報告会③ どっちが外堀を埋めてたかって話
三階のある一室。今日アメリアが泊まる予定の部屋に、アメリアとハコネ、そして私と護衛三人だけが集合する。アメリアについてきた侍女達は下がらせたのか姿が見えない。
アメリアは、部屋の二人掛けソファに私とザコルを座らせ、自分もその向かいにゆったりと腰掛ける。騎士二人と騎士団長は扉の側で立った。アメリアは町娘の格好には少々不釣り合いな、上等そうなレースの扇を取り出して顔の前に広げる。
威圧や殺気とは違う、ある種の圧がビリビリと伝わってくる。
「お二人は、ご婚約なさるおつもりですの」
穏やかでいてよく通る鈴の音が、静寂の中に投下された。
「よもや、そんなところまで話が進んでいたとは…」
「あ、あれ? イーリア様から聞いていませんでしたか。あ…あのですね、これには警備上の諸問題があって、あらかじめ筋を通してもらったというか、第三者の…」
「理屈は結構ですわ。ザコル。どうしてあなたから報告がないのかしら、ザコル」
「お、お嬢様、あの、報告する機会を逸していたといいますか…」
アメリアからの静かな圧に、ザコルも私もしどろもどろになる。
「言い訳も結構ですわ。全く、会って一番に報告すべき事を後回しにするとは何事ですの!? お姉様も、どうして今まで黙っていらしたの…! わたくし悲しいですわ!」
「そ、それは、余計な事を言うなと圧が………ううん、言い訳は要りませんよね。ごめんなさい、アメリア。直接報告すべき事だとは重々分かっているのですが、伯爵家への手紙にもまだ書いていないんです。どう書いたものかとも思っていて…」
私は自分の膝に置いた手元に目を落とした。この後に及んで言い訳めいた言葉しか出てこないのが情けない。
そうだ、この件は早く言った方がいいと解っていた。それなのに、ザコルの圧に物申す事もせず、ましてや誰かがいい感じに伝えてくれると甘えてすらもいた。
…私はおそらく、この件に向き合いたくなかったのだ。
「ただ、その、婚約するつもりとは言っても、先日、婚約予定という間柄であると、立場ある第三者に認めてもらったというだけなんですよ。そうしないと、夜、寝室に入ってもらっての警備が堂々とできなかったから…」
「そう。そのようなご事情が」
「はい。実際、昼間別室に入っただけで一瞬の内に拐われてしまいましたし、ますます、ザコルの護衛としての判断は正しかったと…」
「…ミカお姉様? あの…」
「ミカ、違います、これは僕のこ、心から、の希望で」
アメリアが心配するような声になり、ザコルも私の方に意識を向ける。しかし、私は俯いたまま、自分の手から目を離せなかった。
「気遣ってもらわなくて大丈夫です。…この人、普段は変態ぶったりもするくせに、本当は真面目で、誰よりもお人好しな人なんです。だから、無理してプロポーズめいた事までしてくれたんですよね。仕方ないと言ってくれて構わなかったのに。私の名誉とやらのために、仕事だと、言わないでいてくれたんです」
実際、ザハリに『仕事という表現は用いたくない』とも言っていた。
「…どっ、どうしてミカは、この後に及んでそんな風に言うんですか!? 僕の希望だと何度言ったら解ってくれるんですか! 仕事上必要だったのは認めます! ですが、僕は、ただあなたが大事だっただけで」
「大事にしてくれているのは、解ってますよ」
護衛としても、恋人としても大事にしてくれた。だが、それとこれとは別だ。
付き合うくらいならともかく、婚約や結婚は人生が関わってくる。仕事を理由に決めていいものではない。
「……やっぱり、そうだ。ミカこそ、僕に気を遣っているんでしょう。誰より仕事への意識が高いのはあなただ。だからこそそうして、僕を好くフリを」
「そんな訳ないでしょう!?」
思わず大声が出る。
「どうだか! 僕からの殺気が欲しいだなんておかしな事を言うのもそうだ。僕を怒らせれば楽に別れられるとでも思ってるんでしょう! 闇雲に急いで強くなろうとするのだって、本当は僕の力を必要としたくないんでしょう! 実際、拐われても自力で何もかも解決してしまいましたもんね。そうして、僕などいなくとも平気だと」
「ザコル!!」
アメリアが立ち上がって叫んだ。
あれ、どうして手や腿が濡れているんだろう。よく考えたら視界も歪んでいる。こんな目の前の事すら気づけないなんて…
涙に濡れた手を横から掴まれる。
「ミカ、ミカ。大丈夫ですか、ごめんなさい、泣かないでください。そうだ、ミカが、僕を恋人だと言ってくれたのでしょう? だから僕は」
「…? 恋人として付き合う事と、結婚の約束はまた別ですよね?」
「…は?」
「だから、大丈夫ですよ。お付き合いはお互いが好き合える限り続けましょう。でも、結婚についてはもっとゆっくり、しっかり考えてください。今は体裁として必要なのかも知れませんが、本当に守らなくたっていいんですよ。今後、私をよく知れば知る程、心変わりだってあるでしょうし…」
「今更心変わりなどするか馬鹿!!」
ザコルは無理矢理、私の肩を掴んで顔を上げさせた。
私は無理矢理、笑顔を作った。
「ふふ、ありがとう。でも、やっぱりダメですよ。付き合って一ヶ月もしないうちに結婚を決めるなんて。私の方はもう、あなた以外には……う、ううん、ザコルは私とは違います。きっとこれから選択肢も増えていきますし、その中には私よりも強いひとだっているでしょう。計算高くて気の強い私なんかより、ずっと可愛げのあるひとだって」
「だから、何を言っているんだ!? 恋人だと、交際していると認めた時点でもう腹は括っているんだ!! それがどうして今更他の女を勧める話になる! ほらみろ、やっぱり僕と婚約するなんて本意じゃないんだろうが! 僕は、お嬢様に明かす前にあなたの意思を確認するつもりだったんです! …これで分かりました。この話は義母にも説明して、無かった事に」
「お待ちなさい、ザコル」
「何ですか、お嬢様」
ザコルがアメリアに対し、珍しくつっけんどんな返事をする。
「睨まないでくださるかしら。今、お姉様がおっしゃった事を確認するわ。ミカお姉様は、交際する事と、結婚の約束は別とお考えなのですね。付き合って一ヶ月もしないうちに結婚を決めるのは、非常識だと?」
「…? はい。その通りです。普通、そうですよね?」
普通…? とザコルが呟く。あれ、普通、じゃない?
