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合流

 小さな町の入り口が近づく頃にはもう日は沈みかけていた。

 念のため髪を後ろにまとめ上げ、ストールを髪にかけて軽く隠す。


 少女(に見える女)連れだが、町から町への移動なので今回はそれほど目を付けられる事はなかった。完全にお揃いの旅装束になったので、周りからは家族に近い関係だと思われているようだ。

 テイラーからの通行許可証を目にした守衛は色々と聞きたそうにしていたが、明らかに体調の悪そうな私を見るとすぐに通してくれた。


 クリナを降りたのでいくらかマシになったものの、胸のムカつきと頭痛がおさまらない。カゴと私の鞄はザコルが持ってくれたので、私はザコルの腕に掴まってヨタヨタと歩いていた。


「あっ! すみませんそこのお二人…! もしかしなくても、ザコル殿とミカさんじゃないすか…?」


 顔を上げると、素朴な格好で町に溶け込んだ青年が少し離れた場所に立っていた。

 麦わらのような色の金髪、グレーがかった青の瞳。

「……もしかしなくても、エビー?」

「やっぱそうだ! やーっと見つけたあ…!! てか、どうしたんすか、そんな青い顔して。馬にでも酔いました?」

 青年は慌てたように駆け寄ってくる。

「わ、本当にエビーだ。エビーだー!」

 気持ち悪かったのを一瞬忘れ、ザコルの腕から手を離す。

 アマギ山越えまでついてきてくれた護衛隊の一人、エビーだった。


「お二人を捜して、ここで待機中でした。ご無事で何よりです」

 周りから目立たない程度の動きで、騎士団員らしく軽く礼を取ってくれる。

 久しぶりにテイラーの人に会えて嬉しい。別れたのはたかだか四日か五日前の事なのに、色々ありすぎて遠い昔のことのようだ。


「何でここに来るって分かったの?」

「ただ皆で手分けして散って待ってただけすよ。俺がここにいたのはたまたまです。この先の大きな街の方にも二人いますよ。いやあ、ここ選んで良かったなあ。ミカさんは相変わらず可愛いすねえ。再会のハグは…」

「久しぶりですね、エビー」

「ヒッ!」

 低く昏い地の底から響くような声に、エビーが後ずさった。

「ザコル、往来で殺気撒き散らさないでくれます?」

「セクハラはよくありません」

「もー、相変わらずすねえ猟犬殿。挨拶すよ挨拶」

 エビーが怯えた顔を引っ込め、再び寄ってくる。

「ま、ここでは何ですし、あちらのレストランはいかがでしょう。奥に個室もあるんで」


 ◇ ◇ ◇


 私達はエビーの後についてレストランに向かった。

 登山目的で旅する人がよく利用するらしく、建物の裏手には馬を預かるスペースを備えていた。


 円卓のある個室に案内されて腰を落ち着けると、温かいお茶が運ばれてきた。ザコルが毒味のつもりなのか一口啜り、カップを渡してくれる。すっきりとした風味のお茶を口に含むと、いくらか胸のムカつきが良くなったような気もした。エビーがメニューを見て適当に頼んでくれ、すぐに温かい料理やワインなどが並ぶ。


 こんなに食べられないよ、二人も一緒に食べて。と同席を促せば、エビーは「さっすがミカさん!」と嬉しそうに座り、ザコルも黙礼して座った。

 こういう時は身分の高い人間が同席を許さないと護衛や侍従などは勝手に座れないらしい。

 旅に出てから、ザコルとは散々一緒の席に座っているが、今回はエビーもいるので一応形式張ったやりとりを挟んだ。

 ちなみに現在の私の身分は『伯爵家の縁者』というフワッとしたものだが、一応平民以上の扱いになる。

 王家から公式な発表がないうちは、渡り人で魔法士ですなどとは勝手に名乗れない。それまでに、テイラー伯爵家が召喚に関与していないという証拠も必要になるだろう。



「エビー。君は、監視の一員でしたか?」

「いや、違いますよ。監視チームは撒かれちまったんでね、俺ら護衛隊も呼び戻されて探しに出てたんすよ」

 やっぱりテイラーからも監視がついて来る予定だったんだ。

 そりゃそうだよね、渡り人に英雄、重要人物を二人も野放しにして、行方も無事も分からない状態でいいわけがない。

「もう大混乱だったらしいすよ。うちの監視チームは街の出入り口あたりでお二人が街を出るのを待ってたらしいんですけどね。そしたら猛スピードでシュンッつって森に突っ込んじまったとか」

 そうだった、まさに猛スピードだった。オープンカーで高速走ったらこんな感じかとまで思った。馬が速いのか、クリナが特別速いのか…。

 あ、監視チームが入り口で待っていたということは、彼らにあのブレスレット誤爆事件は見られていないという事だ。よしよし。深緑湖でガチ泣きしたのもバレていませんように。

「慌てて追ったものの、そっちのクリナの脚が早すぎて完全に見失ったそうで。何があったかも判らねえし、ついに猟犬殿の気が触れたとか言う奴も出てきてさ。どうやってミカさんを救出するかってマジに議論してたら、ジークの黒子がどこからともなく現れて、ラースラ教の曲者投げて寄越してアレコレ説明しだしたと…。あいつら後でめっちゃくちゃ怒られるでしょうねえー」

 ペラペラと監視チームの失態を語るエビーだ。ザコルへの当てつけもあるだろうか。


 それにしても、彼らが入り口近くにいたというなら、一言フォローくらいしてあげれば良かったんじゃないだろうか。

「ジークの隠密部隊は優秀ですからね。ちゃんとテイラー側にもフォローしてくれたでしょう」

「そういう問題じゃねーんですよお」

 …あれ? もしや、ザコルはテイラーの監視というか隠密を信用してないんだろうか…?

