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誰が召喚したか知りませんが、私は魔獣ではありません  作者: もっけのさひわひ


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戦勝の祭り④ 我らが古き戦友のご登場だ!

 壇を降りると、シリルはお辞儀を繰り返す母親に連れて行かれた。長老もヒョヒョと笑って庭の隅へと移動していく。山の民の男衆と女衆の戦いは決着がついた訳ではなさそうだったが、この場で続ける程彼らも周りが見えていない訳ではないようだ。


「まだ最初の挨拶も全部終わってないってのに、どっと疲れが…」

「へへっ、お疲れ様っす姐さん。いい感じに収まって良かったっす…正直ハラハラしましたよお」

「うん、勝手してごめんだよ…。私が魔力の増減に振り回されてる事を知ってる人はいくらかいるからね、信じてもらいやすいかなと」


 パシ、ザコルが私の手を取って壇から遠ざかるように歩き出す。


「ご、ごめんなさい、勝手な事…」

「あなたに任せると言ったのは僕です。壇の近くにいるとまた担ぎ上げられますから」


 壇上にはイーリアにエスコートされたアメリアが登壇してくる。

 宝塚の男役みたいな麗人と、可愛らしい桃色のワンピースに着替えたお姫様。その非常に絵になる光景に、会場からはうっとりとした溜め息が漏れる。


「ミカ! 戻って来い!」

「あ、呼ばれちゃった」

 チッ、ザコルがあからさまな舌打ちをする。近くに居合わせた人が思わずといった様子で吹き出した。



 おさげ姿の私達が壇上で並ぶと、皆が可愛い可愛いと褒め称えてくれた。


 今日の私はシリルが選んでくれた古着の一つ、刺繍が見事な黒いスカートを身につけている。頭には長老チベトが被せてくれた、これまた刺繍が見事な深緑色の頭巾。黒髪黒目も相まって全体的に暗色コーデな私だ。


 隣のアメリアは対照的に、桃色ワンピ、アイボリーの外套、真っ白な肌、煌めく金髪という淡色カラーコーデ。

 これは引き立てるにはもってこいの構図ではないか。某女児向けアニメでもブラックよりホワイトの方が女児の人気は高いのだ。


「ふふんそうでしょうそうでしょう、うちのアメリア超超超可愛いでしょう!! 目に焼き付けて! この国宝級の美少女をぉぉ!!」

「あっちの黒髪美少女は何トンチンカンな事言ってんのかねえ」


 美でも少女でもない、このビスクドールの前で滅多な事を言わないでほしい、と散々訴えたが笑われただけだった。

 ぐぬう、みんな目に変なフィルターかけ過ぎじゃないのか。うちの可愛いアメリアを見ろ!!


「昼間ご挨拶した方にはただのアメリと申し上げましたが、正式に名乗らせていただきますわ。セオドア・テイラー伯爵が長女、アメリア・テイラーにございます。皆様におかれましては、我が家の大切な一員となりましたミカ・ホッター様を今日までお護りくださりました事、家長に代わりまして御礼申し上げます」


 アメリアのいつまでも聴いていたいような素晴らしい口上だ。私もにっこり、壇の隅の方にいるイーリアもにっこり。

「女帝と聖女の締まりのねえ顔よなあ…」

 町民のおじさんの呟きが聴こえてくる。


「アメリア嬢からは、多額の寄付金と共に、ジーク領でかき集めたという支援物資をいただいた! ジーク伯から預かったものもあるという! 彼女とハコネ騎士団長の目的はこの聖女ミカの捜索であったが、途中、同志から水害発生の一報を受け取り、急遽我が領へと駆けつけてくださった! 皆、彼女の崇高なる志に感謝と拍手を!!」


 デロデロ顔を引っ込めたイーリアの言葉に、山の民に送った時と同じくらいの歓声が上がる。


「また、ザコルによれば、テイラー伯には奴からも支援物資を要請しているという。給与の半年分を注ぎ込むよう申し出たらしいが…」

「ふふ、うちの父はそんな申し出はきっと見なかった事にいたしますわ。我が領は今年、稀に見る豊作でございましたから。余った麦をこれ幸いと馬車に詰め込んで送らせる事でございましょう」

「ああ、気遣わせて申し訳ない、アメリア嬢。この気の利かぬ愚息が伯に失礼な事を」

 アメリアは小さく首を振る。


「いいえイーリア様。ご子息のザコル様は貴族としては珍しい程に実直で、そして誠意に溢れたお方でいらっしゃいます。軽々しく他人の財を当てになさるような方でないからこそ、我が家も全幅の信頼を置いているのでございます。今回はその働きに報える絶好の機会。我が家としても存分に誠意を尽くさせていただく事と思いますわ」


