戦勝の祭り① 思いの外きちんと聖女をしているではないか!
アメリアの部屋に寄ると、私も見覚えのある彼女付きの侍女やメイドが全部で四人、荷解きをしていた。メイドの一人は確かハイナという名前だった。これからお嬢様のお着替えだと言うので、私達はこの四人で庭に出る旨を伝えて退出する。
ハコネの姿はなく、代わりにこれまた見覚えのある護衛隊のうちの二人、確かカッツォとコタといった、が扉の外で警備をしており、私やザコルに対してはにこやかに、エビーやタイタとは軽い調子で挨拶した。
「姐さん、あいつらは多分信用できますよ。俺と同じ『長い付き合い』の奴らなんで」
「そっか。覚えておくよ。鰹と蛸ね」
「いや、カッツォとコタですって。後、ラーゲってのも信用できると思います」
「ふむ、鰹と蛸とクラゲね」
「カッツォとコタとラーゲだって言ってんでしょーが」
一階に降りると、いい匂いがしてきた。厨房が復活したらしい。
廊下や階段も昼頃までは血や脂のにおいが残っていたが、汚れた絨毯やカーテンは全て剥ぎ取られ、徹底的に掃除がされたおかげで、嫌なにおいはほとんどしなくなっていた。
「明日は林檎ジャムでも作ろうかねえ…。護衛隊の子達は今日、みんな野営なのかな」
「どうすかね、もし間者がいるとしたら、カニさんが捕まったの見て焦ってるはずすよ。今夜あたり逃亡企てる可能性もありますから。どうやって見張るつもりなんだか」
「とりあえず全員牢に入れておけばいいのでは。寒空の下で野宿するよりは快適でしょう」
「そりゃそうすけどお、あんまりすよお」
ザコルの冗談ともつかぬ冗談にエビーが乗る。本当に仲良くなったものだなとしみじみしてしまう。
「…何か、庭の方は賑やかですね。まるで祭りでもしているようだ」
タイタが窓の外を見て呟くように言った。
「本当だね、あのシルエット、ローブを着た山の民達かな。そういえば午後から来るって言ってたんだった」
彼らの一部、女性や子供達は明日の明朝にツルギ山へと帰る予定だったはずだ。昨日の戦で予定を狂わせていなければだが。
「タイタ、手習い用のお手本書いてくれる約束でしょ。良かったら明日書いてる所見せてよ。私って、きっと文字の書き順とかも滅茶苦茶だと思うからさ…」
「申し訳ありません。手習い用の手本であれば、今朝既にご用意させていただきまして…」
「はっや。仕事はやっ。何なの君達。いつ寝てるの」
私達が二人して寝坊している間に、一人は私の公開処刑の原稿を書き、一人は手習い用のお手本を用意していた。この二人だって夜通し戦の後始末に協力していたというのに。これが訓練された騎士団員の底力なのか…。
「いえ、ただ早く起きてしまっただけなのです。一日四時間の睡眠をというご命令を遂行できず、大変申し訳ありません。…昨日は、本当に反省することばかりで、これまでのようにお仕えしていいものかどうかと思い悩んでおりまして」
「えっ」
「今日も、あなた様におつらい思いを…。俺は、正直、あなた様の護衛として相応しいのかと」
タイタは昨日、何度も心神喪失した事を気にしていた。その上今日もまたさせられたし、カニタの暴言は聴いてしまうし、私もそれを気にしていないと言ったくせに、皆の前で悩みをぶちまけて取り乱してしまった。
しかも、タイミングの悪い事に私が『他にも護衛隊はいる』発言をした事で、悩みに追い打ちをかけてしまったかもしれない。
…そうだ、私のせいだ。
