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誰が召喚したか知りませんが、私は魔獣ではありません  作者: もっけのさひわひ


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戦② もちろん、正面玄関からお邪魔しましょう

 私が、魔力によって何かおかしな作用をこの地に与えているのは判っていた。


 それは、少々の怪我や病気で人が死ににくくなるとか、その程度のものだと考えていた。シシがこの領をくまなく周ってほしいと言ったのも、他の土地でもそういった癒しの魔力を落として人々に活力を与えてほしいとか、せいぜいそれくらいの意味だろうと。


 このサカシータ領の人達は皆総じて強い。領の内外で戦闘職に就く人も多く、ほとんどの人が幼い頃から当然のように武器を握り、一定の鍛錬を積み重ねながら育つ。それが普通らしい。

 だからこの戦も、必ずこちらの勝利に終わるのだろうと確信めいたものがあった。ザコルはもちろん、モリヤやイーリアが負けるというビジョンなど全く浮かばないし、ただの屋敷メイドである少女メリーでさえ、鬼神のごとく返り血を浴びながら短剣を振り、着実に敵を屠りまくっている。その小さな背中からは頼もしさしか感じられない。


「あの、こっちの味方、まだ誰も大きな怪我してませんよね。あんなに大勢を相手にしてるってのに」

「そのようでございますね。敵の練度の低さもありますが、やはりザコル様の存在は大きいかと」


 私の盾になってくれている女性達の一人が答えてくれる。私は心の中で勝手にタテジョと呼んでいる。

 確かに、メリーやタキなどの前線組が、死角を狙われたり囲まれそうになったりするたび、ザコルが何かを投げたり、声掛けするなどしてフォローしているのは判る。自身も彼女達の討ち漏らしや飛んでくる矢などを絶え間なく捌きながら。見事なものだ。


「そうでなければ、この状況で味方の全員がほとんど無傷などあり得ません」

「こんな戦は初めてではないかしら。あの子達も戦いやすいでしょうね」

「ザコル様はこうした戦の経験も豊富なのだわ。流石ね」


 タテジョ達が口々にザコルを褒め始める。決しておだてやヨイショではなく、目の前の戦いぶりを見て心から感心もしているようだ。そうだ、きっとあの最終兵器の彼が凄過ぎるせいだ。それでなくては『味方が誰も死なない』なんて都合が良過ぎる。断じて私が何か、コマの言う所の『加護』らしきものを皆に与えているだとか、そういう事実は無いはずだ。


 自意識過剰、自意識過剰。ヨシ。


「なぁーにぶつくさ言ってんすか姉貴。体調大丈夫すか、疲れてません?」

「大丈夫だよエビー。護られてるだけだし、何なら持て余してるくらいだよ。エビーは大丈夫?」

「ええ、なかなか活躍の機会がねえんで、せいぜい武功を挙げさせてもらいますよ…っと」


 エビーは話しながらも飛んできた矢を剣で払う。そう、こんなに矢とか飛んできてるし、皆してフルプレートアーマーとか着てるわけでもないし、何なら準備不足感さえ否めないくらいなのに、全員無傷とか……うん。おかしくないおかしくない。


「いやあみんな強いなあーって思ってね。全員無傷とか凄過ぎだよね!」

「あの猟犬先生が皆のちょっとしたミス全部カバーしてくれてんのもありますけどねえ。それに、何かよく分かんねえけど、すげー調子いいんすよね最近」

「ザコル殿とコマ殿に稽古をつけていただいたのが成長につながったかと。町の皆さんも士気をいい塩梅で保ち続けておられましたし」

「そうだよねそうだよね、皆頑張って訓練してたもんね」


 ヨシヨシ、きっとそうだ。指導者と生徒達が特別優秀だっただけだ。そうそうきっと勘違いだ。絶対にただの自意識過剰だ。あるとしても、ちょっと私の魔力がアレで皆の元気にブーストかけてるってだけ。きっとそう。