 民衆は再び、この賢く優雅な少女に惜しみない拍手を送った。


 私の斜め後ろに控えていたザコルが一歩踏み出し、ぺこ、とお辞儀をする。

「ありがとうございます、アメリアお嬢様」

「こちらこそ、いつも父がお世話になっておりますわ、ザコル。せっかくですから、あなたご自慢の故郷をわたくしに案内してくださいな。もちろんお姉様も一緒よ」

 アメリアが私の腕を取り、はしゃいだようにそうねだった。

「はい。承知いたしました」


 ザコルが胸に手を当て、そんなアメリアに再び一礼した。

 あ、今何か、野次三人衆のスイッチが入った気配がする。


「ザコル様てんめええ…! 高貴な美少女二人も侍らせて領内観光かあ!? ちったあ遠慮しろこの変態が!!」

「僕の主はテイラー伯だぞ。お嬢様の申し出をお断りできる訳ないだろう。大体、侍らせるなどとお嬢様に失礼な」

「お嬢様がお気を遣ってくださってんのが分かんねえのかこんちくしょう!!」

「話を聴け」

「何でてめえばっかりよおー!!」

「おいお前ら、客人の前で礼を欠くな。弟は貶してもいいが後にしろ」

 ザッシュが野次三人衆を宥めに行く。ザッシュの旦那ぁー!! と三人は泣きついた。ザッシュは独身男性の星らしい。

「ふふ、この領では我が領と同じように、貴族と平民の間に高い垣根は存在しませんのね。道理で空気が美味しく感じるはずですわ」

 アメリアはほっこりと柔らかく笑う。そしてスッと息を吸う。


「皆様! よろしいかしら。わたくしこう見えてお転婆なものですから、父の意向を確認せずにこちらに参ってしまいましたの。イーリア子爵夫人様にもご相談させていただきまして、父からの手紙を待つ間、こちらの領で過ごさせていただく事になりました。ですが何分非常時ですので、なるべく皆様のお邪魔にならないようにしたいと考えておりますわ。皆様はどうかわたくしを令嬢などと思わず、ただの『アメリ』と呼んで気さくに接してくださいませね。特別なもてなしは必要ありませんが、この領の見どころや、尊敬するミカお姉様の武勇伝などは喜んで聴きますので、いつでもお話しくださいませ」


 まかせろー! とどこかから声が上がり、会場は和やかな笑いに包まれた。

 私の武勇伝なんてのは聴かなくていいが、高貴なのに気さくで懐の広いこの美少女、明日には話したい人が長蛇の列に違いない。早めに『最後尾』のプラカードを作っておくべきか…。



「皆の者、今宵はもうひと組、客人が来ているぞ!」


 イーリアはそう言うと、ダン、と足を踏み鳴らした。会場の領民は釣られたように揃って、ダン、と足踏みをする。


「さあ出迎えよう! 我らが古き戦友のご登場だ!!」



 ダン、ダン、ダン、ダン

 ダンダンダンダンダンダンダン…



 足踏みの音が徐々に早く、大きくなっていく。領民に合わせ、山の民や同志村メンバーも足踏みを始めた。

 かの人が妻を連れて屋敷の中から姿を現すと、民衆の興奮は最高潮に達した。



「うおおおおお峠の山犬様だあああああ!!」

「夢かこりゃ、またお目にかかれるなんて…!!」

 少し上の世代の男性陣が感極まったように両手を組み合わせる。




「えっ、おじさんおばさん…!?」

「えっ、お姉様、ご面識が?」

「あれ、話してませんでしたっけ、前モナ男爵夫妻ですよ。ウスイ峠の山小屋をお二人で切り盛りなさってるんです。泊まった時はザコルも気づかなくって、お二人の経歴を知ったのは後になってからだったんですが…」

「そうでしたの!? どちらかでご隠居なさっているのは知っておりましたけれど、わたくしもお会いした事はなかったのに……お姉様ったら、本当に引きがお強いのね…」


 アメリアが眉を寄せる。これは『憂い』ではなく、驚きか呆れだ。


 一応、あの夫妻の方はザコルの正体には気づいていたようだし、大体、旅のルートを管理したのはザコルなので、引きが強いのは私でなくザコルであるべきだと思うのだが…。


「よお、お嬢ちゃん! ザコル坊! また会ったなあ!」

「お嬢ちゃん…いや、ミカ、よくぞ無事だったねえ…!」


「ご無沙汰しております、前モナ男爵夫妻」

「おじさま! カオラ様!」


 前モナ男爵夫人、カオラが両手を広げたので、私は壇から飛び降りて彼女の胸に飛び込んだ。ザコルも壇を降りて追ってくる。

 民衆の大半も、私が彼らと面識があるとは思わなかったのだろう、少しだけどよめく。


「様なんて要らないよ、カオラでいいって言っただろ」

「尊敬すべきお姉様は全員様付けです!」

 カオラがあっはっは、と快活に笑う。

「ミカらしいねえ…。あれから体調はどうだい」

「あの時の体調不良は魔法士由来のもので、対処の仕方も判りましたのでもう大丈夫です。ご心配をお掛けしました。それから、手紙を出せていなくてごめんなさい…」

「元気ならいいんだよ。ねえあんた達、うちの領でも大評判だよ。シータイに猟犬と聖女が現れたんだってさ、あの新聞に書いてあった事は本当かい?」

「半分以上は誇張ですよ。私、あんなに可哀想じゃありません。どこでも面白おかしく生きてますから!」

「そうかいそうかい」

 カオラは笑って私を抱き締めてくれた。


「あの後なあ、チッカで散々酒浴びてからのんびり山犬亭に戻った途端に水害の連絡もらってよう…びっくりしたぜ。パズータに助け求めろって、あの頭の固え前シータイ町長に言ってくれたのは嬢ちゃんなんだってな。いやああんたがいて良かったぜ。この未曾有の危機に、世話になってる隣人も助けられねえような薄情モンにならねえで済んだってよ、俺らモナの民も皆して感謝してんだ! 息子の名代として礼を言わせてもらわあ! ありがとな、ミカ・ホッタ殿よ! テイラー伯にも礼を伝えてくれや!」