「なるほど…。これはわたくしの憶測ですが、お姉様の世界では、大半の方が自由恋愛主義で、少なくとも数ヶ月以上の交際を経て、お互いを最良と認め合った先に結婚があるのが普通、そういう認識でよろしいのかしら」
「…ええと、はい。そうですね。大体の人は、何人かと交際して、縁があれば結婚するという人が多いです。まあ、私の場合、交際の経験はたまたまありませんが…」
本当は、たまたまではなく必然だ。男性恐怖症はある程度克服して日常生活には支障ないレベルだったが、それでも気軽に男女交際できるような段階ではなかった。一生独身と腹を括っていたくらいで、だからこそ仕事に邁進していたというのもある。
「こちらの世界でも平民階級はそんな感じなのでは? 私は本物の貴族様のように血筋を守るような立場じゃありませんし、ザコルだって、どこかの貴族に婿入りするのは無理だから自分は平民になるんだと言っていたじゃないですか。だったら…」
はああ、ザコルが深く溜め息をつく。
「……どこか本気にしていないとは思っていたが…そうか、それで…」
「……? だから、あの申し出自体は本気で嬉しかったですよ。ザコルの今の気持ちや誠実さがよく伝わってきましたし、あの場限りになったとしてもきっと一生忘れません。イーリア様達の前で、身内や家族のように扱ってくれたのも嬉しかったです。…そっか、そうですよね、仕事だろうと一括りにするのはあなたに失礼でした。私を孤独にさせないためにもああ言ってくれたんでしょう? ザコルは本当に優しいです。あなたが『僕のミカ』と憚らずに言ってくれるから、あなたのご家族も、領民の皆さんも、私を仲間の一人として温かく迎えてくれるんですよね」
そうだった。私は坊ちゃんのオマケだ。今の立場を与えてくれた事にも感謝しなければ。
「解ったような口をきくな」
「ごめんなさい…違いましたか」
「…シュンとするな。僕が『僕のミカ』と言うのは言葉通りの意味しかない」
はあ。ザコルが再び溜め息をつく。
「…そうですね。あなたの言う通り、確かに僕は、このままいけば家を継ぐ事もどこかの貴族家に婿入りする事もなく、平民同然の余生を送る事になります。だからと言って平民と結婚するような事も無いと思っていました。そんな相手もいなければ、作るつもりもありませんでしたし」
ザコルはそう言うが、今は状況が変わったはず。今ならこのシータイでもぜひにと言う女性は見つかるだろう。であれば尚更…。
「しかし、渡り人であるミカは違う。国がまともに機能していれば、必ず伯爵位以上の身分は与えられるはずなんです。テイラーという強い後ろ盾もある。僕は、そんなあなたに求婚する意味も分からない程、常識知らずなつもりはありませんよ」
ザコルの真っ直ぐな瞳からは嘘は感じられなかった。
「……つまり、私は自由恋愛をするような立場にないと。ザコルも求婚したからには責任を取るつもりだと、そういう事ですか?」
身分については確かにそう説明された事はあるし、周りもそういう風に扱ってくれているのは分かる。
だが、正直私が望んでそのようなご身分になった覚えはない。
どうして私やザコルが、この国の王家から一方的に与えられる身分やそれに伴う責務に忖度しなければならないんだ。
「どうして勝手に与えられた身分に忖度しなければならない、という言い分には完全同意しますが…。多くの貴族にとって、結婚という契約は生涯に一度きりです。一度婚約まで進めば、誰もが認めるような非常事態でも起きない限り、それが破棄される事はありません。それでも破棄するという事は、それ相応の瑕疵がどちらかにあると世間に公表するのと同義です…………ミカが望むなら、僕は喜んで傷物にもなりますが」
「えっ、きっ、傷物!? そんな、まだ正式に婚約した訳でもないのに!? 私はただ…」
「ただの予定でも、第三者に認めさせたのであれば同じですよ。昨日、ミカは『同担拒否という過激思想を胸にしまった』と言っていましたね。あれは、僕に女性のファンがついたから、彼女らにもチャンスをやるようなつもりで言っていたんでしょうが…」
「そ、そりゃあそうですよ! せっかく選択肢が増えたんですから! 私みたいな、いつこの世界から弾き出されるかも分からない存在だけじゃなくて、もっと」
「僕は、ミカでなければ求婚などしてやるつもりはありません。それ以外はただの有象無象だ。大体、この契約自体、あなたを縛り付ける以上の意味合いなんてない。言っておくが、外堀を埋めているのは僕の方なんだからな!」
じわ…心に凝っていた気持ちが滲み出す。
「外堀……そうですよ、それこそ、いつの間にか私に外堀埋められてたみたいな事言ってたじゃないですか!?」
「あ、いや、それは言葉のあやで」
ザコルが肩を掴んでいた手を思わずといった感じで緩める。
「そんな風に思ってたんだって、本当にショックだった。私は、確かにあなたに報われて欲しくて色々した。でも、みくびらないでほしい。あなたの幸せのためなら何だってできる! それこそ、他に相応しい人がいてザコルが選ぶのなら、目の前から消えてあげる事だって!!」
自分の幸せのためにザコルを囲っているように思われるのは心外だ。縛るつもりなんてない。彼には次があるのだ。次の人とより幸せになれるならそれに越した事はない。