 きっとそう、だけど……

「……念の為、味方全員無事祈願かけとこ。ダメ元で」


 祈ろうとして、よく数珠のように扱っていたブレスレットに手をやろうとして気づく。そうだった、私が自分でバラバラにしてしまったんだった。せっかく恋人が贈ってくれたものをメリケンサック代わりにするなんて、我ながら本当に可愛げがない。後で探せばビーズの数個くらいは見つかるだろうか。…こんな大人数が入り乱れての戦会場になってしまってはもう無理か…。


 短剣を握り込みつつ目を開けたまま祈る。この祈りに何か意味があってもなくてもいい、ただただ皆が無事でありますようにと祈る。あの教会にいた豊穣の女神様へ。どうか最後まで皆をお助けください。

 シシには出来れば涙も流してくれなどとと言われたが、この状況でいきなり涙は出なさそうだ。いきなり泣き出しても周りを動揺させそうだし、敢えて泣こうとも思わないが。


 シータイの町から見て北の森、件の教会の後ろに広がる森から、どんどんと人が湧いて来ている。少しずつ松明が増えて近づいているから何となく分かる。だが、いくら大軍でも、イーリア、マージ、モリヤが揃って押さえ込んでいる状況で、相手に勝ち筋など見えているんだろうか。私達はじりじりと敵の本隊らしきものがある教会側に近づいていっている。敵の勢いが削がれている証拠だろう。

 私達の周りにはもう数えきれない程の人が倒れていた。


「戦には詳しくないけど…。あっちはほぼ負け戦じゃないの、それなのにまだ何の考えもなく突っ込んできてるように見えるんだけど、気のせいなの…?」


 がさっ、頭上の木から物音がしてタテジョ達が警戒を強める。ザコルがサッと手で制した。


「……何の用ですかドーシャ。危険くらい解っているでしょう」

 ぼそぼそ、木の上のドーシャが何かを言っているが聴き取れない。

「……分かりました。君達は無茶をしないように。自分の身辺の守りを優先してください」


 ザコルがそう言うと、ドーシャらしき影は木の上を移動して去っていった。もう完全に隠密の人だ…。


「ミカ。どうやら町長屋敷が攻撃されているようです。屋敷に残っていた使用人と怪我人達が応戦しているようですが、地下牢の鍵が奪われたようで」


 ザコルが別の方向を見たまま、私とその周囲だけに聴こえるように声を落として言う。


「ふむ、分かりました。タテジョ…じゃなかった、すみませんが、あなた。誰か暗い髪色の子を一人連れてきてくれませんか」

 私が小声で耳打ちすると、タテジョ、盾になってくれていた女性が一人前線の方に走る。


「男性が一人もいなくなったら流石に目立つか…」

「じゃあ俺が残りますよ。そっちは精鋭の方がいいっしょ」

 エビーがすかさずそう言った。タイタとの実力差を弁え、戦場に残ると判断した。

「よろしくねエビー。タイタ、徐々に後ろに回って」

「御意」


 タテジョと共に、ダークブラウンの髪色の女性が一人こちらまで下がってくる。彼女は暗がりで引っ詰めていた髪を素早く解き、ハーフアップに結い直している。話が早い。


「ちょっと松明を遠ざけておいてね」


 私は肩に乗ったザコルのマントを結び目もそのままにガバッと外す。そして身代わりに来てくれた彼女の頭にすっぽりと被せた。そうして素早く位置を代わる。タテジョ達の輪の中心に立った影武者の彼女は、私がしていたように短剣を胸に構えた。