私はザコルの腕からするりと手を下ろした。
「タイタ。昨日は別に、誰から見ても君が反省するようなことはなかったよ」
「ですが、何度も心神喪失をして、護衛に穴を空けて」
「それはまあ、半分事故みたいなものだからね、気にしたら負けくらいに思っておこうよ。それに、今日の件は私が自分から首突っ込みに行ったんだから。君が大事すぎてさ」
「しかし…っ」
「…それくらい、私には君が必要なんだよ。頼りにしてるってのは、嘘でもお世辞でもないの。こんな変な女の護衛で苦労ばかりさせて申し訳ないけどさ…。どうか、これからも力になってほしい。よろしくお願いします」
「あ…っ、あなた様がどうして頭をお下げになるんですか!? おやめください!」
四十五度のお辞儀に、タイタがあわあわとする。
「タイタが元気になるまでやめません」
「…っ、申し訳ありません、よ、弱気な事を申しました。も、もう迷いませんので! ですから早くお顔をお上げください!」
顔を上げ、ニッと笑って見せる。反対にタイタの眉間にはムッと一瞬だけ皺が寄った。
「か、揶揄うのは」
「揶揄ってないよ。ねえタイタ。こうやってお互い繕わずに付き合える関係になるまでに何日要したと思ってんの。今更誰かと交代なんかされたら、私の心労が倍になるだけなんだからね! 責任持って最後まで付き合って頂戴!」
ふんっ、とザコルが編んでくれたおさげの先を手で払ってみせる。
そんなわざとらしいツンデレムーヴの私をしばらく見つめたタイタは、ふ、と笑みを溢した。
「御意に」
彼は恭しく一礼した。
「ホッター殿」
「あら、ハコネ兄さん」
庭へ続く扉の手前に、ハコネが一人で立っていた。
「うちの団員を随分と可愛がってくれているようじゃないか」
「そうですねえ、お世話になりっぱなしですから。この二人には」
一礼するタイタにはニコニコ顔が戻った。エビーもへへっと笑って頭を掻く。
「で、ザコル殿は無事か? 意識は戻ったようだな」
「何の話ですか。僕は初めから心神喪失などしていませんが?」
「そうだな。貴殿、演技は下手だが、黙っているのは得意だったな」
ニッ、ハコネが口角を上げてみせる。
「さっすがハコネ兄さん! ザコルの事分かってるう!」
「ヒューッ、流石は俺らの団長だぜえ!」
さっすハコ、さっすハコ、エビーと一緒になって流石ハコネコールで盛り上がる。
「はあ、本当に随分と打ち解けたというか、結託してよりタチが悪くなったというか…」
「ハコネ兄さんにまでタチ悪いって言われた…!?」
ぶ、ザコルが口を押さえて顔を背ける。エビーは言わずもがな、タイタも手を口元にやって震え始めた。
「タイタまで…!? ちょっと、笑わないでよ!!」
ぷりぷりする私にハコネまで笑い始める。くそう、皆して私を笑い物にしよってからに!
「ふ、ハ、ハコネ、少し、話が…ふ、はは、そこのタチの悪いミカの件で…っ、ふはっ」
「はははザコル殿…っ、笑い過ぎではないか…!? 正直貴殿が笑っている所など初めて見たのだが!?」
ザコルが笑い過ぎて話ができなくなってしまった。頼りにならない。
「もーっ、何なんですか、もう自分で話しますからね!? ちょっとハコネ兄さんも真面目に聴いてくださいよ!」
「ああ分かった分かった。ほら、聴いているぞ」
ハコネが目尻の涙を拭いつつ、私の方に頷いてみせる。
ああこれ、不機嫌な子供を宥める時の親の顔だな…。
「また子供扱いしてますね…。まあいいんですけど。私、実は男性恐怖症なんですよ」