 前モナ男爵はアメリアに向かって大きく手を振った。そして私にはもう片方の手を差し出す。私がそれを握ると、ブンブンと振った。

「ミカの手が千切れんだろ、もっと優しく扱いな!」

 カオラが前男爵を引っぱたく。この夫妻は相変わらずだ。



「カオラ叔母さん」

「ああ、カオル!」

 近寄ってきたのは、シリルとリラの母親、カオルだ。

「元気そうで良かったよ。子供達も無事だね? カオリは息災かい?」

「はい、お陰様で。母とは夏頃会いましたが、元気にしておりました」


 シリルとリラ、その祖母もやってきて挨拶を始める。カオラはどうやらカオルの母方の叔母らしい。

 ここにいるシリル達の祖母はシリルから見て父方の祖母で、カオラとは血縁関係にないようだ。



「…って、えっ、カオラ様ってもしかして、山の民出身なんです?」

「そうだよ、知らなかったかい?」

「聞いてもいないのに知りませんよ!! そのイヤリングが山の民の工芸品らしいのは見て判ってましたけど…」

「このカオルは姪なのさ。この子の母親、カオリは私の姉でね。この耳飾りは嫁入りの時に姉から餞別にもらったモンさ。あんた目端がよく利くねえ」

「酒の味もよく分かってっしなあ!」

 前モナ男爵、峠の山犬はそう言って豪快に笑った。


「おいお前ら! 戦勝祝いに酒たんまり持ってきてやったからよお! 今日は無礼講だあ!! 飲み明かすぞおおおおお!!」


 うおおおおおおおおおおおおおお!! 酒だ酒だー!!

 男も女もなく飛び上がって喜んでいる。今日イチの盛り上がりだった。


 ◇ ◇ ◇


 火のついた松明が八本運ばれてきて、イーリア、前モナ男爵夫妻、アメリア、ザコルと私、同志代表でマネジ、そしてどこかぐったりとした様子のラーマに一本ずつ手渡される。八人で櫓を囲み、合図と共に櫓に松明を差し入れた。ボロボロになった包帯類は一瞬で燃え上がり、夜空に火の粉を巻き上げる。


 ワイン樽と、町民達が持ち寄ったらしい食器類が運び込まれる。ガラスや陶製、木製と、様々な形の杯がある。それらに樽から柄杓で直接、芳しいモナ産ワインがザブザブと注がれる。


 大人達にはワイン、子供達には牛乳やリンゴジュースなどが行き渡った所で、イーリアが私に目配せをした。


「えっ、私ですか、乾杯の音頭を?」

「ほら、ミカ。皆待っていますよ」

 ザコルにまで促され、仕方なく壇上に上がる。


「じゃあ…皆、戦とその後始末、お疲れ様でした!! さ、幸多からんことを!!」

『幸多からん事を!!』

 皆が一斉に頭上に杯を掲げ、声を揃えた。




「もう、同志村代表は君なんだろドーシャ、何で昨日来たばかりの僕が点火の儀式に…」

「何をおっしゃるエリア統括者殿! 私めがあの錚々たるメンバーに囲まれて正気を保てるとでも!? カファでもあるまいし!!」

「そうだね、カファもそうだけど、君んとこのスタッフは皆本当に優秀だよ…」


 ガシ。ドーシャの肩に勢いよく手が置かれる。


「ファヒョゥッ!?」

「やいてめえベーダんとこの倅だろ!! ドーシャっつったか、親父は元気か!?」

「や、ややや山犬のオジキ…!!」

「てめえイケた口だろ飲みやがれ!!」

「もう既に飲んでおります溢れますゆええええええ!?」


 ドーシャは持参したらしいマグに表面張力ギリギリまでワインを注がれて悲鳴を上げる。


「ドーシャ、君、かの峠の山犬殿とお知り合いだったのかい!?」

 マネジは彼の意外な交友関係に驚いているようだ。

「そういうてめえは…あっ、ミツジの倅じゃねえのか!? そうだろ!!」

「そ、その通りですが、よくお分かりになりましたね!? 子供の頃に数回お見かけしたくらいのはずですが…」

「その金眼、分からいでか! 親父ってか、おっ母にそっくりだな! お前んとこの工房にゃ散々世話になったからなあ、はっはっは飲め飲め!!」


 おず…、赤毛が特徴的な長身の青年が皆の顔を伺うようにその輪に加わる。



「前モナ男爵様、ご挨拶をよろしいでしょうか。あの、俺の事を覚えておいでで…」

「おお!? でけえなおめえ…赤毛に緑眼……はっ!! て、て、てめえもしや、コメリ家の!? まさかゴーハンの倅か!?」

「そ、そうです! ミカ殿がきっと覚えていらっしゃるだろうからご挨拶に行けと…ま、まさか本当に覚えて」

「はああ!? 覚えてんに決まってんだろ! その赤毛に馬鹿でけえ図体、忘れる訳ねえだろが!! …くぅ、ゴーハン…。あいつよう、嘘一つつけねえくせに悪い侯爵様の仲間に入れられちまってよう、気は弱えが根は素直でいい奴だった…お前も辛えな、お父が処刑たぁ…」