「あの、でも、ザコルからも一言あれば彼らも…」

「わー優しいなあーミカさんはー」

 ザコルがフンと鼻を鳴らした。

「僕が潜伏者を二人倒した直後、例の香の匂いをまとった…ラースラ教関係者と思われる者がかなりの人数往来に出てきたんです。武器の音もしましたし、馬を引いた者もいました。狙いは僕達だけでしょうからね。テイラー、ジーク双方の監視共々街中で戦闘になるよりはマシかと考えただけです」

 エビーがゴクリと喉を鳴らす。

「……いやあ、良かったなあー、他領の繁華街で大乱闘とか。そりゃ洒落になんねえすわ」

「解ってくれたなら何よりです」


 なるほど、そうか。ザコルは観光客も監視達も巻き込まないために急いで離脱したんだ。

 彼がかなりの人数というくらいなのだから、それはもう『かなり』だったんだろう。少なくとも、テイラーの監視チームとラースラ教側はまだお互いを敵とまで認識していなかった。もし認識してしまえば戦闘は免れなかったかもしれない。


「私、弁当死守してザコルにしがみついてただけだから知らなかった…」

「ミカはもっと僕を疑った方がいいです」

 ザコルにしょうがないものを見る目をされる。

「ミカさんて天然なんだか肝が据わってんだか解んねえな…。それよりミカさん、どうして深緑湖で号泣なんかしてたんすか?」

「バレてる…!! 何で!?」

「ああ、これは別に、上には伝わってないですよ。俺が監視役やってた奴と友達だからちょぉっと聞いちゃったんですよねえ」

「仲間内で噂になってる⁉︎」

「ねえ、猟犬殿。何で泣かしちまったんです?」

 ギロリ。

 エビーは騎士だが何となく軽いというか、おちゃらけた様子しか見たことがなかった。が、そんな彼が凄む所は初めて見た。ぐ、とザコルも言葉を飲む。

「あのねエビー、私が悪かったんだよ。あの日もどうかしてたし。ザコルを責めないで」

 私は目の前のスープにスプーンを戻しつつ、なるべく笑顔で言った。

「違います。僕が悪いのは解ってるんです。無理に笑わないでください」

「ううん、ごめんね、違うの。本当にどうかしてたんです。何であんなに泣いちゃったんだか自分でも全然分からなくて。情緒不安定だったとしか、今日だって…」


 以前コマにも叱られた通り、いい大人が人前でいきなり号泣だなんてどうかしている。

 私が泣き出したせいであの時はまともな話し合いもできなかった。ザコルのせいにされるのは心苦しい。また泣きたくなってきた。


「や、そんな悲しそうな顔せんでくださいよ。ミカさんが嫌な思いしたとかじゃないなら、俺は別に」

 エビーは少し焦ったように言ってザコルに向き直った。

「ちょっとお猟犬殿、ちゃんと大事にしてあげてんすか? つらくなる日だって絶対ありますよ。若いのに独りぼっちで異世界に来てさ…。俺らももっと力になれたら良かったんですけど、ミカさんはずっとそこの唐変木がお気に入りだったから…」

「あの、私、そんなに分かりやすかったかな」

「そりゃね、俺らはずっと側で見てたんすから。へへっ」

 エビーは悪戯っぽく笑ってワインをあおった。

「ミカさん、ずっと俺らには遠慮してましたよねえ。でも、ホノルさんと何故かその唐変木には遠慮がねえっつうか、素直に頼ったりもしてたじゃないすか。皆で納得いかねえよなーってよお…」

 そう言って自分でボトルを傾けつつどんどんあおっている。

「エビー、ありがとう。心配かけたみたいでごめんね、というか飲み過ぎじゃないかな」

「謝んないでくださいよお。こないだのアマギ山越えまでの道は俺、すげー楽しかったすよ。女の子連れで山登るなんてもう絶対ねえだろなー。やっと少しは力になれたかなって…へへ。それなのにそいつと来たらよぉー」

 エビーはビシィ! とザコルを指差した。

「女の子の扱いは雑だし、ミカさんの気持ちも見ねえフリするし、何度そこ代わってやろうかって思ったよ! こんな可愛い子泣かすなんて、ふざけんなよてめえ」

 エビーはやおら立ち上がり、隣で黙って聞いていたザコルの胸ぐらを掴んだ。

「ちょ、ちょっとエビー!」

 私も慌てて止めようとする。

「……君の言う通りです」

『へ』

 ザコルはエビーの手をそっと掴む。


「ミカは、何も悪くないんです。そうだ僕などが無神経にも彼女を問いただし気持ちを計ろうなどとしたのが全ての元凶であまつさえ全く的外れで利己的な要求をするなど思い上がりにも程がある今考えても当時の自分の考えには吐き気すら催す思いだこんなにも汚く気も利かない僕が浅ましくもミカの側に侍っていていいのでしょうか君はどう思いますかこんなに不誠実で烏滸がましい僕がミカに赦されていいと思いますかどう」


「待って待って待って何何何!? 何なのあんた、こんなに喋れたんすか!?」 

「ミカが他の人に話を聞けと言うんですまともな感覚を持っていそうな君なら教えてくれるでしょうどうミカに償いをしたらいいでしょうか教えてくださ」

「怖っ! 止まって止まって!」

「ザコル、ストップ。エビーが困ってます」

 私はまだ気分が悪いのを我慢しつつ立ち上がり、ドン引きするエビーの手を掴んだまま離さないザコルの手を取り、そっと剥がす。


 エビーが咳払いし、ザコルから微妙に距離を置いて座り直す。

「……ええと、とりあえず、ザコル殿が頭ん中で滅茶苦茶拗らせてる事は解りました。俺も勝手な事言ってすみません。ミカさんも、もう、怒ってないんじゃ、ないでしょうか。どうでしょう、ミカさん」

「はい。別にアレについては怒ってないです。さっきも言ったけど私もどうかしてたから」

「ね、ミカさんもこう言ってるし、そんなに思い詰めないで」

 エビーがポンポンとザコルの肩を叩いた。



「あははは! それで湖の管理人に不審者扱いされたんすか、ウケますね」

「笑い事じゃありませんよ…。旅に出て早々社会的に死ぬかと思いました。今朝だって」

 ザコルとエビーが談笑している。ちょっと感動だ。


「ザコル良かったですね、お友達ができて」

「おともだち…」

 ザコルには微妙な顔をされた。

「ミカさんはこの人の保護者か何かすか? まあ、気持ちはちょっと解りますけどねえ…。ハコネ団長も手のかかる弟みたいだって言ってましたよ」

 ハコネ兄さんらしい。ずっとザコルの事を気にかけていたもんね。

「ハコネは僕に髪を切れだの服をちゃんとしろだのとうるさいです」

「いや、俺より歳上のくせに子供みたいな事言わんでくださいよ。あんた仮にも国から褒章もらった英雄だろ」

「欲しくて貰ったんじゃありません。おかげで心にもない褒め言葉を聞かされるわ、行きたくもない夜会に呼ばれるわ、仕事に支障は出るわ、変な奴らに担ぎ上げられそうになるわ…。はあ、散々ですよ」

