた話を整理すると、ツルギ山を囲む『山派貴族』は王政に盾付きはしないものの、完全な恭順を誓っている訳でもない。それでも大国サイカとの国境を長年守って義務を果たしているというのに、特別感謝されている訳ではなさそうだ。いや、王家としてはこれでも優遇しているつもりなのかもしれないが。


 山派貴族が大切にするツルギ山を自治区と認め、山の民の自由を制限していない事はその一環かもしれない。

 彼らの信仰と伝統を妨げず、王国民としての責務を課さない代わりに、同じく山神様を崇めているらしい山派貴族達に叛意を持たせないようにしているといった所か。


 だが、その山神信仰を認める事と、国防の功を労う事はまた別だと思う。

 サカシータ子爵を始めとした山派貴族は別にオースト国のためだけに国境を護っている訳ではないのかもしれないが、それでも現王家が今に永らえるのは間違いなく山派貴族達あっての事だ。彼らが政治への不干渉を決め込んでいるのであれば、恩を着せない形での金銭的援助やさらなる特権の融通など、王家として彼らに報いる事はできたはずだ。

 地理的に交易が不利で、気候的にも産業が限られ、他の領より一層国防に人と金を要するこのサカシータ領には、特にそうした計らいがあって然るべきである。イーリアも若い時はそう考え、夫であるサカシータ子爵とぶつかる事もあったと言っていた。


 今回、現王家と関係の悪くなかったはずのテイラー伯とジーク伯は、王弟が欲しがっている渡り人と、国内外でその力を恐れられ、しかも国の機密情報をたくさん握っていそうな英雄の逃避行をこぞって支援している。

 国王と王妃はカリー公爵領へと逃げ延びているようなので、公爵派と言われるテイラーとジークも、単に公爵か公爵領にいる国王や王妃の意思を汲んでいると考えるのが自然だが、果たしてそれだけだろうか。


 ……考えてみれば、南方のカリー公爵領と北方のサカシータ子爵領は王都から見て正反対に位置するので、王弟の意識や手駒を南と北に分散させたかったみたいな意図もあるのかもしれないな。


 カリー公爵は、ザコルに表舞台の名声を授けた立役者の一人だ。自領で起きた侵略行為を単独で収めた人物として社交界で大いに喧伝し、王家に褒章を授けるよう仕向けた。

 ただザコル個人を気に入ってそのようにしたのかとぼんやり考えていたが、このサカシータ領の働きとそれに見合わない待遇を知れば、また違う側面が見えてくる。カリー公爵はザコルを王家とサカシータの橋渡し役にと考えたのかもしれないし、褒章の件をきっかけに世間の目をサカシータ領に向けさせ、その不遇を改善させるきっかけにしたかったのかもしれない。


 サカシータ、いや山派貴族を軽んじている状況をこれ以上見過ごせば、その先にあるのは当然、オースト国の破滅だ。この第二王子たる者がその辺りの教育をロクにされないまま社交界に放たれていた状況を見るに、王家自体がまともな常識も持ち合わせず、ロクに機能していないと思われても仕方のないことである。


「時にサモンくん、君のお母上は、君から見てどの様なお方でしたかね」

 私がそう問えば、サーマルはううーんと唸りながら考え込んだ。国王に代わり政治を回していたのは王妃らしいので、家族から見た彼女の人柄は気になる所だ。


「母上は恐ろしいお方だ! です! 私が何かする度に眉を顰めて永遠に説教をするのだです。だが、母上のお話は難しくてつい眠くなってしまうのだ、です」


 何言ってんだこのガキンチョ王子は…。相手のレベルに合わせて言葉を噛み砕いてやらない王妃も王妃かもしれないが、もう十九にもなろうという青年が母親の話が難しくて眠くなるとか、よく恥ずかしげもなく人に言えるものだ。


