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誰が召喚したか知りませんが、私は魔獣ではありません  作者: もっけのさひわひ


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戦後の考察② あーあーあーあーあー聴こえませーん!

 マージが率いていた警邏隊、そして集まった町民達が、ザコルが始末した曲者を玄関から外に運び出している。


 地下牢には、マージの一団に同行してきたイーリアの側近達が降りて行き、イアンやザハリ、そしてタンバを含む囚人達を再び縛り、牢へと収容し直した。火薬の件もあるので、床の修繕が済むまではイーリアの側近以外の出入りを禁じるそうだ。ちなみにイーリア自身は戦場の後始末のためにまだ帰ってきていない。


 屋敷の中では、戻ってきた大人の使用人達によって一階廊下に新しいランプがかけられた。床に散らばったもの…割られたランプや曲者が持ち込んだ武器、怪我人達が投げた食器類などの残骸もどんどん片付けられていっている。


「さっさと落としてしまわないと血の染みは取れなくなるわ。絨毯は交換かしらねえ…」

「浴室も酷いね、これではお身体を洗っていただく所じゃないよ」

「あんた達、よく守った。本当にね」

 お馴染みの使用人マダム達が玄関ホールで片付けを仕切り、脱衣所に立て籠っていた若い使用人達を労う。メイド見習いの少女達はマダム達に泣きついていた。

「料理長はまだ三階かしら。ユキ、何度もすまないけど、屋根裏の者達に三階の空き部屋へ移動するよう言って頂戴」

 ユキが言っていた屋根裏を護る『腕の立つもの』とは料理長の事だったか…。この屋敷は本当に戦闘員ばっかりだな。


「ザコル様、曲者らしい者は全員倒していただいたのですよね」

「僕が全て倒したわけではありません。僕、タイタ、マネジ、それから怪我人達、全員の手柄です。それから曲者全員とは言えません。屋敷から出た者に関しては追っていませんし、屋根裏部屋の中身までは手を入れていませんので」

 暗に屋根裏部屋にも曲者らしい者が混じっていると言わんばかりだが、きっと第二王子とその従者を指しているんだろう。

「ご謙遜を。九割方がザコル殿によって息の根を止められております」

 珍しくタイタが会話に口を挟んだ。

「素晴らしいわ、この人数のほとんどをお一人で…しかも綺麗に急所をひと突きされた者ばかり。お見事です」

「マネジから借り受けた短剣の切れ味が素晴らしかったんですよ」

 ザコルはマネジの短剣をスラリと鞘から抜いてみせる。

「まああ…! その鋭さは確かに業物ですわね。あのお客人には感謝してもしきれないですわねえ…」


 マネジは相変わらず従僕少年達に囲まれ、さらには伝令係を終えた同志達にまで囲まれて話をせがまれている。大人気だ。


「ザコルの戦いは美しいの一言だったよね、タイタ」

「ええミカ殿…! あの洗練された技の数々はいっそ芸術と呼んで差し支えありません! あんなにも静かで一方的な蹂躙が存在するなんて!! 味方がどんどん斃れているというのに、自分が刺されるまでその存在に気付く事さえできない者も多く、その光景は後ろで見ていても全く理解が及びませんでした。まさに英雄、まさに最終兵器の名にふさわしい!! あれを間近に見られたなんて、俺は、俺はなんて、なんて果報者なのでしょうか…!!」