「いや、あんためっぽう強いんすから、適当に睨み利かせときゃいいじゃないすか。全く…」


 エビーが目の前のチーズを口に放り込む。そして皿をザコルにも寄せた。

 ザコルもそのチーズを一つ取って口に放り込む。


「僕は繊細なんです」

「自分で言うかよ…」

「嫌になるとすぐ王都燃やしに行こうとしますもんね、繊細だから」

「何すかそれ、繊細とかいう問題すか!?」

「主の迷惑になりそうなものはさっさと処分した方が精神衛生上いいに決まっています」

 はあーっ、とエビーが溜め息をつく。

「セオドア様が王都から遠ざけるわけだよなあ…」

 エビーはボトルを傾け、何杯目かのワインをあおった。



「ねえザコル、ジークさんちの黒子君って町にいました?」

「いえ。この町にはいないようです。いたとしても一緒に寝てはくれませんよ」

「ジークの黒子と一緒に…寝る? 何? 何なんすかそれ、説明してくださいよお」


 エビーもザコルも、お肉やスープを次々と平らげている。

 ザコルは前に『一日二日食べなくても大丈夫』とか言っていたが、食べ物が目の前にある時は大食いにもなるんだな、とぼんやり思った。


「寝るとかいうのは流石に冗談なんだけどね、あのね。こういう町の小さな宿で私と別室になると警備が不安なんだって。もし敵が襲ってきたら宿の壁破壊するとか言うしさ。だからね、黒子君がいれば助言の一つでも貰おうかって話してたんだよ。でもエビーがいるならきっと何とかなるよね」


「へー、宿の壁を破壊すか…またぶっ飛んだ事を。ていうか、お二人は…そういう、関係になった…? のかは、知りませんけど、もういっそ同室に泊まっちゃおうって発想は無いんすか」

 エビーはハンガーにかけられた私のコートとザコルのマントを見比べながら言った。


「未婚の男女で同室、しかも僕が相手だなんて、ミカの名誉に関わるでしょう」

「あんなお揃いの服着せといて何言ってんすか?」

「そのコートはミカが選んだんです」


 …ふーん、コート似合ってるって言ってくれたくせに。

「私は別に、同室でも何でもいいんですけどねえ」

「何でもいいとはなんです。勝手に醜聞を広めたりすれば懲罰ものですし、僕も本意じゃありません」

 醜聞とはなんだ醜聞とは…。ザコルにとって私との旅は醜聞なんだろうか。

「まあまあ。面白がって二人旅に出させたセオドア様が懲罰だとか言い出すわけないすよ」

 面白がってるんだ、セオドア様。

「ほら」

「い、いえ! いくら何でも、町中で完全な同室を避けるのは最低限の筋でしょう。僕は暗部に属する者でもありますし、下手な弱みを握られない方が」

「弱み…。それ、弱みって程の弱みになるんですかね? 大体……って、まあ、ザコルがそう言うなら何でもいいですよ」

 もう泣きそう。こんな事で喧嘩したい訳じゃないのに。

 ザコルも男女別室だけは譲れないのか黙ってしまった。


「あー、えっと、ミカさんってそういえば、何でか知らないけどジーク伯爵夫人とその義理の妹様と三人で街歩きしてたらしいですね。気に入られちゃいました?」

 エビーが空気を変えようとしてか違う話題を振ってきた。気を遣わせてごめんよエビー。

「うん、前の日に宿のラウンジで声をかけてもらってね。イェル様とニコリ様とはすっかり仲良しになったんだ。ザコルはジーク伯爵兄弟に連行されてルートの見直しを迫られてたから、私達は時間ができちゃってさ」

「ああ、猟犬殿、無茶なルートも候補に入れてましたもんね。流石にウスイ峠やツルギ山は…」

「ウスイ峠は昨日越えてきたよ」

「…は?」

「あ、でもクリナがいたから歩いて登ったのは最初の方だけだよ。朝から夕方までかかってね」

「…はあ!? マジで言ってんすか!?」


「ちゃんとマンジ様には通ると伝えましたよ」

 ザコルがしれっと答える。

「他所の伯爵家の許可取ってどうすんすか。いくらラースラ教撒くためだって、こんな若い子連れてあの峠なんか越したら滅茶苦茶怪しまれたんじゃ…それくらいの難所なんすよ!?」


「ふふ、エビーに若い子って言われるのはおかしいね。そうそう、何度もザコルが不審者扱いされてねえ。それでもういっそ、外套をお揃いにでもすれば夫婦か兄妹くらいには見えるだろうと思ってあのコートを買ってみたんだけど、それでも怪しまれたね」

「ああ、それであんなあからさまなお揃いコーデを…って、何がおかしいんすか、若い子で」

「?」

 こて、と首を傾げたら、エビーがウッとたじろいだ。


「ちょ、なんか可愛い仕草しないでもらえます!? 大人には刺激が強えんすけど!」

「大人…? さっきから何言ってんの、エビーって私より歳下でしょ?」

 エビーがきょとんとした顔をする。

「いやいやいや…。まさかとは思いますが、俺のこと成人前の従僕か何かだと思ってんすか。それなら」

「ううん、エビーは騎士で、多分二十歳くらいでしょ? 私、今二十五歳だよ。あ、秋を越したら二十六になるわ」

「はあああ!? 二十五ぉ!? てっきり十五、六だと…!」

 ガタッ、エビーが大声を出して立ち上がる。

「いやいや、峠の山犬亭のおばさんにも言われたけど十五とか流石にないでしょ…え?」

 エビーは本当に知らなかったらしく、目を丸くしたまま立ちすくんでいる。

「えー…本気で? ていうか、私の年齢なんて皆知ってるものとばかり…。少なくともハコネ兄さんは知ってるはずなんだけどな」

「団長は女性の年齢とかいっこも興味なさそうだからな…。まあな、そりゃ流石に十代のお嬢さんをこの男には預けないか…」

 十代のお嬢さんて。こちとら中堅に差し掛かった社畜だぞ。


「ミカさん、この際言っときますけど、正直十代半ばくらいにしか見えません。俺がおかしいってわけじゃないですからね。その人が人拐いか変態扱いされてもしょうがないんすよ」

