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誰が召喚したか知りませんが、私は魔獣ではありません  作者: もっけのさひわひ


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戦後の考察① 覚悟くらいできてるっての

「ずりーよ…!! そっち滅茶苦茶楽しそうだったんじゃないすかあ!」

 エビーが駄々をこねる子供のように拳を振っている。


「不謹慎な事を言わないでください。怪我はないでしょうね、エビー」

「そーだよ大変だったんだからねー。でも元気そうで良かったよ、エビー」

「ああ、こうしてまたお前の笑顔が見られる事が嬉しいぞ、エビー」


「…っ」

 エビーは一瞬詰まり、気恥ずかしそうに鼻の下をこすった。


「へへ、みんな俺の事好きすぎんだろ。てか、皆さんもご無事で何よりっす。こっちも色々ありましたけど、綺麗で強ーいお姉さんに囲まれる俺、超役得でしたよお」

「何だ、そっちも楽しそうだったんじゃない。ふふ、ありがとうね、エビー」


 エビーは盛大に返り血を浴びてはいるが、見た限りでは無傷。ザハリファンの女性達も大きな損害は無さそうだ。


 エビーとザハリファンの一団がマージよりも先に戻ってきたので、通路を塞いでいる死体を皆で簡単に片付けつつ、意識の戻らないマネジを担いで二階に上がった。

 ベッドが持ち出されて広くなった患者部屋に皆で集まり、戦帰りの皆と怪我人達に、この屋敷で起きた事のあらましを伝えられる範囲で話した。


 執事長の行方については結局誰も知らなかった。執事長が怪しいのは間違いないが、今の所状況証拠しかない。マージが戻らないうちから勝手に大勢の前で罪人扱いする訳にもいかないので、彼の所業については少しぼかして伝える事になった。


 三階の屋根裏部屋にはユキに頼んで説明に行ってもらった。今王子が出てきて大勢の前で粗相でもされると面倒な事になりそうなので、ここに呼ぶのはやめようとザコルとも話した。戻ってきたユキによれば、屋根裏部屋の面々も皆、騒動がひと段落した事を喜んでいたそうだ。


 タンバの証言については怪我人達からも事情を軽く聞いた。タンバが率先して仕切っていたのは事実だったようだが、マージに任されたという話については皆知らないと言っていた。しかし執事長が『二階より上を守れ』と指示したのは事実のようだ。


 例の香を持っていた所を見る限り、タンバはあのジミーと同じように邪教の関係者で、私を拐うのが目的でこの屋敷に潜んでいたとみるべきだろう。執事長やイアンとは利害が一致しての協力関係にあっただけで、目的は同じではない可能性が高い。


「俺もマネジ殿の活躍見たかったなあ。あの隠密同志達を笛一つで操ってんでしょ? すげー!」

「彼が凄いのは認めるが、皆どうしてそんなにもマネジ殿を気に入っているのだ。あの人は決して有能なだけの人じゃないぞ」

「へへっ、タイさんにそんな顔させる人が俺以外にもいるなんてな。やっぱずりーっすよお!」


 エビーがまた拳をブンブン振った。ちなみに当のマネジはまだ尊死したままだ。


「あら、私達とも楽しく戦ってくださったじゃないですか、エビー様」

 タキがやってきてエビーを肘でつつく。

「そりゃあもちろん、綺麗なお姉さん方とご一緒できた俺は果報者ですよお? でも俺は欲張りなんすよ、ミカさんが樽転がしてたとことかも見たかったなーってね。ねえ、タキさんってホントに子供産んでんすか? スタイルといい身のこなしといい、流石は元戦闘メイドってヤツすねえ。かなりいーとこの家に仕えてたんでしょ? ミワちゃんも将来楽しみすねえ。お母さん似の美人エリート戦闘員に育つ事間違いナシじゃないすか!」

「もう、お上手ねえ。テイラーの方は皆女性の扱いに長けているのかしら。ふふ」

 タキが上品に笑う。

「タキさん。皆、無事ですか」

「ええ、ミカ様。こちらは誰も欠けておりませんわ。怪我もかすり傷程度です」

「それは良かった」

「ミカ様こそ、ご無事で何よりでございます」


 タキは恭しく一礼した。おお、これが『いーとこ』に仕えた戦闘メイドの礼か。なんて隙のないカーテシーだろう。テイラーでお世話になったホノルを思い出す。

 今なら確信が持てる。ホノルもきっと戦闘メイドか何かだ。帰ったら手合わせしてもらおう。


「メリーはどこですか?」

「あの子は、監視をつけて外で待たせています。この屋敷の敷居を勝手に跨がせる訳にはいきませんので」

「そう…。私から顔を見に行ったら問題になりますか?」

 私がそう言うと、タキは案の定困った顔をした。

「ミカ様。私は不敬を承知の上であの子に猶予をとザコル様に申し出ました。しかしながら、ザコル様やミカ様があの子に温情を掛けられる理由など、本来一つも無いのですよ。お二人のご寛大さ、慈悲深さは重々身に染みておりますが…」

