テイラーからの便③ 可愛い弟分の思い出話を聴かせてもらうだけです
ビチビチ、栗毛の騎士がザコルお手製の網でがんじがらめにされ、地面をのたうっている。
放牧場…は昨日の怪獣大戦争の余波で荒れたままになっており、とても普通の馬車が入れる状態になかったため、テイラーからの馬車は門前に並んで停められている。
その周りで休憩していた騎士達の中にその栗毛はいた。
エビーが近づいていくとさりげなく遠ざかろうとしていたが、先回りしたザコルによってあっさりと拘束された。
私達と顔を合わせる前に機を見て行方をくらますつもりだったか。罪の意識があるようで何よりだ。
「ミ、ミカ殿…まだカニタ殿が完全にクロと決まった訳では…」
私はオロオロするタイタの服を掴んで捕まえながら、離れた所でそれを見ていた。
タイタの手にはザッシュの鎚が大事に握られたままだ。汚れは元からあった錆も含めて全て落とされ、水気もしっかり拭かれ、油まで擦り込んだようで見違える程ピカピカになっている。
「うちの可愛いタイタにパワハラかました時点で重罪確定だよ。安心して。私が全部吐かせてクロにしてあげるからね」
「そんな…! 無理矢理自白させるような事だけは…」
そんな会話をしていたら、ザコルとエビーが戻ってきた。
「ミカ、吐かせるのは僕の仕事でしょう。勝手に取ろうとしないでください」
「ちょっと、俺を忘れてねーすか。みんなで仲良く順番にやりましょーよ。あ、タイさんは団長と遊んでてください」
「遊ぶ…!? お、俺を除け者にするなエビー! ザコル殿、尋問ならば俺も」
「タイタ」
ザコルは、鎚の柄を握り締めるタイタの手にそっと自分の手を重ねた。
タイタはビクッとしたが、何とか踏ん張った。
「お、俺をまた心神喪失させるおつもりですね!? そ、そうは…」
「いいではないですか。可愛い弟分の思い出話を聴かせてもらうだけです。当の君がいては彼も気恥ずかしいでしょう。…ここで、僕の帰りを待っていてはくれませんか、タイタ」
ザコルが上目遣いのまま口角を上げる。タイタは無事固まった。
「ハコネ、タイタとこの鎚をお願いします」
ザコルはタイタの手から滑り落ちた鎚をキャッチし、私達の後ろにいたハコネに渡す。
「貴殿……いや、何でもない」
ハコネは深くツッコむのはやめたようだ。
「何なんですの…お待ちになって、何から質問を…」
そんなハコネの隣でアメリアが完全に混乱している。周りにいる他の騎士や従者達はもっと戸惑っている。ハコネは重いな…と呟きつつ呑気に鎚を上下させている。
「うちの『姫ポジ』はタイさんなんすよ、お嬢様」
「姫ポジ…? ますます分かりませんわ。姫はお姉様でしょう? タイタが姫とはどういう」
「アメリアお嬢様、あの者は間者である可能性が高いので少々調べさせていただきます。さあ、さっさと済ませますよ。あまり時間をかけてはうちの姫…いや、タイタが気に病む」
ザコルがスイっと流し目を向ければ、離れたところに転がる栗毛は一瞬身体をこわばらせた。
「門裏にある留置所のどれかを使いましょう。道端でやるとマージに叱られますから」
いつだったか姉やに『同志村の方々もいるのですよ、お行儀良くなさいませ』と言われたのを覚えていたらしい。
「はあ、暴れんなってカニさんよう…。なあ、でも、ここの留置所も今いっぱいなんじゃ…あれ? 扉開いてる…」
カニタを引きずって歩くエビーが不思議そうに呟いた。
その視線の先には、これまでに捕まえた曲者が多くなり過ぎ、正規の牢をあぶれた者でいっぱいだったはずの簡易留置所があった。彼の言う通り扉は開かれ、見張りの衛士さえも立っていない。
ザコルは門に立っていた若い衛士に声をかける。
「あの留置所を使わせてもらいます。今は、空なのですね?」
「は、はい、ザコル様。今は全て空です。実は…」
「いいですよ、まだ確認中でしょう。とりあえず場所を借りますから。モリヤが戻ったら伝えておいてください」
一礼する衛士の若者を背にし、ザコルはツカツカと留置所に向かう。
「これって、もしかしなくてもアレっすかねえ…」
「まあ、そうでしょうね。全てではないでしょうが、中身は『化けた』のかと」
化けた。…はて。ザコルを見上げると目が合う。
「町内にある檻の鍵は、屋敷でも管理されていたはず、ですので」
そうか、なるほど。屋敷にあったその鍵は、誰が管理していたか。…執事長だ。
例えばこの留置所ならば、タイミング的にモリヤが出陣した後、中身は『化けて』屋敷あたりに向かったのかもしれない。
町に突如現れた大軍、町長屋敷を襲った曲者の一団。あの数の敵がどうして警邏隊やモリヤ率いる衛士達の目を掻い潜り、町に侵入できたのか。