「父上は叱られる私を見て必ず、もうよいではないかサーマルもいい大人なのだ、王位を継ぐ訳でもあるまいし自由にさせろ、とおっしゃる。父上はとても優しいし、好きにさせてくださるが、私とはあまり話をなさらない。いつも兄上の機嫌を伺っている。母も兄上の事は怒らない。あの子はあれで公務はちゃんとしているのと言われるが、私にはそうは見えない。いつも好きな事に没頭しているだけに見えるし、王宮や国を空けている事もしょっちゅうだ」


 サーマルはまだ訊いてもいない家族の話まで始めてしまった。話したいのなら止める事もあるまいと、私はふむふむと頷きながら先を促す。


「ならば私も国を出て遊んでやると母上に言ったら、母上の母国でもあるメイヤー公国の国立神学校に入れられた。あそこは監獄のようだった…。忍びで街へ出る事も許されず、ただ毎日学舎と寄宿舎の往復を、母上が手配した執事や従者に見張られながら三年も…。学ぶ事と言えばメイヤー教の教えと算術、語学、たまに剣術といった感じで、娯楽もなく、新聞さえ手に取る事も許されず、ただただ勉強だけをさせられた。母は、私を神徒にしたかったようだ…です」


 女性であれば、修道院送りにされた、みたいな感じだろうか。手に余る次男を神の僕にして、王位から遠ざけてしまいたかったのかもしれない。というか、新聞を読まなくなったのはその学校の教えのせいか…。


「だが、私はあまり神徒に向いていなかった。教えとやらも結局私の心を満たすものではなくて。卒業し国に帰ったら、大人になった私を多くの者が歓迎し、貴族達は娘を差し出してきた。夢のようだった。三年もの監獄生活で、遊びらしい遊びは全て断たれていたから。 皆私をいい王子だと褒めたし、あなた様こそ王位に相応しいと言ってくる者も沢山いた。私も、あのように自分の好きな事ばかりして怒られない兄上より、三年も我慢して勉強した私の方が王位に相応しいのではと思えてきた。叔父上、王弟殿下もきっとお前は大成すると言ってくださる」


 欲をかいた者達に程よく担ぎ上げられたのだろう。この世間知らずな第二王子を王位に就かせ、傀儡とするつもりだったか。

 元々精神的な成長が遅れていた上、三年も世俗から引き離された結果、このサーマルは甘言の裏側に潜む下心や悪意というものが全く読めない大人になってしまったのか…。


「…母はもう、私にはただ何もしてくれるなとしか言わない。父は私と話さない。そして私が叔父上につくと言ったら両親はあっさりと私を置いて出ていってしまった。兄も戻ってこない。本当に好かれたい女には嫌われているようだし、褒めてくれた貴族達も最近は顔も見せなくなった。…昔よく遊んでくれた使用人もいつの間にか姿を消していた。そして、叔父上は私をここに置き去るようイアン・サカシータに言ったのだろう。…………私は、私は…どうしたら良かったのだろう…」


「殿下…」

 ハコネが心配するような声を掛けるが、次の言葉が見つからないようだった。アメリアは黙ったままだ。ここでまた下手な慰めをしては、彼をいたずらに弄ぶ事になるだけだと理解しているのだろう。


「サモンは、王位を継ぎたいのですか。お父上のように」

 そんな中、ザコルが淡々と質問をする。


「…父上のようにか、待て、今考える。……そうだな、まず父上は執務がお嫌いだ。母上と宰相であるシュライバー侯爵が決めた事に諾と頷くだけ。普段は好みの者を側に呼んで、酒を飲んだりお好きなボードゲームをなさるばかりだ。それはそれで羨ましい生活をしているように見えた…が、父にはそれしか自由がない。あの怖い母がほとんどを管理している。ああ、そうだ。私はちっとも王位なんて継ぎたくない気がしてきたぞ!」


 サーマルはたった今気づいたとばかりにザコルの背中に答えた。


「そうですか。国王にならないのであればなおさら敬語の練習はした方がいいのでは。僕などあまり人の機微を読むのも得意でないし、何より面倒なのでとりあえず敬語で話していますよ」


 面倒なのでとりあえず敬語…。以前は『配慮すべき相手には等しく敬語を使っている』と言っていなかったか…?