「? 父は生きておりますが…」

「はあああ!? 何だと!? 早く言えこのやろう!! 便りもねえから死んだものと思ってたじゃねえか!!」

 バシイン、タイタの背中に平手が直撃する。

「も、申し訳ありません! 取り潰しの後、路頭に迷ったところをテイラー伯に両親共々拾っていただきまして…。俺はテイラー家の騎士、父母はテイラー領内で養蜂の職をいただきました。最近ようやく軌道に乗った所でありまして、父はよく、納得できる蜂蜜酒ができたら卿にお送りするのが目標なのだと語っております。もうしばらく時間がかかるやもしれませんが、父母が作る蜂蜜酒をどうか、…卿?」

「ふご…っ!! てめえいきなりいい話ぶっ込んでくんじゃねえよおお!! 涙脆いんだ俺ぁああ!! 何だよゴーハンの奴、しかもあいつ下戸だろが…!! よりによってこの俺に酒作って送ろうとか泣かせんじゃねえよおおお!! てめえも飲め…何だとてめえも下戸か!? 仕方ねえなあ、親父の血ぃ継いじまったなあ! はっはっはあ!!」


 コメリ家が山小屋を訪れた当時はタイタの父親もまだ子爵だったはずで、どうあっても身分はコメリ子爵の方が上だったと思うのだが、あの山犬殿にとってはどうでもいい事らしい。というか顔が広いな…。彼はそんな調子で若者を捕まえてはどんどん話しかけ、酒を押し付けている。



「ザコルは飲まないんですか」

「僕が飲んだら酒が勿体無いでしょう。水で充分で」

 ガシィ。ザコルの肩に大きな手が乗る。

「ザコルてめえ俺の酒が飲めねえってのか水なんか飲みやがって今日こそ潰してやんぞおおい樽ごと持ってきやがれええ!!」


 ザコルの肩に寄っ掛かり、給仕に走る屋敷の使用人に怒鳴る。完全に酔っ払いである。


「…前モナ男爵様、僕がいくら飲んだとて酔う訳ないでしょうが、皆の飲む酒が減るだけですからおやめくださ」

「おおそうか。じゃあ代わりに嬢ちゃんに飲んでもらおうじゃねえか、一緒に飲む約束したもんなあ嬢ちゃんよお!」

「そうでしたね、じゃあもう一杯」

 ぐい。首根っこを掴まれる。

「ミカにはもうこれ以上飲ませません!!」

「てめえまたそんな心の狭え事言ってんのか! 愛想尽かされても知らねえぞおらあ」

「おやめっつってんでしょうが!!」

 バチコーン、カオラの張り手が飛ぶ。

「いいじゃねえかかあちゃんせっかく嬢ちゃんと飲む機会が巡ってきたってのによお!」

「うるさいねえ、護衛が飲ませないっつってんでしょうが、タチの悪い絡み方すんじゃないよ全く!」

「よおし、だったらなあ、こっちの酒を見やがれえ…」


 カオラの言葉を聞いているのか聞いていないのか、前男爵はどこからともなく何のラベルも貼られていない、無色透明な液体が入った大きな瓶を取り出した。…何だろう、非常に既視感がある。


「これはなあ、さる隠れ里でしか手に入らねえ、まさに入手困難のとっておきの酒だあ…。通称『命の水』っつってなあ、うちの最高級モナドンより高え値がつく事もあんだぞう、どうだ二人とも、味見してみてえだろう!!」


 ひく、隣のザコルが顔を引き攣らせた。


「わあ…。その一升瓶、まさか魔の森とかから出てきたものじゃありませんよねえ…?」

「なっ、何だよ知ってんのかあ!?」

「ええ、まあ。度数規制ガン無視の焼酎甲類ですよね」

 命の水とはウォッカの別名だった気もするが、細かいことはどうでもいいんだろう。

「くっそお、流石だなあ嬢ちゃん! この世界に来て一年も経ってねえのにこのショーチューを知ってるなんざ、酔狂な酒好きの証拠よお!! おい新しいグラス持ってこい!!」

「いえ、以前うっかり一気飲みして死にかけた事があるのでその酒はちょっと」


 入手困難な酒、というワードだけを聞きつけた人々が何だ何だと集まってくる。


「ミ、ミカ様、あのお酒、本当にレア物ですよ…!」

「魔の森の秘境で造られてるっているって噂の…!!」

 魔の森があるジーク領出身のユーカ、カモミ、ルーシが私の袖を引く。大商会会頭セージが売ってくれと前男爵に交渉し始めた。

「そうなの? 実は一本押し付けられて荷物に入ってたんだけどさあ、怪我の消毒に全部使っちゃったよ」

「ええええええええ!?」

「あんなのただ蒸留繰り返した高濃度アルコールでしょ。水と麦にはこだわりあるみたいだったけど、度数高過ぎて風味もへったくれもないし、燃料と何が違うって…あ、そうだ。お湯割りかロックにでもします? お茶で割るのもいいですよねえ、果物でも漬けておけばいい感じのリキュールに…」