牢に繋がれた者達と何らかの取引をして逃がしたというなら、外から引き入れるよりは簡単だったかもしれない。昨夜対峙した大軍はこれまでに捕まえた人数より多いようにも感じるが、大方、私の感知しない所でも捕虜は増えていたのだろうし、一部ならば町の外に待機させておけただろう。
「今頃、死体の顔や数を照らし合わせている所ではないですか。確証が得られたら僕らにも通達されるでしょう。全く、町の者の仕事ばかり増やして…」
「穀潰しが減ったなら良かったんじゃないすか。どうせこっちの損害は大した事ねえんだ。残念がる人もいるかもしれませんけど」
残念がるのはコマだ。彼は捕虜相手に毒を試してデータを取ろうと画策していた。
「一応、少しは残っているでしょう。毒を試すくらいなら充分です」
留置所に足を踏み入れる。
つい最近まで誰かがここに囚われていた事を示すように、粗末な寝具は乱れ、併設のトイレなども汚れている。
「…換気で流れてはいるようですが、においますね」
ザコルが扉に手をかけつつ私を伺う。私は頷き、大丈夫と伝える。
寝具からだろうか、例の『魔封じの香』の残り香がする。ここに収容されていたのは邪教徒だったのだろう。
閉め切ってしまうと確かににおいは強まるかもしれないが、この程度ならたとえ影響があっても休めばすぐに抜けるはず。
ザコルが鉄製の扉を閉め、ガチャリと関貫を下ろす。光は廊下奥の天井近くにある小窓から注ぐのみとなり、奥の一室を除いて多くの部屋が暗がりとなる。
エビーが担いでいたカニタをその奥の一室まで持って行き、ドサっと床に投げ出した。そういえば、ザコルが男性相手に尋問をする時は針などを使って局部をいじめる方法を取っていたようだが、今日はそれが見られるのだろうか。
「……今ここでアレをやるわけがないでしょう。大体、親のですら見た事がないと言っていたのに、平気でいられるとでも…」
ザコルがぶつくさと小声でそんな事を言う。結論から言うと、ただの肉塊とでも思えば恐らく平気だ。
ザコルは誤解しているようだが、私は慣れていない男性に過度に近づかれたり触られたりするのが苦手なのであって、興味もない人の裸を見るだけで足がすくむとかそういう事はない。もちろん好んで見たい訳ではないが。
一応、人体図鑑や裸像などを見てソレの形と機能くらいは把握している。それに過去、立ちション現場や露出狂に出くわした事も人並みにはある。田舎、特に外で仕事しているおじさんの中には平気でいたす人が多いのだ。露出狂は都会の方が多かったが…。もちろん、無力だった私は近づかれる前に全力で逃げた。…今なら直接触れずに切り落とす事くらいできそうだ。
じと…。私の独り言を拾ったか、ザコルから眉を寄せられる。
はいはい、下品な事はもう言いません。私は両手を軽く上げて首を振ってみせた。
男子って女子が下ネタ言うと引くよねー。私もいい大人なんですよって言いたいだけなのに。
「俺には何も聴こえねえんすけどー、何でいちいち煽んすかねえ…。さあ、カニさん。猿轡と目隠し外しましょうねえ」
丁寧な言葉とは裏腹に、エビーはカニタの目隠しと猿轡を引っ張るようにして乱暴に剥ぎ取る。
「…っぐ、はっ、エビーお前よくも…。あ、ザ、ザコル殿…な、何のつもりでしょうか。俺が一体何をしたと…」
カニタは明らかに不機嫌そうなザコルに怯んだか、網でがんじがらめのままズリズリと身を捩って移動し、壁に当たった所で止まった。
エビーが引っ張って身を起こしてやると、座った格好でザコルとエビーを睨むように見上げた。丁度窓から差し込む陽光がカニタの顔を照らし、眩しそうに顔を顰める。
「も、もしや、タイタから俺の悪口でも聞きましたか。アイツが何を言ったか知りませんが、どうせ全て誤解ですよ。そんなんだからアイツも孤立するんだ。解るだろうエビー、タイタは本当に気の利かない奴だ。どっちが正しいかなんて明白じゃないか」
「なあ、カニさん。俺ら別に、タイさんに何か聞いたなんて言ってねえすよ。あの人はアンタの悪口なんて一言も言ってない」
「なっ……そっ、そうか、何だ、俺はてっきり…」
虚を突かれ、その動揺を誤魔化そうとするカニタの前にエビーがしゃがみ、目を合わせる。
「てっきり、何すか。タイさんに対して何か後めたい事でもあるんすかねえ…」
「そんな事はない! 俺がどんなにアイツの世話を焼いていたか知っているだろう!?」
「まあね、カニさんはタイさんにベッタリでしたもんねえ。お陰でちっともタイさんと喋れなかったんで、長らくタイさんの事誤解してたみたいなんすよお…」
「あ、アイツが俺に付きまとっているだけだ! 少し世話をしてやったら懐かれてしまって」
「へえー。それで、色々『助言』してやったって事すか」
「ああ、そうだ。アイツは本当に気も利かず、元貴族でプライドも高い、常識のない奴で、俺の助言がなけりゃ…」
むか。タイタは元貴族なのに誰よりも謙虚で優しくて紳士的な振る舞いのできる子ですけど!?
