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誰が召喚したか知りませんが、私は魔獣ではありません  作者: もっけのさひわひ


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戦④ 取引をしようじゃないか、英雄殿

 ザコルやペータが声をかけると、脱衣所の中からは元気な返事が聴こえてきた。

 ガタガタ、ドタドタ、ゴトゴト、とバリケードを片付ける音がし、ようやく扉が開く。いや、開いたというか、支えを失った扉そのものが脱衣所の内側にバタンと倒れた。限界だったようだ。


「…よく、ここを守り抜きましたね。君達」

「ザコル様…! 助けに来てくださり、ありがとうございます!!」


 中にいた四人の若い使用人達が一斉に頭を下げる。ペータと同年代の従僕か従僕見習いの少年が二人に、同じく同年代の若いメイドかメイド見習いの少女が二人。女子なのでザコルに偏見があるのかと思ったが、この子達はそうでもなさそうだった。


 バリケードには、脱衣所にあったチェストや鏡台などを置き、その後ろに水が満タンの樽をいくつも転がしてきて置いて押さえにしていたようだ。窓や浴室に繋がる扉にも同様に、家具や樽が積まれている。お風呂の用意をしていた所だったのが幸いしたと四人は笑った。


「君達がここの清掃を始めたのはいつですか」

「午後の休憩を終えてから井戸で水汲みを始めましたので、清掃自体は夕刻の少し前からかと。私共がここで清掃を始めてから、今までの間に地下に入った者はおりません。午後の休憩の頃には水を運んだ者がいると思いますが…」

 従僕の一人がペータの方をチラッと見る。

「申し訳ありませんザコル様、報告に漏れがありました。今日は僕が牢の世話担当でしたが、執事長から昼食後は庭の手入れと掃除をするよう命じられました。囚人の世話はと訊いた所、他の者に指示するから今日はいいと…」


 ペータが従僕仲間の少年に目線を返すと、従僕仲間の二人は首を小さく振った。彼らも指示などされていないという事か。


「そうですかペータ。では、中を確認しましょう。ペータは案内を。ミカとタイタは僕と一緒に。他の者はここで待っていてください。タンバ、それからマネジ。皆をよろしく」

「おう、まかせろい」

「わ、分かりました!」

 タンバは軽く手を上げて応じ、マネジは神妙な面持ちで頷いた。


 ペータが床に敷かれたラグをめくり、その下に隠された真四角の板を跳ね上げる。板の下からは頑丈そうな鉄格子が現れた。その格子にかけられた大きく重そうな南京錠にザコルが鍵を挿して回すと、ガチン、と音がし、するっと鉄棒が抜ける。その鉄格子は引き戸のような仕組みになっていて、ペータが踏ん張りながら引くと、ズズ、ズズズ…と階段に続く入り口が開いた。


 暖炉が灯っていない屋敷の中は息が白くなるほど寒い。しかし、ペータのこめかみには汗が浮かび、ランプの光に反射して煌めいている。ペータの息遣いや表情からも緊張が伝わってきた。


 先程のやりとりで彼も思い至ったのだろう、もう既に、執事長の手によってザハリやイアンが解放されているかもしれない、と。

 執事長が曲者に鍵が渡るよう仕組んだのが、実は単なる目眩しや証拠隠滅のためで、実際は午後の休憩の時点でザハリやイアンが外に連れ出されていたとしたら?

 そうであれば、後になってからこの入り口を守らせた意味が大きく失われる。そして市井には『ロクでもない兵器』がうろついているという事になる。


「ペータ。中がどうであれ、君とマネジが僕に助けを求めたのは間違っていませんよ」

 ザコルの落ち着いた声に、入り口を見つめていたペータが顔を上げる。

「そーだぞ少年、あの人数相手にこっちは誰も死んでねえんだ。この最終兵器様のおかげでな! ははははは!」

 笑い飛ばすタンバを見て、ペータはキュッと口元を引き締めた。

「…はい。ありがとうございます。ザコル様、どうぞ、中へご案内申し上げます」

 ペータはランプの持ち手を握り締め、地下牢への階段に足をかけた。




 これまでペータやタンバに聞いた話が全て本当であれば、執事長がした怪しい行動は大きく分けて五つだ。


 部下を囚人の世話から退かせた事。地下牢の鍵を含む鍵束を手放した事。私の誘拐を黙認した事。使用人と客人を上階に避難させ、タンバ達には二階より上だけを守らせたこと。そして、屋敷の留守を任されたはずの彼自身が今不在である事だ。