 そのザコルは我関せずといった顔でハムを口に突っ込んでいる。

「そっか。二十五年も生きてきて自分が童顔だなんて初めて知ったよ…。いや、私が日本人だから若く見えてるんじゃない? 海外あるあるで」

 欧米に行くとアラサーでも十代に間違われるとはたまに聞く話だ。


「それはよく分かりませんけど、一人で往来をウロウロとか絶対にしないでくださいよ。黒髪も珍しいし、可愛いし、ラースラ教や王弟殿下の手先以外にも狙われるもんだって思っといてください」

「それも山犬亭のおばさんに言われた。ああ、あのソーセージとお芋は美味しかった」

「…道中は僕が側にいれば問題ないと思いますが。ミカも離れないよう気をつけてくださいよ」

 ザコルがソーセージを頬張りながら私に視線を寄越した。


 黒髪が珍しいのは分かるが、そんなに狙われそうな見た目をしているのか。

 日本にいた頃は、声をかけてくるなんてせいぜいキャッチか露出狂くらいだったのだが。でも皆がそう言って気に掛けてくれるのならば気をつけよう。


 ◇ ◇ ◇


「そうそう、今更ですけど、本題っす」

 エビーが居住まいを正しつつ話し始めた。


「きっと知ってるでしょうけど、ラースラ教が前にも増して動きを活発化させてます。王都を始め、大きな領の主要都市にはかなりの数の信者が潜伏してるって話すよ。儀式らしいのを見たっていう通報も多くなってます。魔獣を連れていたとかいう目撃事例まであります」


「その辺りはジーク伯爵方からも聞きました」

「深緑湖の街でのこともありますし、そいつらがミカさんを特定して狙ってるのは間違いないすね。状況はよくねーですよ」

 状況はよくねーのか…。頭痛が酷くなってきた。


「信者らしい奴らも目立った犯罪をするわけじゃないからあんま捕まえられないんすよね。深緑湖の街でザコル殿に仕留められた奴らは無断領境侵犯で拘束してありますけど」

 私は何杯目かになるお茶をテーブルに置いた。


「仮にミカさんが拐われたとして、何をされるのか予想がつきません。今はせっかく撒けてるみたいなんで、足がつかねえように最大限配慮しましょう。王都もきな臭くなってきましたしねえ…。嫌な言い方になりますが、お二人は政治においても利用価値が高いんで」

 ザコルはともかく、どうしてポッと出の私なんかをみんな狙ってるんだろう。何はともあれ、テイラーの皆さんには多大なるご心配をおかけしてしまっている。胸が痛くて何かが込み上げそうだ。


「ねえエビー。ザコルの事も王都から遠ざけたかった、って事で合ってるんだよね」

「そうすね。猟犬殿は危なっかしいんで」

「危なっかしいとはなんです」

「人間不信の最終兵器が何言ってんすか。これ以上人間に失望する前にさっさとサカシータ領に引っ込んでくださいよね。本当、危なっかしいんで!」

 エビーは大きなハムを頬張りつつ、横にいるザコルの杯にドボドボとワインを注ぐ。

「危なっかしい…」

「セオドア様はあんたを傷付けたくねえんすよ」

 ザコルをちらっと見る。む、と不思議そうな顔をしている。


「それは、刺激したくない、の間違いでは。恩のある主の力になれないのは心苦しいですが、僕の存在が主の懸念材料となるなら仕方ありません。ミカも無事に送り届けないといけませんし。サカシータ子爵領は天然の城砦ですからね。強者揃いですし。ミカ、安心して過ごしてくださいね」

「ありがとうございます…」


 そうは言ったが、私の気分はちっとも晴れなかった。

 さっきの喧嘩未遂も引きずっているし、馬酔いもちっとも良くならない。というかむしろ悪化している。お茶を飲んでも飲んでもスッキリしない。目の前のスープも数口飲んでそのままだ。

 今日は本当に散々だ。自己嫌悪に押し潰されそうになる。


「ザコル殿はそうやって、セオドア様とミカさんしか大事じゃないみたいに言いますけど」

 エビーがザコルの方に向き直る。

「いいすか。料理長はずっとあんたの好みが分からないって悩んでたし、侍女長はあんたのベッドに使われた形跡がねえって心配してました。ハコネ団長もそうだし、オリヴァー様は別れの時にあんなに泣いてたじゃないですか。皆、あんたが思ってるよりずっとあんたの事、気にかけてんすよ。あんたの事だって皆が護ろうとしてるって事、ちゃんと知っててくださいよね!」