「だがっ、で、ですが、臣下に敬語を使うのは王族としてみっともないと、母上や、叔父上や、母がつけた執事も怒る、から…」

「忘れたのですか。今の君は従僕見習いのサモンです。ただのサモンなので、遠く王宮や公爵邸にいるような人間に忖度してやる必要はありません。そんな無意味な事をする暇があるなら、目の前の話せる距離にいる人間の事でも考えた方がまだ意義がある」


 ただのサモンは言葉を切り、目の前にいる英雄の背中をじっと見つめた。


「初対面ではどのような人間かなどほとんど判りません。後々助けになってくれる人間が、貴族か平民か、男か女か、大人か子供か、それもまだ判りません。ならば、とりあえずは全ての人に敬意を払うフリを続けていればいい。そのうち、損得なく味方となってくれる者の一人や二人くらいは引き当てられるでしょう。君は既に、あそこで縮こまっている従者二人を引き当てているのだから」


 灰色コンビが瞠目する。

 ザコルはゆっくりと背後を振り返り、今日初めて彼、サーマルと目線を合わせた。


「難しい事は抜きです。まずは、味方を一人でも多くするための作法を覚えなさい、サモン」


 サーマルはその仏頂面の英雄を真っすぐに見据え、こくんと素直に頷いた。


「……はい。分かりました。ザコル・サカシータ殿」

「長いですね。ただのザコルで結構です」

「はい、ザコル。あ、ザコル殿」

「よろしい」


 フイッ、ザコルはまた正面を向き、数切れ取ってあったコンポートにフォークを刺す。私はそのコンポートに横からだばだばと蜂蜜を追加してやり、多すぎますとザコル本人に叱られた。



 ◇ ◇ ◇



「ふへへえ、優しぃぃ…」

「うるさいです。何度言うんですか」

 べり、腕にくっついたら剥がされた。ちぇ。


 蜂蜜を追加した林檎ジャムを使い、シャーベットを作って皆に手渡した後、すぐに温かい蜂蜜牛乳も作って配った。ザコルに言われるがまま氷菓の準備もしたが、身体を冷やしそうなので量は少なめにしておいた。

 夜も更けてきて外気温は下がる一方だ。息は当然白く、肌を痺れさせるような寒さになってきた。ペータ達はラグの近くに小さな焚き火台のようなものを運んでセッティングしていってくれた。


 キャンプファイヤーの周りではまったりと丸太に腰掛けてワインを飲み語らう者が多い。子連れの者は既にそれぞれの家や寝床へと帰っている。大人の中にも疲れて寝始めてしまう者も多く、そうした者は凍えないようにと屋敷の中に運ばれたり、自宅等に送り届けられた。長老チベトはシャーベットと蜂蜜牛乳に口を付けてからお付きの女性と共に退場していき、前モナ男爵、山犬殿には、カオラと数人の山の民が迎えにやってきて、屋敷の中へと運ばれていった。寝ぼけて俺はまだ飲むぞと叫んでいたが、またカオラに叱られていた。


「おじさまは、山の民のカオラ様をどうやって射止めたんでしょうねえ…」

「山犬殿か。彼が我が領と共闘した戦には、山の民も幾らか人員を出してくれてな。その時に後方支援に入ってくれたカオラ殿を山犬殿が見初められたそうだ。その後はツルギ山に何度も通って口説き落としたらしいぞ」