 タンバの言う通り、仕掛け人は一人とは限らない。今起きている戦争だって、執事長が何もかも手引きしたとは限らないわけだ。少なくとも邪教は関与している。執事長自身がラースラ教徒かといえば、それも決してそうとは言い切れない。

 鍵束を手放したのだって、地下牢解放とは別の思惑があったと考えられなくもない。例えば執事長は誰か味方に鍵束を託したつもりでいて、その人物こそが裏切ったという可能性もゼロではないし、それに。


「ねえ、ペータくんは、この鍵束を見ちゃった時に、どうして地下牢の鍵だけに注目したのかな。この鍵束には他にも色々とくっついてるじゃない。重要そうな鍵が」


 通路のランプに火を入れながら先を進むペータに声をかける。

 ペータは、マネジや同年代の使用人達に『地下牢の鍵が奪われたかも』とはっきり伝えていた。


「あの、実は僕、地下牢と玄関扉の鍵以外はあまりよく見た事がなくて…。何となく執務室とか金庫とか、そういう大事な鍵がついているだろう事は分かるんですが、どれがどれというのはちょっと…。最近は囚人の世話を持ち回りでしておりましたので、執事長から地下牢の鍵だけを預かる事も多かったのです。ちなみに、この先の個々の牢の鍵はここで保管されています。ザコル様とタイタ様は尋問にいらっしゃった事があるのでご存知でしょうが…」


 ペータはそう言いながら通路に備え付けられた棚の扉を開け、ピタッと動きを止めた。


「…………ない」


 そうポツリと呟いたペータの襟首をザコルが掴んで勢いよく引き、後ろに投げるようにして手を離す。


「……ッ!」


 いきなりの事で声も出なかったらしいペータは、ザコルのすぐ後ろにいた私を巻き込んで倒れかけたものの、さらに後ろにいたタイタが私達二人を丸ごと受け止めて支えてくれた。


「も、申し訳ありません…!!」

 ペータは慌てて私から身を離そうとしたが、狭い通路ではそうそう自由に距離など取れない。

「私はいいから。ペータくん、顔、顔」

 少年の頬には大きな引っ掻き傷が刻まれ、血が今にも溢れようとしていた。

「えっ、ああっ!? っつう…!!」

 指摘されて初めて怪我に気づいたのか、自分で傷を乱暴に触ってしまって痛がっている。

「大丈夫? ほら、これで押さえて」

 私はポケットに入っていたハンカチを少年の頬に当てがってやる。


「ミカ殿、大丈夫ですか」

「うん。この子はまだ平気」


 タイタは私の男性恐怖症を心配してくれたようだが、ペータはまだ私より身長が低いくらいの少年だ。大人でなければそこまで萎縮するような事はない。


「残念、捕まえられなかったか」


 よく通る美声が通路に響く。通路の脇から現れたのは、金髪長身の恵まれた体躯の男性。

 粗末な貫頭衣のような服を着てすら、まるで彫刻のように整ったスタイルが際立っている。あんなに派手な容貌なのに、気配も物音も全く感じられなかった。


「イアン兄様、そんなに力を込めて頭を狙っては。彼の首が無事では済みません」

「別にいいだろう。どうせ平民の子だ。少しでも息があれば人質の用は成せる」

「…いつからそのような考えに染まってしまったのですか。兄様は領内に平民の友もいたでしょう」

「はっ、友などと。この何も無い田舎では退屈だっただけだ。会話が成り立てば社交の練習くらいにはなるだろうと思ってな、だが、所詮はゴッコ遊びよ。お前も王都にいたならばいい加減に貴族としての自覚を持ったらどうだ? …ああ、お前は社交界でも忌避されているのだったな。国を救った英雄様だというのにお可哀想な事だ。王都に帰ったら、テイラー伯などに頼らずともこの私が取り持ってやる。それもまた恵まれた者の役目だ」


 この彫刻像、今日は朝っぱらから水浸しでお縄についていたくせに、この自信家っぷりは何なんだろう。


「必要ありません。戦いにしか能が無いという自覚はありますので。ミカが社交に顔を出すのなら同伴くらいはしますが」

「またその聖女か。一体何を勘違いしている? その女はお前の力目当てに取り入っているだけだぞ。何も知らぬ異世界でこうも狙われていてはな。その『最強』の肩書はさぞ魅力的に見えた事だろう。そうでなければお前など…」