 エビーはそう言い募って、プイッと違う方を向いた。ザコルはまた、何を言っていいか分からない、といった様子で黙り込む。


 しばらくして、エビーが気まずそうに自分のグラスをいじり、私の方へと顔を向けた。

「…ミカさん、えっと、久しぶりに氷作ってくださいよ。あのキンキンに冷えたやつ、たまに恋しくなるんですよね」

「ん、いいよ。グラス貸して」


 私は何とか笑顔を作りつつ、エビーから受け取ったグラスに魔法をかけ、ワインをシャーベット状に凍らせた。

「おー、これこれ。すげえなあ、凍る瞬間なんて、普通こんなまじまじ見れねえよ」

「…あれ?」

 喜ぶエビーにグラスを返しつつ、私は自分の手をじっと見た。


「ミカ、ずっと顔色が良くならないようですが、大丈夫ですか。さっきからお茶とスープにしか口をつけていないでしょう。本当に馬酔いなんですか」

 ザコルが私の顔を覗き込んでくる。

「え、まだ治ってねーんすか? 馬酔い」

「うん、ずっと気持ち悪かった。…なんだけど、ワイン凍らせたら少しだけ良くなったかも。どうして…」


 私はふと思い立って、手元のお茶や、ザコルの前に置かれたワイン、水差しの水、冷め切ったスープなど、手当たり次第に魔法をかける。

 氷を作りすぎたせいで部屋の室温が心なしか下がった。

「いや寒…っ」

「ああ、スッキリした!」 


 さっきまでの気持ち悪さが嘘みたいだ。

 何だろう、今なら何でも笑って許せそうな気がする。私はザコルに向き直った。

「ねえ、今なら耳食んでもいいですよ!」

「なっ、何を言い出すんですか!?」

 ザコルが慌てた様子で私を制する。

「みみ…は? なんだって? 今聞き捨てならないような事言いませんでした?」

「言ってません! 空耳じゃないですかエビー。ほら、ワインをどうぞ!」


 ザコルが人にお酌するところは初めて見た。私は久しぶりに心のモヤモヤまでもが晴れた気持ちになっていた。

 思えば旅に出てから泣いたり怒ったり、ずっと情緒不安定だった気がする、どうしていきなり気持ちが晴れたのか、それは……


「魔法を、使ったから…?」


 そうだ、それしかない。魔法は一昨日の夜以来、一度も使っていなかった。それに、旅に出てからは人目を気にして、使ったとしてもほんの僅かな氷を作るのみだった。それでも魔法を使った後は気持ちが晴れていた気がする。それ以外では思い切り泣いた後くらいか。


「ちょっと、ザコル。私の鞄取ってください」

 ザコルが不思議そうな顔をしながら鞄を寄越してくる。あれ、この人、こんなに可愛い顔してたっけ…。

「ミカ、どうしたんです。昨日からずっと僕の事を蔑んだ顔で見ていたのに」

「え、私、ザコルにそこまで酷い顔向けてましたか? ごめんなさい…」

 イライラしていた自覚はあるが、そこまで自制できてなかっただろうか。

「いえ、謝る必要はありません。僕の事を変態と罵りながら蔑んだ顔をするあなたも可愛いですよ」

 …何言ってんのかなこのど変態は。

「ああ、そう、その顔です」

「何言ってんすかこのど変態は。ミカさんから離れろど変態!」

 エビーが代弁してくれた。


 ◇ ◇ ◇


 私は鞄から、深緑湖の街の宿で貰ってきた便箋の束と、フジの里でもらった短い鉛筆を取り出した。

 便箋の空白部分を使ってこれまでの旅の行程を簡単な表にし、気持ちが崩れたタイミング、魔法を使ったタイミング、泣いたタイミングなどを書き込んでいく。


「んー……何が始まったんすかねえ」

 私とザコルの間に挟まって立つエビーが表を覗き込んでくる。

「エビーはどいてください。ミカ、説明してくれませんか」


「たった今、魔法を使ったら馬酔いとイライラが一気に良くなったんです。私、旅に出てからずっと情緒不安定だった気がするんですよね。何度も泣いたり怒ったりして、今日は体調まで崩したし。でも、魔法を使った後と、しっかり号泣した後はスッキリして安定してたんですよ」


 んー、と少し考えてエビーが口を開く。

「号泣…はちょっと分かんないですけど、魔法を使わないと心身に不調が出るって事すか?」

「そうかもしれないと思って。だって私、この一週間で四回も号泣してるんだよ。いくら何でも情緒不安定すぎじゃない? エビーもそう思うでしょ?」

「まあ、確かに、伯爵邸にいる間にミカさんが泣いてるとこなんて見た事ないですからね。変といえば変か」

 私自身も、伯爵邸でメソメソ泣いた記憶なんてない。

「魔法使えるようになってからですけれど、伯爵邸では毎日のように紅茶を冷やしたり、かき氷作ったり、魔法の修練をしたり、割と魔法を連発して暮らしてたんですよ」

「それをしなくなったから、心身の調子が崩れてきたとミカは言いたいんですね?」

「そうです。ねえ、ザコルも心当たりないですか?」

 ザコルが口元に手をやって考え込む。

「それで、この表すか」

 エビーが便箋を手に取り、ザコルも一緒になってその表を眺める。


「一日目は俺らも一緒でしたけど、何ともなかったし楽しそうでしたよね。むしろ猟犬殿がヘソ曲げかけてたくらいで」

「あれは僕が悪いんです」

「二日目は、そう、湖で号泣しちゃって」

「ええ、その後はあっさり立ち直ってもいて、あの落差は確かに不自然でした。ですが、泣かせた事は、やはり僕のデリカシーのない発言のせいだったかと…」

「三日目の深緑湖の街ではこっそり魔法を使ってるんです。イェル様とニコリ様に見せて差し上げたから。楽しい一日でした」

「四日目の夜はあの強い酒のせいで酔って号泣していました。僕の注意不足でしたが、介抱が間に合って良かったです」

「五日目はお世話になった里の昔話を聞いたせいで朝から落ち込んでましたけど、しばらく泣いたら元気になりました」

「その夜は、少し氷を作って、大泣きして…。そうだ、全ては僕の失言が原因で…」

「六日目は昨日というか、森を出て峠越えして、モナ男爵領に入った日ですね」

「はい。昨日は魔法も使わず、僕の知る限りでは泣いてもいませんね。朝方はとても楽しそうにしていた事を覚えています。峠を越えて、山犬亭に着いて部屋で話してからは怒っていましたよね。何もかも僕の配慮が足りないせいで…」


「ちょっといいすか」

 エビーが手を挙げた。

「ほとんどそこで頭抱えてる人が悪かったって事すか?」

 彼の指差す先には、確かに頭を抱えるザコルの姿があった。

「改めて自分の頓珍漢ぶりというか、不甲斐なさを痛感というか…」

「ちょっと、ザコルが落ち込まないでくださいよ。私がイライラしてたのは私の問題であって、ザコルのせいじゃありません。普段通りならもっと冷静に受け止められたはずですし、ザコルなりにフォローもしてくれました。言ってもらえて嬉しかった言葉だって」