「そうかそうか、男性恐怖症か。分かった分か…………は、今何と言った? 貴殿が? 男性恐怖症!?」
ハコネが親目線を引っ込めて真顔になる。声を落としてほしいので、どうどう、と宥める。幸い、外が騒がしいせいで誰かに聴かれた様子はなかった。
そこから私は、自分の主な症状について説明した。慣れていない男性に急に触られるなどすると硬直してしまう事、殺意や悪意のある人間ならば反撃できる事。ザコルは何故か初対面から平気で、そんな男性には元の世界を含めても初めて会ったという事、エビーやタイタとは、共に何度も修羅場を潜り抜けたおかげで拒否反応が薄れ、ある程度は身を預けられるようになったという事。
ザコルはもちろんだが、このエビタイの二人も私にとっては稀有な存在だ。日本にだって、ここまで素で話せるような親しい男友達や異性の同僚などはいなかった。
「団長、ミカさんがこの事を俺らに打ち明けてくれたのはつい一昨日の事なんすよ」
エビーが補足する。
「そこの阿呆兄貴が巨大鎚で軽率に地面割った時、ザッシュ殿が飛んでくる石からミカさんを咄嗟に庇ったらこの人、ザッシュ殿相手に腰抜かしちまいまして…。そのうちザッシュ殿にも慣れるって本人は言ってんすけど、今んとこ、ミカさんが絶対に慣れてる男性ってのがこの三人しかいねえんす。それで…」
「ああ、お前達以外の男の護衛は側には置きたくない、そういう事だな…」
もちろん他の護衛隊メンバーに護衛してもらった事は何度もある。だが、今までは邸の敷地内、テイラー領内での護衛に過ぎず、本当に曲者が現れて戦闘になったりする事などはなかった。
だが今の状況は全く違う。護衛と同じ部屋で休む事もあれば、物理的な危険から庇われたりもするし、密着して身を潜める事だってある。怪我や不調によって運んでもらう事態だってあり得るのだ。
「あまり敵方に私の弱点を晒したくないですし、秘密保持という観点からも常に側に置く人数は無闇に増やしたくないんです。警備の条件を複雑にしたくもないので、女性の従者も要りません。私に関しては、できれば今まで通りこの三人に護衛をお願いしたいんです。触られて硬直する症状に関しては男性に限りますが、正直、女性ならば信用できるかというとそうでもないんですよね。実際、私を拐ったのも女の子でしたし…」
そして彼女は私を狂信するようになった。何故だ。
「そういう訳で、期間は未定となりますが、今後もこの二人をお借りできませんか」
ハコネはすんなりと首を縦に振ってくれた。
「それはもちろん構わない。この件、アメリアお嬢様にはまだ話していないな?」
「ええ。こっちの世界でこの件を知ってるのは、この三人とザッシュお兄様、それからハコネ兄さんだけって事になります」
本当はコマにも明かしてあるが、話がややこしくなるので黙っておく。
「分かった。貴殿を軽んじようという訳ではないが、お嬢様に明かせば少々、いや過度に心配なさるかもしれんしな。それはホッター殿にとっても不本意なんだろう」
「そうですね。アメリアには、ただの変態お姉さんだと思われていたいです」
むう、ハコネが眉を寄せる。
「変態お姉さんか…。ううむ、貴殿、元から人を喰ったような性格をしていたような気もするが、より顕著になったな…。まあいい、俺がいいようにしておいてやる」
「流石ハコネ兄さん! 話が早ぁい!」
「団長さっすがーっ! 良かったすね姐さん!」
さっすハコ、さっすハコ!