 ヒュッ、カツン。


「…何の遊びだ? 聖女殿」

 首を僅かに動かしてドングリを避けたイアンが、私の方を見る。


「ドングリ合戦ですよ。ザコル、別に尊重してあげなくてもいいんじゃないですか」

 ザコルは、尊重すべき相手には等しく敬語を使うと言っていた。


「まあ、そうですが。何が目的なのかと単純に気になりまして。執事長とはどの様な取引を?」

「執事長…あのみすぼらしい老爺か。私が子爵位を継いだ暁には、この町の元町長とやらを元の地位に戻してやって欲しいそうだ。…くくっ、この私を尊重か。お前、まさか自分が優位に立ったつもりでいるのか?」

「優位、ええ、そうですね。僕は兄様と違って恵まれていますので」

「何だと?」


 ド…ッ

 鈍い音に続いて、ドサ、ドサッと何かが落ちてくる音がする。振り向くと、タンバが剣を持ったまま階段を転がり落ちてきていた。


「わ…っ…!?」

 ペータが声を上げそうになって慌てて自分の口を押さえる。


「ああー、ごめんよ執行人殿、そっちに落としてしまった。今回収するから押さえていてくれ」

 呑気な声が階上から聴こえてくる。

「はい。了解ですマネジ殿」


 タイタがタンバに駆け寄って剣を取り上げ、腕を背に回して拘束する。とっ、とっ、とマネジが軽やかに階段を降りてきた。


「お話中失礼しました。は、もしや長兄のイアン様で…!? 何という光のイケメンぶり…!! 見目だけは良いという噂は誠で…」

「マネジ殿、早くこれを回収してください。もう気を失っている様ですが通行の邪魔になりますので」

「もう、分かったよ。イアン様はこれを逃したら二度とお顔を拝見できないかもしれないだろ?」


 そんな事をぶつくさと言いながら、マネジはよいしょとタンバの肩を担ぎ、何事もなかったかのように階段を上がって戻って行った。


「素晴らしい。やはり彼は『こちら側』だ」

 ザコルがマネジの背中を見送りながら満足そうに頷いている。


 ブンッ

 イアンが何か長く太い棒状のものを突き出し、ザコルが後ろを振り返らぬままヒラリと躱す。トゲトゲ付きの棍棒の様なもののようだな、と思っていたら、ザコルはそのトゲトゲごと片手で棍棒を掴んだ。そして棍棒はピタリと動かなくなった。


「ぐっ、っぐ、馬鹿力め…!」

 イアンが押したり引いたりしていたが、無駄だと悟ったのか棍棒から手を離す。そしてサッと通路の奥へと下がった。


 ギリッ、イアンが奥歯を鳴らす音がやけに鮮明に聴こえる。ザコルは棍棒を通路の脇にゴロンと捨てた。手の平は無事なんだろうか…。


「イアン兄様、先程階段を落ちてきたのが最後の『曲者』です。もうこの牢を解放しにやってくる者はしばらくいないでしょう。僕がここにいるという事は、そういう事ですよ、兄様」

「うるさい」


 ブンッ

 今度はトゲトゲと鎖のついた鉄球が飛んでくる。

 ザコルはまたヒラリと躱すのと同時に鉄球についた鎖を指で絡め取り、そのままブンッと斜め上に払った。鉄球が飛んできた方向に逆戻りしつつ、弧を描いてドスッと通路の天井に深くめり込む。鎖がジャランとぶら下がった。すご…。


「兄様、せっかくの武器を僕にくれてどうするつもりなのです。その恵まれた体躯を活かして、もっとなりふり構わず向かってくれば僕とて少しは手こずると思いますが。ああ、もしや僕の間合いに入るのが怖いのですか?」


 ザコルはわざと間合いではないように言っているようだが、彼にとってあの程度の距離は間合いの範疇だろう。本気になれば瞬間移動さながらのスピードで背後も取れるはずだ。


「私相手に指南の真似事か? 別に恐れてなどいない。煩わしい、いや穢らわしいだけだ。散々暗部で汚い血に手を染めてきたお前になど近づきたくもない」

「そうですか。兄様は王都でさぞ美しい物だけに囲まれて過ごされてきたんですね。タイタ、二人を連れて下がってください」

「御意」


 タイタが私とペータを自分の背に回し、階段のふもとくらいまで下がる。


「どうやら、喧嘩の仕方すらも忘れてしまったようですね、イアン兄様。それとも僕を舐めているのですか」


 ザコルがイアンを煽りながらゆっくりと進み出す。イアンはジリジリと通路を下がっていき、ついに、牢が並んでいるであろう空間の入り口に足を踏み入れる。通路には灯りも下げられているが、その先は灯りが少なく、こちらからではほぼ闇にしか見えない。