「話をしたいだけなんです。それに、この短剣も返さないといけませんしね」

 そろそろマージが帰ってくる。外で待たせておいたら永遠に会えなくなる可能性が高い。

「そうですね、マージの目に入ったら即刻首を刎ねられかねません。僕もメリーには訊きたい事があるんです。呼んでください、僕が許可しますので」

「承知いたしました」

 タキが一礼して踵を返す。坊ちゃん権限発動だ。



 二階の空室で待っていると、監視役の女性二人に伴われたメリーが入ってきた。

「ミカ様…! ああ、ご無事で…!」

 駆け出そうとするメリーを、監視役二人がガッと押さえ込む。

 私は自分からメリーの方へと近寄った。こっちは護衛三人がピタッとついてくる。


「メリーも無事で良かった。これ、返すね。貸してくれてありがとう」

 そう言って彼女から借りた短剣を差し出す。それはメリーに渡る前に、監視役の一人がスッと受け取った。

 ザコルが彼女達にここはいいからと指示すると、二人はメリーの短剣を持って退出していった。


 メリーは床に膝をついた。

「ミカ様。あの場で私を信じてくださり、ありがとうございました。そればかりかこうしてご無事なお姿を拝見させていただけるなんて。これ以上はもう思い残す事もございません。どうか一思いに」

「待った待った。メリー、まだ訊きたい事が色々とあるんだよ。それに、個人的には今あなたに死んで欲しくないの。今なら庇ってあげられるよって約束したしね。一度した約束を破るのも主義じゃないし、何とか各方面に折り合いのつく所を模索しようよ」

「そんな…!! どこまで慈悲深くていらっしゃるんですか…!!」


 メリーが瞳を見開き、祈るようなポーズでこちらを見上げる。

 うっ、この既視感のある視線と圧。……これは、来る。


「私がお話しできる事はもちろん全てお話ししますが、私ごときの命を惜しく思われる事はありません! ミカ様ご自身が自衛なさってくださらなければ私、死んでなお後悔し続ける所だったのです!! そうです、あの男が急に倒れ込みミカ様がゆらりと立ち上がられてからの怒涛の展開。あれ程鮮烈に胸を焦がした瞬間は私の一生を賭けてももう二度と出会えないでしょう! ミカ様が私などを庇うために拳を振るってくださった瞬間、私の世界は一瞬で何かから解き放たれたように輝き始めました。沈みゆく太陽の紅き光を反射しながら踊る神秘的な黒髪、敵を見据える黒水晶の瞳、相手の心臓を串刺しにする言葉の数々。そして未熟な私が討ち漏らした敵にミカ様ご自身が叩き込んだ、あの天女の舞のごとく美しく鋭い一撃…!! これ程の宝に、神々がこの地にもたらしたもうた聖女、いえまごう事なき女神たるお方に私は手をかけたのみならず、御身をあのように穢らわしい者達の前に引きずり出してしまった…! かの方に唆されたなどと言い訳にさえなりません! どちらにせよかの方の妄言や邪教の輩などを信じた愚かなる私こそが全ての元凶なのです! ザコル様が『お前一人が死んだくらいで鎮まるとでも思っているのか』とおっしゃられたのも無理からん事。百回でも千回でも死んでお詫び申し上げなければこの罪を贖う事などできません!! どうかどうか私にお命じください。最後は自分自身の血でこの罪を洗い流すようにと! いつでも喉を掻っ切る覚悟はできております! しかしもしも、もしも一時の命をいただけるのならばあなた様の敵をその命尽きるまで屠り続けてご覧に入れましょう。手始めに国内全土の邪教の殲滅から」


「長い長い長い長い長い…!! 止まって止まって!!」


 私が手でぶった斬る真似をするとメリーはピタッと止まった。

「何なのもう、同志もびっくりな早口語りだよ!! メリー十代でしょ!? 語彙が豊富すぎてお姉さん感心しちゃったよ!! もう、あの短い間に何考えてんの、戦闘に集中してよね全く…」

 はあああ、思わず溜め息が出る。

「大体、ザコルが『お前が一人死んだくらいで』って言ったのは、殺せ殺せ言ってる暇があったら目の前の敵に集中しろって事で、百回死ねって意味じゃないよ。うちの人にこれ以上変なイメージ植え付けないで!」

「うちの人…」

 ザコルが横でつぶやく。あれ、変な言い回ししちゃったかな、すいません。

「いい? メリー。私はそんな崇高な存在じゃございませんから。かの方の次の信望先に選ばれても、彼みたいに十年以上仮面被れる自信無いからね。過度な期待はしないでください」


 やっぱり私にアイドル業は向いてないと思う。シータイにいる間だけでも『健気な娘』を演じるつもりでいたが、早くもボロが出始めている気がする。


「ミカ様に仮面など必要なものですか、あなた様はこの地に降り立った瞬間から尊敬と崇拝に値する存在でいらし」

「ストーップ!! 何なの! 一緒にベリーミルクフラッペ配ってた頃のメリーに戻ってよう…!」

 ガックリと床に膝をつくと、ザコルにポンと肩を叩かれた。

「……ミカ、いくら自分を慕ってくれても、理解もできなければ会話にもならないこの虚しさ、解ってくれますね。まあ、ミカが敵に対峙する時の無慈悲さというか、容赦なく追い詰める姿に魅入る気持ちは解りますが」

「ザコルまで何言い出すんですか! あんなの私の性格が悪いだけでしょ!! 自分でもタチが悪いって思うし、ザコルだってそう言って引いてたじゃないですか!! うわああん!!」

「ちょっ、泣かないで! いいですか、僕は今更そんな事に引きません。むしろ好きです」

「すっ……!?」

「…あ、い、いや、僕は何を、そ、そうじゃない、僕の言う『タチが悪い』はほとんど褒め言葉であって…」


 褒め言葉……?