…たとえ、私には次がないのだとしても。
この世界でも、日本に帰ったとしても、恐らく一生を一人で過ごす事になるのだとしてもだ。
「だから考え直してくださいよザコル!! こんな重たくて拗らせまくったタチの悪い女にこだわる事ないでしょ!! 厄介で、謎だらけで、得体の知れない、それこそ人外そのものみたいな女にこだわる事ないでしょう!? 次はもっと可愛くて気楽で癒される人間の子を好きになってよ!! その方がきっと、きっとザコルも、皆だって幸せになれる…!! うっ、うぇっ、うあぁぁ…!!」
堪えきれなくなって、その場で崩れるように泣いてしまった。ザコルも何も言えなくなっている。
泣くなんて反則だ。もう、本当に嫌になる。
「ミカお姉様、わたくしが余計なことを」
「違うっ、アメリアのせいじゃ…っ、もう、だめ。迷惑かけられない。私、もう一人になりた…っ」
うぎゅう。
腰を浮かしかけた矢先に急に腕を引かれて抱き締められ、蛙が潰れたような声が出る。
皆が周りを取り囲む気配がする。
「姐さん何度言や解んだよ、兄貴も俺らも人外だなんて思ってねえよ! 俺らは姐さんがいいんだ、誰より人間らしいあんたが好きなんだ!」
「やはりカニタ殿の言葉を気にしておられるのでは!? あのような外道の言葉に惑わされないでください!! 俺だって、あなた様というお人をす、好いておりますとも!!」
「わたくしだって、お姉様なくしての幸せなどもはや考えられませんわ!! ばあやに託された大切な大切な我が愛し子様、心に空いた穴はもうお姉様でいっぱいよ。わたくしを置いてどこへ行かれるというの…!! こんなに大好きですのに!!」
「うるさい! ミカを好いているのは僕一人で充分だ!! 有象無象は下がれ!!」
「何だとてめえ、大体あんたが何度も姐さんの事拒否るから不安にさせてんだろうが!!」
「違っ」
「その通りだ! 先程もミカ殿のお気持ちを疑うような事をおっしゃって! あなた様がいち早く筋を通されていればこのようにお悩みになられる事はなかったというのに!!」
「ああもううるさいうるさいうるさい!! ミカの本意も判らないままこれ以上外堀を埋める訳にいくか!!」
「外堀、そうよ、ザコルあなた、お姉様の方が外堀を埋めたなどと本気で考えているの!? 思い上がるのもいい加減になさい! こんなにも健気で純粋で慎み深い方になんてむごい事を…! やはりあなたなどには勿体無いですわ! お姉様、わたくしと一緒にテイラーに帰りましょう。ね、そうするのが」
「そうだ姐さん、もう次はタイさんにしましょうよ!」
『は!?』
「俺か!? エビーは何を言って」
「俺ら三人なら平気なんだろ! それかザッシュお兄様でもいいすよ。いや、この際お嬢様でもイーリア様でもピッタでもコマさんでもいいすから! 姐さんこそそんな奴にこだわってやる事ありませんって!! この俺が全力でお膳立てしてやっからもう行こうぜ!?」
ぎゅううう、私を締め付ける力がより強まる。
「駄目だ!! 嫌なんだ! 僕はもうミカを離さない、婚約しなくても離さない、離せない、次なんてない、ミカじゃないと駄目なんだ!! 僕のミカだ、お前ら全員どこかへ行けええ!!」
「嫌とか駄目とか相変わらずガキみたいな事言いやがっていい加減に離せこの野郎!!」
わあわあと皆が言い合いをしながらザコルに掴みかかっている。完全なるカオスだ。
それはそうと、私はちょっと息ができなくなってきた。あ、やばい、目がチカチカして…………
「ザコル殿、ホッター殿を離せ、死ぬぞ!」
「え」
ハコネの声だ。急にザコルの腕が緩む。力が入らず、ずるり、と体がザコルの膝下に崩れる。
アメリアの悲鳴。目の前の光景が暗く閉ざされる。
…………………………。
「ミカ、ミカ!!」
「お姉様!!」
「ミカさん!!」
「ミカ殿!!」
「ホッター殿、しっかりしろ!」
私を呼ぶ声。霞む視界。
軋むように痛むあばらの骨が、まるでパズルのピースがはまるように再構築されていく、不思議な感覚。
急に、肺に空気がなだれ込んで咳き込む。
皆がまた私の名を口々に呼ぶ。
「…っはあ、はっ、はっ、はあー…………もう、ザコルは、しょうがない、ですねえ…。大丈夫、大丈夫、ですよ…」
私は横になったまま何とか手を伸ばし、目の前にある彼の頬を撫でる。
「大丈夫な訳ないだろ!?」
悲鳴のようなザコルの叫び。
「気持ちを、愛を、疑った、のは、私の方か…。ごめ、んなさい…」
まだ息が続かないが、何とか言葉を絞り出す。
「どうして謝る…! ミカ、苦しいなら無理に話さないで」
「ううん、話、させて。取り乱して、ごめんなさい、どこにも、行きませんから、だから、そんな、不安な顔、しないで。…あはは、ほんと、私以外じゃ、ダメそうですね」
婚約しなくても離さない、離せない、次なんてないとまで言われては。
「だから、ずっと、そう言ってるじゃないですか…!! でも、ダメだ。ミカにこれ以上不憫な思いはさせられない…!」
「はいはい、体がひしゃげるくらい、何でもないって、言ったでしょ…」
指の腹で彼の目元をなぞる。
「泣か、ないで、ザコル。ずっと、側にいますから。次のない、人外同士、幸せに、なりましょう……」