「舐めてなどいるものか。一応は弟だと思って最大限に尊重してやっているつもりだったんだがな。伝わらなくて残念だ」


 イアンは闇の中から一人の男性を引きずり出し、自分の前に突き出した。


「ザハリ…」

「やあ、コリー…ぐっ」


 イアンは縄がついたままのザハリの首元に、細身のノコギリ状の刃物を当てる。そしてそのまま彼を引きずり、闇の中へと下がっていく。


「さあ来い。取引をしようじゃないか、英雄殿」


 ザコルはピタッと足を止めた。


「嫌です」


 …………。

 一瞬の沈黙。


「…いっ、嫌!? お、お前の片割れがどうなってもいいのか!? 私は本気だぞ!」


 イアンは流石に焦ったらしく、刃物をザハリの首により強く当ててみせる。


「どうぞご勝手に。元々、ミカの温情が無ければもう首を刎ねられていたでしょうから。覚悟はできています」

「イアン兄様、無駄だよ。今のコリーには…」

「うるさい黙ってろ!! 実はな、この牢には火薬が隠されているんだ。火がつけばたちまち爆発して上の屋敷ごと崩落するぞ!」


 火薬!? と隣にいたペータが青ざめる、屋敷付きの従僕である彼も知らなかった情報のようだ。

 なるほど火薬か…。それで奥に誘い込もうとしていたんだ。結局ザコルは手前で止まってしまったが。


「ああ、そういえば。この牢の通路の下にしまわれていますね」

「何故お前がそれを知って…!? あ、あの老爺は、あの町長代理の女でも知らないはずだと!」

「僕は鼻がききますので。それに、仕事で出入りする場所は隅々まで確認しておくのが僕なりの流儀です。ただ、こうも湿気た場所に長らく置かれていたものでしょう、果たして火が点くかどうか」


 私はそっと踵を返し、階段を上がった。タイタとペータもついてくる。


「うるさい!! 火薬が腐るなど聞いたこともない!! いい加減な事を言って混乱させようとしたとて私は退かないぞ!」

「僕は腐るなどとは一言も言っていませんが…」


 通路に声が反射するせいか、階上でも兄弟の会話はよく聴こえる。

 迎えてくれたマネジと、ついてきたタイタにペータ、そして火薬という単語を聴いて震え上がっていた使用人達にも声をかけ、バリケードに使用していた重い樽をいくつか倒してもらう。それらを皆で転がし、階段の入り口に待機させた。よし、横幅ぴったり。


「兄様は火薬についてあまりご存知ないようですね。まあ、国内、特に王都などにいてはほとんど触れる機会もないでしょうから」


 この国では現在、火薬の製造や所有は違法になるとザコルが言っていた。ただ国境に面した領地では秘密裏に所有している事はあるとも言っていたし、領境で国境も近いこの町に隠されていたってそう不思議ではない。

 ちなみに黒色火薬は湿気ると着火しにくくなるが、天日干しなどして乾かせば復活するはず。腐りはしないと思う。


「うるさいうるさいうるさい!!」

 ドガッ、大きな音がする。

「ほら見えているだろう、ここにこの火を落とされたくなければこっちに入ってこい!!」


 ここからでは見えないが、どうやらイアンが床を何かで叩き壊したようだ。トゲトゲ付きの鎚でも置いてあったんだろうか。棍棒も鉄球もノコギリも全部拷問器具だったな…。思わず遠い目になる。


「仕方ありませんね、万が一爆発しても困りますし。はあー」


 ザコルが棒読みのセリフを唱え、わざとらしく溜め息を吐くのが聴こえる。これは多分、合図だ。


「さあ皆やるよ。せーの」


 私が合図すると、先頭のタイタが勢いよく樽を押し、階段に落とす。次はペータ達、従僕チームが掛け声と共に樽を落とす。次はマネジが落とし、急な階段を勢いよく転がった樽は、牢の奥へとゴロゴロと吸い込まれていった。