「まあ、素敵なお話ですわ」

 イーリアが教えてくれ、アメリアがうっとりと首を傾げる。


「黒水晶殿は、こちらのザコル殿に、どのように射止められた、のですか」

 まだぎこちないが、ようやく敬語に慣れてきたサーマルが質問してくる。

「恐らく私の一目惚れなので、射止められたも何もないですねえ。ふふっ」

「やめろ、居た堪れなくなる」

 ザコルは牛乳に落とされた蜂蜜付きのスプーンをくるくるとかき混ぜている。

「ふへえ、可愛い」

「やめろと言っている」

 プイ。顔を背けながらマグに口をつける。


「鬱陶しい事この上ないな…」

「はは…」

 ザッシュが呆れたように言い、ハコネは苦笑している。

「おーい、またいちゃついてんなあ、バカップルめー」

「あ、エビーだ」


 エビーがまだ栓の抜いていないワイン瓶を二本、くるくると器用に回しながら歩いてくる。


「子どもらも、同志村の部下ん達もほとんど自分の寝床に帰っちまいました。同志達はまだりんご箱職人達と飲んだくれてますけど、あの人らには見守りとか必要ないっしょ。マネジ殿もついてますし」

 マネジは酒にはめっぽう強いようで、町民達と飲み比べをしてぶっちぎり優勝したようだ。

「タイタは?」

「そのマネジ殿にずううーっと絡まれてますよ。猟犬様の第二夫人になるんだろってもう百回くらい言われてさっきキレてました」

「あはは、タイタに『悪友』がいるの、意外だよねえ」

「俺もそのポジにいるつもりだったんすけどお」

「エビーもタイタの悪友に間違いないでしょ。私達もそうだといいんだけど」


 少し言い方は良くないかもしれないが、要は対等な立場で遠慮なしにやり合える関係という意味での『悪友』になれたらと思う。もちろん、仕事上、立場上の役割はそれぞれ全うした上でだが。


「へへっ、タイさん、最近はお二人にもあんま遠慮せず意見するようになってきてるじゃないすか…あ、抜けてきた」

 エビーの言う通り、キャンプファイヤーの向こう側からタイタが歩いてくる。心なしかぐったりして見える。


「お疲れ様、タイタ」

「今、カファ殿がドーシャ殿を連れて同志村に戻ると言われたので、数人が手伝ってドーシャ殿を運び出し始めました。この場にいた非戦闘員はカファ殿で最後かと」

「うん。ありがとう。二人とも、せっかくのお祭りに頼み事しちゃってごめんね」

「いえ、俺はどのみち飲めませんので。ご指示をいただけたおかげで充実した時間を過ごせました。ありがとうございます、ミカ殿」


 確かに、見守りという理由でもなければ、タイタが単独で同志村チームに混ざって祭りを楽しむような事はなかっただろう。特に意図した訳ではなかったが、楽しい時間を過ごせたのなら良かった。


「俺も普通に楽しかったすよ。それに俺はこれ、樽に入ってたワインとは別のちょっといいワイン、二本ももらったんで。また落ち着いた頃に飲みましょうや姐さん」

「それはいいね。コマさんが戻ってきたらまたやろっか、飲み会。タイタには美味しいお茶でも淹れてあげるからね」

「あ、ありがとうございます」

「いいすね、そりゃ俺も飲みてえや」

 タイタは律儀に頭を下げ、エビーはニカッと笑って言った。


「おい、私も交ぜろ。ミカやコマ殿の酔い姿が見たい!」

「義母上は自重してください」

「何だとこの愚息!」

 ギャイギャイと親子喧嘩が始まる。イーリアも相当酔っ払っているので沸点が低い。


「あの、お姉様、わたくし…」

「アメリアはもちろん強制参加ですからね?」

「ああよかった、嬉しい!」

 アメリアも今日はワインをほとんど飲んでいない。初めての土地で無防備に酔うのは危ないと判断したんだろう。


「ザッシュお兄様、何関係ないみたいな顔してるんですか。お兄様も一緒に飲みましょうよ」

「おれは弟と一緒で、酒も毒も効かない体質だ」

「あー、そっか。サカシータ一族ですもんねえ…。じゃあ、お兄様にもお茶を。それから林檎の甘味をいっぱい作りますから食べてください。それとも蜂蜜牛乳の方がいいですか」

 ザッシュがコンポートにシャーベット、蜂蜜牛乳を残らず平らげていたのはチェック済みだ。

「何故甘いものばかり…。分かった、分かったから。都合が合えば同席しよう。おれは一旦カリューに戻らねばならんからな。もしその間にコマ殿が帰ってきたら彼の都合に合わせるといい」