「長い…」

「その最終兵器を完全に手の平で転がす聖女っていうね」

 ヒュン、とエビーにドングリが飛ぶ。通常運転だ。


「ミカ様、こちらを。部屋の前の死体を片付けましたのでお持ちしました」

 男性使用人の一人が恭しく荷物を差し出す。

「あ、私のカバン!」

「コートや靴、書類の類は三階のお部屋にお運びしておきましたので」

「ありがとうございます。助かります」

 私はカバンを膝に乗せると、まず真っ先に自分の短刀を鞘ごと取り出した。

「ああー、おかえり私の短刀ちゃん」

「姉貴…武器に頬擦りすんなよ、そこの戦闘狂じゃねーんだから」

 エビーに微妙な顔でツッコまれた。


 マネジが同志を引き連れてこちらにやってくる。従僕達は仕事に戻っていったようだ。

「おや、ミカ様。もしやそれは、話に聞くご愛用の短刀ですか、しかも…うちの工房製のものですね」

「えっ」

 マネジの言葉に、私は思わず自分の短刀を抜いてみる。

「短刀だなんてうちの工房くらいでしか打っていませんのに、女性が護身用にお持ちなのは珍しいなと思っていたのです」

「確かに。皆、短刀じゃなくて両刃の短剣をお持ちですもんね。あ、もしかしてここ、ムツって彫られてるんですか?」

 マネジに刀身を見せる。

「いえ、これはうちの親方で父ミツジの銘ですね、ミツと彫られています」

「そうだったんだ…。すみません、固有名詞に関しては、見ただけじゃ正確な発音が判らなくって」


 正確な発音が判らないのは固有名詞に限った事ではないが、固有名詞以外は発音など判らずとも翻訳チートが勝手に変換するので話すことはできてしまう。しかし固有名詞に関しては一度誰かに読んでもらわないと正確に発音する事もできない。

 私が長らくカリューという町名を日本語と混同してしまい『下流』の町だと勘違いしていたのもそのためだ。あともう少し勉強すれば、綴りから正確に読みを理解できるようになるとは思う。鍛錬あるのみだ。


「なるほど、渡り人の翻訳能力は万能なのかと思っておりましたが、そういったご不便もあるのですね。ミカ様は翻訳能力に頼らずとも文章が書けるまでに言語を習得なさっているとお聞きしました。やはりミカ様個人の並々ならぬ努力によるものか…いやはや素晴らしいの一言だ」

 マネジも後ろの同志達も感心したように頷いている。


「その短刀は僕が持っていた中で一番の業物です。ミツジに頼み込んで譲ってもらった逸品です」

「えっ、そうなんですか!? って、これザコルの私物!?」

「やはりザコル様のものでしたか。父の代になってからは数える程しか打っていないはずで、一本は常連にせがまれて渡したと言うのを聞いたことがあります」

 つまりはその常連がザコル…。

「レア物じゃないですか…」

 手に馴染んだ短刀をしげしげと見る。

 柄と鞘が黒檀らしい木で造られ、紐を巻かれた至ってシンプルなものだ。

「これも伯爵家で用意されたものだとばかり…。ブレスレットや服の事といい、何でそういうの黙ってるんですか?」

「特に話題に上らなかったので…。護身用とはいえ、いざという時にミカの命を預かる武器が生半可な品であっていい訳がないでしょう。だから一番いいものを入れておきました」


 愛ですな。愛。教会を呼びましょう。ここに建てましょう。

 同志達が今にも吐血しそうな顔でつぶやいている。

 ザコルはそれをチラッとだけ見て、私の持つ短刀に視線を戻す。聴かないフリをするつもりのようだ。


「…コホン。それに、伯爵家で用意されていた短剣は量産品でこそなかったものの、無駄な装飾が多すぎておよそ実用には向きませんでしたので。まあ、あの蒼玉と金剛石の大きさからいって値はあっちの方が十倍以上、いや数十倍…」

「ありがとう…!! ザコル大好き…!! この短刀で良かった…!!」

 ズザーッ、ザコルが盛大に後ずさる。

「またそういうことを…っ、 そっちからは控えてくれるんじゃないんですか!?」

「ベタベタ触るのをなるべく控える予定というだけです。本当に感謝してるんですよ。大粒の宝石が何個もついた短剣なんて持って歩く羽目にならなくてよかったし、この日本刀っぽいデザインもしっくりきて気に入ってるんですよね。いいものを私のために貸してくれてありがとうございます。この短刀に見合う実力になれるよう頑張りますから」


 蒼玉とはサファイア、金剛石とはダイヤモンドの事だ。ザコルはきっと古風な言い回しをしたんだろう。

 うちの翻訳チートさんはそういう細かい語感にこだわる節がある。


「今、ニホントウ、と言いましたか。それももちろん武器なんですよね?」

 戦闘狂がホイホイ隣に戻ってきた。

「はいもちろん。切れ味なら世界最強とも謳われる我が国随一の武器です」

「世界最強、素晴らしい響きではないですか。流石はミカ。まだ武器の知識を隠していたとは」

「隠すという程には詳しくはないんですよ、細かい製法までは語れませんしね。日本刀は日本伝統の鍛治製法で造られた刀類全般を指すのですけどね。形がよく知られているのは太刀ですかね。片刃で反りがついていて、こう、相手を薙ぐように斬るんです。ええと、芯と側を別々に鍛えて組み合わせるから細いのに折れたり曲がったりしにくくて、よく研いだものになると紙を上から落としただけでも切れちゃうとかって…」