「どうかお気をつけて」

「あなた達も。可能なら町長軍あたりに合流して」

「承知いたしました」



 私達は身を低くし、闇に紛れるようにその場を離れる。女性ばかりの一団から男性が二人も抜ければすぐにバレるかもしれないが、少しの間だけでも誤魔化せればいい。


「あとちょっとで終わりそうすね姐さん! 俺も張り切っちゃいますよお!」


 エビーの明るい声が背後から聴こえる。

 どうか、どうか。私は今度こそ本気で皆の無事を祈った。


◇ ◇ ◇



「抱えていいですか」

「どうぞ」


 ザコルがサッと私を縦抱きにし、人一人抱えているとは到底思えないようなスピードで走り始めた。タイタは何とかついてきている。


「ミカ、素早い判断をありがとうございます」


 口を開いたら即舌を噛み切りそうなので、歯を食いしばったままコクコクと頷く。

 ザコルがわざわざ私に報せてきたくらいだから、一刻も早く屋敷へ助けに戻るべきなのだろうと考えて動いた。

 だが、ザコルは私から離れるわけにはいかない。よって、私も一緒に離脱するしかない。そして、それを目の前の敵に知られるのは良くないだろう。余計な追手をかけられるかもしれないし、黒幕に報せがいって動かれるかもしれない。だからその場しのぎのために影武者をお願いしたのだ。


 …そうか。私を誘拐したのは、ザコルを町長屋敷から遠ざけるためだったか。あの無鉄砲だが大規模な侵攻自体が陽動だったと見るべきだ。


 屋敷の地下牢には邪教や王弟派の曲者の他、ザハリとイアンも収容されている。サカシータ一族である彼らを一度に止められる実力者など、ザコルをおいて他に何人もいない。もし脱獄させるならザコルを屋敷から離すのは必須だったはずだ。

 それからもう一人、厄介な要人がいる。トンチキ鮭王子こと、サーマル第二王子殿下だ。マージが矢の飛び交う戦場へ王子を連れていったりしていなければ、護衛をつけられて屋敷のどこかにいるはずなのだ。黒幕の目的は脱獄と王子、どちらだろう。


 マージがこういった事態を警戒しなかったとは思えない。きっと屋敷には信用のおける人物を残して行ったはず。

 であれば、その人物を討った者か、その人物の関係者か、もしくはその人物本人が『黒幕』だ。


 同志村のスタッフ達は無事に避難しているだろうか。子供達は。妊婦達は。老人達は。

 怪我をしていないだろうか。怯えていないだろうか。家屋や備えに被害が出ていたりしないだろうか……


「ミカ、もしかしなくても敵に拳を叩き込んだんじゃないですか。手の甲から血のにおいが…全く無茶な事を。メリーにかけられた洗脳を力づくで解くなんて。あなたは一体どこまで…」


 ザハリのあれは、やっぱり洗脳と呼ばれるものなのか。メリー自身に力づくで迫った覚えはない。ただ曲者青年に一発お見舞いしただけだ。あのブレスレットはバラバラになってしまったが…。

 心細くなってザコルにしがみついたまま自分の手首をさすると、ザコルは私を抱く力を少しだけ強めた。


「…腕輪くらい、いくらでも買いますから。そんな事で落ち込まないでください。あなたさえ無事なら…僕は……」


 そんな言葉に、じわ、と目が熱くなる。私は誤魔化すように周囲を見渡した。月がないと見事な真っ暗闇だ。その分、空には満点の星空が広がっている。星明かりに目が慣れると、道の輪郭くらいはおぼろげに判るようになった。



 人気のない小道エリアを通り抜けると、町長屋敷の灯りが見えてくる。それと共に、怒号や派手な物音も近づいてきた。


「どこから入られますかザコル殿」

「もちろん、正面玄関からお邪魔しましょう」


 ザコルは走りながら玄関脇に立っていた見張り役に何かを投げ、早々に沈めた。その足で暗い玄関ホールに飛び込むと、私を下ろして背に庇う。タイタは私の後ろについた。一階のランプはもれなく割られているようで、二階や三階の灯りが窓越しにわずかに届くのみだった。