「……そうなの…?」

「う、ぐっ、な、涙目でこっちを見上げるのはやめろ!!」

 ザコルがシュッとタイタの後ろに隠れる。何となくタイタの方を見たらタイタも後ずさった。


「…兄さん方、相変わらず何やってんだか…。メリーちゃん、俺はちょっと信用ならねえすよ。あんた、今日に限らずずーっとミカさんの身辺探ってただろ。あの先生とも通じてんのは判ってんだからな」


 エビーがしゃがんでメリーに凄んでみせる。

 メリーはその圧に特に怯む事もなく、目をぱちくりとさせた。


「あの先生…とは、シシ先生の事でしょうか? 確かに、ミカ様がよく診察を受けられているようなので、どこかお悪いのかと訊く事はありましたが、守秘義務があるとおっしゃって全く明かしてくださいませんでした。最近何かの薬剤を調べていらっしゃる事を噂で知っているくらいで、それは邪教が持ち込んだ例の物と今日初めて知って…」

「ふん、どーだか。お前も邪教や王弟みたいに、ミカさんを利用する気なんだろ」

「まさか、利用などと…!!」

「エビー、この子はそんな器用なタイプじゃないと思うよ。先生の件は一旦忘れて」


 私の言葉に、エビーが渋々立ち上がる。

 エビーにはそう言ったが、私はシシにある程度ストレートに訊く覚悟はできていた。それからコマにもだ。

 決して彼らの立場を積極的に脅かしたいわけではないし、他ならぬザコルがあまりいい顔をしないので控えるつもりだったが、これ以上あやふやにして放置しているのは絶対に良くない気がする。特に無自覚に垂れ流している部分だ。もはや彼らの立場に忖度などしている場合じゃない。


「今メリーに確認しておきたいのはまず目先の事だよ。メリーは最近、執事長から直接指示された事ってある? それから、ザハリ様との関係も。彼には最近、いつどうやって接触した?」

「執事長と、かの方ですか…。では、まず昨日の事からお話しします」



 私は二人掛けのソファに座り、メリーにも対面のソファに座るよう勧めたが固辞されてしまった。

 ザコルは私の隣に座り、正面に立っているメリーに質問を投げかける形になった。ちなみにエビーとタイタは、私とメリーの間にいつでも入れる距離感で左右を固めている。

 …王族になって謁見でもしている気分だ。


 メリーは昨日の午前中、私達がカリューへ旅立った後、執事長に空室の掃除を命じられて、メイド見習いの子達と手分けし、ユキ達は三階から、メリーは一人で一階から順にこなしていた。メリー自身、見習いからメイドに昇格したのは最近の事で、見習いの子達とは年の近い先輩後輩として仲良くしていた。


「メリー、もしかしなくてもユキにザコルの悪口吹き込んでたでしょう。いくら自分の信じる人が貶してるからって、領主様、いわば雇い主のご令息の悪口を職場で言うなんてあり得ないんだからね」

「そ、それは、全くもっておっしゃる通りで返す言葉もございません…。今まで、どうしてそれが正しいと思っていたのか自分でも不思議なくらいで…いえ。ただただ私が愚かなだけなのです。大変申し訳ありませんでした、ザコル様。お許しいただけるとは考えておりません。如何様にでも」

「お前の反省や懺悔などどうでもいいと言った。話を続けろ」

 ザコルは腕を組み、隣でふんぞり返っている。俺様モードだ。

「は、はい。では…」


 掃除を進めるうち、一階のある部屋でクローゼットが不自然にズレていて、戻そうとした時にそこが続き部屋になっていた事をメリーは初めて知った。


「執事長にこの件を報告しました。続き部屋自体はともかく、クローゼットの穴は明らかな隠し通路工作でしたから。ただ、窓もあり地面も近い一階で、あの程度の隠し通路が何の役に立つのかとは思っておりましたので、素直に質問をしたのです。そうしたら、これは秘密だが、あれはザコル様による指示で壁を抜かせた即席の続き部屋で、ミカ様のお部屋をこちらに移すために準備中だと言うのです。通路の事はミカ様には知らせず、隣の部屋で護衛様方が待機なさる予定だと。…それから、お前も、連れ込まれないよう注意なさい、と…」


 私は護衛三人を順番に見る。三人とも順番にブンブンと首を振った。そーですよね。


「……メリー、その話信じたの?」

「あ、あの、あまりよく考えず、執事長の言うことだからと素直に受け取ってしまいました…」

「いや、明らかに変でしょ。昨夜だってそうだったけど、ザコルと私、前から同室で寝かされる事あったじゃない。同志村では二室式だけど同じテントでこのメンバーにコマさんも加えて寝泊まりとかもしてるし。その辺り、メリーも知ってたんじゃないの? 何で今更、三人が私に内緒で隠し通路付きの隣の部屋に泊まる必要があるのよ」