「詳しっ! 何なんだよ姉貴はよう! またツッコんじまったじゃねえすか」

「まださわりしか話してないよ。近所のシゲさんが蒐集家でねえ、日本刀は美術品としても価値が高いから…」

「あの、ミカ様! 異世界の武器にお詳しいのですよね! 僕にも是非話を!」

「そうです、このマネジにシュリケンやマキビシをお願いしてはと思っていたんです。どうでしょうミカ」

「いいですねザコル! マネジさん、こちらこそ相談させてもらえませんか。ちなみにシュリケンっていうのは」


 ふっ…。


 小さく吹き出す声がして、私は真横に座っていた人の方を振り向く。

「ふ、ふふ…っ、ミカったらもう…、ザコル様も。こんな惨状の屋敷で、どうしてそんなにお楽しそうなのかしら、わたくしの方がおかしい気さえするわ」

「マージお姉様」

「ごめんなさい、醜態を晒してしまって」

「いいえ、討伐お疲れ様でございました。お姉様」

「ええ、あなたも、ミカ。無事でいてくれて、本当に、本当にありがとう。それから本当に、申し訳ありませんでした。よりによってこの屋敷の中であなたを拐わせるなんて…!」

「そんな、私の気の緩みのせいでもありますし、そもそも、私がここにいるのが全ての元凶なんですから…」

「何もかも承知の上であなたを預かっているのよ。ミカに責任転嫁する事などあり得ないわ。あなたが申し訳なく思う必要などこれっぽっちもないの」


 マージは屋敷に入るなり玄関先で私達の姿を見て泣き崩れてしまい、そのまま玄関ホールにあるベンチで休ませていた。彼女がやっと落ち着いたのを見て、使用人マダム達もホッと胸を撫で下ろしたようだった。


「あなたたちも、主たる私がこんな事でごめんなさいね。ちゃんとするわ」

「奥様、いえ、町長様。戦の采配は流石、お見事でございました。あなた様がミカ様を大事になさりたいお気持ちは、私共もよく解っておりますから。屋敷の片付けはお任せください。まずはお互いの報告をなさってくださいませ」

 使用人マダムの一人が優雅に一礼し、マージと、私と護衛三人に二階の執務室へと上がるよう促した。

「そうさせていただくわ。マネジ様、同志様。皆様は三階のお部屋へ案内させますので、イーリア様のお戻りまでお待ちいただけるでしょうか。後で食事も届けさせていただきます。ペータにユキ、あなた達も好きに休んでいていいわ。脱衣所にいた者たちにも伝えてくれるかしら。何か特別なご褒美を考えなくてはね」

「勿体無いお言葉です、町長様」

 ペータとユキが揃って一礼した。


 執務室に入ってしばらくすると、軽食が運ばれてきた。この屋敷の厨房ではなく、町の宿の方で作られたものらしい。すっかり忘れていたが、もう夕食の時間などとうに過ぎて、いつも通りならば就寝の時間が差し迫っていた。この町に来てから、いや、この旅に出てから夜が『いつも通り』だった試しなど一日として無いが。

 あんな惨劇を見た後でも普通に腹は減るのだな、と再び自分に感心する。サンドイッチを一口食べれば、たちまち胃は空腹を思い出して『もっともっと』とせがんだ。食べられるのは体が元気な証拠、これで夜もしっかり寝られれば言う事ナシだ。


 マージ率いる一団は、私が既に敵側に渡ったと想定し、敵の正面ではなく側面からの攻撃を選択していた。イーリアの小隊も同じように反対側の側面から当たった。エビーとタイタは私がまだ敵の正面で抗戦しているのに賭け、途中から行動を別にしたそうだ。


「ミカ殿がみすみす敵側に渡っているとは、何となく考えられませんでしたので…」

「それな。猟犬殿も先に行ってましたし、何となく間に合ってるだろうと確信めいたもんがあって…」

 流石は私の護衛達だ。私の力を信じてくれた事が嬉しい。


 ザハリファンの女性軍は、何か用があって集団で屋敷に向かおうとしていた所をマージ達と遭遇し、事情を知り同行を願い出たのだという。マージは監視役の女性達を紛れ込ませ、敵と正面からぶつかるよう命じた。結果的にまだ私は敵の真正面にいてメリーやザコルと共に迎え撃っていたので、彼女達が私を護って戦う事になった。