…ぽたり。私の頬にも一雫落ちてきたそれは、人肌の、優しい温度の涙だった。
◇ ◇ ◇
「そんな訳で、もう一つ重大な報告があるんです。ある意味婚約どうこうより重大です。私、なんと自己治癒能力があります」
「ええ…。そのようですわね…」
アメリアは床に正座する人をチラッと見る。
首に巻かれた縄の端はハコネが持って立っている。猛犬注意、さわるな危険、駄犬、変態、ヘタレ、ガキ、有象無象…。文字を書き殴った紙が何枚も貼り付けられている。紙に書かれた文字のほとんどはエビーの字だが、『有象無象』だけはアメリアのお上品な字だ。
私の手にあるハンカチには、涙や鼻水、よだれの他、咳き込んだ時に吐いた血もついていた。恐らくどこか内臓が一瞬破裂でもしたんだろう。このハンカチは洗濯には出せない。使用人マダムに詰め寄られてしまう。
よし、自分で洗って取れなければこっそり捨てさせてもらおう。どうせ予備は百枚以上あるのだ。
「それからですね、この涙、一滴でも口に含ませるか、患部につければどんな怪我でも治ります。化膿や誤嚥、風邪からくる発熱や肺炎も治りましたから、一応病気にも効くんじゃないでしょうか。それと、私が作る氷や湯にはちょっとした疲労回復や怪我や病気が治りやすくなる程度の弱い治癒効果があるようです。魔力が満タンの時は魔力を常に垂れ流してもいるようで、周りの人がちょっと元気になるらしいです。ええとそれから…」
「お、お待ちくださいませ! 申し訳ありません、あの」
一気に喋りすぎたせいで、アメリアを混乱させてしまったようだ。話さなければいけない事が多すぎていけない。
「もしや、ミカお姉様は治癒の魔法士でいらしたという事…!? それも完璧な…」
「完璧かどうかは判りませんが、まあ、そうですね。一応、治癒効果を提供できる魔法士なんでしょう。ただ治癒魔法士というより、上位の水魔法士って感じでしょうか。水魔法といえば治癒もできると相場は決まっているので」
「どう相場が決まっているのか甚だ疑問なのですが!? お姉様の世界に魔法は存在しないのですわよね? どうしてお詳しいの」
「詳しいという程じゃありません。私の世界には、魔法による現象は存在しませんが、空想や伝説の中に限って、魔法や魔術という概念や共通の理論らしきものは存在するんですよ。治癒魔法はだいたい水魔法か光魔法に分類されるので、水から氷や湯が作れる私の能力の一つとしては妥当かなと」
魔法のない世界から来た者が、さも当然のように魔法の系統などを語るのはちゃんちゃらおかしい。
私だって、その空想の魔法系統がきっちり当てはまるとは思っていない。だが、この世界では魔法は完全なる個性なので系統も何もない。いや、あったのかもしれないが、今は誰もそれを知らないのだ。例え空想でも何でも、納得できる理由がないよりはがある方が話しやすい。
「とても冷静におっしゃっておられますが、そのご様子では既に多くの試練や葛藤を乗り越えられた後なのでしょうね…。あちらの有象無象も、思わず狂ったように取り乱すくらいの事が何度もあったのでしょう」
先程、一緒くたに有象無象扱いされたのを根に持っているらしい。
いや、伯爵令嬢と子爵令息という身分差を考えたらただの不敬だ。それを嫌味くらいで済まそうとしてくれているのはむしろ寛大とさえ言える。
「はい。色々ありました。それにいちいち取り乱したり怯えたりしたのは私です。この三人には本当に迷惑を…」
エビーとタイタが首を振る。
「迷惑などと。あなた様でなければもっと取り乱していたことでしょう。ミカ殿が謝られるような事など一つもありません」
「タイさんの言う通りすよ、姐さんは冷静に受け止めてたぜ。不安を煽ったのはむしろ俺らだ。そうだ、全部、俺らが余計な事さえしなきゃ…」
「エビー。その話は終わったからいいんだよ」
エビーを制そうとすると、アメリアが首を振った。
「懺悔があるのなら聴きますわ。エビー、お姉様があそこまで思い詰められたのは、その『余計な事』も一因なのね?」
「はい、お嬢様。あの…」
エビーは、ザコルが一番先に涙の治癒効果に気づき、それを二人がかりで私に隠そうとしたために、私がより重大な力が発覚したのだと早とちりした件から説明し出した。そして私の意思を無視して検証を急ぎ、より追い詰めてしまった事も話した。
「完全にあなた達のせいではないの。お優しいお姉様が気に病まれるのも当然よ」
アメリアは、ザコルが独断で検証した事や、私の目の前でエビーが実験台になってみせた事を怒ってくれた。
あの時の気持ちを一も二もなく理解してもらえた事に安心する。取り乱した事に罪悪感もあったが、それが少しだけ薄れた。
「アメリア、どうか彼らを叱らないでください。エビーもザコルも、二人なりに私のためを思って行動してくれたんです。特に、この世界における治癒能力の扱い方については、彼らの方がずっとよく理解していますから。エビーは、イーリア様と一緒になって私を叱ってくれたんですよ。私が軽い調子でイーリア様に能力を明かしたりしたから…。エビーがあんまり真剣に怒ってくれるものだから、イーリア様も『これ程親身になって諌めてくれる侍従は貴重だ』なんておっしゃって」