 何故あれにプレミアがついているのかちっとも解らないが、度が強過ぎるホワイトリカーだとでも思えばいいな。梅酒なら昔、近所の人と一緒に作った事がある。


「ミカ様、お酒に詳しいですね!? 山犬のおじさまが言うように、意外に呑兵衛なんですか!?」

「常識の範囲内です」

「絶対嘘だあ!」

 ピッタはもうかなり飲んでいるのか、あははと笑って私に寄っかかってくる。

「ふふ、可愛い酔っ払いだねえ、ようし、魔法使いのお姉さんがワインをホットワインにしたりアイスワインにしたりしてあげようか!」

「ええっ、そんな事できるんですか!? そりゃそうか! 凄いですミカ様! 酒飲みの味方ぁ!」

「ホットワインになさるなら、薬草や林檎を入れても美味しいですよ!」

「いいねえティス、早速林檎入れてサングリア風にして飲も! 行こ行こー!!」

「あっ、ミカ! ダメだと言ったでしょうが!!」

「三杯くらいは許してぇー!」

「さ、三杯…? 本当に、本当に三杯でやめてくださいよ!? というかもう酔っていませんか!? あっ、待て!! くそっ、待てと言ったら!!」



 人混みをスルスルと通り抜け、ワイン樽や軽食、林檎が山積みにされたコーナーに辿り着く。


「よ、そこのお姉さん見てってくださいよお、林檎の飾り切りぃー」

「何これすっご!! 何、何なの!? パン屋の息子ってこんな事もできるの!?」


 エビーの目の前には、スライスした林檎を巧みに重ね合わせて作った水鳥や、薔薇、背に市松模様などの幾何学模様が彫られたカット林檎など、様々な林檎アートが並べられていた。


「そうすよお、太客様向けのアップルパイにゃ特別に、皮に模様入れて乗っけたり、でっけえ薔薇みたいに細工したり、飽きられないよう毎年色んな工夫するんすよお。…って、姉貴、味方撒いちゃあダメっしょ。どこぞの猟犬殿じゃあるまいし」

「ふへへ、みんながこうも酔っ払ってると、最終兵器様でも身動きならなくなるもんだねえ」


 酒が入って注意散漫になった人々を片端から吹っ飛ばすわけにもいかず、何とかかき分けてザコルがこちらにやってくる。


「…ミカ! …っ、この…!!」

 ガッ、と強めに手を取られる。

「何ですか、すれ違う人みんな、知ってる人ばっかりじゃないですか」

 これでも、あまり話した事のない人の近くは通らなかったつもりだ。

「そういう問題ではありません!! また昨日みたいな事が起きたら…!」

「そうすよ姐さん、あんま兄貴を虐めないでやってくださいよお。次やったら退場すからね」

「きゃー、もうやらないから許してえー」

 ザコルが私の手を取ったまま脱力したようにしゃがみ込む。

「…はあ、全くミカは、人混みをすり抜ける術にかけては玄人同然ですね…。前も深緑湖の街道で同じような事が…」


 まさかこんなことで玄人呼ばわりされる日が来るとは。だが、日本の大都会ともなれば、金曜や土曜夜の有名繁華街を擁した駅の人混みなどこの比じゃない。

 通勤時はまだ同じ人混みでも皆目的がはっきりしているので避けやすいが、仕事終わりで酒の入った集団などは特に行動が読みづらくなるので、避ける方は自ずと反射神経が鍛えられるのだ。

 無論、私はそんな酒飲みリア充集団に入った事はなく回避専門だ。毎週末、乗り継ぎ駅で回避能力を存分に発揮しながら客先から会社に戻り、そのまま徹夜コースなんてのが常だった。

 …今更だが、我ながらロクでもない週末の過ごし方ばかりしていたと思う。


「まあ、日本人は皆忍者ですから…っていうのは冗談ですけど、何かそういう社会実験あった気がするなあ。道で人とぶつかった時にどんな反応するかで国民性を見る、みたいな趣旨だったらしいんですけどね。日本人はこっちから肩とか当てに行っても、皆すっごい回避スキル発揮して全然ぶつかれなかったらしいんですよ。他国の人に『日本人は全員ニンジャ』って結論付けられて…ふふっ」


「…なあ、ニホン人って奴は、本当にミカさんやあのギャルみたいなのばっかなんすか…?」

「あの子と私は根本的に育ちが違うけど…。まあ、これくらいの人混みならみんな普通にぶつからず歩けるんじゃないかな。都会暮らしなら特に」

「へえ、みんな普通に」


 人混みの中から、ピッタとティスがほうほうのていで出てくる。

「ぷはあ、お、お二人とも早い、特にミカ様! 人間じゃない動きをし過ぎですよ…!」

 オウ、ジャパニーズは全員ニンジャだし人間じゃない動きをしている説が出てきた。

「本当ですよ、どうしてこの中をそんなに早く歩けるんです…か…な、何これ!? 林檎ですかこれ!?」

「わっ、本当だ凄っ!! エビー様がこれを!? もしや騎士になる前は宮廷料理人か何かだったんですか!?」

 二人は息を切らしながらも細工された林檎に目を丸くする。せわしない。

「はっはっはー、まさか。しがないパン屋の息子でございますよお」

 エビーはおどけて舞台俳優みたいなお辞儀をしてみせる。女の子達を驚かせられて満足そうだ。


 薔薇の花弁風に彫刻された一つを手にとる。可愛らしい。エビーはそんな飾り切りの林檎を皿やバットに並べ、いかにも喜びそうな子供や女性に配っている。彼に怪我の手当をされた事のある人もちらほらとやってきて、笑って林檎をつまんでいく。