「酔っ払ってでもいるのか…? おい、お前達、いいか。しっかりホッター殿を支えろ。代わりはいないと思え」
ハコネは先程自信なさげにしていたタイタの方を向いて言った。
「はっ。心してお仕えさせていただきます!」
「もちろん俺もっす!」
タイタとエビーはそれぞれ敬礼をしてみせた。
「おいザコル殿……は、誰と話している」
ザコルはいつの間にやら、庭の入り口で誰かと立ち話をし始めていた。
「あ、山の民の商隊リーダー、ラーマさんですね。彼らはチッカへで行商した帰り、途中の川で増水に巻き込まれたんですよ。男の子とその父親が二人、濁流に流されそうになりまして、通りかかったザコルが助けたんです。商隊はそのままシータイに引き返して、今日まで彼らもカリューの避難民救助、支援に尽力してくれました。明日は一部女性と子供、ご老人方が山にお帰りになる予定なんです。ツルギ山を守る一族である彼らと、サカシータ子爵を含む近隣の山派貴族? は、彼らと関係が深いそうで……あ、その辺りは流石に知ってますよね。すみません」
「いや、分かり易かった。ザコル殿が助けた、と言ったが、貴殿も彼らの同胞を助けたのではないのか? 先程から彼らが庭で…」
山の民が正装で集まると、聖女ミカだのそれを護る番犬ザコルだのと仰々しい口上が始まる。ハコネも私達の関係者だ。既に捕まって聴かされたのかもしれない。
「私は大した事してませんよ。ザコルが濁流川を渡るのに、魔法を使って補助したってだけで…。みんな大袈裟なんですよねえ」
「貴殿、数年もすれば、ここら一帯に降り立った聖人か何かのように祀り上げられているんじゃないか」
「ひいいいやめてくださいよおおお!」
「はは、それだけ貴殿がこの地で力を尽くしたという事だ」
ハコネは私の頭にその大きな手を伸ばし……ピタッと止めた。
「なるほど、これか」
彼は自分の手をグーパーしながら見つめた。
「すまない、先程は無遠慮に…。というか、突然この世界に来てすぐ騎士達に拘束され、しかも世話係はこの俺、四六時中男に監視されてさぞ怖かったことだろう。一週間も黙りこくっていたのはそれでだったのか」
ハコネは申し訳なさそうに手を後ろに引っ込め、私を気遣わしげに見下ろした。
「あ、いえ。大勢の男性に拘束されたのは流石に身が竦みましたけど、ハコネ兄さんは紳士というか、距離を詰めてくる事はなかったですし、看守の子達も常に離れたところにいてくれましたから。あの一週間は非常に気楽に過ごしてましたよ。それは嘘じゃありません。で、どうして黙っていたかと言えば、実は、私の世界で丁度疫病が流行っていたんですよ。経路は主に飛沫感染なので、私が喋らなければ病原が飛ぶ事もありません。一週間もすれば、私がもし無症状感染者だったとしても感染リスクは低減しますからね、それまで話すのは最小限にしていたというだけです」
「そうか、ははは、は…………いや、それも初耳なのだが!? その話、ザコル殿にもしていないんじゃないのか!?」
「ええ。だから、私が一週間くらい発病せず、ずっと黙っていたという実績さえあれば解決する問題だったので、後から不安にさせる事もないかと思って言いませんでした。まあ、こっちに来た時点で能力が発動していたなら全て杞憂だったかもしれませんが」
初日から自己治癒能力が機能していたなら、例の疫病ウィルスなどすぐに駆逐された事だろう。
「とはいえ、お世話になった方に伝えていなかったのは不誠実でしたね。申し訳ありませんでした」
「いや、そんな事を責めたいのではないぞ!」
頭を下げた私にハコネが慌てる。
「団長の言う通りすよ。ミカさんよう、知らねえ世界で拘束されて一番に考える事が、見ず知らずの奴らに病気うつさないようにする事だったとか、マジでどういう精神構造してんすか? 何なの? どんだけ心が広えの? 海なの?」
エビーが眉を寄せれば、ハコネがブンブンと首を縦に振る。