「姐さん、庇わなくていいんだぞ。俺は反省して」
「ううん、イーリア様に褒められたのは事実だし、ただ考え方や方針が違ったってだけで、誰も悪くないでしょ」
にこ、と笑えばエビーが押し黙る。これ以上彼が反省する必要などない。
「…私、治癒能力者がそんなに狙われる存在だとは当時は知らず、氷結や沸騰なんかよりずっと皆の役に立てそうな能力だくらいの認識しかなかったんです。後で詳しく話しますが、私の魔力がザコルの持つ魔力そのものにまで影響を与えてる事が発覚しまして、それで、ザコルの事も、エビーの事も、この検証が原因で何らかの後遺症を与えてしまったらって、怖くて、怖くて…」
エビーがこちらに寄ってきて、傍らに膝をつく。
「姐さん、本当にごめんな。俺ら、あんたの情の深さをみくびってたんだよ」
「謝罪はもういいの。不意打ちはもうしないでくれるって約束してくれたでしょ。それに、私の方もあれから認識が変わってきてて、やたら悲観的に捉えようとするのはやめられたの。これは、エビーがあの時に体を張ってくれたおかげでもあるんだよ。ただ、エビーの役割は護衛と従者なんだから、その任務外の事で簡単に自分を差し出す真似はしないでほしい。私の望みはそれだけ。ね、エビー」
そう伝えると、エビーは何かを堪えるように唇を引き結んだ。
「アメリア、私からも一つ懺悔があるんですが、水害が最も酷かった町、カリューで重傷者の治癒を秘密裏に行いました。これはイーリア様が全力で揉み消してくれています。治癒能力に関しては、はっきりと事情を知るのはこの三人以外にはイーリア様とザッシュ様、それとこの町に魔力を色として見る事のできる能力者がいまして、その方のみです。あと、察しているだろうなという人はマージお姉様と、コマさん辺りもでしょうか。あとは魔獣のミリューにはすぐバレましたが、彼女の言葉は恐らく渡り人にしか判らないと思うので、彼女からバレるような事はそうそうないでしょう」
脳裏に中田の顔が浮かんだが、中田も私の能力を知ったとて無闇に言いふらすような事はしない…と思う。
アメリアはふむと頷く。
「大まかには理解いたしましたわ。また詳しくお聞きするとしましょう。では先程の、お姉様の魔力がザコルの持つ魔力に影響を与えているというお話を伺ってもよろしいですか」
「あー…ええと、そうですね…」
私は正座の人をチラッと見る。姿勢がいい。心頭滅却でもしているのか、表情はぴくりとも動かない。
「結論から言えば、私が保有する魔力を彼に移譲、そして回収できます。今のところ相手はザコルに限りますが…」
「移譲? どのようにですの」
「ちょ、ちょっとタイムで!」
私は両手でT字を作り、立ってエビーとタイタを連れ、部屋の隅の方へ行く。
「ねえ、詳しく言っちゃっても大丈夫なのかな、アメリア卒倒したりしない? あの外道…カニタが、私のギャグ手紙程度でもお嬢様には刺激的すぎるとか言ってたんだけど…。どう? タイタ、もしこれがタイタのお母様だったら…」
「うちの母ならば年齢的にそういった話題で卒倒などはしないかと。ですが、これが例えば十代前半頃のミエルですと…」
ミエルちゃんはタイタの元婚約者だ。
「ああー…年齢にもよるかあ…」
「いやいや、アメリアお嬢様ならああ見えて肝据わってっし大丈夫じゃねえすか。一応成人はしてんですし」
この国の成人は十六歳だ。十七歳のアメリアも一応成人ではある。
「ですが、ミカ殿がいきなりアレと言いますか、少々思い切った行為に及ばれた事は黙っておいた方が…」
「確かに…アレは刺激強すぎっかもな。俺だって眠れなくなりましたもん」
「アレのせいでザコルにトラウマ植え付けた気がするんだよねえ…。今更だけど反省だよ」
「何言ってんだ、絶対分かっててやっただろ。色々された腹いせだろうけどよ」
「バレたか」
自分の所業を客観的に聴くと、私も大概酷い不意打ちをかましたものだと思う。
あまり後悔ばかりしているとまた思い詰めそうだし、謝っても怒られるので極力考えないようにはしているが、ザコルやエビーが思い切った検証に踏み切ったのは、事前の私の行動にも原因がある。
私は正座の人を再び見遣る。
「だってさあ、話最後まで聞かずに折ったりするんだもん、腹が立っちゃって」
ちょっと文句を言って反応を見るが、部屋の一点を見つめたまま微動だにしない。
意地でもこっちの言動に動揺を見せないつもりなのだろうか。言い返しでもしてくれれば謝る口実もできるのに。
「だからってやる事が極端なんだっつの。姐さんって繊細なんだか豪気なんだか分かんねえよな…そこが人間らしいっちゃ人間らしいとこだけどさ。…なあ、本当にいいんすか? 言っとくけど、あんたこそ付き合う人間は選べるんだぞ」
「ううん、私こそ次なんてないよ、分かるでしょ。まあいいんだよ。人外、いやギリギリ人間同士、仲良くやるからさ。あんな風に駄々こねられちゃあね。ふふ」
「甘やかしやがって、ガキのお守りじゃねえんだぞ…。全くよお、壮大な痴話喧嘩にお嬢様まで巻き込むなっつの!」
パチン。扇子を閉じる音がする。
「エビー? 肝の据わった成人であるわたくしは一体何に巻き込まれていたというのかしら。お姉様の極端な所業とは何ですの。ちっとも内緒話になっていなくてよ」