 エビーがうんうん、と神妙に頷く。

「なるほど。しかし、そのイライラが爆発するきっかけを毎回作っちまってんのは変態殿だと」

「全くその通りです。エビー、話を聞いてくれませ」

「いや、反省してるならいいっす。語らないでください。ミカさん続きをどうぞ」

 エビーは言い募ろうとするザコルを適当にあしらいながら私に手を差し向けた。


「えっと、じゃあ…。七日目というか今日はもう散々でしたね。自分でもイライラを制御できてない自覚がありました。朝っぱらから馬上でイタズラされたのもありましたけど、私も変な事や酷い事ばかり言っちゃって…。本当にごめんなさい。それから馬酔いも…」

 はたと顔を上げると、エビーが真顔になっていた。

「…ミカさん、この変態野郎にどんなイタズラされたか知りませんけど、どうします、いっそすぐにでも伯爵家に戻って俺ら護衛隊が身を守りましょうか。セオドア様なら解ってくれますよ」

「え」

 エビーが便箋をテーブルに置き、代わりに私の手を取る。突然触れられたのでビクッとしてしまった。

「ちょ、ちょっと、ミカを連れていくのだけは…!」

 ザコルが慌ててエビーの反対側の手を掴む。三人で手をつないだみたいになった。何だこれ。

「ほらミカ、魔法を使ったら体調が回復したという話ですよね!? 続きをどうぞ!!」


「…あ、はい。そうなんですよ、回復したんですよ! 今は頭痛も気持ち悪さもないです。さっきまでのネガティブ思考もなくなって気持ちまで晴れ晴れしてるんです。ザコルのアレも笑って許せそう! あはははは」

「いや、アレって何なんすか!? 何笑ってんすか!?」


 急激に気分が晴れた私は少々ハイになっていた。エビーは私の手を離し、まじまじと顔を覗き込んできた。

「確かにおかしい…。ミカさんってこんなキャラだったか…?」

「ミカ、ミカ。本当に大丈夫ですか。まさかワインに手をつけていないでしょうね」

 エビーのみならず、ザコルまでこっちを覗き込んできた。


「あはは、二人ともあんまり見ないでくださいよ。今日は本当にお茶しか飲んでないです。さっきまでは、本当に気持ち悪くて頭痛も酷くて泣きそうで…。こっちの世界に来てから、あんなに体調が悪かったのは初めてかも」


 ザコルとエビーが顔を見合わせる。

「とりあえず、今日はもう宿に行きましょう。お二人を見つけた時のために、ちゃんと警備のしやすい部屋を押さえてありますんで。俺とザコル殿が一緒に寝るので、ミカさんは一部屋使ってください」

「ありがとうエビー。助かります。あー、でも隣の部屋かあ…」

「何か不都合あります?」

「ううん、またトイレもシャワーも着替えも丸聴こえかと思って。でもまあ仕方ないよね。ザコルも耳がいいだけだし。さ、行こっか!」

 じろ。

 エビーがザコルに視線をやる。ザコルが気まずそうに目を逸らす。

「……ふうん、なるほどね。どう報告してやりましょうかねえ」

「べ、別に敢えて聴こうとした訳では」

「とりあえずミカさんの身支度があらかた済むまで、ザコル殿には建物外の警備をしてもらいますから」

「そう? じゃあ今日は思いっきりお風呂で歌っちゃおう! 演歌メドレーだー!」


 私はルンルンでレストランを出て、建物裏にいたクリナに思い切り抱きついた。

 今日も一日頑張ってくれたのに、ずっと気持ち悪い顔して乗っててごめんね、クリナ。


 ◇ ◇ ◇


 宿は小さなペンションだった。カントリー調で可愛らしい外観だ。

 元から二組限定の宿らしく、昨日から貸切にしているらしい。


「ザコルー、ふふ、へへへ、顔が険しいー」

「頬をつつかないでください」

 お風呂上がりで身も心もスッキリした私は、宿の談話室でザコルとエビーと一緒にくつろいでいた。


 さっきのレストランではほとんど食べられなかったので、気を利かせたエビーが宿の人に軽食を頼んでくれた。

 温かい紅茶を啜り、果物やソーセージを挟んだパンなどを食べる。幸せだ。


「こうして見ると、さっきまでのミカさんは本当に調子が悪かったんすねえ。何か暗かったし。あそこで長い事喋ってて申し訳なかったすね」

「僕は今日一日どうしたものかと思っていましたよ。朝から泣きそうだなんて言い出すし、馬酔いしたのも初めてですし。また僕が何かしてしまったのだろうと…」

「何かはしたんだろがこのど変態」

 べしっ、エビーがザコルをはたく。

「今考えると馬酔いだなんてあり得ないですよね。散々クリナに乗って森や山を歩いてきたのに。ザコル、本当にごめんなさい。怒ってもいいって言って受け止めてくれてありがとう。うふふ」