「はい。分かりました。今日はこちらに泊まられますよね?」

「ああ…それが何だ」


 何だかよく分からないが警戒されているな…。私が女子を大勢引き連れて部屋に押しかけるとでも思っているんだろうか。


「明日、早朝から放牧場で同志へのファンサービスの一環として、猟犬殿やイーリア様のご指導による鬼厳しい鍛錬イベントがあるんですよ。今朝はできませんでしたが、ここの所毎日のように領民の皆さんも交えて行ってたんです」

 引き気味だったザッシュが目を僅かに見開いて体勢を立て直す。

「そうか、なるほどな、シータイにいた者達の動きが妙に良かったのはそれでか…。あなたの魔力の恩恵を受けた結果ばかりではなさそうだな。引退した世代の者でさえ現役の精鋭並みの動きをしていた。現場にいた者からすれば、あれならば死者もなく圧勝して当然という感覚さえあったぞ」


 そうかそうか、やはり鍛錬の賜物も大きかったか。まあ、あのブートキャンプまだ数日しかやってないけどね!


 ただ皆が強くなっただけなら、本当にヤバい感じの加護とかを与えている可能性は低そうだ。誰も死なないでほしいのは山々だが、もしも『絶対死なない』加護やら魔法効果なんかを与えてしまったとすれば話が変わってきてしまう。


「死者がなかったのは本当に良かったです。それでまあ、明日は二日酔いや疲労で参加できない人が多いかもしれませんが、お兄様の鎚さばきが見たいので明日の鍛錬、参加なさらないかなと」

「それは構わんが…。ミカ殿、先日から何やらずっと鎚にこだわっていないか…?」

「そりゃあ、だって鎚ですよ鎚。どうやって戦うのか気になるじゃないですか」

 あわよくばサカシータ一族同士の手合わせも見たいし。

 また放牧場がボコボコになるかもしれないが。

「こんなものは剣と同じように振り回しているだけだ。時折投げるくらいで」

「投げる! これを! もう大砲じゃないですか!」

 大人女性一人分はあろうかという重さの鎚が飛ぶのか…。


「ふふ…楽しみ過ぎる。ねえ、アメリアも鍛錬を見に来ませんか。途中からでも構いませんから」

「えっ、わたくしも? 流石にお邪魔ではないかしら…」

 ハコネの方をちらりと伺うと、さりげなく頷いてくれた。

 護衛側としては問題ないようだ。

「多分、鍛錬に参加せず見物だけしにくる人もいるでしょうから大丈夫ですよ。武器を使った手合わせの時は離れた方がいいでしょうけど、それ以外の基礎トレーニングは近くで見ても問題ないと思います。女性の方は、戦闘員だけでなく同志村の女子達も参加しますしね。私と一緒に走ったり体操したり手合わせしたりもします」

「まあ。お姉様が戦うお姿は是非拝見したいですわ! きっと格好いいのでしょうね」

 アメリアが可愛らしく両手を合わせ、うっとりと私を見つめる。天使か?

「ふへ、他の方々には及びませんが、なるべくいい所が見せられるように頑張ります!」

 アメリアが応援に来るならお姉さん張り切っちゃうぞおー!!