「ミカ、戦場でも堂々たる振る舞いだったと聞きましたわ。拐ったはずのメリーがあなたに魅入られてしまったとも。屋敷が襲撃されていると聞いた途端、すぐさま影武者を立ててこちらへ向かってくれたそうね。あなたには戦況を読む才能さえ備わっているのね…敵わないわ」

 マージが片手を頬に当て、悩ましげなため息をつく。

「また私を買いかぶって…。もちろん、私だけでは何も判断できませんでしたよ。それに、私のやりようが間違っていれば彼が指摘してくれたはずです。ね、ザコル」

「まあ、そうですね。しかし、僕は基本的にミカの判断には従う気でいますよ。あなたの判断は大体が理に適っていますので」

「ふふ、お二人は本当に仲がおよろしいですわね。必要以上の言葉がなくても信じ合えているなんて」

 マージが少し、寂しそうな顔をした気がした。


「ついさっき盛大にすれ違ってガチで体当たりの痴話喧嘩してたとこですけどねえ…。止める方の身にもなって欲しいすよ。姐さん、俺らがいないとこでその変態煽んのだけはやめてくださいよね」

「まあね、私も簡単に死ぬわけにいかないから気をつけるよ。でも諦めない。あの濃密な殺気を引き出すまでは」

「まーたこの姫は…」

 エビーが呆れ返った顔でソファに座る私を見下ろす。

「…ミカ、まさか、まだ僕に殺気を向けられたいなどと…」

「何を言ってるんですか、ずっとそう言ってるでしょ。私は諦めの悪い欲張りな女なんですよ。昨日からなか…いや、カリューで会ったあの子のみならず、メリーにまで向けてくれちゃって。今度こそ嫉妬で狂い死ぬかと思いました。あれと同じ殺気を向けてくれるまでは絶対に諦めませんから!」

「なっ、何を言っているとはこちらの台詞です!! 僕もずっと言っていますよね!? 他ならぬミカに殺気を向けるなんて絶対にあり得ないと! はっ、まさか、さっきからそんなしょうもない理由でやたらに僕を煽って…!?」

「しょうもないとは何ですか。私にとっては死活問題なんですよ。それにザコルが言ったんじゃないですか。敵を煽り倒して追い詰めてる私が好きだって」

「はあ!? そんな事言っていませ……っ、ぐ、言った…確かに、確かにそのような事を言いましたが…!!」

「そうでしょう。せっかくあなたが好きだと言ってくれたんですからね。ザコルのためならいくらでも詰ってあげますよ。ご褒美は殺気でお願いします」

「うぐうううう…っ、タイタ!」

「は」


 ザコルがソファを勢いよく立ち、シュッとタイタの後ろに隠れる。

「ミカがおかしな事ばかり言うんだ…!! あの女、慎みのようなものは持ち合わせていないのか!?」

 うんうん、とタイタが頷く。

「ザコル殿、数日前にミカ殿が似たような事を俺の後ろでおっしゃっておりました。あなた様が『ミカの暴言がもっと聞きたい』などと突飛な事をおっしゃるせいで…。ここは甘んじて受け止められてはいかがでしょうか」

「お前、セーフティゾーンのくせに!! 僕を慰めろ!!」

「はは、なんと偶然か。ミカ殿にも『セーフティゾーンが慰めてくれない』と詰られたのですよ。気が合われますね」

 タイタはにこやかに受け流す。なんてナイスなセーフティゾーンなんだ。今度タイタのために特別なご褒美を用意してあげよう。


「何だよ、結局全部返り討ちってか、自業自得かよ…。姉貴もよーやるわ。…あー、すいません町長様、この人達の茶番は無視でいいんで。次行きましょ、次」

「うふふ、そうねエビーさん。でも少しだけいいかしら。この方をここまで振り回せるなんてミカは本当に凄いわ。わたくしが子爵邸で仕えていた時には、こんな風に感情を表に出せる子じゃありませんでしたもの。今日はモリヤと一戦交えたそうですわねザコル様。わたくし、あなた様が泣いたり笑ったりなさっただなんて、ちっとも信じられませんでした」