「なっ、何だ!? 何が転がって…樽!?」

「うぐぇっ、ちょっ、酷いよイアン兄様!!」

 イアンは樽の前にザハリを差し出したようだ。

「な、何をする気だ!! やめろ…!!」


 バキャッ、バキャッ、バキャッ。


 何かを叩き壊す音がした後、ザバン、パシャッ、と水音も聴こえてくる。ザコルが樽を叩き割って中の水を出したのだろう。


「まだ要りますかー?」

「もう充分です、ミカ。これだけ濡れれば確実に着火はしません」

「何だと…!! クソッ、あの女ァァ!!」


 ドッ、バキッ。


「ぐぁ…!! わ、私の顔が…うぶっ」


 ドカッ、ウギャッ、バキッ、アガァ、ドォン、ヒィィ、ガシャァン、

 ンブッ、メキメキメキ、うわあああ!! ドンッ!!


 ありとあらゆる物騒な音が響いてくる。若い使用人の少年少女達は思わずといった感じで身を寄せ合った。


 バキッ、うがッ、ズズ、ズドドォォ…ン。



 …………シィン。

 大きな音を最後に、静寂が訪れる。



「…………ど、どうなって…」

 ペータのつぶやきがやけに大きく響く。


 タッ、タッ、タッ、タッ。


 すっかり静まり返った地下から、一人の男性が手をパッパと払いながら何でもないかのように階段を上がってきた。


『ザコル様!』

 わあ、と少年少女が嬉しそうな声を上げた。

「皆、よくやりましたね。タイミングも素晴らしかったですよ」

 ドングリ先生がよい子達を褒めてくれる。


「ペータ、以前僕が調べた時には見つかりませんでしたが、この入り口の他に、出入りできそうな穴などはありませんね?」

「はい。子供でも通り抜けられないくらいの狭さの通気口があるのみです」

「分かりました。ではこの扉は閉めてしまいましょう。ついでにこれも入れて」


 ザコルは転がっていたタンバを掴み階下に放り込んだ。そして重い鉄格子の扉を指先でスコンと軽く閉める。先程、同じ扉を踏ん張ってやっと開けていたペータが、おお…と小さく感嘆の声を漏らす。

 南京錠を掛け、ガチャリと棒を差し込んだら元どおりだ。


「よし。これで目先の危機は去りました。兄は他の囚人に僕を襲わせようと牢の鍵を開けていたみたいですが、兄も含め、残らず叩きのめして鎮静剤を打ち込んできましたので安心してください。執事長の行方は……まあいいでしょう。とりあえず、マージが帰ってくるまでここを見張らなくてはいけません。このまま休んで待ちましょうか」


 その言葉に、ペータを含む従僕の少年達は手を上げて喜び、ユキを含むメイド見習いの少女達はへなへなと床に座り込んだ。


「お疲れ様でございました、ザコル殿」

 タイタが恭しく一礼する。

「はあ本当に…。あの兄と話すのは疲れます…。一体何がしたかったのやら」

 ザコルはおもむろに私の側に来て、髪に頬を擦り付け始めた。

 そして、目を爛々とさせてこっちを見ているマネジに気づいてスッと止め、コホン、と咳払いをした。今のは無意識だったな。


「マネジ、タンバを抑えてくれてありがとうございました。よく意図が通じましたね」

「えっ、あっ、いえ、はっきり理解していたわけでは…。ただ、僕とこの子達に『大人しくしてろ』と言って、何か煙幕…? のような物に火を着けて中に投げ入れようとされたので止めたんです。そうしたら剣を向けられたので、こちらも咄嗟に手が出てしまいまして…はは」

「剣を持った相手を素手で相手取れるのは流石ですよ」


 照れ笑いするマネジをザコルは真っ直ぐに褒める。彼の戦いぶりを間近で見ていた少年少女もマネジに拍手を贈った。いやいやいや…とマネジはますます恐縮した。


「ザコル殿は、マネジ殿の実力をも見抜いておられたのですね」

「見抜いたという程の事ではありません。ただ、この謙虚な彼が『実戦経験がある』とはっきり言ったのです。それにタイタ、『執行人』の君を全く恐れていない様子でしたからね。君の圧が通じない相手なんてそうそういない…っ、ふっ」

 先程のマネジとタイタのやり取りを思い出したのか、ザコルが小さく吹き出す。

「お、お笑いにならないでください! あんな噂を流されたらあなた様とて他人事じゃ済みま」


 ドターン!!