「そう、俺が言いたいのはそれだ! 黙っているから警戒しているのかと思っていたが、まさかこっちが気遣われていたとは…」
「何言ってるんですか。あの時点で一番危なかったのはハコネ兄さんとエビーとあと数人いた騎士の子達でしょ。それで怒らないなんてお人好しにも程があるっていうか」
「姐さんだけには言われたくねっす!!」
エビーが目を剥いて叫べば、ハコネも、ついでにタイタも首肯した。
「もー。大袈裟。先によくしてくれたのは皆さんの方なんですからね。拘束拘束いいますけど、本当に居心地のいいお部屋でしたよ。私に用意されたもの一つ一つから顔も知らない誰かの気遣いがひしひしと伝わってきました。だから、私もそれに応えようというか、弁えていようと思った。それだけなので…」
パシ、急に片手を取られる。何故かそのまま手の甲に口付けられた。
「ふぁひょっ!?」
「なんですか、ドーシャのような声を出して」
「だだだって、びっくりするじゃないですか! 不意打ち禁止ですよ!!」
「あなたがそれを言いますか…。僕は今の話の方がびっくりですよ。最初に体調が悪かったのはその病のせいもありましたか? もしや適切な処置ができなかったのではと…」
「あっ、あれは完全に過労と寝不足です! あの疫病の特徴となる発熱や咳などはありませんでしたから。そもそも感染していなかった可能性も高いかと」
ザコルはホッと息をつき、空いた方の手で私の頬を撫でた。
ぐう、赤面が酷くなりそうだからやめてほしい…。
「団長、ミカ殿も本来このように『初心』な淑女であられます。どうぞご留意を」
「まあ、そのようだな」
タイタがススッと出てきてハコネに耳打ちし、ハコネも頷く。
「やめてよねタイタ! 私は変態お姉さんでいいんだよ!」
「敬愛する主人が全く慎みのない方のように思われるのは誠に遺憾ですので。あなた様は本来、どんな状況下においても自己を犠牲にし、周囲への配慮を怠らない、実に気高く潔癖なまでの精神をお持ちのお方でいらっしゃいます。お側でお仕えできるのがこの三人しかいない以上、あなた様の品位はこの俺が守らせていただきます。エビーはこの件に関してはあまり頼りにならないようですから」
じろ、タイタがエビーを軽く睨む。
「やべ、紳士チェックが厳しくなった」
エビーがシュッと私とザコルの後ろに隠れた。
「ははは! タイタ、遠慮がちだったお前が堂々としてくれて俺も嬉しいぞ! 実力も常識もあるお前がついていてくれるのであれば安心だ。期待しているぞ!」
ハコネがバシバシとタイタの背中を叩く。
「勿体無いお言葉です。これも全て、ミカ殿とザコル殿のご指導の賜物ですので。この御恩、しっかりとお二人にお返ししていく所存でございます」
「全く…君も堅いですね。さあ行きますよ、山の民を待たせているようですから」
ザコルは私の手を引き、皆を先導するように庭へと進み出した。
◇ ◇ ◇
「ミカぁ!!」
「ミカ様ぁ!!」
庭の中心に近づくと、真っ先にシリルとリラの兄妹が駆けてきた。腰を落として手を広げるとリラはそのまま私の胸に飛び込んでくる。他の山の民の子達も私達に気付き、それぞれの親を引き連れてどんどん集まってきた。
「心配をかけたよね、ごめんね。ミカはこの通り無事だよ。みんな、私のために泣いてくれてありがとう」
リラを始めとして、私にくっついて泣きじゃくる小さい子たちの頭や背をを撫でながら、黙って自分の目元を擦るシリルの顔を見上げた。
「俺、俺ぇ…あの、約束、守ったよ……」
シリルには『もし万が一私が突然消えたとしてもザコルさえいれば無事だから心配しないでほしい』と、皆に伝えてくれるよう頼んでいた。その時はまさかすぐに誘拐されたり、突然戦になるとまでは思っていなかったのだが。
この義理堅い少年は、あの非常事態の中でも自分の不安を押し殺し、精一杯皆を元気づけてくれようとしたに違いなかった。