 私はソファでザコルの隣に座り、ピトッとくっついた。心の余裕って素晴らしい。

「あの、ちょっと、もう少し離れてくれませんか」

 せっかくくっつきたい気分なのにザコルに引かれた。何でだ。

「あー、何すかね。俺、お邪魔虫すか?」

「何言ってんの、エビーが来てくれなきゃ解決してなかったよ。それに私達を探し出してくれてありがとう」

「そうですね、僕だけでは気づいてやれずまた大泣きさせていたかもしれません。感謝していますよ、エビー」

「そ、そこまで言われっと照れるじゃねーすか…」

 ザコルにまでお礼を言われ、エビーが頬を掻く。


「その、ミカさんにとって、大泣きするのも魔法を使うのと同じくらい何かを消化してるって事なんすかね。魔法士が身近にいないんで俺は全然分かんねえすけど」

「その、何か、まあ魔力ですかね。それを定期的に消化しないと、ミカの心身に不調をきたすという仮説が生まれたわけですが」

 果物を頬張る私をザコルとエビーがジロジロ見る。

「ミカ、明日から試してみましょう。移動中、人けのない場所で魔法を使ってみてください」

「ふぁい」

 私は口に果物を詰めながら返事をした。

 そうだ、今夜はアメリアへの手紙を書こう。魔力を消化しないと体調を崩すかもしれない件はどう報告しようか…。

「ミカ? 今日は疲れたでしょう。書き物もいいですが、さっさと寝てください」

「バレてる。独り言拾い過ぎでしょ。でも、これは大事だからちゃんと書きますよ。エビー、アメリアへの手紙を書くから明日預かってね」

「了解す。きっとお嬢様も首を長くしてお待ちすよ」


 ◇ ◇ ◇


 翌日から旅のお供にエビーが加わった。彼は別の馬に乗ってクリナの横に並ぶ。

 今日はこのペンションを出て、しばらくあの石の多い小道を進んだ後、街道に出て大きな街を目指す予定だ。


「お邪魔虫なのは承知の上なんすけどね、また失踪されても困りますし、サカシータ子爵家まで同行させていただきます。少々目立つのは勘弁してくださいよ」

 朝、宿の食堂で朝食を摂りながらエビーが言った。


「いいえ、宿泊の件もそうですが、正直僕一人では警護が難しい場面が増えていましたから。助かりますよエビー」

「いいすか、敵に囲まれそうになったらちゃんと教えてくださいよ。全力疾走で離脱とかする前に」

「善処します」


 ザコルはエビーを信用することにしたのだろうか。テイラーの監視チームを敵ごと撒いた前例もあるので、他の護衛を当てにするつもりがないのかとも思ったが…。


「もー、俺らんこともちゃんとアテにしてくださいよねえ。昨日は楽しかったすね。へへ、また飲みましょうよ、変態殿」

「変態殿とは何です。昨日から何度も…」

 ザコルとエビーが仲良しになってくれて嬉しいな。

「ふふへえ…」

「ミカ、気味の悪い笑い声を発するのはやめてください」

 何でだ。

 しかし心の余裕とは素晴らしい。彼らの何気ない会話を眺めるだけで、今日という一日が俄然楽しみになった。



 小川や湧水などの水場で、少量ずつ氷を作っては目立たない場所に隠すという作業を続けつつ先に進む。もう少しで街道に出て人目も多くなるので、小道を通っているうちにたくさん魔力とやらを消費しなければ。

 どの程度消費すべきか分からないが、伯爵家での生活を思い出し、なるべく同じくらいのペース配分で氷を作るのを目標にする。


 氷を茂みに投げ続けて手が冷えたと言ったら、ザコルが自分の手を貸してくれた。大きくて硬くて温かい手を遠慮なくにぎにぎしたら、また微妙な顔をされてしまった。


 馬上でこれからの事を打ち合わせながら進む。

「何度も同じ話をして申し訳ありませんが、大きな街には信者が多数潜伏している可能性があります。ミカの外見をどこまで共有しているか、どこまで僕達の行動を読んで行動しているか、とにかく不明な事が多いです。街では髪だけでも隠して行動しましょう」


 ホノルが編んだこの紺色のストールは大活躍だ。ニットだから伸びもいいし、頭にも体にもフィットする。温かくて軽い。お気に入り中のお気に入りだ。ああ、ホノルの笑顔が恋しい…。


「次の街はモナ男爵領の領都です。エビーによれば護衛隊が二人待機しているんでしたね」

「そうです。早くそっちに合流してお二人の無事を報告しないと。伯爵邸は今頃大変な事になってますよ。主にアメリアお嬢様がご乱心してんじゃねーかな」

「………………」

 後ろのザコルをちらっと見る。いつもの仏頂面だ。

「ねえ、今頃ジーク伯爵様から私達の行き先くらいは連絡が入っているんじゃないの?」

「いやあ、いくらテイラーと良好な関係のお隣さんとはいえ、他領の工作員が無事だって言うのを完全に信用できるわけじゃないすよ。実際に話さないと分からない事もありましたしね」

「実際に?」

「…僕は気が触れたと、思われていましたので」

「ああ、なるほど」


 ザコルが私を連れて失踪した理由が不明瞭だったって事か。

 メインストリートに信者がたくさん出てきていたというのはザコルしか勘付いていなかった事だ。昨夜は気持ち悪すぎてあまり聞いていなかったが、森に突っ込んだ後、混乱した監視チームが私を救出する話にまでなったとか何とかエビーが言っていた気がする。


「猟犬殿は隠棲願望もありましたしねえ。任務を放棄してミカさんをどっかの山奥に連れ込むとか、他国に亡命とか、そう勘繰る余地も一応あったんで」

 そりゃ…関係者は気が気でなかっただろう。

 セオドアはザコルが世界最強みたいなことも言っていたし、本人は自分で走れば馬より早くサカシータに着くなんてことさえ言っていた。自動車やヘリなんかがないこの世界では、馬より早い存在を後追いで捕まえるなんて実質不可能に違いない。


「それはそれは…本当にご心配をおかけしました。私も気が付けば良かったね。何もかもザコルにまかせていたから」

「いいえ、ミカに落ち度はありません。この旅の安全責任は僕にありますから。ルート選択の裁量を一任されたとはいえ、主家に連絡もせず予定にない行動をしたのは処罰に相当します。勝手にジーク伯爵家を頼ったのも越権行為と言えますし」

「処罰に、越権行為…そう思ってるならどうして…」


 どうして、自分の保身を考えてくれないのだろう。

 これからもテイラー家を主家と仰いで仕えていくつもりじゃないのか。


「それはもちろん、ミカが危険に晒されたからです。僕は、この旅でミカの側に侍ることを許された唯一の護衛なんですよ。この旅が終わるまでは、あなたの命を守ることだけが第一級の優先事項です。追手を完全に振り切るためには、数日は誰にも連絡などしないのが確実な方法でした。が、主様が僕と同じお考えをなさるとは限りません。後悔はありませんが、主が否と言えば、僕は処罰を受ける覚悟です」

「いやあ…そんな重く考えんでも」

「しかし、万が一にもミカの外聞を傷つけるような疑惑や証拠だけは残さないよう配慮はしたつもりです。失踪中の無実についてはジーク伯が保証してくれるでしょう。僕は無駄に有名な暗部出身者ですから、ミカの今後に悪影響を与えるのだけは避けなければ」