「あの、もしや、ザコル様でいらっしゃいますか…? ああ、本当に、来てくださった…!」


 玄関横で身を潜めていたらしい従僕の少年が一人物陰から顔を出し、こちらの顔形を確認すると飛び出して駆け寄ってきた。暗いので顔ははっきりとは見えないが、声に覚えがあった。


「状況は」

「は。今、地下牢の入り口を使用人が数人で何とか守っています。それから三階に上がろうとする者達と怪我人が交戦状態です。僕は、これをお渡しするために隠れておりました」

 従僕の少年は鞘に納められた短剣を一振り、ザコルに差し出す。

「マネジ様より預かっております。部屋に落ちていたザコル様の短剣が、酷く傷んでいたようだからと」


 確かザコルは、マネジを寝かせていた部屋で武器の手入れや仕分けをしていた。ザコル達が私を追った後、目を覚ましたマネジがそれを発見したのだろう。そう、怪獣大戦争のせいで大きくひん曲がったあの短剣を…。


 ザコルはそれを受け取り、鞘から抜いてヒュンと素振りした。


「ふむ、良い品だ。後で相応の礼をしましょう。彼はどこに?」


 ザコルは鞘をベルトに差し込むとツカツカと早足で喧騒に向かい歩き出す。従僕君は慌てて追いかけてくる。


「マネジ様も非戦闘員の者達と一緒に、以前皆様がお隠れになった部屋に入っていただいています」


 非戦闘員達。恐らく従僕見習いになった王子と側近達も一緒だろう。以前私達が隠れた部屋というのは、あの屋根裏部屋の事か。

 サーマル第二王子殿下改め、ただのサモンだ。ついうっかり殿下などと呼ばないようにしなければ。あっちも大人しく口をつぐんでくれている事を祈る。


「それは誰の指示ですか」

「執事長です。ただ、今どこにいらっしゃるかは…」


 ザコルはまだ話がありそうな従僕の少年に、後で聴くから引き続き隠れているようにと指示し、下がらせた。


「地下牢の入り口って結局どこなの?」

「浴室に隣り合った脱衣所に隠し扉があるのですよ」

 タイタに訊けばそう答えてくれた。

「あんな所に…! 気づかなかった…」

 どうして脱衣所なんだろう。

「牢でついた血やにおいを浴室で落としやすいからでしょう。さあ、掃除の時間です。二人はここで気配をなるべく絶っているように。タイタ、ミカを頼みます」

「命に換えましても」


 廊下の角を曲がった先にある脱衣所の扉に、多くの男達が群がっている。隣の浴室にも土足の荒くれ者が入り込んでいるようだ。


 扉を蹴破ろうとしていた男達がこちらの存在に気づいたのは、音も気配もなく近づいたザコルが短剣を彼らの胸や喉に突き刺したその瞬間だった。




 トントン、ザコルが静かになった廊下から脱衣所の扉を叩く。扉はひしゃげ、蝶番が外れ、今にも崩れ落ちそうだった。


「ザコルです。よく守り抜きましたね、開けなくて構いません。この者共が持っていた鍵は僕が預かっておきますから。引き続きそこは死守してください」


 扉の向こうから歓声や感謝の言葉が聴こえてくる。声が遠く聴こえるのは、恐らく扉の前に障害物を置いてバリケードを張っているせいなのだろう。


 ザコルは曲者の一人が持っていたランタンを拾い上げ、火を入れ直す。そしてまたツカツカと早足で進み出した。


「ふふ、ザコル、人を褒めるのが癖になっていませんか。やっぱり先生は向いていそうです」

「ミカ、僕は血まみれですよ、少し離れてください」


 そう言われて見れば、刃物を使ったせいか、さっきよりも数段血まみれになっているようだ。


「そんなの今更気にする事ないのに。そうだ。血まみれでも抱きついていいんでしたよね」

「…変な解釈をしないでください。あなたは本当に…」


 ザコルが私の顔を一瞬だけ見た。少し泣きそうな顔に見えたのは気のせいか。


「タイタはしっかりしてください。ふぁんさ? とやらはまだ終わっていません。しかし、あの邸での立ち回りに比べたらいささか血生臭すぎるかもしれませんね。あの時は非戦闘員の使用人ばかりでしたからほとんど不殺に留めていましたし…」