『え』

 深緑色のローブが倒れた。


「マ、マネジ様! どうされたんですか!? まさかさっきの戦闘でお怪我でも!?」

 ペータが真っ先に駆け寄る。

「……無表情がデフォの、推しが、笑っ、ぐう、しゅご……」

 ガクッ。

「マネジ様ーッ!!」


 ペータが無事尊死したマネジの頭を抱えて叫ぶ。他の子達が水や手拭いを持って集まってくる。この短時間で随分と慕われたものだ。

 タイタもどこか面倒臭そうな顔で介抱に加わる。タイタのそんな顔は初めて見たので笑ってしまった。


「あはは、もう、ザコルが笑うから」

「また僕のせいですか。もう、同志はこれだから全く……ん? マネジは何を指差して」


 マネジの指の先に、崩れた土のようなものが落ちていた。ダイイングメッセージのつもりだろうか。


「…ああ、タンバが持っていた煙幕とやらはこれですか。踏み潰して火は消したか…。ミカ、気分はどうですか」

「変わりないです。そう言われてみれば少し煙臭いですね。でも、これくらいなら作用しないと思いますよ」


 これは煙幕などではない。やっぱり例の香だ。しかし灰になった部分は少なそうなので、火をつけてすぐの段階でマネジが消してくれたのだろう。廊下に通じるドアも開いているし、空気もほぼ入れ替わっているはず。言われるまでにおっている事にさえ気付かなかったくらいだ。


「ザコル、タンバさんが怪しいって いつから気づいてたんですか?」

「そうですね…。一番は、わざわざ僕達の話に首を突っ込んできて名乗りを上げた時でしょうか」

「えっ、そんなに序盤からですか?」

「サカシータ騎士団第七歩兵隊は特殊部隊です。通称穴熊。僕は現隊長の顔を知りませんが、ザッシュ兄様の指揮下にあるはずなのに、本人からも兄様からも話がないのは不自然かと」

「なるほどそれは…」


 穴熊さん達って騎士団所属の特殊部隊だったのか。それは初めて知った。トンネル掘りは本業じゃないのか。


「僕はあまり領に寄り付いていませんから、騎士団内の事情には疎いと踏んだんでしょうね。恐らく、この場だけ騙せればいいと適当に名乗ったんでしょう。しかし、よりによってミカの手駒となった隊を引き当ててしまうとは。運のない」


 手駒、そうだった。という事は私、特殊部隊を手駒に付けられたって事? えっ、何の特殊部隊…? 説明プリーズお兄様!!


「まあ、それだけならば僕の聴き間違いかとも思ったのですが、マージが信用して屋敷や怪我人の統率を任せたというのは流石に不自然でした。あのザハリのファンだという者達にもしっかり目付を紛れ込ませてくるようなマージが、果たして町外の者に重要な頼み事などするかと思いまして」


 お目付役が紛れ込んでいた、という事は、もしもザハリファンの彼女達が私を害したり裏切ったり逃げたりするような事があればその時は…。


「…そう、あの盾の彼女達、本当に後が無かったんですね。ちゃんと改心…? できたようで良かったです」


 じ…。一秒くらいザコルに見つめられた気がする。

 えっ、何? やっぱり加護とか浄化とか解呪とか言いませんよね? 心当たりまっっっったくないんですけど!?


「さっきから独り言がうるさいんですが…」

 はあ、とザコルが息をつく。

「…まあ、その件は後で話しましょう。やっぱり、少し触ってもいいですか」

「へ、触っ…」


 くるっと後ろを向かされたと思ったら、背後から抱きすくめられる。メイド見習いの少女達がこちらを見てキャッと小さく声を上げた。


「…ミカの匂い」

「ちょ、ちょっ、首元で吸わないで、くすぐった、ひゃ」

「…よく、無事で」


 腕がキュッと強く締まる。

 首に押し付けられた頬は熱く、少しだけ濡れた感触がした。腕は僅かに震えている。


「…………」

 私はすっかり抵抗する気を失くしてしまった。


「…ミカ、あの男に担がれて、本当は、怖かったんじゃないですか」


 そう言われて拐われた時の状況を思い出し、グッと身体が強張る。

 足元が揺らめき、握り潰したはずの震えが戻ってくる。


「よくぞ、気を強く持てたものだ……流石は、僕のミカです」

「…う、えっ」

「ミカ」


 私が嗚咽を漏らしたのに気づいて、ザコルが腕を緩める。私は皆に涙を見られないうちにくるりと向きを変え、彼の正面に体を向ける。


 私の震えと涙が止まるまで、ザコルは私の頭を自分の肩に押し付け、背中を撫で続けてくれた。



つづく

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