言いたい事がどんどん頭に浮かんで口から飛び出そうになるが、我慢我慢。
「ほーん、最近はどんな助言したんすか。もしかして、ザコル殿と氷姫様のセリフを書き留めて報告しろ、とか?」
カニタが一瞬言葉に詰まる。
「…そ、そんな事を俺が指示する訳ないだろう! そうだ、アイツは度を越したザコル殿のファンだからな。それくらいしてもおかしくないだろうが。まさかアイツ、咎められて俺のせいにでもしたか? やっぱりな、アイツはどこかおかしい…」
「はあ、カニさんって、ザコル殿や氷姫様の事、舐めてたんすね。それは知らなかったすよ」
「は!? どうしてそんな話になる! 大体、お前に任せたんだ、アイツの問題行動はお前の責任だろ!」
うーん、私も言っちゃったかもな。カニタが『後は任せた』とタイタを置いてったんだから、エビーが面倒を見るのが筋だろうって。その時点で、カニタに他意があるとは思っていなかったからだが…。
「いやいや、そんな申し送りは聞いてねえなあ。大体俺もタイさんもヒラの団員同士なんでどっちが責任者とかないんすけどお。もちろん、同じ団員としてどっちかがザコル殿や氷姫様に迷惑かけりゃ代わりに謝るくらいの事はしますけどねえ。でもアンタは、タイさんがお二人に対して問題行動するのあらかじめ分かってたみたいだってのに、自分はさっさと手紙持ってお二人とはロクに顔も合わさず出立した。…説明責任って言葉、知ってます?」
エビーがカニタの額にトン、と指を当てる。
「もしかしなくても、敢えて問題行動をさせるつもりだったんじゃねえすか? あわよくば何らかの証拠が取れる。取れなければボロ出す前に強制送還か、マジのボロ出してザコル殿に処される。どれでも良かったんだ。でも焦ったっしょ? タイさんがまだ俺らと仲良く行動を共にしてんですもんねえ」
ふむ、エビーは、タイタがザコルにスパイ認定されて処される可能性も考えてたのか。ただの未熟や奇行で済んでるうちに強制送還しちゃえば、私の事も守れるし、タイタも命までは失わずに済む…。なるほど、エビーは穏便に済ませたくてああ言っていた部分もあったのか。
「さっきから何を言っている!? 証拠だの何だのと訳の分からない事を…。お二人がタイタをお気に召したのなら喜ばしい事じゃないか。問題行動など起こさないに越した事はない」
「さっきから何言ってんだ、はこっちのセリフすよ。もっかい説明しますけどね、カニさんは、タイさんが当然問題行動するモンだと思ってて、タイさんが当然自分の悪口言いふらすモンだと思ってるにも関わらず、そんな人を若輩者の俺や高貴なお二人に説明もなく押し付けたんすよ。アンタが本当にタイさんの世話見てたって自覚あるんならそんなことするわけねーし、今日だってハコネ団長に一言添えるなり、自分で俺らの様子くらい伺いにきてたっておかしくないはず。門の外でなーんにもせず休憩取ってる時点で不自然なんすよ。ああもしかして、そういうとこ、気ぃ利かねえタチなんすか、カニさんは」
「何だと…」
「しかもお、コソコソ逃げるようなマネまでしちゃって。いやあ、そんなんでよくタイさんに常識説けますよねえ」
「俺が非常識だとでも!? それに逃げるマネだなどと…!」
エビーったら当てこすりがお上手。
思わず拍手を送りたい気持ちになったが、我慢我慢。
「タイさんは元々、誰よりそういうモラルとか規則大事にする人みたいなんすよ。俺、全然知らなかったっす。あの育ちのいい、素直で純粋な人が、今までどんな『非常識な助言』をもらってきたのかって考えちゃいましたよお…」
「…ッ、な、何だ、その目…っ」
エビーから立ち上る不穏な気にビビるカニタ。つくづく、タイタはどうしてこんな小物に義理立てしているんだろうか。
「なあ、カニさん。あんた、映えある氷姫護衛隊の一員だろ。さっきからタイさんの話しかしてねえけど、氷姫様についてはどう思ってんです?」
「そ、それは」
カニタは、さっきから一言も喋らないザコルの方をチラッと見る。
「…もちろん、お守りすべき方だ。突然この世界に喚ばれ、右も左も分からないまま、いつの間にか国の命運まで握らされてしまった憐れな方だ。お前だって不幸な彼女のために力になりたいと意気込んでいただろう。俺も同じ気持ちだ」
「へえ。それ、氷姫様には言わねえ方がいいすよ。可哀想とかって憐れまれるのは地雷らしいんすよね。彼女いわく、ザコル殿に付きまとってるのは自分って事らしいんで」
「は、はあ? 監視についていたのはザコル殿だろう? あの美しい少女にこだわっているのだって…」
ふつくしいしょうじょ…! 思わず吹きそうになって堪える。カニタが一瞬、暗がりに目を彷徨わせた。気取られただろうか。
「いや、最初、ザコル殿は一人でこの領に来るはずだったらしいすよ。それを氷姫様が無理言ってついてきたのは本当なんすよね、ザコル殿」
エビーが立ち上がり、ザコルに話しかける。
「そんな事、彼女の本心であるはずがない! あの方はある意味で賢明な方だ。余計な事も聞かず、ただ言われるがままに受け入れ続けて、ついにこんな辺境の地にまで流されてきただけじゃないか。しかしそれが彼女なりの渡世術なんだろう。そうしていれば少なくとも殺されずには済む」