 無言だったタイタがハッと顔を上げる。

「なぞっておられたのは意図的だったのですか…!? お、お、俺をまた無力化なさるおつもりですか…!!」

「ようやく、君の喜ばせ方が解ってきたので」


 正面玄関から堂々と入り、反対勢力を無力化しながら平然と進み、粛清対象が集まった部屋をトントンとノックする…。

 タイタが前に語っていた、ザコルによるコメリ邸襲撃の夜の再現だったのか。道理でタイタが動揺しているはずだ。


「それにしても、私の前でまた平然と他の男を口説くとは」

「変な解釈をするな! ミカが同志達にふぁんさ? とやらをしろと言ったんでしょうが!」

「ああ、言いましたねえ。確かに」


 確かに、同志がこの町に来たばかりの頃にファンサだファンサだと騒いだ覚えはある。あの頃は、嫌々というか、戸惑いを隠しもしていなかったというのに。随分と積極的になったものだ。



 ザコルは廊下で遭遇した者をサクサクと倒しつつ、喧騒が一層激しい階段に近づいた。


 私とタイタを階段が見える廊下の角に留まらせ、自身は階段へと足をかける。そしてまるで森で枝葉を払うかのように人間を薙ぎながら平然と登っていく。不思議な事に、バタバタと味方が倒れていっているのにも関わらず、ザコルが近づいて触れるまでその存在にすら気づけない者も多い。


『ホンモノはな、殺る時に親切に殺気なんか出してくんねえぞ』


 コマの言葉が脳裏によぎる。

 私は、この凄惨な光景を前にしても、恐ろしさよりも感心や感動が勝る自分に改めて驚いていた。

 もしかしたら、人として何らかの感覚が欠落しているのかもしれないが、私はそういう自分で良かったとさえ思った。彼が極めてきた匠の技を、心から称賛できる事がただただ嬉しい。


「はあ、なんて綺麗なんだろ…。タイタが自邸に乗り込んできた彼に惚れちゃった気持ち、よく解るなあ…」

「そ…ッ、そうでしょうそうでしょう。あの美しく洗練された技の前には全てが無力ッ! どれ程の鍛錬を積めばあの境地に至れるのでしょうか…! やはり、ミカ殿は素晴らしい感性をお持ちですね。それでこそ我らが氷姫様です!」


 何だかオタサーの姫にでもなった気分だが、タイタが喜んでくれているのならいい。私達は共通の推しを持った同志なのだ。


 興奮して騒いでいたら、廊下の向こうから私達に気づいた者が剣を持って近づいてきたが、タイタが応戦する前に昏倒してしまった。ザコルが何かを投げて仕留めてくれたようだ。


「ありゃあ、ザコル様だぁ…!? おい、攻撃やめろ!」

「すげええ、いつの間に全員殺っちまいやがったんだ!?」


 聴き慣れた怪我人達の声が聴こえる。階段に群がっていた敵はすっかり掃討されたようだ。私とタイタも急いで階段へと駆ける。


 二階では怪我人達がベッドを横倒しにした即席バリケードを作っていて、踊り場には彼らが敵に投げつけた物や、倒れた敵が山のように転がっていた。足の踏み場に困ると思っていたら、タイタが失礼、と言って私をサッと横抱きにして登ってくれた。


「騒ぐな」


 ザコルが一瞬だけ威圧を発すると、大興奮でコールしかけた怪我人達がピタッと止まった。タイタは私をバリケードの向こうに下ろすと、階下から上がってくる残党を相手にし始めた。ザコルもそこはタイタに任せ、バリケードの内側にサッと跳んで入ってくる。