「お、シリル坊にリラちゃんだ。お一つどーぞ」

「あ、エビーさん。わ、すげえ、これ全部林檎なの!?」

「かわいいー! ありがとエビー!!」

 幼い子供達の間では完全に呼び捨てられているからか、リラもエビーと親しげに呼んでいる。

「へへっ、味は一緒だけどな。二人とも、本当によく頑張ったなあ…。明日からも、家に着くまでは気い抜かねえようにな。一緒に遊んでくれてありがとよ」

「エビー、またいっしょにどんぐりなげしてね!」

「俺も! 冬の間、たくさん練習するから!」

「そーだな、俺もお前らに抜かれねえよう頑張って練習しとくからよ、絶対また会おうな!」

 エビーは林檎の乗った食器を机に置くと、シリルとリラの前にしゃがみ、二人の頭をワシワシと撫でた。


「ぶべえ…! 反則ですぅ…! チャラ男のくせにぃ…!!」

「チャラ男のくせにって何だよ、ピッタちゃんは…」

 酔って色々なタガが外れているらしいピッタも子供二人の前に膝をつき、順番に抱き締め始めた。

「シリルくん、リラちゃん、私達の事も忘れないでくださいよ! 私達はきっとまた、チッカの市場でも会えると思いますから!! 乳製品のアーユル商会! 覚えといてくださいよねえええ…!!」

 シリルはお姉さんに抱きつかれてちょっと気恥ずかしそうにしていたが、リラは逆にピッタを撫で始めた。

「なかないでピッタ、だいじょうぶだよ、またあえるからね。よしよし」

「ぶべええ幼女が優しいいいい」

 …何だろう、号泣している時の自分を見ているような…。

「ミカそっくりですね。一緒にいると似るものでしょうか」

 ザコルもそう思ったようだ。何も言えない。

「ふふ、もう、ピッタさんたら…。シリルくん、リラちゃん。うちのピラ商会も定期的に市場に出店しますから、店を出した時は必ず山の民の屋台とアーユル商会の屋台を探しますね! 一緒にお食事でもしましょう!」

「うん! ティス、きのうは、かわいいえをかいてくれてありがとう! ミカがかいてくれたおてがみといっしょに、たからものにするからね!」

「ふぐっ、リラちゃんほんといい子…!!」

 冷静そうに見えたティスも結局泣き出し、ピッタと揃ってリラの慰めを受ける事になった。



 林檎の果汁とコンポートを入れたホットワインを作って配ったら、酒慣れしていない女性達にウケて大いに賑わった。

 甘い物好きらしい男性もこっそり取っていく。恥ずかしがる事ないのにな。皆、私の背後でコンポートをボウルごと抱えて食べている最終兵器が目に入らないんだろうか。

 ちなみに、ワインをシャリシャリに凍らせたのも皆にウケはしたが、気温が低いせいかあまり売れなかった。


「ミカ、入浴しようとしている者がいるようですので、湯を取り換えてやった方がいいかもしれません」

 ボウルを持った人が、フォークの先でテントを指し示す。ご令息のくせに行儀が悪い。

「あ、本当だ。行列が復活してますね。あまり酔っ払ったまま湯船に入らないように釘も刺さなきゃ」

「酔ったまま入るとどうなるんです」

「そうですねえ、フラフラして転んだり溺れたりするのも危ないですし、急に体温が上昇すると血流が上がって酩酊しやすくなります。要は酒の回りが早くなると言いますか…。内臓や脳にも負担がかかって、二日酔いになりやすくなったり、最悪倒れたり…」


 入浴テントに並ぶ人に同じ説明をすると、既に酩酊状態で入ろうとしていた人を脱衣所に呼び戻しに行ってくれて、間一髪間に合った。通りすがった従僕のペータが気を利かせ、注意事項を書いた貼り紙を用意してくれた。


 湯の張り替えのためにテントの天幕を上げるとギャラリーが集まり始め、やんややんやと盛り上がる。

 ザコルが大樽を持ち上げるたびに大歓声、私が魔法をかけるたびに大歓声。貼り紙があろうとなかろうと酔った勢いで入浴する人もいそうなので、あまり湯は熱くしないでおいた。


「ザコル殿、ホッター殿」

 天幕を戻していると呼び掛けられた。

「ハコネ兄さん」

「あっちで、例の要人を主要な客人に面通しするようだ。アメリアお嬢様が同席して欲しいと」

 例の要人、つまりあのトンチキを皆に紹介すると…。

「ええー…やめときましょうよー。おじさ…前モナ男爵様なんてもうかなり酔っ払ってましたし、山の民も同席するんですよね? あのトンチキ、絶対余計な事しか言いませんて」

「だからだろう。子爵夫人は問題ないとおっしゃったが、お嬢様は貴殿らに失言を止めさせたいのだ」


 アメリアが止めたいのは、他の客人のためではなく恐らくその要人のためなのだろう。もしその要人が決定的な侮辱の言葉でも吐けば、タダじゃ置かれないのはきっと要人の方だ。