私達はアメリアを振り返る。だよねー、と席に戻る。
「失礼しましたアメリア。ええと、なるべく端的に説明しますね。魔力ですが、経口で移譲・回収できる事が判っています」
「けい、こう?」
アメリアは目をぱちくりとした。
「はい。ただ、ザコル相手にしか試した事がないので、他にできる相手がいるかどうかは解りません。私が魔力切れ寸前になったせいで翻訳能力がオフになってしまった時には、ザコルから魔力を返してもらう事で無事解決しました。移譲というより、預けておけるという表現が正しいかもしれませんね」
アメリアには、魔力を消費しすぎると翻訳能力が失われるという事も把握しておいてもらわねば。もし同じ事が起きたら、それこそ卒倒させかねない。
「いつのタイミングでこの力というか現象に気づいたかというと、さっきも言いましたが、この町には人の魔力を目で見て診察できるお医者様がいまして、その方にザコルの魔力に違う魔力が混ざっていると指摘されたからなんです。その方によれば、魔法を使えない人でも、皆一定の魔力を体内に持っているそうなんですよ。彼は、ザコルの魔力は元々黄緑色なのに、私の青色が混ざって深緑色になって見えるとおっしゃいました。原因は、そう言われる前日、私が検証のためにザコルに唾液を飲ませた事かなと」
「唾液を、飲ませた……?」
「はい。さらに順を追って話しますと、まず最初、ザコルがたまたま私の涙を舐めた際に、治癒効果の可能性に気づき、それを再検証するために小指を折り、そして再び私の涙を舐めて確信したんだそうです。それも私に判らないようにこっそり勝手にね。結果はエビーとコソコソ二人で話して、私やタイタにはなかなか教えてくれなくってねえ…」
ちら。
「へへっ、ザコル殿の演技が下手過ぎて秒でバレましたけどねえ。すんません」
エビーは笑って謝る。タイタも苦笑気味だ。二人ともただの揶揄いだと解ってくれているようだ。ザコルは目を合わせてもこないが。
「なみだ、をなめ…? こ、ゆび…こゆび…? を折り?」
「で、それが発覚して、ちゃんと説明してもらった後、もう一度、私にも分かるよう検証させてもらおうかと考えまして。ちょっと怪我をしてくれませんかって言ったら、その瞬間にまた小指をボキィ! ですよ! どう思います!? 小さな切り傷くらいで良かったのに!」
「そ、そうですの、こゆびを……あっ、ああ、小指を? 小指? えっ、ご自分で骨を折ったという事?」
アメリアがザコルの方を振り返る。
「それで、ふとその時に思ったんですよ。もしかしたら、涙以外の体液にも力があるのではないかってね。結局その時は、唾液でもかなり飲ませれば治る事は判ったんです。でも、後から考えるに、あれは唾液によるものなんかじゃなくって、単に口移しで魔力移譲がされていただけで、その副産物として私の自己治癒能力が彼の体の中でも発動しただけだったのかなと。あくまで仮説ですが…」
ちら、再びエビーを見遣る。彼は「あ」と手をポンと叩いた。
「それって、魔力貯めさせときゃ自己治癒能力もくっついてくるかもしれねえって事すか?もしそれが本当なら凄えメリットなんじゃねえすか」
新しい仮説にエビーが食いつく。
「でしょでしょ。ザコルが簡単に怪我なんてするとは思えないけど、保険と思って魔力を渡しておけば、いざという時に彼を守ってもくれる可能性があるんだよ。もちろん、私の魔力切れに備えられるっていうメリットもあるしね。いい事づくめなんだよねえ」
アメリアの方も見たが、彼女は「くちうつし…くち、うつし…?」と何度も呟いて考え込んでいるようだ。
「いいじゃねえすか、試しましょうよ。なんだ、こんなん散々やりましたし、今更怖気付くような検証でもねえじゃん」
「でしょ、私もそう思ってたんだよ。別に唾液突っ込む必要はないからしばらく口を合わせとけばいいだけだしね。最近戦闘が増えて怪我のリスクも高まってきてるからさ。できれば早めに、魔力移譲した後、自己治癒能力がきちんと発動するかどうかの検証をしときたかったんだけど…」
エビーと一緒にザコルを見遣る。ずっと微動だにしないままだ。こっちを伺う様子すらない。一体何なんだ。
「あのヘタレか…」
「そう、あの人、今更何を照れてるのか全然させてくれないんだよ! チャンスは何度もあったのに!! 自分は何度もシシ先生の前で無理矢理した癖に!! これはもう、私が検証検証言うから、ドン引きして気持ちが萎えちゃったのかと思い始めてね…。でも、そう考えると、自分が非常にはしたないというか、検証を盾に口づけを迫るいやらしいだけの女なような気もしてきて…。ただでさえ性格もアレなのに、こんな、ただのキスさえロマンチックにできないような人外女を恋人にしとく価値なんて…」
「もー、また急に落ち込むなよ。あの変態兄貴は性格悪く敵を追い詰めてる姉貴が好きだって言ってたろ」
「言い方よ」
「なあ姐さん、ちょっと情緒不安定過ぎません? もしや魔力の回復スピードとかが早まってたりしねえすか? もう魔力過多になってきてるとか」
「ありうる…。この有り余る魔力、受け取れるものならぜひ受け取って欲しい」
ちら、相変わらずぴくりともしないザコルを見遣る。
…いや、動かなさ過ぎでは。あれ、もしかして心神喪失してる?