「二人旅に出た時点で外聞もクソもねえ気もしますけどねえ…。非常事態なんですし、セオドア様はあんたを信じてると思いますよ」

 エビーが首を捻りながら相槌を打つ。


「……あの、ちょっといいですか」

 私はそろそろと手を挙げる。

「なんですか、ミカ」

「突然ですが、今から私、ザコルに物申したいと思います! ええと…泣かずにできたら褒めてください!」


 ヒューウ…。馬上に風と気まずい沈黙が流れた。


 今日は風が強い。山の上で天気が変わったのだろうか。クリナの足音が大きく聞こえる。今日もいい天気だ。

「何言ってるんすか、ミカさん…」

 エビーが不可解なものを見たような顔をしている。めげそう。


「いや、自分でも今の発言は大人としてどうかと思うんだけど、あのね…、今日すごく精神的に安定してるんですよ。やっぱり魔法を適度に使ってるからかもしれない。もしも昨日までの情緒不安定モードだったらきっと何か言おうとしても泣くパターンかなって。だから今回敢えて、泣かずに最後まで伝えられるかを試したいんです!」


「……たった今、僕はまたミカを泣かせるような事を言ってしまったという解釈でいいんでしょうか」


 後ろを見ると、ザコルがどこか悲しそうな顔でこちらを見ていた。

「そ、そうなり…ます…。ごめんなさい、ザコル」

「謝らないでください。僕がまた何も解らないうちに謝ることになります。ほら、物申したい事とやらがあるんでしょう」

「はい! では検証開始ですね。…まずは、ええと、私の名誉とやらのために配慮するとか、そういう言い方をやめてほしいです」

「何故ですか。大事な事でしょう」

 ザコルがキョトンとした声色で言う。


「まず、大前提として、私にはこの世界にしがらみが多くありません。私の交遊関係に勝手な事を言う人がいたとして、顔を合わせた事もないので私自身はどうとも思いませんし、損もしません。お世話になったテイラーやジークの方々が私達を悪く言うとも思えませんし」


「……なるほど?」


「そんな事より、ザコルが自分の半生について悪く言うのを聞く方がつらいというか…。私まで人様の職業を恥だと思うような人間だと言われているようで癪というか…。ザコルはやっぱり思ってるんですか? 私が、暗部にいた事を気にすると」


「いいえ。あなたは前にも否定してくれましたよね。仕事内容で人を判断する気はないと」

「そう、それですよ! ザコル、結局私の事信じてないんでしょう。あれは方便でもなく本心なんですけど!?」


「それは解っていますよ。ミカのその考え方は信じています。ただ、あなたが思っていなくても、今後僕と関わった事実をあげつらい、あなたを傷付けようとする輩は現れるかもしれないと…」


「それこそ私にとってはどうでもいいんです。そんなまだ顔も知らない輩の嫌味より、ザコルが私から距離を取ろうとしているように感じてしまって、それが悲しいんです。そう、多分、ここで、泣きますね…」

 手綱を持つザコルの手を、上からギュッと握りしめる。


「大体、処罰は覚悟の上って何なんですか。任務を忠実に遂行するために罪を被ろうとか本末転倒では? 私の安全だか将来だかのためだけじゃなくて、どうして自分の将来のことも同時に考えてくれないんでしょうか。それに、ザコルの存在が私の今後に悪影響を与えるとか言われるの、あの…そう、ムカムカするんですよ」

「ムカムカ?」

 不思議そうに問い返すザコルの手をバチン!と叩いた。


「ムカムカですよ! 誰が何と言おうと、私は! 悪影響だなんて! これっぽっちも思いませんから! そんな風に言わないでください!」

 振り返ってザコルの顔を睨みつける。


「…ミカ、結局泣いていませんか」

「あ……ほんとだ。へへっ…失敗…」

 私は慌てて前を向いて涙を拭った。

「でも大泣きじゃないでしょう。伝わりましたかね? 褒めて…はくれないか…これじゃ…」

 ザコルは後ろからそっと私の髪に頬を寄せ、すりすりと撫でるように擦り付けた。

「ちゃんと伝わりました。ありがとうございます。あなたの前で先程のような事はもう言いません」

 私は泣きながら笑って頷いた。



「えーと、今日から宿は同室希望って事すかね」

 髪に頬擦りしていたザコルがビシッと固まり、そしてさっと顔を上げた。

「……エビー、ええと、違うの、意味の解らない茶番を…ごめん」

「まあ、俺も平民なんで、ミカさんの言い分は解りますよ」

「えっと…ありがとう…本当にすみません…うう、消えたい…」

 まともにエビーの顔を見られない。


 一応、ザコルの言う事も解るのだ。

 あまり彼自分を卑下して欲しくはないが、同室がうんたらというのは、要するに貴族としてのルールやマナーである。


「そんで、同室の件なんですけ」

「エビー! 僕は君と同室がいいです! え、ええと、報告もまだまだありますし!」

「食い気味かよ。はは、ザコル殿って本当に不器用すよね。まあ俺らもいるんで、同室はちょっと看過できないかなぁ~って言いたかっただけです」

「その通りですね。ああ、別に外聞がどうのと言いたい訳ではないですからね、ミカ」

「解ってますよ。私だって同室にこだわっている訳じゃないんです。ただ今までは同室でもなきゃ小さい町には泊まれないし、正直同室と大差ないような状況だっていくらでもあったのに今更何言ってんだろって単純に疑問だっただけで。何も仲を深めたいとかそう言うわけ…じゃあ…ありませんからぁっ……ううううう」

 私はカゴに顔をうずめた。墓穴掘った。

「ミカは、合理的でないと言いたかっただけでしょう、それは僕も解りましたから」

「フォローありがとうございます…」

 物申しておいて、相手に気遣われるこの有様よ…。

「もー、何やってんだろ…」

「へへっ、ミカさん真っ赤。てか、同室と大差ない状況て…」

 バサッと、肩にかけていたストールを頭に被せられた。

「ジロジロ見るな」

 あっ、これよく少女マンガとかで彼氏が彼女の照れ顔を他の男に見せたくなくてやるやつだ! 実際にやる人いるんだ! 自分がされる側になるとは!

 エビーがヒューッと定番の茶化しを入れてくる。余計に恥ずかしい。居た堪れない。

「ミカ?」

 私が言葉を発しなくなったのでザコルがストールをめくろうとする。

 私はめくられまいと端を引き寄せる。


「…ちょっと限界なのでしばらく放っておいてください」

「あ、はい」



つづく

つづきます

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