「ミカ、調子に乗って無茶をし過ぎないように。明日参加するならさっさと寝て備えましょう。お嬢様もお疲れでしょうし」

「確かに。無事に面通しも済んだ事ですしそろそろお片付けを…」


 ザコルが腰を上げかけ、そしてふと自分の背後を見た。

 オレンジ髪の青年がザコルの服の端を掴んでいた。


「ザコル殿…! あ、あの、何となく駄目だと言われそうな気がする…のですが!」

「では何故訊くのですサモン」

「なっ、何故でも訊きます! 私も見に行っては駄目…でしょうか!? 戦っているザコル殿が見たい! のです!」

 おお、先程の林檎をねだった時より真剣な表情だ。

「何故僕を…? まあいい。マージ、判断してやってください」


 お目付役のメリーではなくマージに声をかけたのは、メリーも一応罪人で、勝手に屋敷の外をうろつける立場でないからだろう。


「町長殿、どうか…」

 サモンは、マージの方を縋るような目で見た。

「ふふ、奇遇ですわね。わたくしも丁度、町長夫人たるもの屋敷から離れるなとうるさく言う執事がどこか遠くへ行った所で、忖度の必要がなくなりましたのよ。早速ですが明日の早朝、執務の始まる前に町の周りを散歩したく思いますわ。わたくしの護衛の一人としてついてきてくれるかしら、サモン」


 サモンの顔がみるみる間に輝く。感情表現が豊かな子だ。きっと、この世で一番くらいに王族が向いていない。


「もちろんです、町長殿! この私があなたの騎士となってお護りしてみせよう、みせます!」

「まあ。頼もしいですわね」

 マージは片手を頬に当てて微笑む。まあ、実際に護衛役をするのはサモンでなくマージの方だろうが…。


「わ、我らも…!」

 灰色従者コンビが挙手する。マージは微笑ましいものでも見るように頷いている。小型犬に散歩をせがまれた貴婦人の如しだ。


「いいなあ…」

 ぽつりと呟かれた方を見れば、焚き火台に薪を足しに来たペータとユキだった。私に呟きを聴かれたと気づいたようで、慌てて笑顔を取り繕っている。


「マージお姉様。差し出がましいお願いになるのですが…」

「何かしらミカ。あなたのお願いなら何でも聞くわ」

 即答されてしまった。せめて内容を聞いてからにしてほしい。

「昨夜屋敷を死守してくれた若い子達なのですが、明日は一日、自由時間をあげられませんか。お客様が多いので大変かもしれませんが…あ、もちろん私の世話は要りません。掃除や洗濯、料理の下拵えなんかなら私もお手伝いできますし!」

「そうねえ、ミカは何をさせてもきっとお上手なのでしょうね。少々の決まり事さえ教えたら即戦力に違いないわ」

「ええそうです! とっても働き者ですよ私!!」

「知っておりますわ。では、その若いのの引率をお任せいたしましょう。鍛え直してやって頂戴」


 マージがちらりとペータ達を横目で見る。ペータとユキがピシッと姿勢を正した。


「ちょっ、ちょちょちょ叱ろうとなさらないでくださいお姉様! 私が勝手に言い出した事です!」

 しまった。余計な事を言ったばかりに、ペータ達が私に我が儘を言ったような構図になってしまった。

「まあ。叱るつもりなどなくてよ。ミカの走り込みにはあのタキでさえついていけないと聞いているわ。心して参加なさい。わたくしも見に行きますからね」

『はいっ』

 二人はビシッと敬礼した。


「わああ…ごめんよペータくんにユキ、あと知らない内に巻き込まれた子達…!」

「とんでもありません! 放牧場の鍛錬に参加してみたかったのは本心ですので! むしろミカ様のご迷惑に…」

「迷惑なんて事ないよ! きっと君達の方が強いだろうし!」

「あの、ミカ様が行なってらっしゃるという体操、町でも噂になっていてとっても興味があったのです。参加の許可をいただけるなんて夢のようですわ! きっと他の者達も喜びます!」

「うむむ、そう言ってくれるのなら…。男の子達にはちょっと物足りないかもしれないけど、明日は皆で頑張ろっか。じゃ、早く寝よ寝よ。明日の朝、私の世話は本当に要らないからね。今日のうちに勝手に水汲んで部屋に持ち込んでおくし。朝ご飯も林檎をいくつかもらっておくし。では、夜明け前、各自動きやすい格好で屋敷の前に集合しましょう!」

『かしこまりました!』

 二人は再び敬礼してくれた。



つづく

藪の中「ぶふっ、ザコル・サカシータ上…っ」

町長「まだまだねメリタ」

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