「…もう、アメリアったら何だかんだであのトンチキに優しいんだから」

「ミカも人の事が言えますか。我が領でトンチキを無理矢理拘束しているわけではないと対外的に示すためにも、面通しは必要なのでしょう」

「なるほど。しょうがない、心優しいアメリアのために行きましょうか」


 全く気は進まないが、お世話になった方々に失礼な事を言いそうなトンチキを放置する訳にもいくまい。


「ミカ、場の空気をよくするために先程の煮林檎を持参しましょう。そうだ、氷菓も作ってはどうですか」

「はいはい、ザコルが食べたいんですね。特別に蜂蜜も出してもらいましょうか、坊ちゃん」


 むう、と坊ちゃん呼ばわりされてムスくれる二十六歳児を連れ、先程の林檎コーナーに戻る、エビーに頼んで手早くカット林檎を作ってもらい、コンポートとジャムをそれぞれ一瞬で用意した。ヒョイ、脇からコンポートが一切れつままれる。


「あっ、お客様に持ってくんですよコレは。つまみ食いしないでくださいよっていうか、さっき山程食べたでしょ!?」

「一切れくらいいいじゃないですか」

 もぐもぐ、ごっくん、プイッ。


「もう、仕方ありませんねえ…。エビー、もう少し切ってやって」

「おい、甘やかすなよ姐さん。たまには心を鬼にしろ。それ持ってお客人とこ行くんだろが」

 エビーは呆れつつも一応林檎をカットしてくれる。私はそれをコンポートにして皿に乗せ、ザコルに差し出す。

「ありがとエビー。まあ、どなたも私達をよくご存知な方ばっかりだから大丈夫だよ。さあ、可愛いうちの子のために蜂蜜も用意してもらわなくっちゃ」

 ふふ。あの幸せそうな顔を思い浮かべるだけで思わず笑みが溢れる。

「さては姐さんも浮かれてんな…? 今までホントのホントに本気にしてなかったんだな…あの件…」

「私は浮かれてなどおりません。…でも、そうだね…。可愛いこの子を思えばこそ、こんなズボラで慎みのない年増とはお遊びで充分かと」

 バッ、コンポートが入ったボウルを奪い取られる。

「そんな事を言うと、こっちも食べ尽くします!」

「こらこら、返しなさいったら。ハコネ兄さん、どこでやるんですか、その面通しとやらは」


 高く持ち上げられたボウルに手を伸ばしながらハコネを振り返ると、彼は非常に微妙な面持ちをしながら立っていた。この表情の意味は何となく判る。多分『うんざり』だ。


「俺はさっきから何を見せられているのだ…。エビーの言う通り、少々甘やかし過ぎではないか? また随分と飼い慣らされて…」

「僕は飼い慣らされたりなどしていません」

「その煮林檎を置いてから言え」


 ドスドス、重い鎚を持った大男が駆けてくる。

「…ザコル、お前は何をしている。もう始まっているぞ、かの要人は既に五回は失言して義母にシメられている所だ」

「あ、やば、トンチキが殺されちゃう。行きましょう。じゃあエビー、後でね」

 ひらひらと手を振るエビーを後に、迎えにきたザッシュについて早足で歩き出す。



「護衛騎士達はいいのか、連れてこなくて」

 ザッシュが人混みをかき分けながら質問してくる。


「彼らには、同志村メンバーの身辺をさりげなく見守ってくれるよう頼んであります。以前は同志村の女子がピンポイントで狙われた事もありますし」

「そんな事をさせていたのかホッター殿。ただ祭を楽しませているだけかと思っていたぞ」


 ハコネも驚いたように言った。ここにいる人々を信用していないわけではないし、恐らくマージも同じように警邏の人間を紛れさせている事だろうが、念には念を入れておくべきだ。

 せっかくの祭だが、下戸のタイタはもちろん、エビーも酒には手をつけていないはず。私も最初の一杯を軽く一口飲むだけに留めている。本当に三杯飲んだりはしていない。


「ピッタとティスの後をつけてきた者はさっき僕が捕まえました、が、単純な恋慕だったようなので注意に留めました」

「ピュッアピュアな恋慕ならまだいいですけど、お酒が入ると『そういう危険』も出てきちゃいますよねえ…。あの子達はあくまでも非戦闘員ですから」


 あの同志村のスタッフは皆、本当にいい子達だ。世話をされていればその気になる人も出てきておかしくない。

 そういう意味で女子達が危ないのは言わずもがなだが、男性スタッフだって危ないかもしれない。正直、あの男性スタッフ達は、サカシータ領民や山の民の女性達と比べても戦闘力が低い。逆ナンされて押し倒されるくらいならまだいいが、もし拐って人質にでもするとしたら彼らは狙い目だ。


「…いや、男女逆でもでも力づくで押し倒されるのはよくないか」

「何だ、男が女に襲われる心配までしているのか? 無用だろう」

 ザッシュが振り返り、私の呟きに突っ込む。

「まあ、ザッシュお兄様からすればほとんどの女性は弱者でしょうけれど、この領の女性からすれば領外の一般男性なんてほとんど弱者じゃないですか。失礼になるのであまり言いたくありませんが」