カニタはそう言って嫌な笑みを浮かべてザコルを見上げた。
要は、私はこわーいザコルに執着されていて、陰で脅されでもしていて、本当は嫌だったけど殺されるよりはマシと同行を願い出て、敢えて流されてここまでついてきたと言いたいのだ。そうすれば、少なくともザコルには殺されず、ついでに他の脅威からも守ってもらえる。それが私なりの渡世術なのだろうと。
このカニタ、ただの使い走りかと思ったが、彼自身にも何らかの考えというか、正義心らしきものはあるらしい。
「嘘はつかれるなよザコル殿。貴殿があの子をどうしようと俺ごときにはどうする事もできないが、良識ある人の目は誤魔化せないぞ」
「……そうですね、君の言う通りだ。しかし、僕は彼女の『良識』に従うと決めているので。主もそのつもりで僕を彼女に預けたのだろう」
「……は? 貴殿を、彼女に、預ける…?」
「ええ。君がさっき言った通りですが、彼女はある意味で憐れな人だ。何せ、この国で一番面倒な僕のお守りを任されているんだからな。彼女自身、最終兵器たる僕をこの辺境まで無事送り届ける事を『任務』とも捉えている節もあった。だが彼女も変わった人だ。彼女の中ではどうやら、僕に執着しているのは彼女、という事らしい。僕もそんなはずはないと思い、何度も彼女に突っかかってしまった。しかし、その度に返り討ちに遭わされるのは僕の方なんですよね。カニタ、君は、そんな僕の事も憐れんでくれるでしょうか」
「は、はあ? さっきから何を訳の分からない事を」
急に謎の同情を求められ、混乱を隠せないカニタ。エビーは何かを堪えるように天井辺りを眺めている。
「返り討ちとおっしゃったか? あ、あの子を束縛し無体を働いているのは貴殿の方だろう! 力の差を考えろ!!」
「無体…そうですね。彼女があまりに僕に対して無防備なものだから、思い知らせてやろうと軽い悪戯めいた事もしてやったんです。少しは僕を警戒すればいいだろうと…」
「そらみた事か、どうせ馬での二人旅だ、味方も撒き、まともな人間が通るはずもないルートを敢えて選びやがって、さぞやりたい放題だった事だろうな! 氷姫様がそれを気色悪く思っていないと何故言い切れる!!」
「彼女の行動を見ていれば分かりますよ。僕には分かる。彼女は僕をよくす、好いているので」
ザコルの言動が急にぎこちなくなる。
「フン、それが勘違いだと言うんだ。貴殿は知らないだろう、あの子は随分と悩んでいたようだぞ」
「そんなはずはない。彼女はいつでも僕にこ、好意を伝えてくれる。彼女には僕しかいないんだ」
だんだん棒読みになってきた。
「フン、好意などと口先だけの方便に決まっているだろう。いいか、知らないだろうから教えてやる。あの子は伯爵家へと自分の窮状を訴える手紙をこの俺に託した。控えめには書かれていたが、本当はそれ以上の事もされていたに違いない。宛先はアメリアお嬢様だったからな。気を遣って表現を慎んだんだろう。これで分かったか、あの子の好意は全て演技だ。あの可憐で希少な魔法士でもある少女が、お前のような化け物に敢えて擦り寄る理由など命乞い以外にあるものか。望めば王族とだって縁を結べる立場だというのに。あの子には相応しい場所があるんだ。いい加減に彼女を解き放て! 彼女は人間だぞ! お前と違ってな!!」
誰もかれも、私を物怪の姫だと勘違いしていやしないか。
「…ああ、やはりそうか。僕もおかしいとは思っていたんだ。いくら何でも吊り合わない。だが僕は彼女を、あ、あ、あい…くそっ、この…っ」
ザコルはブンブンと首を振る。
「え、ええと、僕は、彼女には、こ、心から幸せになってほしいんです。君の言う、彼女に相応しい場所とは、どこでしょうか!?」
声が裏返った。その様子を見て、カニタがニヤリと口角を上げる。
「は。随分と無理をしておいでじゃないか。存外に彼女の事は真剣に想っているようだな。憐れな…。彼女に相応しいのはもちろん次代の王の隣だ。生涯何不自由なく、元の世界の事を思い出す余地もない程幸せに暮らせる事だろうよ。今なら、どこの誰ぞに穢された事も不問とし、王家に忠誠を誓い直す事を条件に貴殿の名誉も保証してくださるそうだ。悪い話じゃないだろう? そうすれば、代わりの女などいくらでも用意してもらえるさ!」
はあ…。ザコルが深く溜め息をつく。
「…もういいですか、充分でしょう。エビーに台本を書かせるとロクな事がない」
ぶっはあ…、とエビーが堪えていたものを吐き出す。そして腹を抱えて爆笑し始めた。ドングリがヒュンヒュンと飛び、エビーが難なく躱す。短期間で随分と成長したものだ。ドングリ先生のご指導の賜物と言えよう。
「な、なん…」
一瞬前まで調子に乗っていたカニタが目を白黒させる。
「…っはは、はーっ、苦しい…。ち、ちなみに、猟犬殿は何で『氷姫様が気色悪く思っていないと言い切れる』んすか。『僕には分かる』んでしょ?」
「それは……今日までに、ほぼ全て同じ手法でやり返されたからですかね……」
エビーが再び爆笑する。カニタは何か理解の範疇を超えたのか、『ヤリカ、エサ、レタ?』と呪文のように呟いている。
全く、人聞きの悪い事を言うものだ。まだまだ全部はやり返せていないというのに。