「お、お嬢様、お気を確かに!」
「アメリアお嬢様!」
タイタがアメリアに走り寄り、座ったまま横に倒れ込みそうになった彼女に手を添えた。ハコネもザコルの縄を放り出して駆け寄る。エビーがクッションを持ってきてソファの端に置くと、アメリアはそこに頭を置いて横になった。
「口移しで、唾液をつっこむ、小指を、ボキィ…」
うわごとのように言葉を反芻している。やはり刺激が強過ぎたか…。
「アメリアごめんなさい、生々しい表現は控えたつもりだったんですが…」
私は席を立ってアメリアの側にしゃがみ、彼女のか細い手を握った。
「ちっとも控えられていなかったぞ、ホッター殿」
「ですよね…」
なるべく端的に話したつもりだが、魔力の口移しと小指を折った事に関してはこれ以上表現をボカす事もできず、ただあけすけに報告しただけになってしまった。
「お嬢様、寝台にお運びいたしましょうか」
タイタが騎士らしくそう言ったが、アメリアは首を振った。
「このままで結構よ。少し休めば良くなるわ。今、ようやく理解が追いついてきたのです。まさかあの奥手に見えたお二人がここまで……つい一ヶ月くらい前にはご自分の気持ちが解らないなどとおっしゃっていた方が……」
ほう、と少女は上品な溜め息をついた。
「大人って怖いですわ……。それで、エビーは何なんですの。お姉様をお諌めするどころか一緒になって…エビー、エビー?」
エビーは、不動で正座するザコルをつついていた。
「姐さん姐さん! この人、こんな状態で心神喪失してやがりますよ! 反応がねえっす!」
「あ、やっぱり? いつから喪失してたんだろ」
「いつでもいいじゃないすか。それより今がチャンスすよ! やっちまいましょう!」
「…ふむ。そうだね、確かにチャンスだわ」
私が立ち上がろうとすると、タイタがブンブンと首を振った。
「お待ちくださいミカ殿! こ、ここではなりません!! アメリアお嬢様まで心神喪失なさってしまいます!!」
「あ、いや、流石にここではやらないよ。あの人、心神喪失してても手を引くと動いてくれたりするからさ。私の部屋にでも連れて行こうかと」
ぬん、大きな影が私の行く手に立ちはだかる。
「ハコネ兄さん?」
「ホッター殿。俺は、騎士たるもの主人の話には割り込まない、というのを信条とし、常に遵守しているのだが。…このタイタは比較的守れているようだな」
ハコネがちらっとエビーを見る。エビーはシュッと正座するザコルの後ろに隠れた。
「…コホン。アメリアお嬢様がこのご様子なので俺が代わろう。ザコル殿は、第三者の目がある場所でしか検証とやらをしていないのだろう。寝室での警護、というのも、それなりに節度は守っているのでは。どうだ」
「あ、そうですね、はい」
今朝は寝ぼけた私が引きずり込んだ末に彼も寝ぼけてうっかり同衾などはしてしまったが。
同室で寝るようになってからは、私の希望で手を握る以上の事は彼からは何もされていない。うっかり同衾の件に関しても大変落ち込んでいる様子で、彼の中では大きな失態だったのだろう。
「そうだろうとも。だったら…」
「……ん? いや、そうだっけ…?」
「な、何だ、何かされたのか!?」
しかし、それ以前は二人きりの時でも、ハグや触れる程度のキスとやらはされていたし、こないだは首筋を舐められたりもした気がするが、まあ、直後に私が心神喪失して中断する事も多かったし、大きく羽目を外すような行為ではなかった…のか?