 タイタの後ろで頭を抱えていたザコルがムクッと顔を上げる。

「…マージが僕の面倒を見ていたのなんて幼少期まででしょう。マージに関する事は、ドーランが義母に殴られていた事くらいしか記憶にありません」

「無理もありませんわ、もう二十年以上も前のことですもの。ですが、わたくしにはつい昨日の事にさえ思えるのです。きっとモリヤ団長も同じお気持ちね。あなた様のご成長が嬉しくてたまらないの。あなた様にとってミカは、恵みの雨のような存在なのね…」

「マージ、僕は」

「…ふふ、わたくしね、あなた様に疑われても仕方ないと思っていますのよ」

「マージ」

 ザコルが少しだけ語気を強める。

「ミカ、わたくしね…っぷ」

 私はソファから腰を浮かし、向かいで前のめりになったマージの口を手の平で押さえた。


「お姉様ったら。また泣きそうなお顔をして。私、マージお姉様の事は信じていますよ。何せ利害が一致してますから。私、最初から彼のオマケや引き立て役のつもりでここにいるんです」

「ミカ」

 ザコルが私を呼ぶ。

「お姉様はずっとこの人の味方だった。そうでしょ? だったら私の味方です。だから、言わなくていい事は言わないで。これからもずっとこの人とこの町の味方でいて。お願いです。私にできる事なら何でもしますから…!」


 後ろから手を回され、マージの口を押さえていた手をそっと外される。


「マージ、申し訳ないですが、ミカが泣くような事は言わないでくれますか。それに、捨て身になるにはまだ早い。戦えるうちは多少の事は誤魔化してでも戦ってください。代わりなんてそうそう見つからないんです。義母まで困らせる気ですか」

「……コリー坊っちゃま」

 マージが呆然としたようにザコルを見つめる。

「そう呼ばれていた記憶はありますよ。あの時分は世話になりました、マージ」


 マージは結局また泣き出した。私までもらい泣きしてしまう。

 ザコルは白いハンカチを二枚出して、私とマージに一枚ずつ渡してくれた。


 ◇ ◇ ◇


 ザコルとザハリがこの世に生を受けた頃。十四歳だったマージはメイド見習いからメイドへと昇格したばかりで、第二夫人であるザラミーアや他のメイドと共に、手のかかる双子の世話に勤しんでいた。

 双子は天使のように可愛らしく、当時子爵邸で赤ん坊の世話係に選ばれた者は、他の担当の者からも大層羨ましがられたという。


「決して楽なばかりではありませんでしたけれどね。ザコル様は特に未熟児としてお産まれだったから、最初は乳を飲ませるのも一苦労で、産後のザラミーア様は大変思い詰めていらしたわ。ザハリ様はお元気で手のかからないお子でしたから、双子を二人とも大きく丈夫に産んでやれなかったのは自分の責任のようにおっしゃっていらした。あの頃は世話係の私達も辛くて、早くザコル様が大きくなってくださる事を毎日願ったものよ」


 その後、四ヶ月もする頃にはザコルの体重も普通の赤子並みには増えて哺乳量も安定したが、ザハリとの成長の差は依然縮まらなかった。

 メイドの中でも、年長者達はふっくらとしてよく寝てよく笑うザハリの世話担当として振る舞うようになり、マージのような若く幼いメイド達は、まだ夜泣きも多く手のかかるザコルの担当という事になった。


「でも、コリー坊っちゃまだって本当にお可愛らしかったのよ。私達は一致団結していたわ。このお子を丈夫でお優しい方に育てようって。ザラミーア様は産後でも執務のお仕事があってお子達とは最低限にしか関われませんでしたから、ザコル様のご成長は私達にかかっていると皆で意気込んでいたのよ」


 毎日の世話に加え、マージ達はザコルに本を読み、外の景色を見せ、たくさん話しかけた。それでも、ザコルはほとんど笑わない赤ん坊だった。長く泣き止まない事も多く、赤ん坊の世話に不慣れな若いメイド達は疲れを隠せなくなってきていた。


「本当に大変だったのよ! コリー坊っちゃまが大声で泣いても全く動じず、スヤスヤ寝ていらっしゃるハリー坊っちゃまがすぐ隣にいらっしゃるじゃない? 先輩メイドからは、あなた達のお世話の仕方が悪いだのと嫌味を言われるし、わたくし達も若く未熟だったから、一時は自分の気持ちを保つので精一杯になってしまってね」


 当時、邸は子育てに追われる使用人ばかりだった。

 ザッシュやサンドでさえまだ五歳、ザイーゴは三歳、ロットとザナンは二歳。ねんねの赤子より、歩けて発語も始まった二歳や三歳の方がむしろ手がかかり、子を産んだ事のあるベテランの使用人はそちらにかかりきりだった。幼児といえどサカシータ一族、力の制御という点でも人手を要した。