「あ、あの、以前にもお二人が同室にされたとは本当で? しかも全員で同じテントに? そ、それは知りませんでした! どうしてそんな事に!? ミカ様は未婚のご令嬢ですのに!!」

「ご令嬢ではないけどね…。まあ、毎日非常事態みたいなもんだから仕方ないでしょ」

「仕方なくなんてありません!!」


 メリーは心底驚いているように見える。執事長はもちろん、使用人マダム達もあまり私達の寝泊まりについて若い子達には説明していないのか? それともメリーだけが知らなかったんだろうか。


「私とザコルは、水害のあった日の翌朝、一つの仮眠室で並んで仮眠を取ってる。それを手配したであろう元町長やマージお姉様、使用人の何人かも知ってると思う。少なくとも、執事長が知らないのはあり得ないかな。彼には一度、執務室に二人きりで残された事もあるし…。その時は気を遣って二人きりにされたのかと思ってたけどねえ…」


 何の意図があったかは分からない。彼はドーランを再び町長にしたいくらいにはドーラン推しのようなので、公衆の面前でドーランを貶めた私には恨みがあっただろう。護衛とただならぬ関係だとか、悪評を立てたかったのだろうか。


「わ、私、水害当日は丁度休養明けでしたので、その日の夜、怪我人が運び込まれ始めてからは、翌日の夕方までずっと三階で重傷患者の世話をしておりまして…。仮眠室が男女関係なく雑魚寝状態だったとは後で聞いたのです。そこにまさかミカ様が混じっていただなんて。そんな、信じられないわ、何があるかも分からないのに…!!」

「そう、何があるか分からないからこそ仕方なく、身元と腕が確かな専属護衛と一緒にさせたんでしょ。あの時点じゃ私の素性を知る使用人も少なかったし、屋敷内は相当混乱してたはず。当時の様子じゃ、私のために一室空けて整えるなんてとても無理だったろうし、もしそう提案されても私から断ったと思う。…えっと、誤解の無いように言っとくけど、別に私達は一線越えてたりしないし、こっちの護衛二人も交えた四人で爛れた関係持ったりもしてないからね? 彼らはプロの護衛なの。オーケイ?」


 そこはかとなく顔を赤らめているメリーに釘を刺す。ザコルとは色々あったがとりあえず黙っておこう。まだ思春期からも抜けきってなさそうな少女をこれ以上刺激したくない。


「メリーもあの新聞読んだんでしょ。私はね、護衛から片時も離れられない程度にはあちこちから狙われているんだよ。深緑湖の街で襲われかけたのも本当だし、途中の町でも先回りされてたし。この町に来てからもそう。ザコルが離れた途端に襲われたなんて事は今回が初めてじゃない。自分で囮になったり、人に囮をしてもらった時も含めたら少なくとも四回以上はある。私はね、この三人を心から信頼してるの。彼らへの侮辱は許さないから」

「は、はい。申し訳ありません…軽率な発言を」

「まあ、この三人になら何されても文句はないけどね」

『はあ!?』


 メリーと護衛達、四方向から大声を出されて耳がキーンとなった。


 私がそう考えている理由は他にもあるが、ザコルを含め、護衛三人の事は信頼しているというか、信頼せざるを得ない状況でもある。この三人がもし何らかの事情で同室泊なり雑魚寝なりを願い出たとすれば私は許可するしかないし、そうしてきた。そこで何が起きたとしてもしょうがないと割り切る覚悟はできている。正直、よく知らない人にどうこうされるよりは百倍、いや千倍マシだ。


「まあ、別に何もないとは思うけどさ。それに一応、同室で寝るにしても外聞が悪くならないよう、ザコルは筋を通してくれてるよ」

「筋、ですか…?」


 ザコルと婚約予定、と言う微妙な立ち位置ではあるが、子爵夫人…というか子爵代理とも言えるイーリアにも話を通している。それに地域柄、山の民が立ち合った事も大きな意味を持つだろう。私達の仲を、立場のある第三者が証人として認めている、それはきっと後で正当性を主張するのに必要な過程なのだ。

 メリーはと言えば、私達が婚約予定になっているという話すらも聞いていないようだが。一から説明していると長くなりそうだ。この子もいちいち反応が大袈裟だし、マージや他の使用人も、メリーが大騒ぎしそうだからという理由で話さなかったのかもしれない。


「まあ、筋の事はいいよ。メリーさ、今朝はどんな気持ちで私達二人のいる部屋をノックしたわけ?」

「さ、昨夜は、つい執事長にも突っ掛かってしまったのですが…。同じ階にいらっしゃるイーリア様や他の使用人がきちんと把握して監視しているから大丈夫だと…。ですが、ミカ様が移る予定のあの部屋については、隠し通路があるのを知るのは今の所私と執事長だけで、執事長はザコル様にキツく口止めされているから他言できないのだと。ですから、今夜あたり、ミカ様は…」