「ありがとう、シリルくん。子供達が今日も元気だったのは、きっと君が約束を守ってくれたお陰なんだね。皆が不安にならないように声を掛けて力を尽くしてくれた事、心から感謝します」
片手を差し出すと、彼は自分の両手でそれを握ってくれ、ずずっと洟をすすり上げた。
子供達の親である山の民の女性陣も、次々に私達へと無事を喜ぶ声を掛けてくれる。礼節を重んじる彼らには、私も丁寧にお礼を返していった。
「ミカ、ミカとザコルさまのためにね、おかあさんたちとししゅうをしたの」
「俺も! 俺も少しだけど一緒に刺したんだ。後で渡すと思うから!」
「へええ、ありがとう! 嬉しいな、楽しみにしてるね!」
どうやら山の民の子達は今日、女性陣と共に私とザコルにくれる餞別を用意していたようだ。午前中に姿を見なかったのはそのせいだったか。
「ザコル様、護衛のお二人も。昨日は、皆を守って戦ってくださり、ありがとうございました!」
シリルはザコルとエビーとタイタに頭を下げている。
「いや、僕は同じだけ失態も犯しましたからね…。君達に害が及ばなかった事は幸運だった。不安にさせてしまった事を謝罪しましょう」
「えっ、そ、そんな、俺達なんて、ただ避難してただけで…」
「兄貴、ボーズ困らせんなよ。そこは謙遜せず英雄気取っときゃいいだろがこの最終兵器め! ボーズぅ、頑張ったなお前ええ」
「ちょ、エビーさん! 強っ、髪抜けるって!」
エビーが盛大に洟をすすりながらシリルの頭を撫でくりまわすので、タイタが笑顔のまま首を振って助け船を出している。あのチャラ男、相変わらず健気な子供に弱いな…。
ふと後ろを振り向いたら、ハコネまで漢泣きしていた。そういえば、彼もまた小さな男の子二人の父親だ。
「ホッター殿…! 思いの外きちんと聖女をしているではないか! 普段の貴殿とは大きな乖離があるぞ!!」
「ハコネ兄さんってそんなに失礼な人でしたっけ…? こちらの女性達には水害直後の混乱期に私の身辺を護っていただきましたから、頭が上がらないんですよ」
「そうか! では護衛隊の責任者たる俺もこのご婦人方にはお礼を申さねばなるまい!」
ハコネも私達に並び、女性陣に頭を下げ始めた。
ちょいちょいと袖を引かれる。シリルだ。
「ミカ様! この人、テイラーから来た騎士団長様なんでしょ? ザコル様とミカ様が俺と父ちゃんの命助けてくれた事言った!? それから、俺らの古着をすげー金額で買い取ってくれたり、リラの面倒見てくれたり、字や投擲教えてくれたり、チッカの市場でも親切にしてくれたり、それから、それから…」
「シリルと言ったか少年。君が濁流に流されそうになったという子だな。この町での出来事は先程子爵夫人とこちらの町長殿にも丁寧な説明をいただいたぞ。自身が大変な目に遭いながらも恩人に報いようとするその強い意志、実に天晴れだ! 俺の息子も君のように育ってくれたらと思うぞ!」
ガシッ、シリルの頭の上に再び大きな手が乗せられる。グワシグワシグワシ…
「ちょっ、騎士団長様!? 強っ、さっきよりも強いっ、頭ハゲるって!」
より激しく頭を撫でくりまわされたシリルが悲鳴をあげる。その様子を見かねたか、ザコルがシリルの肩を持って自分の方に引き寄せた。
「わっ、ザコル様…」
シリルもちょっとびっくりしている。
「ハコネ、もっと大事に扱ってくれませんか」
「ああすまない、つい可愛がりたく……いや、貴殿だけには言われたくないのだが?」
「ハコネ兄さん、この人少年には優しいんですよ。雑に扱われるのはこの中じゃ私とエビーくらいです」
そしてタイタも雑に扱って欲しそうにこちらを見ている、というのがいつもの構図だ。
「語弊のある言い方はやめてくれませんか! 僕はミカの事は大事に扱っているつもりです!」
「はいはい、大事な小荷物ですからね」