「今思えばあの頃の邸はまるで乳児院のようで、ある意味とっても平和で幸せな時間が流れていたわ。邸の壁や床は穴だらけでしたけど。平和ではあったけれど、わたくし達は毎日必死だった。お可愛くてちっとも泣き止まない坊っちゃまを交代で抱っこし続けて、やっとお寝になった時は皆で倒れるように寝て」


 マージはちょっぴり眉を下げながら、それでも幸せそうにその頃の記憶を語る。

 ちらっと隣に座り直したザコルを見る。


「…何ですか」

「ねえ、ドーランさんが殴られてた以外の記憶は本当に無いんですか。お姉様のために思い出してください。早く」

「そう言われても…。マージの言う通り僕は成長の遅い子供だったようですから、物心つくのも遅かったんでしょう。幼少期は本当に数える程しか記憶がないんです。邸の外を世話係のメイド達と歩いて、草花をむしった記憶なら、おぼろげに…」

「ああ、懐かしいわ! 歩き始めてからはお身体を強くしようって毎日散歩にお連れしたの。坊っちゃまったら、すぐにその辺りの草をお口に入れてしまうのよ。入れるだけならまだしも飲み込もうとなさるんだもの。サカシータ一族が草を食べた程度で体調を崩さない事くらい解っていたけれど、まだ柔らかい幼児食をお食べになっている頃だっていうのに、噛み切れもしない草や木の皮なんかを口一杯に入れようとなさるの。窒息させないようにずっと目が離せなくって…。特に木の実は拾わせないようにしていたわねえ…」

「草食んでんのはその頃からなんすねえ」

「うるさい」

 今はドングリも食べられるようになった坊っちゃまが噛み付く。


「そんなコリー坊っちゃまも、三歳も過ぎた頃になれば、世話係以外の人間にも少しずつ預けられるようになりましたし、わたくしもイーリア様について外に出る事が増えた。でも、邸にいる間はなるべく本を読んで差し上げたり、よくお勉強にお付き合いしたわ。コリー坊っちゃまはお話しするのはあまりお得意じゃなかったけれど、字の覚えはとっても早くて教え甲斐がありました。的当ての遊びもお上手だったわ。心配していた発育も、五歳までにはハリー坊っちゃまと背丈が並ぶようになった。相変わらず感情の起伏は分かりにくかったけれど、ザラミーア様やハリー坊っちゃまの事は大好きでいらしたわね。そのうち騎士団に混じって鍛錬もなさるようになって、幼いながら大人を驚かせるまでの才能を披露なさるようになった。私達世話係は本当に誇らしかったの」


 マージが両手を胸に当て、ふう、と息をつく。本当はずっとこんな風に語って聴かせたかったのだろう。


「このように貴重なお話が聴けるとは…。町長殿はどうして今まで黙っておられたのです」

「ふふ、ザコル様ご本人だってあまり覚えていらっしゃらないっていうのに、本当の親御様の前で母親面なんてできないわ」

 全くその通りだ。使用人マダム達は『坊っちゃま』と遠慮なく呼んでいたが、彼女達もその頃の子爵邸にいたんだろうか。

「義母は親というより上司に近い存在です。マージの方が義母を母と慕っているでしょう」

「ええ、そうですわね。わたくしは七歳の頃に孤児院から邸に引き取られて、イーリア様とザラミーア様に一から育て、鍛えていただいたの。わたくしにとって、サカシータ家はただお仕えするだけのお家ではないのですわ」


 マージにとって、イーリアとザラミーアは育ての親で、ザコルを始めとした子息達は本当の弟や子供のような存在だった。


「お姉様、だから私に『娘と思わせて』とおっしゃってくださったんですね」

 ザコルの育ての母の一人なのだから当然だ。

「ふふ、ミカはどこまで察していたの。わたくしがあなたではなく、イーリア様やザコル様を優先していたのは解っていたのでしょう」

「そうですね、でも、それって自然な事でしょう。突然現れた変な女より身内が大事なのは当たり前です。それでも私を尊重してくれすぎだと思っていましたよ。私、一度だけ町長業務を代わったでしょう? あの時に見たお姉様のサインと、この坊ちゃまのサイン、何となく文字の癖が近いなと思ってたんですよね。マージお姉様が教えられたというなら納得です。それと、お姉様は客人の私をお叱りになったりは当然しないけれど、坊っちゃまにはよく素で注意なさってるでしょ。そういうの、とっても家族らしくて羨ましかった」