 ちら。私は、ずっと黙って聴いているザコルの方を見る。


「…何ですか」

「…いえ。今日って皆どうやって寝るのかなって思っただけです。一階が凄い事になってますけど、三階の元の部屋で呑気に休んでていいんですかね」

「仕方ないでしょう、もう同志村で寝泊まりするのは無理ですし、他に行く宛もありません」

「そっかあ。ザコル、今日も手握って寝てくれます?」

「なっ、何でこの流れでそんな事を言うんです! いやっ、手…っ、手くらいならいつでも握りますが、ぼ、今の僕はかなり気が立っているんです! 不用意に何か試したり煽ったりするのは本ッ当に控えてくださいね!? ミカのために言っているんですから!!」


 ザコルが腕を組み直してプイッとそっぽを向く。何を不機嫌になっているのやら。

 別に、今日はもう何か試したりする気力なんてないし、昨夜だって何をかは知らないが煽ったような覚えもない。ただ、あらぬ疑いを吹き込まれていたと証言する少女に対し、自分では何も弁解しない気かと思って話を振っただけなのだが。


「えっと、何に怒ってるのか判りませんが、私、今日もきっと眠れそうにないから…。手、は握ってくれるんですね。ありがとうございます」

 にこ、と何とか笑顔を作る。

「ん、ぐ…っ……」

 ザコルが喉に何か詰まらせたような声を出す。


 やはり、彼が引っ掛かっているのは『検証』の事か。また不用意に魔力の口移しを迫ったりしてこれ以上嫌いにさせるなと…。きっと今までも相当に苛立たせたり不快にさせていたんだろう、それこそ、気が立っているのを逆撫でしてしまう程度には。


 …もう、私なんかとは恋人でいるのも辛くなってきてしまったのだろうか。それなら…


「違…っ」

 エビーがちょいちょいと私の肩をつつく。

「姐さん姐さん、この変態はそろそろ理性が限界だって言いたいだけすよ」

「え? りせい?」

「おいやめろ」

「へへっ、単純な話すよ。自分からはぜーんぜん平気だったくせに、ミカさんに開き直られた途端この体たらく。情けねえったら」

「うるさい!!」


 りせい…? りせいが…、りせいがげんかい…?


 確かに聞いたはずなのに理解が追いつかず、頭の中をさっきの言葉がぐるぐると回る。


「あの、リセイガゲンカイとはどういう…」

「ミカ…。急に知能低下を起こさないでください。さっきまで際どい事を平然と話していたくせに。爛れた関係とか、何をされても文句はないとか、軽々しく言うんじゃ…っ、ぐっ、くそっ、これ以上僕の口から言わせるつもりですか! お互い再起不能になりますよ!」

「…えっと、りょ、了解です。今はこれ以上考えないようにします」

「それで結構」


 プイ。ずり、ずり、ずり。


 ザコルは顔を背けたままソファの隅に向かって移動していき、肘掛けにピッタリくっついて止まった。私との間には数十センチの距離ができた。たった数十センチ、しかしその数十センチがやけに遠く感じる。


 そっか、私の事を意識しすぎて、か…? どうやら引かれた訳ではなかったらしい…のか。

 私は火照りかけた顔を俯かせ、膝上の自分の手に目を落とす。でもそれって、結局、距離を取られ続ける事に変わりないのでは。


 ……ああ、どっちにしても、もう普通に甘えたりしちゃ駄目なんだ…。


 ジワ、急に孤独感というか、自分がひどく弱々しい存在になったような感覚に陥った。あ、これ、心細い、ってやつだ…。


「ミカ様」

 ハッとして顔を上げる。

「えっ、あ、ごめんね、メリー。話の続きを」

「ミカ様…。愚かなる私が、何もかも事実を違えて見ていた事はよく解りました。実はお二人が手を握る程度の間柄でしかないという事も、ミカ様がそれをお寂しく思われていたという事も…!」

「あ、いや」

「ミカ様が、悪魔は私の方だの、彼につきまとっているのはむしろ私の方だのとおっしゃるのは、ご自身の強大なお力を知らしめるのと同時にザコル様を庇っておられるのかと思っておりました。…何もかも違ったのですね…決してテイラーの采配や陰謀などではない、ミカ様ご自身こそ、そのお力を受け入れられるだけの強者をお求めだったのだわ…! あなた様の強く気高く美しくも孤独なる魂をお慰めできるのはこの最終兵器を置いて他にないとそうおっしゃりたかったのでしょう!? だから彼がいない場所に興味はないと」

「あ、いやいや、そんな孤独とか、心細いのは、本当、だけど…」

「ミカ、あの」

「ああ!! これほどミカ様が求めてくださっているというのに何ですかその距離! もっと、もっと…! ええと、何ですかこれ、うーっ、あーっ!! もどかしい!! 早くくっつきやがりくださいませザコル様!!」

 急に語彙力が低下したメリーがザコルに噛み付く。

「う、うるさい黙れ!! というかお前が言うな!! いいか、これ以上僕を刺激するんじゃない、お前が危惧していた通りの結果になるぞ! ミカだってそこまでの覚悟なんてできているものか! 僕だってできていないのに…!!」