庭に、子供達の声が増える。きゃーっと山の民の子達と合流し、早速一緒に遊び始めた。シータイ、カリューの子達が遊びに来たようだ。その親達もゾロゾロと後から庭に入ってくる。
それを皮切りに、災害支援にあたったシータイ町民達や、支援の世話になったカリューからの避難民達が続々と庭に集まり始めた。誰も彼も、山の民の女性陣を見るなり親しげに挨拶をし、お世話になったねとお礼や労いの声をかけた。
私はおばあちゃん、もとい山の民の長老の姿を探す。喧騒の中心から離れた所にラグや椅子の出された場所があり、その一角に彼女は数人の女性に付き添われて座っていた。
私はちょこんと、アメリアがしていたような腰を軽く落とす礼をしてみた。ザコルも軽く胸に手を当てて一礼する。エビーとタイタもそれに倣った。
「長老様、ご挨拶が遅れました。こちらはテイラー第二騎士団長で、ハコネ様です」
ハコネは長老の前に出ると黙って跪き、胸に手を当てて目を伏せる。身分の高い人にする礼だ。
「騎士団長殿。こちらは自治区に住まうしがない老いぼれですゆえ、かしこまる必要はありませぬ」
「発言をお許しください。我が名はハコネ。テイラー伯セオドア様より同領の第二騎士団長を拝命しております。あなた様こそはかの神聖なるツルギ山を守る一族、山の民の長老様でありましょう。一国の長と考えるのが相応しいかと」
ふへえ、そんな偉い人な感じ!? 思わず心の中で叫んだ。
このオースト国における山の民の地位や扱いが完全に分からなくなった。シリルはこの国の都会人に悪感情を持っていたようなので、差別されているのかとさえ思っていたのだが…。
いや、個々人の差別意識はともかくとして、王国内で自治と商売の自由を認められているのだ。ある意味特権を持った一族という事か。しまった…超フランクに接してしまっていたぞ。
「失われた権威の末裔には、そのような地位は重うございます。どうぞ、頭をお上げくださいますよう」
「はっ」
失われた権威の末裔…、それって、滅びた古代文明の生き残りとか…? 徳川家の子孫みたいな…?
「…こちらの聖女ミカ殿、そして番犬サカシータの末裔ザコル殿には、多大なる恩をいただきました。庇護者たるテイラー卿にも礼を尽くしたく。今後、我が一族がお力になれる時が来たりますれば、是非お声がけを。よろしくお伝えくださりませ、騎士団長殿」
「はっ。必ずや」
ハコネは再び頭を下げた。
…よく分からないが、山の民には今も何かしらの力や権威などがありそうだという事は分かった。
「お嬢ちゃん」
「は、はい、おばあちゃ…長老様。すみません、私、勉強不足で…」
今までの非礼を詫びようとすると、スッと手で制される。
「お嬢ちゃんはね、最初っから何にも失礼な事をしちゃいないさ。チッカの市場で出会ったその時から、ずうっと私らを尊重してくれたね。生まれも、子供も、老いぼれも関係なく、あんたは親切で、そして心から頼りにもしてくれた。私らはそれが嬉しいのさ。他の商隊の者からも聞いているよ。チッカの門の前で私らの衣装を褒め、店の場所を訊いてきたお忍びの貴婦人らしき人がいたとね。護衛も下がらせて一人で声を掛けてきたもんだから驚いたと。本当に根っからのお人好しなんだねえ、お嬢ちゃんは…」
「そんな事は。あの母娘こそ見ず知らずの私に親切な道案内をしてくれましたよ」
チッカの街に入る前に、山の民の商隊が受付のために列をなしているのを見て、その衣装が私の好みドンピシャ過ぎてつい声を掛けたことがあった。護衛を下がらせたと言っても、あれくらいの距離ならばザコルの間合いの範疇だった、とか野暮な事は言うまい。
「あの、ザコルはこの方が山の民の長老様だって最初から気づいていたんじゃないですか…?」
「まあ、そうですね。昔からあの市場にはよくいらっしゃると聞いて知っていました。お話しした事まではなかったと思いますが」
「何で教えてくれないんですか!」
「ミカなら別に大丈夫かと。何なら僕よりも礼を弁えているので」