ハグによる『補給』とか、髪をすりすりするとか、耳を食むとか、匂いを吸ってみるとか、俺様化とか。ザコルがやっていて楽しそうだった事はとりあえず私なりにやってみた。能力検証だって初めは仕返しみたいなものだったし。しかし、そうやってクリアできた事も多いが、やり返し難易度の高い悪戯も結構ある。
特に、あの重そうなムキムキマッチョの人をお膝に入れて食事したりするのは物理的に厳しいだろうし、腕枕で髪にキスするなんてのも状況作りが難しそうだ。私の力では肺が潰れかけるまで抱き締めるのも無理だろう。代わりに自らお膝に入ってみたり一緒に寝ようと誘ってみたりはしている。とっても楽しかったのだが、ザコルが『理性が限界』だというので控える事にした次第だ。
「ほーんと、いい性格…」
聴こえているぞエビー。
「僕はこういう誘導尋問はまどろっこしいので苦手です」
「演技できないだけっしょ。でも、兄貴みたいに無表情がデフォだと、あんな棒読みで騙される人もいるんすね。流石、よりによってあのタイさんをイジメてるだけあるわ。浅慮っていうかー」
「ハコネにうっかり見つかったのも浅慮ですよ。さっさと逃げおおせていれば良かったものを」
「浅慮、だと…」
呆けていたカニタが地面を睨みながら呟く。
「へへっ、あんた、タイさんに何一つ勝てやしねえのにな。言う事聞いてもらって、何をいい気になってたんすか?」
「エビー、お前…! どうしてタイタなんかに肩入れを…」
カツン、私はわざとらしく踵を鳴らした。
「あら、カニタさん。うちの可愛いタイタがどうかしました?」
私は消していた気配を現し、暗がりになっていた場所からスタスタと出て行った。カニタの顔色がサッと変わる。
「こ、氷姫様…!? いつからそこに…!?」
「ついさっきですよ」
「ついさっき…? 物音や気配は何も…」
カニタが一瞬、私に対し、不可解なものを見るような目をした。
「一応、あなたと話がしたいとアメリアやハコネ団長に頼んだのは私ですから。この二人には付き合ってもらっているだけです。カニタさん、あなたには『うちのタイタ』が随分とお世話になったようですね。私、タイタには何度か命を助けてもらっているので、彼には出来る限り報いたいと思っているんですよ。あまり悪く言われると悲しいです…」
私がしおらしく見えるように胸を押さえると、カニタはニヤリと笑った。
「それはそれは…。ご気分を害したならば申し訳ありません。ですが、護衛として体を張るのは当然の事。本来あなた様が恩など感じられる必要はないのですよ。この俺だって、もしも目の前に危機が迫ればあなた様の盾になる覚悟はありますとも。…それに、世話とは何の事でしょうか。大方、俺がタイタのためを思って指導したのを逆恨みでもしているんでしょう。あなた様にもいいように歪めてお伝えしている可能性があります。無能なのはともかく、性根は真っ直ぐだと信じていたのに…。まさか、まだまだこの世界に慣れていらっしゃらないだろう姫を騙そうとするとはね」
カニタは流れるように言い切ると、人の好さそうな顔をふるふると横に振った。
一応、この中で一番発言権があって、いかにも意志が弱そうな私を言いくるめる方向に切り替えたようだ。
「そう、私、騙されていたんですか。それは、悪い事をしてしまいましたね」
タイタが人を騙そうとするなんて全く想像がつかないが、そんなタイタが頑張ってつく嘘ならむしろ騙されてやらねば悪いような気もする。
「俺のことはお気になさらず。どうか、アイツを許してやってくださいませんか。アイツも必死なんです。騎士団ではあの頑なすぎる性格で孤立していまして、この機会にどうにかして自分の居場所を作りたかったんでしょう。…はぁ、俺が良かれと思ってした事も、アイツにとってはお節介でしかなかったようだ。そんなにも俺が目障りならば、いつでも目の前から消えてやったものを…」
「カニタさん。反省文はよくお書きになるんですか?」
「は、はんせ…? …あ、ああ、反省文ですね。もしやアイツに押し付けられでもしましたか。俺は書きませんが、タイタがあまりに失態を犯すものですから、文にでも起こせば反省にもなるかと思い勧めたんです。これ見よがしに長文で寄越すようになって…あなた様が目を通す価値もない駄文ですよ。俺は一応読んでやりますがね。ああ、決して強要などしておりませんよ」
「そうですか。お優しいんですね。よく相談に乗ってあげたんですか。プライベートでも」
「ええ、アイツは酒の席などでもなかなか馴染めていませんでしたからね。酒くらい、もっと明るく飲みでもすれば皆の見る目も変わるというのに。いくら勧めてやっても、翌日の任務に支障が出るから要らないなどと、周りを見下げたような事を言うのです。結局、元貴族様は庶民が勧める安酒など口にできないんでしょうね。なまじ腕に覚えがあるのもプライドを高くさせるんでしょう」
「元貴族ですって…?」
「ご存じなかったですか! ええ、そうなんですよ。そんな事もあなた様に隠していたなんて。所詮、アイツは粛清された家の子息ですから!」
「粛清、ですか?」
「はい! コメリ子爵、ザコル殿ならご存じでは? 実は、俺は当時コメリ子爵と付き合いのあった商家の次男で、コメリ子爵の悪どいやり方はようく知っているんですよ。粛清されて清々したと親父も言っていました」