「何を情けない事を堂々とおっしゃっているんですか! ザコル様はあのザハリ様と双子なんですよね!? 充分大人でいらっしゃいますよね!? まさか初めてという訳でも」

「うるさいうるさいうるさい!!」


 ヒュッ、何かがメリーの横を掠めて後ろの壁に激突し、弾けた。ドングリだ。


「これ以上何か喋ってみろ、本気でその頭に風穴を開けるぞ…!」

「…っ!!」

 メリーが身を竦ませる。


 …………。

 …何なの。

 そんなに濃密な殺気をこんなあどけない子にまで…。


「私の事も殺す気できてよ…覚悟くらいできてるっての」

「は?」


 私はソファから立ち上がる。


「ミカ…?」

「タイタ、行こう」

「御意に。どちらへ参りますか」

「マネジさんの様子を見に。そろそろマージお姉様もお戻りになるでしょ。お出迎えしなきゃね。ザコル、残りの話は聞いておいてください」

「ちょ、ちょっと待ってくださいミカ! また僕から離れる気ですか!?」

「離れたのはそっちでしょ」


 ぐ、とザコルが言葉を飲み込む。


「姐さん、俺は…」

 エビーが私とザコルを見比べながら言う。

「好きにして」

「じゃ、じゃあ姐さんについて行きます」


 タイタが部屋の扉を開けてくれる。扉の外にはさっきの監視役の女性二人が待機していたので、軽く会釈して廊下に踏み出す。


 ダンッ、背後で大きく踏み込む音がした。


「駄目だ!! 僕を置いて行くなミカ!!」

「あら、今回は追いかけるのが早かったじゃないですか」

「嫌味か!? そっちがその気ならもう遠慮しないぞ!!」

「お好きにどうぞ。でも、どうせ覚悟なんてできてないんでしょ。せいぜいご自分のペースでなさったら。私は無理強いしません」

「くっ、またそうやって煽る…!! 自分の言っている意味が解っているのか!?」

「…私はただ、あなたに甘えたかっただけです」


 ぐ、ザコルがまた言葉を飲む。


「でも、あなたの心が私の全てですから。我が儘はこれきりにします。もう言いません。さあ、ザコルも一緒に行きますか」


 にこ、笑ったつもりだった。


「その取り繕った顔、やめろ…」


 ふら、とザコルが近寄ってきて、私を抱き寄せる。ぎゅ、ぐえ。潰れた蛙のような声が出る。


「殺す気で、か…。ミカを殺しでもしたら、僕は、何もかもを破壊し尽くさないと止まらないぞ」

「…わ、私なら、殴っても砕いてもだいじょぶ…っ、しな、ない…で…ず…」

「また目の前からいなくなってみろ、僕は今度こそ発狂する…!」

「…………」


 バシッ、エビーとタイタがザコルの両肩を同時に叩く。


「離せ馬鹿兄貴」

「ミカ殿の息が」

「っ」


 パッ、急に腕が離される。目がチカチカとして足元がぐらつく。

「ミカ!!」

 ザコルが咄嗟に倒れた私を受け止め、横抱きのような体勢のまま床に膝をついた。


 解放されたものの、肺への過度な圧迫のせいか息はしばらくできなかった。苦しそうな素振りはしたくないので、なるべく表情には出さず黙って胸を押さえ、回復するまで耐える。


「…ふ、はあー、あ、あはは、窒息したら流石に死ねますかね。肺を鍛えるのってどうすれば効率いいかな…」

「何を呑気な事を…! 本当に殺してしまう所だったじゃないですか!! こうなるから嫌なんだ!! また暴走するくらいなら…」

「大丈夫、大丈夫です。ね?」


 私は彼に抱かれたまま、手に届く所にあった彼の手の甲を撫でる。


「距離取られる方が、よっぽど凹みますから。体なんて潰れてもひしゃげてもいいから、側にいて、触れてくれる方が嬉しいです」


 ザハリの事を言えないな。私も大概、苛烈だ。

 それでも、私を傷つけるかもしれないからという理由で距離を置かれるよりはマシに思えた。体はどうせ回復する。

 ……もし彼が衝動に抗えなくなってしまってもその時はその時だ。私もいい大人だし、本物の貴族令嬢なんかじゃない。恋人というか、推しに本気で迫られて正気を最後まで保てるかどうかはさておき、だ。