「致命傷を負った者はいるか」

「いや、ジンタがベッド運んでる最中に腰やっちまったくらいで…へへ…」


 ジンタという人を除けば皆元気そうだ。骨折などの大怪我がまだ治っていない者は奥の部屋に避難させ、手足の自由がきく者だけで応戦したそうだ。二階にあった壺や食器類などを投げたり、ベッドのフレームを無理やり折って棍棒代わりにしたり、外したドアで頭打ちにしたり、曲者から武器を奪ったり…。


「執事長はどこにいる」

「一階で会いませんでしたか。俺らには二階より上に上げるなっつって前に出て行ったんだが…。あの爺さん、まさか」

「お前達、地下牢の鍵が奪われていたと知っていたか」

 ザコルがジャラ、といくつもの鍵が通されたリングを見せる。

「いや、知らねえです! それ、この屋敷の鍵ですかい!? 本物…!?」

「やっぱり爺さんやられちまったんか」


 怪我人達は顔を見合わせてどよどよする。


「いつから襲撃を受けていた」

「俺らがここで応戦し始めたのは、そうさなあ、まだ一刻経ったかどうかってとこだと思いやすがねぇ」


 一刻は三十分。攻撃され始めてから思ったよりも時間が経っていない。

 一体、誰が鍵が奪われたと同志に伝えたのだろう。マネジだろうか? しかし今日初めて来た彼には何がどこの鍵かなど判るまい。


「さっきの従僕を呼びましょう。そこの君、玄関の横辺りに隠れている従僕の少年を連れてきてください。他の者は引き続きここの死守を。そのうち援軍も来るはずだ。僕は三階に上がる」

「分かりやしたぁ!」


 ザコルが声をかけると、曲者から奪った剣を持っていた怪我人の一人が、バリケードを軽々と飛び越え、タイタが相手にしていた残党を勢いで斬り倒して一階へ駆け降りていった。

 怪我人、とは。彼の療養理由を聞きたいところだ。




 ザコルについて階段を駆け上がる。タイタもキリをつけて上がってきた。

 この屋敷に出入りするようになってから何度も使った階段だ。一階から二階までは普段とはかけ離れた光景になってしまっていたが、三階に上がる階段はいつものように掃除が行き届き、階下の喧騒などまるで嘘のように整っていた。備え付けのランプも割られておらず、ようやく自分の足元をしっかり見る事ができた。


「足きたなっ! わー、見事にドロドロ…。絨毯を汚すの申し訳ないわ…」


 拐われた時の格好のままだったので、足元はいつものブーツではなくヒールのない室内用のバレエシューズだった。スリッパのようなものに比べれば底はしっかりしているが、何度も足を踏ん張ったりしたせいで随分と傷んでしまっている。靴の外側だけでなく、中にまで土や血が入り込んで滅茶苦茶だ。服もあちこちが返り血だらけ。ザコルに血のにおいがすると言われた通り、手にも赤茶けた汚れがまだ残っている。乾燥しているので、パッパッと払ったら大体は取れた。…結局絨毯を汚してしまった。


「ミカ、寒いでしょう。上着を取ってきますか」

「後で機会があればでいいですよ。何だかんだ動いているからそれ程冷えてはいませんし」

「気づかず申し訳ありません、俺の上着を…」

「いいよタイタ、タイタの上着じゃ、私には大きすぎて逆に動きにくくなっちゃう。ありがとうね」


 三階は静まり返っていたが、ザコルが声を掛けると、身を潜めていた年若いメイド服の子が給仕室から恐る恐る顔を出した。メリーも若いがこの子はもっと幼い。中学生になりたてといった感じだ。まだ見習いなのだろう、私達の世話に入る事は稀で、この子もまた顔だけ知っているような使用人の一人だ。