ザコルがあのチッカの屋台でほとんど喋らなかったのは、先程のハコネと同じように自分からの発言を差し控えていたという事だったのか。今分かった。
ふぁっ、ふぁっ、と長老が笑う。
「そうだろうねえ、あのサカシータの末の双子に比べりゃあ、このお嬢ちゃんは随分と弁えた行動をなさる。あんたらだろう、山裾の部落で住民の衣を剥ぎ取って行ったのは」
むう、とザコルが考え込み、思い当たったのかサッと頭を下げた。
「…すみません、弟の仕業かと。奴は借りてきたと言っていたのですが」
「後日、人が変わったように大人しくなったのが、洗濯済みの衣を綺麗に畳んで返しにきたとも聞いたねえ…」
「…それは、僕ですね…」
ふぁっ、ふぁっ。
「…ああ、ツルギ山で戦ごっこしてたって時の話ですね。ザハリ様が山の民の衣装を借りてきて闇討ちを仕掛けたとかいう…」
「ええ、あれは見事に決まりました。兄達も完全に油断していたので」
そんな風に仲良し? だった九人兄弟のうち二人が牢に入ってしまっている現状は切ないな…。
「長老様、テイラーからは伯爵様のご息女もいらしているので、後でまた紹介に上がりますね。とっても可愛い子なんです」
「そうかい。楽しみにしていようね」
長老はにっこりと笑った。
「お嬢ちゃん、私が勧めた頭巾は着けてくれないのかい。古着を避難民に配った時には着けていただろう」
「あ、着けてもいいんですか。本物の山の民の方々がいる前で、他種族の私が目立つ形で着用するのは失礼かもと…。古着を配った時はパフォーマンスの意図もあったので着けていましたが」
「いつでも着けていいに決まっているだろうよ、他ならぬあなた様がお着けになるのだからね」
では遠慮なく。私が鞄からお気に入りの頭巾を取り出すと、長老がちょいちょいと手で合図をするので、彼女に頭巾を手渡した。
彼女はその紐のついた三角巾のような頭巾を膝に広げ、私の顔を見上げる。私は自然と彼女の前に跪いた。彼女はゆっくりと立ち上がって私の頭に頭巾を被せ、うなじのあたりでキュッと紐を結んでくれる。そうして私の手を取って立ち上がらせると、すり、と甲をひと撫でし、ザコルへと差し出した。
「大事になされよ。この方は得難い宝だ」
「心に刻みます」
ザコルは私の手を押し抱くようにして受け取り、同時に長老へと深く頭を下げた。
「へへっ、なーんか、アレみたいでしたねえ、アレ」
「ああ、間違いなくアレだな。背後に荘厳な教会か宮殿でも見えたような気が……これはもう実質挙式では?」
今度はタイタが洟をすすっている。
「いや、その実質挙式みたいなの何回やるんだって話っしょ。集会所での花吹雪と、ラーマ殿の山の神への祈り? と、今回のでもう三回目すよ」
「いいのだ! このような感動は何度あってもいい!! そうでしょう同志の皆様方!!」
さわさわさわさわ!!
庭の木が盛大に揺れて枯れ葉や木の実がバラバラと降ってくる。
あんな所にいたのか…いや、何故堂々と参加していないんだろうか。
「そんな挙式めいた事を何度やっても、ミカには本気にされていませんでしたが…」
「何を根に持ってるんですか。そもそも言葉が足りてなかったのはザコルでしょ。ラーマさんの時だって完全に不意打ちでしたし、そんな真似をするからにはそれ相応の理由があるんだろうなって、勘繰り癖のある私は思うに決まってるじゃないですか」
「ふ、不意打ちでもなければ頷いてくれないかと!」
「なるほど、私の愛は信用されていなかったようですね。悲しいです」
「違っ」
ザコルの言葉をストレートに受け取れなかった私も悪いかもしれないが、最初から警備上の事情なども含めて言葉を尽くしてくれていたなら、と思わなくもない。
ただ、言葉の少ない彼を好いたのは私なので、結局は不可避な問題だったかもしれない。
間に入ってくれたアメリアには感謝すべきだ。
つづく