「僕が言うのも何だが、どうしてそう極端なんだ。僕が慣れて、落ち着くのを待ってくれさえすれば」

「ふーん。その間、私は寂しすぎて夜も眠れない日々を送るわけですね」

「そ…れは」


 むく、体を起こす。苛烈すぎる想いは一旦胸にしまう。

 大体、ここまで私をスキンシップに慣らしたのはザコルではないか。それがいきなり少なくなればこっちだって不安になる。

 私は重いんだぞ。


「まあ、いいです。待つのもひしゃげるのも痛みという点では一緒ですし。ザコルがその気になるまで心痛めて待ちましょう」

「嫌な言い方をするな!!」

「これくらいの仕打ちは甘んじて受け入れて欲しいですね。私からはなるべく控えてあげますが、ザコルはどうせ好きに触るんでしょ。我慢する理由なんて無いんですもんねえ」

「ぐううう…! またそういう事を…!!」

「……なあ、いい加減に体張った痴話喧嘩すんのやめてもらえませんかねえ。結局メリーちゃんはどうすんすか」

「そうだった」


 振り返ると、メリーの監視役だった女性二人が若干気まずそうな顔であらぬ方向を見ていた。


「メリーを少し預かってもらってもいいですか。後でマージお姉様に直談判します」

「もちろんでございます。屋敷内にて、引き続き監視を続けさせていただきます」

「お願いします」


 監視役二人は、部屋の中からこっちを見ながら固まっているメリーの両脇を固めた。他の皆には見えない場所に連れ出し、控えていてくれるようだ。ザハリとの関係を聞きそびれたが、まあいい、執事長の明らかな嘘工作を聞けた事だし、今は充分だ。




 マージの帰還が報されたのはそれからほどなくしての事だった。


 ピピィーと例の笛の音が屋敷の外から聴こえ、それまで心神喪失していたマネジがムクっと起き上がった。

 そして、

「味方と思われる一団が近づいています。恐らく町長様ではないでしょうか」

 と言った。マネジが目を覚ましたので、介抱して様子を見ていた従僕少年達が喜んだ。


「世話をかけたね、皆。ペータ君、これ、君のハンカチかい。血まみれだけれど」

「あ、すみません。借り物です。洗ってお返ししなければ…」

「頬にも血がついているよ、気づいているかい?」

「えっ、あ、あれ? これは…」

「顔についた返り血は早めに洗っておくんだよ。変な病気でも貰うといけないから」


 私はそんな会話をする二人を何となく見ていた。

「…あ」

「どうしました、ミカ」

「すみません、先に謝っておきます。完全に私のやらかしです…」


 ペータは思う事があったのか、皆の輪から外れた所に移り、自分の頬を触っている。そして血のついたハンカチを見て不思議そうな顔をし、最後に私の方をチラッと見た。


「ペータくん、今ちょっといい? 訊きたい事があって」

「はい、ミカ様」

 タタッ、とすぐにペータが駆け寄ってくる。私はペータの背を押して部屋から出る。


「ミカ様…あの、僕、確かに頬を…」

 廊下を曲がった所でペータが口を開いた。

「…このハンカチだよね、あー、しまった」


 少年が持っているハンカチ。彼が地下牢でイアンに頬を引っ掻かれて出血した際、私が渡したものだ。

 昼間、私が号泣した時にザコルが渡してくれて、そのままポケットにつっこんでいたハンカチ。私の涙を散々吸って、まだ少し湿めり気を帯びていた白いハンカチ。

 そんなハンカチで押さえたペータの頬は、抉れたような引っ掻き傷など最初から無かったかのようにつるりとしていた。乾いた血の跡だけを残して…。


「そっか、タイタはだからあの時『大丈夫ですか』って言ってたんだね、違う意味で心配してるのかと…」


 てっきり、タイタは私が男性に触れられた事を心配したのかと思っていたが、記憶力のいい彼の事だ、ハンカチが私の涙を拭いたものではと気づいていたのだろう。どうやら経口でなくても、患部に直接涙を当てるだけでも効くらしい。しかしそれくらいの事は想定すべきだった。完全にやらかした。


「俺がご心配申し上げた理由は二つありました。すぐにご指摘申し上げるべきでしたか」

「ううん、どっちにしてもあの場では口に出せなかったよね。私のうっかりだから。タイタは気にしないで」


 タイタは黙って頭を下げる。さてどうしようかとペータに向き直ったら、少年はザコルに顎を掴まれていた。

「フン、なるほどな」

「あ、あの…ザコル様…僕、どうなるんでしょう…」

 気の毒に、少年は涙目になって震えている。


「…兄貴、それ以上その格好でいると稚児趣味まで疑われんぞ。その少年、第三夫人にでもする気すか」

 ぱ、ザコルが少年の顎から手を離す。

「兄貴は触る仕草がいちいちエロいんだよなあ…」

「わかる」

 ちなみにくだんの第二夫人騒動は、タイタとザコルに妨害されつつも私がエビーにしっかり報告しました。

「うるさいです。で、どうするつもりですか」

 ザコルがこっちを伺ってくる。


 どうするも何も、誤魔化すか、真摯にお願いするかの二択しかないと思っている。

 ここにコマがいれば『証拠なんざそのガキごと消しちまえ』とでも言うかもしれない。イーリアやマージにバレる事も避けたい。それこそ秘密裏にどこかに隠されかねない気がする。

 だが、私のうっかりなんかのせいで、今回の功労者である彼にそんな仕打ちを受けさせるなんてとても耐えられそうにない。

 幸い、ペータが怪我した瞬間を見たのはザコルと私とタイタ、そしてイアンだけだ。イアンは平民の少年の顔をいちいち覚えているタイプか分からないが、今後ペータが牢に行く際に対策を取れば充分だろう。


「うーん。とりあえず、ペータくん。それ、とりあえずイアン様とザコルの戦闘によって飛んできた返り血って事にしといてくれない? 返り血を拭くためにハンカチを貸した。それでいきましょう」