私はザコルに視線をやる。彼は黙って頷いてみせた。
「他家からテイラー家に来て、あの赤毛を見た時は驚きましたよ。あの当時は、子供のくせに上等な服を着て、煌びやかな剣をこれみよがしにぶら下げていたボンボンが、いち団員として質素な支給品の剣を振るっているんです。しかしあの真面目ぶった顔の裏で、幼いオリヴァー様に目を付け取り入るだなんて。全くこれだから中央貴族は、面の皮が厚いというかゴマスリ上手というか…。どうせ裕福な伯爵家を乗っ取ってお家再興でもするつもりだったんでしょう。俺は、そんな卑怯な真似をしようとするアイツに、常識と現実を教えてやろうと思ったんです。いくら罪人の息子でも同じ道を歩ませては可哀想だと思いましてね。ですが…」
カニタはニコニコとした顔に、わざとらしく陰を落とす。
「結局アイツは俺をダシにあなた様に取り入ろうとしたのでしょう。緊急時とはいえ、アイツを信頼し、あなた様の身を任せた俺が馬鹿でした。そういった意味では俺にも責任があります。どうか、この拘束を解いてくださいませんか。下心のために嘘ばかりつく者をあなた様の側には置けません。お嬢様と団長にも話をさせていただき、責任持ってタイタをテイラー邸へと強制送還いたしますので!」
カニタはキリッとした表情でそうのたまった。
「そう。それで、あなたに預けたアメリア宛の手紙はどうしましたか」
「へっ、手紙っ? …あ、あの手紙は責任持って、ジーク領の街で待機していた他の騎士に預けました!」
「誰に?」
「だ、誰…」
ハコネは大きな街で待機していた護衛隊員を軒並み拾って隊列に加えてやって来ていたようだ。そうだとすれば、そのうちの一人などに預けるのは無理という事になる。
「誰と言われましても…氷姫様は騎士一人一人の名前などご存じないでしょう。失礼ながらあまり興味があるようには…」
「ええ、そうですね、こちらから踏み込む事は少なかったと思います。ですがお名前と顔くらいはちゃんと覚えていますよ。誰に渡しましたか?」
「そ、それは…そ、そうです、マグという者に…」
「マグさんですか。確かにその人の事は知らないですね。エビー」
私はエビーの方に視線をやる。
「マグってのは、氷姫護衛隊じゃなくて監視チームにいたヤツ、ってか隠密すよ」
テイラーから来た監視チーム。深緑湖の街まで私達を監視もとい見守っていたが、ザコルがラースラ教信徒を振り切ろうと森に突っ込んだため、もろとも撒かれてしまった味方の人々だ。
「ふうん、隠密。騎士って言いませんでした?」
「お、隠密とはいえ騎士団の所属ですので!」
カニタは勢いよく言い切る。
「そうですか。まあ細かい事はいいでしょう。では、カニタさん。それで、どうして私が預けた手紙の中身を知ってるんです?」
「えっ、いや、そ、それは…………くっ、お人が悪い。聞いていたのではないですか。ついさっき来たばかりと嘯くなんて…」
いや、君に睨まれる筋合いはないよ。逆ギレか。
「カニタさんとは『ついさっき』の認識がズレているようですね。そうそう『ついさっき』アメリアに確認しましたよ。私からの手紙はまだ一通も読んでいないそうです」
こちらを睨んだ目が揺れる。
「そ、それはそうでしょう。アメリアお嬢様ご一行と合流する以前に手紙は託してしまいましたので」
「でも、おかしいですよねえ。カニタさん、手紙の中身を知ってたんでしょう。この際、勝手に開封した事はさておいても、どうしてアメリアに報告してないんですか。アメリアは私からの手紙を待っていたはずです。便りがあった事や、大体の内容くらいは教えてあげられましたよね?」
「そ、それは……そ、そうだ、内容が内容でしたので! お嬢様より、先に旦那様にお読みいただくべきかと! 手紙の開封については……大変申し訳ありません。当方としても、あなたさまの身をずっと案じておりましたので…つい…」
つい、ついね。私を案じるあまり中身を確認してしまったと。ザコルに耳を食まれただの、隣室で生活音を聴かれていただのと、今となってはどうでもいい事ばかりを書き連ねたあの手紙の中身をか。くだらない内容ではあるが、それをアメリアより先にセオドアの耳に入れるべきと勝手に判断して、アメリアには手紙の存在すらも伝えなかったと…。
「それね、信書開封罪、もしくは信書隠匿罪とかって言って、人の手紙を勝手に開けたり隠したりするのは私の故国じゃあ立派な犯罪なんですよねえ…」
「なっ、お、俺はただあなた様を心配して…! そっ、それに、お嬢様のお目に入れるには少々刺激的過ぎましたし!! あんな手紙を見せたらお嬢様のような淑女は卒倒いたします!!」
書いた本人の前で、その手紙をR指定みたいに言うのはいかがなものか。
「ミカさん、一応この国でも、特権階級が関わる手紙を平民が勝手に読んだら普通に罰せられますよ。あの手紙は糊付けも封蝋も押してなかったですから、もし現品があっても開封したかどうかの証拠にゃならねえとは思いますけど…」
エビーが少し私を伺うように言った。
「そうだったね。あの手紙、報告書と一緒に出しといてって言って、まずエビーに託したんだっけね。ふふ、カニタさんたら『俺に託した』だなんてカッコ良く言ってましたけど…私、別にあなたご自身に託した覚えはないんですよねえ…。これは、今確実に嘘と言えますね」