「ミカ、そんな風に思ってマージに叱られたいなどと言っていたんですか。僕はてっきり色目を使っているだけかと」

「まあ、それもありますけど」

「そこは否定してくれませんか…」

 綺麗なお姉さんに叱られるなんてご褒美でしかない。


「思えば、私とザコルを同じ仮眠室に入れたのも、私にあの婚礼衣装のワンピースを着せてくれたのだって、ザコルへのサービスだと思えば合点がいくんですよねえ」

「ふふ、それはそうね。可愛い坊っちゃまが可愛い恋人をお連れになったのよ。少しでも楽しく過ごしていただきたいじゃない?」

「全く余計な事を。サービスではなくお節介の間違いでしょう。ほら見なさいミカ、マージと義母は確信犯であなたを囲い込もうとしたんです」

「違いますって。あのパレードはザコルのイメージアップ戦略でもあったんですから。町長様が坊っちゃまのお帰りを歓迎してるって、町の人にもよく伝わったでしょ」

「ああ、なるほどな。あれは外堀埋めるためでもミカさんを立てるためでもなくて、兄貴の凱旋パレードだったんすねえ…」


 同伴者である私には町長自らが衣装を貸し、ザコルの隣を歩かせる。そして息のかかった者に彼の名を呼ばせ、祝いの言葉を叫ばせた。例のザハリファンの一団はともかく、ザコルの事を噂程度にしか知らない町民の中には、あの日から見る目を変えた者もいた事だろう。あのワンピースに見覚えのある年長者は特にだ。


「少なくとも義母は、本気でミカを囲い込むというか、外堀を埋めにきていましたよ…。ミカを護りやすくするためでもあるでしょうが」

「筋を通す、ってやつすか。その辺はやっぱ戦略的な理由があるんすね」


 イーリアは人情派に見えて、根っこはやっぱり貴族だし軍人だ。

 貴族にとって婚約や結婚に関する事は特に政治に直結する。許したからには必ず理屈が存在するはずなのだ。


「マージお姉様はご自分の事を『警戒なさった方がいい』なんてわざわざ忠告に来てくださったでしょ。そんな親切なお方、お姉様かコマさんくらいしかいませんからね。皆、私の事なんて黙っていいように使えばいいのに」

「ミカは聡明で懐の深い子よ。何もかも察した上で、いいように使われてくれてしまうわ。そんな仕打ちをしてみなさいな、坊ちゃんに合わせる顔がないでしょう。…でもね、わたくし、ちっとも親切なんかじゃないわ。ミカ、あなたが、一度だけタイタさんとお二人だけでこの執務室にいらした事があったでしょう。わたくし、あの時…」

「あーあーあーあーあー聴こえませーん!」

 私は自分の耳を塞いで大声を出した。

「なっ、何のおつもりなの、ちゃんと聞いてちょうだい! わたくし」

「ダメでーす。聴きませーん!! あれは私の私による私のための囮大作戦でしたので!! しかもなんと私、初めての戦闘で曲者に一撃入れるという大快挙!! ザコルにもイーリア様にも褒めていただいたんですから!! あれにケチをつけるなんてお姉様でも許しませんからぁー!!」

「お願いよ、聞いてちょうだいミカ。だってわたくし坊っちゃまにも酷い仕打ちを…っ」


「マージ」

 ザコルが静かに、しかしよく通る声で言った。私とマージは同時に黙る。

「…コホン。あの襲撃は、僕がミカに沈められていたからこそ起きた事です。あの恥ずかしい話を蒸し返さないでほしいんですが…」

『…………』


 私とマージはザコルに注目した後、何となくお互いに目線を合わせる。


「……ですって、お姉様。この人、私に挑んで返り討ちに遭ったんですよ」

「……そう。ちなみに、何をして挑まれたのかしら」

「……えっと、まず私が」

「やめろミカ。訊くなマージ。これ以上蒸し返すなと言った! マージを罰すると芋づる式に僕とエビーまで任務放棄で罰する必要が出てくるだろうが! あれは全部邪教のゴミ共のせいだ。黙ってろ!」