 メイド見習いの少女は、血みどろのザコルを見ると、泣き出しそうな顔をしてペタンとその場に座り込んでしまった。


「ど、どうか、お許しを…! ザコル様…!!」

「誤解のないよう。僕達は別に君達をどうこうするために戻ってきたわけじゃありません」

「で、では何を…!? 二階の方々は…」

「二階の怪我人共は皆無事です。ああ、一人腰を傷めたらしいですが」

「あ、あの、メリーは、メリーはもう殺されてしまったのでしょうか…!?」

「メリーは今、前線で戦っています。今後はミカの言葉しか信じないらしいです」

「前線…? そんなに大きな戦になっているというの…!? あのメリーがかの方以外の言葉しか信じないなどと本当に…? あんなに心酔して、誰の言葉も届かなかったのに…? あ、ああ、町は、町はどうなって…」


 混乱と恐怖で、どんどんと顔を青ざめさせていく少女。説明が大雑把すぎて何が何やらといった感じなのだろう。


「落ち着いて、大丈夫、大丈夫だからね。今、北の森に現れた謎の軍勢は、イーリア様にモリヤさん、マージお姉様が三方向から抑えてくださってる。かなり押してたし、町の中にまでは届いてないはずだよ」

「……あ、ミカ様」


 私が肩に手を置くと、彼女は初めて私の存在に気づいたというように顔を上げた。


「あのね、あなたの中でこの人がどんな印象になっているか分からないけれど、ザコルはこの屋敷が襲撃を受けたと聞いて真っ先に助けに戻ってきただけだから。下で抗戦してた使用人や怪我人の皆さんも無事。残ってた曲者はほとんどザコルとそこのタイタがやっつけてくれたよ」


 私は腰を落とし、少女の目線に合わせる。

 あの思い込みの激しいメリーの事だ、後輩であるこの子にもザコルが油断ならない人物だと吹き込んでいた可能性は高い。メリー本人がいれば説明もしやすいのだが、今は私を信じてもらうしかない。同性ならばいくらか警戒も解きやすいだろう。


「ゆっくり説明してあげられる時間がなくてごめんね、とにかく私達はこの屋敷を守りにきた。下はあらかた片付いたとこだけど、お客人の無事も確認しておかないと。あなたは知ってるかな、『お客人』がどこにいるか…」

「お客人…あの同志様の事でしょうか…あっ、と、取り乱しまして申し訳ありません。ここで、ここで少々お待ちください!」


 メイド見習いの少女、確か名前はユキだった。ユキはふらつきつつも何とか立ち上がり、逃げるようにパタパタと廊下の奥にかけていく。…あの子はもしかしたら、王子が従僕見習いに扮している事を知らないのかもしれない。事情を知る者ならば、私から『お客人』と聞けばまず王子を連想しただろう。


「ま、いっか。多分無事だよね」


 何も知らないユキ相手に、ただの従僕見習いの消息を訊くのは得策じゃない。ただならぬ要人だとわざわざバラすようなものだ。




 しばらくすると、深緑のローブを纏った男性を一人伴ってユキはおずおずと戻ってきた。男性の方は私達を見るなり駆け寄ってきた。


「猟犬様…!! それに、ああ、ミカ様もよくぞご無事で…!! 彼らは間に合ってくれたのですね…!」


 彼は心底安堵したという風に自分の胸を掴み、はああ、と息を吐きながらしゃがみ込んだ。タイタが彼の背中に手を添える。


「マネジ、やはり君が同志を使って僕に報せてくれたんですね。ありがとうございます」

「ひぇ、いっ、いえ」


 マネジは自分から猟犬様に近付いてしまったことに今更気づいたのか、動揺を隠しきれずに視線を彷徨わせた。


「この短剣の礼もしなければ。素晴らしい品ですね。これは、買い取らせてもらってもいいのでしょうか」

「そ、そそ、そんな、買い取っていただくような品ではありません! 僕が見習い時代に作ったもので、たまたま護身用に持っていただけですから。お代は要りませんのでそのまま使い捨てにでも…」