にこ。笑顔を向けると、ゴクリとカニタが喉を鳴らした。
「それで、私を王家に売り飛ばして、ザコルには新しい女を用意してくれるって話でしたっけ」
「い、いや、そ、そんな言い方はして」
いつの間にやら、カニタは冷や汗をびっしょりかいている。
「どんな言い方でも結果は同じでしょう。残念ながら私、ザコルにしか興味がないので。どんなに高貴な方だとしても、よく知らない男性の妾やら妃やらになるのはまっぴらゴメンなんですよね。カニタさん、私の護衛についてくださってたのにご存じなかったでしょうか。このエビーに言わせれば、私が彼に気があるのなんて、態度があからさま過ぎて皆知ってた事なんだそうですが…」
コホン、ザコルがわざとらしく咳払いをする。
「そ、それもあなた様の演技なのでしょう! いやあ、本音をお隠しになるのが実にお上手だ。潜入捜査などの才能がおありなのでは? 出かける前に多少小綺麗にされたようだが、以前はあんなに冴えない格好で、感じのいい挨拶一つまともにできない男に気を持つなどと」
「え、もしやカニタさんは、私がどんなにあのもっさい格好のザコルを愛していたかご存じないと! それでは語らせていただきましょう。…猫背で、もったりとした暗い茶髪に」
「やめろ、語るな。その点についてはカニタに完全同意だ」
ご本人によって強制終了されてしまった。
「ええー、初対面の時でも挨拶はちゃんと丁寧にしてくれましたよ。せめてそこは訂正してほしいです」
「僕は挨拶を丁寧にした覚えなどありません。形通りの挨拶文を読み上げた程度の認識でしか」
「ザコルは分かってませんね。形通りの挨拶すらできない社会人なんていくらでもいるんですよ!」
「何の話だ…」
ザコルが眉間を揉み始めた。揉んであげたい。
「はいはい、謎イチャすんな。さあ、言質も大体取れた事だし、もういいんじゃないすか」
「あ、待って。もう一つだけ確認が」
私はカニタを振り返る。
「カニタさんが言ってた『次代の王』とやらは、どなたのことですか」
ヒュ、カニタの息が上がる。
王政の国ならば、現王が存命だというのに次代の話をしているなんて出る所に出れば反逆罪も待ったなしだろう。
まあ、私は彼の罪状が増えるかどうかではなく、誰の使い走りをしているのかが気になるだけだが。
「ど、どなたでもいいじゃないですか。渡り人のあなたには関係のない事だ。俺が差し伸べた救いの手には興味がないとおっしゃるのならば、一生この化け物のお守りとやらをして生きていかれるがいい。…ただ俺は、そんな憐れなあなたを救って差し上げたい一心でここまでやって来たのです。折を見てその化け物と引き離し、テイラーからも解放し、王家に渡りをつけてやろうと…」
「へえー。何でいち商家の次男のツテで王家を紹介してもらわなきゃいけないんだか分かりませんけど…」
ぶふ、エビーが吹き出す。パン屋の長男に笑われてんぞ。
「誤解があるようですが、セオドア様は『王宮なんてできれば行きたくない』という私の意思を尊重してくださっていただけです。私の存在を公にするにも、タイミングというものがあったようですしね。それでも社交デビューの用意は進めてくださっていました。順当にいけば、春には王家の方々と正式に面会する予定だったんです」
王弟によるクーデターだか何だかで、王宮はそれどころではなさそうだが。
「第二王子殿下はさておくとして、行方知れずだという第一王子殿下は……私に興味があるなら、商家の次男に頼まなくたって、部下に口添えを頼めばいいだけですよね」
ちら。元暗部のエースを見上げる。暗部は第一王子殿下の管理下組織だし、ザコルは籍を残しているようなので一応まだ『部下』だ。
「他の王位継承権のある方といえば、まず王弟殿下、それから、王族の系譜にあるカリー公爵様とそのご子息様。それ以下の順位の方は貴族年鑑に書かれていなかったので存じ上げません。さあ、あなたは誰の差金で私の手紙を売ったんですか。……言っておきますけれど、これは親切で訊くんですよ。この後の本格的な尋問が軽く済むようにってね」
親切に威圧を放ってやる。ヒュ、とカニタは再び息を飲んだ。
「う、売った、だなんて…俺は、本当に、マグに」
「では、マグという方が売ったと? それともあなたは中身の情報だけを売ったんでしょうか。ねえ、少し調べれば分かるような事は言わない方がいいですよ。後々、もっと酷い目に遭いたくないのであれば」
「………………」
黙ってしまった。
私はおもむろに彼に手を掲げる。
「指一本から始めましょうか」
「…は? 何を」
「もちろん、氷結魔法のテストですよ。人体を生きたまま凍らせたらどうなるか、気になりませんか?」
「はあ!? 生きたまま凍らせ…っ!?」
「リンゴは無事凍らせる事が出来ましたから、血や肉でも恐らくはイケると思うんですよね。まあ、一度凍ったら壊死は免れないでしょうけれど」
「壊死!? なんて発想を…っ」
カニタが顔を引き攣らせ、壁に背中を押し付ける。