「は、はい。分かりました」

 ペータは質問も反論もせず素直に頷いた。

「その血まみれハンカチは私が預るよ」

「いえ、僕が洗おうと思って…」

「大丈夫。…あのね、このハンカチにには秘密がある。この秘密、本当は私が死守しなきゃいけなかった。うっかり君に渡してしまった私の過失だから君は気にしなくていいの。それから、今から言う事は勝手なお願いです。どうか、これ以上この秘密を詮索しないでほしい。そして誰にも話さないで。マネジさんにも、町長様にも、たとえご家族であっても…。お願いします、ペータくん」


 私は頭を下げた後、じっとペータの目を見つめた。少年は真剣な面持ちでこくりと頷いた。


「分かりました。ミカ様に代わり、僕がこの秘密を死守します。決して追及も口外しませんし、何なら今忘れますから」

「ありがとうございます、ペータくん。今後、イアン様にその頬を見られないようにも注意してね」

「はい。もちろんです」

「はあ…。本当にごめんなさい。私のせいで変な事背負わせちゃって…。でも、顔に痕が残らなかったのは良かった。酷い抉れ方してたもんね」

 そっと血のついた頬を指の腹でなぞると、少年はむず痒そうな顔をして目を逸らした。


「ミカ、ペータを誘惑しないでください」

 ザコルがそう言ってペータの肩を持ち、自分の方に引き寄せる。

「誘惑してたのはザコルでしょ」

 いたいけな少年相手に顎クイかましてた人には言われたくない。

「人聞きの悪い事を…。ペータ、ミカが君を尊重すると決めたからには僕もそれに従います。物分かりのいい君ならばいちいち脅す必要もないと思いますが、どうか気をつけてください。君自身のためにも」

 ザコルは少年の肩を持ったまま、背中側から穏やかに語りかける。

「ザコル様、ミカ様。僕もサカシータに生まれた者の端くれ。必ずや恩人たるお二人の信頼に応えてみせます。たとえ拷問されたってこの件を思い出す事はありません」

 ペータが私達に向き直り、しっかりと頭を下げた。

「おいおいまずは拷問されねえよう気をつけろよ少年。やべー事に首突っ込まされてんだぞ。せいぜい俺らを敵に回すなよ」

「やめろエビー、彼に失礼をするな」

 凄むエビーをザコルが制する。

「…ペータ、しかしエビーの言う通りでもあります。もしそれなりの者から拷問されれば黙っておくなんて事はまずできないと考えてください。君にできる事は、今後誰にもその記憶を渡さないよう逃げ切り、墓場まで持っていく事だ」


 ザコルが膝をつき、ペータの片手を取る。


「へっ? ザ、ザコル様、僕のような使用人にそのような」

「尊重するべき人間に、立場は関係ありません。まず、謝罪と礼を。今日は兄が迷惑をかけました。それに君がいなければ、もっと酷い事態になっていたでしょう。頼るべき人間をよく見極めましたね」

 ザコルは少年の片手を取ったまま、押し抱くようにして頭を下げる。

「…は、はわ…わわわ……」


 ペータが目の前の光景を処理できずバグり始めている。

 そりゃそうだ、目の前で膝をつく屈強な武人は、圧倒的な戦闘力を持った国の英雄で、しかも自分が住む領の領主令息。ペータが懐いているマネジが神のように崇拝する相手でもある。そんな相手が自分をまるで姫か何かのように扱っているのだ。


「ザコル、その辺にしてあげてください」

「お礼は言える時に言うと決めたんです。それに、これはタイタの礼に倣ったのですが」

「お、俺のですか!?」

「ええ、君は相手を尊重する事にかけては誰より長けていますからね。勝手に手本とさせてもらっています」

「そ、そそ、そんななななぜあなた様が俺などを目標に…!?」


 少年を懐柔するのに、タイタの婚約者への挨拶を参考にしてどうするつもりなんだろう。


「さあ、ペータは皆の元に返しましょうか」

 ザコルはペータの手を持ったまま立ち上がり、エスコートよろしく歩き出そうとする。

「はわわわわわわ」

「兄貴、手、手。いい加減に離してやらねえとマジで少年が卒倒すんぞ」

「ああ、すみませんペータ。しっかり剣ダコがあるなと思って離しがたく。君もサカシータの人間としてきちんと鍛錬を積んでいるようですね。将来が楽しみだ」

 ザコルは少年の手の平をするりと撫でるようにしてから離した。

「…………」

 ペータは完全に沈黙した。


「いや、何でトドメ刺すかな…。ペータくん、しっかりして、ペータくん。あ、ユキだ」

「へっ」

 ペータがガバッと振り返る。

「ふふ、分かりやすいねえ…」


 パタパタ、廊下の向こうから本当にユキが駆けてきた。

「皆様、町長様が」

「今行きます。さあ、ペータくんも行くよ。君は功労者だからね」

「ふへっ」

「ペータ、何をぼうっとしているの。皆様をお待たせする気?」

「ふぁ、ふぁい!! 只今!!」

 ペータは首をブンブンと振り、自分の頬をべちんと叩いた。



つづく

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