「んん…なるほど、そう言われれば確かに…。だが女性から迫られるくらい…」

「女性から迫られたら真っ先に逃げ出すお方が何をおっしゃっているのやら」

「うぐ、痛い所を突くんじゃない!」

 照れ隠しに鎚を振るのは危険なのでおやめいただきたい。


「ミカの言う通りですよ兄様。僕ら双子が幼少期からどれだけ男女問わず襲われ、嫌な思いをしてきたと思っているんです。カファ達はもちろん、力は強くとも女性に免疫がなく気弱なリュウなどが襲われたら一方的な陵辱になりかねません。ペータやシリルなどまだ年若い者に関しても気を配ってやるべきかと」


 ああ、なるほど。道理で少年や押しに弱そうな男性達に優しい訳だ。自分がかつてそういう危険に晒された事があるから、立場を重ねて見ていたのか。


「確かにそうだが、お前達はまた特殊だぞ。兄弟内、いや領内でもあそこまで狙われるようなのは…」

「おいザコル殿、貴殿が、男女問わず襲われていた…とは…?」


 ハコネはザコルが魔性の美少年だった事は知らなかったのだろう。完全に話についていけていない。ザコルはそんなハコネを気遣う事もなく話を続けた。


「皆自分の魅力を解っていないんですよ。全く、皆、僕のように不恰好になるくらい鍛えて作業着でも着ていればいいんです。髪を適度に伸ばして背も丸めていれば完璧ですね。少なくとも見た目で付き纏われる可能性は減ります」


 ……………………

 ……………………

 ……………………。


 ザッシュも、ハコネも、私も黙り込み、ただ一緒に歩く最終兵器を見つめた。


「鍛え過ぎて体重が増え過ぎたのと、膂力が想像以上に強くなり過ぎたのは誤算でした。一時は投擲や隠密などの繊細な動きがしにくくなってしまって。あの頃は斥候というより重戦士のような仕事が多かったのは助かりましたが……しかし! 夜這いと街中の付き纏いは目に見えて激減しましたから! 鍛錬のやり直しくらいどうという事はありません! やはり筋肉は全てを解決します!」


 何ていい顔で筋肉至上主義を叫ぶんだろうか…。しかも鍛え始めたきっかけが美少年らしいスタイルを崩したかったからとか、予想外にも程がある。


「…………うん、そっかそっか、良かったですねえ。そんなザコルが、どうして旅に出る前に髪を切ったり服装を変えたりしたんですか? 私は別にあのままでも良かったのに」

「それは、奥様とオリヴァー様の圧が……いえ、僕があの格好のままだと、ミカまでおかしく見られるからと、ハコネが」


 ちら、ザコルはハコネを横目で見上げる。ハコネはまだ発するべき言葉を探しあぐねているようだ。


「そっかあ、私のために我慢して髪まで切ってくれたんですね。ハコネ兄さん、彼ね、昔王都の床屋で嫌な思いをして以来、頭を触られるのが苦手なんですって。髪を整えるの大変だったでしょう。ありがとうございます」

「い、いや…」


 ハコネが歯切れ悪く返事をする。きっと、私が思うより何倍も大変だった事だろう。


「ねえ、ザコルが安心できるなら、以前の作業着姿に戻しても私は一向に構いませんよ。今は道中でもなく、あなたの故郷なんですし。一番反対されそうなイーリア様には私から話してあげます」


 ザコルはゆるく首を横に振った。


「いえ。あの作業着は同志達が妙に執着しているのでちょっと…。ミカもあの作業着姿に一目惚れしただとか訳の解らない事を言いますし。そうですよ、僕が、せっかく…せっかく人の気を逸らそうとあの格好を選んでいたというのに!! 結局、あれすらも妙な目で見られていたのならもう、あのダボついた格好をするメリットが…!!」


 ザコル本人が『ダボついた格好』って言っちゃってるの草超えて森超えてアマゾンだな。

 しかし気の毒に。彼の中ではとっておきの虫除けコーデだったろうに、それが通じない相手がわんさか現れたのはショックだった事だろう。そうか、それでアレを褒めようとする度に嫌がるのか。


「…まあ、だったらこちらの団服の方が遥かに動きやすくてマシです。もうダボついた格好には戻れません」

 と思ったら、本音はこちらのようだ。切り替え早。


「それに今なら、どんな格好をした所でミカの側にいさえすれば僕の存在は完全に霞む上、何なら不審者扱いです。素晴らしい。どうせ年齢的に見境なく変態に襲われるような事ももうないでしょうし、ミカがどちらでもいいと言うなら僕は今の格好で一生過ごします」


 そうか、不審者扱いされるのを実は喜んでいたのか…。元美少年心は複雑だ。


「うんうん、その服が一生着れるかどうかはともかく、私はザコルがどんな格好をしてもきっと喜びますから。今ももちろん素敵ですが、オリヴァーが作る新作も気が向いたら着てあげてくださいね。変な輩にモテそうになったら私がその都度虫除けもしてあげます。安心して目の前にある服を着てください」


「…ミカがそう言うなら」


 ほわ。

 ザコルがほのかに笑い、私も微笑み返す。柔らかい、春の風が吹いたような気がした。




『いやいやいやいやいやいやいや』

 実兄と、世話好きな騎士団長が猛烈に首を振って突っ込んできたのは数十秒後の事だった。



つづく

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