「ザコルにバトンタッチしてもいいんですよ。それなら私は席を外します。私がいると気恥ずかしいらしいので。ああ、それともタイタを呼んで、あなたが嘘をついて私を王家に売り飛ばすつもりだったと教えてあげましょうか。彼、いい尋問をするらしいんですよ。ね、ザコル」
「そうですね、彼はいい。僕と同じで人の気持ちに疎い所がある分、敵と断じてからの容赦のなさは素晴らしいです。かの集いでは規律を司る『執行人』と呼ばれ、多くの猛者からも恐れられているようですね。カニタ、君もタイタを可愛がっていたんでしょう。ならば当然知っていますよね、彼の裏の顔は」
「タイさん、あの笑顔ですげー暴力振るうからなあ…。尋問の後は毎回血まみれになるんで大変なんすよ。今のうちに着替え用意してやってもいいすか」
そうしよう、そうしよう。私達が揃ってタイタを呼びに行こうとすると、カニタは慌てて身を捩ったらしく、無様にも床にドッと転がった。
「ま、待ってくれ!! す、全て話しますから、ハコネ団長を呼んでくれませんか!? そ、それが条件で」
「え、もしやカニタさんは、尋問官をご自分で選べると思っているんですか? …それはそれはいいご身分な事で」
私は、カニタをゆっくりと振り返る。
「別にね、某王族の差金でここへ来た曲者は他にも山程いるんです。使い走りはあなただけじゃない。あなたから搾り取れる情報にいかほどの価値があるのか、ようく考えて発言する事ですね」
たっぷりとかいた冷や汗が彼の顎をつたい、寒々しい石畳の床にポタリと落ちた。
「これだけは伝えておきましょう。あなたを最初から力で脅さず、小芝居を打ってまで誘導尋問してあげたのは、他ならぬタイタが『まだ完全にクロと決まったわけじゃない、無理矢理自白させるような事はしないでほしい』と最後まであなたを庇っていたからです。あの子は、自分が私達の情報を敵方に漏らしてしまったかもしれないと気づいて、処罰を覚悟の上で正直に話してくれました。ですが、知っている事実は述べても、あなたの悪口だけは言うまいとしているのは伝わってきました。あなたには長年、一般常識を学ばせてもらった恩があると今も考えているようですよ。タイタは本当に育ちがいいんですよねえ…。大方、その純粋さがあなたの根深いコンプレックスに障ったんでしょうけれど…」
まるで、健気なヒロインをいじめる悪役令嬢やシンデレラの継母達みたいだ。ラノベみたいな逆ザマァはなさそうだが。
カニタはついに表情を歪め、チッ、と舌打ちした。
「…っくそが、黙って聞いていれば…! この世界の者でもないくせに俺の何が解る!! 俺は地方のいち騎士として終わるような男じゃない。これは上流階級に足を踏み入れるチャンスだったんだぞ!! よくも台無しにしやがって…!」
どうやら、私と引き換えに上流階級へのチケットが手に入る手筈だったようだ。そんなに貴族になりたかったのか。身分制度のない日本人としては確かによく解らない感覚だ。
「お前を憐れに思ってやった俺が馬鹿だった。そんな無害な少女のナリをしておいて、まさか魔法で人体実験をするような悪魔だったとはなあ!! そこの化け物まで飼い慣らして一体何を企む!! この国賊め!! 大人しく王家に尽くすと誓えばこうまで狙われずに済んだものを……そうだ、この辺境の小さな町を脅かしているのはお前だ! お前の存在が皆を不幸にしているんだ!! …化け物め、化け物どもめ、いつか正義の鉄槌が下るぞ、おぞましい悪魔めがぁ…ッ!!」
ゴンゴン、金属を控えめに叩くような音が響いた。留置所の入り口である鉄扉を誰かがノックしているようだった。
「…僕が開けてきましょう」
ザコルが扉に近づき、関貫を外す。ぎい、と扉を開けて入ってきたのは、見慣れた赤毛の青年だった。
少し小さめに造られた入り口をくぐるようにして入ってきた彼は、黙ってザコルに一礼し、スタスタと奥の一室の前まで足を進めてきた。
「申し訳ありませんミカ殿。建物の外で、少々立ち聴きのような真似をしてしまいました」
青年は胸に手を当て、頭を下げる。
「そう、聴こえた?」
「はい。皆さんのお声はそれほど響いておりませんでしたが、今し方カニタ殿が叫ばれた言葉はあらかた…」
「そう。こちらこそ申し訳なかったね、除け者にするような真似をして」
ぐ、と何かを飲み込む音がして、今にも泣きそうな緑眼が私を見下ろした。
「…………あなた様が矢面に立たれる必要など、ありませんでしたのに…っ」
そんな震えた声で言われたら、私の方が泣きそうになるじゃないか。
「ううん、こんなのに憐れまれるくらいなら罵られた方がマシだよ。あー、清々した!」
努めて明るく返す。
こんなののために、君が自分を責める必要なんてないんだよ。
「ミカ殿、お泣きになりたい時はいつでも俺の背中をご利用くださいね」
「うん。いつもありがとう、タイタ」
私がにっこりと笑って見上げれば、彼も、くしゃ、と相好を崩した。
「この先はタイタが決めていいよ。尋問官は誰にする?」
「それはもちろん、俺が務めさせていただきます」
タイタは向きを変え、カニタの方へと足を踏み出す。
先程から、チリチリと肌を焼くように熱く、重苦しい空気がこの留置所に満ち満ちている。
その殺気に圧倒され、一言も喋られなくなったカニタは、恐る恐るといった感じで頭を動かし、赤毛の青年を見上げた。
つづく