「何を言うんです、使い捨てだなんてあり得ませんし、タダではこの剣に失礼だ。後で僕が勝手に査定して支払います」

「えっ、そ、そん…」

「少なくとも、王都の武器屋にあるようないい加減な量産品に比べたら何百倍、いや何千倍もの価値がある。この均整のとれた刀身、重心の置き所も絶妙だ。切れ味も抜群でしたし、刃こぼれも少ない。無駄な装飾がないのも気に入りました。これと同じものを予備として十振り作ってくれませんか。良かったら長剣も。もちろん工房を通して君を指名させてもらいますから」

「ザコル」


 急にペラペラと喋り出したザコルの袖を引っ張る。興味のある物の事になると我を忘れかける彼も可愛いが、今はそれどころじゃない。


「…コホン、すみません、ええと、剣の事は後で。確認なのですが、この鍵は本物でしょうか」


 ザコルがチャリ、と鍵がいくつか通されたリングを出す。マネジは困った顔をし、ユキはよく目を凝らして見て頷いた。


「これは執事長がいつも持っている鍵束です! そのリングの彫刻、間違いありません。私では全てがどこの鍵と判るわけじゃありませんが、少なくとも町長夫妻の寝室と、執務室の鍵は本物かと。あの、どうしてそれを…」

「では一応試しましょう。寝室に案内してください」

「は、はい…かしこまりました…」


 ユキは歯切れの悪い返事をし、こちらをチラチラと振り返りながら先導する。ザコルに対する恐怖や疑心を拭いきれていないのが丸分かりだ。仮にも領主子息に対して褒められた態度ではないが、既に二人もの子息が牢に入っている状況では、誰が味方で敵なのか、判断に迷っても仕方のないことかもしれない。


 そんな彼女だが、素直に寝室へと案内してくれた。元々鍵はかかっていなかったようで、ザコルが鍵がちゃんと回るかどうかだけを確認した。


「少なくとも、この寝室の鍵は本物。主人の寝室の鍵がそう何本もあるわけはないので、やはりこの鍵束は執事長の持っていた本物で間違いないようですね」

 ザコル様ぁ! 連れてきやしたー!! と元気な声がして、先程の剣を持った怪我人の男性が従僕少年を連れて階段を登ってきた。

「マネジ様…!」

「ペータ君! 君も無事だったんだね、良かった、猟犬様に短剣を渡してくれてありがとう」

「いいえ、助けを呼んでくださり、ありがとうございました!」


 ペータと呼ばれた従僕少年とマネジがお互いに労い合う。この二人の間に何があったのか…。


「ペータ!! 一体どこにいたの、皆心配していたんですよ!」

 ユキがペータに突っかかる。この二人は同世代か、ペータが一つ二つ歳上といった所か。


「ユキ、俺は一階の納戸に隠れてザコル様をお待ちしていたんだよ。ザコル様、侵入者を掃討してくださり、ありがとうございました!!」

「ああ、少年の言う通りだぜ! おかげで俺ら怪我人もみんな無事だ。ありがとうございやした!!」


 ペータ少年と怪我人男性は揃ってガバッと頭を下げた。そんな彼らの様子を見て、ユキが『本当だったのか』と言わんばかりに、慌てて頭を下げる。


「ペータ。君の話を聴きたくて呼びました。先程の続きを話してくれるでしょうか」

「もちろんです」

 ペータは真剣な表情で頷く。


「俺はどうしやしょう!」

 怪我人のお兄さんも何故か期待に満ちた顔でザコルを見る。


「…君、所属と名は」

「よくぞ訊いてくださいやした!! 俺はッ! サカシータ騎士団第七歩兵隊隊長ッ、タンバと申しやすッッ!!」


 ビシッ、そう言って彼は勢いよく敬礼した。



つづく

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