「…うーん。私、これでもこちらの常識というか、ザコルの言動に合わせて自分の行動も選んできたつもりなんですが、さっきのでそれもちょっと自信がなくなってきていまして…。果たしてどこまでが一般的な『節度』の範囲なのか……耳は…」
「姐さんはこの変態にやられた事を順繰りにやり返してるだけすよ! アレ以外は!」
ザコルの後ろからフォローともつかない声が上がる。
ハコネは、んんっ、と喉を鳴らした。
「そうだ、アレだ。アレはダメだ。自室で二人きりになってアレをするのはダメだ! それで何かあったらザコル殿の責任になってしまうだろうが!」
「んー、まあ、そうですね。でも別に、何かあっても私は責任を追及するつもりはありませんが」
本当に婚約するつもりであるなら尚更だ。婚約前に手を出したとあれば流石にザコル側の体裁は悪いのかもしれないが、同室で寝ている時点で今更にも程があるし、何にせよ黙っておけば問題ない話だろう。ザコルも黙っているのは得意なはずだ。
「いや、貴殿がそれで良くとも……いや、何も良くないだろう!? 大体、さっきは死にかけたのではないのか!?」
「あはは、どうせ死にやしませんて。私、丈夫ですから」
「そういう問題ではない!! 普通は死んでいるんだぞ!!」
確かに。今回はヤバかったかもしれない。肋骨がかなり折れた上、内臓も損傷していたようだし、私じゃなかったら死んでいたかもしれない。
「止めないでくださいよ団長! どーせこの変態の方が今までやりたい放題だったんだ、少しくらい姐さんの好きにさせてやりゃいいんすよ!」
「エビーはどっちの味方なのかな…、前に外堀がどうとか言ってた時、そっちに同情してなかった?」
「ぐ、覚えてたんすか…。まあ、この人が外堀云々言うのって、強がりみたいなもんじゃないすか。身内の外堀埋める以外の主導権は、今やほとんど姐さんに取られちまってますから」
「そうかな? 私、一応ザコルに無理はさせないようにしてきたつもりなんだけど…」
「それ完全に主導権握ってる奴のセリフだかんな…。俺、兄貴が正気を失う条件も何となく判りますよ。ミカさん自身がが消えるとか離れるとか言った時すよね。この人、だからこそ外堀を自分の手で埋めてやりたいんすよ。義理堅いミカさんが簡単に消えたり離れたりできないようにな」
ミカさんの本意を確かめるっつう良心の欠片は残ってたみたいすけどねえ、とエビーはザコルの頬をつまんでみょーんと引っ張りながら言った。
「…なるほどね。じゃあ、消えるとか離れるとか、そういうのは今後言わないようにします。じゃあエビーとタイタはついてきて。検証するよー」
「ほいほーい、了解すー」
「ぎょ、御意に…」
するり。
「ま、待てホッター殿!」
ハコネの隙をついて脇をすり抜けると、タイタも戸惑いながら立ち上がった。そしてザコルに貼られた罵詈雑言の紙をはがし始めた。
「待てと言っているだろうが!! 俺の立場では流石に見過ごせない!」
慌てるハコネに構わず、私はザコルの首の縄を解く。
手を引くとやはりすんなりと立ち上がってくれた。
「チャンスは逃せません。例えば今日この直後に史上最凶の怪獣大戦争などが起きないという保証はないので。この人に何かあってもらっちゃ困るのは、私も同じですよ」
ハコネはアメリアが横になっているソファを慌てたように覗き込む。
「ア、アメリアお嬢様! 申し訳ありません、俺では止められません! ホッター殿を止めてください!! 怪獣大戦争だとか訳のわからない事ばかり…」
「いいのよ、ハコネ。お姉様のお好きになさったらよろしいわ」
「お嬢様!?」
むくり、アメリアはソファから身を起こす。
「どうせその男はお姉様に何をされても文句など言えないのでしょう。そうね? エビー」
「はい! その通りっすお嬢様!!」
「タイタもそう思うかしら」
「お、恐れながら…。エビーの言う通り、アレ以外に関しましては、今までとても紳士とは思えぬ所業をなさってきたのはザコル殿の方ですので…。最近の生き生きとやり返されるミカ殿のご様子はむしろ微笑ましくさえあり…。いや、しかしこれからアレをなさるのは、お止めしないのも紳士としては…」
アメリアは目を閉じて控えめに頷いた。
「分かりましたわ。二人がそう言うのならば任せましょう。お姉様に危険が及ぶような事があれば全力でお助けするのよ。何も無いとは信じておりますけれど」
「も、もちろんでございます!」
「了解す!」
タイタはかしこまり、エビーは軽い調子で敬礼する。
「お嬢様、本当によろしいので?」
「もう致し方ありませんでしょ、ハコネ。逆にそこまで手を出し合っておいて、今更婚約の話を白紙にできるなどと、よくお考えだったとさえ思いますわ。お二人とも……いえ、お姉様の世界の常識ではその程度、戯れの範囲なのよね、きっと…」
「呆れさせてごめんなさい、アメリア。私の世界では、貞操の観念も割と個々人の判断に委ねられていまして。婚前でも……いえ。しかしその辺りの価値観まで彼に押し付けるつもりはないですよ。決して、一線は越えていませんし、なるべく越えさせないようにもしますので」
「そうしていただけるのがいいわ。彼もまた、父のお気に入りですから。大切にして差し上げてくださいませね」
「もちろんですよ、アメリア」
私は彼女に一礼し、同じように礼をする騎士二人と、手を引かれるままに歩く人を連れて部屋を出た。
つづく
チャラ男E「なるほど取り乱し慣れてんな」