 おや真面目くんが珍しい。違反を黙ってろなんて。確かイーリアには正直に書面で報告していたはずだが。この真面目くんが嘘は嫌いだとか言って。


「そうすね、あん時仕事してたのタイさんだけすもんね…」

「あの教会近くの襲撃の件だな。俺とて力不足だったぞ。今からでも罰していただきたいくらいだ」

「私はザコルを沈めて脱走した件で罰してほしいです」

「まだ言うか! いいか、この話は終わりだ! 義母もあの件は敢えてつつかないようにしているはずなんだ。ただでさえ今回の件の責任問題がどう決するか分からないのに、過去の話まで蒸し返すんじゃない!」

 はーい、私とエビーが呑気に手を上げる。真面目なタイタは一礼した。マージはそれでも納得できていなさそうな顔だ。


「…一つだけ、聞いてくださらないでしょうか。これで最後にしますわ」

「…何ですか。核心に迫るような事を言うならば黙らせますからね」

「ええ、分かりましたわ。…わたくしね、あの件で坊っちゃまがミカを抱いて震えていたと影から聞いて、本当に、本当に後悔したのです。もう絶対にミカを、坊っちゃまを傷つけまいと心に誓ったの」


 私がマージのワンピースを着てパレードしたのは、あの襲撃のあった日の翌日のことだ。ザコルへの純粋なサービスかと思ったが、私達二人への償いの気持ちもあったのだろう。事実というのは実に複雑に重なり合ってできている。

 あの日はあまり気にしていなかったが、急にお風呂を沸かす事になった割に、すぐに準備が整った印象だった。井戸から水を汲み浴室に運び入れるだけでも本来かなりの時間を要するにも関わらずだ。

 先に屋敷に行ったイーリアが『ミカが熱湯魔法を使い風呂を沸かしたいそうだ』とでも伝えてくれたのかもしれないが、マージはそれよりも前から服や浴室の用意を指示していたのかもしれない。仮に私が湯を沸かさずとも、功労者へのサービスだとか言って入浴させられていた可能性も充分あるなと思い至った。


「ただ、言い訳にしか聞こえないでしょうけれど、誓って害する気だけは無かったの。あの者達もミカを生きて拐うのが目的のようでしたし、いざとなれば…」

「ストーップ。もう、ダメですよお姉様」

 出しゃばり過ぎかとは思いつつも勝手に止める。しかし、もう少しだけ踏み込んだ話を聴きたいので、さらに勝手な軌道修正させていただく。


「で、お姉様。『私による囮大作戦』で成果はありましたか。例えば、怪我人、とか…」

 マージが目を見開く。当たったようだ。

「…もう、ミカったら…。あなたって本当に戦争のないような国から来た素人なのかしら? あまり活躍していると本当にこの領から離してもらえなくなるわよ、ご注意なさいませ」

 マージお姉様のお叱りだ! ふへへ、顔がニヤける。

 むにぃ。横の坊ちゃんに頬をつままれた。にゃにふるんでふか。


「ええ、あなたの言う通りよ、あの時、外部と接触した患者が一人だけいたわ。怪我人だというのに妙に元気だったあの男よ。運動不足だとか言って散歩に出たので後をつけさせたの。数日前から畜産の実習と称して町に入っていた者と、道で会って軽く立ち話をしていた。たわいない会話に見せかけ、ミカの行先や状況を巧みに示唆していたわ。それから、あの男には怪我人達の統率を依頼して、退所させずに泳がせる事にしたのよ。執事長と示し合わせてね」


 畜産の実習と称して町に入っていた者、それはすなわちタイタを私を襲った元暗部の曲者だ。


「マージ、あのタンバという男に怪我人の統率を命じたのは本当だったのですね。あの場限りの嘘の一つかと思っていました。今日、何かあれば屋敷を守れと命じたのも本当ですか?」

「いいえ、屋敷を空ける旨は伝えたけれど、あの男にそのような事は頼んでおりませんわ」


 マージが一瞬ゴミを見るような目付きをしたのを見逃さなかった。そういえば、タンバはマージの事をお美しい町長様だの、麗しのマージ姫だのと表現していた。


「あの男、お姉様をいやらしい目で…!」

「ミカがそれを言いますか…」

「ああ、ホントブレねえな…。うちの姫やっぱりすげーって惚れ直した俺の気持ち返してくださいよ」


 ザコルとエビーが呆れ返った目でこっちを見ていた。



つづく

すいませんお姉様回まだ続きます

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